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平成の「悪党」はこう作られた

小谷野敦への疑問――匿名批評は卑怯か

トラッシュボックス

深沢明人 プロフィール

 数か月前に発売された小谷野敦の『名前とは何か なぜ羽柴筑前守は筑前と関係がないのか』(青土社、2011)を読んでいると、次のような記述があった。
 私はかねて、匿名での批判は卑怯であるから認めないと言っているが、おかげでいろいろな事件が起きた。私が批判されたのではない例としては、私の後輩の大学院生がウェブサイトに匿名の読書日記を開設していて、しばしば、かなり口汚く対象となる本を批判するので、私は、そういうのをやるなら匿名は良くない、と言ったものである。また、そこまでひどいのなら全部読まなければいいではないかとも言ったのだが、彼は、全部読むのが礼儀だという。全部読んで罵倒されるくらいなら途中で放り出して貰ったほうがいいくらいである。それに、批判しているのはみな大物ばかりだ、とも言うが、そうでないのもあった。すると、もしその人から問い合わせがあったら実名を名乗る、と言い、もし実名で開設したら、本当のことが言えなくなる、と言う。それなら言わなければいいではないかと私は言った。

 結局私は、彼にそういうことをやめてほしいと思っていたこともあって、ある時私のブログで実名を挙げたら、全部削除されてしまった。その時すぐにではなかったが、最終的には意見の相違から絶交することになったが、彼は最後に、「小谷野さんに匿名批評を批判されたことで周囲からどれほどのことを言われたか」などと言っていたが、何を言われたか知らないが、匿名批判を非難されたのならそれは自業自得である。

 これが、現代の匿名者の奇妙な特徴である。往年の匿名時評家も、しばしば実名を暴かれたし、それで少しは困ったかもしれないが、暴いた奴が悪いなどという途方もない居直りはしなかったのである。まったく、正邪善悪が逆転しているとしか言いようがない。(p.182-183)
 私にはこの、匿名での批判が卑怯であるという理屈、ないし感覚がわからない。

 この文が収められている「第6章 匿名とは何か」を読み返してみたが、その理由が明記されている箇所はなかった。小谷野にとっては自明のことだからだろうか。

 小谷野は上の引用箇所に続けて、荻上チキというブロガーの実名を示唆した際に、自分が非難されたというエピソードを挙げ「私のような正直者は既に時代に合わなくなっているのかとすら思われる」としている。

 このケースでは、荻上の小谷野自身に対する批判はともかく、別の人物(小谷野は実名を挙げている)への「批判は罵倒に近く、私はそれが気になった」ことに加え、荻上の方から小谷野に対し実名を明らかにしたことや、ネット上でも写真が公開されていることなどから、「本気で隠す気があるのかどうか疑わしい」として実名を示唆したというのだが、そういった事情があるにしても、何故実名を晒さなければならないのかがわからない。

 小谷野はさらに、
 赤木智弘も私に対して怒っていたし、オーマイニュースとかいう、今ではなくなってしまった、個人が「記者」になる変なネットニュースでも、これまた名前を忘れたが、小谷野氏の行為は許されるものではない、などとあった。後でオーマイニュースに、この記事の責任者はおたくか、書いた者かと問うたら、書いた者だというから、では住所を教えろと言ったら返事がなかった。

 「荻上チキ」は匿名ではなく筆名だ、と言う人もあって、もちろんそそうだろうが、実名を明らかにされて怒るというのが匿名のしるしなのである。それに、修士課程修了ということは〔引用者注・荻上は著書に東大大学院修士課程修了との経歴を記していたという〕、大学へ行けば修士論文を閲覧できる。卒論はできないのだから、それだけパブリックな学歴だということになるのだが、その学歴を明示しつつ実名を隠蔽するというのはあっていいことなのか。また、周囲の人間は正体を知りつつ「黙っててね」と言われているわけだが、そんな依頼に従う義務など、どこにもないし、私にもないのである。仮に「黙っていてくれれば教えます」と言われて知ったのなら背信行為になるが、それすらないのである。(p.185)
と述べているが、「周囲の人間は」以降の部分はまさにそのとおりで、そんな匿名性の確保に従わなければならない義理は全くないと思うが、それ以外の部分には同意できない。仮に現職の国会議員や高級官僚――いや元職でもいいか――が匿名で見解や論評を発表したとすれば、彼らはそのパブリックな立場故に非難されなければならないのだろうか。

 それに、では小谷野が非難するのはそうしたパブリックなケースに限られるのかと言えば必ずしもそうではなく、冒頭で引用した「後輩の大学院生」のようなケースもあれば、

 二十一世紀になって、インターネットが普及してくると、これはもう匿名での誹謗中傷の類があちこちに広まることになり、ここで初めて「匿名で何が悪いか」と開き直る連中というのが登場した。(p.177)
また、
 ウェブの発達によって、一般人の匿名での発信が可能になると、匿名に関する倫理は崩壊し始めた。(p.179)
とまで書いているのだから、「一般人」をも含めてやはり匿名による批判自体が「卑怯」と考えているのであって、修論云々は単なる言い訳と見るべきだろう。

 あるメールでは次のように述べていたという(太字は引用者による)。
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