日馬富士に関し、優勝の可能性が語られてはいるものの、どうも、ひと膝進めて、その話に応ずる気になれない。なぜかというと、あそこであの力士がひと皮むけたというべき大きな変化が、あの大関に訪れたという記憶がないからである。
遠慮なくいえば、常に非力で相撲にも細工の思いが感じられる、そこそこ三役力士という印象が濃いのである。だから、今場所のように意外な成績を挙げたという場合にも、それはあくまで意外な結果であって、日馬富士ならそのくらいの成績は挙げて当然だという印象には結びつかない。
これはかなり無礼な感想を書きつづっているのだが、過去の史実がそう思わせるのだから仕方あるまい。つまり、日馬富士はどちらかといえば、異能な能力で売るべき力士だと私は考える。
といったからといって、この大関をおとしめることにはなるまい。私たちは長い年月相撲を見てきている中に、異能から脱して、正統派の強さをわがものとした力士を何人も見ている。
それも大相撲を長年見てきた楽しみの一つだし、「あの大関は昔は異能だと言われたものだよ」と若い人たちに昔の話をしてやることができれば、これもこの上ない楽しみに思えることなのだ。
その異能の話で、把瑠都のことを昨日書いたが、全くとるところのない相撲ぶりで大事な一番を落としてしまった。ここまで押しつまってしまって、こんな失敗の相撲を取るというのは、信じ難いことなのだが、今日まで優勝に手の届くところにいたことを本人はどう思っているのだろう。
負けてはいけない相撲を簡単に落としてしまったという点では、正直なところあきれた。営々として積み上げてきた白星、しかもその中には無敵の横綱を真っ向から敗北に追い込んだ殊勲の星もあるというのに、思えば惜しいことだ。 (作家)
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