厚生労働省が20日に公表した速報値によると、2010年度に全国の児童相談所が対応した児童虐待の件数が5万5152件にも上り、過去最多を更新したらしい。前年度より1万件以上も増加し、増加傾向に歯止めがかからない状況だ。児童虐待への関心の高まりによって通報が増えたことも件数増加の背景にあるが、それにしてもひどい。 虐待件数は通報を受けて児童相談所が面接などの対応をした事例を集計したものだが、東日本大震災の影響で宮城・福島両県と仙台市はデータを提供することができなかった。 虐待件数はこの20年間で実に50倍以上に膨れあがったとのことで、通報された件数はさらに多くなるという。昨年夏には大阪市で児童2人の虐待死事件が発生するなど深刻化も進んでいる。 鬼畜倭人どもよ、自分の子供すら虐待するなら最初から子供を作るな。以前に比べてしっかりと通報されることが多くなったとはいえ、たった20年間で50倍以上も児童虐待が増えるというのは一体どういうことだ。近頃の親はずいぶんと無責任で身勝手なのだな。 ただでさえ少子化が急速な勢いで進行しているというのに、そのような状況下で子供を作る者達すらも妊娠中絶をするか、子供を無事に産んでも虐待するとは本当に救いようがない。もう諦めておとなしく諸外国からの移民を大量に受け入れることだな。さもなくば日本が国家崩壊するのは時間の問題だ。 また、親などによる児童虐待問題だけでなく変態性欲者による児童ポルノ問題も年々深刻化している。今月6日には愛知県警、警視庁、大阪府警、福岡県警など13都道府県警が逮捕者18人を含む男計33人を、ファイル共有ソフトを使って児童ポルノをインターネット上に公開したなどとして児童買春・児童ポルノ禁止法違反(児童ポルノの公然陳列)容疑などで摘発したと発表した。 他にも最近、18歳未満の子供の裸や強姦する場面を撮影したり、その画像をネットに投稿したりする児童ポルノ事件が年々増えていることを受けて、全国の児童ポルノ愛好者や手口などの情報を集めてデータベースを作ることが警察庁によって決まった。 全国各地に住む児童ポルノ愛好者がインターネットのサイトで匿名で結び付き、増殖を続けながら犯行を拡大させている。通信記録の解析や警察本部間での情報共有に手間取って容疑者特定に長い期間をかけているうちに、児童ポルノ画像がファイル共有ソフトを通じて国内外に拡散している。そのような現状を打開するためにデータベースの作成が決定した。 昨年の児童ポルノ事件摘発件数は過去最多の1342件、926人に達した。小学生以下の子供が被害に遭うことも多く、昨年は被害者614人の2割、126人でこれも過去最多だ。一見するとそれほど多くないようにも見えるかもしれないが、日帝本国は先進国でありながら未だに児童ポルノの単純所持が違法化されていないので潜在的には更に多いだろう。 このままでは変態国家倭国の犠牲になる子供達が可哀想だ。つべこべ言わずにさっさと児童ポルノの単純所持を違法化することだな。児童ポルノの単純所持を違法化してしまうと変態国家倭国の更なる実態が白日の下に晒されてしまうから一向に児童ポルノの単純所持を違法化しないのだろうが、逃げ回っていたところで仕方がない。 日帝本国人は非力な児童を虐待することをいい加減にやめろ! ソース: 児童虐待対応5万件突破 10年度1万件増 - 朝日新聞児童虐待の相談件数5万超 過去最多を更新 - テレ朝news児童ポルノのネット公開容疑などで33人摘発 - 朝日新聞児童ポルノ愛好者をデータベース化 被害防止へ警察庁 - 朝日新聞
毎日新聞からの情報だ。ロシアのモスクワ南東のペンザ市で15日に、旧ソビエト連邦の独裁者として知られるヨシフ・スターリンの胸像が完成したとのことだ。これは地元の共産党が主導し、20万ルーブル(約60万円)の市民の寄付金を建設費として建てられたという。 同市にはかつてスターリン像があったが、1950年代後半に撤去されていたという。1950年代後半はニキータ・フルシチョフ第一書記によってスターリン批判が行われた時期だ。当時のソビエト連邦の指導者自身による、スターリンの大粛清や個人崇拝の批判である。 