東電と保安院の食い違い
今回の事故はCG通りではない。東京電力と原子力安全・保安院はそれぞれ、温度や圧力、放射線量などのデータ解析から初期の事故経過を推定している。
福島第1原発は非常用交流発電機が失われた後も、バッテリーなどで駆動する冷却システムが部分的に動作したため、完全に冷却不能になったCGの想定よりは事故の進行に時間を要した。それらの条件が1〜3号機で異なり、それぞれの圧力容器破損や水素爆発に至る経緯や時間の違いになって現れた。
だが、事故経過の分析は東電と保安院の間でズレがある。
地震発生で原子炉が止まったのは、1〜3号機とも3月11日14時46分。津波により非常用交流電源を喪失したのが同15時37分から15時42分の間である。
これ以降の見解は東電と保安院で異なる。12日15時36分、最初に水素爆発を起こした1号機の場合、炉心溶融による圧力容器破損を東電は12日の6時ごろ(地震発生後約15時間)と推定しているのに対して、保安院の解析ではもっと早い段階の11日20時ごろ(同約5時間後)に生じたことになっている。15日6時20分、3つの中では最も遅く水素爆発が起きた2号機では、保安院が圧力容器破損を前日14日の22時50分と推定しているが、東電は爆発後の16日4時ごろとしている。
「事故の進行状況を知ることは、地震や津波に対して何が直接のきっかけとなり、どんな防備が欠けていたのか、東電や監督官庁の責任を含めて事故対応はどうだったのかなどを検証するうえで極めて重要」と核燃料化学が専門の舘野淳・元中央大学教授は指摘する。
設定条件で解析結果は変わるものの、両者のズレは事故の実態や真相が十分に解明されていないことを意味している。
当初の事故に対する認識にも問題があった。東電は5月になるまで、多くの専門家の指摘にもかかわらず炉心溶融自体を認めていなかった。
事故発生前に作成したシミュレーション画像は、同じ型の原発が冷却不全を起こせば、短時間に炉心が溶融し、圧力容器を突き抜ける可能性を明瞭に示していた。早い段階から炉心溶融を想定した行動がとれていれば、その後の事故や放射能などへの対応は違っていたかもしれない。
政府はストレステストの詳細を詰めている最中だが、実施すると決めた以上、安全審査としての高い有効性が求められる。不測の事態が実際に起きたときの対応の詰めも必須だ。放射能が外部に漏れ出た今回の事故プロセスと事故対応の解明と検証は欠かせない。