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[27327] 【習作】Witch of Wish[魔法少女まどか☆マギカ]【独自解釈・独自設定有り】
Name: 月神 朧◆706542a1 ID:5701719e
Date: 2011/07/03 01:30
 崩れ落ちたビル、倒れた電柱と街灯。
 割れてめくれ上がっているアスファルトに、見渡す限りの場所に溜まっている水。
 災害の後のような、崩壊した街の光景の中に二人の少女の姿がある。
 だが、少女のうちの一人は水の溜まった大地に仰向けに倒れ、もう一人はその傍らで膝をついて泣いていた。
 二人とも年齢は十代半ば、胸元に赤いリボンをあしらった淡い色をした揃いの制服を身につけている。
 倒れている少女の黒髪と胸元の赤いリボンが溜まっている水の動きにあわせて揺れているにも関わらず、彼女自身は身動ぎもしない。
 その右手の中には、卵を思わせる金属のフレームと、砕けた宝石。
 手のひらに収まる程度の大きさのそれは、完全な姿であれば非常に美しいものだっただろう。しかし、今は砕かれた無残な姿を晒すのみ。
 膝下まで浸かるほどの深さの水の中に倒れているにもかかわらず、全く身動きしないその姿は既に息絶えていることを示している。

「ほむらちゃん……どうして……」

 その傍らで赤みがかった淡い色の髪を短いツインテールにしている少女が嗚咽と共につぶやきを漏らす。
 それは息絶えた少女に対する問いかけ。決して返答があるはずのない質問のはずだった。

「暁美ほむらは自らの願いを遂げたんだ。未練はあったかも知れない、けれど後悔はしていなかったんじゃないかな。あくまでも、推測にしか過ぎないけれど」

 答える者がいないはずの問いに、答える者がいた。
 いつからそこにいたのか、少女からやや離れた位置にある瓦礫のコンクリートの塊の上に『ソレ』は静かに座っている。
 猫に似た白い体躯。だが、身体の大きさに対して尻尾はリスのように大きく、耳の付け根からは人の腕を思わせる毛の房のようなものが生えている。金色の金属の輪のようなものがその半ば辺りについていることが、その印象をより一層強めていた。
 その顔には表情と呼べるものはなく、血を思わせる赤い瞳が可愛らしいとさえ言える姿に反して、どこか不気味な印象を醸し出している。

「キュゥべえ……」

 少女はその存在の名を呼んだ。泣き腫らして赤くなった目が痛々しいが、キュゥべえはそれには何の反応も示さなかった。

「どういう……こと……? ほむらちゃんは、何を願ったの……?」

 かけられた答えの意味を理解しきれなかったのか、少女がキュゥべえに泣きそうな声で問いかける。
 わずかに間を置き、考えをまとめるかのように小さくうつむくような仕草をした後に彼は言葉を続ける。

「僕自身、暁美ほむらの願いが何であるのか、詳しくは知らない。彼女が契約を行ったのは、僕であって僕ではないからね。けれど、暁美ほむらは常に君が──鹿目まどかが魔法少女になることを阻止するべく動いていた。そして、彼女の魔術は時間操作。彼女自身が本来この時間軸の人間ではないことも確認している。強力な能力だから大きな制限を伴うだろうけれど時間遡行も可能だったはずだ。
 これらの情報から導かれるのは──過去の改変。自身が望む結果へとたどり着くためのやり直し」

 キュゥべえから淡々と語られるその内容は、鹿目まどかにとっては想像を絶するものだった。
 その言葉の裏には、望む結果にならない限り何度でもやり直すであろうことを暗に匂わせていることが容易に想像できるからだ。
 それは、どれほどの想いから生まれた能力なのか。理解は出来なくても、想像することは可能だった。

「それじゃ、ほむらちゃんは……」
「そう。彼女は自らの願いを遂げたんだろう。まどかは魔法少女にはならず、ワルプルギスの夜を打倒する。その為のやり直し。それが、おそらく暁美ほむらの願ったこと」

 涙声のまどかの問い掛けに、キュゥべえは変わらず淡々と自らの考えを告げていく。

「じゃあ…… なんでほむらちゃんは……! 自分で……!」

 心のなかの何かが壊れたかのように声を荒げ、最後まで言えぬまままどかはその場で泣き崩れた。
 暁美ほむらは鹿目まどかの目の前で黒く濁った自らのソウルジェムを砕き息絶えた。寂しそうな微笑を浮かべながら、最後に一言「ごめんね」と呟いて。
 小さな波の音と嗚咽だけが響く時間が流れる。その間、キュゥべえは無言のまままどかの姿を見つめていた。

「……仕方が無いよ。あのままだと暁美ほむらは魔女に成るしかなかった。仮にグリーフシードがあってソウルジェムを浄化できたとしても、彼女が魔法少女で在り続ける限り、他の時間軸の過去へと戻ってやり直しを続けることになっていたんじゃないかな」

 その言葉に、まどかは疑問を浮かべた。願いを遂げたのなら、それ以上続ける必要はないはずではないのか、と。
 その疑問に対するキュゥべえの返答は、彼女にとってひどく残酷なものだった。
 先程の推測で話した内容には複数の願いが含まれること。暁美ほむらの魔術が時間に関係するものである以上、高い確率でやり直しこそが彼女の願いであろうこと。そして、やり直しそれ自体が願いであった場合、結果に関係なく延々とやり直しを繰り返すことになるであろうこと。

「だから、彼女は自分のソウルジェムを砕いて死を選んだ。魔女となるか、永遠に繰り返しを続けるか。この二つ以外の選択肢は、それしか無いからね」

 口調を変えることなく、キュゥべえは無慈悲に宣告した。

「そんな……」

 あまりにも救われないその内容に、まどかは再びほむらの亡骸にすがりついて泣き崩れる。
 すすり泣く声と、時折聞こえる小さな波の音。それだけが聞こえる時間が静かに過ぎてゆく。その間、キュゥべえは無言のまま、じっとまどかの姿を見つめていた。

「……ねぇ、キュゥべえ」

 ある程度泣いて落ち着いたのか、身体を起こしながらまどかは唐突にキュゥべえに問いかける。

「なんだい?」

 そんなまどかの様子に動揺することもなく、当たり前のようにキュゥべえは返答した。

「教えて。あなたは以前、こう言ったよね。わたしが魔法少女になれば、宇宙の法則さえもねじ曲げられるって。それは、本当なの?」
「もちろんさ。確かに、いくつかの事情を鑑みて伝えなかった情報があるのは事実だけど、完全な虚偽の情報を提示したことなんて一度もないよ」

 態度を変えることなく、しかし見る者が見れば分かる程度の僅かな喜びと思しきものを垣間見せながらの返答に、まどかは顔を俯かせ、何事かを考えるように自らの手のひらに視線を落とした。

「それじゃ、こういうことは出来るの?」

 瞬きをする程度の沈黙の後、再び彼女は問いかけた。その瞳に、ある覚悟を映しながら。

 
     ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

 小さな水音だけが響く中、まどかとキュゥべぇは一言も言葉を発さぬまま向かい合っていた。
 両者の間には奇妙な緊迫感が張り詰めている。

「それがまどかの偽らざる願いであるのなら、不可能じゃない。けれど……」

 無感動で無表情が常であるキュゥべぇが、珍しく言葉を濁す。
 口調こそ普段と変わることは無いが、困惑しているであろう事が見て取れる。

「わかってる。そこに、わたしはいないんだよね? そうでないと、おかしいもの」

 はっきりと、覚悟を決めた者の口調でまどかは言い切った。
 そこには、恐怖も困惑も感じられない。そうであることを受け入れた、穏やかな表情で苦笑いのようなものを浮かべている。

「ごめんね。ほむらちゃんは、こんなこと望んでないかもしれない。けど、わたしはこのままで終わる事なんてできない。わたしだけが助かっても、意味が無いから。だから……」

 顔に浮かべた穏やかな笑みをそのままに、まどかはほむらの亡骸へと語りかけた。
 そのまま、思い出を語るかのようにいくつかつぶやきをこぼした後、改めてキュゥべえへと向き直る。

「もう、いいのかい?」

 確認をしてくるキュゥべえにまどかは無言のままに頷いて肯定した。
 その視線に迷いはなく、ただまっすぐにキュゥべえを見つめている。

「なら、改めて問わせてもらうよ。鹿目まどか、君はこれまでの事実を知ってなお、その願いに魂を差し出す覚悟があるのかい?」

 表情を変えぬままに、キュゥべえが問いかける。どこか愛らしさのある姿に似合わぬ壮絶な内容だが、今の彼らにとっては最も似合っている言葉でもあった。
 一瞬の間。そして、一度小さく唾を飲み込んでから、まどかは口を開いた。

「わたしは────」



[27327] ouroboros clepsanmia Ⅰ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:2a00f096
Date: 2011/07/03 01:31
 何度、同じ時を繰り返しただろう。
 何度、変わらない結末に唇を噛みしめただろう。
 何度、不甲斐ない自分に絶望しかけただろう。
 回数など、もう覚えていない。挫けそうになる心を叱咤し、交わした約束を支えにして進んできた。
 でも、それもようやく終わる。
 ワルプルギスの夜。多くの人達の絶望を喰らいし、災厄の魔女。
 何度も繰り返し、その度に届かなかった。もう少しで、というところで撤退せざるをえなかった事さえ何度もある。
 それでもなお諦めず、ようやく打倒するという目標にまでたどり着いた。
 正直なところ、勝てたのは奇跡にも等しい。それでも、倒したという事実は揺るがない。
 それは、本当に小さな偶然だった。あらゆる手段を講じても全くと言っていいほど攻撃が通らずに無為に消耗していくだけの中、たまたま迎撃されないままワルプルギスの夜の元までたどり着いていた爆弾が、周囲に破壊を撒き散らす大規模な攻撃の直後に炸裂したのだ。
 最初、その爆弾の効果など無いと期待はしていなかった。だが、それまではどんな攻撃を受けようが何事もなかったかのように行動していたワルプルギスの夜が、ほんの一瞬ではあるが沈黙し動きを止めたのだ。
 その光景を見て浮かんだ仮説に、全てを賭けた。
 即ち、大きな攻撃の直後には僅かながらも隙ができる、ということに。
 どこまで通じるかはわからない。そもそもワルプルギスの夜は、攻撃されていると認識しているかどうかさえ怪しいのだ。
 事実、出現してからの行動は無差別に破壊を撒き散らすだけに過ぎず、狙って攻撃されたと感じたものは一つとして存在しない。
 それでも、攻撃の範囲が広く無差別であるために、防ぐか回避するかに重点を置かなければならず、隙を見つけては散発的に攻撃をすることしか出来なかった。
 そんな、先の見えない中で見つけた小さな足がかり。
 成功する保証などはなく、分の悪い賭けでしかない。それでも、選んでいる余裕も時間もないのだ。そんな中では、どれだけ小さなものであろうと、可能性にすがるしか手段がなかった。
 急がなければ、と焦りが大きくなる。
 何故か理由は不明だが、今現在姿を見せていないキュゥべえ──インキュベーターがいつ現れるかも知れたものではない。
 狡猾な奴の事、何かを企んで姿を隠しているということも十分に考えられた。
 だからこそ、分の悪い賭けであろうとも、僅かな可能性に全力で賭けたのだ。
 ひたすら防御と回避に専念し、小さな隙を見つけては時間停止の魔術を使い、魔力を込めた爆弾を投げつけた後に離脱、自分の魔術を解除する。
 こんな時は、攻撃系の魔術を全く使えない自分が恨めしく思える。
 時間遡行と時間停止に能力リソースの大半を使ってしまい、その二つ以外で使うことが出来るのは時間操作の副産物に近い空間操作と、あまり上手くない魔力強化のみ。
 それ故に、戦闘では致命的に火力不足の自分がワルプルギスの夜と単独で戦うなど、無謀以外の何者でもなかった。
 それでも、小さな可能性の発見が、ささやかな光明を見せてくれた。
 だからこそ、覚悟を決めた。インキュベーターが姿を見せる前に、何としてでもワルプルギスの夜を倒すと。
 そこからは、もはや後のことなど気にかけず、手持ちのありとあらゆる武器、兵器を魔力強化し、時間停止を駆使して全力で攻撃した。
 急速な魔力の消費にソウルジェムが一気に黒く濁って行くが、その事を気にかけている時間はない。
 自分が倒れるか、ワルプルギスの夜が倒れるかのデッドラン。
 以前までであれば確実に負けていただろう。
 だが今回は、僅かとはいえ可能性があった。
 それがなければ、きっと心が折れて絶望してしまっていたのではないかと思う。
 それほどにワルプルギスの夜は強大であり、倒そうとするなら本当に小さな可能性にさえも賭けなければならなかった。
 その賭けに、本当に僅差で勝利をつかむことができたのは、インキュベーターがもたらすようなインスタントの奇跡ではなく、本物の奇跡だったとしか言い様がない。
 何しろ、手許に残されたのは爆弾が一つ。ソウルジェムもほぼ漆黒に染まり、残されていた爆弾を使って倒せなければもはや打つ手は何も無いと諦めかけた時、唐突にワルプルギスの夜が不気味な唸り声とともにその姿を崩し、霧散していったのだ。
 最初何が起きたか理解できずに呆然となり、ワルプルギスの夜の結界が消えて日が差し込んできて初めて我に返った。
 結界の外の街の様子は酷い有様だった。これまでの繰り返しで何度も見たものと同様の崩壊した町並みと溢れたかのように溜まっている水。
 この崩壊した街並みのどこかに、まどかがいるはずだった。
 それほど遠くない場所でワルプルギスの夜との戦いを見ていたはずなのだから。
 だが、自分にはもう時間がない。
 手のひらの上にある卵型の宝石──ソウルジェムの輝きは、ほぼ黒く染まっている。
 あとどれほどの時間保つのか、はっきりとは分からないが、半日も経たないうちに自分は魔女と化すに違いない。時折、意識に靄がかかったかのように混濁して遠のくことがあるのを自覚する。
 まるで、自分の中に別の誰かが入り込んでこようとするかのように。
 グリーフシードが無い今、打てる手は何も無い。
 それでも、まだ倒れるわけにはいかないし、魔女と化すわけにもいかない。やらなければならないことが残っているから。
 重い体を引きずり、時折混濁する意識を叱咤しながらまどかの姿を探す。
 会えないままで終われない。その想いが、身体に力を与えてくれる。

