「前から思っていたことですが、原発には歌がないんですよ」
その言葉を聞かされた私は、今度の地震と福島原発事故のことが、憑き物でも落ちたようにわかった。原発に歌がない。当たり前だろ、と応える人のほうが多いかもしれない。原発反対の歌ならいくらでもある。しかし原発を讃える歌は聴いたことがない。そこで働く人々を描いた小説も映画もない。
「歌がない」と言ったのはノンフィクション作家の佐野眞一さん。
「炭鉱は危険ですよね。漁師もそう。だけど、彼らにはそれで家族を支えているという強い誇りがある。原発労働にはありますか?」
神田神保町にある東京堂書店会議室でのことだ。6月21日、佐野さんが上梓した『津波と原発』(講談社)にともなう講演に100名を超える客が集まっていた。
地震から3か月ほどで、よく書けたものだとそのスピードに感心したのだが、本の帯にあるように、東日本大震災と福島原発を取材することは佐野さんにとって必然だったのだ。ダイエーの創業者・中内功や石原慎太郎を描き、容赦なく怒りの鉄槌を振り下ろす佐野さんだが、その存在を一般人にもわかりやすくしたのは『東電OL殺人事件』の一作だ。
筆者コータリも取材したこの底知れない闇を、佐野さんは被害者渡辺泰子に密着して描いた。
〈東電エリートOLの渡辺泰子は、夜な夜な渋谷区円山町の街角に立って男たちを誘った。彼女と同じ部署にいる東電の上司は、渡辺泰子が「昼の顔」とは別の「夜の顔」をもっていることを知りながら、注意するわけでもなく彼女をにやにや笑いながら見ていた〉(『津波と原発』77頁)
法律違反というわけではない。社会人としての道徳といったものでもない。佐野さんがいつも怒るのは、こうしたなんでもない、なんでもないが、極めて非人間的な所作なのだ。
福島原発事故は東電OL事件に通じ、その根底にある“原子力の父”正力松太郎に通じている。
講演を聞きながらハッとした。そもそも佐野さんは初代原子力委員会委員長だった正力、“テレビの父”でも“プロ野球の父”でもある正力を『巨怪伝』で描いた。東電OLも福島原発事故もその巨大な伏線の延長上にあったのだ。
天覧試合での長嶋茂雄のホームランといっても、若い読者には通じないだろう。しかし、ミスター、長嶋がいて『巨人の星』があり、皆が寝食を忘れて熱中した華やかなプロ野球の時代があったのだ。一夜にしてミスターをつくった昭和34年6月25日の天覧試合から『巨怪伝』は書き始められている。後楽園球場バックネット裏の映写室を改造したにわかづくりのロイヤルボックスの中で、天皇の右後方に座っているのが正力松太郎その人である。
当時、新人だった阪神のザトペック投法・村山実から長嶋がかっ飛ばしたサヨナラホームラン。その一発から日本人は毎夜野球を見るようになった。正力がつくったプロ野球を、正力のつくったテレビで見るようになった。正力がつくった原発の電気を使って。出来すぎ。にわかに信じがたい。けれど、いつも目の前にあり、繰り返し放送された長嶋茂雄がダイヤモンドを回ってホームベースへ帰ってくる映像を佐野さんが見事に繋げてみれば、戦後日本の姿は、まんまと正力松太郎の構想に乗ったのであり、その砂城が今回の地震で壊れたのだ。
佐野さんは今回、最新のルポルタージュで大きな絵の背景にあったもう一つを探り当ててくる。それは、今や立ち入り禁止区域の福島原子力発電所横でほうれん草をつくっていた農家の男性から聞いた話に始まる。地付きの、つまり古くからの農家だと思って尋ねたが、今避難しているその男性はまだ5代目だという。先祖は因幡の国、現在でいえば鳥取県東部から移住してきた。それが天明の飢饉のあとのことである。『津波と原発』は1783年から続いた凄まじい飢饉の記録を掘り起こしているけれど、ビックリするのはその先だ。なぜそもそも福島県に原発があるのか? 猪苗代湖をはじめとする電力発電の先進地だったからという理由もある。しかし、貧しいこの土地は陸軍によって飛行場として接収された。ワケアリの土地を安く買って高く売るといえば、戦後のどさくさ時代にもっとも有名なのが西武グループの創始者・堤康次郎だ。塩田としてわずか3万円で買った土地を、東京電力に3億円で売ることになる。
作り話かと思うほど、大きな話と話が繋がり合い、私たちの根底的な疑問に解答を与えてくれる。
【東電会見は嫌みなまでに慇懃だ】
私は、東京電力東京本社を訪ねた。新橋? そんな場所にあったっけ、と探したら銀座クラブ街まで徒歩3分の好立地に赤白塗りの電気塔が立っていた。3階会議場へ上がるエレベーターには、それぞれ制服姿の職員が待機していて、ボタンを押してくれる。会場前に資料の山がある。なるほど、至れり尽くせりで、嫌みなまでに慇懃だ。東電、文科省、原子力安全・保安院、原子力安全委員会。三者がそれぞれ細かい数字を語り、マスコミ陣もここ3か月詰めているから玄人同士の質問で、私にはさっぱり要点が呑み込めず、翌日の新聞を読んで、やっとこの日の会見が米仏2社の除染装置を試し、それぞれに不具合があって6月末、放射能を含んだ溜まり水がいっぱいになるまでの猶予がもうない点が大変なのだとわかった。
佐野さんは歌のない原発を、その仕事を何かに似ていると思って考えたら……と言った。
それは売春だ。佐野さんがそう断じた。私はドキッとし、いくらなんでも飛躍しすぎ、打ち消そうとしたが、打ち消す理由が見当たらなかった。なぜ讃える歌がないのか。なぜ、本店エレベーターのボタンまで押してくれ、非の打ちどころがない完璧な説明をする人々が、素人にもわかる危険な原発を造ったのだろう。それを安全と言い張ったのだろう。東電OLの売春を見て見ぬ振りしたのは、彼らの中に同じ負い目があったからなのだろうか。3月11日以来、自分が理不尽に感じてきたものは、おそらく利益不利益では言い表せない何かだったのだ。
■東電次期社長が謝罪へ 6月23日、福島第一原発のある双葉町が役場ごと避難している加須市の旧騎西高校に、東電・清水正孝社長と次期社長に内定している西沢俊夫常務が社長交代のあいさつに訪れた。ただし、町民との直接面会はなく、町民や町議が東電社員に怒りをぶつける場面も。一方で「原発城下町」と言われただけあって、「原発を稼働してほしい」という声も