十四日目の日馬富士戦に関して、昨日私はかなり思いきったことを書いた。だが、勝負は私の思うように運んでくれなかった。その点に関して、私は日馬富士氏にわびておかなければならない。それにしても、この一番に見せた大関の攻撃は見事なものであった。
絶対的にいって、なぜあんなに高い位置から横綱を攻撃しなければならなかったのか。いや逆だと考えなければならないのかも知れない。低く攻め込むのが、この大関の常とう手段だから、大関十八番の形を求めている中に、あの攻防の形になったのか。
ビデオテープを見ると、この横綱が普段見せない弱点そのものを、はっきり攻められている結果になっていた。
いつから、そんな弱さを見せるようになったのか、横綱は時に背に回られる悪い癖を出すようになった。しかし、元来器用な力士だから、相手のそういった攻撃を巧みにかわしたり、逆に攻め込むきっかけにしたりして、大過なく過ぎてきていた。
だが、白鵬の背に回って攻めることはあまり難しいことではないぞと、多くの力士が心得るようになってきていた。それに対して、白鵬の方にこの弱点を意識して超克しようとした気配はない。いや“ない”というのは言い過ぎであるかもしれない。目立った動きはないと言っておこうか。
これが極端な形になったのが、十四日目の日馬富士戦である。横綱は日馬富士の激しい動きについていくのが精いっぱいで、先手が取れない。
そうした攻防の中で、次第に日馬富士の動きがさえを増してきて、上体がそのままのみ込まれていく。右肩がのみ込まれ、動きも次第に不自由なものになってくる。この攻防は、ここまで、白鵬独走の大相撲のあり方に、いろいろな意見を与えて来るもので、大相撲にとって、歓迎すべきものをいろいろ含んでいると思う。
今場所の最終段階に入って、琴奨菊がにわかに崩れ出した。それにしても、国産大関候補はなんとひ弱なのだろう。
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