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阿久悠さんが黄色になって寝込んだのは24歳の時だ。過労と栄養不良から肝臓をやられた。1961(昭和36)年、後の大作詞家もまだ、将来を描き切れぬ広告マンである。独り身の病気ほど心細いものはない▼阿久さんを慰めたのはラジオの歌声だった。「ウエホムフヒテ、アールコホホホ」と不思議な歌唱。「涙がこぼれないようにと言われるのだが、わけ知らず大量の涙を流したことを覚えている」と、本紙に連載した「愛すべき名歌たち」にある▼「上を向いて歩こう」は、詞が永六輔さん、曲が中村八大さん。「黒い花びら」を当てたコンビだ。すでにアイドル歌手だった坂本九さんとの「六八九トリオ」は、国内ばかりか約70カ国で1千万枚を売り、全米1位にも輝いた▼世界で愛され、日本人を励まし続けたこの曲がきょう、CDで再び売り出される。発売50周年を祝す企画だが、震災後、店頭での問い合わせやラジオへのリクエストが急増しているそうだ。時の求めといえば大仰だろうか▼九ちゃんは「楽しみを、幸せを売る男になりたい」と語っていた。ジャンボ機墜落事故がなければ今年70歳。社会活動にも熱心だったから、芸能界のまとめ役として被災地を奔走していたに違いない▼「見上げてごらん夜の星を」「明日があるさ」。つらい出番というべきか、ご本人に代わって半世紀前の歌声が街に流れる。くじけそうなこの国を救うのは経済力や勤勉さだけではない。数々の応援歌もまた、私たちの財産である。