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  シーカー 作者:安部飛翔
第一章
1話
 扉の軋む音が聞こえた。
 腰まで伸ばした赤毛と茶色の瞳の闊達な美少女として、探索者たちの間で人気の受付嬢であるリリアは、扉を開き入って来た人物を見て少々驚いた表情をする。
 そこには極普通の一般市民が着るような布の服とズボンに革の靴、そして一般市民では持たないであろう剣を腰に下げた10代後半に見える青年が居た。
 身長は175センチメートル程だろうか、食事を満足に取っていないのか細身すぎるほど細身だが無駄なく鍛え上げられた肉体を持ち、黒髪黒瞳でそれなりに整った顔立ちをしている。
 青年の姿自体は取り立てて珍しい物ではない。
 ここ迷宮都市アルデリアにおいて、迷宮探索者を志す者は老若男女貧富を問わずいくらでも居た。
 ある者は名声を求め、ある者は富を求める。
 数多くの人間が死に、生き残った者が成り上がって行く。
 この迷宮都市アルデリアはそういう場所であった。
 なので、迷宮探索者をサポートし、迷宮を管理する探索者ギルドにやって来る者の中には青年より幼い者も、装備とさえ呼べない物しか持たない者も、いくらでも居た。
 今までそれをリリアは受付嬢として数多く見てきている。
 だから今このギルドに入って来た青年は特段珍しい存在でも無い筈なのだ。
 しかしリリアは、その青年にまるで熟練した探索者に時折感じる風格のような物を感じていた。
 どうやらそれはリリアだけでは無いらしい、他にも仕事の斡旋などで会話をしていた探索者達と職員達も動きを止め青年に見入り、ギルドはいつの間にやら一時の静寂に包まれていた。
 ギルドの掲示板に張り出される仕事の募集を見て、請け負う仕事を探していた探索者達も同様であった。
 だがそれはただ一時のことであった。
 確かに青年のような年齢でそのような風格を持つ者は珍しいが、この迷宮都市にはそのような風格を持つ者やそれ以上の風格を持つ者も当然の様に居るので、静寂は何時の間にか消え喧騒が戻ってくる。
 青年はギルドの雰囲気の変化には特に何も感じる物は無い様に、リリアへ向かって一直線に歩み寄って来た。
 何故か他の者が興味を失くした後も、暫く青年に目を奪われ見蕩れていたリリアは、目の前に立った青年に話しかけられようやく自分の仕事を思い出した。
「探索者として登録をしたいのだが」
 静かな研ぎ澄まされた刃の様な声だった。
 何故か胸が熱くなり顔が火照ったリリアは、少しばかりどもりながら言葉を返す。
「は、はい。ギルドへの探索者としての登録でございますね?かしこまりました。それではこちらの書面に必要事項を記載して頂けますでしょうか」
 受付嬢になって暫く、大分仕事にも慣れてきたと思っていた自分がこんな上擦った声を出すなどリリアとしては想定外で羞恥に頬を染める。
 青年はそのようなリリアの様子は気にも留めずに、リリアが差し出した書面を受け取った。
「失礼ですが、文字を読み書きする事はできますでしょうか?もし出来なければ代筆を致しますが?」
 今度はいつも通りの声音で話せ、そこでリリアはようやく落ち着きを取り戻した。
「文字か……大陸共通言語だな、これなら問題無い」
 青年が静かに返す。
「さようでございますか、それでは記入をお願いできますでしょうか」
 リリアの言葉を聞くと青年はサラサラと慣れた様子で書面に必要事項を記載していき、最後まで書き終えるとリリアへと書面を差し出した。
「ありがとうございます。お名前はスレイ様、出身はトレス村でございますか。失礼ですがトレス村とはどの辺りにある村でしょうか?聞いた事の無い名前なのですが」
「大陸北方のシチリア王国の田舎の村だ。ここでは知られてなくても特に不思議ではないな」
 青年、スレイは特に気にした様子も無く答えを返す。
 リリアは多少驚きを感じる。
 ここ迷宮都市アルデリアはこの世界ヴェスタでも最大の大きさを誇るセレディア大陸、その最南端の小国クロスメリアの中でも更に最南端に位置しているのだ。
