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アンナ・カリーナに憧れて、買った、眼鏡だけれど、これをかけて道を闊歩する、勇気は皆無やも、たぶん家だったり、知り合い宅に行くときだけ、かけようとおもふ、エスモカの所為で、まったくねむれないゆえ、メールの御返事や、短編のすこしなど、文章を書く事が、今のわたしの、アイデンティティーであり、同時に、情けなくもあるのだった

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短編の少しなど

精巧に作られた幸せの国の素敵な物語の住人になるのだとダイヤを見つめて思いながら、同時にわたしは世界が一瞬で消失する様子を浮かべていた。わたしは子供が産めないかもしれない。プロポーズの返事として遅すぎる告白を聞いていたら、彼はどんな反応を見せただろう。後から思えば、いずれ共に不妊に立ち向かうパートナーとしてギャルゲーマニアは相応しくないと判断したから、元彼への気持ちは枯渇してしまったのかもしれない。わたしは、自分のハンデを最も快く受け入れ、共に戦ってくれるであろう男を探していた。

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この短編には、モデルになった人がおり、そのかたも、サイトをやられているのだけれど、なかなかコメントが送れず、勝手に短編小説の、主人公にしてしまったわけだけれど、書きあげたらば、その人に読んでほしいな、さっき、シュージさんから、メールが来て、明日逢えなくなった、との事で、酷くがっかりしたけれど、今週は、せふれくんと逢うゆえ、ま、良いかな、相性は、シュージさんのほうが、ぴったり合う感じなのよねえ、

成人式の写真を撮り直す為に、叔母の美容院で、エクステをつけてもらい、髪も、暗い茶色に染めた、写真を撮りおえたら、ミルクティーと、いふか、アッシュにしたいな、夏だし、少し、奇抜な髪型にしたい、依里さんみたいな、ベリショも、魅力的だけれど、わたしは顔がまるいからな、一か月、出禁で、どこにもゆけないので、2・5次元イベントにも行けないし、もえさんや、知り合いのマイミク達とも、会えない、外出が許可されているのは、図書館、妹のアパート、(母も付きそって)近所の、ブックオフなど、後は、日がな一日、ごろりとしているだけってねえ、21にもなるのに、過保護なんだよ、おまけに共依存だしねえ、困った母でもあり、困った、娘でもある、よる、平成二年、梅雨生まれの、今年21歳、

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ここで、一旦中断し寝る、で、お久しぶりの、午後5時など。出禁をくらって、買い物にもゆけないので、通販で、5万円くらい買い物をした、フレッドペリーの、ワンピースが届くのが、ことに愉しみなのだったよ、

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メールの御返事など

ご心配のメールをたくさん頂きました、どうも有難う、とまれ、わたしはぶじ、新しい棲家で、また文章を綴るのみだよ、23歳までね、なんといふか、借りぐらしのアリエッティのような、ここは、そんな感じがする、

塔子さんへ わたしに関心、または執着する人がたくさんいて、しかも群れないと、叩けないもんだから、質が悪いんですよねえ、どうどうと、メールで、わたしに文句を言へばよいのに、まったく馬鹿らしい、塔子さんのなかで、わたしの位地が、変わらなかった事に、ありがとうをたくさん。

チャトレは、稼げるようになるまで、大変ですよねえ、そんな彼なら捨てちゃえば、という映画をおもいだしました、彼氏さんが働くようになり、塔子さんが、安心して生活できる日が来る事を、ささやかながら、祈ります、わたしも、最近、吐き気が酷くて、もしや妊娠、と、急いで検査薬を買って、おしっこをかけたところ、ただの杞憂でした、塔子さんのもそうであればよいな、

ばやすこさんへ (お名前がわからなかったので)わたしの文章が、あなたを、ひきこんでいるなんて、それはとても嬉しい事で、これまでも、これからも、あなたの言ふような文章が書ければよいな、と、思う次第です、たくさん、精進します、そしていつか、きっちりした小説を載せたい。

平をくんへ はい、内密にします、ちらっと読んだけれど、なかなか面白かったよ、でも、惰眠の文章のほうが、わたしはすきだな、あと、写真、格段に上達していってるねえ、添付された写真をみておもいました、カメラが修理からかえってきたら、また写真つきのメールくださいまし、そして、拳で、語り合おう!

