いま精神的に不安定な中、このブログを書き始めた。
落ち着いていられない状況。逆に言えば心を落ち着けるために書き始めた。

ニューヨークからテキサスの家に戻ったのが、7月18日月曜の夜。
そして火曜の朝早く、娘のヘルプ。
娘はコスタリカに二週間ほど、スペイン語を磨く意味も含めてのバケーション。
ところがフライトの空席状況はタイト。
DFW(ダラスフォートワース空港)から某都市を経由してサンホセまで行く予定だった。
家内の運転で娘と一緒に家を出て、DFWからその某都市まで一緒に行き、
サンホセ行きの便に乗るのを見守って、その後、そこからMSP(ミネアポリス・セントポール)
に飛ぶつもりだったが、最初から大コケ。

DFWから某都市まで普通のパスを使う私が乗れない状況になってきた。
それでも娘だけは年6枚もらえる優先パスで行く…。
ところがそれでも娘のちょうど一人前のスタンバイ従業員が乗ったところで満席。

で、DFWからは翌日も混んでいる状況だったので娘を連れてMSPに行くことにした。
MSPに行く私自身の理由はスマックダウンの撮影だったが、翌朝のMSPから某都市
までの早朝便に空席のゆとりが見られたため、連れていったのである。

ちょうど息子のほうもミネアポリスに出張中ということで、私が撮影に出かけている間、
兄ちゃんに面倒をみてもらえばいいとなった。

MSP到着後、フォーポインツ・バイ・シェラトンにチェックイン。
理由はわからなかったが、その日のミネアポリス、
多くのホテルがソールドアウト。空室のあるホテルはめちゃ高い強気の料金設定。
運よくフォーポインツを押さえてはいたものの「こんなホテルになんでこんな高い
料金を払わなきゃいけないんだ」といった感じ。税込みで150ドルを越えていた。

なにはともあれメシ。娘を連れてのランチはKIKUGAWAというジャパニーズレストラン。
ダウンタウンの川沿いにある、ちょっと立派な店。
初めて行ったのはもう10年以上前。ブラッド・レイガンズと行ったのは憶えているが
他に誰がいたか憶えていない。マサ斉藤さんだったか、猪木さんだったか…。
おそらくマサさんだったが確かじゃない。

二度目は現在日本在住の某プロレス記者と。で、今回三度目。

ミネアポリスといえばAWA。ミネアポリスと言えばバーン・ガニア。
ミネアポリスといえばフミちゃん(斎藤文彦氏)だね。

AWA世界王者だった時のジャンボ鶴田さんの取材もあるし、
リック・マーテル、カート・へニング、古くはニックさんやバーン・ガニア。
最初に行ったのは1979年の2月。確かメインはガニアVSボックウインクル。
その時のプログラム(パンフレット)、鶴田さんと天龍さんの名前がなぜか
マツイとコバヤシになっていた。いい加減なもんだというか、古き良き時代。

話は飛んだが、とにかくメシ。
ホテルからダウンタウンにレンタカー(トヨタ・カムリ)
を運転して向かうと空がどんどん暗くなって、結局大雨。

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レストランの目の前の路上、パーキングメーターのあるところに駐車するも、
道を渡り建物の中に入るだけでずぶ濡れ。参った参った。

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ランチ弁当の味はまずまずというか満足できるレベルだった。
ほとんど肉が入っていなかったが肉じゃがが旨かった。
ビーフ照り焼は甘すぎ。

娘とホテルに戻り二時間ほど昼寝をして、スマックダウンの会場であるターゲットセンターへ。
雨はすっかりやんでいて助かった。ターゲットセンターは関係者用の駐車場が超狭くて
結局パブリックパーキングにとめる場合が多いが、この日もパブリックパーキングに
金を払ってとめた。

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この日のメインはランディ・オートンVS.ケインだったが詳細は週刊プロレスにお任せすることにする。
試合後ホテルに戻り待機していた子供たちと合流。
IHOPで遅いディナー。

さて、翌朝は朝3時起床。ほとんど寝ていない状態で空港へ。
某都市行きの便に乗る娘を見送り、私自身はその後、単身赴任先に戻る便に乗った。

そして午後二時半から八時間勤務。
正直かなりきつかったが乗り越えた。

疲れから完全に回復しないまま、翌日は13時間。
で今日は通常の八時間シフト。明日あさっても仕事なんだけど…

どうやら父の調子が悪いようで先ほど母から電話があった。
いつ飛ばなければいけないかわからない状況の中、
なんとかこのブログを書いた。

父の回復を祈っているが…心が落ち着かない。
まあ救いはそういうことに理解のある会社なので、
必要とあればすぐにでも飛ぶことが出来る。

親父、回復してくれないかな。

では。