 つまりこの青年は野盗や魔物が蔓延る中で、この広大なセレディア大陸北方から大陸最南端までの長旅をして来たという事になる。
「さようでございますか、失礼致しました。それではこれから探索者登録の為の審査と探索者になる為の肉体改造を受けて頂きますので私に付いてきて頂けますでしょうか?」
 他の職員が全員仕事で手が空いていないのを見て、リリアは自分が最後まで受け持ちをできることに内心喜ぶ。
 実はリリアは受付以外は今までした事がなく、審査と肉体改造については知識として知ってはいても実際に行うのは今回が初めてになるのだ。
 リリアはカウンターを抜け出し探索者と会話している他の職員に少し席を空ける旨を伝えると、カウンターの横に設置された扉を開き、スレイに付いて来る様に促し中へと入って行った。
 スレイは目の前を歩く少女の後に付いて行きながら、ようやくここまで来たかと思いを馳せる。
 探索者という者の存在は幼少のみぎりより知ってはいた。
 しかしほんの二年前まで、あの時までは、彼にとっては世界とは自分が住む村だけで、大陸を旅して回る冒険者や迷宮に潜る探索者などは決して彼に直接関係のある世界の話では無かった。
 御伽噺や小説など本で見て話で聞くだけの別世界の話だったのだ。
 だが二年前に青年の世界の全ては変わり、二人の師に剣と魔法の教えを請うた。
 そして五ヶ月前、二人の師に少なくとも戦闘訓練の試合では勝てるようになり、これ以上はもう二人の師から教わる必要は無いと判断したスレイは、二人の師に礼の言葉を述べ、更なる力を求め、まずは迷宮都市を目指し旅をする事にした。
 剣はその時に師二人より選別に貰った物である。
 剣の師は本当は島国ディラクでのみ作られるディラク刀を用意したかったと言っていたが、流石にシチリアの宮廷騎士団にコネがあっても入手の難しい代物だったため、シチリアの軍刀サーベルの特別に質の良いものを用意してくれた。
 ちなみに刀とは片刃の剣のことであり、切断力を増すために反りのついてる物が多く、もちろんディラク刀のみならずシチリアの軍刀であるサーベルにも反りが付いている。
 サーベルも大陸においては評価の高い刀だが、ディラク刀はその名の通り剣神フツを奉る島国ディラクの刀鍛冶のみに剣神フツが与えた特殊な鍛錬法で作られる刀で、美しい刀身とその切れ味は大陸の刀では到底及ばないとされている。
 だがそれだけに、その入手は大陸においては困難を極め、今回師が用意してくれたサーベルとて、質を考えればシチリア王国の宮廷騎士団にコネを持つ師だからこそ用意できた破格のものだと言えるだろう。
 剣に魔力付与を行ってくれた魔法の師は師が使える限りの付与の上級魔法、形状保持の魔法や切れ味上昇の魔法それに重量軽減の魔法を掛けてくれた。
 これだけのことをしてスレイに与えられたこの剣は見る物が見ればそれなりの業物だと気付くであろう。
 現にこの五ヶ月間の旅の中でこの剣を狙って襲ってきた盗賊は二桁になる。
 勿論その際には、全てこの剣と魔法で解決してきたが。
 そんな旅を始めてから五ヶ月、ようやく彼は目的地である迷宮都市へと辿り着いたのだ。
 探索者としての登録のため訪れたギルドで、自分の担当をしてくれたのが自分と同じ年頃の闊達な雰囲気の美少女だったのには多少驚いたが、この都市ではそう不思議な事ではないだろう。
 そう、ここは迷宮都市アルデリア。
 どんな者であっても富と名声を手に入れる機会がある、大陸で唯一の誰もが野望ユメを見る場所。
 尤もスレイにとっては富や名声などは興味無く、ただ自分の起こした事への罪悪感と自分が何とかしなければという責任感のために強さを手に入れる、ただそれだけが目的でこの迷宮都市へとやって来たのだが。
「こちらです」
 少女、先ほど名を聞いたところリリア・アルメリアというらしい。
 スレイと同じく平民らしき彼女が姓を持つのはやはりここが迷宮都市で、その職員だからであろうか?
