平成23年7月24日 日曜日
「夫婦の繋がりと親子の繋がり」
皆さん、
自分の少年・少女時代
か青年時代に…
「自分は父母のように
結婚するのかな?
結婚できるのかな?
結婚するとしたら、
今、その人はこの空の
下のどこかにいるのかな?」って考えたことはありませんか?
私は考えていましたね。
特に、大学生になってからだと思います。
そう思うと何か…
まだ出会ってもいないのに、
いずれ出会う人との
不思議さを感じました。
多くの人が、恋愛経験をしていると思います。
その恋愛が結婚に結びつく場合と、
そうでない場合があるでしょう。
しかし、
いずれにしても…
結婚する人とは、
なにかしらの運命的な
出逢いがあって…
恋愛関係になって、
この人と一緒になりたいと思い、恋い焦がれて
そして結婚することを決意して結婚すると思います。
そして、結婚式の形態は神前や仏前や教会などありますが…
たとえば神前ならば、
神前で三三九度を酌み交わし、
夫婦の誓いをたて結婚します。
夫婦合い和し、共白髪まで共に人生の伴侶として歩むことを誓うのです。
その誓いは間違いなく行われると確信しています。
愛する人と一緒になれた喜びは…
人生の最高の瞬間でしょう。
ただ、私が結婚した当時から思っていた夫婦と親子の関係ですが、
夫婦は、お互い他人であり、
出逢ったことで愛情が
芽生え、三三九度で酌み交わした…
「水の関係」なのです。
この「水の関係」は、
そのままにしておけば、泥水にもなりますし
逆に…
お互いを認め合い、
助け合って、思いやっていけば、
濃く離れがたい優しく
、柔らかな…
それでいて粘着力のある水になっていくのだと思います。
そうなるためには、
お互いを認め合い、思いやるという努力が必要だと思います。
一方、親子の関係は、
「血の関係」です。
これは切ろうとしても切れない関係です。
この世の中に、他には存在しない関係です。
親子である関係は…
誓うものではないのです。
親が子に「勘当だ!」
と言おうと、
子が独り立ちして、
親元から巣立とうと、
最も濃い「血縁」の
関係は、親子として一生のものです。
とにかく、夫婦は他人同士が…お互いに男女の愛情という感情が芽生え、
この人と一緒になりたい、
この人と結ばれたいという強い想いがあって…
その想いを誓いをたてて、皆の前で明らかにして
結婚という形で結ばれるのです。
ですから、夫婦という
「水の関係」を育み、
永久に続けることができるのか、
覆水盆に返らずのようになってしまうのかは…
お互いの善し悪しの
すべてを知った上で、
喧嘩もしながらも、
それを認め思いやり、
やはり…この人と生きたいと思える、
また思ってもらえる、
自分になる努力が必要
なのだと思います。
そして、恋焦がれて
結婚して夢に見た二人の現実の結婚生活が始まります。
「恋は盲目」
というところから、
始まった夢心地の蜜月
の甘い生活は…
やがて現実の生活を
共にしていくことで…
夫婦としてお互いの
すべてが見えてきます。
許せること、許せないこと、分かること、分かり合えないこと…が
はっきりとして来ます。
お互い一人の大人として、それぞれの価値観を持っていますから…
当然のことです。
そんな現実の生活を
営みながら、
やがて家族となる子供達を授かります。
夫婦にとって、子は鎹
(かすがい)と言いますね。
夫婦を結びつけているのは、子供であるということです。
確かに、そうでしょう。
しかし、世の中には…
3人の子供達がいながら、離婚した夫婦もいます。
彼等にとっては、
子供は鎹(かすがい)
にはならなかったのです。
それは夫婦として
お互いに認め合うこと、許し合うこと、思いやることができなかったのでしょう。
子供達を夫婦の愛情で
育てていこうという
思いにもなれなかったのでしょう。
私が思う…
夫婦であり続けるキーワードは、
「思いやり」です。
私は、その点では欠けていることが多々ありました。
自分のやり方でなんの問題もないと思い込んでいたある日に…
カミさんから、突然…
「あなたは、思いやりのない人ね。」
と言われて、
「えっ!?
なにが?」とわからず、目が点になったことがあります。
カミさんから、その想いを話されて気付くという…
自分の配慮のなさを
思ったことは多々あります。
色々な「思いやり」の
形はあると思います。
大切なのは、その心を
忘れないことでしょう。
例えば、
自分がお茶を飲むときに、カミさんに…
「飲む?」と聞いてみるとか、
些細なことでいいのです。
何気ない一言だと思います。
もっと大切なのは、
夫婦の目指す姿です、
それは、お互いによき
パートーナーであることだと思います。
「隣は何をする人ぞ…」ではなく、
また、一つの夫婦という人生ではなく、
相手のために自分を
犠牲にするのではなく、
「思いやり」と
「犠牲」とは違います。
お互いの人生を考え、
お互いの人生のよき
パートーナーであること。
お互いを尊重し、お互いの生き方を認めること。
夫婦という関係の中で
、「個」としてお互いの生き方を認め、
その生き方を支え合うのが夫婦愛だと思います。
「夫婦の繋がりと親子の繋がり」
皆さん、
自分の少年・少女時代
か青年時代に…
「自分は父母のように
結婚するのかな?
