コラム

2011年07月23日号

【鷲見一雄の視点】
後藤組による地上げをめぐる2つの殺人事件P宮崎学の後藤忠正に与えた影響


●元司法書士刺殺事件関係者
☆野崎和興(元司法書士、株式会社真珠宮の元役員、顧問、後藤組と対立していた。そのため近藤に1年かがりで行動を監視され、06年3月5日刺殺された
★近藤毅(後藤組2次団体「政竜会」本部長、野崎刺殺の計画・実行犯)
★山本将之(近藤の舎弟、元「良知組組員、野崎刺殺の近藤の共犯、10年12月3日に逮捕、25日起訴。11年5月13日、1審裁判員裁判で懲役13年、控訴中)

●真珠宮ビル虚偽登記事件関係者 ☆岡島晴美(警視庁組織犯罪対策4課、警部補)
★一居義信(フェニックス・トラスト社の実質経営者)
★小笠原太視(イディアル・ブロパティ社長)
★西岡進(菱和ライフクリエイト社長、05年2月28日、西岡が「菱和」と「フェニックス」との「真珠宮ビル」の売買契約を解除)
★後藤忠正(山口組最高幹部、2次団体後藤組組長、赤富士のオーナー)
★坂上雅夫(弘道会にも近い金融業者、05年2月28日、「真珠宮ビル」の所有権を後藤の資産管理会社「赤富士」に移転させた。)
★宮崎学(作家、菱和ライフクリエート事件を題材にした「上場企業が警察に抹殺された日」の著者)

●元後藤組2次団体「政竜会」本部長謀殺事件関連者
☆岡島晴美(警視庁組織犯罪対策4課、警部)
☆近藤毅(海外逃亡者、11年4月26日、タイで謀殺される)
★後藤忠正(元山口組最高幹部、元後藤組組長、「赤富士」改め「ウオール」のオーナー)
★良知政志(元後藤組若頭、現山口組若中、2次団体「良知組」組長)★石原英也(元後藤組2次団体「政竜会」会長、現「良知組」若頭、2次団体「政竜会」会長)
★A(元後藤組2次団体組長、後藤の側近)

●高名な作家・宮崎学
 09年6月10日、後藤と親交のある宮崎学が「菱和ライフクリエイト事件」を取り上げた「上場企業が警察に抹殺された日」を上梓した。宮崎といえばえん罪に取り組む作家として知られ、気さくな性格と刑法の大家・早稲田の西原春夫をバックにしていることも加わり、その影響力はテレビ、週刊誌はもとより、政界、法曹界の1部、民族運動家、裏世界の住人に大きい。多くの信者がいるということだ。「上場企業が警察に抹殺された日」の出版社は扶桑社。表紙の帯にはこう記述されていた。
「2006年5月8日……。当時、東証2部上場の菱和ライフクリエイト社長・西岡進は山口組系後藤組組長・後藤忠正と共謀し、不正な不動産取引を行った疑いで逮捕された。発端になったビルは長年アウトローが群がり、殺人罪も起きている問題物件、上場会社を巻き込み、そのビルで何が起きたのか?

「不動産」「警察」「ヤクザ」の深層に迫る!

 ライブドア元社長 堀江貴文元村上ファンド代表 村上世彰そして西岡進。彼らを生け贄にした司法の株式市場介入が始まった!!

 フロント企業と報じられ株価急落、上場廃止……その後「完全無罪」となった元菱和ライフクリエイト社長・西岡進。彼はなぜ逮捕され、自ら育てた会社を奪われることになったのか?

 そこには後藤組組長逮捕を画策し、株式市場の介入を目論む警察権力の暴走が存在していた!」とあった。

●宮崎の後藤への影響力
 宮崎は高名な田原総一朗、佐藤優、大谷昭宏、魚住昭、村上正邦と親交のあることでも知られる。「国家の罠」の著者・佐藤優の影響力は司法にも及ぶ。小沢一郎の3人の元秘書を裁く裁判官も影響を受けた、と私は捉えている。田原、佐藤、宮崎は田中森一の共鳴者でも定評がある。

 一方、極めて1部でしか知られていないが、私は宮崎ら5人とは「検察に関する見解」を異にする。彼らは検察批判、私は検察擁護だが、村木事件だけは検察が悪いと思っている。また、私は田原とは田中角栄に関する見解が丸っきり違う。私は丸紅、全日空も田中も小佐野、児玉も知っていての見解である。田原は丸紅、全日空、田中、小佐野、児玉と私に勝る交流があったとは私は思っていない。私は丸紅、全日空、田中、小佐野、児玉からものを頼まれた経験を持つ。私の認識の方が正しいと信じて疑わない。

 私は「上場企業が警察に抹殺された日」をほとんど評価しない。野崎刺殺事件の犯人が判明するまでが命の西岡、後藤、小沢擁護本だと思っている。
 もとより、6人は有名、私は無名、6人の支持者が100万人に対し私の支持者は数人に過ぎないことも承知しているが、たとえ1部からであろうと検察専門家として評価されていることも厳然たる事実である。検察独自捜査に関する限り私は6人に1歩も譲る気はない。検察に関しては私の方が詳しいし、正しいと自負しているからだ。

 話を戻し宮崎の警察権力暴走論をまともに受け取ったのが後藤と村上だと私は感じる。後藤が袴田事件を扱った映画『BOX 袴田事件 命とは』を企画、自叙伝『憚りながら』(宝島社)を出版、自叙伝ではその生い立ちから数々の事件、政界・企業などと築き上げた交友状況を顧みている。ノンフィクション作家の木村勝美もメディアックス社から『さらば山口組 後藤組・後藤忠政組長の半生』を出した。後藤はマスコミの寵児になりかけた。これらは全て東京高裁が検察側の控訴を退け、1審の無罪判決を支持すると読んだ人たちの企画である。後藤はそれらの人たちの絵図に乗ったと思う。

 しかし、結果は逆転有罪だった。全ての企画は失敗に終わった。後藤は臍を噛んだと私は推察している。それもこれも宮崎の「上場企業が警察に抹殺された日」が原点、後藤は宮崎を過信したのである。2011年5月8日、野崎刺殺は後藤組2次団体・「政竜会」本部長、近藤毅(43)=4月26日、タイで銃殺=の計画的犯行が明らかになった。宮崎の「上場企業が警察に抹殺された日」も後藤の「憚りながら」も輝きが半減した。

●西岡の国賠請求訴訟
 ところで、宮崎が「上場企業が警察に抹殺された日」で擁護した西岡だが、私は西岡の逮捕・起訴を不当だとは捉えていない。当然と考えている。裁判は無罪が確定したが、検察の捜査不備、立証不備というミスによる無罪確定である。野崎刺殺事件の結末いかんによっては再審請求の可能性さえあると思う。西岡は06年10月16日、「違法な捜査と起訴で菱和の株売却を余儀なくされるなど国と東京都に138億円の賠償訴訟」を東京地裁に起こした。この訴訟は全く報道がないが、どうなったのか。5年近くなるが、話題にもならないところを見ると、見通しは暗いのではないか。これが確定すれば国側の反撃が始まると私は見立てる。

 さて、後藤に戻り、後藤はどんな結末をつけるのだろうか、と思っていたら11月以降、めまぐるしく動き出した。それでも旧後藤組関係者の宮崎信仰は依然として続いている。後藤関係者の宮崎に対する利用価値はまだ、まだ、あるということなのだろう(敬称略)

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