紅い霧が幻想郷を覆った異変から数ヶ月。
そろそろ冬に入るかという時期に、私は紅い霧の異変を起こしたと言われている吸血鬼が住まう紅い館にやってきていた。
能力持ちとは言え、ただの人間に過ぎない私が、何故吸血鬼の館に来ているかといえば、それは極有り触れた理由だ。
就職。
私も今年で十六。寺子屋を卒業し、だらだらと家庭菜園を作って四年ほど暮らしていたのだが、ただ先月問題が起きたのだ。
家が火事。全焼。服もなく、財産もなく、そして仕事もなくなった。
私の自慢の家庭菜園も紅蓮の炎で焼け死に(栄養分はたっぷり残っていそうだが。焼畑農業ってそんな感じだと思う。俄か知識だけど)、家で営んでいた雑貨屋も商品が全てなくなった。
人里の皆さん及びせんせーからの援助で一家四人飢えて死ぬようなことはなかったが、一刻も早く立ち直らなければならない。
家の建て直し、借金及び商品の入荷、援助金の断り(借金するのに援助金受け取るのはねぇ)、更に食い扶持の確保。
両親だけが働いて何とかなる状態ではあるが、しかし私も働いたほうが立ち直りは速いだろう。
そんなわけで、来るもの拒まず去るもの追わずというのが噂になっている紅い館に来ているのだ。
ここの、めいど長さんは雑貨品……主に銀製の刃物などを買っていくことが多かったから、少しだけ面識がある。あっちが覚えているかは知らないけれど。
さて、そろそろ居眠りをしている門番さんに声をかけてみよう。いきなり来たものだから今日は無理かもしれないけれど。
「あの~」
ちゃいな服を着ている女の人の方を揺さぶり、起床を促す。全然床についてないけど。
「はいっ! 居眠りなんてしませんよ、全然! ええ、してませんとも!」
流石に苦しいと思うのだけど。
見れば分かるし。あとよだれ。よだれ垂れてる。
「あ……? 咲夜さんじゃない?」
「あの、私ここで働きたいんですけど」
よだれを拭きながらこちらを見据える女の人に、単刀直入に言ってみる。
「働く……ですか?」
「はい」
「……ここでですか?」
「ここでです」
そう答えると、女の人は信じられないといった表情になる。
何かいけなかったのだろうか?
「あの、何かいけなかったのでしょうか?」
「あ、いえいえ。そういう訳ではなく、少し驚いたもので。吸血鬼の住まう館で働きたいなんて人は初めて見ましたから」
あー……確かに珍しいんだろう。吸血鬼(に限った事ではないが)は人に害を及ぼすと言われている。この館の吸血鬼はそんなことしないらしいけど。でも、人間にとっては畏怖の象徴であることに変わりない。
確かに、吸血鬼は怖い。しかし、しかしだ。怖いからといって働かなければ、家族に迷惑をかけるのだ。それだけは避けたい。
四年間も家で仕事の手伝いもせず寄生虫のように暮らしていたんだから。
「えと、それで私はどうすれば……」
「ん~そうですね。ちょっと上司を呼んできますので、そちらに話を聞いてもらってもいいですか? 何分、私では雇う雇わないを決める権限はありませんから」
「はい、分かりました」
「では。っと、その格好で待っててもらうのは忍びないですね」
女の人はそういうと、何処からともなく厚手の上着を取り出した。
そしてそれを手渡してくれる。
「それ着て、待っていてください」
「でも」
「いいんですよ。遠慮しなくても」
そこまで言うと女の人は館の中に入っていった。
……そんなに寒そうな格好をしていただろうか? 薄手のしゃつとずぼんでも意外と暖かいものだけど。
ま、いいや。とりあえず厚意には甘えておこう。見た目どおりに暖かそうだし。
どれくらい経ったか。
館の周りを遊びながら警護していた妖精をぼんやりと見ながら、私は門に背もたれていた。
妖精は実に楽しそうである。
子供くらいの大きさから、手の平サイズまで。皆それぞれが笑顔で遊んでいる。
妖精は群れを作らないと聞いたことがあるが……仕事仲間や友人は作れるみたいだ。ちょっと驚き。
「お待たせしました」
不意に頭上から声が聞こえた。
先ほどの女の人とはまた違った声。
慌てて立ち上がり、声のしたほうを向くと、そこにはめいど服を着た銀髪の女性がいた。
少し高めの身長、蒼い瞳、顔の両サイドには三つ編みが下げられている。
黒いわんぴーすに、白いえぷろんどれすを着けている。すかーとはかなり短く、下手をすれば下着が見えてしまうんじゃないだろうか。
この人こそ、我が雑貨屋に度々訪れていためいど長さんである。
「あら、貴方は雑貨屋の……」
「は、はい。夜空天満(よぞらてんま)です」
少しばかり緊張してどもってしまった。悪印象を与えてなければいいけど……。
「私は十六夜咲夜。紅魔館で働きたいそうだけど……本当かしら?」
「はい」
「そう、ならついてきて。ここで働くに値するか見定めるから」
見定める……面接試験ということだろうか?
