2011年 8月10日記念LAS小説短編 麦わら帽子の女の子 Lover in my heart(後編)
シンジがその少女と出会ったのは、父が勤める研究組織の所有するヒマワリ畑の1つで、松代市にあるものだった。
父ゲンドウに連れられてやってきたのだが、ゲンドウは仕事の話を始めてしまい、シンジは1人でヒマワリ畑の中をふらついていた。
「ねえ、アタシと一緒に遊ばない?」
ヒマワリの間から姿を現したのは、麦わら帽子をかぶったシンジと同じ年くらいの少女だった。
少女を見た時、赤い髪の毛の色からシンジは外国人の子かと思った。
だが、目の前の少女は日本語を話している。
返事をする前に少女に手を引っ張られたシンジはそのままなし崩しにその少女と一緒に遊ぶ事になってしまった。
ヒマワリ畑を2人で駆けて遊んでいる途中に、少女の大きな麦わら帽子は何度もヒマワリに引っ掛かった。
シンジのかぶっている麦わら帽子より明らかに大きい。
不思議に思って少女に尋ねると、母親の麦わら帽子を借りてかぶっているのだ答えた。
「アタシのパパ達ってどうして、ヒマワリ畑を作って居るか知ってる?」
「うーん、よく解らないよ」
遊んでいる途中に少女に尋ねられて、シンジは首を横に振った。
「アタシもよく解らない。でも、ヒマワリ畑を作ればみんなが喜ぶってパパが言っているの」
「へえ、みんなが喜ぶんだ」
シンジも父親のゲンドウに理由を聞いた事があるが、『土壌浄化』だの『プロジェクト』だの訳の解らない単語を並べられて困ってしまった。
要するにゲンドウはかみくだいて簡単な言葉で説明するのが苦手だったのだ。
「だから、アタシもパパに協力してヒマワリを植える事にしたの!」
少女はそう言って、ポケットからヒマワリの種を取り出した。
その少女も、父親の仕事の内容を正確に理解しているわけでは無さそうだったが、やる気に満ちた明るい笑顔をしているとシンジには思えた。
ヒマワリの種をその小さな手いっぱいにつかんだ少女は、シンジに向かって手を差し出した。
どうやら、シンジにもヒマワリを育てるのを協力しろと言う事らしい。
少女から笑顔で渡されたヒマワリの種を断る事も出来ず、シンジは受け取ったヒマワリの種をポケットに入れた。
「約束だからね」
「……うん」
少女の言葉にシンジはうなずいた。
それからしばらくシンジが少女と遊んでいると、父親のゲンドウがシンジを探して呼ぶ声が聞こえて来た。
「あっ、お父さんが呼んでるから僕は帰らなきゃ、バイバイ!」
シンジは慌てて少女に手を振って父の元へと戻って行った。
そして、シンジは来年の夏にも父親のゲンドウに頼んで松代市のヒマワリ畑に連れて行ってもらった。
少女に会うためだとは恥ずかしくてゲンドウに言えなかった。
シンジはヒマワリ畑の中を必死に探しまわったが、少女の姿を見つける事は出来なかった。
その時になって、シンジは少女の名前すら聞いていなかった事を後悔した。
唯一の手掛かりは松代市のヒマワリ畑のみ。
そんなわずかな偶然にすがって、シンジはその来年も再来年もヒマワリ畑を訪れたが少女の姿は見つからなかった。
シンジは、ヒマワリ畑で少女と再会する事は諦めた。
しかし、シンジは少女から貰ったヒマワリの種を植えて育てるのは止めなかった。
それは自分と少女を結ぶ小さな絆。
ベランダのプランターに植えられたヒマワリを見る事で、シンジは少女の存在を心の中で感じられる気がしたのだ。
シンジが昔の思い出話をしている間、アスカは真剣にシンジの話に耳を傾けていた。
「アスカはそのヒマワリ畑の女の子と似ているんだ。だから、この前アスカに会った時、その子とアスカのイメージを重ねてしまって……」
シンジはそう言ってアスカに謝ったが、アスカは黙って目を閉じた。
アスカを怒らせるか失望させてしまったと思ったシンジは、自分の事を情けないと笑うかのような声でアスカに話し掛ける。