 そのリリアが目的の場所に辿り着いた事を告げる。
 そこはなんの変哲も無い個室であった、ただ中央に光り輝く魔法陣と近くに謎の機械装置が無ければの話だが。
「なるほど、ここがそうか」
「はい、そうです。探索者を志している方ならご存じでしょうが、ここにあるのが探索者となる人の現在の力を計り、肉体を改造した上で探索者としての資格を発行する魔導装置です。あ、余計な所には手を触れないで下さいね?この装置一つで小国位なら軽く買えると言われるぐらい高価なものですから」
「ああ、わかった」
 特に値段などに興味はないが、もとより何をする気もないので適当に頷いて返す。
「それではスレイさん、この魔法陣の中央に立って頂けますでしょうか?」
 言葉に従い、スレイは魔法陣の中央へと立ち、そのまま静止する。
「これからスレイさんの現時点での力量を計らせて頂き多少の肉体改造をさせて頂きます。ご存じとは思いますがそうしなければ探索者としての恩恵、つまり魔物を倒す事により魔物の魂を経験値として取り込み肉体を強化していくLvアップなどのこの迷宮都市で探索者として生き残る為の術を得る事はできません。多少、肉体改造により違和感など感じるかもしれませんが決してそれは貴方に害を与えるものではありませんしすぐに慣れますのでご安心下さい。なお全てが終るまでは指先一本動かす事も声一つ出すこともできませんがそれも魔法陣の効果なので不安になる必要はありません。心の準備はよろしいでしょうか?」
「ああ」
 リリアはスレイの了承の返事を聞いて宣言した。
「それでは始めます」
 そして魔法陣が輝きを増し、事前に聞かされていた通りスレイは全く身動きが取れなくなり、不快な感触が身体を駆け巡る。
自分の全てを視られている感覚と、自分の肉体が弄られている感覚。
 暫く時間が経つと魔法陣の輝きが弱まり肉体の自由が戻ってくる、そして。
「え?何これ!?」
 リリアが何時の間にか一枚のカードを持ち、それを見て驚愕の声を上げている。
 カードは恐らくスレイの探索者カードであろう。
 探索者の能力値を全てデータとして表示する物だと話には聞いていたが自分の能力値に何かあったのだろうか?
 スレイはリリアの背後に立つと、自らのカードと思われる探索者カードを後ろから覗き込んだ。
 カードにはこのような表示がされていた。

Lv:1
年齢:18
筋力:E
体力:D
魔力:D
敏捷:S
器用:A
精神:EX
運勢:G
称号:無し
特性:天才
祝福:無し
職業:無し
装備:鋼鉄のサーベル(+3)、布の服、布のズボン、革の靴
経験値:0 次のLvまで100必要
所持金:0コメル

「どうした、何か問題でもあったのか?」
 何時の間にか後ろからカードを覗き込んでいたスレイに声をかけられ、ビクッと反応したリリアは恐る恐るスレイの方へ振り返った。
 スレイを探るようにじっと見る。
 見た目はやはり黒髪黒瞳の多少整った顔をした、細身だが引き締まった身体のなんてことのないただの10代後半の青年だった。
 いや、その若さにしては少しばかりできる気配を持ってはいるがただそれだけだ、外見上にその特異な能力値を示すような特徴は何もない。
「い、いきなり後ろから声をかけないでよ!驚いたじゃない!」
 実際は後ろから突然声をかけられたからだけではなく、近付いた顔に思わず頬が赤くなり心臓の鼓動が早くなっていたため、ごまかすように大声で怒鳴ってしまう。
「すまなかった、何やら驚いているようなので少々気になったものでな」
 いきなり怒鳴られて少々戸惑ったように見える反応は紛れもなく10代後半の普通の青年のものだ、何らおかしなところなどない。
 そう10代後半の青年、これは問題無い、カードにも18歳と書かれていてまさに見た目通りの年齢だ。
