2003年3月25日 in ルポール麹町
斎藤まさし
昨日の今日で緊急のご案内であるにもかかわらず雨のなかこんなにたくさん集まっていただいてありがとうございます。今日司会をさせていただきます斉藤まさしと申します。
昨夜、田嶋陽子参議院議員が神奈川県知事選挙への出馬を決断をさせていただきましたので今日緊急に記者会見をしていただくことになりました。時間もありませんのでさっそく、田嶋陽子参議院議員から神奈川県知事選の出馬の挨拶と決意を述べていただきたいと思います。
田嶋陽子
参議院議員の田嶋陽子です。27日に告示します。23日の日に家族に出馬したいということを話しました。ちゃんと決めたのは夕べと言っていいかもしれません。まあ、それでも、私なりに準備してまいりました。今、地方から国政を変えるというひとつの流れがありますが、私もそれはやってみたいなと思って、1年ちょっとの短い参議院議員生活でしたけれど、色々思うことがありまして、やっぱり首長になってみたい。なりたいという全く単純な個人の意思でして誰からの推薦も誰からの応援もまだありません。それで、無党派で、無所属で、そしてボランティア選挙でやります。私の今までの人生の中で自分の意思ではっきり方向を決めようと思ったのはもしかしたら今回が初めてかもしれません。それまではいろんなかたちでセカンドチョイスをしてきたと思いますが、今度はファーストチョイスです。
斎藤
全くご挨拶の通りだと思います。私は故あって田嶋さんの選挙のお手伝いをさせていただくことになりました。まだ、二人だけで昨日相談して決めたということで、選挙の態勢その他まだ詳しく決まっておりませんけれど。選挙の方は私がお手伝いさせていただくということになりました。選挙関係のことは私の方に言っていただければと思います。皆さんのほうからご質問される方は社名とお名前をお願いします。
産経新聞
田嶋さんがなぜ神奈川県の知事選に出るのかお聞きしたい。
田嶋陽子
神奈川が今、知事を求めているというのがまずひとつ。
それから、私は神奈川に親戚がいるわけでも自分がそこで育ったわけでもないですけれども、地理的に言うと、東京に18歳で出てきてから沼津の実家に帰るのにいつも神奈川を通過して帰るんですね。川があって、海と山と自然があって都会もあれば田舎もあれば、工業地帯もあればベッドタウンでもあるという何でもありのところで、そういう意味では日本のいい縮図だと思うんですね。それともうひとつは神奈川はいろいろな意味で意識が高いところですから、私がやりたいような政策、皆と相談しながらやるにはとてもやりやすい、とそう思います。今いろいろな市民活動が活発ですよね。そういう意味で、神奈川だったら皆と一緒に県政変えられるんじゃないかなと思いました。斉藤さんからは私への言葉をいただきました。「明るく元気でおおまじめ」まさに私その通りです。それで、私からは「快住(かいじゅう)かながわ」という言葉を神奈川県にプレゼントします。そういう県になるように思いっきり活躍したいと思っています。
東スポ
神奈川は馴染みがないとおっしゃいましたけれど、遠くさかのぼって、若いころデートでいったとかそういうこともないんですか?
田嶋陽子
あります。私はテレビに出はじめたのが90年ごろだと思うんですがその3年前、女性学がまだそんなに盛んではなかったころ、神奈川県に約10回近く公民館とか市役所などに講義をしに来ていました。神奈川女性センターとか、明治公民館には4回も行っています。あとは、藤沢市民会館2階会議室とかで女性学を教えていました。そういうところで4年に渡って、神奈川の女性たちが私をよんでくださって、そこで皆さんと一緒に女性学の勉強をしました。今でもそのころの人たちとはずっとお付き合いがあります。そういう形で、神奈川とは関係があるといえばあります。あと、やはり地縁がなくて何故といわれますけれど、なまじ、私が横浜や川崎の出身だと、えこひいきがあるかな、横浜偏重とか川崎偏重とかそういうことってありますよね。私は単に神奈川いいなと思って行くわけですから公平な政治ができるんじゃないかと自分なりに評価しています。
朝日新聞
今、参議院議員現職ですけれども辞職願いのほうはどうされるんでしょうか。自動失職ということになるんでしょうか?