「ほむら……ちゃん……?」

 右手側から聞こえた小さな水音と呼び声に振り向けば、そこには泣きそうな表情で自分を見つめているまどかの姿。
 それを目にした瞬間に、身体から力が抜けた。
 無事であり、インキュベーターとの契約も行っていないまどかの姿を見て気が緩んだのだろう。
 そのせいか、自分の中で急速に何かが崩壊していくのが感じられる。
……もう、本当に時間がない。

「まどか……。もしインキュベーターが……キュゥべえが現れて願いを叶えると言ってきても、決してその話に応じては駄目。あいつは人間を消耗品のようなものとしか認識してない。
 だから、あなたは今のあなたのままでいて。それが、私の守りたかったもの……だから……!」

 倒れそうになった体を支えてくれたまどかに縋りつくように訴えかけた。
 もう、限界が近い。心と身体の奥底から、何かが溢れ出しそうになっている。
 これ以上は、抑えられそうになかった。

「まどか……。 わたし、あなたと友達になれて良かった。できるなら、これからもあなたと一緒に笑ったり悲しんだりしたかったけれど……もう、駄目みたい」

 弱々しい声で告げたその言葉に、まどかは大きく目を見開いた。

「ほむら……ちゃん? 何……言ってる……の?」

 理解できないと言いたげな戸惑いの言葉に胸が痛む。
 ああ、結局悲しませることになってしまった。けれど、自分の身に今起きていることを考えると、もうどうしようもない。
 力のない笑みを浮かべたまま、自身のソウルジェムを手のひらの上に取り出して掲げて見せる。

「…………!」

 まどかが息を飲む音が耳に聞こえてきた。
 この時間軸のまどかはこの状態のソウルジェムを目にしたことはないはずだけれど、今の状態が危険なものであることはわかったらしい。
 もともと澄んだ紫色の輝きを放っていたソウルジェムはほとんど黒く染まってしまっていて、僅かに紫色の輝きを残しているだけだった。
 その、残された魔力を搾り出し指先に纏わせる。

「まどか。……ごめんね」

 震える指先を自身のソウルジェムに当てて力を込める。
 一瞬、その行為を躊躇いそうになるが、自身の死への恐怖よりも、魔女と化してまどかを殺してしまうことへの恐怖のほうが大きかった。
 そして、魔力で強化された指先がソウルジェムを破壊した。
 ソウルジェムがひび割れ崩れ行く中で、意識が急速に遠のいていく。
 最期に見ることができたのは泣きそうな顔のまどかの姿。そして、泣かせてしまったという未練と、完全ではないものの望む結末を迎えることができたという達成感だった。
 ワルプルギスの夜が倒された今、まどかが魔法少女にならなければならない理由など、今はないのだから。
 ここで終わってしまう自分が情けなくも思えるけれど、これ以上はどうしようもないと諦めるしか無い。
 そうして、沈みゆく意識を闇に委ねた。

  ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ 

「…………!!!」

 急速に意識が浮き上がる感覚の中、唐突に目が覚めた。
 飛び込んできた光景は病院の病室。そう、まどかと出会う前まで入院していた病院の、あの病室だ。
 その状況に、理解が追いつかない。
 何故なら、わたしは魔女になることを避けるために自らの手で自身のソウルジェムを砕き、間違いなく死んだはず。
 こうして再び過去に戻って目覚めることなどあり得ないはずなのに。
 そこまで考えて、違和感があることに気がついた。
 ソウルジェムがどこにもない。
 これまで過去で目覚めたときには必ず手の中に握りこんでいた自身のソウルジェムが、どこにも存在していなかった。
 そして、頭の中に生まれたのは「何故?」という疑問。
 今置かれている状況の、何もかもがわからなかった。
 理解するためには、確認して知らなければならないことがいくつもある。
 そうして、わたしは再び踏み出した。
 そこに何が待っているのかも知らないまま。



[27327] Nacht von Hexen Ⅰ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:a4441cbd
Date: 2011/07/03 01:36
 どうして、世の中はこんなにも苦しいことに満ちているのだろう。
 ずっと、ずっと疑問だった。
 ほんのささやかな幸せすら、時には理不尽に奪われてしまう。
 何故なのかわからないし、納得もできない。
 全ての幸せが理不尽に奪われる訳では無いことも分かっているけれど、だからといってそれでいいなんて思いたくはない。
 それなのに、自分に出来ることは何もなかった。
 大きな飢饉が起きて、たくさんの人たちが飢えで死んでいった。戦に駆り出されて戦死した人たちは遺体はおろか、体の一部すら戻ってこなかった。大きな怪我をした人には充分な手当ても出来ず、その人は苦しみながら死んでいった。
 何故、これほどに理不尽に満ちているのだろう。私たちは、静かに、ささやかな幸せを感じて生きていくことが出来ればそれで良かったのに。
 何も出来ない自分に苛立ち、呪っていた。生きていれば、それでいい。そう思うには、周りに悲しみと苦しみが溢れすぎていた。
 そんな晴れない思いを抱いているときだった。『彼』と出会ったのは。
 真っ白な、目立つ姿の動物。それが最初の印象だった。
 村の近くの森に住んでいる動物はたくさん知っているし見たこともあるけれど、『彼』の姿はこれまで一度も見たことのないものだ。
 もの珍しさに惹かれて見ていると、唐突に声が聞こえた。

「……君は、僕の姿が見えるのかい?」

 最初は、ただの空耳だと思った。けれど、それにしてはあまりにもはっきりと聞こえ過ぎた。

「……!?!?」

 理解した瞬間、心のなかに恐怖が満ちる。
 あり得ない。確かに、見た目は可愛らしい小動物かも知れないけれど、今まで一度も見たことのない姿に加え、言葉を喋る動物など魔物としか思えない。
 そうして、その場に留まることに身の危険を感じて逃げ出した。
 どこを通って家まで戻ったのかは覚えていない。ただ、家に着くなり母さんへの挨拶もそこそこに部屋に飛び込み、ベッドの上で頭からシーツをかぶって震えていた。
 身体を投げ出した勢いで板張りの床とベッドが微かに軋みを上げたが、そんなことを気にしている余裕もない。
 なんなのだろう?あれは。
 白い毛並みに大きな尾、猫程度の大きさの姿だけを見れば可愛らしいとも言えるかも知れない。けれど、今まで見たことの無い不自然な姿に加え、血を思わせるような赤い瞳と、瞬き程度でほとんど変化しない表情が、全てを台無しにしている。
 怖かった。得体の知れない、正体不明の存在が。
 表情を動かさずにどうやっているのかは不明だけれど、言葉を話すというだけでも普通では無いのだから。
 その日の夜、私は一睡もできなかった。部屋の暗がりから、あの正体の分からない白い小動物が姿を見せるのではないかという予感がして。
 けれども、再びあの白い小動物の姿を見たのは、三日程経ってからの事だった。
 全力で逃げた事でなかなか見つけられなかったのか、それとも偶然に再び出会っただけなのかは分からないけれど、その日からたびたび付き纏われるようになってしまった。
 慣れというものは怖いもので、最初のうちこそ怖いと感じ警戒していたけれど、何日も繰り返すうちに次第に恐怖感も警戒も抱かなくなってしまったのは自分自身の事ながら呆れるしかない。
 そうして接しているうちに、最初に会ったときの「姿が見えるのか」という問いかけの意味を理解した。
 見えていないのだ。私以外の他の人たちに。
 柵の上や足元など、明らかに人の視界に入る場所にいるにも関わらず、誰もその姿を見咎めることがない。彼自身も、さすがに踏まれたり蹴られたりするのは嫌らしく、私以外の人の足元にはあまり近づきたがらなかった。

「あなたは何が目的なの? なんで私にしかあなたの姿が見えないの?」

 彼が近くにいることが当たり前になりつつあったある日、何気なくそんな質問をこぼしていた。
 再び姿を見せたその日から彼はこれといって具体的な話はせず、日常の些細な話などをするだけであり、その事になにか居心地の悪さを感じたのだ。
 その言葉に、彼は居住まいを正すようにしてこちらを向く。

「……君に力を貸して欲しいんだ。世界を滅びから救うために」

 そうして彼の口から出てきたのは、そんな突拍子も無い内容だった。
 理解が追いつかず、しばらく無言のまま立ち尽くす。その間、かなり間抜けな顔をしていただろうと思う。
 短い時間ではあるけれど、その間他人に会わなかったのは幸運だったのかも知れない。
 それにしても、ずいぶんと現実感のない話だと感じる。成人すらしていないただの村娘でしか無い私に、世界を救うために力を貸してほしいだなんて。そんなものは英雄譚の、物語の中だけのものであるはずなのに。

「この世界には人では及ばない力を使って災いを振り撒く者がいる」
「災いを振り撒く者?」

 不穏なその内容に、私は鸚鵡返しに聞き返した。
 もしもそんな存在がいるのであれば、起きなかった不幸もたくさんあるんじゃないかと思いながら。

「絶望や悪意、呪いから生まれて人々に災いを撒き散らす。それが『魔女』」

 そうして始まった彼の話は、俄には信じられないものだった。
 魔女という存在。そして、彼はその魔女に対抗出来る素質を持つ者を探していて、そうして見つけた素質を持つ者に事情を説明し、彼と契約を行うことで能力を引き出し魔女と戦ってもらうのだという。
 もちろんただではなく、対価としてどんなものであれ願いを一つ叶えているそうだ。

「そうして生まれるのが、人々に希望をもたらし魔女を狩る者。便宜上、白魔女と呼んでいるけどね」

 その言葉に、私はわずかに顔をしかめる。
 当然だ。他人に不幸をもたらす存在が魔女という呼称だというのに、それと敵対して不幸を防ぐ者にも同じく魔女という呼称が入るのは気分が悪い。

「……あまりいい呼称が思いつかなくてね。だから立場の違いで黒か白か区別するような名前になってしまってるけど」

 私の表情の変化に気づいたのか、白い獣は表情こそ全く変化しないものの言い訳をするかのような説明をしてくる。
 その事を責めるつもりはない。気分は良くないけれど、呼び名として割りきって考えれば理解しやすいものであることも事実なのだから。
 未だ怪しいことは間違いないけれど、話している内容は決して悪い事ではない。問題は、それを信用してもいいのかどうかという事。

「なんでも、って言っていたけれど、願い事に制限はないの?」

 ふと浮かんだ疑問を口にしてみる。

「制限はないけど、限界はあるね。願う者の資質の大きさと、願いに対する思いの強さ。それがエントロピーを凌駕するかどうか。それによって決まってくる」

 意味のよく分からない言葉がいくつかあるけれど、やはりそううまくはいかないようだ。

「それと、世界の有り様を歪めるような願いも基本的には叶えられない。それは、神の領域に至ろうという行為に等しいから」

 続けて告げられた言葉に、私は新たな疑問とともに落胆を感じた。
 彼の言葉が正しいのなら、私が思い描いていたものは最初から無理なのかも知れない。そう思いながらも諦めきれずに聞いていた。

「不幸や絶望のない世界、っていうのは不可能なのね……」
「そうだね。不幸や絶望のない世界は滅びと同義だ。幸運と不運は等価値で、共に存在しているから意味がある。天秤を思い浮かべてもらうと分かりやすいかな。不幸や絶望をなくすという行為は、天秤の受皿を片側だけ取り払うようなものだ。その結果は……わかるだろう?」

 その返答に、私はなんとなくだけれど理解した。結局は、私では何も変えることが出来ない、ということなのだろう。
 その事に、私は言葉に出来ない感情が胸の中に生まれていることに気づいた。
 それがなんなのかは自分でも分からない。けれど、今のままでは決して晴れることのない気持ちだということだけは理解していた。

「今はこれ以上話しても仕方がないかな。僕から強制はできないし。時間に、あまり余裕はないかも知れないけど」

 話を切り上げようとするかのように、彼は立ち上がりながらそう言ってくる。
 だが、後半に続けられた言葉に、私はなにか嫌な予感を感じた。
 その事について問うべきかどうか、迷っている間に彼は姿を消してしまっていた。
 それから二日程して、彼の言葉の意味を理解させられる事態に直面することになる。
 始まりは、早朝に畑仕事に行った男たちが帰ってこないことだった。
 家から畑までそれなりに距離があるとはいえ、毎日のように通る道だ。迷うようなところではない。
 明け方に出て行って、普段であれば昼ごろには戻ってくるのだが、それが昼を過ぎても戻ってこないのだ。
 何かがあったのは間違いないのだが、それが何なのかがわからない。
 可能性として森から出てきた、あるいはどこかから迷い込んだ獣に襲われたのではないかと騒ぎになった。
 人が多くいるところに近づいてくることなど滅多にあるわけではないけれど、それがないとは言い切れない。
 そんな中だった。私の前にあの白い小動物が再び姿を見せたのは。

