「大相撲名古屋場所10日目」(19日、愛知県体育館)
大関魁皇が引退を決断した。大関琴欧洲に一方的に押し出された取組後、名古屋市内の友綱部屋で師匠の友綱親方(元関脇魁輝)と話し合い、現役引退を決めた。「師匠から全部、話をします」と自室に引き揚げた魁皇に代わり、師匠が「本人の意向です」などと説明した。今場所5日目で史上最多の通算勝ち星記録1046勝を達成した以降は一方的に敗れる相撲が続いていた。新記録を花道に、かど番で醜態をさらすよりも、潔く土俵を去る。
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刀折れ、矢は尽きた。琴欧洲に完敗した後、部屋で約10分、師匠に思いを伝えた。師匠より先に自室に引き揚げた魁皇は、引退については何も語らなかった。目立つことを好まない、魁皇らしい引退表明だった。
この日も大関の相撲はまったく取れなかった。琴欧洲の突き押しを、俵づたいに下がって残すので精いっぱい。最後は土俵下まで突き飛ばされた。取組直後から「受けてばかりの相撲ばかりでは…。攻める気持ちも足りないと思う」と気力の低下を口にしていた。
友綱親方は胸のつかえがとれたように「よく頑張ってきたという言葉を(返した)。よくやってくれたという言葉だけ」と思いを語った。魁皇は20日に開く記者会見で自分の口で胸中を語る。
本人も引退の覚悟はしていた。3連敗からの2連勝で通算勝ち星記録の1046勝は達成したが、周囲には「記録を達成したらやめます」と漏らしていた。記録のために動いてくれる人に義理を果たすまでは、という思いがあった。師匠からは進退の決断を委ねられており、自分の気持ちひとつで引退を決められる環境が整っていた。
引退を決めた理由を師匠には伝えなかった。今場所は場所中にもかかわらず奈良県の治療院に通いづめ、辛うじて土俵に立っていた。休場し、来場所で再起をかけることはしなかった。引退表明前に「体調が悪い中でやれるだけのことはやった」と完全燃焼したことを漏らしていた。
中3の冬。「相撲でもやろうかな」と何げなくもらした一言がきっかけで、本人が知らないうちに友綱部屋への入門が決まっていた。それから23年半、「やめる時は自分で決めたい」が口ぐせだった。最後の最後でようやく、自分の意思で引き際を決められた。史上最多の通算1047勝。大関在位は史上最長タイの65場所。記録にも記憶にも残った希代の名大関が、やっと戦いを終えた。
【写真】大関魁皇が引退を表明 7敗目喫し決断/白鵬、憧れの先輩の引退に「まさかだよね」/魁皇、通算1046勝!ウルフ超え角界新記録/魁皇、ばったり6敗目…負け越し即引退も /白鵬、日馬9連勝 魁皇は6敗目
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