田嶋陽子
はい。27日に告示をしたら自動失職ということになると思います。ですから私はめいっぱい質疑させていただいて、今日もやってまいりました。明日も最後の予算委員会の委嘱審査がありますのでそれをやってから終わります。
読売新聞
この時期に出馬表明というのはやはり後出しじゃんけんじゃないかと言われるわけですけれども。昨日おととい決められた決断の理由をもう一度ご説明いただきたいと思います。
田嶋陽子
私は離党したときからずっと首長になりたいと思っていて、チャンスがあったら出たいと思っていたんです。ほかの選挙の方でも声がかかったりしていましたけれども、ちょっと違うかなと。今、もうどうやったのか分かりませんけれど、読売新聞に出馬の記事が出たりとか、インターネットで出たりして、福田官房長官も質疑の間でしたけれど、「本当?」というような顔したから、そうだよって言ったら頭ふってましたけれど、そうしたら早速、民主党の人がやってきて出ないでくれっていわれました。自分達には神奈川県から国政を変えていきたいという人がいるから、出ないでくれって質疑の最中に来たんですね。こういうことを想定して多分本当に私が出たいと思ってもいろいろな思惑があるのでぎりぎりまでそういうことは公表しない方が、たった一人で出る人間とってはそれぐらいが身をまもる術かなと思ったのが大半の理由です。
産経新聞
あと4年以上も参議員の立場を残されていてそれを捨ててまで知事選に出られるということで、失礼ですが、勝つ自信はあるのでしょうか。
田嶋陽子
勝つ自信ね。でも勝たなきゃね。私もこのことはほとんど家族にも話していませんでしたし、知っているのは私の秘書2人だけでした。結局、私が決心固めて、じゃまが入らないようにするためには誰にも知らせないでおくことしかなかったものですから。あと斉藤さんと4人の人間しか知らなくって、それで、ずっとここ2ヶ月すごしてきたんです。それでも、いろいろグラグラしましたけれど。私は参議員になりましたが社民党に一生懸命推していただいてなったんですが、政治は初めてです。そして、60歳での転職でした。私は、なってみたら、まあ、いろいろ国会のことは言われていましたが、私は政治ずれしてないし、政治のこと知らないから、全く感覚汚れないままで来たわけです。
そして「あ、ここは違う。私が住む場所ではない」ということを最初から感じました。それは、党に関してもそうでしたし、国会というところもそうでした。私には合わない洋服を着せられているという印象がありまして、私はこのままだったら窒息死してしまう。私のリズムと国会のリズムが違いすぎる。私はやはり自分が生き生き活動できるところで自分の政策を生き生きと自分のリズムで実現していきたい、もちろん相手がいることですから一緒にやりながらですけれど。でも国会にいるよりは知事になって首長になった方が自分の政策を実現しやすい。私の自信が唯一あるとしたら、私が生き生き活動できたら、いい政治ができるんじゃないかなと。まだやってもいないんですけれど、この一年半の自分の国内、国会内それから海外での自分の歩みを見つめながらもうすこし鎖が長かったら、あるいは鎖がなかったら、もっと活躍できるのにっていう思いがずっとありました。
それで、ちょっと早すぎるかもしれませんけれども、思い立ったら吉日ということで。皆からは5年くらい我慢したらって言われました。5年なんていたら、65歳です。私は60歳で政治家になったんだから、この10年が勝負だと思ってますから5年なんて待てない。この10年をフルに使いたい。もし知事になったら2期はやりたいと思っています。2期やったら私は70歳になりますから、それからまた元気だったら国政に帰ってきてもいいけれども、とりあえず私が元気なうちのこの10年を十分に生かしたいというのが本音です。
日本テレビ
先ほどの説明を伺っていると、社民党時代も参議院時代も自分には合わないと、窒息しそうだとおっしゃっていましたが、そうしますと、仮に知事に当選した場合にまた次も合わない、鎖が短いと思った場合は、また短い期間でおやめになるお考えなんでしょうか?
