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       1.はじめに 
       2004年の 1 月のLANCET誌に発表された論文は日本の医学会,とくに放射線医学会にとっては大変にショッキングなものであります。この論文に関しては日医放のメーリングリストで,多くの会員間で活発な意見交換がなされたことは会員の皆様は良くご存知のことでしょう。私は日医放会員の一人として,医学物理士でもありますので,その視点から,このトピックスについて意見を記録に残しておきたいと本誌に投稿させて頂きました。会員諸兄のご意見を賜れば幸いです。 
      2.LANCET論文の概要 
       まず,この論文は下記に示すタイトルのものです。 
        著者:A Berrington de Gonzalez, S Darby 
        タイトル:Risk of cancer from diagnostic X-rays : 
             estimates for the UK and 14 other 
             countries 
        雑誌:LANCET 2004 ; 363 : 345-351 
       著者は英国人で,Oxford大学の疫学部門の方です。LANCET誌についてはJCR会員の方には周知の有名な医学雑誌であり,そのインパクトファクターはNew
      England J of Medicineと並んで,最高にランクされているものです。従って,そこに掲載される論文は価値が高いものとして知られています。 
       さて,この論文の内容については多くの方がすでに詳しく述べていますので,簡単に紹介させて頂きます。この論文は診断に用いられているX線の被曝によってどの位の発癌があり得るかを計算したものです。英国をはじめ,世界14カ国の医療被曝を国連科学委員会などの調査データから計算しております。とくに日本は医療被曝が世界的に多い国として以前から知られていましたが,それにともなって誘発発癌率も非常に大きいと結論され,大きな反響を呼びました。読売や朝日の第一面に記事が載せられたことはご承知の通りです。 
       まず,本論文はICRPのLNT(Linear Non-Threshold:閾値なし直線仮説)モデルに基づく放射線発癌リスクの計算で,元のデータは原爆被爆者の癌罹患率を基礎としています。また,医療被曝に関してはモダリティごとの線量と国連科学委員会の検査回数をもとに算出し,各国の医療被曝による発癌の実数を予測しました。それによると日本を除く各国の発癌の増加数は0.5から1.8%で,最も低いのは英国,最も高いのはクロアティアでした。日本は3.2%と突出して高く,しかもこれは近年のCT検査の増加を加えていない数字で,もし,それを考慮すると4.4%にもなるというのが結論です。大きな衝撃を与えました。 
       この論文の内容に関してですが,私の試算ではここで用いられている計算法はLNTモデルによる限り,大きな間違いはない様に思います。このくらいの医療被曝による発癌が起こりえることはこのモデルを用いる限り,否定できないと考えます。 
      3.本論文に対する反論 
       しかし,私の考えでは本論文にはいくつかの問題点が存在することも事実です。それについて述べてみます。 
      (1) 医療被曝における利益リスク分析の必要性 
       医療被曝に関してはそれ以外の公衆被曝や職業被曝と異なる事情があります。それは医療被曝に対してはほかの被曝と異なって,線量限度が設定されていないということです。その理由は被曝を受ける個人が医療によって直接,利益を受けるからです。すなわち,受けるリスクと利益のバランスを考える必要があるわけです。その典型的な例は放射線治療です。放射線治療の線量は非常に多いですが,癌からの救命という利益を考慮すると許されている。すなわち,一概に医療被曝が高いことが問題であるとは言えません。 
       しかし,この論文では利益については言及されていませんので,この発癌リスクが許容されるものか否かについては判断できません。医療被曝の論文としては片手落ちというべきでしょう。医療被曝による利益を定量的に算出することはリスクを求めるよりは難しいですが,これはやらなければなりません。私達は癌検診という限られた領域ではありますが,ラセンCT検査による肺癌検診について,利益とリスクを定量的に分析して,40歳以上の男女における平均余命の延長で表した利益が平均余命の短縮で表した被曝のリスクを上回ることを発表しています。 
      (2) LNTモデルに関する疑問 