「予想よりも早く、潜んでいた魔女が動き出した。もうすぐ、この村にやってくる」

 以前と変わらない調子で、しかしどこか焦りを含んだかのようにも聞こえる声で告げられた言葉に、私は最初何を言われているのか理解できなかった。
 その言葉を理解するにしたがって、愕然としてしまう。
 私は魔女と遭遇したことがあるわけではないけれど、それが何を意味するものなのかはなんとなく想像できた。

「君だけでも、逃げるんだ」

 表情を強張らせて立ち竦む私に、彼がそう告げた。
 けれど、それをそのまま受け入れることはできない。受け入れてしまえば、村のみんなを、家族を、見捨てて逃げることになってしまう。

「でも……!」
「こんな話を、すんなり信じてもらえると思うかい? 説得する時間なんてないんだ。こんな事になるのなら、最初から魔女が潜んでいることを警告しておくべきだったのかも知れない」

 反論しようとした私の言葉をさえぎるように言われ、私は言葉を続けることができなかった。
 そうだ。こんな突拍子もない話を簡単に信じてもらえるとも思えない。私だって、彼の姿が見えてこうして話すことがなければ絶対に信じないと言えるほど現実感のない話なのだから。
 そのことに思い至り、私はどうするべきかわからなくなった。
 逃げるべきなのかもしれない。そうは思っても、本当にそれを行動に移すのは躊躇してしまう。
 魔女という存在の話を聞いただけでそれが実際にどういう存在なのか、本当の意味では理解できていなかったことが判断を誤らせた。
 どうしようかと考える中、部屋の窓から急に陰りがさしたように感じられる。同時に、外から風の音や木々のざわめきといった音が消えていく。

「な、何……これ……」

 窓の外を見ながら、その異様な雰囲気と光景に呆然とした言葉がこぼれる。
 灰色の空に重苦しい空気、並び立つ木々は踊るように歪んだ幹を持ち黒い葉を茂らせている。
 村の光景が消え、そんな異常な風景が広がっていた。気がつけば私の家もまた消えてしまっている。
 見上げれば、首の長いカラスのようにも見える不気味な鳥や、遠くには頭の大きさのわりに細長い体を持つ灰色の人影など怪しげなモノ達が蠢いていた。

「魔女の結界だ……。僕達も含めて、この村は捕り込まれてしまったんだ」

 こんな状況であるにもかかわらず全く調子の変わることのない彼の言葉に、腹が立つ前に私自身が冷静にさせられた。
 理解の出来ない異常な事態ではあるけれど、感情的になっても何も変わらない。
 魔女の結界。魔女自身が身を隠し、人を襲うために生み出す自らの領域。これに取り込まれた人間は魔女かその手下である使い魔に魂をすすられて死亡し、二度と現世に戻ることは出来ない。抜け殻となった肉体はそのまま結界の中で朽ちるか、場合によっては魔女の手下として操り人形にされてしまうことさえあるという。
 話を聞いているだけでも吐き気を催すようなおぞましい話。それが行われる場が、現実に目の前に広がっている。そして、その対象は私の住む村の村人達。
 近所の気のいいおじさんやおばさん達。時にはケンカもする友人たち。自分の所の畑で取れた作物を交換し合ったり、お互いの生活を支えあうこともある、家族とも呼べる村の仲間達。それが、命の危機に瀕している。
 その事に思い至った瞬間、私は衝動的に白い小動物に向かって願いを口にしていた。

「私は、こんな理不尽な不幸を覆したい。それができる力があるのなら、村のみんなを助けるために使いたい」

 一瞬の沈黙の後、彼から届いたのは肯定の言葉。

「契約は成立だ。君の願いはエントロピーを凌駕した」

 それと同時に胸の真ん中辺りで熱いものが生まれ、それが外に出てこようとしているのが感じられる。
 そのせいなのか短い時間だけれど苦痛を感じ、目を閉じて情けない叫び声をあげてしまった。
 それが治まって目を開けば、目の前には手のひらに収まる程度の大きさの小さな宝石。
 金属の装飾の施されたそれは、深い海のような青い輝きを放っている。
 手にとってみれば、手のひらに感じられるのは石や金属の冷たい感触ではなく、ほんのりとした温もりだった。

「それが、君の願いとともに生み出された、魔力の源たるソウルジェム。さあ、解き放ってごらん。君が手に入れた、その力を」

 言われるがままに、体の内側からあふれてくる力を緊張を解くようにして開放する。
 瞬間、私は光に包まれた。
 それは一瞬の出来事でしかなかったけれど、光が収まったときに私はみすぼらしい村娘の服ではなく、貴族が着ているような青いドレスにも似た服に変わっていた。
 戸惑う私に、白い小動物からの助言が届く。

「それが君の白魔女としての姿なんだね。でも、戸惑っている時間はないんじゃないのかい?」

 その言葉に、私は今の事態を思い出した。
 外にいる魔女とその使い魔を倒して、村の皆を助けないと。
 その想いを胸に、私はどこへともなく駆け出していた。
 異形の夜、とでも言うべき魔女の結界。その中を、根拠のない予感に惹かれて。
 



[27327] ouroboros clepsanmia Ⅱ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:02f5c932
Date: 2011/07/03 01:40
 何故?
 わたしの心の中は、その疑問で埋め尽くされている。
 ワルプルギスの夜との戦いの後、自身が魔女に堕ちることを防ぐために自害し、それで全ては終わりを告げたはずだった。
 それなのに、わたしは再び時を遡りこれまでと同じように退院直前の病院のベッドの上で目を覚ました。
────ソウルジェムを持たない、普通の人間の少女として。
 それだけでも疑問は尽きなかったけれど、考えても答えなど出るはずがないと諦めていた。
 そして、退院。ソウルジェムのない今のわたしには、何かあっても対処するだけの力を保持していない。故に状況に流されるまま、それに従うことしかできなかった。
 いや、本心では怖かったのだ。無力な一般人の少女と成り果ててしまったわたし自身が、自ら動くことが。
 そうして、見滝原中学への編入。そこで再び、晴れることのない疑問が噴出することになってしましまった。
 何度も繰り返した自己紹介の時間。その後の、まどかとの出会いの時。
 けれど……
 偶然目に入った、まどかの左手。その中指には鈍い輝きを放つ銀色の指輪。それはソウルジェムが形を変えたもの。ウィッチグラフで名前の刻まれた、契約の証。
 それを見たときに、わたしは愕然とした。
 内心の動揺を必死に押し隠し、何事もなかったかのなように話を続けながらも、本心では疑問と絶望感でいっぱいだった。
 今、わたしが置かれている状況は、わたしが魔法少女となる以前の状況とそっくりなのだ。違いは、わたしが当時は知っているはずのない知識と経験を持ち得ていること。
 なぜこんな事態になっているのか、理由はまるでわからない。わかるはずもない。
 けれど、わたしはこれを認めたくない。受け入れたくない。
 これでは、いままでわたしがしてきたことは一体なんだったのか。
 何度繰り返しても事態の悪化を防げず、望まない結果にたどり着く。そのなかで不完全ではあるけれどようやく掴みとった結末。
 ワルプルギスの夜を倒し、まどかが魔法少女と化すことを阻止する。
 ようやく届いたはずの、その結末。
 いや、ワルプルギスは倒すことはできても本当の意味で滅ぼすことなど不可能に近い存在かも知れないけれど、少なくとも数十年は再び顕現することはないはずなのに……
 そこまで考えて、ある可能性に思い至った。
 もしも、もしもだ。ワルプルギスの夜とは関係の無い理由でインキュベーターと契約を行い、その結果今の状況があるのだとしたら。
 その考えを、否定することはできなかった。事実、わたしがインキュベーターの目的と魔法少女の実態を知り、その事を告げるまでの彼女は、ワルプルギスとは一切無関係の願いで契約を行っていたのだから。
 その考えに、わたしは全身から力が抜けていくような虚無感を感じていた。
 もしもこの考えが正しいのだとしたら、わたしのしてきたことは本当に何だったのかわからなくなってしまう。
 結局、わたしはまどかの考えを変えることはできなかったのか。それとも、そんなことは関係なく契約に踏み切るだけの何かがあったのか。それとも、わたしがしてきたことは、最初から無意味だったのか……
 恐ろしい考えが次から次へと浮かんでくる。

「どうかしたの?」

 不意に聞こえた疑問の声に、考えに没頭していたわたしは我に返る。
 顔を上げれば、わたしの座っている席の横に、まどかと志筑仁美他、数名のクラスメイトたち。

「あ……」

 とっさには言葉が出てこなかった。それ程に心が重く沈んでいたのだということをこの時になってようやく思い知らされた。

「転校してきたばっかりでわからないことや不安なことがあるのはあたりまえだよ。だから、聞きたいことがあったらなんでも聞いて!」
「今、とても暗い顔をしていましたわね。なにかお手伝いできるなら、言ってくださいまし」

 まどかと志筑仁美の言葉に、周囲のクラスメイトたちも頷いている。
 ああ、やっぱりまどかをはじめとして、このクラスの皆はいい人達が多いようだ。
 けれど今のわたしにとって、まどかの優しい言葉はただ辛いものにしかならなかった。
 何故、わたしは今ここにこうして存在しているのだろう。
 まどかの優しさに触れ、改めてそう思う。
 けれど、その疑問に答えは存在しない。わたしが今ここにいるという事実だけがある。
 こうして生きているのにこんなことを考えるのは不謹慎かもしれないけれど、こんな気持を抱くことになるくらいならあのまま死んでしまいたかった。
 わたしがこれまでしてきたことも、繰り返すたびに起きたいくつもの出来事も、何もかもが否定されたような陰鬱な気分になる。
 身勝手な考えだと、自分でも思う。
 時間を遡り、何度もやり直しを繰り返していた行為そのものが過去の否定なのだから、わたしがこんなことを考えるのは本来なら許されないだろう。
 理屈では納得できても、やはり感情はそうもいかない。
 そのうえ、今のわたしはただの無力な一人の少女に過ぎないし、知っていることを話すこともできない。
 魔法少女でもない今のわたしがソウルジェムやインキュベーターに関することを話したとしても、間違いなく信じてはもらえない。むしろ怪しまれ、疑われることが目に見えている。
 同じ魔法少女という立場にあった時でさえ、その認め難い内容故か信じてはもらえなかったのだ。今のわたしがそんな話を持ち出しては怪しすぎるにも程がある。
 それだけ、インキュベーターが人の心の隙間にうまく取り入っていたということでもあるのだけど……

「ごめんなさい。ちょっと考え事してて……。それと、心配してくれてありがとう」

 出口の見えない思考を強制的に打ち切り、声をかけてくれたクラスメイト達に返答する。
 自分では見えないからはっきりとはわからないけれど、今のわたしはずいぶんとひどい表情をしているらしい。
 その証拠に、志筑仁美に「暗い顔をしている」と言われてしまった。
 それに、今のわたしは気持ちが沈んでいるせいか、性格が引っ込み思案だった頃に戻ってしまっているような気さえする。
 考えれば考える程、気持ちが沈んでしまう。
 だから、今は考えることをやめて、わたしのことを気にかけてくれた皆の気持ちに応えよう。
 魔女のことも、魔法少女のことも、それにインキュベーターやワルプルギスの夜。この時間、この世界でも、それらは大きな問題であることに変わりはない。
 けれど、現状では解決策がないのだから、その事について考えるのは時間を無駄にするだけかも知れない。
 ならば、今は少しでも気分を変えて、心のなかに渦巻く閉塞感を払拭できるように努力しよう。そうすれば、少しは違った考えが浮かぶようになるかも知れないから。

「お昼休みに、学校の中案内するね!その時でいいから、色々お話聞かせてほしいな」

 そう言って笑いかけてくるまどかの笑顔が、とても眩しかった。
 これで、インキュベーターや魔女の問題が存在しないならば、きっととても幸せな時間に感じられただろう。けれど、それは叶わぬ夢でしかない。
 今、私の目の前にいるまどかは、既に魔法少女としての契約を行ってしまっている。そしてその事実は、インキュベーターや魔女が変わらずに存在していることの証でもあるのだから。
 この時間軸で、この世界で、わたしはどうするべきなのだろう。
 結末が同じになるとは言い切れないし、違う結末になるという保証もない。
 これまでの繰り返しの中でさえ、ワルプルギスの夜の現出という大きな結末は変化しなかったにしろ、それまでの過程やそれによる結果など、細かい部分での小さな差異が後々になって大きな影響を及ぼすことが多かった。
 それの極め付けが、わたしがまどかに執着を持ったまま何度も時間遡行を繰り返したことによる因果の収斂。
 ワルプルギスの夜を打倒する事にも執着していたから、そちらにも因果の収斂が起きていた可能性すらある。
 それらの事象と、今わたしが置かれている状況は、過去を否定しやり直しを繰り返したことへの代償なのかもしれない。
 ただ自虐的なだけの考えだと思えれば、どんなに良かっただろうか。
…………いけない。また考えが悪い方へと傾いている。
 どうやら、わたしは自分で考えている以上に精神的にまいってしまっているらしい。
 その事に溜息をつきたくなるけれど、それをすれば悪循環になるだけのように思える。

