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大震災発生直後、東京・市ケ谷の防衛省A棟地下3階にある中央指揮所(CCP)に作戦室が設置され、自衛隊員や事態対処課員ら約70人が参集した。体育館半分ほどの広さのCCPには複数の巨大モニターが並び、偵察ヘリから送られる被災地のライブ映像が映し出された。一方、中江公人防衛事務次官ら背広組幹部は11階の省議室に陣取った。机を楕円(だえん)形に並べ替え、生中継のテレビを映す大型モニター3台を設置し、急ごしらえの危機管理室を開設した。
発生後約10分で監視飛行中の海上自衛隊P3C哨戒機など陸海空の航空部隊が次々と被災地に向かい、出港可能な全艦艇40隻以上が神奈川県・海自横須賀基地や青森県・大湊基地などを離れ、救難活動が始まった。
95年の阪神大震災では初動の遅れが問題となった。しかし、今回、初動はスムーズだった。三陸沖での海溝型地震への対処マニュアルを、3月末の完成に向け作成していた最中で、陸自幹部は「案はできており、初動はそれに従った」と証言する。海自幹部は「04年12月のスマトラ沖地震・インド洋大津波での災害派遣の経験が生かされた」という。だが、地震と津波の規模は予想をはるかに超えていた。その後の活動は手探りとなった。
2011年4月22日