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nns’sシューティングラブ備忘録

2011-07-10 冷めている

無趣味人間

自分が面白いと思っていることに関して第三者に「面白くない」と言われることって、

はっきり言って別段普通じゃねーか?と思わないでもない。

例えば私がホモが大好きで、田亀源五郎みたいなホモ系の漫画をガンガン集めているとしよう。

それに関して他の人に「それは信じられん」と言われても、それは仕方の無いことじゃあないか。

多分そういう反応を予期して、こっちはそういう趣味を隠し通すのだろうし。俺自身、男友達に「男色に関心がある」といわれたら、状況によっては距離を置くだろう。

また、ホモ趣味といったアブノーマルな(はっきり言うが同性愛はアブノーマルだと思う。だからこそそこに特異な意味と価値が発生することにもなっている。アブノーマルなものには固有な尊厳があるものであり、それは「これはアブノーマルじゃない」とか強弁すると逆に毀損されてしまうものなんだろう。アブノーマルに尊厳を認めることは必ずしもノームを破壊することと等義じゃねーと思うオイラだ)趣味のほかにも、もっと単純に、ハンバーガーが好きとか、そういうことでもいい。

私がハンバーガーが好きだとして(あんま好きじゃないが)、それをハンバーガー嫌いな人が「ハンバーガーは美味しくないし体にも悪いぜ」と言ったところで、こちらは別段困るこたぁないじゃあないか。

好き嫌いは人に寄るものだ。そりゃ、「明らかに塩分が濃い」とか「ミミズが入ってる」といったものは論外にしても、ある程度の好みには差があるものだし、それを「表明されたって」こっちは別段構うこたあないし、一方でこっちが「表明したって」相手はそれをマジメに受け止める義理はないだろう。さわやか三組じゃないんだ、イチイチ相手の言うことに行動を合わせてられっかい。

・・・

そう思っていたのだが・・・

近頃、ああ、案外そうでもないんだな、と思うようになってきた。

「楽しみに水を差される」という奴だ。

今の社会で、楽しみに水をさされないままで済むような娯楽というのは中々ない。

何か作品が出れば、多種多様な品評が即座にその作品と並ぶ形で出現する。そこには、肯定的なものもあれば否定的なものもある。

こういった状態で「これはいい」と主張し続けるのは大変胆力のいることなのだ。

いや、そんな胆力を持つ前に、自分の感触や意見が何となく修正されていって「ああ、こんなもんか」的なものに「落ち着いて」しまうことも有り得る。

というか、こういったことはものすごく多いのかもしれない。

しかもこういったことは、起こっている最中には誰もそれをそれとして自覚しないので、この現象に誰も気付かないという。

・・・

そんな訳で、ニコ動とかでアニメ作品を見るのはあんまいいことじゃねー気がするのでテレビの前で正座して見た方がいーんじゃねーかと思う。

なお、オイラはあまりアニメを見ない。見るときっとハマってしまうので見ないようにしている。同様の理由で私はゲームを殆ど遊ばない。

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ストラニアも、ロケテの時に何も知らされずに遊んだ時は「ウヒョー」と端的に喜んでいたが、やがて様々な品評を聞くうちに「これはこの作品に何か問題点が内在しているのだ」などとアレコレ考えるようになってしまった。しかも問題は「全く自発的にそういう意見を持った気になっている」ということだ。こんな心も、結局は誘導されただけのことなのかもしれない。

今、ゲセンで遊ぶとこういった品評心が綺麗に消えて再び能天気に楽しく遊べるようになった。

遊ぶ為に特定のメンタリティを維持すべきって時点で既に俺自身の娯楽寿命が尽きている気がする。

新作あれかし。