田嶋陽子
そんなことはないと思いますね。誰でも転職したときは思った状況と違うから転々としてしまうことありますよね。それは誰でもそうだと思うんですけれども。私は30年間大学教授やってまいりました。30年間というのは長いです。その間いろいろな工夫をしながら自分で生きてきました。本も10冊近く書きましたし、テレビにも出していただきましたし、私は自分の主義主張を生かすために私なりに頑張ってきました。30年は長いです。その間ちゃんと仕事やってまいりました。ですから、今度も自分に適した水のところであれば、自分の意思をきちんと表現できるところであれば、私は、もしそうでなくても、今度は首長ですから自分で変えていきます。
長野新聞
知事になられたら何をしたいと思いますか。
田嶋陽子
私は公約というのをよしました。まず環境、福祉、教育で仕事を作ろう。仕事がなくちゃしょうがないんで、環境も福祉も教育も全部仕事にする。そして5つの約束と5つの提案をしました。5つの約束のひとつはまずボランティア選挙に徹底するということ、どこかの労働組合だとかいろいろな組織とかありますよね、そういうところからの支援は一切受けない。一度受けたら、私は気が弱いですから相手の言うこと聞いちゃうかもしれない。それはいやです。私はいつも自分のやりたいようにやりたい。ですから、企業献金は一切受けない。当選したら知事の給料20パーセントかそれ以上カットします。これは私の姿勢です。無駄金は使いたくないなと。それで生活できるかどうか分かりませんが。それから、知事の交際費はすべて情報公開します。それからホットラインを作りたい。ファックス、e-mail
で直接皆の声を聞きたい。私は今回政策を作るに当たって神奈川新聞を購読しましたし e-mail
なども見ました。それを参考に提案の基礎を作りました。それが「快住かながわ」を作るにあたっての5つの提案です。
東スポ
もともと、田嶋さんの意思でお始めになったとおっしゃっていましたが、神奈川知事選があって、それに出たいと言うのは、田嶋さんからつくろう会の方に頼んでいるということなんですか?それともつくろう会が頼んだんですか?
田嶋陽子
それは、私が自分から選挙に出たいから助けてくれって言ったんです。大渕絹子さんが、私の後に社民党を離党した人ですが、斉藤さんを紹介してくださって。そういう感じです。本当に私の純粋意志です。
東スポ
いつごろですかその一番最初は。
田嶋陽子
斉藤さんにお会いしたのは、1、2ヶ月前だったかしら。
斉藤まさし
去年一回会ってますよ。そのときは全然そんな話じゃなかったです。
東スポ
都知事選じゃなくて神奈川県知事選というのはその方が勝算があるからということですか?
田嶋陽子
そうね。そうかもね。でも、最初、都知事選のお話をいただいこともあるんですけれどやっぱり石原さん強いよ。でも、樋口さんが出てくれてうれしいし、ぜひ勝っていただきたい。そして夢としては一都二県で女性知事。いいですね、世界にないですよ。
(会社名不明)
社民党を離党してまだ半年もたっていないですけれども、やはり、有権者の中には「社民党をやめて今度は県知事かよ節操ないんじゃない」というひともいると思いますがそれについてはどう説明しますか。
田嶋陽子
私の中ではすべて一貫しているんですけれども。わたしは、一番節操があると思っているんですけどね。どこにもくみしないで自分のものの考えと感性とで、人から何を批判されようとひたすら生きてきた。私自身としては一番誰よりも節操がある存在だと思っています。日本では変わると言うことは節操ないことというのがあるのかもしれませんが。私は、自分が間違ったと思ったら道を変えるのが正しいと思っています。
(会社名不明)
今の関連で意地悪な質問かもしれませんが、昨年10月に社民党離党した時に首長のことは当然おっしゃってませんでしたし、むしろ、党の体質を批判しておやめになった。今まで議員でいたのは知事選に出るための腰掛だったということですか。
田嶋陽子
