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[19099] 【習作】神なんて死んでしまえ(現実→TSでエルフ、ファンタジー世界に 無能力転生 テンプレ)
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/15 00:05
この話は、現代人の男の子が神様に殺されてファンタジー世界にエルフの女の子として転生させられるお話です。
非常にテンプレ展開です。チート展開はとくにありません。蜘蛛とか食べます。
誤字脱字はこっそり直します。



小説家になろう の方にも投稿し始めました。
内容に変化はきっとたぶんぜったいないかと。



[19099] 一話 転生、そして
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:39
 その青年は、生きたかったはずなのだ。
 よくある話だ。いじめられて、人生に絶望した挙句の自殺。迷惑をかけないように、それでいていじめをしてきた連中の心に一生とれないような傷を残す自殺をしようと思った。
 
 電車自殺。否。
 その瞬間をいじめしてきた連中に見せることは難しく、むしろ関係無い人に迷惑がかかる。

 リストカット。否。
 中々死ねない。しかも痛い。恐怖感は与えど、よほど深く切らねば出血ショックで死亡にはならぬ。

 薬物自殺。否。
 最近の薬は余ほど飲まねば死ねないし、そもそもそんなことはできない。
 薬局で大量に購入したり、コンビニで大量に購入したら怪しまれることは確実である。

 青年は悩んだ末、生きることを選んだ。
 死んだら生き還らない。命は代用不能で、取り返しのつかない美しく気高いもの。
 それをやすやすと捨てるなど、生命に対する冒涜であり、また自分で自分が許せなくなる。親が泣くことは分かった。命は一つだけと思った。だから、生きようと思った。
 人間、なんとか生きていけるものだ。特に日本では仮に家も職も家族も無くして社会から切り離されても、生きて行く道はいくらでもある。
 だというのに、死んだ。
 道端を歩いていたら突如トラックが突っ込んできた。
 あ、と思った次の瞬間彼は見事に轢かれ、地面に叩きつけられた挙句郵便ポストに背中から突っ込み背骨を損傷した。内臓もほぼ潰れていた。
 彼は自分の不運を嘆きながら、『背骨って折れるとき音がするんだな』とどうでもよいことを考えながらこの世を去った。
 高校生になって二年目の真冬のことだった。
 彼の死体には雪が降り注ぎ、血が郵便ポストを染めていたという。





 どこだここは、と思った。
 彼が目を覚ますと、そこは一面の白であった。
 記憶を手繰る。思い出した。自分はトラックに轢かれた挙句郵便ポストに突っ込み背骨をボキリと折って死んだのだったと。
 だが、妙ではないか。死んだのならそこでお終いではないのだろうか。仮に非科学があるにしても、裁かれるのではないのか。
 何故自分は真っ白な空間に全裸で浮遊しているのか。
 青年は自分が全裸であることに気がつくと、とりあえず前かがみになり股間を隠した。みっともない格好ではあったが、服も無くまた隠すものすらないのではこうするしかない。
 十分、否、二十分?
 どれだけの時間が経過したのかはさっぱり分からないが、突如目の前に男が現れた。
 男? それは変だ。何しろその“男”は輪郭が極めて曖昧で、ノイズがかかったようにおぼつかない。
 霧を人の形にしたと言うべきか、白いクレヨンで人を描いているようにも見えた。

 「やぁ」
 「………」

 その存在が理解出来なかった。
 その“男”はニヤリと笑うと(そう見えた)と、親しげな様子で握手を求めてきた。無視した。
 と言うより、白の空間に白の男が浮いているのに、一体全体、どうして輪郭や性別を判断できたのかがさっぱり分からない。淵があるわけでもないというのに。
 “男”は残念そうに頭を振ると、歩み寄ってきた。地面があるような歩調であるのに、青年が足を動かしても地面など無かった。
 “男”が口を開いた。果たして、物理的な口なのかは青年に分かる訳もなかった。

 「君にはこれから別の世界に転生して貰いたい」
 「…………はい? はい? あの、テンセイ……? というかあんた誰なんですか?」

 死んだと思ったら妙な“男”に別の世界にテンセイしろと言われた。
 笑えない。最高に笑えない。これから人生頑張ろうとした時に、どうしてこんなことになったのか。
 もう、死ぬほど笑えない。死んでるか。
 “男”はひらりと手を振るとまた口を開いた。
 