「いつまでそんな顔してんのよ、転校生! 不安なのはわからなくもないけど、そんなんじゃ楽しくないっしょ?」

 いきなりかけられた声に視線を向ければ、いつの間にか美樹さやかもわたしのところに近づいてきていた。
 言っていることはもっともだと思うし、元気なのも悪いことじゃない。だけど、相変わらず空気が読めないという点は同じらしい。
 まどかをはじめとして、わたしの周りにいたクラスメイト達は全員、苦笑か微妙な表情を浮かべている。
 発破をかけられただけで元気になれるなら、誰も苦労はしないのだけれど、ね。
 そして、まどかの控えめな突っ込みに対してノリノリで突っ込み返す美樹さやか。
 そのまま、わたしの目の前で掛け合いを始める二人。
 半ば呆れてそれを見ていたわたしに、志筑仁美が声をかけてくる。

「ようやく、笑って下さいましたわね。先程までの硬い表情よりも、そうして笑っている方がかわいらしいですわ」

 そう言って、微笑みかけられた。
 その言葉に、わたしは反射的に手を頬にあててしまう。
 自分が笑っている、そのことが意外だった。ずっと繰り返してきたやり直しの中で、そんな気持ちはとうに忘れ去っていると思っていたから。
 わたし、まだ笑えたんだ……
 ずっと忘れていた何かを思い出したような気分だった。

「人と話すことに、あまり慣れていないのでしょう? 最近まで入院していたのであれば、無理もありませんわね。でも、ご心配なさらずとも皆いい人達ばかりですから、もっと肩の力を抜いていただいて大丈夫ですわ」
「……ありがとう」

 志筑仁美の気遣うような言葉に何故か気恥ずかしくなってしまい、やや俯きながら小さな声で礼の言葉を返す。
 こんな気持になったのはいつ以来だろう。何度も繰り返したやり直しのせいかはっきりとは思い出せないけれど、もう何年も心を閉ざしていたような気さえする。
 こんなささやかな幸せさえも、わたしは見えなくなってしまっていたのだろうか。そう思うと自分が今までの繰り返しの中でいかに周りに目を向けなくなっていたのかを痛感する。
 ワルプルギスの夜を倒し、まどかを救う。その事を免罪符に、周りを見ているつもりになっていただけだったのだと思う。
 数日のうちにこの穏やかな時間は終わりを告げると分かっていても、少しでも長くこの時間が続いて欲しいと思わずにはいられない。
 今のこの瞬間こそが、本来わたしが目指したかった幸せに最も近いものだから。
 たとえこの先に残酷な結末が待っているのだとしても、今この時だけはその事を忘れて、このささやかな幸せを胸に刻んでおきたい。
 それが、無力な少女となってしまった今のわたしに出来る小さな努力の一つだと思うから。
 ただの自己満足に過ぎないかも知れない。けれど、いつまでも悩んでいてもなにも変わらないのだからそれでも構わない。
 いずれ魔女とインキュベーターと遭遇することになったとき、この想いがわたしを支えてくれると信じられる。
 だから、もう一度わたしは前に踏み出そう。どんな結末になっても後悔しない、その為に。



[27327] Nacht von Hexen Ⅱ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:709c6e14
Date: 2011/07/03 01:41
 重苦しい空気と、灰色の空。踊り狂うように歪んだ木々。
 そんな異様な光景の中、私はひたすら走っていた。
 あの白い小動物との契約を行ったばかりで力の使い方も戦い方もわからないはずだけれど、ソウルジェムが教えてくれるのか、どうすれば力が使えるのかだけはいつの間にか理解している。
 人が身体を動かす際に全く意識しないように、白魔女にとって魔法を使うという行為はできて当たり前のことなのかも知れない。
 もちろん、ただ使えるというだけで上手く使えるかどうかとは別問題ではあるけれど。
 時折さまよい歩いている使い魔たちは、こちらが近づかない限りは何もしてはこないらしい。もしかしたら他に理由があるのかも知れないけれど、それはわかるはずもない。
 とにかく、相手をする必要がないのであればあえて戦う必要もない。
 そうして、元凶である魔女の姿を探して走る私の前に、フラリと姿を表したものがいた。
 カボチャのような頭に、木の棒を組んで作ったかのような身体。眼や口といった部分はまるでナイフを使ってくり抜いたかのように見える。
 どこか虚ろな雰囲気を漂わせる、出来損ないのカカシのような使い魔が三体ほど、私の進む先に佇んでいた。
 どこを見ているのかもわからず、ただぼんやりと立っているように見えるその足元に、倒れている人影がひとつ。
 顔が見えないので誰かはわからない。けれど、まだ生きているのなら助けないと。
 もう手遅れかも知れないとも思うけれど、それを確かめもせずに放置することもできない。
 だから、私はカカシの使い魔を倒す。
 初めての戦いが怖くないといえば嘘になる。だけど、それに屈してしまったら、私の想いも願いも全てが嘘になってしまうから。
 不用意に近づくことはせず、距離をとって足を止めた私に、使い魔たちは興味を示さない。やはり、ある程度近づかないとこちらのことがわからないのかも知れない。
 できるだけ距離を取り、刺激しないようにして対処するのは獣相手にも使われる手段だけれど、こんな化け物相手にも通じることがあるというのは意外だった。
 ゆっくりと、少しづつ足を進めながらも、使い魔からは視線を外さない。そうして距離を詰めながら身体の後ろに隠した右手の中に魔力を集めていく。
 どうすればいいのか、という疑問はない。
 まるで昔からその方法を知っていたかのように、指を動かすかのような自然な動作で行うことができた。
 そうして生み出した魔力の塊を、冬の遊びである雪玉投げの要領で使い魔の一体目がけて投げつける。
 重さも実体もないそれは、音もなく使い魔の一体に接近して頭にぶつかると強い輝きを発して消滅する。
 わずかによろめき、体勢を立て直そうとした使い魔は動きを止めた。
 瞬きをする程度の僅かな沈黙の後、砂のように崩れ落ちて霧散する。
 その一連の状況で私を敵と判断したのだろう。残る二体の使い魔が風に揺られる草のような不可解な動きで近づいてくる。
 不安定な印象のその動きは、外見と相まって不気味な雰囲気を強く醸し出していた。
 動きは余り早くはない。
 戦いの経験などほとんどない私の目から見ても、決して強そうには見えない。むしろ、棒か何かがあれば殴り倒せるのではないかと思えるほどに遅い。
 けれど、魔女のみならずこの使い魔たちも人の常識外の存在であることに変わりはない。不用意に近づくのは、やはり躊躇われてしまう。
 そもそも、私は今まで武器など使ったこともない。かろうじて武器の代用になりそうなものといえば農耕器具くらいだし、使ったことのあるものといっても草刈り用の鎌かナイフくらいでしかないのだ。
 だから、近寄って戦うという選択肢は最初から存在しない。故に、先程と同じように手の中に魔力の塊を産み出して、それをぶつける方法を取ることにした。
 カカシの使い魔の戦い方がわからないところに不安はあるけれど、同じように離れた相手を攻撃する手段を持っていないことを祈るしかない。
 不規則に身体を揺らしながら近づいてくる使い魔の一体に狙いを定める。
 さっきと違って動いている分狙いづらくはあるけれど、慌てなければ外すようなことはないはずだ。
 そうやって使い魔の一体を倒しているうちにもう一体にかなり近づかれてしまったけれど、これも捕まりさえしければ怖くはない。
 何もせずにただ近づいてきたところを見ると、離れた相手を攻撃する手段を持ってはいないようだけれど、捕まったらどうなるかわからない。
 だから、私は再び距離をとりながら手の中に魔力塊を作り出す。
 私のその動きに、ぎこちない様子で追随する使い魔。
 カボチャのようなあの頭でどうやって見ているのか分からないけれど、私のことが見えているのは間違いないらしい。
 だからといって近づいてくる相手を待つ理由はない。私は生み出した魔力塊を使い魔に叩きつけた。
 そうして使い魔は音もなく崩れ去り、静寂が戻ってくる。
 新たに現れる使い魔がいないか周囲を警戒し、倒れている村人に歩み寄る。

「…………!」

 生きていて欲しい。私のその願いは、彼の首筋に触れた時、呆気無く打ち砕かれた。
 脈がなく、息もしていない。身体はまだ暖かいけれど、それはこれから燃え尽きる命の残り火でしかない。
 思わず、唇を噛みしめる。
 助けられなかった、という悔恨の思いが胸の中を満たすけれど、悲しんでいる時間はない。一刻も早く魔女を倒さなければ、犠牲者が増えていくだけなのだから。
 放置していくしかないことに後ろ髪を引かれつつも、その場を離れる。
 今、どれだけの人たちが生き残っているのか不安になる。もしかしたら、もう誰も生き残ってはいないんじゃないかと考えて。
 間に合わず、目の前で息絶えていたあの人の姿が焦りを掻き立てる。

「早く、魔女本体を見つけないと……」

 無意識に、口から呟きが漏れる。
 けれど、魔女がどこにいるのかなど分からないし、探す方法があるわけでもない。しらみつぶしに探すしか方法がないことが、余計に焦りを助長していた。
 そうして、どの程度の時間さまよっただろう。
 時折現れる使い魔を倒しながら、あてもなく駆け回っていた。随分長い時間だったような気もするし、それほどでもないような気もする。
 日の動きが見えないためか、どれだけの時間が経っているのかがよく分からない。
 無駄に時間だけが流れているような気がして、焦りが大きくなっていく。
 そんな時だった。何か嫌な感じのする人影と思しきモノを見かけたのは。
 あちこちが擦り切れたような、黒いぼろぼろの布を体に巻きつけ、手足は使い魔と同じように、木の棒のように細長い。頭もまた使い魔と同じようなカボチャの形をしているけれど、唯一違う点は口と思われる場所の奥に青白く輝く人の頭蓋骨と思われる形のものが揺らめいていること。
 そして、姿形が違うだけでなく纏っている雰囲気もまた、使い魔よりも遥かに重苦しい。
 それと遭遇して、そして確信した。
 こいつが魔女だ、と。
 こちらを無視しているのか、それとも気にかけるまでも無いとでも思っているのか、その魔女は私が姿を見せてからも動くことなくただ棒立ちになっていた。
 相手が動かないのだから今のうちに攻撃してしまえばいい。そう考えるけれど、動くことができなかった。
 何故かは分からない。けれど、ひどく嫌な予感がする。
 このまま戦っても、勝てないかもしれない。そんな思いが頭の中を駆け巡っていた。
 震えそうになる足を無理矢理押さえつけ、魔女の姿を睨みつける。
 魔女自身は、それに全く反応を示さない。それどころか、小首をかしげるような動きさえ見せていた。
 祭りの時などであれば笑いを誘うであろうその動作も、今のこの惨状では薄気味の悪いその姿と相まって不快なものにしか映らない。
 少しの間様子を見ていると、魔女自身はそもそも自分が何をしているのかもよく分かっていないような印象を受けた。
 例えるなら、その行動は猫に近い。
 本能のまま、気の向くままに行動している。わずかな時間ではあるけれど、様子を見た限りではそんな気がした。
 行動だけを見れば、決して強いようには見えないかもしれない。でも、纏っている雰囲気というか、発しているものが使い魔とはまるで別物なのだ。
 一刻も早く倒さなければならないけれど、下手に手を出したら間違いなく私が負ける。
 ひどく、もどかしい。こうしている間にも、使い魔たちの餌食になっている村人がいてもおかしくないはずなのだから。
 ひどく嫌な汗が頬を伝って流れ落ちる。
 その間も、魔女は相変わらず視線をさまよわせ、首をかしげるように細かく巡らせている。
 こちらに向かってくる様子はないけれど、このままでいる訳にもいかない。
 二呼吸するほどの間逡巡し、覚悟を決めた。
 今戦えるのは私しかいない。助けを求めることも、期待することも出来ないのだから迷うことなんてなかったのだ。
 怖くないといえば嘘になる。むしろ、出来るのであればこのまま逃げ出したい、とも思う。
 カカシの使い魔があっけなかった為、死ぬ事があるかもしれないという気持ちが薄れてしまっていた。
 けれど、だからといって逃げ出すわけにはいかない。それをしてしまえば、私は仲間を、家族を、友人を見捨ててしまったことになる。
 そんなことをして生き残っても、きっと一生後悔する事になるだろう。
 それに、私は皆を救いたいと思ったからあの白い小動物と契約したのだ。逃げ出せば、自分のその気持ちさえ嘘にしてしまう。
 完全に抗えないままだったなら、逃げ出しても仕方なかったと自分を無理矢理納得させることが出来たかもしれない。けれど、私は抗うための力を手に入れてしまったのだ。自分から、それを望んで。
 だから、私は戦う。本心を言えば逃げたいし怖い。自分が浮かれていたことも思い知らされた。
 だからこそ。自分自身を裏切るわけにはいかない。
 使い魔に使った攻撃が効くかはわからない。けれど、今のところほかに方法が分からないので、同じようにやってみるしかない。
 試す時間があれば、使い方を工夫したりすることも出来たかもしれないけど、今そんなことを言っても仕方がない。
 魔女がこちらに興味を示さない事を利用して、今できる範囲で可能な限り魔力を集める。
 使い魔に放ったものに比べて強い輝きを持っていたため、魔女が気付かないか気になったけれど、こちらを気にした様子は全くない。
 そのことに多少ではあるけれど頭にきた。そして気が付けば、私は手の中に生み出していた魔力塊を思い切り叩き付けていた。

