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平成の「悪党」はこう作られた

格差の否定から誕生する「貧しさの平等社会」

生きた経済ブログ

自由人 プロフィール

2011072101

 先日、朝の某テレビ番組を少し観ていると、「電力会社の原発経営」というものを強引に資本主義と結び付け、危険な原発清掃などを行なわなければならない人達がいるのは、資本主義による格差のせいだとするような内容の番組が放送されていた。

 この番組が暗に発しているメッセージとは、《資本主義を止めれば格差は無くなり、平等な社会となって、全ての人間は自分自身が望む理想的な仕事に就くことができ、危険な仕事は誰もやらなくてもよい》ということなのかもしれないが、今時、こんなマルクスめいた思想をそれとなく刷り込もうとしているテレビ番組があることに驚きを禁じ得なかった。

 よく知られたように、自らが(収入)格差の頂点に君臨すると思われるマスメディアが、格差を悪と喧伝すること自体に無理があると思われるのだが、果たして“格差が有る社会”と“格差が無い社会”とでは、どちらが住み良い社会なのだろうか?

 こう問われると、「格差が無い社会」と答える人の方が圧倒的に多そうだが、“最大多数の最大幸福”という観点で考えれば、「格差の有る社会」の方が住み良いに決まっている。

 このことは、「格差」というものを「試験の点数」に置き換えて考えると分かり易いと思う。

 例えば、10人の人がいて、5人が70点、5人が30点だったとすると、平均点は50点になる。70点の人が30点の人に20点分を分け与えることによって平均点を50点にしているわけだが、この40点分(70点−30点)の格差を縮める方法は2つある。

 当たり前の話だが、1つは、30点の人が頑張って点数を上げること、そしてもう1つが70点の人が意図的に点数を下げることである。

 ところが、この国のマスメディアが喧伝しているのは、70点の人の点数を下げることばかりで、30点の人が努力しなければならないとは絶対に言わない。

 なるほど、確かに70点の人の点数を60点にすることができれば、30点の人は努力することなく格差は10点分縮まる。しかし、平均点は45点に下がってしまう

 30点の人が努力することなく平均点を上げるためには、70点の人に頑張ってもらうしか方法はない。もともと高得点を取れる人ほど努力を厭わない人が比率的には多いだろうから、その方が平均点を上げる近道でもある。70点の人が80点を取れるように努力してくれれば、平均点は55点となり、生活水準は底上げされる。30点の人が努力せずに0点になったとしても、70点の人が頑張って100点を取ってくれれば、平均点は50点のままで、全体としての生活水準は下がらない。

 上記の喩えで言えることは次の1点に尽きる。

 「努力するのが嫌なら、格差を認めた方が良い

 ここでは100点満点ということで話を進めたが、実のところは、この試験には上限というものはない。もし1000点を取れる人がいれば、一気に生活水準は底上げされることになる。しかしその場合、圧倒的な個人的格差が発生することになる。70点と30点であれば、せいぜい2倍程度の格差だが、1000点と30点となると、30倍以上の格差が開くことになる。
 ここで、「そんな格差は認められない!」と言って、その1000点が取れる人物を否定し、「あいつは格差を生み出している張本人だ!」と罵り試験を受ける権利を剥奪してしまうと、どうなるか?

【答え】格差は大きく縮小するが、生活水準も大きく目減りすることになる。つまり、貧しさの平等社会が生まれることになる。

 一応、お断りしておくと、「格差」というものは「差別」のことではない。何の根拠もない無意味な差別を助長することは悪だが、意味のある格差を助長することは悪とは言えない。人間が“努力して成長する”という性質を持っている以上、格差というものは本来、有って当たり前であり、格差を否定すればするほど、社会は困窮し、本当に救いを必要としている弱者をも救えなくなり、無意味な差別を助長することに繋がる。

 現在の日本で弱者を救済するシステムが少なからず機能しているのは、格差が無いからではなく、将来世代に借金のツケを先送りしているからに過ぎない。本来であれば、借金などをせずに救済するシステムが自然と機能することの方が望ましいわけだが、格差を肯定しない限り、そのシステムが機能することはまず有り得ない。

 資本主義は格差を生むものでもあるが、まともに機能すれば、全体としての総量、つまり、パイの大きさを変えることができるシステムでもある。たとえ、個人的な格差が発生したとしても、全体としての総量が大きくなればなるほど、全体としての生活水準は向上する。

 ただ、現在の日本は、資本主義とは無関係な歪な社会構造から派生した格差が拡大しているという側面がある。真っ当な格差真っ当でない格差が混然一体となっているがために、話がややこしい。意図して行っているのかどうかは定かではないが、資本主義を悪者(スケープゴート)にすることによって、歪な社会構造が隠される格好になっている。

 個人の努力とは無関係な歪な社会構造が生み出した格差を、「すべて資本主義から生まれた格差だ」とマスコミがアナウンスすると、多くの人々がまんまとその言葉に踊らされてしまい、まさに先のテレビ番組のように、「格差があるのは資本主義のせいだ」となってしまうわけだ。

 ちなみに、菅総理が理想(?)とする「最小不幸社会」というのも、格差を絶対悪とする思想であることは言うまでもない。「最小不幸社会」というのは、格差を認めない「貧しさの平等社会」の別名である。

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