 「君はね、死んだんだよ」
 「はぁ、そうなんですか。じゃあ天国に行きたいんですが。それか家族を見守る守護霊的なのにお願いできますか。あんた、神様的な存在なんでしょう?」
 「エラく現実的だなぁ、君は。神様って言ったら確かに神だがね」
 「ところで、誰が僕を殺したんですか?」
 「私だよ」
 「あ?」
 「私だよ」

 青年は一瞬あっけにとられたが、すぐに表情を怒り染めた。
 すぐにでも殴りかかりたかったが、白の空間においては推進力を得るための地面も壁もないので腕を振り回すしかできなかった。
 怒りの理由は山ほどあった。生きたかったのに死んだ。家族も友人からも切り離されて、しかも謝罪の言葉すらなくむしろ楽しげに言ってみせた“男”を殴りたかった。
 しかしこうも考えた。これが神なら、運命で殺したのではないかと。
 神が世界の運命を決めるなら、なるほど、『殺す』のも神様の仕事かもしれない。ならば怒っても無意味ではないか。
 そう考えてなんとか怒りを抑える青年。
 だが、続いて“男”が言ったセリフで青年は完全にキレた。

 「……つまり?」
 「暇だったからなぁ………人生に絶望してたし、いいじゃないか。おまけに美幼女でエルフで転生させてやるからさ。な、悪い話じゃないだろ?」
 「はぁ!? 死ね! 今すぐ死ね! 暇だったから!? ふざけんなよクソったれ! おまえが死ねよ! 絶望なんていつしたんだよ! 立ち直って歩きだそうとしてたんだぞ!」
 「ぁー聞こえないなぁ。いいだろ? 人生をやり直させてやるんだから感謝しろよ」
 「殺してやる……!」
 「ハイ転生―」

 青年は股間を隠すことも忘れ、目の前の傲慢な“男”を睨み、傷一つでも良いからつけてやらんともがいたが、一寸たりとも前進しなかった。
 “男”は青年の怒号に耳を塞ぐと、最後に『精々楽しませてくれよ』と高らかに笑いつつ指を鳴らした。
 畜生め、いつか殺してやる。
 アンナモノ神様だとは認めない。
 青年は自分の知る限りの罵り言葉を吐き出しつつも、勝手な理由で殺されたことを心に深く刻みこんだ。そして世界を認識できなくなるその瞬間まで、自分を産んでくれた両親と、今まで支えてくれた全ての人に心からの謝罪をした。

