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原田芳雄さん壮絶死…がんの痛みに耐え演技

 フォトセッションを終え感極まる原田芳雄さん=11日、東京・新宿バルト9
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 フォトセッションを終え感極まる原田芳雄さん=11日、東京・新宿バルト9

 個性派俳優の原田芳雄(はらだ・よしお)さんが19日午前9時35分、上行結腸がんから併発した肺炎のため、都内の病院で死去した。71歳だった。1968年の銀幕デビュー作「復讐の歌が聞える」で鮮烈な印象を残し、「ツィゴイネルワイゼン」などでのアウトローな演技で人気を集めた。08年に大腸がんの手術を受けた後も精力的に活動を続け、16日には製作にも参加した主演映画「大鹿村騒動記」が公開されたばかりだった。また、面倒見の良かった原田さんの東京・渋谷区内の自宅には、俳優仲間が続々と駆けつけた。

  ◇  ◇

 仲間とともに作り上げた“遺作”の公開を見届けて、壮絶ながんとの闘いを続けた原田さんがついに燃え尽きた。

 入院したのは5月4日、長野県内で「大鹿村‐」の完成披露試写会を行い、帰京後。容体は安定していたが、19日午前になって急変し、長男でミュージシャンの原田喧太(41)、長女で女優の原田麻由(34)ら家族に看取(みと)られ、息を引き取ったという。

 11日に都内で行われた「大鹿村‐」のプレミア試写会には、担当医に「99%無理です」と言われたにもかかわらず、病院から駆けつけ、麻由が押す車いすに乗って登壇した。げっそりとやせ、のどの炎症から声を発することはできず、共演の石橋蓮司(69)に「きょうは来てくれてありがとう。ゆっくりごらんください」とコメントを代読してもらうと、大粒の涙をこぼした。この時が公に姿を見せた最後となった。

 喧太は「最後の最後までの役者魂の凄さには本当に頭が下がります。今回の入院で何度も山を乗り越えて、11日の舞台あいさつは自らの力を振り絞って、見事舞台に上がって皆を驚かせたものです。担当の医師の方も見事な闘病生活でしたと言ってくれています」と振り返った。

 原田さんは高校卒業後、俳優座養成所を経て、67年にドラマ「天下の青年」でデビュー。野性味あふれるアウトローな演技で頭角を現し、70年の「反逆のメロディー」や74年の主演映画「竜馬暗殺」で人気となった。

 一方で、面倒見のいい性格から多くの俳優仲間に慕われ、「原田居酒屋」と呼ばれた自宅は、佐藤浩市(50)、江口洋介(43)ら大勢が世代を越え、酒を酌み交わしながら演劇論を語り合う“役者学校”的な存在になっていた。

 人生最後の映画出演となった「大鹿村‐」は、そんな仲間たちと作り上げた。体調が芳しくないことを知った石橋や大楠道代(65)ら“芳雄会”のメンバーが、「長野県の村歌舞伎を映画化したい」という原田さんの願いをかなえるために協力。原田さんも熱演を披露したが、がんの痛みは全身に回り、食事ものどを通らず、休憩中はぐったり倒れる状態だった。

 16日に都内で行われた公開初日舞台あいさつは欠席したが、病床から駆けつける意欲を見せていた原田さん。「大鹿村‐」の阪本順治監督(52)は「次は『世の中を明るくする作品をやりたい』と言っていた。2月の自分の誕生日には、ライブもしたいと話していました」と明かし、仕事への意欲を失うことはなかった。熱く焦がしたその俳優魂は、若手たちに引き継がれていく。

(2011年7月20日)

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