「────────────…………!!」

 人の耳ではまともに聞き取ることの出来ない、不気味な叫びとともに魔女が吹き飛んでいく。
 けれど、その攻撃が聞いた様子は無い。吹き飛ばされた後、何事も無かったかのように起き上がり、私のほうへと向かってくる姿がそれを物語っている。
 それでも、身体や頭にわずかに傷が出来ているところを見ると、全く効いていないというわけでもないらしい。
 それでも、まともに戦ったら勝てない気がする。
 魔女がどんな攻撃をしてくるのかはまだ分からないけれど、使い魔に比べてかなり頑丈らしい。
 何か弱点でもあればいいけれど……
 もしそういったものが無かった場合、ナイフで木を削るように魔女の力を削いでいくしかない。
 分の悪い不利な方法だけれど、それしかないのならやるしかない。
 幸いにも、動きはそれほど早くないようだ。
 私は即座に距離をとると、再び手の中に魔力塊を作り出す。
 使い魔に対して放ったものと同程度では、恐らく効果が無い。だから逃げ回りながら手の中の魔力を高めていく。

「この……ぉっ!!」

 手の中で留めておくことが難しくなるほどに魔力を高めた後、私は魔女の頭を明確に狙って魔力塊を叩きつけた。
 カボチャの形の頭の奥、青白く輝きながら揺らめく頭骸骨が弱点ではないかという淡い期待を込めて。
 私の意図に気付いたのか、魔女が手を前方へと伸ばす。けれど、遅い。
 伸ばされた手とすれ違うようにして、私の放った魔力塊は、魔女の頭へと命中した。

「──!?」

 悲鳴にも聞こえる、短い声。
 けれど、その結果は魔女をよろめかせただけで倒れるような気配はない。
 カボチャの頭にできた擦れたような傷を見る限り、全く効いていないというわけでもないようではあるけれど、あれではそれほど時間をかけずに回復されてしまうだろう。
 そうしているうちに、私は魔女の様子が変わっていることに気がついた。
 頭を上下に揺らし、身体は小刻みに震えている。そう、まるで『笑っている』かのように。

「────……────……────……!!」

 意図がよくわからず、警戒しながらも様子をみている私の前で、魔女の声が徐々に大きくなり……
 跳ね上げるかのような動作で顔を上に向けると同時にひときわ大きい、叫ぶような声を発した。
 そして。
 私と魔女を共に取り巻くように、闇が生まれた。
 光を全て飲み込もうとするかのような、無明の闇が。



[27327] ouroboros clepsanmia Ⅲ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:80472a84
Date: 2011/07/03 01:45
 これから、どうするべきなのか。
 学校の下校時刻になってから、わたしはずっと悩んでいた。
 魔法少女ではなくなった今、直接できる事はないに等しい。けれど、このまま何もしないでいるというのも何か落ち着かない。
 それはただの自己満足かもしれないけれど、何もしないままの傍観者にだけはなりたくなかった。
 もう一度、インキュベーターと契約するべきだろうか……
 そんな考えが脳裏をよぎる。
 けれど、今の私は契約する資格を有していない可能性すらある。
 仮にもう一度契約したとしても、以前のような能力は望めない。
 あれは、わたしがまどかを助けることも、説得して引きとめることもできなかった強い後悔の念が生み出したものだ。
 過ぎた過去を否定し、やり直すための力。
 今になって改めて考えると、強力ではあるけれど随分とネガティブな能力だと思う。
 自分の望んだ結末にする為に、それ以外の結末を否定する身勝手な願い。
 そう考えれば、繰り返すたびに見る事のできない枷が重くなっていったのも、無理のないことだったのだと感じられる。
 わたし一人の個人的な理由で、世界全体の因果律を掻き回したのだ。
 そのしわ寄せは、わたし自身かわたしの願いの対象に向かってくる。
 かつてインキュベーターに告げられた、まどかの因果の収斂。
 それこそが、わたしが気付かないままに自分とまどかを共に追い詰めることになっていた理由。
 改めて思い返してみて。まどかを魔法少女にしないという目標は正しかったのかどうか分からなくなってしまった。
 なぜなら、まどかは魔法少女になっていたほうが自信に溢れ、強い心を持っていたから。
 ただ、誰かの役に立ちたいと、それだけを純粋に願うことのできた娘であるからこそ、魔法少女という在り方に誇りを持っていたのかもしれない。
 そんなことを考えながら歩いていて、周囲の雰囲気に変化があったことに気が付いた。

────クスクス……クスクスクス……────

 空気が重くのしかかってくるような感覚とともに、かすかに聞こえる笑い声。
 それと同時に、周囲の景色が歪むように変化する。
 書き殴った落書きのような絵。かと思えば全体をわざと崩して描かれた抽象画。大きさや陰影などが変に強調された風景画など、数多くの絵がひしめく空間。
 狂気のごとき絵画に埋め尽くされたその空間は、芸術家の魔女の結界。
 その中を頼りなげな足取りで動き回る、単色の人影の油絵を切り抜いたかのような芸術家の魔女の使い魔。
 動きは非常に遅いため怖くはない。けれど、今のわたしは対抗する術を持っていない。
 それに、一体だけならばまだしも複数存在している上、魔女の結界の中ではいくら逃げ回っても逃げ切れない。
 この魔女の事をある程度知ってはいても、それだけでは何の役にも立たないのだ。

「くっ……」

 思わず、小さな舌打ちがこぼれる。
 完全に手詰まりだった。今のわたしでは、戦うことも、ここから逃げることもできはしない。
 まどかでも、巴さんでもいい。誰か戦うことのできる人が気付いて手を差し伸べてくれるまで、逃げ回るしかない。
 もし使い魔に捕まるか、魔女本体に遭遇してしまうようなことがあれば、わたしは助からない。
……嫌だ。
 理由は分からないけれど、わたしは今こうして生きている。まだ迷いはあるけれど、これを機会に今までとは違う一歩を踏み出そうと決めたのだ。
 それなのに、こんな終わり方だけはしたくない!
 生き延びるために使い魔から逃げ出そうとして、そして気づいてしまった。
 逃げようとした先のその空間に、わたしの逃げ道を塞ぐかのように現れたものに。
 何もなかったはずの空間から染み出すように現れる、パリの凱旋門を思わせる姿。
 そう。芸術家の魔女の本体だった。

「あ……あっ……」

 その姿を見た瞬間に、わたしは身体から力が抜けていくのを感じていた。
 今のわたしには戦う力もなければ、虚栄の性質を持つこの魔女を言葉で追い詰めることができるだけの芸術に関する知識もない。
 魔女本体が姿を見せた時点で、詰んでしまっていた。
 何も知らない少女であれば、悲鳴を上げるか、でなければ恐怖に身を竦ませてしまっていたかも知れない。
 けれどわたしは、戦う力を失ったとはいえ魔女と戦っていたのだ。
 身体から力が抜けたのも一時のもの。状況が絶望的なものであることは変わらないけれど、このまま諦めてしまっては助かる可能性は完全に消えてしまう。
 たとえ掴み取るのが不可能に思えるほど低い可能性であったとしても、諦めなければ手が届く可能性は決してゼロにはならないのだから。
 戦えないことがひどく情けなく感じもするけれど、そんなことを言っても始まらない。
 今は一番大切なことは生き延びること。
 幸いにも、この魔女の手下の動きは早くはない。だから、捕まらないように上手く間を駆け抜けることは不可能ではないと思う。
 問題があるとすれば、今のわたしは魔法少女ではなくただの少女でしかないということ。
 身体能力の強化などができない以上、わずかでもバランスを崩したりすればそれでおしまいになってしまう。
 とても分の悪い賭け。でも、今はそれが必要な時。
 荷物は鞄一つ。この程度なら邪魔にはならない。
 よろめくような動作で歩き回る使い魔に視線を走らせ、その動きに注視する。
 これまでは何の脅威でもなかった。けれど今のわたしにとっては使い魔の一体でさえも大きな脅威になって立ち塞がる。
 魔女自身は直接手を出してこないタイプだった点は助かっている。もしこれが直接手を出してくるタイプであったなら、こうして悠長に逃げ出すチャンスを探したりする時間など与えてもらえずに死んでいた。
 近づいてくる使い魔をかわすように移動しながら、立ち位置と距離を確認する。
 それを繰り返すこと数度。ようやく待っていた瞬間が訪れた。
 周囲を囲むようにして歩き回る十数体の使い魔たちの間にできた、一メートルほどの隙間。そこを狙って、全力で駆け抜けた。
 後ろを振り向いたりする余裕などない。捕まってしまったら、そこで終わりなのだから。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 どの程度走り続けただろうか。魔法を使うことのない元のわたしの身体は、入院していたこともあって決して体力があるわけでも運動能力が高いわけでもない。
 魔力強化で能力を高めて動くことに慣れてしまったせいか、こんなときは自分の身体がひどく重く感じられる。
 もどかしいけれど、ないものねだりをしても仕方がない。
 結界の中にいる以上、逃げ切ることは不可能だけれど、多少は時間を稼ぐことができるくらいの距離は離れたはず、そう思って一度立ち止まり、後ろを振り返った。

「どうして……」

 視界に飛び込んできたものに愕然として、無意識にそんな呟きをこぼしていた。
 そこにいたものは、芸術の魔女の使い魔たち。数こそ数体と少ないけれど、ほんの二メートルほどの距離を開けて、まっすぐにこちらに向かってきていた。
 この時、ひとつ重要なことをわたしは忘れていた。
 ここは魔女の結界の中。すなわち、魔女の支配空間だということ。
 結界内における魔女の能力のひとつとして、望む場所に使い魔を送り込むことができるというものがある。
 ピンポイントで送り込むことができるわけではないようだけれど、それでも数メートル程度の誤差でしかないらしいのだ。
 魔法を使えないまま魔女に襲われたことに、自分で思っているよりも大きく動揺していたらしい。こんな大事なことが考えから抜け落ちていたなんて。
 自分で自分に呆れてしまう。でも、後悔している余裕はない。そんなものは後回しだ。
 やはり、立ち止まらずに常に動いてるしかないのかもしれない。
 けれど、もう体力が限界に近い。先程の全力疾走が思った以上に身体に負担をかけていたらしい。
 せめて魔力強化だけでも使えれば……
 そんな思いが脳裏をよぎるけれど、できない以上は意味のない思考でしかない。

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 乱れた呼吸を落ち着ける余裕もなく、再び使い魔から距離をとろうとして……
 唐突に、足から力が抜けた。

「え……?」

 立ち上がろうとしても、足に力が入らない。力を入れようとしただけで、足が震えるのが分かる。
 必死になっていたために気付かなかっただけで、わたしの身体はかなり疲弊してしまっていたらしい。
 動けなくなったわたしに、使い魔たちがゆっくりと近づいてくる。
 もう、逃げられない。それを理解したとたん、心の中に恐怖が満ちた。
 魔女や使い魔が怖いわけではない。今は戦う術がないとはいえ、少し前までは嫌というほど相対してきたのだ。
 それよりも、なにもできないままこんな形で終わってしまうという、目の前に突きつけられたその事実がひどく怖かった。

「あ……い……いや……」

 自分でも驚くほどの弱々しい声が無意識に口からこぼれ出る。
 戦う術はなく、もはや身体もまともに動かない。
 戦うことも逃げることもできず、助けも来ない。
 このまま死ぬしかないのだと、その事に思い至るのと同時に、わたしは拒絶の叫び声を上げていた。

「イヤァァ──────ッッ!!」

 その叫びに重なるようにして響く炸裂音。
 そして、わたしの目の前まで迫っていた使い魔たちは、一体残らず砕け散った。

「危ないところだったわね……。間に合ってよかったわ」
「よかった……。もう大丈夫だよ。ほむらちゃん」

 その声に振り返れば、そこにいたのは黄色と桃色の魔法少女。
 コルセットドレスにロングブーツ、手には装飾の施された白いマスケット銃を構えている少女、巴マミ。
 桃色ベースのフリル付きフレアスカートのドレスのような服と、手には薔薇の花と枝を模した弓を構えた少女、鹿目まどか。
 それは、まるでわたしが魔法少女のことを知らなかったときの最初の出会いを焼き直したかのような光景だった。
 驚いているわたしに、二人は優しく微笑んでくれる。

「もう少し待ってちょうだい。決着をつけるから」

 表情を引き締めての巴マミの言葉に視線を追いかければ、そこには凱旋門を思わせる姿の芸術の魔女がいた。
 おそらく二人の存在と、わたしが捕まらないことを知り追いかけてきたのだろう。

「数はそれほど多くないけど、使い魔が厄介ね……」

 僅かな思案の後に呟き、巴マミは自身の首に結ばれた黄色のリボンを解くと、頭上で大きく円を描くように振り回す。
 それは、わたし自身も以前に何度か見た光景。
 リボンは円を描きながら広がりつつ、絡みあうような複雑な軌道を描いてその場にいた使い魔全てと魔女を一箇所に拘束する。

「鹿目さん」
「はい!」

 一言だけの短いやりとりの後、自身の武器を構える二人。
 そして、拘束された魔女とその使い魔に向かって、同時に攻撃を放った。
 轟音と共に放たれた黄色の輝きと、唸りを纏う桃色の光条が魔女と使い魔を貫き、爆音と共に魔力光の輝きの中に消えていった。
 その光景を見て、わたしは安心していた。魔女も使い魔も倒され、終わったのだと。
 けれど……