そんなことはありません。私は誰よりも議員として働いたと思いますよ。特に離党した後は蝶々のようによく飛び回って働きました。質疑だって新米議員なのに冒険したりこの1年ちょっとのうちで46回しました。もちろん、社民党からもチャンスいただいたわけなんですけれども。法案も作る過程にあるものもあります。そういう意味で、私は自分のした仕事に悔いはないと思っています。でも、もう何でも時間がかかるんですね。委員会、委員会で。今回、田嶋陽子が知事選に出るといったら男女共同参画というのがついてまわると周りの方達は分かってくださると思っています。私はどこへ行こうと田嶋陽子だし、私と女性学や男女共同参画は切り離せない。そのことに関しては自信があります。私は離党した時、阿川佐和子さんと文春で対談しまして、そこで、社民党には幻滅したけれど、政治家を辞めようとは思わない。もっと自分の考えを生かせるところに行きたいな、それには地方自治の政治の方がいいかもしれない、市町村でも知事でもいいって言っているんです。だから、腰掛ということはないです。仕事も怠けていません。
(会社名不明)
先ほど国会とはリズムが違いすぎるとおっしゃいましたがもうちょっと具体的に、どうして参議員議員ではダメなのかお聞きしたい。
田嶋陽子
私は社民党から離党してから無所属になりましたが、すべての党から一緒にやらないかと声をかけていただきました。でも、私はもう党とかそういうものがいやでした。じゃあ自分で女性党を作ったらという誘いも話もありましたが、ちょっと違うんじゃないかなと思いました。国会の中を見ましてもやっぱり与党は連立を組んだら何をどうしようと与党の言うままですよね。これって絶望的です。ましてや私はどこの党にも入らないで1人でいて無所属ですと、法案通すのに、超党派でやらなければならない。法案作ったら20人の議員に声をかけて集めて戦います。今、従軍慰安婦のことをやっていますが大変です。いろんな取引があって、でも最後は却下されて。それで、また法案提出して。もう10年かかっても法案ひとつ通らないんですね。それって、議員としてすごく屈辱的です。私は51万票とってるのに、全然とってないひとでも大きな党にいれば思い通りのことができるとか非常に矛盾があって民主的なところじゃないと感じます。私は51万票の人たちが何かをしてほしくって国会に来たわけですけれども、時間がかかりすぎる。ここで私の大事な60代の10年間を過ごすのはもったいなすぎます。無所属で力がなくて負けたんだろうと言う人がいるかもしれませんが、私は自分では負けたとは思っていません。私は、通達を出してもらったり、願い事も通してもらったりいろいろな成果を出しています。それは世間に知らされていないけれど。法案を作っても私は無所属ですから最後は自民党にとられます。超党派でやっても結局自民党の人達が通したことになるんです。本当に下働きです。下働きはいいけど時間がかかりすぎてもったいない。それが本音ですね。でも戦争になるとなんでこんなに早く決着が付いちゃうのか不思議ですけれど。
共同通信
国政のほうで時間がかかるとおっしゃいましたけど。国政を変えてほしいと思う人達が前回の参議院選挙で田嶋さんに投票していると思うんですが、そういう有権者の方達にはどう説明するんですか。
田嶋陽子
そうですね本当にその51万人の人たちには、せっかく国会に送ってくださったのに申し訳なく思います。でも、その人達は田嶋陽子の名前を書いて田嶋陽子を支持してくださったということですから、私がやろうとしている政策を実現してもらいたい、国会を通して国を変えてほしいと思っている人達だと思うんです。でも、今いろんな県知事になっている人たちも国政にいると思うように行かないから、地方から国政を変えていこうとしている。今回のイラク攻撃だって80%の人が反対しているのに国会はちがいますよね。そのギャップがすごくあって。本当に日本という国を変えたいならど真ん中にいるよりは、外から皆と一緒に声を合わせて変えていく方向に行く。そういう方法をとっても私がしようとしていることは同じだと思います。どこにいても田嶋陽子だし、どこにいても日本だと思っています。県民とは言いますが国民です。
東スポ
61歳だそうですが健康面、体調面の不安はありますか。
田嶋陽子
4月で62歳になりますが、何にもないですね。歩かせてくれれば元気です。散歩さえしてれば元気です。でも、最初の選挙で喉を痛めましてね。それ以来喉が気になってますけれども。あとは、年なりですね。
読売新聞
今の神奈川県政今の課題は何だと認識されていますか。
田嶋陽子
やはり財政難じゃないですかね。赤字があるんじゃないですか。一番の問題ですよね。
(会社名不明)
それに対して、どのようにその赤字財政を改善していこうと思っていますか。
田嶋陽子