せいさんへ 心が明るむメールをありがとう、せいさんの言葉で、幾分救われた箇所がいくつかあって、わたしは元気、といふものを取り戻せた気がします、「イマジナリ」は、端的に言えば、「超えてはならない線」イマジナリーラインとも言いますが、わたし、よると読者さんを象徴しているよふにおもうんです、今もネットでさんざん叩かれているのでしょうが、あまり気にはしていませぬ、たまっていた膿を出してほしいし、そういった環境がなければ、何も言えないかたがたが、わたしは憐れだともおもうし。援助交際したいたときの事は次の記事に書きますねえ、わたしなんかの日記で、生活が愉しくなるなんて、ミートゥーだよ、わたしもメールもらえれば、生活にはりがでますしねえ、とまれ、せいさんありがとう。

小夜子さんへ 小夜子さんは、他者、といふか、わたしの心配よりも、じぶんの心配をしてほしいのだったよ、わたしは小夜子さんの日記を読むたび、心配になるよ、掲示板に晒されて、さんざん叩かれて、さすがのわたしも参り、手首をざっくりやって縫いました、それだけです、あとは貧血が酷いくらいかな、複雑な日常も、ゆっくり時間をかけて、平らにしてゆきたい、小夜子さん、メールありがとう、いつも心配してくれて嬉しいよ

まこさんへ 人間の堕落は、罪悪感から始まる、って言葉わたしもすきです、今回の事で、罪悪感がないといへば嘘になるけれど、正当化して、生きて行くときめた、17歳のあの日をおもいだして、なんとか、ふんばっています、読者さんたちを裏切るような事もしたけれど、そうしないと、生きていけなかった。頑張れなかった。これからは、小説以外は、本当の事を書いてゆきたいとおもってます、顔も、わたしの顔をのせるし、(眼鏡をかけたのだったり、赤いリップをつけていたのは本人です)此処では、みえをはらず、ゆったり、たおやかに更新できればな、と、おもいます、また、まこさんに、わたしの言葉をフォークの背にのせて、食べて頂きたい、メールありがとう

はるたさんへ わたしも、某巨大掲示板といふ環境がなければ、なにもできない、人々を鼻で笑っています、それと同時に、じぶんに、どうどうと生きようともきめました、メールをくれたかたが、あそこは、世界で一番汚い場所と言っていたのが、とても印象的だったのを、憶えています、純粋な乙女だなんて、嬉しいな、野ばらおじさまの「それいぬ」を読みおえたばかりだったので、ことに。ほんとうに、有難う、またメールください。

東さんへ ただいま(わらい)メールが苦手なのに、わざわざ、送ってくれてどうも有難う、些細な感情を伝える為だけに、メールくれるなんて、わたしは、ほんとうに、良い読者さん達に恵まれているな、と、おもいまふ。こころのほうは、だいぶ落ち着いてきたので、ご安心を。心配してくださって、有難う、暑い日々が続くけれど、東さんも、体調などには気をつけてくださいねえ、後、素敵なイラスト有難う、さっそくこの記事に添付します

ふあさんへ さっそくメール有難う、わたしも、ふあさんの文章をどこかで、見た憶えがあってメールしたんです、偶然かな、記憶違いかな、ま、どちらでもよいのだけれども。夏の文庫本フェアは、個人的に、新潮社のストラップが欲しいですねえ、二冊読めば、必ずもらえる、リサ・ラーソンデザインの、パンダ。ふあさんはどこ推しですか、またたまにメールくださいねえ

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前のサイトに、「文句があるなら直接どうぞ」といふていで、電話番号を晒しているのだけれど、わたしについて、投書するほどむかつく事があるのであれば、電話してくればよいのに(わたしだったらする)非通知の、無言電話が二回ほど、まだ前のサイトに電話番号を載せているゆえ、お話したいかたは、是非、お電話くださいまし、ただし、非通知はでません