四年前に寺子屋でそんな試験が聞いたことがある。というか、練習もしたけれど。
えっと、ハッキリと喋って、自分の考えをしっかりと伝えて、分からないことには分かりませんって正直に言うんだよね。
……よし、大丈夫。私ならやれる。
内装までもが紅い館のある一室。
そこで私は十六夜さんと机を挟んで向かい合いながら座っていた。
貸してもらった上着は、既に返却してある。
「まず、年齢を教えてくれるかしら」
「十五です。今年十六になります」
私は十二月の三日生まれだ。
一、二、三と並んでいるのが特徴。
「では、能力の有無」
「『浄化する程度の能力』と『珍しいものを拾う程度の能力』を持っています」
浄化とは、身体の中の毒素を無害なものにしたり、猛毒などを解毒したりする能力だそうだ。
もっとも、私の力不足で、効果範囲は自分自身のみらしいけど。
何故語尾が伝聞形なのかというと、私もせんせーに聞いたからに過ぎない。
もう一つの珍しいものを拾うというのも、そのまんまだ。
金属だったり、小銭だったり。または外の世界から流れ着いた道具だったり。
加工できそうなものは家で加工し商品に。出来そうにないものは香霖堂というところに売りに行ってもらう。
「珍しいわね。能力が二つもあるなんて」
「よく言われます」
能力は基本的に一人一つ。更に言えば、特別な人間や妖怪でもない限り能力を持つことがない。
私の何が特別なのか全く分からないが、しかし能力を持っているということは何か秀でていることがあるのだろう。自分ではよく分からないけれど。
「次、料理の腕は? 掃除や洗濯とかも出来るかしら?」
「料理は、母親仕込みの家庭料理なら。掃除は大の得意……ですが、このような洋館は初めてですので、少し不安があります。洗濯も同様です」
はて。今更だが敬語はこれでいいのだろうか? 下手な敬語は返って知性を疑わせるというが……。
まぁ、ここまで来てしまったのだ。後には引けまい。
「そう……。訓練すれば、あるいは……。じゃあ、次。特技は?」
「裁縫です。自宅では服の解れなどを直していました」
性格には直させられた。
まぁ、暇つぶしになったから良かったけど。
「次は……これが最後ね。貴方はどうして、この館で働こうと思ったのかしら?」
どうしてって。
正直に言ってしまえば、住み込みのこの館で働いてくれと懇願されたからだ。両親に。
食い扶持が減って金が入るなら万々歳ということらしい。
私としても、力仕事はまず出来ないし、甘味どころやうどん屋の従業員は向いていない気がした。細工屋は、美的感覚が手のつけられないほど酷い私が働いても邪魔になるだけであろう。雑貨屋は、私の家の他にもあるのだが、そこは働き手をそこまで必要としていない。
よって、両親が何処からか聞いてきたこの館の噂話……つまるところ来るもの拒まず去るもの追わずが私にとって程よい仕事だったためにここに来たのだ。
「あー、いや。質問を変えるわ。貴方は悪魔のすむこの館で、働く覚悟があるのかしら?」
正直に話すと、十六夜さんは真面目な顔でそう聞いてきた。
正直言って、吸血鬼は怖い。血を吸われて自分も吸血鬼になってしまうかもしれないし。
しかし、だからといって働かない訳にもいかない。怖いという個人の感情で、困っている家族を助けられないのは、私が嫌なのだ。
そんな建前は置いておいて私はこう答えた。
「給金が、貰えるのなら」
……いや、本当に。私は給金が貰えるのなら何処でだって働いてやるよ。働かせていただきますよ。
「給金?」
「はい」
十六夜さんは目を瞬かせる。
そして、プッと少し吹き出した。
何かおかしなことでも言っただろうか?
