7月13日、北京から母ともどもビジネスクラスに乗って成田に戻ったわけだが、
赤羽の実家には直行せず、風呂好きの母を東京ドーム温泉「スパ・ラクーア」に連れて行った。
母にとってのバケーションの締めくくり。
私自身ラクーアは以前から好きで、ここ9年ぐらいちょくちょく行っている。
地方の本物の温泉にはかなわないだろうが、都会のオアシスという気がする。
その後、赤羽に戻って母と別れ、7時45分に「とある呑み友達」と会った。
そしてその友達と久々に赤羽ハリウッドへ。
以前にこのブログにも書いた「赤羽の菊ちゃん」は一度やめたのだが、
今年一月から戻ってきている。もちろん本指名。
「池袋の花ちゃん」はどうしているのだろう。身体は二つないし
ハリウッドを二軒ハシゴする金のゆとりもないのが残念。
10時ぴったりまでハリウッドでウイスキーを呑み、
そしてカラオケを歌った。
その晩歌ったのは
英語で「NewYork State of Mind」
スペイン語で「Natharie」
そして日本語では「りんご追分」に初挑戦したり、
私の定番「あの唄はもう唄わないのですか」など。
そして次なる待ち合わせは10時半、新宿アルタ前。
シッシー、ジチョーなどのニックネームで知られている
週刊プロレスの宍倉顧問である。
本人はブログに給料が安いというか、社員の頃より下がったようなことを
書いているが「顧問」というのは世間に胸を張れる肩書き。
我々のような年代の人間にとって理想的なというか、
我々の世代の多くがリストラにあう現代日本の社会において
みんなが羨ましがるようなポジションだと思う。
もっと理想を言えば、若い頃に沢山の金を稼ぎ、
財産をなしてから顧問というポジションにつくというのがベストだと思うが。
ただターザン山本さんみたいな形で荒稼ぎをした人間は
会社にいられなくなってしまう場合が多いから
なかなかそういう形にはならない。
というか、プロレスマスコミにそんな人は一人もいない。
一番近いのは東スポの取締役編集局長まで出世した櫻井康雄さんあたりか。
なにはともあれ「顧問」というのはカッコいいポジションである。
さて、宍倉さんのブログやブル中野のブログを読んだ人は既にご存知だろうが、
宍倉さんと行った店は「中野のブルちゃん」だった。

多くのチャンピオンベルトが中にディスプレーされている洒落たデザインのお店。
ブルちゃんと会ったのは20年ぶりとかいう話になったけど
実際は酔っていたためWCWの頃のことを考えていなかった。
ブルちゃんがWCWで活躍していたのは確か95〜96年頃だから、
実際は15年ぶり。
「太っていたので最初はわからなかった」というブルちゃんだが、
それも無理はない。95〜97年ごろの私はベストシェイプだった。
夜、炭水化物をほとんど採らない。
ビーフは食べずチキンばかり。
朝は卵白オムレツといった徹底した食事制限と
ボディビルの本を買いあさり
メトレックスやアミノアシドなどのサプルメントも欠かさず
ジムに週六回通って筋トレをやって
90キロ〜92キロぐらいを維持していた。
あの頃はベンチプレスで100キロ10回が楽に挙がったし、
120キロも5回〜6回。
マックスでは143キロ二回連続で挙げたことがある。
日本に行った時も筋トレを欠かしたくなかったので
アニマル浜口さんのジムで練習させてもらったり、
FMWの道場に行ったこともあった。
ブルちゃんと会う数時間前にラクーアで計った現在の体重は115.62キロ。
断っておくがサバ読み一切なし。
まあ自分的に一番太っていたのは2004年とかで最高123キロまで増えたことがある。
ブルちゃんのお店、料理がかなり美味しかった。
コロッケに独自のソースがかかったものなど絶品。
(って炭水化物系ばかり食べてしまった…)
このブログの読者の人にもブルちゃんのお店はお薦めでございます。
ブルちゃんのお店では深夜二時過ぎまで呑んでいたが
はずむ話、そのままだと朝までになりそうだったので
「宍倉さんはこのまま楽しんでいたらいいんじゃないですか」
と私だけ失礼した。
赤羽ハリウッドの続きだったから私はへべれけになってしまったのである。
タクシーで赤羽。朝は8時半に起きたけどキツイのなんの。
5時には起きられず、朝6時に父の見舞い経由で仕事に行った母が
出かける時に「8時半に電話で起こして」と頼む始末だった。