あー、お洋服届くの愉しみだな
2011/07/18 (Mon) 18:24



ゆっくりありがとうをとなえる
ゆっくりありがとうをとなえる

母から、一か月の出禁をくらい、(シュージさんとはこっそり逢うけれど)部屋にいても、凡そ、する事は限られており、滅多に読まない本を、はらはらめくってみたり、夏の日差しが部屋まで、入りこんで、炙られているよふな、心持など。しかし思うのは、今年の夏も、今日も、したたかに、生きてゆこうではありませぬか、といふ事で、熱くほてった足を、扇風機にさらし、心だけは、端然なのになー、と、おもうなど。

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此処に棲家を変え、それをある一部の人にしか教えず、細々とやっていくのは、まるで、此処を読んでくれている誰かに、手紙でも書いているような気がして、薄紫の封筒に、丁寧におりたたんだ、それをしのばせ、海外のおしゃんてぃーな切手を貼り、投函したくおもうなど。でもネ、皆さんに言っておく事があるのだけどねえ、もし、此処をみるのが、負担であれば、遠慮なく言ってほしいのよ、がっかりなんてしないから、わたしは、本質的には、おそらく、楽天的な人間だろうと、おもうしねえ。

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今日の午後に、庭の花に、水をやる為だけに、レペットの「ジャズ」を、おろした、履き心地がよく、午後には、レペットのフラットシューズも届いた、もう、レペットの虜であるし、履くと、なんとなく、こころが明るむのだった、やわなセイシュン性に浸っていた、わたしを圧倒し、脱帽させるほどの、レペットの存在感、耐久性は弱いらしいのだけれど、レペットを愛用したセレブリティの中で、最も有名だったのが、ブリジット・バルドー、セルジュ・ゲンズブール、ジェーン・バーキン、などなど。「ジジ・オム」を履いた、ゲンズブールの有名な写真があるけれど、ラフにカットした、ジーンズに、レペットなんてフェミニンな靴を合わせる、ゲンズブールには、少し、時を遡り、彼の寝子になりたいほど、

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一か月ほどまえ、ある雑文とともに、「お話したいかたは、連絡ください」と書いて、電話番号をのせた、人生は冗談だから、半分冗談じみたもので、鈴木いづみの、言い草だと「センスのあるやつがかけてくればいい」と、わたしもおもったのだった、しかしめったにいないんだねえ、しゃれた感覚のある男なんて、わたしはただ、見知らぬ他人と、一種の優雅な関係を、持ちたかっただけなのに、そこまで理解できる男は皆無で、かけてくる男は、皆、性的関心をむきだしにして、「パンツは何色」「いまどんなかっこう」「おれ、もうさわっちゃってる」などなど、そんな男は一か所に集めて、死んだほうが、世の為だ、

ニガみのある紅茶、クイーンマリーでも、飲みながら、(鈴木いづみを真似て、ほんとうは淹れ方なんて知らないけれど)世間話をしたかったのだった、男に対するかいかぶりは、今まで何度も経験したけれど、真夜中に、十回も、電話してきた男は、「おれは末期癌なんだ」と、それだけを言って、ぷつり、と切るのだった、それを十回も、繰り返された、常識もなく、節度もたらない、男は大嫌いだ、

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芥川賞、該当者なしだったのねえ、わたしは、個人的に、立ち読んで、既に知っていた、本谷有希子の、「ぬるい毒」を、推していたのだけれど、文芸春秋での、エイミーこと、山田詠美が、それぞれの作品を、どう、評したのかが、気になりますねえ、毎回毒舌だし、前回の、芥川賞の、選評も、なかなか、言葉にきれがあって、読んでいて、すっとしたものだった、ちなみに、今読んでいる本は、森茉莉のなかで、ことにすきな、「甘い蜜の部屋」と、「贅沢貧乏」「森鴎外の怒り」で、いったん中断し、これを書いている次第、

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某巨大掲示板で、わたしについて書かれている事は、推測にすぎないし、あんなふうな環境がないと、意見さえ述べられないなんて、憐れでならない、わたしは、此処にいるのだから、わたしに言えば済む事なのに、どうも群れないと、駄目らしいねえ、きみたち「孤立無援」を聞きなさいよ、高校のときもそうだった、何人かの女子が、わらわらと、トイレにかけこんで、わたしの陰口を叩いていた、(別に気にならなかったけれど)クラスで、化粧をしていたのは、わたしだけだったから、化粧なおしにトイレへ入る瞬間に、わたしは、彼女らを、侮蔑の目で、睨んで、ゆっくり時間をかけ、化粧をなおしたもんだった、(その間彼女らは、睨みながらも脅えていたようだった


