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[政治]ニュース トピック:正論
【正論】慶応大学教授・阿川尚之 かくなるうえは「殿様」の復活を
菅直人首相が辞めない。「トラスト・ミー」前首相から「ペテン師」と罵(ののし)られ退陣を余儀なくされると思われたのに、居座った。
≪菅氏に指導者の資質全くなし≫
一般論で言えば、政権はころころ変わらない方がいい。小泉純一郎首相退陣後、次々に政権を降りた2世、3世首相と比べ、菅氏の粘りは驚嘆に値する。ただ、この人には一国のリーダーとして必要な見識、品格、歴史観、ユーモアのかけらも見いだせない。
だらしないのはこの程度の人物しか代表に担げず、首相にしてしまった民主党だ。問題が多すぎるとわかっても辞めさせられない。それは民主党に政権を託した国民多数の責任でもある。はじめからこの党に期待していなかった私は別に驚かないが、民主党政権が誕生してからこれまで、何か一つでもいいことがあっただろうか。
たまに会う民主党の政治家はごく普通の人物ばかりだ。国会議員に一度なってみたいと思っていたらなれちゃった。その程度の人が多い。自民党議員の多数も同じだが、能力ある人に指示を与え、政策実施を任せるだけの才覚があった。民主党の政治家は政治主導という掛け声の下、自ら何でもやろうとしてうまくいかない。大震災後の混乱、原発をめぐる方針のブレは、起こるべくして起きた。
もっとも、菅首相が震災後ずば抜けた指導力を発揮し、国民の圧倒的支持を獲得していたら、むしろ心配だった。反権力で名を上げたのに権力が大好きらしいこの政治家は、長期政権を目指し、もっと無茶していたかもしれない。幸いこの人にそれだけの力がなく、民主主義の抑制と均衡の機能が働き、この程度で収まっている。
≪地方を自立させた中央の停滞≫
皮肉にも中央政治の停滞は、逆に地方の自立を育みつつある。今回のような目の前の巨大な危機に直面して、いちいち中央の指示を仰いでいては間に合わない。その後の措置についても、中央が頼りにならなければ自分たちで判断せざるをえない。むろん国の力が必須なことはたくさんある。自衛隊の献身的な救援活動はその最たるものだ。しかし東京の政治家はおおむね役に立たなかった。市長、村長ら地元のリーダーが、難しい決断を次々に迫られ対処した。
このように、中央の政治の停滞は、悪いことばかりではない。民主主義は本来そういうものであり、その冗長さ、瑣末(さまつ)さに相当の忍耐がいるが、効率的な独裁政治に比べればずっといい。すぐれたスターリンよりは凡庸な菅、である。それに、この程度の最高指導者でも、国が何とか機能しクーデターや暗殺が起こる気配さえないのは、日本社会成熟の証しだ。
ただ、震災後の今、政治の停滞が長引くと、人々の心が萎え、希望を失うのではと心配だ。被災地の人々が最近苛立(いらだ)ちを強め、あきれ返っているように見える。政治に過剰に期待すべきではないが、国民が全く政治に期待しない、できない状況は好ましくない。
人々が大きな災厄を乗り越えるには、物や金だけでなく、希望や絆、元気やユーモアといった精神的な支えが必要だ。リンカーンやチャーチルのように優れた政治指導者は国難に際しそんな目に見えない力も国民に提供したけれど、日本の政治家には無理だろう。
我(わ)が国では天皇、皇后両陛下が数々の災厄にあって国民を励まし希望を与えてこられた。今回もそうである。被災地を回られる両陛下の姿に、国民は静かな感動を覚えた。さらに各被災地には、古い共同体の伝統、記憶、祭りや慣習が残っている。そうした無形なものが、多分に被災者を支えた。
≪福沢諭吉の「分権論」に学べ≫
中央の政治家が人々の心を支えられないなら、今や失われた古いしきたりや伝統を意識的に復活してもいい。例えば、突飛(とっぴ)なようだが、各地で殿様を復活してはどうだろう。むろん殿様にはいかなる政治的権限も与えない。政治家になった殿様には遠慮してもらう。殿様がいない所では人望ある人を新しく選べばいい。そのうえで知事、町長、村長、地元出身の国会議員、大臣、みな羽織袴(はかま)でお城に上り、平伏して殿様に伺候(しこう)する。儀式はあくまで厳粛に行う。
福沢諭吉は明治になって失われつつあった「士族の精気」の維持を説いた。一手段として、国権を中央の「政権」と地方の「治権」に分け、後者を旧士族に任せるよう提案している(『分権論』)。徳川幕藩体制の下2世紀半にわたり公の仕事を担ってきた士族の能力と精神を活用、地方の民の活性化と自立を目指したのである。
震災で大きな被害を被った東北地方には、戊辰戦争に敗れて国が滅びた記憶が今も残る。殿様復活には、中央へ渡した権威と正統性を取り戻す象徴的な意味がある。東北だけでなく、北陸でも九州でも殿様と儀式を復活させれば、中央の政治家から失われた精神性が郷土に蘇(よみがえ)るだろう。中央主導で行われる地方分権の議論にも魂が入る。本格的なサムライの儀式復活は大きな観光資源ともなろう。
長州農民の末裔(まつえい)は半分本気でそんなことを夢想したのである。(あがわ なおゆき)
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