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2008-10-30 不確実性の時代

サブプライム以後の、企業の2つの志向

| サブプライム以後の、企業の2つの志向を含むブックマーク

1929年の教訓を得たくて、図書館で再読しました。

巨大法人企業は、それが発展するにつれて、所有者から、また資本家から権力を奪う。めったに言われないことであるが、現代の法人企業の最も根深い趨勢は、それ自体を社会主義化するという点にある。(中略)これらの会社はすべて政府によって救済されたか援助を受けた。現代の社会主義は、政治家や大学教授たちのなす業ではない。それは会社幹部や、彼らが資金を借りている人々の所業である。彼らこそが、イニシアティブをとって行動できる人物なのであって、彼らは、破産が不可避と思われるような日に、ワシントンまたはホワイト・ホールに現れて、政府による介入を要請する。(※太線部はMarnier)


ガルブレイス 「不確実性の時代」

ふーん。*1

ある程度大きくなった企業は、次のどちらかの道を選ぶと思うんです。

  1. 政府へのはたらきかけ、いかに公共投資や規制を駆使し利潤をあげるかを考える企業
  2. 投資家へはたらきかけ、いかに資本を呼び集めて利潤を上げるかを考える企業

どちらが有利かは、時代によって違いますね。*2

1.政府を向いていたほうが有利な時代

アメリカでは軍産複合企業あるいはデトロイトのような産業都市を支配した企業です。日本でも、経団連の方々は完全にこっちの人間ですし、自民党もこっちの時代にマッチした政党です。

  • 企業は雇用の確保と所得の向上において大きな役割を果たします
  • 政府は公共投資と規制で国内企業を保護します

win-winの関係ですね。あと、ガルブレイスが指摘したように、こういう企業は社会主義的に振る舞うんだと思います。

2.投資家を向いていたほうが有利な時代〜1980年代からサブプライムショックまで

1980年代からサブプライムショックまでは、ダントツ2.有利になります。カネ余り*3ですもん。グローバル化ですもん。

従来企業(1.政府の方向を向いた企業)の多くは没落するか、相対的に地位を落としていきました。代わりに台頭してきたのが、Microsoftに代表されるソフトウェア産業と、複雑な金融工学を得て生まれ変わった投資銀行が駆使するストラクチャード・ボンドやヘッジファンドから資本を注入された企業群でした。

さらに、次のような変化が起きました。

  • 労働者が徹底的にアウトソーシングされるかソフトウェアに置き換えられました
  • 後進国と張り合えないため、先進国においては規模の重要性は薄れました

経営の目標および国家戦略が、いかに世界中からの資本をひきつけるかにシフトした結果です。

サブプライム以降

国内に雇用や生産設備を多く抱えていることは、グローバル時代には弱みでしたが、政府にイニシアティブをとって働きかける場合は価値が逆転します。1.に先祖返りするのか、2.の時代が続くのか、Marnierはwktkしながら見守っています。*4

*1:ガルブレイスがこの本を書き上げた頃と大きく違うのは、現在はファンド資本主義である(または、あった)ということです。個人が株式を直接購入するのではなく、ファンドを通じて間接的に資本を提供する。また、ファンドは株主利益を代表する存在として大きな力を持つ。つまり70年代後半から今回の危機までの三十余年は資本家の復権がなされた時代であると、Marnierは考えました。

*2:あと、業種によっても違いますね。今回の話は一般論ということで。

*3:戦後の急激な世界経済の成長で蓄えられた、膨大な個人資産や年金、オイルマネーが世界中を駆け巡った結果です

*4:世界を駆け巡るマネー vs 国民国家の力、って感じがMarnierの視点です

2008-10-29 変えられるもの変わらないもの

電波撒き散らしたい気分

電波撒き散らしたい気分を含むブックマーク

Sci-Fiもんを読んでいると、電波撒き散らしたい気分になる。


ある世界では、人間は労働しなくて良くなっている。

それは機械の仕事で、人間は、もっと人間的なこと...芸術、音楽、哲学に没頭する。

...現実はどうよ?

一体、どれだけの労働力をマシン/ソフトウェアに置き換えれば、芸術に没頭できるの?


また、とある世界では、人間は遺伝子を改変し、また機械の体を手に入れている。

寿命は数百年単位に延び、病気や老いはない。

...現実はどうよ?

線虫やハエの寿命を延ばすのがせいぜい?醜く老いることに怯える人間が莫大な金を美容と健康に費やしている。克服しても克服しても次々に難病奇病が現れる。


どっかで聞いたな。

「我々は、スーツを着、ブリーフケースを抱えた洞穴の原始人にすぎない」

人間そのものが変わらない以上、テクノロジーがどんなに発達しようが、社会が抱えている問題の解決には一切寄与しない。

「自分の研究で社会を良くしよう」なんて考えている人は、きっと失望する。

科学が進歩しても、うちらが全員ソクラテスになれるわけじゃない。

選択の幅が広がった気がするだけ。


だからこそ、「ライフハック」をしたくてしょうがないのよ。人類の脳を次のステージへ進歩させるためにいぢり散らかしてやりたい。せっかくの遺伝子組み換え技術を、「新薬」「食料」?失笑


SF読むと頭がアホになる。寝よ。

啓示空間 (ハヤカワ文庫SF)

啓示空間 (ハヤカワ文庫SF)

量子真空 (ハヤカワ文庫SF)

量子真空 (ハヤカワ文庫SF)

3冊揃えばタウンページにも勝てる。お前は京極夏彦か!