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電話といへば、ついさっき、めるしーの、みよちゃんから、電話がきた、やけになって、電話番号を晒したとき、タニガミさんと、小夜子さんから、電話があり、少しの間喋った、「だいじょうぶですか」とか、「あまり落ち込まないで、わたしはよるさんの文章すきです」だとかを、語りかけてくれ、随分と救われた、みよちゃんが、サイトを一時停止している理由は、心ない、中傷があったからだそう、わたしの大事なおともだちを、傷つけるなんて、と、思いは思いのみで、とんとこ走ってゆくし、わたしのしてあげられる事といへば、「ゆっくりでいいから、待ってるよ」、と、それだけ

みよちゃんの声は、小鳥の囀りのような、日記の内容から、想像していたものと、ぴったり合致し、はじめて話した感じがなく、緊張もしなかった、(お酒呑んでた所為もあるのだけれど)みよちゃん、此処を見ていたら、ゆっくり、自分のペースで、もどってきてねえ、「死ね」の言葉に、リボンをかけて、待っているからねえ、

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あしたは、はりおくんが家に遊びにくるのらしい、まだフレッドペリーで、誕生日プレゼントを買っていないし、一か月の出禁で(わたしの精神状態があまりにも悪いので)買いにもゆけないから、手紙でも書こうかとおもう、出禁が明けたら、フレッドペリーで、お揃いの、ポロシャツを買う、わたしの胸にも、はりおくんの胸にも、あの月桂樹の刺繍がみたいのだった、はりおくんも、例の事を知ったらしく、「おんなのこはさーみえっぱりで、ごうまんで、わがままなほうが、ぼくすきだな」と、電話で、事のあらましを、まるで、別の体験に変容させるかのように、語った、

この憂鬱も、この哀しい感じも、この滑稽なよるも、いずれ、さらさらと、指の隙間から、こぼれ落ちてゆくのだとおもうと、なんともいへない気持になるのだったし、あの笑い声も、あの冗談も、同じくそうなって、人はいずれ死ぬ、遅いか、早いか、ただそれだけで、たまに、ふと、死んでみようかな、と、ストッキングで、戯れに首をしめた事があったり、わたしは、14歳から、死に執着してしまった、15日は、池上くんの命日で、家はすぐそこだけれど、なんだか行くのもあれだし、と、おもって、家の仏壇で、線香を焚き、そっと祈った、

池上くんに殴られた事、感覚とでもいおうか、それは今でも憶えているし、二の腕にできた痣の写真は、まだ携帯に残っているし、チェキで撮った、池上くんの、耳の写真もある、わたしがまだ17だったとき、援助交際をしていて、男に見ず知らずの場所に、置いていかれた事があった、みだりに、人にふれたり、すりよったり、するべきじゃなかったのだけど、途方に暮れ、坐りこんでいた、17のわたしは、「どうしたの」と、声をかけてきた、池上くんに、「おいていかれたの」と、俯いて答え、「送っていこか」といふ、池上くんに、おざなりに頷いており、送ってもらえば、自転車で、10分ほどの距離に、互いに住んでいる事が、判明し、それから、逢うようになった

池上くんは、首をつって死んだけれど、涙はでなかった、もっと、ぼろぼろになるまで、付き合い、そうして、ふたりで死にたかった、池上くんの写真は、手帳に挟んでおり、ときどきとりだして、見る、特に、なんの感慨もわかぬけれど、村上春樹いふところの、本の余白のような、ぽっかりした空白のようなものができたし、写真をみるたび、わたしは生きるよ、たぶん、36歳までは、生きるからねえ、池上くんとの付き合いは、たった二カ月だったけれど、一度も交わらなかった、飼っている猫の名前は、確か、「キキ」白い、綺麗な猫だった、

池上くんは、眠るときは、隣に寄り添わないと、怒ったし、眠らなくても怒った、不眠症のわたしには辛いことで、なんで殴られたのか、今は、もう、薄ぼんやりしているのだけれど、確か、コップを割ったからかな、とにかく、ぼこぼこに殴られたし、次の日、わたしは木刀をもって、池上くんを、殴りかえしにいった、互いに殴っても、池上くんが、自殺するまで、わたしは、池上くんと付き合っていたし、顔にガーゼをはった、ふたりは、滑稽だったろうな、と、おもうのだった、男に殴られたのは、池上くんが初めてだったし、殴られたときの痛みっていうのは、数秒後にやってくる事も、初めて知ったのだった、