「僕って未練たらしいよね。いつかヒマワリを育てるのを止めて、その女の子の事も忘れようとは思うんだけど」
「……忘れちゃダメよ、絶対」
涙声でアスカが言うと、シンジは慌ててアスカにさらに謝る。
「ごめん、僕って自分勝手すぎるよね」
「ううん、これは嬉し涙よ」
「えっ?」
泣き笑いのような表情になったアスカを見て、シンジは驚いた。
「アタシ感激したわ……たった1日遊んだだけだったのに、アタシの事を覚えていてくれたなんて」
「じゃあ、アスカが麦わら帽子をかぶってヒマワリ畑に居た女の子?」
シンジが震える声でアスカに尋ねると、アスカは満面の笑みを浮かべてうなずいた。
すると、シンジの心の中にも激しいものが湧きあがった。
何年も恋焦がれていた相手に、会う事が出来たのだ。
「アスカぁーっ!」
「シンジぃーっ!」
シンジがアスカに向かって飛びかかると、アスカはしっかりとシンジの体を受け止めた。
そして、お互いの存在を幻では無いと確かめるかのように背中に手をまわして固く抱き合う。
さらに嬉しさが増して来たアスカとシンジは、歓喜の声を上げながら手を繋いだままダンスを踊り始めた。
「シンジ、お隣にご迷惑になるから静かにしなさい」
そんなシンジの部屋の物音を聞きつけてか、ユイがシンジの部屋のドアを開けて注意した。
しかし、手を繋いでいるアスカとシンジの姿を見て目を丸くして固まってしまう。
不意をつかれたアスカとシンジも同じ反応だった。
「あっ、お邪魔しています」
「ご、ごめんなさい母さん」
顔を真っ赤にしたアスカとシンジが慌てて手を離した。
ユイはそんな2人を見て穏やかな笑みを浮かべる。
「おめでとう」
「あ、ありがとうございます」
「ありがとう」
ユイが祝いの言葉を述べると、アスカとシンジはお礼を言った。
「ア、アタシ、シンジに宿題を教えてもらおうと思って、それで……」
「別にいつ訪ねて来ても構わないのよ。でも、次は玄関から入って来てね」
アスカがシンジの部屋に居る言い訳をしようとするが、ユイはまったく意に介さない様子だった。
「は、はい……」
アスカは恥ずかしそうに消え入るような声で返事をした。
「そうだ、これからシンジが寝坊するようだったら、起こしに来てもらおうかしら?」
ユイの言葉に今度はシンジが恥ずかしがる番だった。
シンジの部屋からユイが立ち去ると、アスカとシンジはホッとしたように息をもらす。
「母さんが怒って無くて良かったね」
「アタシが勝手にシンジの部屋に来ちゃって迷惑をかけてしまったと思ったわ」
「そんな、迷惑じゃ無かったよ。だって、アスカがあの麦わら帽子の女の子だってわかったから、信じられないぐらい嬉しいよ」
「まだ疑っているの? じゃあ、アタシのアルバムを見てみる?」
「いや、そう言うわけじゃないけど。でも、アスカのアルバムなら見てみたいな」
アスカはからかうような表情を浮かべながらシンジに尋ねる。
「もし、麦わら帽子の子とアタシが別の子だったら、シンジはどっちを選んでた?」
「そんな、意地悪な質問をしないでよ」
シンジが辛そうに顔を歪めると、アスカは慌てて謝る。
「ごめんね、でも麦わら帽子の子を心の中で大切にしてくれるシンジの気持ちは嬉しかったから」
アスカはそう言うと、シンジのほおに軽くキスをして部屋を出て行った。
シンジはほおに手を当ててぼう然としていた。
そこへドタドタと激しい足音を響かせたアスカが戻って来た。
玄関から帰ろうとしたのだが、サンダルはベランダに置いたままだったのだ。
「うっ、さっきのはね、あの……その……」
アスカは顔を赤くしてうなりながらシンジに言い訳をした。
こう言う時は何も言わない方が良いと思ったシンジは、黙って笑顔でアスカにサンダルを返した。
アスカはシンジからサンダルを受け取ると、ユイとシンジに見送られて玄関から帰って行った。