 殺されてごめんなさい。




 ―――――世界が、暗転した。












~~~~~~~~あとがき

転生って望まれてするとは限らないと思うんですよね。ガンバレ青年。
続ける気はあんまりないですが、気晴らしに書きます。



[19099] 二話 火災とナイフと
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:39
 Ⅱ、


 目が覚めた。痛かった。頭が死ぬほど痛かった。
 全てが焼け落ちようとしている西洋風の集落の片隅で“青年”は目を覚ました。 頭が痛い。思考が定まらない。唾液が出ない。
 視界に映る全てが赤と朱色で埋め尽くされて、

 「…………どこ、……だ……?」

 思い出せば、自分がカミサマとやらにテンセイさせられたということが鮮明に蘇ってくる。
 となると、ここはテンセイ先なんだろうか。
 青年はもっと考えておきたかったが、そうもいられないと気がついた。
 理由は極めて単純明快。自分が居るのが室内であり、なおかつ燃えているからだ。理由は知らない。原因も知らない。が、燃える室内にいつまでも居れば死ぬのは道理である。
 青年はすぐに逃げようと腰を上げて、その異常に気がつくことになった。
 身体が違うのだ。男性のそれは既に無く、不思議と違和感の無い、小学生かもっと小さいくらいの女の子の身体が自分のモノになっている。

 「からだ……からだが………どうなってるんだ」

 自己と言うアイデンティティが崩壊する。
 男性の身体で十数年生きてきたはずが、ふと気がつけば幼女。吐き気がする。キグルミが自分の身体に同化したような感覚。気持ち悪い。
 熱気満ちる室内なのに、吐き気が止まらない。涙が止まらない。
 性別も人生も何から何までを否定されて、しかも妙な世界に転生。自分そのものが完全否定された、その事実が吐き気を催させた。
 頭の中がぐるぐると廻る。

 「うぅ……っ」

 “少女”は、目の前でカーテンが黒の灰と消えるのを目にしつつも、胃の中身を床に吐きださなければならなかった。吐しゃ物が床にぼとぼと落ちた。
 口の中が酸性の液で満たされて、鼻につんとくる臭いが涙を滲ませる。
 これがゲームならいいのに、と思う。これが他人事ならどれだけ楽だったか。だがこれが現実。全て現実なのだ。
 
 「逃げよう。死ぬ」

 わざと口に出すと、“エルフ族の少女”は、火炎が壁から天井に広がっていくのを見て、手じかなナイフを握りしめた。
 脱出経路を確保しなくてはならぬ。ドアは燃えた。ならば、窓を破るしかない。
 カーテンは瞬く間に焼け落ち、床に転がった。
 好機、窓に手を伸ばすと、一気に開け放ち外に飛び出して地面に無様に倒れ込んだ。膝をすりむいた。
 次の瞬間天井の梁が力尽きたようにぼきりと折れて、部屋に火の粉と濃密な焔を滝のように流し、窓が爆撃を受けたようにけし飛ぶ。硝子の破片が少女に降り注ぐ。

「ッ……!」

 手の中のナイフを宝物のように握りしめ、少女はその家屋から逃げ出した。
 暗闇の中、その家屋は完全に火に包まれ、またその家屋が所属していた村は火炎に沈んで地図から完全に消えた。黒煙が闇夜に昇り、星空を覆い隠していた。






 どれだけ走った事か。
 事情も右も左も分からぬ“少女”は、エルフ特有の長い耳を揺らしながら、集落からほど近い場所をとぼとぼと歩いていた。
 深夜なのだろうか、空は暗く、蝙蝠が空を元気よく泳いでいるのが見えた。星空が近い。現代日本ではありえない。全く違う世界なのだろうか。
 道が舗装されているなんてことも無い訳で、岩でごつごつした場所を歩かねばならなかった。
 行くあてなんてない。あのカミサマとやらの話が本当なら、“少女”は完全に孤独であった。
 エルフがいるということはファンタジー世界。家の造りから推測するに中世。
 ということは法律は曖昧で、あての無い女の子を引き取ってくれる施設なんぞある訳も無い。勉学は得意で無い“少女”でも、歴史の教科書ではそんなことが書いてあったことくらいは思い出せる。

 「どうしよう……」

 熱射病にかかったのか、足元がおぼつかない。
 ナイフ一本を握りしめ、草の生い茂った場所をただ歩く。
 水が欲しい。水さえあればいい。でも、水道もコンビニも無く、井戸も無い。