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今夜は徹夜をする予定なので、メールの御返事ができたらなー、とおもいまふ、新しい棲家はまだ慣れないけれど、たくさんの方から、メールを頂き、ことに、嬉しかったのは、わたしの日記が、生活の一部だったり、安定剤と、おっしゃってくださったりなど、ユキさんというかたに、純粋に読んでいる、読者さん達を大切にしてくださいね、と、言われて、はっとした、だから、改めて言います、「ヨルの羊」改め、「イマジナリ」を、わたしが、23歳になるまで、見守ってくださったら嬉しいです、ほんとうに、わたしなんかの日記を有難う、どう感謝すべきかわからないけれど、じんわり、あなたに伝わればいいな、

図書館の、七夕の短冊に、「あなたの苦しみはわたしの苦しみ、あなたの涙は、わたしの涙」といふのが、つるしてあって、人に見られぬように、袖で、涙をぬぐったのだった、ありがとうと、ずっと、となえてるよ、添付は、レペットのジャズだよ、早く履いておでかけしたいよ、ものぐさな、男子に、是非履いてほしいのだったよ

2011/07/16 (Sat) 0:12


 
 

わたしの書く文章は、どこまで嘘で、どこまでが本当なのかと、やたらに、知りたがる人がいるみたいだけれど、わたしは作家になりたい、ゆえに、話を盛る事もあって、此処を読んでくれる人に、少しでも、面白い話をしたいだけでねえ、嘘か本当かなはんて、ナンセンスじゃないかしらん、真実を知って、何になるというのかが、わたしは気になるし、虚言症と言われても、皆様は、ほんとうの、虚言症を知っているのだろうか、妄想にしても、突き詰めれば、立派な趣味にもなるし、或るいは武器にだって、なる、やも

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短編のすこしなど、続き
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それから大股でロビーをを出て行った。その夜わたしは、担当の教授に電話して、迎えに行くはずだったロシア人は結局現れませんでした、と報告した。それから家に帰ってレールモントフの「現代の英雄」を日本語で読んだ。あれからもう四分の一世紀もたってしまった。もし次のオリンピックがニューヨークで開かれることになったら、アフガニスタンはイラクという名前で再び姿を現すかもしれない。でもその時、ロシアがオリンピックをボイコットすることはないのだ。冷たい戦争はもう終わってしまっているのだから

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この短編を書く為に、マイミクの露文科学生さんの、話がすごく役だって、ほぼ、毎日、二時間近く電話をしたりなど。ドフトエフスキーの、「白夜」も、はらはらとめくったりなどして、亡くなった祖父に訊いたのだけれど、わたしのずっと遠い親戚に、アイヌ語を話せる人がいるのらしい、白い夜は、Belye Nochi、じゃ、夜は、ノーチ、と、発音するのだねえ、もっと色んな国の、「夜」が知りたい、確か、フランス語では、ノッテだったかな、(里親に出した、ブライスちゃんのお名前でした)

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ここで中断して、お昼まなど

おもったのだけれど、わたしも落とし前を、つけなければな、と、告白すれば、整形してから、所謂、「醜形恐怖」に、近い感じに陥ってしまって、誰とも知らぬ画像を、無断で転載したりなど、(眼鏡かけてたり、赤い口紅をつけた写真は本人です)ほんとうに、馬鹿だとおもう、でも、手段がそれしかなく、みずいろさんや、他のかたからも、画像はどうでもよいから、文章を書いてくれ、よるさんはそれだけでいい、との、お言葉を頂き、ほんとうほんとうに救われたのだった、軽蔑したかたも、おられるだろう、(怒るときに、怒らなければ人としての甲斐がない)この悲しくも滑稽な日日を、わたしは巡っており、毎日を食べているし、あなたにも食べられたい、はむはむ