まず入って県庁の人にあって話を聞いてそれからですね。私は国会にいてつくづく思いましたけれども、男の人の金の使い方は雑すぎる。宵越の金は持たないとかきっぷがいいといえばそうなのかもしれないけれど。予算のたて方にしても。やっぱり台所にたってないと、子育てしないとだめなのかなと思うくらい、無駄金使いすぎていると思います。ふつうは健康な感性でやったらそんな変なことにはならないと思う。人の金だと思うから平気で借金したりするんじゃないですか。でも、背後に公共事業とか組織があったらノーと言えなくなるのかもしれませんが、私はそういうのはいっさいありませんから。
NHK
首長に向いているという最大の理由は。
田嶋陽子
これは現実にやってみないとわからないですけれど、でも首長は小さな大統領って言われていますよね。だから、超党派の議員20人集めて頭下げてこの法案をっていうのとはちょっと違うと思います。条例があるし。私はこんな条例作ったらどうって提案していますけれども、むしろ総理大臣よりも首長のほうがいろんなこと実現しやすいんじゃないかなという夢はもっています。
(会社名不明)
公約じゃなくて約束なのはなぜ。
田嶋陽子
公約って言ったら、自分がかってに決めてしまうことでしょう?それでその公約を実現するとかしないとか言うけれど、県民からみたらそんな公約要らないよってなるかもしれないじゃないですか。私は神奈川に住んでないから、一生懸命インターネットと新聞とで、今何が問題になっているのか調べていますけれども。だから、私が、現実に知事になってから皆と話し合いながら意見聞きながら改めて公約を作ってもいいかなあって思っているんです。
(会社名不明)
仕事を作ると言うことはどういうことですか
田嶋陽子
お金稼ぐこと。例えば今公共事業やっているけど、皆仕事が必要だから公共事業やるんでしょう?だからそこで働くおじさん達とかおばさん達がいたとしたら、その人たちを福祉とか教育とかそういうところへ職業訓練してもっていく。介護だっていろんな仕事がありますよね。福祉だけでも五万と仕事がある。だから、公共事業で働いている人たちをそういう方向に振り向ける。福祉が盛んになればそういう仕事も増える。それでまたいろんな問題出てきますから、そういうことを解決しながらやっていく。そういうことです。
(会社名不明)
団体などの推薦を受けずに全く個人でやられるということでよろしいですか。
田嶋陽子
そういうつもりですよね
一切企業献金を受けない。ボランティア選挙。
勝手連みたいなのを誰か勝手につくってくれたらいいけれど、だからそこは自信ないですね、自分が勝手に出たんですから。
斉藤まさし
全く今のところ、どこにもお願いしていません。一切団体にも依頼はしないつもりです。
田嶋陽子
今、みんな無党派とか言っているけれどみんな付いてるでしょう?皆お願いしてもらっているんでしょう?無党派無所属なんて嘘ですよ。だからそういう風にはなりたくないんです。本当に無党派なら無党派でやってみたいと思います。
朝日新聞
今回の選挙戦は何か進め方を考えていますか?前回はサンバを踊っていましたけれども。今回は何か差別化をはかる作戦はあるんでしょうか。
田嶋陽子
今回はサンバは戦争中だから不謹慎かなと思うけれど。不謹慎でも踊れるなら踊ってもいいと思います、やっぱり戦争したくないっていう人が増えればいいわけだから。今の選挙とても大事だと思っています。でもサンバを踊るかどうか。あれは最初から意図したんじゃなくて、私が喉を痛めてあまり喋れなくなってから、学生たちから自然発生的に出てきたものなんです。今回も何かが起きたらまた何か工夫するかもしれません。
朝日新聞
その関連でもう一問これは斉藤さんにお聞きしますけれども、
今回、6人目の神奈川知事立候補表明なんですけれども、皆自分は無党派だと言っていますよね。田嶋さんも社民統系になると思うんですけれども、他の候補者達と何が違うんでしょうか。本当に無党派だという差別化できる理由はなんですか。
斉藤まさし
まあ、無党派かどうかそれは有権者が判断することだと思いますが、先ほども言ったように、どんな団体、組織にも一切後援はいただかないということです。私はそういう選挙でないと応援しないんですね。首長は政党の色が付いたらいけないと思っています。直接選であるわけだから。国政だったら、基本的に政党政治じゃないと機能しませんけれど。地方自治体は直接制ですから大統領制に近いわけですから。議会が本来持つべき役割は多様な意見を代表すること。それが特定の政党の推薦を受けていたら議会は本来の役割ははたせないわけです。そういうあり方自身が間違っていたわけです。