       次はより本質的な計算の根拠に対する疑問です。この論文で使っているLNTモデルでは原爆被爆者の高線量,一回被曝のデータを外挿して低線量域の数値を求め,計算しているものです。このモデルは過大評価の可能性が高いことで知られています。勿論,公式にはICRPもLNT仮説を崩していませんが,見直されることが考えられます。 
       世界的にもLNTモデルに疑いを持っている学者は数多くいます。日本でも近藤宗平先生に代表される放射線生物学者の中には少量の放射線はかえって健康によいという「ホルミシス」説をとる方もいる位です。近藤先生の著書「人は放射線になぜ弱いか:第三版;少しの放射線は心配無用」(講談社Blue
      Backs;1998年)は極めて示唆に富む内容を含んでいます。是非,ご覧になってください。 
       また,低線量被曝の健康影響についてはいくつかの研究が行われており,最近,放射線影響協会主催の「低線量放射線の健康影響」という講演会が
      3 月 1 日に開催されましたが,ここでもこの問題に関する最新の研究成果が発表されました。 
       私も個人的にはLNTモデルはリスクを過大に計算していると思っています。従って,この論文の発癌リスクの数値は大きすぎると考えています。 
      4.わが国がとるべき対策 
       しかし,日本の医療被曝が世界的に見ると,突出して多いことは事実として認めなくてはなりません。そのため,我々としても対策を考える必要はあります。そこで,試案としていくつかの提案をさせて頂きます。 
      (1) 日本における医療被曝は減らせないか? 
       まず,私達は無駄と思われる検査をやっているか否かです。最初に調査すべきことは画像検査の医学的適応に関することです。本当に医学的に適応のない検査をやっていないか否かについては検討が必要ですね。日医放のメールリストにおけるコメントでも放射線科医が主治医に頼まれて,本当は適応でないと思われる検査をやっているというお話しが多くありました。日本の放射線科医の立場は弱く,主治医に頼まれると断りきれないということもあるようです。 
       とくにCT検査についてはこの傾向が強いようです。主治医の方は安心のため比較的安易にCTを依頼されるようです。これに関しては専門家の間できちんとした画像診断のガイドラインともいうべきものを早急に作成し,他科の先生方にお示しすべきでしょう。今後の日本医学放射線学会や放射線科専門医会・医会の対応が注目されます。もし,無駄と思われる画像検査があるとすれば,放射線科医からこのガイドラインによって適切な指針が示されるものと確信します。今後,放射線科医がより第一線に出るようになれば,この論文の効果が表れることになります。 
      (2) 医療被曝の最適化の研究 
       この問題は古くから言われているのですが,今も重要な研究課題です。胸部CT検診研究会では健康人の検診という点から,最初から低線量CTの研究に取り組んできました。私達は1990年に世界初の胸部検診CT(LSCT)に関する発表をしたときに,すでにその必要性について言及しています。今後は全てのモダリティ,とくに検診のスクリーニングに使うX線機器については診断可能な最低の線量を目指す最適化の研究が益々,重要になるはずです。この種の研究はどちらかというと地味な研究で,あまり皆さんが喜んでやるものではありませんが,放射線の専門家であるJCR会員はこれを行う義務があります。 
       医学物理士としてはこの領域の研究に積極的に関与したいと考えます。 
      (3) 患者個人としての対応 
       さて,以上のような医療被曝の現状でありますが,もし私が一人の患者として画像検査を受ける場合に,どのように対処すべきでしょうか?勿論,医師の指示に従って,進んで検査を受けることになりますね。今回のことで一般の方がX線診断に無用な恐れをいだくことになるのは大きな間違いだと思います。JCR会員の皆様の患者さんへのインフォームドコンセントや同僚の医師の方への対応は重要なポイントになりますね。 
      5.今後の展望 
       このLANCET論文は日本の医療被曝や画像診断のあり方に一つのショックを与えたものとして評価されます。勿論,この論文の通りにX線診断の被曝によって日本の癌が増えているとは私も思っていませんが,これを機に放射線医学の関係者として,少しでも無駄な検査を減らすために,画像検査の適応に対する研究を進めて頂きたいと期待します。 
       これはむしろ,医療経済や患者さんの信頼獲得のために重要と考えます。このチャンスを生かして,国民の健康福祉向上のためによりよい21世紀の予防画像医学を目指して頑張りたいものです。
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