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ゆっくりありがとうをとなえる
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母から、一か月の出禁をくらい、(シュージさんとはこっそり逢うけれど)部屋にいても、凡そ、する事は限られており、滅多に読まない本を、はらはらめくってみたり、夏の日差しが部屋まで、入りこんで、炙られているよふな、心持など。しかし思うのは、今年の夏も、今日も、したたかに、生きてゆこうではありませぬか、といふ事で、熱くほてった足を、扇風機にさらし、心だけは、端然なのになー、と、おもうなど。 ーーーーーーーーーーーー 此処に棲家を変え、それをある一部の人にしか教えず、細々とやっていくのは、まるで、此処を読んでくれている誰かに、手紙でも書いているような気がして、薄紫の封筒に、丁寧におりたたんだ、それをしのばせ、海外のおしゃんてぃーな切手を貼り、投函したくおもうなど。でもネ、皆さんに言っておく事があるのだけどねえ、もし、此処をみるのが、負担であれば、遠慮なく言ってほしいのよ、がっかりなんてしないから、わたしは、本質的には、おそらく、楽天的な人間だろうと、おもうしねえ。 ーーーーーーーーーーーー 今日の午後に、庭の花に、水をやる為だけに、レペットの「ジャズ」を、おろした、履き心地がよく、午後には、レペットのフラットシューズも届いた、もう、レペットの虜であるし、履くと、なんとなく、こころが明るむのだった、やわなセイシュン性に浸っていた、わたしを圧倒し、脱帽させるほどの、レペットの存在感、耐久性は弱いらしいのだけれど、レペットを愛用したセレブリティの中で、最も有名だったのが、ブリジット・バルドー、セルジュ・ゲンズブール、ジェーン・バーキン、などなど。「ジジ・オム」を履いた、ゲンズブールの有名な写真があるけれど、ラフにカットした、ジーンズに、レペットなんてフェミニンな靴を合わせる、ゲンズブールには、少し、時を遡り、彼の寝子になりたいほど、 ーーーーーーーーーーーー 一か月ほどまえ、ある雑文とともに、「お話したいかたは、連絡ください」と書いて、電話番号をのせた、人生は冗談だから、半分冗談じみたもので、鈴木いづみの、言い草だと「センスのあるやつがかけてくればいい」と、わたしもおもったのだった、しかしめったにいないんだねえ、しゃれた感覚のある男なんて、わたしはただ、見知らぬ他人と、一種の優雅な関係を、持ちたかっただけなのに、そこまで理解できる男は皆無で、かけてくる男は、皆、性的関心をむきだしにして、「パンツは何色」「いまどんなかっこう」「おれ、もうさわっちゃってる」などなど、そんな男は一か所に集めて、死んだほうが、世の為だ、 ニガみのある紅茶、クイーンマリーでも、飲みながら、(鈴木いづみを真似て、ほんとうは淹れ方なんて知らないけれど)世間話をしたかったのだった、男に対するかいかぶりは、今まで何度も経験したけれど、真夜中に、十回も、電話してきた男は、「おれは末期癌なんだ」と、それだけを言って、ぷつり、と切るのだった、それを十回も、繰り返された、常識もなく、節度もたらない、男は大嫌いだ、 ーーーーーーーーーーーー 芥川賞、該当者なしだったのねえ、わたしは、個人的に、立ち読んで、既に知っていた、本谷有希子の、「ぬるい毒」を、推していたのだけれど、文芸春秋での、エイミーこと、山田詠美が、それぞれの作品を、どう、評したのかが、気になりますねえ、毎回毒舌だし、前回の、芥川賞の、選評も、なかなか、言葉にきれがあって、読んでいて、すっとしたものだった、ちなみに、今読んでいる本は、森茉莉のなかで、ことにすきな、「甘い蜜の部屋」と、「贅沢貧乏」「森鴎外の怒り」で、いったん中断し、これを書いている次第、 ーーーーーーーーーーーー 某巨大掲示板で、わたしについて書かれている事は、推測にすぎないし、あんなふうな環境がないと、意見さえ述べられないなんて、憐れでならない、わたしは、此処にいるのだから、わたしに言えば済む事なのに、どうも群れないと、駄目らしいねえ、きみたち「孤立無援」を聞きなさいよ、高校のときもそうだった、何人かの女子が、わらわらと、トイレにかけこんで、わたしの陰口を叩いていた、(別に気にならなかったけれど)クラスで、化粧をしていたのは、わたしだけだったから、化粧なおしにトイレへ入る瞬間に、わたしは、彼女らを、侮蔑の目で、睨んで、ゆっくり時間をかけ、化粧をなおしたもんだった、(その間彼女らは、睨みながらも脅えていたようだった ) ーーーーーーーーーーーー 電話といへば、ついさっき、めるしーの、みよちゃんから、電話がきた、やけになって、電話番号を晒したとき、タニガミさんと、小夜子さんから、電話があり、少しの間喋った、「だいじょうぶですか」とか、「あまり落ち込まないで、わたしはよるさんの文章すきです」だとかを、語りかけてくれ、随分と救われた、みよちゃんが、サイトを一時停止している理由は、心ない、中傷があったからだそう、わたしの大事なおともだちを、傷つけるなんて、と、思いは思いのみで、とんとこ走ってゆくし、わたしのしてあげられる事といへば、「ゆっくりでいいから、待ってるよ」、と、それだけ みよちゃんの声は、小鳥の囀りのような、日記の内容から、想像していたものと、ぴったり合致し、はじめて話した感じがなく、緊張もしなかった、(お酒呑んでた所為もあるのだけれど)みよちゃん、此処を見ていたら、ゆっくり、自分のペースで、もどってきてねえ、「死ね」の言葉に、リボンをかけて、待っているからねえ、 ーーーーーーーーーーーー あしたは、はりおくんが家に遊びにくるのらしい、まだフレッドペリーで、誕生日プレゼントを買っていないし、一か月の出禁で(わたしの精神状態があまりにも悪いので)買いにもゆけないから、手紙でも書こうかとおもう、出禁が明けたら、フレッドペリーで、お揃いの、ポロシャツを買う、わたしの胸にも、はりおくんの胸にも、あの月桂樹の刺繍がみたいのだった、はりおくんも、例の事を知ったらしく、「おんなのこはさーみえっぱりで、ごうまんで、わがままなほうが、ぼくすきだな」と、電話で、事のあらましを、まるで、別の体験に変容させるかのように、語った、 この憂鬱も、この哀しい感じも、この滑稽なよるも、いずれ、さらさらと、指の隙間から、こぼれ落ちてゆくのだとおもうと、なんともいへない気持になるのだったし、あの笑い声も、あの冗談も、同じくそうなって、人はいずれ死ぬ、遅いか、早いか、ただそれだけで、たまに、ふと、死んでみようかな、と、ストッキングで、戯れに首をしめた事があったり、わたしは、14歳から、死に執着してしまった、15日は、池上くんの命日で、家はすぐそこだけれど、なんだか行くのもあれだし、と、おもって、家の仏壇で、線香を焚き、そっと祈った、 池上くんに殴られた事、感覚とでもいおうか、それは今でも憶えているし、二の腕にできた痣の写真は、まだ携帯に残っているし、チェキで撮った、池上くんの、耳の写真もある、わたしがまだ17だったとき、援助交際をしていて、男に見ず知らずの場所に、置いていかれた事があった、みだりに、人にふれたり、すりよったり、するべきじゃなかったのだけど、途方に暮れ、坐りこんでいた、17のわたしは、「どうしたの」と、声をかけてきた、池上くんに、「おいていかれたの」と、俯いて答え、「送っていこか」といふ、池上くんに、おざなりに頷いており、送ってもらえば、自転車で、10分ほどの距離に、互いに住んでいる事が、判明し、それから、逢うようになった 池上くんは、首をつって死んだけれど、涙はでなかった、もっと、ぼろぼろになるまで、付き合い、そうして、ふたりで死にたかった、池上くんの写真は、手帳に挟んでおり、ときどきとりだして、見る、特に、なんの感慨もわかぬけれど、村上春樹いふところの、本の余白のような、ぽっかりした空白のようなものができたし、写真をみるたび、わたしは生きるよ、たぶん、36歳までは、生きるからねえ、池上くんとの付き合いは、たった二カ月だったけれど、一度も交わらなかった、飼っている猫の名前は、確か、「キキ」白い、綺麗な猫だった、 池上くんは、眠るときは、隣に寄り添わないと、怒ったし、眠らなくても怒った、不眠症のわたしには辛いことで、なんで殴られたのか、今は、もう、薄ぼんやりしているのだけれど、確か、コップを割ったからかな、とにかく、ぼこぼこに殴られたし、次の日、わたしは木刀をもって、池上くんを、殴りかえしにいった、互いに殴っても、池上くんが、自殺するまで、わたしは、池上くんと付き合っていたし、顔にガーゼをはった、ふたりは、滑稽だったろうな、と、おもうのだった、男に殴られたのは、池上くんが初めてだったし、殴られたときの痛みっていうのは、数秒後にやってくる事も、初めて知ったのだった、 