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きょうのコラム「時鐘」 2011年7月16日
セシウムに汚染された牛肉は福島第1原発から80キロも離れた白河市の稲わら飼料を食べた牛が原因と見られ、ショックと困惑が広がっている
先日、東北新幹線で仙台へ行った。車窓から地域ごとの被害状況が手に取るように分かった。屋根瓦が落ちて青いシートをのせた家が北に行くほど増えていったからである。それが急激に増えるのが白河市に入ってからだった。昔から関東と東北の境界だった所である 岩手出身の大正期の宰相・原敬は「一山」と称した。戊辰戦争で、東北は「白河以北一山百文」と薩長から侮蔑された。それをバネにした反骨の号だった。あるいは仙台に本社をおく「河北新報社」も、「白河以北」の言葉から題字がとられている 震災は関東にも被害をもたらしたが、白河以北の東北に集中している。明治維新のころと違って、一地方に忍耐を強いるなら、近代国家とは言えない。東北人の反骨に期待する前に、各地の人が被災地の苦悩を日本全体の課題として受けとめたい 能登から福島の酪農家へ稲わら飼料が送られた。こうした支援の集まりが非情な境界線を断ち切っていく。 |