 だがこの青年の能力値はとびっきりに無茶苦茶だった。
 まず能力値のランクというのは最低がGでそれからAまで順番に上がって行き、そしてその上にS、SS、SSS、EXという、より上位のランクの能力値がある。
 更に伝承に残るのみだがEX+などといったより上位のランクがあるなどという眉唾ものの話もあるがこれは今は関係の無い事だ。
 さてそれでは探索者になる為の肉体改造を受けた一般的な人間の大人の能力値、これがオールFというのが一般的な基準だ。
 だというのにスレイは肉体改造をしたばかりでこの能力値、しかも何の神の祝福も受けていないから上昇補正も無しだというのにだ。
 筋力のEは探索者に成り立てとはいえ、鍛え上げられた身体を考えれば別に普通と言っていいだろう。
 体力と魔力のDも探索者になったばかりと考えればかなり高めだが異常と言う程ではない。
 しかしこの敏捷と器用はどうだろう?Aと言えば一流の探索者と比較して何ら遜色は無い、Sに至っては超一流の領域に足を踏み込んでいる。
 さらに精神のEX、こんなものは伝説級と言ってもいいくらいだ。
 精神というのはあくまで戦闘に対しての精神的な適性を表したものに過ぎない。
 だが戦闘において動の極致たる狂化を極めたバーサーカーや、静の極致である明鏡止水を極めた聖職者でもせいぜいSSといったところだろう。
 それなのにこの青年はそんな偏った精神性をしているようには見えない、それが逆に恐ろしい。
 翻って運勢のG、運勢とは迷宮探索などに限られた運の補正で、これが良い人間は良いアイテムを手に入れ易かったり罠にかからなかったりする。
 逆に運勢が悪い人間は強力なモンスターとエンカウントする確率が上がる、Gなど今まで存在していなかったが、こんな運勢なら邪神とさえエンカウントしても不思議ではないと思えるくらいだ。
 称号が無いのは普通の事で、探索者になったばかりなのだから称号を手に入れる条件を満たしているわけが無いので問題無い。
 そして特性の天才、これが一番の問題である。
 見た事も聞いた事も無い特性だ、歴史上天才と呼ばれた者は数多くいれど実際にそれを特性として持っていた者など存在した記録すら探索者ギルドにさえ一つも無い。
 そもそも特性自体が最初から持つ者は少なく、探索者として過ごす内にLvアップやクラスアップ、他何らかの条件を満たし、何時の間にか手に入れているような物なのだ。
 祝福が無いという事はどの神からも祝福を受けていない、つまりどの神殿にも属していないという事だろう。
 通常探索者になろうとする者は神の祝福を受ける為どこかの神殿に属するものだ、なぜなら多少の寄付を定期的に行うだけで祝福を受けられ、能力値に補正がかかり、探索者としては得こそすれど何も損をする事は無いからだ。
 職業が無しというのは探索者になったばかりなので当然だ。
 職業は探索者になってLvが上がった後にクラスアップする物で、初級職として最もなりやすい剣士(剣術に高い補正がかかる)や闘士(格闘術に高い補正がかかる)でもLv5になる必要があるから、探索者になったばかりの青年に職業があるはずがない。
 補足するならば初級職としては他に必要Lv10の戦士(全ての武器術・格闘術にそれなりの補正がかかる)、魔術師(全ての魔法に高い補正がかかる)、そして必要Lv15の騎士(全ての武器術・格闘術・魔法にそれなりの補正がかかる)があり、一度初級職を決めるとなれる中級職と最上級職は完全に決まってしまう。

・剣士→剣鬼→剣聖
・闘士→魔闘士→聖闘士
・戦士→戦魔→聖戦士
・魔術師→魔導師→魔賢師
・騎士→聖騎士→神騎士

といった具合にだ。
 最上級職に関しては、クラスアップ時何らかの条件を満たせば隠された別の最上級職になれるという噂があるが、隠された最上級職になったなどと言われる者はSS級相当探索者や称号:勇者といった探索者としても最高峰の存在ぐらいで、リリアにとっては雲の上の存在なので本当の所は分からない。