ーーーーーーーーーーーー 今夜は徹夜をする予定なので、メールの御返事ができたらなー、とおもいまふ、新しい棲家はまだ慣れないけれど、たくさんの方から、メールを頂き、ことに、嬉しかったのは、わたしの日記が、生活の一部だったり、安定剤と、おっしゃってくださったりなど、ユキさんというかたに、純粋に読んでいる、読者さん達を大切にしてくださいね、と、言われて、はっとした、だから、改めて言います、「ヨルの羊」改め、「イマジナリ」を、わたしが、23歳になるまで、見守ってくださったら嬉しいです、ほんとうに、わたしなんかの日記を有難う、どう感謝すべきかわからないけれど、じんわり、あなたに伝わればいいな、 図書館の、七夕の短冊に、「あなたの苦しみはわたしの苦しみ、あなたの涙は、わたしの涙」といふのが、つるしてあって、人に見られぬように、袖で、涙をぬぐったのだった、ありがとうと、ずっと、となえてるよ、添付は、レペットのジャズだよ、早く履いておでかけしたいよ、ものぐさな、男子に、是非履いてほしいのだったよ |
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2011/07/16 (Sat) 0:12
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わたしの書く文章は、どこまで嘘で、どこまでが本当なのかと、やたらに、知りたがる人がいるみたいだけれど、わたしは作家になりたい、ゆえに、話を盛る事もあって、此処を読んでくれる人に、少しでも、面白い話をしたいだけでねえ、嘘か本当かなはんて、ナンセンスじゃないかしらん、真実を知って、何になるというのかが、わたしは気になるし、虚言症と言われても、皆様は、ほんとうの、虚言症を知っているのだろうか、妄想にしても、突き詰めれば、立派な趣味にもなるし、或るいは武器にだって、なる、やも ーーーーーーーーーーーーーー 短編のすこしなど、続き ーーーーーーーーーーーーーー それから大股でロビーをを出て行った。その夜わたしは、担当の教授に電話して、迎えに行くはずだったロシア人は結局現れませんでした、と報告した。それから家に帰ってレールモントフの「現代の英雄」を日本語で読んだ。あれからもう四分の一世紀もたってしまった。もし次のオリンピックがニューヨークで開かれることになったら、アフガニスタンはイラクという名前で再び姿を現すかもしれない。でもその時、ロシアがオリンピックをボイコットすることはないのだ。冷たい戦争はもう終わってしまっているのだから ーーーーーーーーーーーーーー この短編を書く為に、マイミクの露文科学生さんの、話がすごく役だって、ほぼ、毎日、二時間近く電話をしたりなど。ドフトエフスキーの、「白夜」も、はらはらとめくったりなどして、亡くなった祖父に訊いたのだけれど、わたしのずっと遠い親戚に、アイヌ語を話せる人がいるのらしい、白い夜は、Belye Nochi、じゃ、夜は、ノーチ、と、発音するのだねえ、もっと色んな国の、「夜」が知りたい、確か、フランス語では、ノッテだったかな、(里親に出した、ブライスちゃんのお名前でした) ーーーーーーーーーーーーーー ここで中断して、お昼まなど おもったのだけれど、わたしも落とし前を、つけなければな、と、告白すれば、整形してから、所謂、「醜形恐怖」に、近い感じに陥ってしまって、誰とも知らぬ画像を、無断で転載したりなど、(眼鏡かけてたり、赤い口紅をつけた写真は本人です)ほんとうに、馬鹿だとおもう、でも、手段がそれしかなく、みずいろさんや、他のかたからも、画像はどうでもよいから、文章を書いてくれ、よるさんはそれだけでいい、との、お言葉を頂き、ほんとうほんとうに救われたのだった、軽蔑したかたも、おられるだろう、(怒るときに、怒らなければ人としての甲斐がない)この悲しくも滑稽な日日を、わたしは巡っており、毎日を食べているし、あなたにも食べられたい、はむはむ ーーーーーーーーーーーーーー