特集

証言/焦点 3.11大震災
関連リンク
関連機関

焦点/避難者、全国分散/情報提供に自治体苦慮

県外避難者の支援団体などが開いた会合では、関西に避難した人たちの情報過疎について指摘が相次いだ=6月、大阪市中央区

保健師から健康チェックを受ける渡辺武夫さん(中央)、アイ子さん(右端)夫妻=5日、一関市室根町

 東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城、岩手、福島3県の市町村が、義援金の配分や一時帰宅の日程など、県外避難者への情報提供に苦慮している。3県が確認している県外避難者は22日現在、計5万3816人に上る。山積する地元の震災対応に追われて手が回らない上、転居届を出していない自主避難者の把握は難しいのが実情だ。

◎業務膨大、人手足りず

<自助努力頼み>
 石巻市では、少なくとも1755人が県外で避難生活を送る。震災から4カ月経過した今も、約3700人が避難所で暮らし、被災した自宅で活する市民も少なくない。
 市市民課は「県外の一人一人と連絡を取りながら支援を行う態勢は取れてない」と対応の遅れを認める。十分なマンパワーが確保できない中で、避難所への対応など足元の業務に追われている現状だという。
 宮城県南三陸町は、集団避難以外の県外避難者は正確な人数を把握していないという。町保健福祉課は「県外でも電話の問い合わせは可能。ホームページなどで情報も入手できるはず」と、避難者の自助努力に任せざるを得ないことを説明する。

<電話回線増設>
 福島第1原発事故で、立ち入り禁止の警戒区域と、計画的避難区域となった福島県浪江町では、8098人が県外に避難している。
 町は5月末、「電話がつながりにくい」との苦情を受けてコールセンターを開設し、回線を15本から40本に増やした。町総務課は「今後、東京電力からの補償金支払い問題が続く。しばらくは問い合わせの電話への対応に追われるだろう」と予想する。
 総務省は4月下旬、「全国避難者情報システム」の運用を始めた。避難先の市町村に届け出ると、被災前の居住自治体から情報を受けられる仕組みだ。しかし、システムを使って情報を提供する市町村は少ないようだ。
 気仙沼市は、月2回発行する市広報について、7月15日号からシステムの利用を始めた。市広報課は「7月1日号の発送は市に直接依頼のあった8件にとどまっていた。15日号はシステムで確認した約800世帯に送り始めた」と話す。

<届け出任意、集計に限界>
 3県の県外避難者の内訳は、宮城が7142人、岩手が1432人(沿岸12市町村のみ集計)、福島が4万5242人に上る。宮城、岩手の両県は、総務省の「全国避難者情報システム」を基に算出、福島県は各都道府県から届く資料などから集計している。
 避難先では、福島県は新潟県7219人、山形県5518人、東京都5102人などが多く、全都道府県に及ぶ。岩手県は東京都の246人が最も多く、埼玉県191人が続き、避難先は36都道府県にまたがる。宮城県は集計していない。
 全国避難者情報システムへの届け出件数(20日現在)は、3県分で7万3948件。県別では福島県が6万789件、宮城県が1万1128件、岩手県が2031件となっている。
 システムは、同じ人が複数の自治体を移動して届け出する場合を含め、延べ人数として集計する。宮城、岩手両県は重複分を除いて県外避難者を算出しているが、「膨大なデータをつぶしていかなければならないので、かなり手間がかかる」(岩手県の担当者)という。
 届け出は任意のため、避難者が登録しなければシステムからは漏れ続ける。宮城県危機対策課は「実際の県外避難者はもっと多い可能性がある」と話している。

<業務の代行も支援/中林一樹明治大危機管理研究センター特任教授(災害復興論)の話>
 受け入れ市町村が震災関連の申請などを代行するような支援が必要だ。被災自治体に職員を派遣するよりも被災者の支援につながる。避難者情報システムは、地元と同じ情報が受けられるなど、よりメリットが感じられるようになれば登録者は増えるだろう。

◎孤立、郷里は遠く/県外避難者の情報過疎

 居住していた県を離れて避難生活を送る人たちが、情報過疎にあえいでいる。自治体から欲しい情報が十分に届かず、孤立感は深まる一方だ。一方、転居先の行政やNPOが手厚く支援したり、避難住民自らが動いて情報交換や雇用の場をつくったりするケースも出てきた。

<@大阪・「生活見通せぬ」/義援金支給時期分からず、貯金切り崩し…>
 「義援金の支給時期の情報が届かない。当座の生活資金として当てにしているのだが」
 石巻市湊町から大阪府豊中市の市営住宅に避難する熊本正紀さん(63)は、石巻市からの情報の少なさにいら立ちを隠さない。
 自宅は津波で全壊した。「避難所と同等の情報を出せます」。石巻市職員の説明を信じ、4月上旬、豊中市への避難を決めた。
 ところが、石巻市からの情報は月2回、市広報が郵送で届くのみ。仮設住宅の申請や罹災(りさい)証明の発行は宮城県の大阪事務所を訪ね、受け付け開始を知った。
 石巻市役所に電話がつながるようになったのは3週間ほど前から。それまでは何度かけても「電話線を抜いているのではないか」と思うほどつながらなかったという。
 ハローワークを訪ねたが、関西でも60歳以上の求人は見つからなかった。5月末に振り込まれた義援金の1次金35万円は底を突き、貯金を切り崩して生活する。「仮設住宅と同じで、家賃以外は全て費用が掛かる。次の義援金の支給時期が分からないのでは、生活の見通しが全く立たない」と窮状を訴える。
 福島県浪江町から姉、長女の3人で大阪市の市営住宅に避難した延城百合子さん(48)も情報を得るのに苦労している。健康保険の手続きや一時帰宅、健康調査について電話で問い合わせており、4月は携帯電話の使用料が通常の4倍の6万円に達した。
 「運転免許証の再発行など福島県で無料の手続きが、大阪では有料になる。同じ避難者なのに出費が多い。どこに避難していても同じ対応にしてほしい」と求める。
 県外避難者を支援するNPO「街づくり支援協会」(大阪市)によると、東日本大震災で岩手、宮城、福島3県から関西2府4県への避難者は、分かっているだけで850世帯、2371人に及ぶ。
 同協会が6月上旬、NPO関係者や関西への避難者らを集めたミーティングでも、県外避難者への情報格差を指摘する意見が相次いだ。
 中西光子事務局長は「避難者は広報やホームページで見ることができる一般情報ではなく、その人個人にとって必要な情報を求めている。パソコンや携帯電話を使いこなせない高齢者は、さらに情報格差が広がってしまう」と指摘する。

<@北海道・横のつながり会結成/雇用の場も提供>
 札幌市白石区本郷通にリサイクル店「みちのくリサイクル」がある。東日本大震災で東北から北海道に避難してきた人たちでつくる「みちのく会」が運営する。
 家庭で眠っている引き出物や内祝い、記念品などを買い取り、販売する。6月1日の開業からほぼ1カ月で約50万円の売り上げがあった。
 みちのく会事務局長の本間紀伊子さん(50)は「避難してきた人たちは職がないなど経済的な問題を抱え、ストレスにもなっている。少しでも仕事をしたい人に雇用の場を提供したい」と開業の狙いを語る。
 みちのく会は4月に発足した。札幌市で開かれた被災者支援イベント「ようこそあったかい道」が契機になった。
 イベントを知った避難住民が会場に集まり、知り合いと再会を果たす人もいた。「被災者の横のつながりがあった方がいい」(本間さん)と会の結成を決め、当初は12世帯が参加した。
 札幌市内に交流の場となる事務所を開設。道や市と連携して被災者に行政情報を伝えたり、避難希望者向けに不動産情報を提供したりしている。会の活動は道内のメディアに紹介され、会員は現在、約130世帯、380人にまで増えている。
 本間さんは宮城県川崎町で被災し、生まれ育った札幌市に家族と移った。会のメンバーのうち宮城からは約2割。残りの大半は福島県で被災した人たちが占める。
 会には、福島第1原発事故の影響を懸念して「子どもを連れて移り住みたい」という問い合わせが続いており、道内に流入する避難住民はさらに増えそうだ。
 本間さんは「被災者であることを知られたくない人もいる。そうした避難住民をどう把握し、支援していくかが課題」と話した。

<@一関・自治体が独自に把握/詳細調査で支援>
 一関市は、岩手県内外から避難してきた人々を独自に把握する。元の居住自治体の広報を電子データで取り寄せるなどして避難者に郵送したり、保健師が戸別訪問したりと支援を続けている。
 気仙沼市本吉町の渡辺武夫さん(74)は自宅が津波で全壊し、4月から家族4人で一関市室根町の借家で暮らす。ここに一関市から、気仙沼市が発行する被災者向けの情報や広報が週1回、配送される。
 今月5日には、一関市の保健師が来て、震災後に高血圧に悩まされた妻アイ子さん(65)と一緒に血圧を測ってくれた。
 「地元の老人クラブに入りませんか」とも誘われた。「気仙沼の人間も気遣ってくれることがありがたい」と感謝する。
 市は行政区長や不動産業者の協力を得て、個人宅やアパートに移った人まで詳細に調べた。7月1日現在、県境を越えて避難した気仙沼市の1124人を含む計2082人を確認できた。
 避難者の情報は介護度や就労相談希望まで把握し、保健師の訪問や就労相談も展開する。市の担当者は「全国避難者情報システムは被災者の就労や福祉のことまでは分からない。避難先の生活をしっかり支えようと情報収集した」と語る。
 3月下旬には、隣接する平泉、藤沢両町と合同支援本部も設けている。
 勝部修市長は「津波被災では、内陸にある自治体の後方支援の質が問われる。避難者に対し、家族のような対応を続けたい」と話している。


2011年07月23日土曜日

Ads by Google

△先頭に戻る