で、父の見舞い、母がデジタル化のために新しく買ったTVの設置などをして
ネット喫茶を経由してスカイライナーで成田へ。
ところが私が乗るはずの飛行機がディレイ…いやな予感。
この日はアメリカ行きの多くの飛行機が満席状態だったため、
他の便に乗れなかった、私より シニオリティー の高い(入社が早い)
人たちが出発直前にどっとやってきて…
「エコノミーならまだ少しチャンスがありますけど」ということになってしまった。
ホノルルに行く便は空席があったが、単身赴任先に戻るには
ホノルルからいったん西海岸に飛んでまたそこで乗り換え。
ところが西海岸数都市から単身赴任先に行く便はどれもかなりタイト。
どっちにしろ賭けだったが、翌日の某都市からの便に賭けることにした。
買ってしまった免税品を返品。成田から東京にUターン。
上野のヨドバシカメラに行って、前日ふんぎりがつかず買わなかった
コンパクトデジカメ「ニコン・クールピックスP300」を購入。

(昨年冬に買ったばかりの紫のカシオは、画質や色に不満がありすぎた。
次回テキサスに戻った際に家内にあげようと思っている。)
そしてその日は呑みには行かず、おとなしく実家に戻った。
金の余裕があれば池袋ハリウッドに行きたかったのだが…。
仕事は水曜午後からということで、この成田からの便に乗れなかった時点で
信号マッカッカ。私の顔は真っ青。
最後の望みだった水曜発の便、オーバーソールドだったが、
最後の最後に二席空席が出て、
スタンバイの一番だった私はギリギリで乗ることが出来た。
この時に限ってはエコノミーしか乗れない場合でも
乗る覚悟でいた。到着してすぐに仕事なのだから正真正銘決死の覚悟だった
わけだが乗れたのはビジネスクラス。
シートが180度の水平までリクラインしベッド状態になる新型機種は
快適そのものだった。
私は賭けに勝った。相変わらず悪運だけは強いようである。
航空会社の仕事を2日連続。で、明日日曜はトレードオフ。
月火は公休日。
やれやれやっと追いついた。
赤羽の実家には直行せず、風呂好きの母を東京ドーム温泉「スパ・ラクーア」に連れて行った。
母にとってのバケーションの締めくくり。
私自身ラクーアは以前から好きで、ここ9年ぐらいちょくちょく行っている。
地方の本物の温泉にはかなわないだろうが、都会のオアシスという気がする。
その後、赤羽に戻って母と別れ、7時45分に「とある呑み友達」と会った。
そしてその友達と久々に赤羽ハリウッドへ。
以前にこのブログにも書いた「赤羽の菊ちゃん」は一度やめたのだが、
今年一月から戻ってきている。もちろん本指名。
「池袋の花ちゃん」はどうしているのだろう。身体は二つないし
ハリウッドを二軒ハシゴする金のゆとりもないのが残念。
10時ぴったりまでハリウッドでウイスキーを呑み、
そしてカラオケを歌った。
その晩歌ったのは
英語で「NewYork State of Mind」
スペイン語で「Natharie」
そして日本語では「りんご追分」に初挑戦したり、
私の定番「あの唄はもう唄わないのですか」など。
そして次なる待ち合わせは10時半、新宿アルタ前。
シッシー、ジチョーなどのニックネームで知られている
週刊プロレスの宍倉顧問である。
本人はブログに給料が安いというか、社員の頃より下がったようなことを
書いているが「顧問」というのは世間に胸を張れる肩書き。
我々のような年代の人間にとって理想的なというか、
我々の世代の多くがリストラにあう現代日本の社会において
みんなが羨ましがるようなポジションだと思う。
もっと理想を言えば、若い頃に沢山の金を稼ぎ、
財産をなしてから顧問というポジションにつくというのがベストだと思うが。
ただターザン山本さんみたいな形で荒稼ぎをした人間は
会社にいられなくなってしまう場合が多いから
なかなかそういう形にはならない。
というか、プロレスマスコミにそんな人は一人もいない。
一番近いのは東スポの取締役編集局長まで出世した櫻井康雄さんあたりか。
なにはともあれ「顧問」というのはカッコいいポジションである。
さて、宍倉さんのブログやブル中野のブログを読んだ人は既にご存知だろうが、
宍倉さんと行った店は「中野のブルちゃん」だった。
多くのチャンピオンベルトが中にディスプレーされている洒落たデザインのお店。