「いや、ごめんなさいね。今までそんなこと言った人間はいなかったものだから……ク、クク」
つぼにでも嵌ったのか、笑いを堪える十六夜さん。
ふぅむ。かなりおかしなことを言ってしまったみたいだ。
「ク、クク。合格よ、合格。まぁ、妖精メイドよりは役に立ちそうだったから最初から雇うつもりだったけど。あー……久しぶりに笑ったわね」
おお、何故かは分からないが雇ってもらえたようだ。
「あ、でも少し問題があるわね……付いてきてくれるかしら」
「分かりました」
問題。なんだろう。そういえば吸血鬼が住んでるんだよね。
それは、確かに問題になるだろうなぁ。
もう、人間からしても吸血鬼からしても『馬鹿だろ』と罵倒されるようなことをしてるんだよね、私……。
しかしこれも給金の為。やるしかないのだよ。
「道すがら、仕事の説明をしておくわ」
「はい」
「制服は貸与、食事は三食つき。昼寝休日有給はなしよ」
「分かりました」
昼寝はともかく、休日有給なしか……。結構辛いかもしれない。
「その分、給金はしっかり払うから安心しなさい」
「ええ。貰わなきゃ仕事しませんよ」
「そうなったらクビにするだけね」
「あわわわ。勘弁してください」
給金が貰えないと私は……私は……!
ま、まぁしっかり働けばいいだけだよね。そうだよね。
「それで、貴方にやってもらうのは主に掃除ね。洗濯は洗い方が特殊なものとかあるし、料理は西洋料理は作ったことがないでしょ?」
「はい。ぱすたくらいですね……」
せんせーに教えられて、ついでに材料も貰ったから作ってみたことがある。
塩湯でして、別に作ったそーすと絡めるだけだったから意外と簡単だった。お手軽料理。
もっとも、私が作ったのは一番簡単なもので、難しいのは他にあるらしいのだけど。
「それと、館内にいる妖精メイドたちの統括ね。少しずつでいいから、指示を出せるようになりなさい」
「はい。分かりました」
「それと……。そうそう。お嬢様のところに行く前に着替えなきゃね」
着替え……。十六夜さんの着ているめいど服とやらだろうか?
洋服はあまり着たことがないから、まさしく未知の領域。
「こっちに来て、採寸するから」
「はい」
とある部屋に連れて行かれ、そしてめじゃーと呼ばれるものを取り出す十六夜さん。
「脱いでくれるかしら?」
「えっと、全部ですか?」
「下着姿になってくれればいいわ」
流石に全裸ではなかった。
言われたとおりに下着姿となる。今身に着けているのはぶらじゃーとしょーつだけ。
胸は小さいから、下着は要らないような気がするのだが……。母さんに着用を義務付けられたのでしょうがなく着けている。
十六夜さんは慣れた手つきで、胸囲、腹囲など、俗に言うすりーさいずを図って行く。
何だか少し恥ずかしい。
「大体平均ってところかしら。身長は私より頭一つ分小さいくらいだから……。これくらいかしら」
十六夜さんの姿が一瞬掻き消え、次の瞬間にはめいど服を手に持っていた。
瞬間移動と言うものだろうか? そういえばこの間見かけた博麗の巫女が同じようなことをやっていたなぁ。
「着てみて」
「ええと、どうやって着れば……?」
十六夜さんの手を借りて何とかめいど服を着る。
さいずはピッタリなのだが、どうにも着られている感が拭えない。
「あ、すかーとが長い……」
私と十六夜さんの服を見比べると、私の方がすかーとの丈が長い。くるぶし辺りまである。
対して十六夜さんのものは、太もも辺りまで。膝の少し上くらいだ。
「私のが短いのよ。こちらの方が、動きやすいからね」
確かに。長いより短い方が動きやすそうだ。下着が見えてしまいそうだが。
「さ、行きましょうか。気づいているだろうけど、お嬢様に会ってもらうわ」
「お嬢様、ですか?」
「そう。永遠に紅い幼き月。レミリア・スカーレット様よ」