 熱に浮かされた頭は水を求め続け、染み出すことを止めた唾液を飲み込むことを続ける。疲労が強く、思考に無駄な情報が錯綜して意味が分からない。
 自分が死んだことは理解できても、悲しみや怒りよりも先に水を求める原始的欲求の方が勝った。
 なんで村が焼き払われていたのか、自分のこの身体の親や友人はどこにいったのか、それすら分からぬまま、歩く。

 「………? ………声がする」

 舌と口蓋が張り付くほどに口が渇いている。
 耳に拾ったのは男たちの声。村の様子を見に来た近隣の村人かもしれない。ならば助けてくれるかもしれない。
 少女はふらふらと歩いて行くと、その男達の声のする場所を探した。ベト付く草木が服や皮膚を汚し、地面の凹凸は体力を奪い去っていく。

 「……!」

 だが少女の予想は完全に違っていた。
 大木の陰に身を潜めるようにして声の元に顔を向けて見れば、そこには馬に乗った男たちが、『血に濡れた』剣から丹念に血を落としているところだったのだ。
 出来る限り身を小さくして、草むらから耳を澄ます。虫の声が少女の雑音を打ち消してくれた。

 「あっけなかったなぁ、エルフなんてあんなもんか」
 「そうでもないぜ? 女はヤバかったな。いい声で鳴いてくれたよ」
 「おい、持ち帰るとか考えるな。皆殺しにしろとの命令なんだ」
 「殺したよ。死ぬ時もいい声で鳴いてくれた」
 「そうかい。でもさァ、俺にはどうも生き残りが居る気がするんだが……」
 「気のせいだろ?」
 「だといいんだがね」

 少女は草むらで震撼した。
 つまり中身の青年は震えあがった。フィクションの世界でしか滅多にお目にかかれない殺戮の現場に自分は居たと言うことになるのだ、恐怖を覚えない方がどうかしている。
 しかも皆殺しときたのだから、もう震えが止まらない。
 少女は震えの止まらない手で自分の耳を触り―――ヒッと息を漏らした。ファンタジーに出てくるような耳があった。そしてそれは自分がエルフであると確信させるに足りる証拠であった。
 指先から熱が漏れていき、筋肉が震え始めた。歯が鳴る。心臓が痛いほど脈打っている。

 「……に、……にげないと……殺される……ッ」

 火災。皆殺し。血濡れの剣。男たちの会話。
 何かが弾けた。

 「ッ! おい、止まれ!」

 居てもたっても居られない。
 少女は男二人に位置がばれるような動きで草むらから飛び出すと、あても無い逃走を開始した。だが水分が足りず、しかも疲れた幼女の足ではたかがしれている。
 馬に命じ少女の前を取ったその二人は、馬の前足を脅す様に掲げた。
 
 「あっ」

 目の前に馬の巨体が広がり、さらに偶然にも足を地に取られ倒れ込む。ナイフは足元に転がった。
 少女は慌てて立ち上がろうとして失敗して、また立ち上がろうとして男に腕を掴まれ、しかも腹部に蹴りを入れられた。胃液と唾液を吹いた。

 「ぐっ………」
 「おい、お前生き残りか?」

 男の一人が少女の美しいブロンド髪の毛を掴むと、無理矢理顔を上げさせた。
 腹部に突き刺さった蹴りの余波は凄まじく、意識が朦朧とするほどで、髪の毛を掴まれて頭皮が悲鳴を上げたことに抵抗することすらできなかった。
 男は少女を検分するような汚らわしい目で観察した。

 「精々いい声で鳴け。そうすれば許してやるかもしれん」
 「はは、そんなチビをヤんのかよ? 裂けちまうぜ?」
 「エルフってのは頑丈だから大丈夫だろ」

 “少女”は悟った。
 こいつらは散々犯してから殺すつもりなんだと。男から女になって、犯されて死ぬ。その未来予想図がまじまじと浮かびあがった。

 「止めろッ、止めろぉ!!」
 「やかしいぞガキ」

 今度は手刀が首に落とされて、危うく意識が消えかけた。
 悲鳴を上げる間もなく、あっという間に上半身の汚れた服が切り裂かれ、成長前のおだやかな胸部が露わになった。男二人は下品な口笛を吹いた。

 「いいねぇ……若いと食いがいがある」

 少女は腕をもがき、脚をばたつかせ、今にも噛みつかんと言う顔をしたが男にはつまようじほどの影響力を持たない。鍛えられた筋肉が全てを吸収し、森と言う障壁が凶行を覆い隠しているのだ。
 なんとか打開せねば犯された挙句死ぬことは必至。
 ナイフさえあれば首筋を斬ってやれるのに―――!
 目を地に這わして探す。あった。数十センチのところに土で薄汚れた小型ナイフが光っていた。
 少女は咄嗟に手を伸ばすと、自分を抱く男の首筋にそれを突きたてた。