「気を抜くのは早いわ。まだ、終わってない」
「え?」

 厳しい表情をしたままの巴マミの言葉に、わたしは呆けたような声を上げてしまった。
 よく見てみれば、まどかも厳しい表情をしたまま巴マミと同じ方向を見つめている。
 その視線の先には、たった今魔女と使い魔の姿が消えた場所。
 倒せていない?そんな疑問が脳裏をよぎるけれど、それを否定するようにわたしたちが見ている前で、魔女の結界が崩れていく。
 倒したのなら、結界は消えて通常空間に戻るはず。
 その考えを否定するように、変化したのはくすんだ灰色の背景を持つ、薄暗く重苦しい空気に満ちた空間。
 その中で、地面から伸びるように姿を表す、数体の白い影。
 全体のシルエットは、マントで身体を包んだ人のように見える。
 けれど、その姿には不自然なほど色がなく、純白ともいえるような白さだった。
 そして、その顔の半分を覆うように、僅かな虹色の輝きを発して蠢く、モザイクのようなもの。
 それはわたしの知らない『何か』

「あれは……何……?」

 初めて見る、未知なるものにわたしは混乱していた。
 今まで何度も時を繰り返してきたけれど、あんなものと遭遇したことは一度もない。
 ましてや、魔女を倒した後にあんなものが現れるなんて……

「あれは、魔獣よ」

 わたしの呟きが聞こえたのだろう、巴マミが疑問に答えてくれた。

「人の悪意から生まれて、恨みや妬みといった強い負の感情を抱えた人間にとり憑くの。とり憑かれた人間は肉体も魂も飲み込まれて……魔女と化す。それは私達魔法少女も例外じゃないわ。
 そして、魔女となった際に現れる性質は、元になった人間が抱えていた負の感情の影響が色濃く現れるのよ」

 それは、初めて聞く内容の説明だった。これまで繰り返した中でもそんな事は一度も見たり聞いたりした覚えはない。

 「魔獣に飲まれた人間はもう助からない。魔女を倒せば元となった人と魔獣を切り離せるけど、命は……ないわ」

 説明を続けながらも、油断無く武器を構える。
 そして、巴マミのマスケット銃が、まどかの弓が、現れた魔獣に向かってその力を解き放った。
 



[27327] Nacht von Hexen Ⅲ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:38a9a7d3
Date: 2011/07/03 01:47
 魔女の叫びとともに生まれた闇は、急速にその濃さを増してゆく。
 逃げ道は無い。周囲を完全に囲まれ、足元も半ば闇の中に飲み込まれている。
 闇に侵された部分が広がっていくのに合わせるように、身体の感覚が消え意識が遠のく。
 長いようで短いその時間の後、私の意識は闇に閉ざされた。
 それからどうなっていたのかは分からない。けれど……

──……い……よ……──

 かすかに聞こえたその声に、私は意識を取り戻した。
 視界はいまだ暗いままだ。目を開けているのか閉じているのかすら分からなくなるような深い闇。
 その中で、あちこちから聞こえるかすかな呻き声。
 内容の聞き取れないその言葉を聞き取ろうと耳を澄ませて、そして愕然とした。
 そこから聞こえてきたもの、それは……

──嫌だ……何故……──
──痛い!痛い!痛い!──
──誰か……お願い……──
──こんなの……そんな……──
──あ……あ……あ……──

 苦しみ、恨み、妬み、錯乱した叫び声といった、数多くの人間の叫び声。
 心を直接鷲掴みにされるような感覚を伴って聞こえてくる、不快な声だった。

「何よ……これ……」

 掻き毟るような痛みを訴える頭に辟易としつつも、今の状況を理解しようと考えを巡らせる。
 その間にも、何かを訴えるかのようなその呻き声は絶えることなく聞こえ続ける。

──痛いよう……痛いよう……──
──嫌だよう……嫌だよう……──
──何故じゃ……ワシは、ただ……──
──許せぬ……許せぬぞ……──

 子供から大人、老人まで、あらゆる年代の人の恨みや憎しみ、苦しみの声が途切れることなく響いている。
 それは、聞いているだけで心から力を削っていくような、深く重い怨嗟の声。
 気が付けば、私は何も見えない暗闇の中で、淡く青白い輝きを纏うものたちに囲まれていた。
 姿形は人に似ている。けれどその顔に表情は存在せず、身体は枯れ木のように痩せ細っている。暗く落ち窪んだ眼窩には何も映しておらず、その奥には暗い闇がわだかまるのみ。
 その声を聞いて、縋るように手を伸ばしてくるその姿を見て、私は理解してしまった。これは理不尽に命を落とした人たちの未練を映しているんだと。
 こちらの声は届かない、伝わらない。彼らはただ、自らの無念を向ける対象を探すだけ。
 救われることが叶わないことに気づくこともなく、ただただ救われることを願う者たち。
 私がただの人間であったなら、何もわからないままに彼らの中に飲み込まれてしまっていたかも知れない。けれど、私は魔女という存在を知り、それに抗うための力を手に入れている。
 その事が、私の心に多少の余裕をもたらしてくれた。
 それにしても、これはやはりあの魔女の仕業なのだろうか。
 魔女の生み出した闇に飲まれた後、このような状況に置かれているのだからそう考えるのが妥当かもしれない。
 そうであるのなら、これはあの魔女に喰われた人たちの魂なのだろうか。
 それとも、喰われた人たちの悲痛な叫び声を利用して、わたしを追い詰めようとしているのか。
 どちらであったとしても、吐き気を催すような話ではあるけれど。
 それに、いつまでもこうしているわけにもいかない。こんな状況にいつまでも耐えられるはずも無いのだから。
 気が付いてから、段々と頭痛がひどくなっている。今はまだ大丈夫そうではあるけれど、そう長く持たずに再び気を失ってしまってもおかしくない。

──誰……か……──
──嫌だ……もう……嫌だぁぁぁ……──
──何故……どうし……て……こん……な……──
──痛いよ……寒いよ……おかあ……さ……ん……──

 絶え間なく聞こえてくる、苦痛を訴える呻き声。目を背けて逃げ出したくなるほどに陰惨なものではあるけれど、今の私はまともに動くことすらできなくなっている。
 これが現実なのか幻のようなものなのか、それすらも分からない。おそらくそれが分からなければこの状況を打開することはできないだろうと思う。
 問題なのは、私がそこまで耐えられるかどうかということ。
 今の状況に気付いたときから頭痛がひどい。少し前から胸を締め付けられるような、息苦しさのようなものも覚えている。
 これ以上、こんなものを見ていたくない。これ以上、向き合うことができそうにない。

「あ……ああ……ああ……」

 息がつまる。何か言おうにも、言葉が出てこない。
 そうしている間にも、周囲を漂う青白い人影は怨嗟とも慟哭とも取れる呻き声をあげ続けている。
 どうすればいいのか、分からなくなってきた。
 何かをしようにも、身体を動かせない。何をすればこの状態を抜け出せるかも分からない。
 ただ、無為に時間だけが過ぎていく。
 痛々しい声も、姿も、何もかもから目を背けたくなってくる。
 もうこれ以上、見るのも聞くのもしたくない。逃げ出せるなら逃げ出したいと思う。
 けれど、それは叶わない。

「いや……もう……嫌ぁ……」

 いつの間にか、私は弱々しい泣き言を口にしていた。
 自分でも気づかないうちに、心が折れかかってしまったのか、気持ちが後ろ向きになっている。

「────…………!!」

 そんな、逃避に走りかけている時だった。
 周りを包む暗闇の中、微かにではあるけれどどこからかあの魔女の笑い声らしき声が聞こえてきたのは。
 その事に、逃避しかけていた心が引き戻される。
 そうだ。魔女を倒して村の皆を助けないと……
 その為に願った。その為に求めた。だから、このまま終わるわけにいかない。
 ここで諦めてしまったら、私は何のために望んだ? 何のために踏み込んだ?
 たとえ手が届かなかったとしても、見ているだけで何もしないなんてことはできなかった。
 父さんや母さん、村長に近所のおじさんやおばさんたち。それに、年の近い友人たち。
 村の皆の顔が浮かんでは消えていく。
  皆の笑顔が大事だった。ささやかな幸せを守れるだけでよかった。それだけが願いだった。

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 無駄かもしれないという考えが頭を掠めたけれど、それを無視して私は力のかぎり魔力を解き放った。
 風の吹き抜けるような音と、それに遅れるように陶器の入れ物を割るような音が響く。

「…………!!」

 どこか驚きを含んだかのような魔女の声が聞こえ、霧が晴れるように闇が薄れていった。
 どうやら、闇もあの多くの声も、魔女の創りだした幻覚だったらしい。ただ、あまりにも生々しい声だったあたり、実際に襲った人たちの声を元にしていたのかも知れない。
 術を破られたことによる反動なのか、闇が晴れてから目の前に現れた魔女は無言のまま動く様子がないけれど、私もまた魔力体力共に大きく消耗してしまっていた。
 周りの光景が村のものに戻っていない以上、魔女は未だ倒れるに至っていない。動きがなくどれだけ消耗しているかもわからないこの状況は非常に不安だった。
 もし様子を見ているだけで、何の痛手もなかったとしたら……
 そんな不安が心に重くのしかかった。
 そのまま、お互いに動きのない時間が過ぎる。
 魔女になにか動きがあるようなら、疲れた体に鞭打ってでも動かなければならなかったけれど、すぐに動き出すような気配はない。
 それに便乗して、私自身も体力の回復を目的に僅かながらの休息をとる。
 魔女にも回復の機会を与えているかも知れないという事実は、今は考えないことにしておく。気にしていたら何もできなくなってしまう。
 今のうちに、魔女の様子を確認しておくことにする。
 外見上、変化しているところはないように見えた。けれど、口の奥で揺らめく青白く輝く頭骸骨が、以前よりもその輝きを弱めているように見える。
 もしかしたら……
 ふと浮かんだ考え。それが正しいかはわからないけれど、このままでいるくらいならその予想にすがってみるのも悪くないかも知れない。
 時間をかければかけるほど、助かる人が減る。だから、私は覚悟を決めた。
 魔女に気付かれないように、身体を大きく動かすことなく手の中に魔力をゆっくりと集中させる。
 今まではこれを投げつけて攻撃していたけれど、あの魔女に対してそれではあまり意味が無いことはわかっている。
 手の中の魔力が外に漏れないように注意しながら、今度は身体に魔力を流す。
 深呼吸して力むような感覚で力を込めると、身体の中に何かが満ちるような熱を感じた。
 それを少しづつ高めていく。
 そうして、今できる限りの魔力強化を自分の身体に行った後、私は全力で魔女に近づいた。

「!?」

 うずくまった状態から立ち上がると同時にいきなり近づかれたせいもあってか、魔女はこちらに顔を向けるだけで、それ以上何かをしようとはしなかった。
 戸惑うかのようなその反応に、私は手の中の魔力をまっすぐに魔女の口に中に叩き込んだ。
 そして、その中で力を解放する。

「───────────────────!!!!!!!」

 声にならない声、とでも表現すればいいだろうか、木のざわめきをいくつも重ねたかのような言葉とは言い難い叫び声。
 その叫びが弱くなるにつれて、魔女の口の奥にあった輝きが薄れていく。
 そして、輝きが完全に消え去ると、魔女の姿は風邪に吹き散らされる煙のように崩れていった。
 それに合わせるように、周りの風景もまた陽炎のように消えて元の村の光景へと戻って行く。

「はぁ……」

 私は大きく息をつき、その場にへたり込む。同時に、それまで身に纏っていた青いドレスのような服は消え去り、元の村娘の姿へと戻っていた。
 ふと足元に目を向けると、そこには手のひらに乗る程度の大きさの、金属の装飾品のようなもの。
 それは、あの白い小動物がグリーフシードと呼んでいた、魔女の卵とでも言うべきもの。
 人の絶望を溜め込み、やがて魔女となるという。
 私はそれを服の中に仕舞うと、疲れた身体を引きずりながら村人の姿を探した。
 けれど、村の中がやけに静かだった。
 あんな事があった後なのだから、生き残っている人もきっと何が起きたのかわからず呆然としているのかも知れない。
 そうして捜し歩いて時間が経つうちに、魔女の結界の中で助けられなかったあの人の遺体のところにたどり着いた。

「…………」

 無残な姿に、無言で目を閉じてその人を悼む。
 そうしていると、周囲から数人の話し声が聞こえてきた。
 目を開けて声のする方を見てみれば、何人かの村の人達がこちらに目を向けている。
 生きているその姿を見て、私は嬉しくなり、手を振りながら近づいていく。
 けれど、わたしが近づいて話しかけようとすると、皆の態度がどこかよそよそしい。

「……どうしたの?」

 改めて話しかけてみるけれど、態度は変わらず、どこか怯えを含んだ目で一歩後ずさる人までいた。
 その態度に、私はますます混乱する。
 何故そんな目で見られるのか、そんな態度を取られるのかが全くわからない。
 どこか距離を置こうとしている皆に、私はただ戸惑いの顔を向け再び話しかけようとした。
 その瞬間に、頭に強い衝撃を感じる。
 疲れの溜まっていた身体は、突然の頭への強い衝撃に呆気無く力を失った。
 倒れたときに目に飛び込んできたのは、なにか恐ろしい物を見るような目で私を見て、手首ほどの太さの棒を構える男性の姿。
 それを見て、私はその棒で殴られたのだと理解した。
 どうして、という呟きは声にならず、私はそのまま目の前が暗くなり、気を失った。



