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秋田ニュース

〈秋田:甲子園の喝采が聞こえる(4)熊代商・保坂祐樹投手〉屈辱に向き合いもう一度

2011年7月12日12時16分

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写真:練習後、夏の戦い方を話し合う石川(左)、保坂(中央)、山田の3選手拡大練習後、夏の戦い方を話し合う石川(左)、保坂(中央)、山田の3選手

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 イニングスコアが能代商の室内練習場入り口に掲げられている。昨夏の甲子園で、鹿児島実と対戦した時の得点だ。昨秋、監督の工藤明(35)と、コーチの渡部孝史(33)がつくって貼った。「気持ちが切れそうになったら、あれを見ろ」

 昨年からエースナンバーを背負う保坂祐樹(17)は「調子がよくない時、このスコアで気を引き締めた」。練習場のマウンドに立ち、イニングを一つひとつ数える。悔しさが改めてこみ上げてくる。

      ◆

 「ボーク!」

 審判が保坂を指さした。1回表無死一塁、鹿実の攻撃。先頭打者は左前安打で出ていた。コールは牽制(けんせい)の直後。左腕の保坂は牽制に自信があった。「甲子園は、ボークに厳しいと聞いていたが、その通りだった」。リズムが崩れ、死球、失策でどんどん走者が進んでいく。そして秋田で経験したことがない打球の速さ。2回途中で降板した。

 大敗。

 走攻守、すべてで自分たちを上回っていた。

 圧倒されたのは選手だけではない。工藤も同じだった。1回表の守りからベンチに戻ってきた選手に、こんな言葉をかけている。「けがだけはするなよ」。

 地元に戻り、再び練習が始まった。

 「鹿実のスピードに近づいたか」「鹿実と同じくらい練習しているか」

 工藤が話す言葉に、必ず「鹿実」が出てきた。無意識だった。それを、部長やコーチに指摘されるまで全く気づかなかった。それほど、あの敗北が心を支配していた。

      ◆

 鹿実に勝てるチームに本当になれるのか――。答えが見つからないまま、みんなが焦り始めていた。試合の映像も怖くて、見ることができなかった。今の3年生で当時、保坂とともに試合に出ていたのは、右翼手で主将になった山田一貴(17)、遊撃手で石川大成(18)。石川は「気持ちを切り替えなくては」。

 向き合えたのは10月になってからだった。練習がない日に、部室に数人が集まった。「見てみるか」。恐る恐る、鹿児島実との試合をビデオをセットした。

 初球からぶんぶん振ってくる鹿実。一方の自分たちは、バットに球を合わせることだけに必死になっていた。保坂は172センチ、57キロの細身。体つきも違う。動揺していないつもりだったが、自分の動作にも余裕はなかった。

 工藤も少しずつ冷静になっていった。「鹿実と同じものを選手に求めてもダメだ」

 工藤は、保坂に聞いたことがある。「鹿実の投手に勝てるところは、一つでもあるか」。保坂は「ストレートだけは負けたくない」。「分かった。速い球を投げろとは言わない。切れのある球を100球投げてくれ」

 甲子園で何が通用して何が通用しないのか。保坂は、それが今は分かる。太れない体質だが、ご飯をかっこみ、体重を5キロ増やした。

     ◆

 秋田大会開幕9日前の5日。練習の後、日が暮れたグラウンドで、選手に背番号が渡された。「1番、保坂」。「はい! いただきます」。保坂は受け取った後、メンバーを集めた。「ついてきてくれるか。今年も、絶対勝つ」。静かだが、力を込めて言った。=敬称略

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