結婚できるのかな?
結婚するとしたら、
今、その人はこの空の
下のどこかにいるのかな?」って考えたことはありませんか?
私は考えていましたね。
特に、大学生になってからだと思います。
そう思うと何か…
まだ出会ってもいないのに、
いずれ出会う人との
不思議さを感じました。
多くの人が、恋愛経験をしていると思います。
その恋愛が結婚に結びつく場合と、
そうでない場合があるでしょう。
しかし、
いずれにしても…
結婚する人とは、
なにかしらの運命的な
出逢いがあって…
恋愛関係になって、
この人と一緒になりたいと思い、恋い焦がれて
そして結婚することを決意して結婚すると思います。
そして、結婚式の形態は神前や仏前や教会などありますが…
たとえば神前ならば、
神前で三三九度を酌み交わし、
夫婦の誓いをたて結婚します。
夫婦合い和し、共白髪まで共に人生の伴侶として歩むことを誓うのです。
その誓いは間違いなく行われると確信しています。
愛する人と一緒になれた喜びは…
人生の最高の瞬間でしょう。
ただ、私が結婚した当時から思っていた夫婦と親子の関係ですが、
夫婦は、お互い他人であり、
出逢ったことで愛情が
芽生え、三三九度で酌み交わした…
「水の関係」なのです。
この「水の関係」は、
そのままにしておけば、泥水にもなりますし
逆に…
お互いを認め合い、
助け合って、思いやっていけば、
濃く離れがたい優しく
、柔らかな…
それでいて粘着力のある水になっていくのだと思います。
そうなるためには、
お互いを認め合い、思いやるという努力が必要だと思います。
一方、親子の関係は、
「血の関係」です。
これは切ろうとしても切れない関係です。
この世の中に、他には存在しない関係です。
親子である関係は…
誓うものではないのです。
親が子に「勘当だ!」
と言おうと、
子が独り立ちして、
親元から巣立とうと、
最も濃い「血縁」の
関係は、親子として一生のものです。
とにかく、夫婦は他人同士が…お互いに男女の愛情という感情が芽生え、
この人と一緒になりたい、
この人と結ばれたいという強い想いがあって…
その想いを誓いをたてて、皆の前で明らかにして
結婚という形で結ばれるのです。
ですから、夫婦という
「水の関係」を育み、
永久に続けることができるのか、
覆水盆に返らずのようになってしまうのかは…
お互いの善し悪しの
すべてを知った上で、
喧嘩もしながらも、
それを認め思いやり、
やはり…この人と生きたいと思える、
また思ってもらえる、
自分になる努力が必要
なのだと思います。
そして、恋焦がれて
結婚して夢に見た二人の現実の結婚生活が始まります。
「恋は盲目」
というところから、
始まった夢心地の蜜月
の甘い生活は…
やがて現実の生活を
共にしていくことで…
夫婦としてお互いの
すべてが見えてきます。
許せること、許せないこと、分かること、分かり合えないこと…が
はっきりとして来ます。
お互い一人の大人として、それぞれの価値観を持っていますから…
当然のことです。
そんな現実の生活を
営みながら、
やがて家族となる子供達を授かります。
夫婦にとって、子は鎹
(かすがい)と言いますね。
夫婦を結びつけているのは、子供であるということです。
確かに、そうでしょう。
しかし、世の中には…
3人の子供達がいながら、離婚した夫婦もいます。
彼等にとっては、
子供は鎹(かすがい)
にはならなかったのです。
それは夫婦として
お互いに認め合うこと、許し合うこと、思いやることができなかったのでしょう。
子供達を夫婦の愛情で
育てていこうという
思いにもなれなかったのでしょう。
私が思う…
夫婦であり続けるキーワードは、
「思いやり」です。
私は、その点では欠けていることが多々ありました。
自分のやり方でなんの問題もないと思い込んでいたある日に…
カミさんから、突然…
「あなたは、思いやりのない人ね。」
と言われて、
「えっ!?
なにが?」とわからず、目が点になったことがあります。
カミさんから、その想いを話されて気付くという…
自分の配慮のなさを
思ったことは多々あります。
色々な「思いやり」の
形はあると思います。
大切なのは、その心を
忘れないことでしょう。
例えば、
自分がお茶を飲むときに、カミさんに…
「飲む?」と聞いてみるとか、
些細なことでいいのです。
何気ない一言だと思います。
もっと大切なのは、
夫婦の目指す姿です、
それは、お互いによき
パートーナーであることだと思います。
「隣は何をする人ぞ…」ではなく、
また、一つの夫婦という人生ではなく、
相手のために自分を
犠牲にするのではなく、
「思いやり」と
「犠牲」とは違います。
お互いの人生を考え、
お互いの人生のよき
パートーナーであること。
お互いを尊重し、お互いの生き方を認めること。
夫婦という関係の中で
、「個」としてお互いの生き方を認め、
その生き方を支え合うのが夫婦愛だと思います。