「かわいい子ね。シンジが何年も一途に想ってしまうのも分かるわ」
「ええっ、母さんは知ってたの!?」
シンジが尋ねると、ユイはアスカの両親とは以前からの知り合いだと話した。
碇家の隣の部屋も元々は惣流家の物だったが、遠方の地に転勤することになっていたので、他の家族に貸していたのだと言う。
ユイの話を聞いたシンジはため息を吐いて恨めしそうな顔でユイを見上げる。
「それならもっと早く僕に教えてくれたら良かったのに」
「だって、シンジは恥ずかしがって松代のヒマワリ畑に行く理由も、どうしてヒマワリを育てているのかハッキリと言わなかったじゃない」
ユイに図星を突かれて、シンジは黙ってうつむいた。
「それに、まだ惣流さん達が日本に戻って来るまで何年もあったのよ……」
ユイの言葉を聞いて、シンジは気が付いた。
アスカの方からシンジに告白してくれたからシンジも勇気を出してアスカに麦わら帽子の女の子の事を話す事ができたのかもしれない。
また、お互いの素性を知っても遠く離れた場所にいるのでは、疎遠になって関係が自然に消滅してしまっていた可能性もある。
「だけどね、シンジがアスカちゃんの事が好きだって分かったら、母さんも応援するつもりだったのよ。まさか、引っ越しした日に告白するとは思わなかったわね」
そう言ったユイはシンジを見て楽しそうに笑った。
「でも、僕とアスカで釣り合いがとれるかな」
「もうそんな心配をしてるの?」
「だって学校でもアスカが明るくなっちゃったら、みんなにもてちゃうよ」
シンジの言葉を聞いたユイは愉快そうに笑いながら、冗談めかしてシンジに言う。
「他の人にどう思われるなんて関係無いの。お母さんとお父さんを見てみなさい」
「何気にひどいぞ、ユイ」
リビングでユイとシンジの会話を聞いていたゲンドウが悲しそうにつぶやいた。
そして次の日、寝坊したシンジはユイでは無くアスカに起こされる事になった。
「ふふ、シンジってば可愛い寝顔をしてるじゃない」
「恥ずかしいなあ……」
シンジはアスカに出会えた興奮が治まらず、なかなか寝付けなかったのだ。
アスカと話しながら朝の準備を終えたシンジは、アスカと連れ立ってコンフォート17を出て登校する。
通学路を歩くアスカとシンジの姿を目撃したクラスメイト達は、信じられないと言った様子で目を丸くした。
アスカとシンジが教室に入ると、トウジとケンスケは大きな驚きの声を上げ、ヒカリは息を飲んだ。
レイは読んでいた本を机から落としてしまう程だった。
「おい、何があったんや!」
「僕達にも解るように説明してくれないか」
「私も聞きたいわ」
トウジとケンスケとヒカリの求めに応じ、シンジはアスカとの事を説明し始めた。
アスカの家族がシンジの家の隣に引っ越して来た事を話すと、トウジ達は息を飲んだ。
そして、シンジがヒマワリ畑の女の子の事を話し始めると、レイは耳を押さえた。
その先は聞きたくない嫌な予感がしたのだ。
「凄い、惣流さんがヒマワリ畑の女の子だったなんて!」
しかし、ヒカリが発した感激の声はレイの耳に届いてしまった。
シンジがレイを含む他の女の子に興味を示さなかった理由。
相手がヒマワリの花だったら良かったのに。
レイは心の奥底で、ヒマワリ畑の少女はシンジの妄想であってほしいと願っていた。
実在するとしても、2度と出会ってもらいたくなかった。
せめて、シンジが諦めてしまうまでは。
「ひまわり畑の女の子は、本当に居たのね……」
レイは現実を自分で受け止めようとするかのように、小さな声でそうつぶやいた。
シンジが説明を終えると、アスカは昨日冷たい態度を取ってしまった事をヒカリに謝った。
ヒカリはニッコリと微笑むと、すぐにアスカを許すのだった。
「そうだアタシ、綾波さんにも謝らないと」
アスカはそう言って、少し離れた席に座っていたレイの元へ近づいた。
レイもいつもはシンジ達の話の輪に混じるのだが、今は立ち上がれないほどのショックを受けていたのだ。
