小悪魔の誘惑



「分かるか!作者が伝えたかったことが!!内村!!分かるか!!」
「えー…分からないです」
「何で分からない!どうして分からないって答えはすぐに出てくるのに真実の答えには辿り着けないんだ!!それはお前が考えようとしていないからだ内村!」
「あぁ…はい…」
「考えろ内村!この作者が何を伝えたかったかを!!お前が主人公になったつもりで考えろ!内村!お前は主人公だ!!この物語の主人公だ!!」
「先生主人公戦争で死んでます」
「だがお前は生きてる!!考えるんだ内村!!」


おい誰かあの白髪馬鹿に日本語教えて来い。
日頃は適当に教科書に書かれていることだけを言っている銀八の燃えるような意味の無い熱血指導に土方だけでなく教室中の人間がどこか遠い目で件のアホ教師を見つめた。
銀八大丈夫なの?
何が?
何がって頭に決まってんじゃん。
どうすんの保健室連れて行こうか?
やだよ触りたくないもん。
でもあいつどっか行ったら授業自習で遊びに行けるじゃん。
あーそっかどうしよう。もう全員でじゃんけんしようよ。
そんな深刻な相談が生徒達の中で行われているなど露知らず、相も変わらず銀八は内村に熱い語りかけを繰り返している。
土方はそれに全く興味を抱くことなくチキチキチキとシャーペンの芯を出して数学の宿題をやり始めた。
国語の授業をまともに聞いたことなどなかったけれど、今日の授業も全く持って無意味な時間だ。
銀八が誰の言葉に動かされて奇矯に走っているかなど、知りもせずにそんなことを考えながら。



二時間目の休み時間の間に移動教室の準備を終えて移動しようと友人達と話していると、いつもの人懐っこそうな笑顔を絶やさずに近藤が土方のクラスの入口に顔を出した。
「トシー!ちょっといいかー?」
「近藤先生!」
ごめん先行っててくれ、と友人達に教科書を預けて土方は近藤の下へ走った。休み時間は残り五分だと思うともっと早くに来てくれれば良かったのにと恨み言すら零れそうになる。
「どうかしたのか?」
「ごめんな、朝俺がプリント持っていけなくてさ。校長に呼ばれちまって」
「いいよそれぐらい」
申し訳なさそうな顔がひどく可愛らしく映って、土方はにっこり笑って近藤を許した。
だがしかし自分が仕事を請け負ったというのに、という近藤の反省はひどく深い。いつもならばそっかありがとう!の一言で済ませるというのに。
あの男の名前を出すのは気まずかったが、近藤の凹んだ気持ちを払拭させるためにも坂田の名前を出した。
「本当にいいって。プリント自体は坂田先生が持ってきてくれたし、それにあれだけのプリント纏めるのも大変だったんだろうしさ」
「うん、本当。坂田っていい男だよな」
何言ってんの?
素で突っ込みそうになった土方だったが、相手が教師であり想い人であるという意識がギリギリその言葉を口に出すことを押し留めた。
「いや…え?そう?」
キラキラ輝く笑顔で銀八を褒めまくる近藤に、土方も否定の言葉を振りかざすことが出来ずに曖昧な言葉で口の端を引きつらせる。
「本当、俺あんないい奴久し振りに会ったよ。トシも困ったことあったら坂田とか俺とかに相談しろよ?」
「うん」
断然近藤先生でお願いします。
そんなことを考えながら土方は近藤に手を振った。
ふぅ、と胸がいっぱいになった土方はその桃色の片鱗を吐き出すように溜息をこぼして移動教室先に移動しようとした。
だが、振り返ったところで動きを止めた。
数メートル先、自分を恨みがましげに見つめる存在がある。
銀八だ。
「……」
「……」
銀八の恨みがましげな視線が土方を射る。
何故自分が睨まれなければいけないのか、とは思うものの、銀八なんかに構っている時間はない。
授業開始時間は刻々と近づいている。
だが移動する為には道を塞ぐように人の少なくなった廊下のど真ん中に立っている銀八の横を通らなければいけない。
土方は銀八から視線をはずし、まるでお前など目に入っていないとでも言うように銀八を無視して銀八の横を通り過ぎようとした。
だが、銀八の横を通り過ぎた瞬間右腕を突然掴まれてそれ以上先へ進めなくなる。
驚いて振り向けば、銀八が拗ねた子供のように下唇を突き出して土方を睨んでいた。
笑いたくなるようなアホ顔だったが、ここで笑うのも何だかおかしな気がして土方は込み上げそうになった笑いを押し留めた。
「嘘つき」
「は?」
「俺超やる気出して頑張って授業したじゃん」
「あれやる気出してたのか。何のコントかと思ったぞ」
「なのに何だよあれ」
「あれ?つかそんなんどうでもいいから手離せよ汚いな!」
バシッと銀八の手を振り払って土方は走り出した。
このままで授業に遅れてしまう。
そんな土方の焦りを助長するように、予鈴が校内に鳴り響く。
土方は振り返らなかった。
だって授業が始まる五分前で、自分は生徒会長で、授業に遅れるわけにはいかなくて。
銀八なんて土方の中には本当に取るに足らない存在で、邪魔者だけれど石ころ程度の邪魔者で、どうでもいいというやつで。
だから、土方は自分がひどい言葉を吐き出したなんて自覚はなかった。
走っていく土方の後姿を見つめながら、銀八はゆっくりと振り払われた手に視線を下ろし、ぐっぱーぐっぱーと握ったり開いたりしてみた。
今日は朝からお風呂に入った。
土方に臭いとか汚いとか、もう言われたくなかったからだ。
だって銀八の好きになった土方という人間は、誰からも慕われ、勉強も出来て、運動も出来て、性格も良くて、綺麗で。
銀八に持っていないもの全てを持っていたから、少しでも近づきたくて汚い自分から脱しようと努力した。
垢が詰まっていた爪も綺麗に切って、久し振りに手洗い用の石鹸を買って家で手を洗ってから登校した。
でも、やっぱり、汚いと言われてしまった。
事実自分は汚かったのだから土方の反応は当然かもしれない。
でも、だって。
だって、しょうがないじゃん。
色々な感情が交錯して、銀八は泣きそうになるのを必死で堪えて、下唇を子供のように突き出したまま、土方のいなくなった廊下を歩き出した。



確かに俺汚かったし、不潔だったし、最低だったけど。
でも、汚いって言われて、傷つかないわけじゃないのに。







つづく






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