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浜の料理で再起

2011年07月17日

写真

贈られた大漁旗が飾られたレストラン=仙台市宮城野区、中里友紀撮影

 東日本大震災で船を失った漁師が仙台市に開いたレストランが人気を博している。震災後、船を失った漁師はふさぎ込んでいたが、旧友らから資金提供を受けて再起を決意。「いつか船を買い、自分で取った魚を店で出すのが夢」という。

 「漁師のDining 浜ノ家(いえ)」を6月、同市若林区の佐藤千代志さん(48)が開業した。魚の汁ものがついた漁師ランチや、安価に新鮮な魚が食べられる三色丼などが人気だ。

 今月17日には、自身が住む若林区の仮設住宅の被災者を招き、無料で手料理を振る舞う。「今後も様々な形で、被災者たちとの連携を深めたい」と言う。

 津波で家と船を失い、先が見通せない不安から震災直後は避難所でぼーっと過ごしていた。3週間後、偶然会った旧友を介し、幼なじみの佐藤正人さん(48)と十数年ぶりに再会。「これからどう働くかを考えようよ」。喫茶店を経営する正人さんは、調理師免許を持つ千代志さんに飲食店の営業を勧めた。

 正人さんも共同経営者となり、開業資金は喫茶店のなじみ客ら6人に10万円ずつの出資を頼み込んだ。当初は反対した家族の了解も取り付けた千代志さんは、正人さんの喫茶店の隣の空き店舗を使う。

 店の看板は大漁旗。千代志さんの転身を聞いた漁業関係者から30枚以上寄せられた。大漁旗は船の宝物とされるが、「被災した漁師仲間の分も頑張れ」と提供してもらったという。

 7月からは、千代志さんの妻(44)、震災後に勤めていたスーパーを辞めた長男(21)、授業料が工面できず大学を休学している長女(19)も父を支えようと店で働き始めた。他の従業員も被災者から募集。雇った2人のうち1人は若林区で被災。もう1人も岩手県大船渡市の実家が津波で住めなくなった人だ。

 千代志さんは言う。「仕事をなくした被災者は心が沈んでいる。でも働くことで希望を得ることができる。たくさんの人の協力を支えに喜んでもらえる店にしたい」(中村信義)

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