19日に上行結腸がんによる肺炎のため亡くなった俳優の原田芳雄さん(享年71歳)の葬儀・告別式が22日、東京・港区の青山葬儀所で営まれた。弔辞を読んだ40年来の親友である俳優の石橋蓮司(69)は「芳雄が撮ろうと考えていた作品は、自分たちが作る」と原田さんの遺志を継いで“次回作”を完成させることを約束。また、この日はファン向けの献花台も設置。約1300人が見守る中、別れを告げた。
原田さんの肉体は滅びても、精神は永遠に残される。ある時は役者のライバルとして、またある時は飲み仲間として、40年付き合ってきた石橋が、遺影を前に固い決意を語った。
「原田芳雄に向かって自分が弔辞を言うなんて…何てバカげた、こんな悪ふざけがあるだろうか? まだまだ、オマエは日本の映画界に必要なんだよ」。早過ぎる死を悔やみきれない様子で、うつむいた石橋。だが、悲しんでばかりはいられないとばかりに、前を見据えた。
「章代(夫人)、喧太(長男)、麻由(長女)にいろいろ教わって、映画にできるよう、オレも頑張ってみるつもりだよ。できたら、すぐに報告に行くから」。5月に体調を崩して都内の病院に入院後も、病室で阪本順治監督(52)らを交え、次回作について意見を交わしていたという原田さん。「時代劇、股旅物をやりたい」との願いはかなわなかったが、抱いていた構想を、自らが中心になって作品に仕上げることを誓った。
製作の具体的な時期やキャスト、スタッフなどは、まだ全く決まっていないが、その作品には、原田さんを慕い、敬った後輩たちも加わっていく。喪主あいさつに立った長男のミュージシャン・原田喧太(41)は「『芳雄精神』は、残された僕ら若い連中が、しっかり受け継いでいかないといけないかと。頑張ります」。出棺時にひつぎを持ったのは、松田龍平(28)、江口洋介(43)、佐藤浩市(50)ら“原田門下”の俳優たち。原田さんの“重み”を感じながら、精神を自らの体に刻みつけた。
「祭りごとが大好きなオヤジだったので」と喧太の「原田芳雄の役者人生に、お手を拝借!」の掛け声に続き、三本締めで送られた原田さん。ひつぎの中には、10年以上参加していた和歌山・新宮市の「お燈祭り」で着た白装束、毎年恒例のもちつき大会で使用していたハッピ、家族との思い出の品が納められた。長く続く拍手と、自らが歌う「愛の讃歌」が流れる中、天国に旅立った。
◆佐藤浩市「濃厚な2週間」 〇…遺作「大鹿村騒動記」で原田さんと共演した俳優の佐藤浩市は、姻戚(佐藤の妻と喧太の妻が姉妹)にもあたる。「芳雄さんが苦しいのは分かってたのでゆるみのないようにしようと。濃厚な2週間でした」と撮影の日々を振り返った。11日の試写会では車いす姿のあいさつを壇上から見つめ「あの野太い声が…。出ないと聞いてショックでした」と話すと、こらえきれずに涙。「まだ言葉がつむげない。すみません」と悲しみをこらえていた。
[2011/7/23-06:00 スポーツ報知]