政治【菅政権考】福島に何をしてきたか+(1/3ページ)(2011.7.23 01:05

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【菅政権考】
福島に何をしてきたか

2011.7.23 01:05 (1/3ページ)
東京電力福島第1原発周辺市町村の首長らとの意見交換会で、到着が遅れたことを謝罪する菅首相=16日午後、福島県郡山市内のホテル

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東京電力福島第1原発周辺市町村の首長らとの意見交換会で、到着が遅れたことを謝罪する菅首相=16日午後、福島県郡山市内のホテル

 東日本大震災関連の連載を執筆するため先日、東北へ取材に出かけた。岩手、宮城両県はわずかながらも復興の足音が聞こえそうなところまできたが、東京電力福島第1原発を抱える福島県は事態が深刻であると実感した。

 

「あきらめる」の文字が

 福島県二本松市に本社を置く「エム牧場」は、自前の農場や提携農場を使った飼育の分業と飼料のコストカットで経営に成功したと紹介されてきた。

 ところが、浪江町と南相馬市にまたがる浪江農場に、14キロ先にある第1原発からの放射能が直撃した。事故発生の瞬間、浪江農場にいた約330頭の肉用牛は、商品としての価値がゼロになった。ここにきて、放射性セシウムを含む稲わらを牛が食べた問題も出た。

 村田淳社長(56)と浪江農場の吉沢正己場長(57)に話を聞いたのは、そういう状況下だった。

 吉沢さんは、浪江農場で作業中、第1原発からの2度にわたる爆発音を聞いた。双眼鏡を通して白い噴煙も確認した。「あきらめる」という文字が頭をよぎったという。

 「『あきらめる』の意味がわかると、急に力が抜けてしまった。牛飼いとしてたくさんの施設を造ってきたし、さらに大きなものも造ろうとしていた。すべて無意味になったんだ」と振り返る。

 吉沢さんは、それでも1週間居続けたが、村田さんの指示で浪江農場を離れた。脱力感は東京電力や政府への怒りとなり、その後しばらくは自家用車で上京し、抗議活動を行った。(SANKEI EXPRESS

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東京電力福島第1原発周辺市町村の首長らとの意見交換会で、到着が遅れたことを謝罪する菅首相=16日午後、福島県郡山市内のホテル

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