 ずぶり、嫌な感触が手に伝わる。

 「……ぐっ!? ……な、ガキ、が……なまいき……」
 「ジャック!」

 血が吹き出る。生温かい鮮血がナイフの先から噴水のように吹き出るや、少女と男二人をこれでもかと濡らす。
 少女はナイフから伝わる感触に震え、男の憎しみに満ちた瞳と対峙してしまった。血走った瞳。汚れた欲望渦巻く虹彩。それらが脳裏に刻まれ、閃光と化す。
 血が少女のブロンドの髪を染め、男はあっという間に絶命した。少女を拘束していた手が離れ、男が地面にへたり込む。

 「おいしっかりしろ!!」

 少女が男を刺し殺すと言う瞬間を目撃したもう一人の男は、首から血を流し続ける男に駆けよると、必死で首を押さえて血を止めようとした。
 だが、止まらない。

 「―――にげなくちゃ………早く動けッ、もっと早くッ」

 少女が、血濡れのナイフ片手に全力で地を蹴り逃げ出す。
 逃げだせた要因の一つに恐怖が挙げられる。殺されると言う現実が迫り、さらに相手を殺害した事実までが重くのしかかり、逆に、竦んだ脚の動くことを認めたのである。
 相棒が死ぬ行く様を無力な男が一人、星空の下座っている。血が地面へと流れ、とうとう首から流れる血すら勢いを衰え。最後には残った男の叫びが響いた。







 どれだけ逃げたのだろう。

 「―――……ハッ、はっ、はっ……」

 赤に染まったナイフ片手に、上半身裸、しかも脱水症状まで併発。腹部と首に貰った一撃は青痣になり、噴出した血が全身をぬらりと濡らしている。

「 ―――はっ、ハッ……あ゛ッ……ぐっ!?」

 少女が石に躓きすっ転んだ。
 悲鳴を上げつつ地面を転がると、目の前の木に顔から衝突、小川に転げ落ちた。ざぱん。水音が響く。

 「なんで俺がこんな目に遭わなくちゃいけないんだよ………なんで俺がこんな目に……」

 幸い小川は浅く、溺れることはなかった。
 顔面を小川につけて水を思う存分飲み込むと、小川の真ん中に腰掛けて呟く。血が落ちて行き、小川を赤茶に染めて、辺りに鉄の臭いを振りまいた。
 天に昇った満月は憎々しいほど大きく、星空は清浄であった。

 「……ヒッ」

 そこで自分の姿をじっくり検分した少女は、右手に汚れたナイフがあることに気が付き、悲鳴をあげて草むらに投げ捨てた。

 「……ぅ」

 そしてまた嘔吐する。
 自分が男の首にナイフを突きたてた時の感触と、血の噴出したことから恐らく死んだのであろうという不確かな予想が胃袋を引っ掻き回した。
 冷たい小川に胃の中身をすっかり吐きだしても止まらず、胃液を吐き続ける。涙が大量に溢れ、鼻水まで垂れて顔を汚す。こうしている間にも身体から血が流れて行くが、人を殺めた手は汚れたまま。
 少女、つまり青年は人を殺したことなんてない。
 ましてやナイフを使ったことも無く、殺す殺されるはテレビの中の出来事と信じていた。でも違った。自分は人を刺し、相手は死んだ。
 男の黒い瞳がナイフを投げた方向から覗いている気がして、逃げようとしたが、小川の砂に足を取られて転倒してしまう。派手に水しぶきが上がった。
 震える両手を顔の前に持ってきた少女は、必死に川の流れに手を突っ込み、血を落としていく。

 「落ちない……クソっ落ちない……」

 手の皮を剥いてしまいたい。
 少女は気が違ったように川の中で手を洗い続ける。指紋の間。爪と指の隙間。全てを洗い流しても、まだ洗い続ける。
 手首を洗い、肩を洗い、上半身を洗い、下半身も構わず洗う。全身から血が落ちても臭いが消えない。だからまだ洗った。
 数十分ほど経って少女は体を洗うのをやめると、小川の淵にへたり込んだ。
 緊張の糸が切れたらしく、しかし震えている。小川の水は冷たくて、そして風が容赦なく吹き付けてくる。体温が下がる。
 服を全て脱いでしまい、手頃な木の陰に隠れ、全身を抱きしめて震える。タオルなんて無いし、毛布なんてない。今の少女には服とナイフと自分の身体しかないのだ。
 少女は震えていたが、やがて疲れて眠ってしまった。
 もしも獣でも来ようものなら食わるなんて知ってたし、追手が来るかもしれないなんて分かっていた。でも眠かったのだ。
 何の皮肉か、天から流れ星が零れると一条の線を描いた。
 少女が最後に認識した感覚は、吐き過ぎて焼けた喉の存在であった。
 青年なのか少女なのか曖昧なその人物を尻目に、夜はこうして更けていった。












