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【大相撲】

魁皇が引退を表明

2011年7月20日 紙面から

琴欧州の押し出しで土俵下に落ち、肩を落として土俵に上がる魁皇=愛知県体育館で

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 東大関・魁皇(38)=友綱=が19日、「体力の限界」を理由に現役引退を決意した。この日、大関対決で琴欧洲に押し出しで敗れて3勝7敗となり、打ち出し後に名古屋市緑区の友綱部屋宿舎で師匠の友綱親方(元関脇・魁輝)に「力が出ない。これ以上無理」と訴え、親方も了承した。年寄株の「浅香山」を既に取得しており、友綱部屋付き親方として後進を指導する。史上最多の通算勝利数は1047勝で止まった。

 魁皇は通算勝利で千代の富士(現九重親方)の持つ史上最多の1045勝にあと1勝として今場所に臨んだ。4日目に豊ノ島を突き落としで破ってタイ記録、5日目に旭天鵬に寄り切りで勝って1046勝の金字塔を打ち立てた。7日目に安美錦を寄り倒して1047勝まで積み上げたが、この3日間連敗し、引退を決意した。通算勝利数だけでなく、幕内勝利879勝、幕内出場回数1444回、幕内在位107場所など史上1位がずらり。大関在位も千代大海と並ぶ65場所。まさに鉄人と言っていいだろう。

 福岡・直方第二中2年の時から力士を志望し、1988(昭和63)年春場所に友綱部屋に入門。曙、貴乃花、若乃花らと同期で“花のロクサン組”と呼ばれた。93年夏場所が新入幕で、2000年夏場所に14勝1敗で初優勝。同年名古屋場所で11勝し、大関に昇進した。

 だが、好事魔多し。翌年から腰痛と両腕のけがに悩まされた。04年秋場所で5度目の優勝を果たし、翌九州場所で12勝したものの、横綱昇進が見送られた。以後はけがでの休場とかど番脱出を繰り返し、史上1位の千代大海に次ぐ通算13度目の大関かど番を経験。昨年の夏場所千秋楽で1000勝を達成し、ついに今場所千代の富士を抜いた。

 通算成績は1047勝699敗158休、幕内成績は879勝580敗141休。優勝5回、殊勲賞10回、敢闘賞5回、金星6回。昨年4月に角界で初めて内閣総理大臣顕彰を贈られた。38歳での引退は大ノ里の39歳9カ月に次いで大関として昭和以降2番目の年長記録。けがに泣かされ、満身創痍(そうい)となった名大関はついに力尽きた。 (近藤昭和)

 

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