からだのほとぼりも、ようやく冷め、や、覚め、ものかきは「ひとでなし」でなくてならねば、とおもって、息巻くのは良いのだけれど、その余地なし、しかし、今日も今日とて、感官は豊かであって、通り魔的に現れる、哀感を未然に、防ぐ為に、地球上、誰にも役に立たない、働きが、わたしだけの為に、そうおもうと、とても遥かなおもいになると同時に、万能感で、暫く、わたしの見える世界を支配するのだった、「ひとでなし」 ーーーーーーーーーーーーーー 今夏も始まりましたねえ、各社の、単行本フェア、一通り、子冊子を頂いてきました、どの社に応募しようかしらんと、この季節は、とびきり、わくわくするのだよねえ、もう殆ど読んだものばかりが、並んでいるけれど、なんといふか、夏の魔法にかけられているのだよ、二冊読んだら、必ず貰える、リサ・ラーソンデザインの、よむパンの、キーホルダーが、ことに気になるのだったよ、 今日は、まるっと一日休みだから、詰んでた本でも、ゆっくり読もう、後、よるに、メールの御返事をしますねえ、まずはじめに、岡本かの子の、「生々流転」などなど、ね、 |
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2011/07/14 (Thu) 6:15
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イマジナリ
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すっかり、御無沙汰しているのだった、皆様は、夏バテなどしていませぬか、もしも、きみ、あなた、おまえが隣にいたら、東洋の渋団扇で、一脈の涼やかな風を、送ってあげられるのに、使いふるした、サイトを辞め、新しくサイトを作った理由は、知る人も、知らない人もいるのでせう、でも、知らないほうが、幸せな事もあるし、事のあらましを、友人に相談したら、「すべて正当化して生きてくんじゃないの」と、言われ、わたしは、ゆっくりと頷いていた、「うん」と。 ご心配のメールをくださったかたや、励ましのメールをくださったかた、ほんとうに、どうも有難う、今までサイト「ヨルの羊」を、やってきてよかったな、と、おもうと同時に、わたしに、恨みや嫉妬を抱いていた人が、たくさんいる事も知り、水を飲み飲み、面倒だな、と、おもうなど、前のサイトの、アクセス数は、引っ張ってきたゆえ、100万ヒット企画は、きちんとやりまふ、その時は、皆様、奮ってご応募くださいまし。 ーーーーーーーーーーーーー ダイキさんと話した事など ある掲示板で、知り合った、吉祥寺に住む男の子なのだけれど、彼もまた最近、精神科に通うようになったのらしく、処方されている薬を、訊いたら、ま、大学生にありがちな、軽い鬱、ゼミでうまくゆかないだとか、就活が厭だとか、もっともらしい、症状を述べて、「僕がこころを開けるのは、ミドリちゃんと、カウンセラーくらいかな、あ、少なくとも、カウンセラーに、愛してるなんて言ってないよ」、ダイキさんは、わたしの電話をかけるタイミングが絶妙に良いのだといふ、このまえ、話した時は、ちょうど、ダイキさんが、会社説明会用の、履歴書を書き終えた、その瞬間だったのらしく、 お礼まで言われたった、ダイキさんと話すと、じぶんが失ってきたものの事をすごく、ずっと思いだす、互いに、独りきりでいる事に耐えられない、時間と、いふものがあって、そんな時に、どちらからとでもなく、電話が鳴る、鳴っている、そして、ずっと、一緒に、ふたりきりでなんかいられない事を、何度も何度も、確認し合う、わたしがどんな男と寝ようが、ミドリちゃんを愛してる」と、ダイキさんは言ふのだったし、「もし僕が誰かに告白されたら、遠距離の恋人がいるんです」と、言ってもいいか、と、小声で、尋ねてくるゆえ、そのあまりの可愛さに、「じゃあ、わたしも、ダイキさんの事に関しては、遠距離の恋人って言うね」 と、平気で嘘をつき(ま、あながち嘘でもないのだけれど)ダイキさんが、8月に、仙台に来るらしいゆえ、ふたりで、計画を立てた、その時間は、格別に良いものに違いなく、やってみて効果が望めるのは、素直な子、わたしが、無言でいると、無言は、ただ無言にきらめいて、きらめいている事に、一つの理由はなし、とまれ、ダイキさんと逢ったときには、寂れた安宿の、ベッドのうえで、本の読み合いっこをする事、一緒にお風呂に入る事、外出が出来たら、誰もいない、夜のアーケード街を散歩する事、などなど、今から、ほんとうに愉しみなのだったよ ーーーーーーーーーーーーー どんな誹謗中傷(ま、わたしの自業自得なのだけれど)にも、負けない、と、そうずっとおもっていたのに、ふと気づいたら、手首をざっくり切っていた、あんまりにも深いので、病院で縫ってもらい、貧血が酷いと、訴えると、鉄剤を処方された、けども、これ、何か食べなきゃ、確か飲んじゃいけないのだよねえ、せんせえのカルテをちらりと覗いたら、「意欲減退」などと、書かれており、確かに、Tさん(セフレくん)との、約束も断ったし、ずっと、愉しみにしていた「トカチェフの日々」にも、行けず仕舞いだった、蒲団に包まり、ほてった足だけに、扇風機をあてて、独り身の顔をしたりなど、病院に向かう途中、そんな事を、滅多にしない母が、わたしの手を握ってくれていた、赤信号のときだけ、 何かが、ほぐれたようだった、小さい頃にもどった、あの日みたいに、静かに泣いた、母の手は、かさかさしていて、じんわりと温かく、薬の所為で、冷え症のわたしには、格別な温かみであり、母の優しさだった、カウンセリングでも、久しぶりに泣いてしまった、せんせえが、ティッシュを、丁寧に、折りたたんで、わたしに渡してくる、タイミングのよさや、声のトーン、その他、諸々の所作、病院を変えようか、悩んでいたのだけれど、やっぱり、此処が、このせんせえが、一番だな、と、おもうなど。 ーーーーーーーーーーーーー バイトの事など 初日はなんとか、行けたし、仕事も順調に、熟していたのだけれど、次がだめだった、お客様のまえで、うずくまってしまったり、過呼吸になって、先輩がたに、迷惑をかけたりなど、散々だった、店長には、「使いものにならないのでクビにしてください」と、言ったら、「おれも昔だけど、鬱だったの、調子よくなったら、またとってあげるから、今はゆっくり休みな」との、お言葉を頂き、それに今は、甘んじる事にして、暗い自虐の念に浸りっぱなしなのだった、 一刻も早く、まともな仕事をして、暮らしてみたい、某映画のように、100万円貯まったら、棲家を変え変え、毎朝、自炊して、きちんと、ランチョンマットのうえに、見栄えよく料理を並べて、目をつむって、いただきます、などなど、したいにゃ、コインランドリーに通う生活も憧れ、憧れは、憧れのまま、わたしの場合、ぴょこたん、跳ねていってしまうけれど、海外の映画のような、あの白いおおきな袋に(正式名称がわからない)服をたくさん、詰めこんで、30分程、小説を読んだり、ベンチがあれば、そこで、よしんば、素敵な出逢いに遭遇したり、など、 ーーーーーーーーーーーーー わたしは、「例の事」について、二度と考えを走らせる事はない、と、考えて、こんなおもいは、毎晩ひと通りやってのけたし、粒だつ悲しみが、明るい就寝との、応接を果たす事も、近いうちにきっと出来るし、確信めいた、妙なこの心持を、何処かに登録したいな、や、特許とれればな、投書する程、厭な事があったけれど、なぜだか、気分はすっきりしているのだったよ、こっこの、「強く儚いものたち」を聴いて、泣きそうになってしまったのは、此処だけの、内緒話ですからねえ、誰にも言っちゃあ、らめですよ、あなたの口が、裂けるまじないをかけましたゆえ、 とまれ、「イマジナリ」を、23歳まで、よろしく見守ってください、某巨大掲示板で、書かれている事は、殆ど嘘ばかりだし、なぜそんなに、わたしに、関心があるのか、まったくわかりませんよ、はふー、ちなみに「イマジナリ」とは、山本直樹せんせえからの、すきな短編の一つなのだけれど、意味は少し、難解で、端的に言へば、「超えてはならない仮想の線」なのだそう、映画などに、よく用いられる単語らしい、今日は徹夜する予定ゆえ、メールの御返事や、短編などを載せますねえ 此処では、謝っておきます、ごめんなさい、「怒ること、憎むことをやめてくれないか、ボンヤリしていられないのか」幻想的な、執着にあって、困ったもんです、まじで、みたいな、にゃはは |
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2011/07/13 (Wed) 22:25
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