 他には生まれつきの職業が勇者という者もいて、かつて邪神を封印するための能力を神々に与えられ創られた存在の転生で、皆クロスメリア王国で生まれ生まれると同時に王国より一代大公位などの特権が与えられる。
 昔からクロスメリア王国は称号:勇者と職業:勇者を特権を与え囲い込み独占し、それ故に小国でありながらも大国と同等の発言力を保持していた。
 話が一部脇に逸れながらも、これらの事をリリアは闊達な彼女らしくすさまじい早口と勢いでスレイにまくし立てたのだが、スレイの返事は落ち着いたものだった。
「それで俺の強さは、現時点ではどのくらいなんだ?」
 あまりにも静かで落ち着いたスレイの態度に冷や水を浴びせられたように、リリアも落ち着きを取り戻す。
「そう……ね、この能力値を見る限りアンバランスだけど中級クラスの探索者くらいの能力と言って良いんじゃないかしら?」
 リリアは少々考え込みながらも続ける。
「武器も魔力付与が+3されたシチリア製のサーベルという事だし、この都市の中では大した価値のあるものではないけど、少なくとも初心者探索者の装備とは言えないわね」
 最後にリリアは忠告する。
「ただ迷宮探索というのは能力値だけでどうにかなるものじゃないからね、過去に他国で騎士を務めていた者が探索者となって僅か1日で命を落とした例もあるから、決して過信はしない方がいいわよ」
 何時の間にかリリアの口調は崩れているが、気にせず一呼吸置いて続ける。
「まずは初心者用の迷宮で探索に慣れるべきね。それと今はどの神殿の祝福も受けていないようだけど、祝福を受ける事を薦めるわ。多少の寄付で迷宮探索の安全度が上がるんだから、やらない手は無いと思うわよ?」
 リリアの助言にスレイは一度目を閉じ再度開くとリリアの目を見つめた。
 リリアはその深い黒色に飲まれそうになり、また頬を熱くしながらも何とか平静を装う。
「色々と教えてくれて助かった、感謝する。だが悪いが俺は無神主義者なのでな、祝福を受けるのは止めておく」
 そしてスレイの探索者登録は終わった。
 そのまま拠点となる宿を決め、軽く装備を整える為にスレイは立ち去ろうとする。
 リリアは思わずそんなスレイに声をかけていた。
「本当に無茶はしないようにね!それと今度来た時も私を担当に指名してね!色々とアドバイスしてあげるから!」
 スレイはわかったというように頷き、そのままギルドを立ち去った。

 彼の訪れは突然だった。
 腰ほどまである明るめの茶色い髪をカールさせ、同じく明るめの茶色い瞳の今年で28歳になる妖艶な美女、宿屋“止まり木”の女主人フレイヤはその日も普通に仕事をしていた。
 目の下には泣きぼくろがあり、瑞々しい唇の輝きは色香さえ漂っている。
 ただ、彼女を見た目だけで判断するのは危険である。
 なにせ結婚前はS級相当探索者だった程の凄腕で、結婚して探索を行わなくなり長年経った今でもその腕は錆付いてはいない。
 夫を亡くし女一人で切り盛りする宿ということで不埒な事を考える輩もいたが、そのような輩は皆手痛いしっぺ返しを受けている。
 その美貌で客を沢山呼び込みながらも決して指一つ自らには触れさせない、ある意味誘蛾灯のような女性である。
 そんな彼女がいつも通り宿のカウンターにいるところに黒髪黒瞳のその青年はやって来た。
 服装や醸し出す雰囲気から、探索者になる為にこの迷宮都市に来たのだろうと当たりを付ける。
 いくら年若くとも、富や名声を求め成り上がる為にこの迷宮都市にやってくるものはいくらでもいるのだから。
 かつてのフレイヤ自身もS級相当探索者として名を馳せながら、更なる富や名声を求めた時期もあった。