[27327] ouroboros clepsanmia Ⅳ
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:0cb50fef
Date: 2011/07/03 01:56
 わたしの見ている前で、魔獣の最後の一体がもがきながら消滅していく。あとに残されたのは指の先ほどの大きさの黒い立方体状の結晶。
 最初はそれがなんなのかわからなかった。けれど二人のソウルジェムから汚れを取り込んでいるのを目にして、それがわたしの知る魔女のグリーフシードと同じものなのだということを理解した。
 それでも、何故このようなことになっているのか、それについてはまったくわからない。
 とても良く似ているけれど、決定的に何かが異なる世界。それが一番的確な表現かもしれない。
 わたしが魔法少女から普通の少女に戻ってしまった理由も、何故これまでとは異なる世界と思われる場所にいるのか、なにもかもわからないことだらけのままではあるけれど、一つだけ確実なことがある。
 それは、まどかがここにいるということ。今のわたしにとって、それだけがここにいる理由と言っても過言ではない。もしもまどかがいなかったら。わたしはきっと、どうしたら良いかもわからず、やるべきことも見つけられず、廃人のような生活を送っていたかも知れない。

「もう大丈夫かしらね。キュゥべえ?」
「うん。もう魔獣どもはいないみたいだ。あとは放っておいても残った瘴気は消えていくよ」

 巴マミの呼びかけに、いつの間にかわたしの右後ろ側にいたインキュベーターが答えを返す。その口調は以前と変わらない無感動、無感情のものでしかないにも関わらず、どこか懐かしいという気持ちを抱いてしまった。
 確かに、彼らは必要な情報であっても聞かれなければ答えないという考えの持ち主だ。答える内容も、こちらの聞き方がきちんとしていなければどうとでもとれるような曖昧なものであることも多い。けれど、それでも黒を白と断言するような完全な虚偽の情報を提示したことだけはない。
 もともと感情がひどく希薄な上に価値観が根底から異なっている。本来であれば会話すらまともに成立しないかも知れない存在なのだ。そういう意味で彼らがわたし達に対して大きく譲歩していることも間違いない。価値観や感情の機微に起因する齟齬が埋められないため、それがトラブルの元になってはいるけれど。さらに、そのトラブルの結果が、わたし達にとってのみ大きなデメリットがあり、彼らにはメリットはあってもデメリットが殆ど無いことが問題をややこしくしている。
 お互いの論点にもともと交わる位置が存在していないのだ。だからそういうものと割りきって受け止めるしかない。

「もう大丈夫だよ。ほむらちゃん!」

 元気な声で、まどかがわたしに笑いかけてくる。それを見て、わたしの胸の奥に暖かいものが生まれた。
 まどかのあんな笑顔を最後に見たのはいつだったんだろう。そんな思いが湧き上がり、不意に涙がこぼれそうになってしまった。
 このまま泣いてしまっては非常に恥ずかしい。いや、魔女に襲われた後なのだから、泣いてしまっても不自然ではないかも知れないけれど、それでもこんな場所でまどかにわたしのそんな姿を見られたくはない。
 そんなものはただの見栄でしかないとは分かっていても、それを素直に認めることもできなかった。

「ほむら……ちゃん……?」

 急に俯いてしまったわたしを見て、まどかが戸惑いの声を上げる。しどろもどろになって、どこか支離滅裂な言葉をかけてくるその様子は以前にも見たことがあるものだ。慌てたときの様子は、ここでも変わらないらしい。

「そろそろ、いいかしら?」

 まどかが落ち着くのを待って、巴マミが声をかけてきた。周りを見てみれば、すでに結界は消えて二人ともいつの間にか制服姿に戻っている。そうなれば人通りが少ない場所とはいえ、ここは街角なのだ。いつまでもこうしているわけにはいかない。誰かに見られても不審がられることはないと思うけれど、何をしているのかという程度には疑問に思われるかも知れない。通学路の途中なんて立ち止まったままで長話を続けるような場所ではないのだし。

「あ、ごめんなさい!」

 まどかが、巴マミに対して謝罪する。慌てた姿を見せてしまったことに引け目を感じているのかも知れない。それほど気にするようなことでもないと思うけれど、この頃のまどかにとって巴マミは憧れの先輩であったようだから仕方ないのかも知れない、とも思う。
 それからはゆっくりと歩きながら、三人で話をしながら巴マミの家に訪問した。二人ともわたしがただの一般人だと思っているため、魔女や魔獣についての説明をしてくれるということだった。
 わたし自身も魔女についてはともかく、魔獣に関しては全くわからなかったため、説明を受けられるのは正直ありがたく、話を聴くことにした。もっとも、あのまま何も説明せずに開放できるようなものではないのも確かなのだけれど。人によっては一度魔女に直接襲われると、助かっても再び襲われる危険性がある人もいるし、口止めもしなければならない。誰かに話したところで信じてはもらえないだろうけれど、冗談や笑い話で済まなくなってしまったら最悪精神異常者と思われてしまうかも知れないのだ。
 他愛も無い話をしながら二十分ほど歩き、巴マミの住むマンションに着く。比較的大きなマンションの最上階で、女子中学生が一人で生活するには過ぎた部屋だと以前も思ったけれど、これは確か叔父の援助によるものだと聞いた覚えがある。おそらく、彼女は親類の間で持て余されていたのではないだろうか。大きな事故で一人になってしまった思春期の少女をどのように扱えばよいか、どのように向きあえばよいかわからなかったのだろう。だから部屋の世話をし、生活に困らないだけの資金援助をして、良心の呵責を誤魔化しているのではないだろうか。もしも彼女のことを疎ましく思っていたのだとしたら、施設に放り込まれていても不思議ではないのだから。
 何度も時を繰り返したせいか、自分でもずいぶんとうがった考えをしていると思うけれど、それが的外れだとも思えない。これまで繰り返した時間の大半で、彼女は人とのふれあいに飢えていた。深く付き合いたいと思っても、魔法少女という立場が踏み込むことを躊躇させていたらしい。彼女の魔女の被害から人を守りたいという思いは立派なものではあるけれど、それは同時に他者に深く関われないことへの代償行為ではないかと思う。
 これまで何度か繰り返した中で見かけた彼女の部屋は、最低限の生活感しかない閑散とした部屋か、逆に女子中学生が一人で暮らしているにしては物が溢れすぎている部屋という両極端なものだった。どちらの場合でも、おそらくは孤独感からただひたすらに魔法少女としての活動に打ち込んで生活のことは最低限しか気を回していなかったか、さもなければ部屋を飾り立てて人を招いている場面を夢想することで寂しさを紛らわせていたのではないかと思う。
 全てはわたしの推測にしか過ぎないけれど、わたし自身もふれあいたい相手に近づきたくても近づけない苦悩はよく知っている。わたしと彼女とで感じているものは厳密には異なっているはずではあるけれど、比較的近いものであることも事実なので、彼女自身の心情を全く理解出来ないわけでもないのだ。

「さ、入ってちょうだい。お茶を用意するから、座って待っていて」

 色々と考えている間に、部屋に到着したらしい。わたし達を部屋の中へと案内すると、巴マミはまどかとわたしを残してキッチンへと行ってしまった。
 リビングでまどかと二人きりになってしまった今の状況に、わたしはどういう話をしていいのかわからなかった。今のまどかにとって、わたしは何も知らない普通の少女のはずだから。だから、わたしから話しかけることができなかった。学校でのことを含めた『普通の話』は、ここに来るまでの道程でほとんど話してしまっているし、こうして他の人に聞かれる心配のない場所まで来たのは、ただのお喋りをするためじゃない。

「紅茶で良かったかしら?」

 人数分のティーカップとティーポット、それにケーキの乗ったトレイを持って、巴マミがキッチンからリビングへ移動してきた。紅茶は比較的高級な品で、ケーキに至っては市販のものではなく自分で作ったものだという。紅茶の淹れ方といいケーキといい、プロには及ばないものの、中学生としては高い腕前を持っている。

「どこから話せばいいかしらね……」

 ガラステーブルに紅茶とケーキを並べ、全員が腰を落ち着けたところで、巴マミが話を切り出した。その表情はどこか困ったようなもので、どう説明していいのか考えあぐねているのかも知れない。

「僕から説明するよ。魔女と魔獣、そして魔法少女の関係について」

 巴マミが話しあぐねているのを見かねたのか、テーブルの隅でおとなしく座っていたインキュベーターが話し始めた。口調も表情も相変わらずで淡々としていて、他の者たち同様に私が知るままの性格のようだった。その事が安心感を与えてくれるのは皮肉なことだと思うけれど。

「魔獣や魔女が呪いを振りまく存在なら、魔法少女は希望を振りまく存在なんだ」

 話の始めは、それほど大きな違いは無く、魔獣という存在が付け足された程度のもの。けれど、話が進むうちにわたしが知っている魔女の情報とはいくつもの差異があることに気が付いた。
 魔獣は人の悪意から生まれ、自然に発生するのだという。そしてそれは、人の悪意から生まれた瘴気が凝り固まった存在に過ぎず、自我も個性も持たずに本能のまま行動する。その本能とは、恨みや憎しみ、劣等感などの負の感情を強く抱えた人間の魂を求めること。魔獣はそんな人間の魂を肉体ごと取り込んで、それを元に個性と能力を得て魔女に変貌する。そうして生まれた魔女は他の魔獣を取り込み、使い魔へと変化させて使役するらしい。
 わたしが知る魔女の在り様とはかなり異なっている。共通するのは人の魂を糧にするというところと、使い魔が成長すればやはり魔女になるという点だけ。似ているように見えて、かなり違う。やはり、ただ過去に遡ったというわけではないらしい。
 死んだはずのわたしがこうして生きていること、魔法少女ではなくなっていること、そして、魔獣という今まで無かった存在。やはりここは『似て非なる可能性の世界』なのではないだろうか。わたし自身の事といい、魔獣の事といい、そう考えなければ説明が付かなくなってしまう。何故わたしがここにいるのか、それは分からないままだけれど、それでも今おかれている状況が少しでも分かってきたのは前進だった。

「キュゥべえ、それで、彼女はどうなの?」

 話が一段落ついたところで、巴マミがインキュベーターに問いかけた。何の事か一瞬理解できなかったけれど、それが魔法少女の資質についての事だと思い至った。

「うん、資質はあるね。魔女の結界の中で飲まれずに自由に動き回れる事ができたみたいだし、僕の事も見えている。けど……」

 不意にインキュベーターが言葉を切る。表情がほとんど変化しないので判断が難しいが、どうやらどのように答えるか言葉を選んでいるようだ。

「……資格は、ないね。彼女には、叶えたい願いを持つ人間特有の波動が感じられない。これじゃ契約は成立しないよ」

 その言葉は、ある意味わたしが最も聞きたくなかったもの。契約を行う資格がないということは、今のわたしは望んでも力を手に入れることはできず無力なままだということでもある。何も知らないままだったなら、それでも良かったかも知れない。けれど、今のわたしは無知な一般人ではないのだ。それ故に無力なままだという事実は、わたしの中に安堵よりも焦燥を募らせる。何もできないという事実が、ひどくもどかしい。

「そう……残念ね。安易に人を誘うべきではない事だと分かってはいるけれど、一緒に戦う事のできる仲間になれるかもしれないと期待してしまうのはどうにもならないわ」
「マミさん……」

 巴マミの自嘲気味な呟きに、まどかは悲しげな声音で彼女の名を呼ぶ。ここでわたしはまだ聞いてはいないけれど、おそらくまどかは巴マミが魔法少女となった経緯と、現在の彼女の事情を知っているのだろう。この世界でのまどかがどんな願いを対価に魔法少女となったのかは分からないけれど、以前のわたしや巴マミの願いに比べればささやかなものかも知れない。
……そういえば、わたしが魔法少女になる前の一番最初の出会いのときのまどかの願いは、目の前で交通事故にあった黒猫の命を助けて欲しい、だったわね。
 まどからしい願いではあるけれど、こんな内容の願いで契約が成立してしまった事を思えば、元から高い素質を備えていたのかもしれない。そこに、知らなかった事とはいえ、わたしの複数回にわたる時間遡行の弊害である因果の積み重ねが加わったのだ。おそらく繰り返すたびに倍々ゲームのように膨れ上がっていったのだと思う。そう考えれば、何故インキュベーターがあれほどまどかに執着したのかも理解できる。そういった外部的要因が無ければ、いくら高い素質を持っていたとはいえ、標準的な魔法少女の範疇に納まっていたのだろう。結局のところ、全てはわたしが自分で招いた事態だったのだ。けれど、この世界ではどうなっているのだろう。わたし自身は魔法少女ではなくなっているし、そもそも時間遡行で戻ってきたわけでもない。それに、魔女だけではない魔獣の存在。それらを考えれば、直接的な関係の無い全く異なる世界ではないかと思う。もしそうであるのなら、因果の収斂もここではまだ起きていないと思いたい。希望的観測でしかない事も分かってはいるけれど。

「ともかく、一度魔女に襲われた以上、また襲われる可能性があるわ。鹿目さん、貴女彼女と同じクラスのようだから、学校にいる間彼女の身辺の警戒をお願いしていいかしら。校内で襲われる事はさすがに無いと思いたいけれど、万が一という事も考えておかないと、ね」
「わかりました。でも、私ほむらちゃんといろいろお話したいと思ってたから言われなくても近くにいたと思いますよ?」

