福島第1原発:浪江、双葉両町で一時帰宅 犠牲者を慰霊

2011年5月26日 11時21分 更新:5月26日 13時0分

防護服に身を包み、供養の花束を手に一時帰宅に向かう浪江町の住民たち=福島県南相馬市で2011年5月26日午前10時18分、梅村直承撮影
防護服に身を包み、供養の花束を手に一時帰宅に向かう浪江町の住民たち=福島県南相馬市で2011年5月26日午前10時18分、梅村直承撮影

 東京電力福島第1原発事故で立ち入りが規制された警戒区域(半径20キロ圏)の福島県浪江、双葉両町で26日午前、一時帰宅が始まった。浪江町は津波被害が大きかった沿岸部4地区で実施。多くの住民が、震災と原発事故後初となる「帰宅」だが、津波で自宅が流され、家族らが犠牲になった住民もいる。バスで各地区に降りる度、町職員が焼香台を設置し、慰霊の読経が行われた。

 浪江町のこの日の一時帰宅者は70世帯121人。午前9時過ぎ、同町役場から北西約8キロの南相馬市原町区の「馬事公苑(ばじこうえん)」に集合。暑さ対策のため導入された薄手の防護服を着込んだ後、バス7台に分乗して「2カ月半ぶりのわが町」に向かった。

 午前11時ごろ、最初に同町棚塩地区に到着、町内の古刹(こさつ)・大聖寺の青田敦郎(あつお)住職(50)が防護服の上から袈裟(けさ)を着込み読経。住民が静かに手を合わせた。続いて請戸(うけど)地区では焼香台に花束や手紙をささげる住民も。

 がれきの山となり、津波で打ち上げられた漁船が点在する光景を見て、同地区の居酒屋経営、内家和子さん(62)は「こんなすごいことになっているとは。姉の息子がまだ見つかっていないので、早く見つかるよう祈っています」と声を振り絞った。この4地区では、震災で50人が死亡、134人が行方不明のまま。参加者の約半分34世帯58人は、必要品の持ち出しではなく慰霊が主となるという。【神保圭作】

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