 しかしこの宿屋の主人であった夫と出会い、その優しさと心の強さに絆され結婚し探索者を引退して、その後は娘が幼い時分に流行病で死んだ夫の代わりにこの宿屋の主人となり一人でこの宿屋を経営してきた。
 そのような身の上だからか、迷宮都市の外からやって来た青年が探索者となることには厳しい判断と優しい心配の籠った視線を向けてしまう。
 迷宮都市の中で探索者になるための教育を受けたならともかく、そうでなければ青年のような若さでいきなり探索者となるのはかなりの無謀と言わざるを得ない。
 実際外から探索者になる為にこの迷宮都市へやってきた者の死亡率は、迷宮都市の教育機関で探索者になる為の教育を受けた者に比べると、かなり高いと言わざるを得ない。
 尤も都市の外からやって来た者でも元々どこかの国の騎士だったりと始めから高い戦闘技能を持っていたり、迷宮都市内にある各神殿で行っている探索者になる為の速成教育を受けたりといった例外もあるので、一概には言えないが。
 いくら何者であっても富と名声を手に入れられると言っても実質は命をチップにしたギャンブルである、生き残らなければ何も手にする事はできないのだ。
 ただその青年は例外の一人らしく、纏っている気配は少なくともその年頃の青年が纏うようなものではなく、身体も鍛え上げられ、瞳の奥にはどこまでも深い静かな力強さが宿っている。
 何もかもを吸い込みそうな瞳の深さにフレイヤはわずかばかりの興味を引かれる、だからこそ宿の帳簿に名前を記してもらいとりあえずの10日分の宿泊費を受け取ったフレイヤは、客に対し普段はしないような問いかけを青年にしたのだろう。
「スレイさん、ですね?やはり貴方もこの都市へは探索者になりに来たのですか?」
「ああ、先ほど登録を終わらせてきたところだ」
 ああやはりと思いながらも、フレイヤは自らの常ならぬ言動に僅かに疑問を覚える。
 その時だった、今年で6歳になったフレイヤの娘である母親譲りの茶髪と亡くなった父親譲りの碧眼の少女サリアが、宿の入り口から勢いよく入って来るとまっすぐに宿のカウンターへと走り寄ってくる。
「ママーっ!」
 サリアは、その勢いのままにスレイにぶつかった。
「きゃっ!」
「こらっ、サリア!宿の中で走っちゃいけないっていつも注意してるでしょうっ!ごめんなさいねスレイさん、この子は私の娘でサリアというのですが、いつも落ち着きが無くてこのような迷惑をかけてしまって」
「いや、かまわない」
 スレイは特に気にした様子もなくしゃがみこむと、サリアに目線を合わせ語りかけた。
「サリアだったね?怪我はしなかったかな?大丈夫ならいいんだけど。お母さんの言うとおり宿の中を駆け回るのはあまり感心しないかな?もしかすると恐いお兄さんやおじさんにぶつかってしまうかもしれないから、気をつけたほうがいい」
「パパーッ!!」
 突然だった、スレイをじっと見ていたサリアが爆弾発言と共にスレイに抱きつく。
 カウンター近くの食堂に散在していた客が驚いたようにスレイ達を見るが、スレイとサリアの年齢差からありえない事だと判断し、半分くらいの客は先ほどまでの状態に戻っていく。
 残り半分ほどのフレイヤに気のある男の客達は気になってスレイ達の様子を伺っている。
 そしてフレイヤは、ある事に気付き動きを止め硬直する。
 似ているのだ、スレイが在りし日の主人に。
 年齢の違いと鍛え上げられた身体を持つ探索者という先入観に先ほどまでは気付かなかったが、スレイの顔立ちや雰囲気は彼女の亡くなった主人に本当にそっくりだった。
 スレイは抱きついてきたサリアを優しく抱き返し、撫でてやりながらも訂正をする。
「サリア、すまないが俺は君の父親ではないよ?ほらこんな若さじゃあせいぜい兄と言ったところだろう?」
「お兄ちゃん?」
 きょとんとスレイを見つめるサリア。