 そう言って、二人は小さく笑いあった。その雰囲気に飲まれたというわけでもないと思うけれど、わたしも二人を見て少しだけ笑ってしまっていた。学校で笑っている事を指摘されて以来、少しずつではあるけれど心の中で何かがほぐれていっているような気がしている。それはほんの小さな変化でしかないけれど、胸の中に確かに暖かなものを思い出させてくれた。これで魔女や魔獣の問題が存在していなかったなら、どれほど幸せだっただろうか。インキュベーターはわたしが資質はあっても資格が無いと言っていたけれど、おそらくはこれもまたその理由の一つなのかも知れない。何故なら、今のわたしはほんのわずかであっても、満たされたものを感じていたから。その事が以前のような渇望を感じさせなくしているのだろうと思う。

「ありがとう。それに、ごめんなさい」

 小さく礼と謝罪の言葉を呟いて二人に頭を下げる。わたしのその態度に、二人はやや不思議そうな表情を浮かべていた。

「……なんでほむらちゃんが謝るの?謝らなきゃいけないのは、むしろ私達のほうだと思うんだけど」

 まどかの疑問はもっともだと思う。けれどこれは、助けてくれた事への感謝と同時に、わたしがあの場にいた事で二人に負担をかけてしまったこと、それと力になれないわたし自身の不甲斐無さゆえの事だ。

「鹿目さん、いいのよ」

 巴マミの声に、そちらに視線を向けてみれば、彼女がわたしに向かって小さく微笑んでくれた。どうやらわたしの言葉の言外の意味を察してくれたらしい。その事が嬉しくもあり、寂しくもある。わたし自身の事、知っている事、全て話せたらこんな気持ちを抱かずに済んだかも知れないけれど、信じてもらうための根拠を示せない以上は仕方が無いと思うしかない。それに、下手に話してインキュベーターに余計な情報を渡す事になってしまっても厄介な事になる。
 だから、もし話す時があるのなら…… ワルプルギスの夜が現れる、その時だ。



[27327] Nacht von Hexen Ⅳ (鬱展開注意)
Name: 月神 朧◆ccf3bd75 ID:e0ab2b19
Date: 2011/07/16 21:09
 後頭部に感じる鈍い痛みに、朦朧としていた意識が浮かび上がる。
 目が覚めると同時に感じた痛みに、その場所を手で押さえようとして、その時になってはじめて身動きが取れないように拘束されている事に気が付いた。両手両足ともに縄で縛られ、口元には布で轡がかまされているためまともに喋る事はできない。声を出すだけなら可能だけれど、呻き声にしかならない。

「~~~~~~~~~~~~~~~~!!」

 私が今いるところはどこかの家の納屋の中らしい。そこで、外に誰かいないかと思い、言葉にならない呻きを可能な限り張り上げる。中は暗いけれど、扉の隙間や窓から明かりが差し込んでいる事を考えれば、少なくとも夜ではないはずだ。そう思ったのだけれど、返事は返ってこないし、近くに誰かがいるような感じもしない。静寂の中、わずかに風の音と木々のざわめきが聞こえるだけ。
 その異様な雰囲気に、私はひどく嫌な予感がした。何がおかしいのかはっきりとは分からないけれど、でも何かがおかしい。外の様子を見られないから確かめられない。でも、いつもとは違う雰囲気というか気配のようなものが村全体を包み込んでいるのが分かる。 何かがおかしい、何かが危険だと心の中で警鐘が鳴り響く。けれど、身動きのできない今の状態では何もできないし、もし動けたとしても、これで逃げ出したりすれば自分から疑って下さいと言い出すようなものだ。だから逃げ出すわけにはいかない。なにか誤解があったのなら、それを晴らさないと。
 その為には、まず誰かと話さなければならない。それに、誰かを呼ぼうにも今の状態では騒ぐ事しかできない。無闇にそんな事をすれば印象を悪くするだけでしかないだろう。だからこそ、今は待つ事しかできないのだ。とはいうものの、このまま放置されるような事もないはずだと思う。多分……。
 それにしても、何故こんな事になってしまっているのだろう。縛られた手首足首が縄に擦れる痛みを気にしながらも、そんな事を考える。あのときの私は、ただ村の皆を助けたいというだけで無我夢中だった。使い魔と魔女を倒す事だけに集中していたために周りに全くといっていいほど気を回していなかったけれど、あの魔女の結界の中で戦っている姿を誰かに見られたのだろうか。いや、それも少しおかしい。それならば確かに最初は気味悪がられるかもしれないけれど、いきなり背後から殴られるような事は無いと思う。だとしたら、私が騒動を起こした張本人だと思われている?犠牲者の人たちも私が殺したと。そう考えるなら、私を後ろから殴り倒したあの人の、恐ろしいものを見るような目も理解できる。そうだとしたら、どうやって説明すればいいのだろう。魔女も使い魔も、倒してしまったら跡形も無く消滅する。そう。証拠になるものが一切残っていない。そして、犠牲になった人たちの遺体は残っている。
 どうしよう……。身動きできず声も出せない状態の私は、心の中だけで頭を抱えた。魔女の事を説明しても信じてもらえるとも思えないし、私が殺したのだと思われているようなら、まともに話を聞いてくれるかも分からない。あれこれと考えてはみるものの、証拠になるものが何もないというのが問題で、結局行き詰ってしまう。グリーフシードやソウルジェムを、とも考えたけれど、何も知らない人にとっては装飾品のようにしか見えないと思うのでこれも解決策にはなりえない。
 そうして考えをめぐらせている内に、丸一日の時間が経ってしまった。とにかく、何もないというのが一番痛い。魔女の身体の一部でも残っていれば全面的には信じてもらえないにしても、話し合う余地はあったはずなのだ。とはいえ、このままだと私は咎人として官憲に突き出されてしまうことが充分に考えられる。それは一番考えたくない結末だった。いわれの無い罪で裁かれるなんて御免被りたいし、魔女の件にしても今回だけで終わりとも限らない。
 けれど、身動きもできず話す事もまともにできない。なによりも、こちらの動きに気付いてくれる場所に人がいないらしい。考えながらも小屋の外の音に聞き耳を立てていたけれど、遠くのかすかな話し声や風の音は聞こえても、近くで話をしているような音や足音は聞こえない。それはつまり、私が入れられているこの小屋に近づく人はいないという事を示している。あの白い小動物も姿を現さない。私が殴り倒されるのを見て逃げ出してしまったのかもしれないけれど、あの小さな身体ではそれを責める訳にもいかない。できる事が何も無い状態である以上、誰かが来るなりするまで待っているしかできないのかもしれない。
 そうして待ち続けて、私の入れられている小屋に人が来たのは、気がついてから二日ほど経ってからのことだった。その間、食事はおろか水さえも飲ませてもらえず、当然ながら下のものも垂れ流しにするしかなかったので、そのときはひどい有様になっていた。空腹感で身体に力が入らず、口の中も乾燥して唾液がねっとりと絡みつくようになってしまいひどく気持ち悪い。さらに、垂れ流した汚物の異臭と、それに伴う皮膚のかぶれが下半身を苛む。なによりも意識がぼんやりとしてきていて、自分が今どういう状態にあるのかなどどうでもよくなり始めていたのだ。
 異臭を放ち、力なくよろめくような歩き方をする私を、数歩ほど後ろから手に持った棒で責め立てるように叩く二人の男たち。彼らの顔には嫌悪感と畏怖と怒りが交じり合った複雑な表情が浮かんでいる。そして、自分達が今行っている行為に対しては何の疑問も抱いてはいないようだった。その事がひどく苦しい。彼ら自身に責められるべき理由は無い。あくまでも被害を受けた側であり、その事がこのような行為に走らせている主な原因であろう事は私にもわかる。けれど、つい先日まで親しく話したり笑いあったりしていた隣人からこのような仕打ちを受けるのは悲しいしひどく辛い。
 私の衰弱した身体は抗うだけの余裕はなく、心もまた疲弊しているせいか考えが纏まらない。疑問が浮かんでも、それに対して納得のいく答えを出そうなどといった思考が働かず、考える事自体を放棄してしまっているような状態だった。だからだろうか。私自身が今受けている仕打ちに対して、どこか他人事のように思ってしまっているのは。痛みはあるし、これが理不尽なことだということも認識している。それなのに、私はそれを現実ではないと思い込もうとしていた。それが逃避であることは分かっていても、その思いは止まらない。心の何処かで「裏切られた」と考えていることに、私は気づいていなかった。
 小屋の外に連れ出され、嬲るような行為を受ける私の周りに少しづつ村人が集まってくる。普段あまり顔を合わせることのなかった人、逆に毎日のように顔を合わせ、時には笑い合ったりもした知人。そして、数人の友人たち。皆一様に蔑むような視線を向けてくる。喪章を付けている人たちは魔女とその使い魔によって家族の誰かを奪われてしまったのだろう。彼らは皆、怒りを湛えた目で非難するような強い視線を向けてくる。
 私はそれらの視線が向けられる中、虚ろな目をしてぼんやりとしていることしかできなかった。何故そんな視線を向けられるのかわからない。けれど、消耗した身体と朦朧としかけている意識が、思考をその先に進めることを許さない。抗う事を忘れてしまったかのように、私はただされるがままになっていた。

「……して……よ……」

 重苦しい呟きが私の耳に届く。はっきりと聞き取れなかったそれに惹かれるように顔を向けると、そこには喪章をつけた一人の若い女性が立っていた。年のころは二十代半ばくらいだろうか。栗色の髪を長く伸ばしたその女性は、私も知っている人だ。でも、この人には確か生まれたばかりの娘さんがいたはず……

「返してよ……あの人とあの子を……返して……よぉ……」

 耐え切れなくなったかのように涙を溢れさせ、泣き崩れる彼女。私は、その姿よりも言葉に衝撃を受けた。そう、彼女が喪章を付けていた理由は旦那さんと娘さんを喪ったから。そういう事が起きるかも知れないという可能性は覚悟していた。けれど、実際に目にしたときに受ける衝撃は想像していたものよりもずっと大きいものだった。そして、彼女を気遣う者たちが時々私に向ける、怒りと憎しみの篭った視線。それが、私の疲弊した心に追い討ちをかけるように責め立てる。
 違う、私じゃない。そう否定したくても、立っているのもやっとというほどに衰弱した身体は言葉を発するための力を出す事は無く、後ろ向きになった気持ちはその言葉を良しとしなかった。否定して弁解しても、どうせ信じてはもらえない。ここまで受けてきた仕打ちが、気持ちが前向きになる事を拒ませて、その考えを振り払うことができなかったから。
 呆然としている私の前で泣き崩れていたその女性は、やがてその場にいた人のひとりに連れられて帰っていった。泣き腫らした目に力なくうなだれたその姿は、誰が見ても痛々しいものに映るだろう。連れられて去っていく彼女を見送る皆の目には気遣いの色が浮かんでいたけれど、ひとたび私の方に振り向けば、その眼に浮かぶのは非難の色。
 違う! 私じゃない。だから、そんな目で私を見ないで! 心のなかのその叫びは言葉にならず、ただ自身の心を削り取る。その思いが強くなればなるほどに、皆の非難の視線が強い痛みを伴って心に突き刺さった。

「……う…………い…………」

 ようやく搾り出したその声は、喉の渇きに遮られて言葉とならず、ただ掠れた小さな声が漏れ出たようにしか聞こえなかった。
 違う、こんなはずじゃない。私はただ、皆を助けたかっただけなのに。言葉にならぬ思いはただ虚しく意識の片隅へと消えていく。どこで間違えたのか、それすらもわからないままに心の中を無力感が満たしていき、私はその場で膝を折り蹲った。周りの人達がなにか言っているのが聞こえてくるけれど、それが非難するものだと分かっても、内容がどんなものなのかはわからない。聞こえないわけではないけれど、その内容を理解することを心が拒んでいた。
 胸の奥で、締め付けるような痛みが生まれる。それと共に呼吸が苦しくなってゆき。ひどく重く感じられるようになる。息を吸って吐く、普段なら気にかけることもなく当たり前のようにできるその行為に今残っている力を全て注がなければならない。そうしなければまともに息を吸うこともできなくなっていた。

「……か…………は…………」

 口からこぼれたのは弱々しい声。言葉というほどのものではなく、息が漏れ出しただけと言ってもいいような意味のない音。けれど、今の私はそれだけでも精一杯の状態だった。不安と無力感と、注がれる視線。全てが気力を削いでいく。そんななかで、全てがどうでも良くなってきてしまっていた。
 私は、何がしたかったんだろう……。どうして、こんなことになってしまったんだろう……。どうして、皆は私を責めるんだろう……。いくつもの疑問が浮かんでは消えていく。答えるものはいない。考えることもできなくなってゆく。それらはただの雑念となり、虚しく流れ去る。

「うぐっ……!?」

 唐突に、背中に痛みを感じた。おそらくは棒で背中を叩くか突くかされたのだろう。その痛みが意識を呼び覚ましてくれたけれど、それも一瞬のこと。気力を失った心には霞がかかり、考えることを放棄する。蹲ってしまった私を立たせようとしているのか、何度か背中に痛みを感じたけれど、それすらもどうでもよくなっていた。
 壊れかけた心で、背中の痛みを他人事のように感じながら考えを呼び起こそうとする。
 私、なにしてたんだっけ。私、何をしたかったんだっけ。どうして、こんなことになってるんだっけ。どうして、こんな目に遭ってるんだっけ。なんで、殴られてるんだっけ。なんで責められなくちゃならないんだっけ…………
 まとまらない思考は、支離滅裂に疑問を浮かべては答えを見出すこともなく消えてゆく。
 もう……いいや…………
 動こうとしない私に業を煮やしたのか、足音が近づいてくるのを感じながら、私は完全に考えることを放棄した。


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