今、各地で、例えば、長野でも、千葉でも、広島でも新潟でも全くボランティアだけの選挙で首長が生まれているんです。与党的な立場は政令市議会ではたった1人しかいない。それでも、喧嘩しながらでも首長であれば、あの大きな政令市でも20何年つづいた赤字を4年間で黒にしているんです。何故これができたかと言えば、一切の政党や団体の後援がないから、逆にそういう大胆な改革ができるというのが僕の実感です。
そういう意味で今回も応援する根拠は田嶋さんがそういう選挙をやるというから、それだったらお手伝いしたいことにしました。他にそういう候補がいないとは言いません。ただ私の知る限り、神奈川の選挙区は、今まで立候補している人の多くは実際上は政党のシナリオで作られた候補であり、政党の応援で成り立っていると私は思っています、及び、宗教団体とか労働組合とか。それが悪いという意味ではないんです。それは今までのあり方で、私はそういうやりかたがいやなんです。実際はそういう選挙をやっていながら無党派とか無所属とか。市長選挙があるときには本当の無党派しか応援したことしかない。今回も田嶋さんだから、田嶋さんがそういう選挙をやりたいというので応援しているんです。
毎日新聞
無党派の関連で徳島の知事が無党派で出て県議会とけんかしたということがありましたが、徳島知事に対する田嶋さんの評価をお聞かせいただきたい。
田嶋陽子
私、徳島の方は良く分からなくて。ただ、田中さんの場合は、田中さんのようなやり方をしなくても他にやり方がいろいろあると私は思う。いつかアエラで取材受けたときに鳥取の片山さんのやり方を勉強したほうがいいよっていったことがあります。
(会社名不明)
先ほど、2期はやりたいとおっしゃいましたがその根拠と、それから自分の任期を3期までとかにされている方がいますが、それについてどうお考えですか。
田嶋陽子
知事って初めてなるから分からないですよね。よく言われるのは、1期は前やった人のことを整理するのに時間がかかるって。本当かなと思いますが、そういうことが頭にあるので、だったら自分の政策を重んじるには2期ぐらいやらなければいけないかなと、それぐらいのレベルのことです。
(会社名不明)
今、他県の知事の話が出ましたけれども、今、岡崎知事がやられているんですが、評価するとしたらどうですか。
田嶋陽子
私は岡崎さんの県政は良く知りません。ただ借金があるっていうのはきいています。どうして、そんな借金しちゃったんだろう。
日本テレビ
神奈川の現状をあまりご存知とは思えないんですけど、出馬されるんですか。神奈川に縁がないのに出馬すると言うのはどういう理由ですか。
田嶋陽子
田中さんだってあまり関係ないし、堂本さんだって、ご先祖は千葉にいらしてもずっと東京に住んでいましたし、そういう方は多いんじゃないですか。皆さん高い志持って頑張って、今のような政治やってらっしゃいますよね。一番最初に説明したように、なまじ縁がない方が公平な政治が出来るっていうのが私の方針です。縁がないから出るなっていうならそれはちょっと違うと思います。
あと、これは言っていいのか分かりませんが、私はいろんなことをやりたいんですが、例えば専門にしてきた女性のことに関してとか、国の男女共同参画局の福田官房長官としょっちゅうやりあっていますが、そこをみていれば日本全国、女の問題に関して、全部構造は変わらないんですね。ただ神奈川は県民の皆さんの意識が明るいから一緒にやっていくのにやりやすいかなという希望が持てる県なんですね。
(会社名不明)
要するにイラクでどんぱちやってますがその関係でマスコミにとりあげられる機会が少ないと思いますが、それについてはどう思いますか。
斉藤まさし
それは勝てるかどうかという可能性という意味でしょうか。0.1パーセントであっても可能性がないと思った時はやったことがないです。でもそれがたとえ0.1パーセントでも勝てる可能性があれば、絶対に通らないと言われる選挙もやってきました。今回は勝てる可能性はあると思います。神奈川県民にはその力があると思います。今の候補者から神奈川県民が選ばなければならないとすればとても悲しいことだと思います。ここで、田嶋さんに出ていただくことで、神奈川県民に最後の選択肢を提供できると私は思っています。
(会社名不明)
正直言って、松沢君と芥川氏の票をちょっとくって宝田さんのほうに寄与するだけじゃないかという危惧があるんだけれど。
斉藤まさし
まあ、結果を見ていただきたいと思います。
毎日新聞
市民の党の代表ということで、神奈川のほうの市民の党の地方議員が動いていると思うんですけれども。