 フレイヤは我に返ると慌ててサリアに注意をした。
「こらっ、サリア。お客様に迷惑をかけてはダメでしょう?早く離れなさい。スレイさん本当にすいません」
「いや、かまわない。そんな迷惑だとは思っていない」
 優しく返すスレイに、サリアは嬉しそうにますます強くスレイに抱きつく。
「スレイお兄ちゃん!!あのね、サリアと遊ぼう?」
「ああ、かまわないよ。ちょっと後で用事があるからそれほど長くは遊べないけどね」
 スレイはフレイヤを見る。
「名前を聞いても構わないだろうか?」
「フレイヤです」
「それでは、フレイヤ。サリアを少し借りさせてもらう。部屋の番号などは後で聞かせてくれ」
 そういうとスレイはサリアを抱き上げて喜ばせながら外へと歩いていった。
 フレイヤは久しぶりに感じた、懐かしさの様な恋しさの様な胸の高鳴りを抑えきれず、暫しカウンターに立ち尽くしていた。

【始まりの迷宮】地下10階(最下層)“試練の間”
「キィーッ!?」
 魔物の悲鳴と斬撃音が響き渡る。
 スレイは探索者登録から2日目にして、初心者用の迷宮の探索者にとって最初の関門と呼ばれる最下層まで潜っていた。
 ちなみに1日目は拠点となる宿屋を見つけその宿屋の女主人の娘と暫く遊び、その後は軽く装備を整えるので終わった、その時に路銀は尽きて今現在は一文無しだ。
 初心者用の迷宮というだけあって、舗装された通路に、整えられた石壁や天井、光源も不明だが何故か明るい迷宮内、出てくるのは浅い階層ではG級かF級のモンスターで、深い階層でもE級のモンスターまでであった。
 その為スレイはあっさりと全てのモンスターを倒して行き、尋常ではないスピードで最下層までやってきた。
 実際に迷宮に潜るのは始めてのこの日で、スレイは初心者用の迷宮とは言え最下層まで降りて来てしまったのだ。
 そして今、高速で動き回る小柄で色も黒く捉えづらい蝙蝠型の魔物の集団、20匹近くいたそれらの最後の一匹を斬り裂き全滅させたところだ。
「ふぅー」
 傷一つ無い風体ながら、軽く汗を拭いてスレイは息を整えていた。
 無論スレイとてギルドでのリリアの忠告を忘れた訳ではない。
 しかし彼は罪悪感と責任感のために、一刻も早く誰よりも何者よりも強くなる、その目的に突き動かされていた。
 なので、自分の命が危険にさらされるギリギリまで迷宮に挑むのを止める事はできそうになかった。
 そして今のところ、彼の命が危険と感じられるような状況は一度も無かった。
 スレイ自身のその類稀な才能故に。
 彼は蝙蝠型の魔物達から、金銭へと交換できる部位、牙を抜き取ると腰の道具袋へと収めていく。
 そろそろ袋の容量は限界に近づいていた為、もし入りきらなくなったら上層階の魔物から入手した換金部位を捨てる事も考えていた。
 胸ポケットから探索者カードを取り出し内容を確かめてみる。
 変化しているのは経験値欄の数字が増えてLvが5になっているのと特性に闘気術と魔力操作が増えたくらいだ。
 探索の途中から劇的に進行スピードが上がったのはこの闘気術と魔力操作があったからだろう。
 闘気や魔力を用いて身体能力を強化でき、武器や防具の性能も強化できるこの特性は非常に便利だった。
 闘気術とは身体や武器の内部を闘気で強化し、直接的に様々な能力を強化する技術だ、衝撃波による遠距離攻撃など体外に干渉してるように見える物もあるが、それはただ単に音速の壁を突破するなどして生み出した衝撃波で遠距離攻撃をしているに過ぎない。
 逆に魔力操作とは身体の外に魔力で干渉し、空気抵抗や重力など様々な制限を殺し、それにより間接的に様々な能力を強化する技術である、魔力操作による遠距離攻撃は魔力そのものを飛ばして攻撃する体外に実際に干渉している放出系の攻撃である。