「ごめんね、綾波さん」
アスカの謝罪の言葉には昨日の態度を謝る他にも意味が込められている事はシンジには解らなかった。
「良いのよ」
レイは短くアスカにそう答えて、精一杯の作った笑顔を返した。
そのレイの姿を見たシンジはホッと息を吐き出した。
しかし、ヒカリはそのレイの笑顔に隠された悲しい気持ちを知っていた。
ヒカリはレイがずっとシンジの事が好きだったと気が付いていた。
「おやまあ、一体どうなっているの!?」
担任教師のミサトは、教室に入るなりすっかり明るい表情に変わってしまっているアスカを見て悲鳴に似た声を上げた。
シンジとアスカはミサトに事情を説明する事になってしまった。
2人がミサトと話している間に、ヒカリはそっとレイに近づいて声を掛ける。
「綾波さん、碇君の事……」
「碇君は友達よ」
レイはヒカリにキッパリとそう答えた。
しかし、ヒカリはシンジがレイの事を「綾波さん」から「綾波」と呼ばせるのにレイが努力していた事を知っている。
「綾波さんがもう少し碇君に素直に好きって言っていれば、関係が変わっていたかもしれないのに」
ヒカリは言いすぎたと気が付いて思わず口を手で押さえた。
レイは悲しそうな顔をして首を横に振る。
「無理よ、碇君の心の中には惣流さんがずっと前から居たんだもの」
完全敗北を宣言したレイに、ヒカリはそれ以上慰めの言葉を思い付かず、レイの席を離れようとした。
そんなヒカリをレイは腕をつかんで引き止め、ヒカリの体をぐっと側に引き寄せる。
「洞木さんも、回りくどい事をしないで、鈴原君に好きだと言った方が良いわ」
「……そうね」
レイの言葉を聞いて、ヒカリはトウジに告白する決意を固めるのだった。
そしてしばらく経った秋の休日。
シンジとアスカ、トウジとヒカリ、レイの5人はピアノコンクールの会場へと来ていた。
アスカとヒカリもデートなのでそれなりにおめかしをしていたが、レイは白いドレスを着ていた。
なぜならコンクール出場者の1人であるレイの彼氏がそのドレスを着たレイの姿を気に入っていたからだ。
「渚君、良い演奏が出来ると良いね」
「ええ」
シンジの言葉にレイはうなずいた。
「渚君なら優勝も狙えるんじゃないかしら」
「緊張して来たわ」
「レイが緊張しちゃって、どうするのよ」
ヒカリの言葉にレイが体を固くすると、アスカがあきれた顔でため息を吐き出した。
司会者から渚カヲルの名前が呼ばれ、シンジ達とは違った中学校の制服を着た少年がステージに姿を現して客席に向けて一礼する。
ステージ上のカヲルと視線が合ったレイは顔をポッと赤くした。
カヲルの演奏を聴いた後、出場者であるカヲルが出て来るのを待っていると言うレイと別れてシンジ達は一足先に外へと出た。
「レイってば、すっかり渚にくびったけね」
「いいなあ、惣流さんも綾波さんも、とっても感動的な出会い方をして」
「何や、幼馴染の自分らはつまらん言うとんのか」
アスカの言葉にヒカリが目を輝かせてそう言うと、トウジは不機嫌そうにツッコミを入れた。
「あ、別に、私と鈴原の出会い方に不満があるわけじゃないのよ」
ヒカリが慌てて言い訳をすると、アスカはあきれたように話し掛ける。
「ヒカリってば、いつまで鈴原を名字で呼んでるのよ。アタシやレイの事も名前で呼び捨てにしてくれないし」
「ごめんなさい、アスカ……さん」
「だからさぁ」
すっかり友達として馴染んだアスカとヒカリの話を聞いて、シンジは心が安らぐのを感じた。
シンジはそんなアスカにそっと声を掛ける。
「アスカ、友達が出来て良かったね」
「うん、もう転校することはないし、たくさん作るつもりよ」
そうシンジに答えたアスカの笑顔は、とても輝いて見えたのだった。
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