斉藤まさし
本当に最終的に決まったのが昨日なので、誰かを出さなきゃいけないということで、去年から神奈川の議員さん達や市民運動のかた達から相談はずっと受けていました。それで僕も誰かを出さなきゃいけないと思っていました。市民や議員の中から、そういう思いがあるのは事実です。田嶋さん以外に、誰もいなければやろうという人もいました。そうとうの知名度のある方ですが、かなり早い段階から話をいただいていました。田嶋さんからは最近でした。名前がなかなか出せない状況があって。名前を出すとつぶれちゃうと言うのが今までよくあったので。田嶋さんがやりたいということで決断なさって。田嶋さんじゃいやだという人もいるかもしれませんし、田嶋さんならボランティアをやろうという人がいるかもしれないし、ぜんぜんきてくれないかもしれない。まったくやってみないと分かりません。二人で大丈夫かねといっていますが。今回は神奈川は本当に選択肢を求めていると感じていますので。短期間ですけれど、ボランティア選挙は十分に可能だと思います。少なくとも千葉県知事選挙の時よりははるかに可能性があると思います。
(会社名不明)
先ほど、平和の問題で国会の中を批判していましたけれども、仮に知事になって地方自治体の長という立場で平和の問題をどうしようと思っていますか。
田嶋陽子
教育ですね。やっぱり男の人もちゃんと子育てして、家庭に参加したらそう簡単に戦争はできないです。それから男の人も、きちんと家庭を大事にしながら仕事ができるような生活環境が整ったら、そう簡単に戦争はできないと思います。今、戦争やることを決定している人たちはそういうことは女まかせで、頭だけでやっている人が多いと思います。
家庭内暴力、ドメスティックバイオレンスがありますが、例えば、アメリカがお父さんなら日本はお母さん。お父さんが武器でイラクをひっぱたくと、お母さんが後から行って復興支援だといっておつむいい子いい子している。だから、家庭内暴力の昔の家父長制タイプがそのままイラクや日本の関係に現れています。それがどこからくるかと言えば、やはり、言うことを聞いてしまう日本がいるのと同じで、言うことを聞かざるを得ない女がいる構造と同じです。あるいは、強い人の言うことを聞かざるを得ない弱い立場の人たちを作ってしまう社会構造。それは、もう男女差別ばっかりじゃなくていろんな弱者と強者の間のそういうことをなるべくなくしていく、本当の意味での構造改革を県政の中でキチンとやっていきたい。教育から福祉からあらゆるとこをやっていく。ブレアさんが昔「Education、education、education」て言ってたように、あらゆるところの、死ぬまでのお互いの教育なのだと思います。戦争のない幸せな「快住かながわ」を作るためには、そのへんは単なる戦争反対のデモとはちがいます。もう生活の抜本から、人と人とが慈しみ合いながら、対等な関係が築けるような関係をつくっていけるような政策を作っていきたい。
神奈川新聞
無所属の国会議員から横浜市長になられた中田市長がいますが、その影響を受けられたのかどうかということと、神奈川県は政令市で横浜と神奈川2つ抱えていて、知事の権限や、やることに制約がかなり出てくると思いますがそれについてはどうお考えですか?
田嶋陽子
本当に限られてきますか?政令都市が二つあるから?あまりそういうことは考えてなかったです。
(会社名不明)
知名度が圧倒的にあるので、誹謗中傷などのビラがまかれるなどの類が予測されるんですが。
田嶋陽子
社民党離党した時は誹謗中傷がひどかったですよ。5分の3が誹謗中傷の e-mail
その他。それから5分の2が「あんた、よくやった」って、「だいたい入るのまちがってたんだよ」って。誹謗中傷は
e-mail が多いですね。ところがね、不思議だけど、町を歩いていると、離党したあと結構男性達が寄ってきて、がんばってねって言ってくれる。誹謗中傷は慣れました。テレビに出て以来、「ぶっ殺すぞ」に始まってさんざん誹謗中傷されてきて、怖くて郵便物もあけられないことが長くありました。でも世間てそういうもんだなと思っています。今回もそういうことがあるとは思いますが、それって本当に傷つきますけど、しょうがない、我慢します。
斉藤まさし
それではこれで終わりにしたいと思います。どうもありがとうございました。
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