ブルちゃんと会ったのは20年ぶりとかいう話になったけど
実際は酔っていたためWCWの頃のことを考えていなかった。
ブルちゃんがWCWで活躍していたのは確か95〜96年頃だから、
実際は15年ぶり。
「太っていたので最初はわからなかった」というブルちゃんだが、
それも無理はない。95〜97年ごろの私はベストシェイプだった。
夜、炭水化物をほとんど採らない。
ビーフは食べずチキンばかり。
朝は卵白オムレツといった徹底した食事制限と
ボディビルの本を買いあさり
メトレックスやアミノアシドなどのサプルメントも欠かさず
ジムに週六回通って筋トレをやって
90キロ〜92キロぐらいを維持していた。
あの頃はベンチプレスで100キロ10回が楽に挙がったし、
120キロも5回〜6回。
マックスでは143キロ二回連続で挙げたことがある。
日本に行った時も筋トレを欠かしたくなかったので
アニマル浜口さんのジムで練習させてもらったり、
FMWの道場に行ったこともあった。
ブルちゃんと会う数時間前にラクーアで計った現在の体重は115.62キロ。
断っておくがサバ読み一切なし。
まあ自分的に一番太っていたのは2004年とかで最高123キロまで増えたことがある。
ブルちゃんのお店、料理がかなり美味しかった。
コロッケに独自のソースがかかったものなど絶品。
(って炭水化物系ばかり食べてしまった…)
このブログの読者の人にもブルちゃんのお店はお薦めでございます。
ブルちゃんのお店では深夜二時過ぎまで呑んでいたが
はずむ話、そのままだと朝までになりそうだったので
「宍倉さんはこのまま楽しんでいたらいいんじゃないですか」
と私だけ失礼した。
赤羽ハリウッドの続きだったから私はへべれけになってしまったのである。
タクシーで赤羽。朝は8時半に起きたけどキツイのなんの。
5時には起きられず、朝6時に父の見舞い経由で仕事に行った母が
出かける時に「8時半に電話で起こして」と頼む始末だった。
で、父の見舞い、母がデジタル化のために新しく買ったTVの設置などをして
ネット喫茶を経由してスカイライナーで成田へ。
ところが私が乗るはずの飛行機がディレイ…いやな予感。
この日はアメリカ行きの多くの飛行機が満席状態だったため、
他の便に乗れなかった、私より シニオリティー の高い(入社が早い)
人たちが出発直前にどっとやってきて…
「エコノミーならまだ少しチャンスがありますけど」ということになってしまった。
ホノルルに行く便は空席があったが、単身赴任先に戻るには
ホノルルからいったん西海岸に飛んでまたそこで乗り換え。
ところが西海岸数都市から単身赴任先に行く便はどれもかなりタイト。
どっちにしろ賭けだったが、翌日の某都市からの便に賭けることにした。
買ってしまった免税品を返品。成田から東京にUターン。
上野のヨドバシカメラに行って、前日ふんぎりがつかず買わなかった
コンパクトデジカメ「ニコン・クールピックスP300」を購入。
(昨年冬に買ったばかりの紫のカシオは、画質や色に不満がありすぎた。
次回テキサスに戻った際に家内にあげようと思っている。)
そしてその日は呑みには行かず、おとなしく実家に戻った。
金の余裕があれば池袋ハリウッドに行きたかったのだが…。
仕事は水曜午後からということで、この成田からの便に乗れなかった時点で
信号マッカッカ。私の顔は真っ青。
最後の望みだった水曜発の便、オーバーソールドだったが、
最後の最後に二席空席が出て、
スタンバイの一番だった私はギリギリで乗ることが出来た。
この時に限ってはエコノミーしか乗れない場合でも
乗る覚悟でいた。到着してすぐに仕事なのだから正真正銘決死の覚悟だった
わけだが乗れたのはビジネスクラス。
シートが180度の水平までリクラインしベッド状態になる新型機種は
快適そのものだった。
私は賭けに勝った。相変わらず悪運だけは強いようである。
航空会社の仕事を2日連続。で、明日日曜はトレードオフ。
月火は公休日。
やれやれやっと追いついた。
レスラーと同じように体を鍛えているからこそレスラーの気持ちがわかるというのは素晴らしいと思います。
現在は多少体重が増加気味のようですが貫禄があっていいと思いますよ。男はある程度の年齢を重ねれば、吹けば飛ぶような痩せ男より貫禄ある体格のほうがよろしいかと。