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からだのほとぼりも、ようやく冷め、や、覚め、ものかきは「ひとでなし」でなくてならねば、とおもって、息巻くのは良いのだけれど、その余地なし、しかし、今日も今日とて、感官は豊かであって、通り魔的に現れる、哀感を未然に、防ぐ為に、地球上、誰にも役に立たない、働きが、わたしだけの為に、そうおもうと、とても遥かなおもいになると同時に、万能感で、暫く、わたしの見える世界を支配するのだった、「ひとでなし」

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今夏も始まりましたねえ、各社の、単行本フェア、一通り、子冊子を頂いてきました、どの社に応募しようかしらんと、この季節は、とびきり、わくわくするのだよねえ、もう殆ど読んだものばかりが、並んでいるけれど、なんといふか、夏の魔法にかけられているのだよ、二冊読んだら、必ず貰える、リサ・ラーソンデザインの、よむパンの、キーホルダーが、ことに気になるのだったよ、

今日は、まるっと一日休みだから、詰んでた本でも、ゆっくり読もう、後、よるに、メールの御返事をしますねえ、まずはじめに、岡本かの子の、「生々流転」などなど、ね、
2011/07/14 (Thu) 6:15


イマジナリ

すっかり、御無沙汰しているのだった、皆様は、夏バテなどしていませぬか、もしも、きみ、あなた、おまえが隣にいたら、東洋の渋団扇で、一脈の涼やかな風を、送ってあげられるのに、使いふるした、サイトを辞め、新しくサイトを作った理由は、知る人も、知らない人もいるのでせう、でも、知らないほうが、幸せな事もあるし、事のあらましを、友人に相談したら、「すべて正当化して生きてくんじゃないの」と、言われ、わたしは、ゆっくりと頷いていた、「うん」と。

ご心配のメールをくださったかたや、励ましのメールをくださったかた、ほんとうに、どうも有難う、今までサイト「ヨルの羊」を、やってきてよかったな、と、おもうと同時に、わたしに、恨みや嫉妬を抱いていた人が、たくさんいる事も知り、水を飲み飲み、面倒だな、と、おもうなど、前のサイトの、アクセス数は、引っ張ってきたゆえ、100万ヒット企画は、きちんとやりまふ、その時は、皆様、奮ってご応募くださいまし。

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ダイキさんと話した事など

ある掲示板で、知り合った、吉祥寺に住む男の子なのだけれど、彼もまた最近、精神科に通うようになったのらしく、処方されている薬を、訊いたら、ま、大学生にありがちな、軽い鬱、ゼミでうまくゆかないだとか、就活が厭だとか、もっともらしい、症状を述べて、「僕がこころを開けるのは、ミドリちゃんと、カウンセラーくらいかな、あ、少なくとも、カウンセラーに、愛してるなんて言ってないよ」、ダイキさんは、わたしの電話をかけるタイミングが絶妙に良いのだといふ、このまえ、話した時は、ちょうど、ダイキさんが、会社説明会用の、履歴書を書き終えた、その瞬間だったのらしく、

お礼まで言われたった、ダイキさんと話すと、じぶんが失ってきたものの事をすごく、ずっと思いだす、互いに、独りきりでいる事に耐えられない、時間と、いふものがあって、そんな時に、どちらからとでもなく、電話が鳴る、鳴っている、そして、ずっと、一緒に、ふたりきりでなんかいられない事を、何度も何度も、確認し合う、わたしがどんな男と寝ようが、ミドリちゃんを愛してる」と、ダイキさんは言ふのだったし、「もし僕が誰かに告白されたら、遠距離の恋人がいるんです」と、言ってもいいか、と、小声で、尋ねてくるゆえ、そのあまりの可愛さに、「じゃあ、わたしも、ダイキさんの事に関しては、遠距離の恋人って言うね」

と、平気で嘘をつき(ま、あながち嘘でもないのだけれど)ダイキさんが、8月に、仙台に来るらしいゆえ、ふたりで、計画を立てた、その時間は、格別に良いものに違いなく、やってみて効果が望めるのは、素直な子、わたしが、無言でいると、無言は、ただ無言にきらめいて、きらめいている事に、一つの理由はなし、とまれ、ダイキさんと逢ったときには、寂れた安宿の、ベッドのうえで、本の読み合いっこをする事、一緒にお風呂に入る事、外出が出来たら、誰もいない、夜のアーケード街を散歩する事、などなど、今から、ほんとうに愉しみなのだったよ