サソリとカエル

サソリとカエルを含むブックマーク

Personality 仮面(persona)、社会に応じて付け替えが効くもの

Character 刻印、一生消せないもの

f:id:Marnier:20081029072803j:image:w180,h148:right

川のほとりにサソリとカエルがたたずんでいました。

サソリは川を渡りたいのだけれど、泳ぐことができません。

「ボクを載せて向こう岸まで渡ってもらえないだろうか?」

「嫌だよ。キミはボクの事を刺して殺そうとするのだろう」

「ボクが沈んでしまうじゃないか、そんなことはしない」

「それもそうだね」

川の途中まで渡ったとき、カエルは背中に痛みを感じ、もがきながら叫びました。

「どうして刺したんだ!」

サソリは言いました。

「仕方なかったんだ、これがボクの性なんだ」

人を見るときはpersonality ではなくcharacterを見ようね、というお話。

人間って、時々、このサソリくらい不合理になるよね。

2008-10-28 千里の道も一歩から

都市部の人は「よく歩き、肥満も少ない」 食育白書

都市部の人は「よく歩き、肥満も少ない」 食育白書を含むブックマーク

素敵な記事が飛び込んできましたよ。

都市部の人は「よく歩き、肥満も少ない」 食育白書

 都市部の人は、よく歩き、肥満の割合が低く、地方は肥満の人が目立つ――。こんな傾向が、政府が28日に閣議決定した08年版食育白書で分かった。1日の歩行数を都道府県別で見ると、2千歩以上の開きがあった。

元となった平成20年版食育白書はこちら

さっそく検証してみるよ

なぜ歩数?*1消費カロリーを求めるの時は運動時間を使うのが普通です。元の白書をどこまで鵜呑みにして良いのか分かりませんが、とりあえず歩数が違うとどうなるのか考えてみます。

18歳-49歳で体重65kgの成人男子は1時間あたり63kcal消費します。*2この数字をこちらのサイトの計算と合わせると、成人男子が一時間歩行した時に基礎代謝に加えて143kcal消費すると言う事ができます。*3この男子の身長が165cmと仮定すると歩幅は80cmくらい。普通歩行の時速は4km/時ですから、一時間に5000歩の歩行をするとします。

最も歩く神奈川県(8371.5歩/日)と歩かない高知県(6173.1歩/日)では、年間に80万2420歩の違いが出てきます。

これは160時間*4すなわち2万2050kcalの違いとなります。脂肪になおすと3.3kg分に相当します。*5すげー!!カップヌードルだと63杯です。シーフードヌードルはヘルシーなので65杯分です。

よく読むと

平成20年版食育白書の中で、肥満度マップがありました。東京都、神奈川県、岐阜県、静岡県、大阪府には肥満が少ないらしいです。岐阜と静岡に関しては歩数以外の要因もありそう。この白書から何かを解釈しようとしても突っ込みどころが多い結論しか出てこない気がします。

そもそも、肥満と食生活についてのデータが少ないあたり、食育白書の名を冠した政治的ペーパーと言えるのではないのでしょうかね...コメ農家マンセーの。*6


日清食品 カップヌードル シーフード20食ネットで買う人いねーだろ

*1:どう測ったのよ

*2:厚生労働省:日本人の食事摂取基準(2005年版)を元にしたWikipediaの記事を出典とします。大学生のレポートばりの手抜きですw

*3:METから求めるような厳密な話ではないので、今回は手抜き。しかし、このサイト、なぜかFirefox3.0で上手く動かなかった

*4:神奈川の方が早歩きなんだよ!と言われると計算がまた違ってくるのですが、試算したところ、ぶっちゃけ大差ない結果が出たので放置です

*5:脂肪1gを7kcalで計算

*6:そう言われたくなかったら白米食と肥満の相関を示すです

2008-10-27

命のレース

| 命のレースを含むブックマーク

21の頃だったかな、Marnierはがん宣告を受けたことがあります。再検査で間違いだったことが判明するまでの一週間。

...充実してました。おかしなことに。人間、自分が死ぬのだと思うと、やりたいことハッキリして、バリバリエネルギーが沸いてきます。

死を想え

昔の人も言っています。

死を想え(Memento mori*1」そして「今を楽しめ(carpe diem

今は飲むときだ、今は気ままに踊るときだ。(Nunc est bibendum, nunc pede libero pulsanda tellus.*2

同時に深い絶望も感じるわけです。どちらが勝つかはその人次第。てか、それこそが人生。

だから、こういうのは人の役に立つのか害になるのか。

さあ男性1000人が成人になりました

各年代ごとに生存率というものが存在します。*390代に突入したおじいちゃんが後10年生き延びる確率は下記によると19.2%です。この数字を累積することで成人式を迎えた1000人のメンバーがどう減っていくのかも出してみます。

