すこし前に実際にあった出来事なのですが、ある講演会で講師となられた先生が大東亜戦争について語り、その席上、大東亜戦争は軍部の暴走によってひき起された、という内容のお話をされたそうです。
このお話を聞いたある方から電話があり、「ねずきちさんなら、その場にいてきっと猛反発したに違いない」とおっしゃられました。
その場では、ボクもお電話いただいた方への配慮から、「そうかもしれないね」とお答えしましたが、おそらくその場にボクが居合わせたとしても、論争はしていなかったろうと、自分では思っています。
もちろんボク自身は、このブログでも何度も書かせていただいたとおり、大東亜戦争は、日本が易々として軍縮会議に乗ってしまったことが最大の要因と考えています。
ですからその講師の方とはまるで違った見方をしています。
つまり、講師の先生が「強力な軍部が暴走したことが戦争の原因」という説を取っているのに対し、ボクは「軍部の力が削がれたことが、欧米に舐められ、日本が追いつめられた原因」という立場をとっている。いわば双方は真逆の論を持論としているわけです。
けれど大切なことは、そうした「論」にあるのではない、というのがボクの基本的な考え方です。
「論」というのは、人が100人いれば100通りの「論」があるものです。
大東亜戦争の開戦の原因はと問われれば、ある人は真珠湾攻撃にあると答え、ある人は支那事変にその原因をみると答えます。
また明治維新にこそ、大東亜戦争の遠因があるという人もいるし、ボクが聞いた中には、江戸幕府の鎖国政策が大東亜戦争の引き金になったという説を取る人もいました。
「論」は、いくらあっても良いと思うのです。
けれど大切なことは、その「論」ではなくて、謙虚になって学ぶという姿勢そのものにあると思う。
「歴史は学ぶためにある」というのがボクの持論です。
ありもしない史実で自らを辱める自虐史観や、すべてを階級闘争の産物としてとらえる共産主義史観などが「もってのほか」なのは、歴史を特定の思想によって「決めつけ」、「批判」します。
とんでもない話です。
ボクにいわせれば、いったいあなたは何様のつもりなのですか?と言いたくなる。
アッツ島で玉砕線を戦われた山崎保代大佐(没後中将)は、わずか2650名の守備隊で、圧倒的な火力を持つ1万2000人の米軍を迎え撃ちました。
そして17日間の激しい戦いの末、全員が玉砕して果てた。
戦いの最後の日、山崎中将は、その時点で生き残った守備隊の生存者を司令部前に集めました。
わずか150名です。全員が傷だらけです。
その満身創痍となっていた生き残りの将兵全員を引き連れて、山崎中将は米軍陣地に最後の突撃を行った。
このとき、山崎中将は、右手に軍刀、左手に日の丸を持って攻撃部隊の先頭に立ったそうです。
そして山の斜面を駆け上り、猛烈果敢な攻撃で、米軍の哨戒線を突破する。
米軍からは、もう戦いは済んだのです。生きて投稿しなさいと、スピーカーで何度も投降の勧告が流された。
けれど山崎中将以下のアッツ島守備隊の将兵は、それでも果敢に突撃を敢行します。
そして米軍陣地で激しい白兵戦を展開し、突撃部隊は最後の一人が倒れるまで戦い、山崎司令官も戦死された。
戦後、遺骨収集が行われたとき、兵たちのいちばん先頭で遺品・遺骨が確認されたのが、山崎中将だったそうです。
それが何を意味しているか。
山崎中将は、最後の突撃部隊の先頭に立って敵弾の前に飛び出したということです。
当然、敵の砲火は、先頭の山崎中将に集中する。
撃たれます。
それでも立ち上がり、また撃たれ、また立ち上がり、最後は這ってでも敵陣に向かって突き進み、息が止まったときは、自軍の先頭にいた、ということです。
猛烈な敢闘精神です。
その敢闘精神がどこからきたのかといえば、祖国を守るという強い使命感と、守備隊の長としての猛烈な責任感だったのではないかと思うのです。
「戦争はよくないことだ」、もちろんそうでしょう。
「命は何よりも大切なものだ」、もちろんそうでしょう。
けれど、その大切な命を守るため、自らの命を顧みず、最後の最後まで勇敢に戦い、散っていかれた人が、私たちの国にいた。
そしてその人は、私たち日本人ひとりひとりの、若き日の家族の姿であった。
そのことを私たちは、決して忘れてはならないと思うし、その心は、私たちの家族の心として、学ばなければならないことなのではないか。そう思うのです。
アッツ島の戦いの戦法がどうだったのか、戦術がどうだったのか、そんなことは軍事の専門家にでも議論していただければいいことじゃないかと思うのです。
そういうことが好きな人達や、そういうことをしっかりと考えなければならない人達で、すきなだけ議論していただけば良い。
けれど、いまを生きる私たちにとって大切なことは、歴史に学び、現代に活かし、未来を拓くということです。
批判からは何も生まれない。生まれるのは破壊だけです。
謙虚に学び、そこから何かを得、今を生きるに活かし、未来を切り開く糧とする。
歴史はそのためにこそある、とボクは思うのです。
山崎中将は、昭和18年5月29日に亡くなられました。
けれど、山崎中将の勇気を、祖国への愛を、部下を思う気持ちを、私たちが謙虚に学ぶならば、山崎保代中将は、私たちの心の中に、永遠に生き続ける。
それが先人達への最大の感謝だし、山崎中将がいちばん望まれることなのだろうと思う。
歴史上に現れるさまざまな出来事について、それが是か非か、正か邪か、そんなことを百万遍議論したところで、何の役にもたちません。
最近、教科書問題であちこちしているときに、ある学者の先生が、「そもそも日本神話などは史実ではないのだから、歴史教科書でとりあげること自体が疑問である」と言いました。
ボクは「それは違う」と答えた。
なぜなら日本神話は、日本の歴史を学ぶ上でもっとも必要な日本人の心の源流をまずたどることだからです。
なぜそのとき歴史が動いたのか。
それを考えるに際して、歴史を動かした精神の源流がどこにあるのかを理解していなければ、なぜ、そのときその判断がなされ、その行動がなされたのかを理解することができない。
だから日本神話は、「史実でないから学ぶ必要がない」のではなくて、「史実を理解するために学ぶ必要がある」とお答えさせていただいた。
日本人は、みんながひとつ屋根の下に住む「家族」になろうよ、として2700年前に建国されたのが日本という国です。
日本人全員が「家族」なら、私たちの先人たちも、みんな身内です。家族です。
その家族の歴史を学ぶことは、私たち自身の心の系譜を学ぶことなのではないかと思うのです。
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