 基本的に闘気術は体内に魔力は体外に干渉する事で自分自身や武具を強化する技術だと覚えておけば間違いはない。
 なので、特に両方を同時に併用した場合の効果は急激なもので、最初は自分自身の肉体の制御に苦労したほどだ。
 速度一つとっても、闘気により自らの身体を音速を突破できるほどの速度まで引き上げ、魔力により空気抵抗や重力など外敵阻害要因を殺し、容易く超音速、雷速の領域までさえ突入できた。
 おかげで何度も壁にぶつかったりなどもしたので、闘気術で強化され魔力操作で保護された身体でなければ潰れて死んでいたかも知れない。
 こんな便利な能力は手に入りながら、流石に初心者用の迷宮で能力値が増える程の経験値は得られないらしい、とスレイは苦笑していた。
 それはただ単にスレイの能力値がもともと飛び抜けていた故起こった事だったが、スレイはその事実には気付かない。
 なによりも闘気術と魔力操作、それを両方扱えることがどれほど稀有なことかもスレイは知らない。
 通常はその人間の適性に合ったどちらかの特性しか身に付けれない物なのだ。
 スレイはただ、早くこの迷宮ぐらいはクリアしてしまわないと、と思う。
 そしてLv5になっているのでこの迷宮をクリアしたら剣士にクラスアップしようと考えていた。
 これは特に職業に拘りは無いための選択である。
 ただし流石に剣士と闘士では剣の扱いこそがスレイにとっての本分なので、剣士の方が良かろうとその程度の判断であった。
 ちなみに、カードに表示される能力値の内自分を証明する名前・年齢・Lv・職業は誰にでも見えるが、その他の部分は持ち主が相手に見せようと思わなければ相手に見えないようにしておくこともできる。
 探索者の命とも言える能力値を示すカードだ、その程度の情報秘匿度は流石に備わっていた。
 スレイは自分の剣を見て僅かに苦笑する。
 今の彼の装備は剣は師達から与えられたまま、防具としては布よりは多少丈夫な革のジャケットとズボンに変えた程度である。
 だが布の服や革の服と言っても、ただの日常生活の普段着ならば装備欄に表示される事は無い、スレイの最初に着ていた布の服も今着ている革の服も、ある程度装備としての効果を発揮するよう特殊な製法で作られた物である。
 スレイの剣技はひたすら動きの速さが身上なので、鎧や盾などには初めから手を出す気はなかった。
 しかし、故郷からの旅の中で数多くの盗賊や野生のモンスターを刃こぼれ一つおこさず屠ってきた剣は、この迷宮でのE級モンスターとの戦いでかなりの刃こぼれが起こっている。
 これには野生の魔物とは違う迷宮の魔物の質というものを感じずにはいられなかった。
 「これは剣を変えねばならないか」
 流石に師達からの選別を手放すのには躊躇があるが、使えない武器に拘るのは意味が無い。
 今日中にこの迷宮をクリアして明日はクラスアップと新しい剣の調達に使おうと決意する。
 そしてこの地下10階の更に奥を目指して進んで行く事にした。
 この階層が“試練の間”と呼ばれるのには理由がある。
 初心者用の迷宮の最下層でようやく始めてのボス級モンスターと遭遇するのだ。
 しかもこの迷宮に限らずボス級モンスターは何度倒しても1日経つと復活するらしい。
 中級までの迷宮では召喚の魔法陣で同種のモンスターの別の個体を召喚して、上級以上の迷宮では単独しか存在しない個体ばかりなので強引に神々の創ったシステムで魂の力を回復させ生き返らせて、というシステムの違いはあるらしいが。
 それらも神々が創造し遺した迷宮の力という話だが、どうやら神々はかなり悪趣味なところがあるらしいとスレイは苦笑をこぼした。


面白いと思ってもらえたらどうぞ宜しくお願いします。



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