20代での生存率は99.5%。生き残ったメンバーは995人

30代での生存率は99.2%。メンバーは986人に減っています。ここで亡くなるなんてあんまりだ。

40代での生存率は98.2%。メンバーは969人に減っています。

50代での生存率は95.5%。メンバーは925人。ちょっと気になってきますね。

60代での生存率は90.6%。メンバーは838人。そろそろ死が身近になってきます。

70代での生存率は79.0%。メンバーは662人、半分を割るのもすぐです。

80代での生存率は54.3%。メンバーは360人と激減してしまいました。

90代での生存率は19.2%。メンバーはなんと69人しかいなくなってしまいました。

100代での生存率は2.6%。1000人だったメンバーは最後の1人がぽつねんと生きてます。

ただーし、このデータは1904年生まれの人たちのものです(戦死を除外)。今の人たちのデータは、後80年は経たないと出てきませんよ。

目安です。目安。食生活の変化とかで、実際にもっと長生きするかもだし、案外早死にしたりするかもしれないけれど、推定の域をでません。

ちなみに女性の各年代生存率と1000人の推移はこちら

20代 99.8% 998人 30代 99.6% 993人 40代 99.1% 985人 50代 98.0% 964人

60代 96.0% 926人 70代 90.5% 838人 80代 72.4% 607人 90代 32.0% 194人

100代 3.2% 6人

強いですねぇ。(しみじみ...)110歳まで生き抜く人が男性の6倍。*4

統計畑の人たちが言う事にゃ

人々がある現象を意識しだすのは、発生率が5%を超えてからみたいです。*5

男性は大体45歳くらいから具体的な死を意識し出すわけです。女性は50代半ばまで自覚しないっぽいです。熟年カップルは頑張ってください。

あと、国民年金で払った分の元がとれる確率も分かってしまいますねw*6


なるほど、なるほど。


*1:ミスチルで知ったんですこの言葉。使ってみたかったんですこの言葉。

*2:Quintus Horatius Flaccus, 65 BC - 8 BCってWikipediaに書いてあったよ

*3:独立行政法人農業者年金基金「予定死亡率」http://www.nounen.go.jp/nenkingaku/19pdf/190404_shibouritsu.pdfより作成

*4:非モテのキミ!110歳まで生き抜けば男女比1:6のハーレムだよw

*5:母平均の95%信頼区間のことでしょうか

*6:成人男性が月1万づつ払い65歳から月7万受給する条件では、8割くらいの人がペイします。てゆーか、全般的に保険が高いか安いかは死亡予定率に基づいて判断するのが正確な気がします。

2008-10-26 最初のエントリ

riverrun pastの由来

riverrun pastの由来を含むブックマーク

riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore... で始まる、James Joyce最後の小説、それが「Finnegans Wake」だ。このフィネガンズ・ウェイクをいつか読破してやろうと思っている。

冒頭のあまりに有名な一節

riverrun, past Eve and Adam's, from swerve of shore to bend of bay, brings us by a commodius vicus of recirculation back to Howth Castle and Environs. 川の流れは、かつてイブとアダムと頃に、岸の歪みから、コモディウス・ヴィクスの循環がわたしたちをホウス城とその周辺にいざなう。

そして文末。

Bussoftlhee, mememormee! Till thous-endsthee. Lps. The keys to. Given! A way a lone a last a loved a long the

文末の"the" が文頭のriverrun にかかる。この小説は円環形なのだ。

フィネガンズ・ウェイクの研究本は何冊も出ている。ただ、日本人が英米文学でこれを扱うのは本当に厳しいと思う。そもそもプロットがあるかどうかも定かではなく、言葉は多重の意味をもち、意識の流れをそのまま文字にしている支離滅裂な箇所がいくつもある。(参考:FWは果たして翻訳可能か - ジョイスのフィネガンズ・ウエイクをなぜ、どう読むか - Yahoo!ブログ

21世紀を向かえ、人類の蓄積した情報量は飛躍的に高まっている。なかでも、「ブログ形式」は気軽さと、日本人の日記好きがあいまって、相当量の活字データがオンラインに保存されている。

初体験を終えた中学生女子の内面、政治や哲学について考察をする青年、自分をコンテンツ化するためにネタを書き連ねるアイドル、小金が欲しいがために繰り返されるコピー、苦しみを分かち合いたくてPCに向かう名も無き人。

もしも、だ。彼らの断片をより集めて、ゆったりとリフィー川に流したら。それが、riverrun。わたし、id:Marnierのフィルタを通してみる世界の断片が、このブログ、riverrun。

川の流れは、かつて。そして今も。