☆本日限りの回答☆
○『微睡みのセフィロト』と『エスパーお蘭』につきまして。
不思議なメッセージがありました。
@ubukata_summitのタイムライン上のもので、見ると「フォロー1、フォロワー0、ツイート2」という、
ボットと同類の誰かが、ただ一言発信するためだけにアカウントを作った、何者でもない方のツイートです。
内容は以下の通りです。
「@ubukata_summit 『マルドゥック・フラグメンツ』のパクリ問題に付随して冲方先生の「微睡みのセフィロト」が平井和正の「エスパーお蘭」にそっくりでは?という問題も浮上してるようですがどうなんでしょう?」
はじめは意図がわかりませんでしたが、つまり「冲方丁も盗作をしているのだ」ということが言いたいのでしょう。
そもそも、『微睡みのセフィロト』が、徳間と早川から二度出版される過程で、何の指摘も抗議も受けていないにもかかわらず、ただの噂に対し、「公式」というのも、実におかしな考え方です。
なんであれ、答えは、読んでおりません。
僕は、バブル崩壊後になってようやく日本に住むようになりました。
それ以前の日本の出版物はおろか、日本のカルチャー自体、なかなか享受できなかったし、理解できなかった。美空ひばりが誰かもわからず、プラモデルが日本産であることもよくわかっていなかった。
帰国して間もなく影響を受けたのは、小説では夢枕獏先生と、栗本薫先生でした。
あまりにもお二人の作品の影響を受けすぎたため、デビュー作を書く際には、『上弦の月を食べる獅子』を鋸で真っ二つにし、『魔界水滸伝』を学校の焼却炉に放り込みました。今考えても何の意味もない行為ですが、そうでもしないと、一生、呪縛され続けると思っていたのでしょう。
『微睡みのセフィロト』を執筆する際に念頭にあったのは、子供の頃に読んだアメコミの「続き」を考える、ということでした。
突如として進化した新たな人類と、旧来の人類が争った、「その後の世界」を描きたかった。このことから、最も影響を受けたのは、まず間違いなく「X-MEN」でしょう。
しかし当時の僕にそこまでの実力はなく、そもそも『マルドゥック・スクランブル』を出版してもらえず、放浪していた時期でありました。そのため、徳間書店の編集部から「このような作品だったら出版できる」と、枚数から内容、シーン構成など、様々な指示・指摘を受けて書いたのが、『微睡みのセフィロト』です。
その過程で、『エスパーお蘭』というタイトルが出たことはありませんでしたし、早川で出版し直した際にも、参考書として意識して書こう、といった話はありませんでした。
今はただ、あのとき書き損なった「その後の世界」が、課題として残るばかりです。
しかしここで重要なのは、「読んでいない」という不勉強の自慢ではありません。
その昔、SF評論家である鏡明さんに、「SFをもっと読んだほうがいい」と言われ、不勉強を指摘されるのが嫌だった僕は、「山田正紀さんの『機神兵団』のアニメは見ました」と強弁し、「それ言ったら、あいつ泣くよ」と笑われたことがあります。
それでも、そうした隔世の間隙においても、受け継がれるものはあるのです。
僕は、『ブレードランナー』を知りませんでした。
けれども、『サイレントメビウス』で描かれた、あのランドスケープやギミックを通して、SFならではの退廃と高揚に満ちた世界を知るきっかけを得ました。
僕が「ESP」という言葉を見て、何の意味かすぐわかるのは、『ファイア・スターター』と『僕の地球を守って』のお陰です。
いわば平井和正先生は、僕にとって、第一世代です。
直接は知らないものの、第二世代として活躍された方々が、第三世代である僕に、第一世代が生んだ素晴らしいものごとを伝えてくれましたし、今も伝え続けてくれているのです。
僕は、『エスパーお蘭』を読んだことはありません。
しかし、つながっているはずですし、つながるよう、努力すべきなのです。
なぜなら、いつか、僕の次に来ている第四世代に、なるべく多くの遺産を受け継がせねばならないからです。
不思議な問いかけに対する、おかしな回答は以上です。
ところで。
僕にも、今回の問いを投げかけたあなたに、質問が二つあります。
あなたは、読者ですか?
「オオカミが来た」とわめくのが楽しいだけで、僕や平井和正先生、『微睡みのセフィロト』や『エスパーお蘭』に、本当は何の興味もないのではないですか?
おそらく、最初に平井和正先生や出版社に、同じようなメッセージを投げつけたものの、相手にされなかったか、思った通りの事態にならなかったため、仕方なく僕のところにやって来たのでしょう。加害者であることを認めさせる前に、まず普通は、被害者の怒りを煽ろうとするはずだからです。
しかも、対話を拒絶し、最初から誰とも何の関係も持とうとせず、「公式」を要求しながら自分は匿名のメッセンジャーになりすましながら。
そういうあなたの問いかけに、律儀に返答している僕は、とびきりの愚か者ということになるでしょう。
ただし、「公式」の見解として、一つだけ述べさせていただきます。
ここ一連の出来事の中で、あなたが最も悪質です。
くだんの賞を取り消された方は、確かに様々な点で咎められるべきでした。
けれども、事が起これば罰を受ける場に、自ら望んで立っていたのです。それが彼の良心でなくてなんでしょうか。
あなたは、最初からどこにもいません。
僕は、あなたを読者とは思いません。
「業界への貢献、クリエイターの利益、読者が享受すべき喜び」僕が学び、守るべきこれらの中のどこにも、あなたはいません。
このブログや公式ツイッターは、読者と作品の架け橋の場です。
今後、読者ではない方の問いかけに、僕が答えることは二度とないでしょう。
人は、喜びを求めるだけでなく、選ぶことができます。
ボタン一つで何かを操作する喜びも、全身全霊をかけて何かを成し遂げる喜びも、自分の姿を隠したまま他人が傷つく場面に参加したくて仕方ない喜びも。
どれも、人の喜びです。
喜びを選んで下さい。