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セミが鳴き始めた皇居・東御苑を歩いた。炎天下、秋の七草が気だるく咲いていた。ハギにオミナエシ、薄紫も涼しいキキョウ。ナデシコのピンクがひときわ可憐(かれん)なのは、女子サッカー快進撃の余韻かもしれない▼この梅雨は逃げるように明けた。平年より14日早い沖縄は観測史上「最速」、近畿や東海、関東も12〜13日早く、東北はそれ以上の前倒しだ。列島おしなべて半月ほど早い夏本番である▼季候は暦ではなく、人知が及ばぬ摂理で巡る。熱中症の搬送者は猛暑の昨年を上回るペースだという。災いの年、天気の神様は節電の覚悟を試すつもりらしい。見上げれば綿雲が散らばり、夏休みの絵日記から拝借したような青空が広がる▼近刊の写真集「雲」(ネット武蔵野)を繰りながら、東京の空もなかなかだと思った。都下に住む瀬戸豊彦さんが撮りだめた空に、当日の天気図が添えてある。公園の花畑や高層ビル群の上、日替わりのカンバスで、雲たちは千変万化を競う▼天体が不易の象徴ならば、雲は流転の代名詞だ。同じ形は二つとない。「これほどドラマチックなものは自然界にありません。よい風景には必ず、よい雲がある」と瀬戸さんは語る。〈夏空へ雲のらくがき奔放に〉富安風生(ふうせい)▼遠くの親を思う心を望雲(ぼううん)の情という。津波や放射能に追われ、全国に散った子どもたちを思う。頭上の雲に探すのは、故郷で頑張る父さんの背中だろうか、風になった母さんの笑顔だろうか。いくつもの意味で、初めての夏になる。