現ロシア大統領であるドミトリー・メドベージェフ大統領はスターリンが行った政治弾圧や虐殺を厳しく批判している。だが一方で、今年3月に実施された世論調査ではロシア国民の45%がスターリンの歴史的役割を肯定的に評価しており、否定的な評価の35%を上回っているらしい。 そのスターリンはかつて、重工業優先や農業集団化などの五カ年計画によって世界恐慌を巧みに乗り切り、ソビエト連邦の経済発展そのものにも大いに貢献したのは確かだ。第二次世界大戦で、ソビエト人民や赤軍兵士に相当な無理をさせながらもナチスドイツを相手に戦勝へと導いたのもまたスターリンだ。ソビエト連邦がアメリカ合衆国と並ぶ超大国に成長したことはスターリンの貢献なくしては語れない。 しかしスターリンはそのために非常に独裁的に物事を進め、あまりにも多大な犠牲を出しすぎた。長年スターリンが政権を掌握していた間に強制労働や飢餓によって死亡した人々は、諸説あるが合計で数百万人にのぼると言われている。 スターリンが犯した罪といえば100万人を超える政敵の大粛清がよく挙げられるが、それだけでなくスターリンは罪のない人民をも大量に死に追いやったのだ。確かにスターリンは国家の発展には貢献した。だが大量虐殺者であったことも事実であり、私としてもスターリンを高く評価することはできない。いくら自国の発展に貢献した人物であるとはいえ、現在のロシア人民が独裁者スターリンを肯定的に評価するのは間違っている。 また、スターリンの政策は後に中国の毛沢東も模倣し「大躍進政策」として自国にも取り入れたが、多数の餓死者を出すなどして失敗に終わっている。私は毛沢東のことも中華人民共和国建国の父として、あるいは世界に影響を与えた共産主義者の一人として評価したいと思うところではあったが、その毛沢東もスターリンと同じく国家のために多数の人民を死に追いやった独裁者であった。 我々はスターリンや毛沢東の罪を反面教師とし、同じ失敗を繰り返さぬようにしつつ、良い面だけを見習わなければならない。なお、この「反面教師」という言葉も毛沢東が発案したものといわれるが、当時の毛沢東はまさか自分自身が後世の共産主義者の「反面教師」になるとは思ってもみなかったことだろう。 ソース: ロシア:スターリン胸像 市民の寄付金で完成 - 毎日新聞
韓国・朝鮮の民謡の中で最も有名なものはおそらく『アリラン』だろう。 しかし先月、中国政府がそのアリランを 「中国の延辺朝鮮族の文化」として国の無形文化遺産に登録した。これに対してやはり韓国は反発を表明し、アリランをユネスコの世界無形文化遺産に登録する方針を明らかにしている。 この問題について私は韓国側の立場を支持する。アリランが韓国・朝鮮の民謡・伝統文化であることは明白であり、それを中国が「自国の少数民族の文化」とするのはおかしなことだ。現時点で独立国家を持たない少数民族の文化を中国政府が保護するのならまだわかるが、既に大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国という独立国家を持っている朝鮮族の文化まで「中国文化の一部」として扱うのは許されることではない。 さて、ここで改めてアリランを紹介したい。「アリラン」とは韓国・朝鮮の伝説上の峠のことだ。韓国・朝鮮各地域にはそれぞれのアリランの民謡があり、京畿道のアリランが一般によく知られている。以下の動画では、一般に単に『アリラン』と呼ばれているその京畿道アリランが歌われている。 歌詞は以下のとおり。
(韓国語) 1절: 아리랑 아리랑 아라리요 아리랑 고개로 넘어간다 나를 버리고 가시는 님은 십리도 못 가서 발병난다 2절: 아리랑 아리랑 아라리요 아리랑 고개로 넘어간다 청천하늘엔 별도 많고 우리네 가슴엔 꿈도 많다 3절: 아리랑 아리랑 아라리요 아리랑 고개로 넘어간다 저기 저 산이 백두산이라지 동지 섣달에도 꽃만 핀다
(日本語) 1. アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を 越えて行く 私を捨てて 行かれる方は 十里も行けずに 足が痛む 2. アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を 越えて行く 晴れ晴れとした空には 星も多く 我々の胸には 夢も多い 3. アリラン アリラン アラリヨ アリラン峠を 越えて行く あそこ あの山が 白頭山だが 冬至師走でも 花ばかり咲く