~~~~~~あとがき
はいはい嘔吐嘔吐



[19099] 三話 方針を決めよ
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:40

 Ⅲ、


 「―――――う」

 目が覚めたのは、空腹と疲労と寒さからだった。
 目を冷ませば誰かが救ってくれる。奇跡が起きてくれる。そんな甘い考えがどこかにあったのかもしれない。
 しかし、現実は非情である。
 “青年”―――便宜上“少女”と呼称しよう―――が身体を震わせながら目を開けると、一面の緑があった。雑草だらけ。蟻のようで蟻じゃない虫が草の葉の上で触角を揺らしている。

 「チクショウ……寒い」

 今なんの季節なのかは知らないが、空気は寒かった。身体は一晩経ったことで乾いていたにしても、寒かった。
 とりあえず身を起こし、体中にへばりついていた良く分からない虫を指で落とすと関節がこきりと鳴った。
 寒い理由はいくつかあるが、大きいものは全裸であるということ。全身を洗う為に服を脱いでそこらに放置してしまった為だ。その服はどこにあるのだろう。
 小川の周囲を探索して数十秒、分厚い草の上に乗っかった布の服が見つかった。

 「あった」

 手で取ってみると、湿気を吸って草の臭いまで染みついていて、お世辞にも言い心地とは言えなかったが、着ないと寒くて耐えられないので着た。
 例の男が上半身の服を破いたのは直って無くて、胸が丸見えだったが、針一本無いのにどう直せというのか。身体こそ少女でも心は男のままの彼には余り関係なかったが。

 「………クソ」

 男の死に際が突如フラッシュバックした。
 少女はまたしても地に膝をつくと胃液を少量吐いた。不幸中の幸いか、胃の中身が空だったのでそれしか出てこなかったが、喉が胃酸でひりひりと焼けた。
 連続した吐いたせいなのか、『吐けばいいじゃん』などと考えるようにもなってきた。人の適応力は凄まじいと言うべきか、それを『処理』と考える辺り吹っ切れたのかもしれない。
 小川で口を濯ぎ、比較的平らな岩に腰掛けて今後の事を考える。
どこかで鳥が鳴いている。空は青く、風で生まれる草原の吐息は何から何まで清浄 だった。

 「俺……もう帰れないのか? あいつに頼めば帰れるか?」

 脳裏に浮かぶのは白い靄のような“神”の腹立たしいニヤケ顔。
 なるほど確かに、命まで奪い少女の身体を与えた上に記憶を保持したまま異世界に転生させたほどなのだから、頼み込めば帰れるかもしれない。
 では、どう頼めば良いのか。人間なら会話なり通話なり手紙なりで意思の疎通は可能だが、“神”となるとさっぱり分からない。呪文を唱えつつ土下座すればよいのか。
 ……ものは試しだ。
 これで家族の元に帰れて、日常を取り戻せるのならなんでもやろう。土下座でも盆踊りでもなんでもやっていい。頼むからお願いします、と祈る。
 少女はその場に両足揃えて座ると、深々と土下座した。

 「お願いします帰らせて下さい!」

 返事は無かった。あったのは空腹に耐えかねて胃袋がぐぅと鳴る音だけだった。




 結局、口に出来たのは木の実と水だけだった。
 あの後、血濡れのナイフを半泣きで回収した少女は、付近を探索して食べられそうな木の実を手に入れて、食事をした。
 毒があったらどうしようと考えるよりも先に食べてしまったその毒々しい赤の木の実は、すっぱかったが確かに美味しかった。
 ナイフだけでは心許ないので身長ほどの木の枝を担いだ少女は、今後の方針を考えるべく、また小川の元に居た。
 男を殺害した記憶は心に深い傷をつけたらしく、時折涙を浮かばせ、両顔を覆う始末。無柄のナイフを見れば記憶は鮮明な映像として再生されるので、なるべく見ない。
 しかし心のどこかでは『正当防衛だ』と思う自分が居たことも事実である。
 太陽は既に真上。

 「……人里に行って、働く」

 方針を口に出してみた。岩の椅子は少女の身体に堪えたが、他に座る場所が無いので仕方が無い。
 人里に行けばボロボロの少女に同情して働かせてくれる可能性はある。現代日本と違い戸籍など無いだろうし、仮にあってもそこまで厳密ではない。
 それに、労働基準法なんてある訳も無いという確信もあった。
 同時に性的な事に従事させられるのではという恐怖もあった。水面に映した顔はゾッとするほど美しく、“神”が言っていたのが間違ってなかったことが分かった。
 青い瞳、左右対称に限りなく近くまた鼻や口の位置や造形が整った顔。白い肌。金色の髪。鈴を鳴らしたような声。どれも美しく、自分の身体とは思えなかった。
 だがそれが慰めになる訳も無い。
 元の世界で普通の男として社会に出て暮らせればそれで満足だったのに、突然妙な世界に流されたのだ、“神”への憎しみは身を焦がすほどの怨恨にまで膨らんでいた。
 少女は岩の上で胡坐をかくと、口を開く。

