県内ニュース戦争で引き裂かれた家族、絵を通じ“再会” 山形美術館で遺作展
2009年07月14日 21:03
戦死した兄弟が妹を「少女」(左)と、弟・芳朗さんが描いた風景画(右)を対面させた高嶋昭さん=山形市・山形美術館
戦死した兄弟は山之井龍朗さん、俊朗さん。妹の百合子さんをモデルにした作品には「少女」というタイトルが付いている。 横浜税関に長く勤務していた最上町の高嶋昭さん(74)が、龍朗さん、俊朗さんの弟・芳朗さん(故人)の絵を所有していたことから、本県での対面が実現した。 龍朗さんらは、8人きょうだいだったという。龍朗さんは1941年に、俊朗さんは43年に召集され、戦場に散った。妹・百合子さんを描いた「少女」は、龍朗さんが戦地に赴く直前に描かれたとみられ、41年の年号と2人のサインが入っている。当時、幼かった芳朗さんは戦後、自営業の傍ら絵を描き続け、3年前に他界するまで風景画を中心に多くの作品を残した。 一方、高嶋さんは、15年ほど前、偶然訪れた横浜市内の画廊で、自身が勤務していた横浜税関の建物が描かれた芳朗さんの風景画に出合い、購入した。その後、芳朗さんの2人の兄が画家を志しながら戦死し、その作品が戦没画学生の作品を集めた「無言館」(長野県)に収蔵されていることを知った。退職後、古里の最上町に戻ってからも、この絵は高嶋さんの心に残る1枚として大切にされた。「絵を通じてでも、戦争で引き裂かれたきょうだいを再会させてやりたい」と思い続けてきたという。 無言館の収蔵作品などを紹介する展示会が山形市内で開催されることを、本紙を通じて知った高嶋さんが、初日の14日、芳朗さんの絵を持参し、対面させた。会場には、俊朗さんが父母を描いた絵も展示されており、親と子が顔を合わせることになった。 高嶋さんの妻でバイオリニストの池田(本名高嶋)敏美さんは、鎮魂の思いを込めて「鳥の歌」など2曲を演奏した。1時間足らずの短い対面だったが、高嶋さんは「絵という形でだったが、家族を会わせることができ、悲しみもあるが本当によかった」と声をつまらせた。対面の知らせを受け、横浜市内に住む芳朗さんの娘・増田志保さんは「人の縁を感じる。『少女』の絵は父が長い間、大切に持っていた作品で、家族としてもうれしい」と話していた。 戦没画学生遺作展は20日まで。酒田市出身の故岡部敏也さんなど本県出身の4人の作品を含め、作品約110点と写真や遺品を紹介している。
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