この他にも江原道アリラン、密陽アリラン、珍島アリランなど、韓国・朝鮮各地域には様々な種類のアリランが存在する。アリランという民謡ひとつからも韓国・朝鮮の文化の奥深さを知ることができる。 私は、韓国がこの素晴らしいアリランを韓国・朝鮮の文化としてユネスコの世界無形文化遺産に登録することを支持し、応援したい。
[ 2011/07/14 ]
韓国・朝鮮 |
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Plantae 同志が、 人類館事件についての記事を書いてくれた。人類館事件とは、1903年に日本の大阪で開かれた内国勧業博覧会(国内博覧会)に於いて、琉球人、アイヌ人、朝鮮人、清国人(現在の中国人)、台湾原住民族をはじめ、インド人、ジャワ人、トルコ人、アフリカ人など多数の民族の合計数十人を、民族衣装姿で日常生活をさせて展示した、いわば「人間動物園」事件である。 数百万人が見に来る場所で、人間でありながら動物園の動物のように扱われて展示され、見せ物にされるとは、展示された人々はさぞかし多大な苦痛を受けたことだろう。 また、去年9月の記事だが沖縄タイムスに人類館事件に関する記事があった。記事によれば、1903年の人類館事件で「陳列」された人々の当時の写真が新たに見つかり、沖縄の壺屋焼物博物館に展示されたとのことだ。これは人類館の入場特典や販売品だったのではないかと考えられている。 この19人の集合写真は縦約9.5センチ、横約14センチで台紙に張ってある。台紙の裏には被写体の誰がどの民族かを示す印字があり、「朝鮮人」、「支那人」(中国人)、「アイヌ人」、「琉球人」と表記されている。 沖縄タイムスの同記事ではこの件に関する詳しい説明がなされているので、今回のブログ記事の最後に提示するリンクから読むといい。 なお、同記事の最後の部分では「1903年の大阪で開かれた第5回内国勧業博覧会の一環で、学術人類館に沖縄のジュリ2人がアイヌや朝鮮の人たちと共に展示された。沖縄側から強い抗議があり、2人は帰郷。抗議には『未開人種』や『劣等種族』と並列で扱われたことや『劣等の婦人(=ジュリ)を琉球の貴婦人として紹介した』との不満も含まれ、沖縄側の差別構造も指摘されている」と人類館事件の概要について説明されている。 このうち特に「抗議には『未開人種』や『劣等種族』と並列で扱われたことや『劣等の婦人(=ジュリ)を琉球の貴婦人として紹介した』との不満も含まれ、沖縄側の差別構造も指摘されている」という部分に関係することだが、この「差別されたものが差別をする側にまわることで、ぬけぬけと生き延びようとした」という姿勢を有していた者が当時の琉球人の中にいたことについても、Plantae 同志は沖縄出身者の一人としてブログで謝罪と怒りの意を表明している。 もちろん、この事件で一番悪いのは彼らを「未開の劣等民族」と見なして動物園の動物のように扱った鬼畜日帝だが、いくら大和人から蔑視されていたとはいえアイヌ人や朝鮮人を「自分達よりさらに劣る民族」と見なしたその琉球人にも問題があるし、当時、同じような内容の抗議を行い、同じく他民族を「自分達よりさらに劣る民族」と見なした清国人(現在の中国人)にも問題がある。それだけでなく、展示された同胞の女性を「琉球の貴婦人ではなく劣等の婦人(=ジュリ)」と呼んだことも差別であったと言える。 かつて日本以外の列強諸国でもこのような民族差別が行われることもあったとは聞くが、だからといって日帝の蛮行が許されるわけではない。私は、これからはこのようなことが二度と繰り返されないことを願いたい。 ソース: 人類館写真 2例目を確認 裏書きに民族名 - 沖縄タイムス
[ 2011/07/09 ]
日帝の蛮行 |
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