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どんな誹謗中傷(ま、わたしの自業自得なのだけれど)にも、負けない、と、そうずっとおもっていたのに、ふと気づいたら、手首をざっくり切っていた、あんまりにも深いので、病院で縫ってもらい、貧血が酷いと、訴えると、鉄剤を処方された、けども、これ、何か食べなきゃ、確か飲んじゃいけないのだよねえ、せんせえのカルテをちらりと覗いたら、「意欲減退」などと、書かれており、確かに、Tさん(セフレくん)との、約束も断ったし、ずっと、愉しみにしていた「トカチェフの日々」にも、行けず仕舞いだった、蒲団に包まり、ほてった足だけに、扇風機をあてて、独り身の顔をしたりなど、病院に向かう途中、そんな事を、滅多にしない母が、わたしの手を握ってくれていた、赤信号のときだけ、

何かが、ほぐれたようだった、小さい頃にもどった、あの日みたいに、静かに泣いた、母の手は、かさかさしていて、じんわりと温かく、薬の所為で、冷え症のわたしには、格別な温かみであり、母の優しさだった、カウンセリングでも、久しぶりに泣いてしまった、せんせえが、ティッシュを、丁寧に、折りたたんで、わたしに渡してくる、タイミングのよさや、声のトーン、その他、諸々の所作、病院を変えようか、悩んでいたのだけれど、やっぱり、此処が、このせんせえが、一番だな、と、おもうなど。

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バイトの事など

初日はなんとか、行けたし、仕事も順調に、熟していたのだけれど、次がだめだった、お客様のまえで、うずくまってしまったり、過呼吸になって、先輩がたに、迷惑をかけたりなど、散々だった、店長には、「使いものにならないのでクビにしてください」と、言ったら、「おれも昔だけど、鬱だったの、調子よくなったら、またとってあげるから、今はゆっくり休みな」との、お言葉を頂き、それに今は、甘んじる事にして、暗い自虐の念に浸りっぱなしなのだった、

一刻も早く、まともな仕事をして、暮らしてみたい、某映画のように、100万円貯まったら、棲家を変え変え、毎朝、自炊して、きちんと、ランチョンマットのうえに、見栄えよく料理を並べて、目をつむって、いただきます、などなど、したいにゃ、コインランドリーに通う生活も憧れ、憧れは、憧れのまま、わたしの場合、ぴょこたん、跳ねていってしまうけれど、海外の映画のような、あの白いおおきな袋に(正式名称がわからない)服をたくさん、詰めこんで、30分程、小説を読んだり、ベンチがあれば、そこで、よしんば、素敵な出逢いに遭遇したり、など、

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わたしは、「例の事」について、二度と考えを走らせる事はない、と、考えて、こんなおもいは、毎晩ひと通りやってのけたし、粒だつ悲しみが、明るい就寝との、応接を果たす事も、近いうちにきっと出来るし、確信めいた、妙なこの心持を、何処かに登録したいな、や、特許とれればな、投書する程、厭な事があったけれど、なぜだか、気分はすっきりしているのだったよ、こっこの、「強く儚いものたち」を聴いて、泣きそうになってしまったのは、此処だけの、内緒話ですからねえ、誰にも言っちゃあ、らめですよ、あなたの口が、裂けるまじないをかけましたゆえ、

とまれ、「イマジナリ」を、23歳まで、よろしく見守ってください、某巨大掲示板で、書かれている事は、殆ど嘘ばかりだし、なぜそんなに、わたしに、関心があるのか、まったくわかりませんよ、はふー、ちなみに「イマジナリ」とは、山本直樹せんせえからの、すきな短編の一つなのだけれど、意味は少し、難解で、端的に言へば、「超えてはならない仮想の線」なのだそう、映画などに、よく用いられる単語らしい、今日は徹夜する予定ゆえ、メールの御返事や、短編などを載せますねえ

此処では、謝っておきます、ごめんなさい、「怒ること、憎むことをやめてくれないか、ボンヤリしていられないのか」幻想的な、執着にあって、困ったもんです、まじで、みたいな、にゃはは
2011/07/13 (Wed) 22:25


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