 「旅をする」

 旅に出て、元の世界に帰れるまで探求を続ける。
 それもいいだろが、果たしてこの少女の身体が長き旅路に耐えられるかと言ったら否である。
 第一資金はどう稼ぐのか。労働に耐えられない身体なのにどうすればいい。盗賊をやるにしても、一般人である“少女”は経験も才能も無かった。
 他にも不安要素はある。もしも魔術の類のあるファンタジー世界であったなら、魔物でも出てきて殺されてしまう憐れな末路があるかもしれない。ナイフで応戦できるものか。
 そうだ、と閃いた。
 この身が美少女なら、外見でひっかければいいのではないだろうか。
 鼻の下を伸ばしてきた男からカネをせびればいいのではないだろうか。そうすれば、旅の資金は楽に稼げるかもしれないではないか。
 待て、と少女は考える。
 “神”とやらは他にも何か言っていた気がする。

 エルフ―――。

 エルフ。耳が長く、弓を得意とする高貴なる山の民。
 そんな淡い知識しかないが、一つひっかかった。もしもエルフなら、魔術が使えるのではないかと。
 冷静になって考えてみれば、耳が長いからエルフとは限らないのだが、例の男達が『生き残りか』と言っていたし、“神”もエルフと言っていたから、そうなのだろう。
 人差し指を出すと、集中する。

 「……呪文って……なんだ? 〝灯れ〟。違うか、〝燃えろ〟……違う」

 火をつける呪文は初歩の初歩とどこかの小説に書いてあったのを思い出し、使える限りの言葉で指先に火を生み出そうとするが、何も起きない。
 ひょっとすると使えないのかもしれないと思った少女は、諦めた。
 何はともあれ人里に下りて情報を集めなければどうにもならない。
 しかし―――。

 「道ってどっちだ……」

 舗装された道路どころか半分森に食い込んだこの場所で道を見つけるのは不可能なのではないかと思った。
 科学技術が発展した未来なら人の居る場所はすぐさまコンクリートで舗装されたが、ここは科学技術の発展乏しき世界。というより、未来だって山中に大きい道を作ることは稀。
 少女は途方に暮れて空を見上げると、木の棒を使って草を叩き倒しつつ前進し始めた。
 草を薙ぎ倒している最中で少女は声を上げて泣いた。なぜなら、家族と過ごした日々や、なんでもない日常の一幕を思い出したから。
 そしてその涙の中には、追手が来るのではないかと言う恐怖も含まれていた。





 完全真白空間にて、一つ、否、到底形容しがたい何者かが佇んでいた。
 それは“青年”が神と呼んだ存在であった。
 “神”はその“青年”の姿を見て笑っていた。
 “神”にとって“青年”は駒であり、道化でしかなかった。死のうが生きようが関係なく、道楽の一つでしかなかった。
 そう、“神”は清々しいほど傲慢だった。
 力を持ち過ぎたものは暇を持て余す。寿命も無く、またやることすら無いその“神”にはこうして人間を弄くり倒して遊ぶことこそ至上の娯楽なのだ。
 人ほど弱く、また強く、そして不安定な存在は無い。それを弄るのは無限の楽しさを持っている。
 “神”は視点を切り替えると、今度は別の人物を見遣った。
 次は何をしようか。
 車に轢かせるのは飽きた。
 誰かの身代わりとなって死に、別の世界に送れば、両方で楽しめる。そこに強力な力を与えれば大暴れしてくれるだろう。
 病でも良い。末期の癌でも面白いドラマが拝める。
 いっその事痴情のもつれで刺されて死んだ方が面白いかもしれない。
 それか、人生を逆戻しにして観察するのも楽しそうだ。

 そう考えている“神”の顔は醜い愉悦に歪んでいた。
 視点を切り替えると、その中で“青年”が土下座をしているのが見えた。

 「いいね、実に良い」

 “神”はそう呟くと口元を緩やかに曲げ、指を鳴らした。










~~~~~~~~あとがき

装備:ナイフ 布の服 木の棒
資金:無し
魔術:無し


はいはい貧乏貧乏はいはい貧乏貧乏



[19099] 四話 情報収集
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:41
Ⅳ、



 山を降りるのに迷い迷って数日。
 “少女”は全身あちらこちら擦り剥いて、良く分からない虫の大群に襲われたりしながら、やっとのことで町に出ることに成功していた。
 と言っても簡単ではなく、自転車どころか馬すらいない為徒歩で道を歩いて、やっとのことで辿り着いたのだ。
 道中で拾った布を頭に被り、泥だらけになりながら歩くその姿は物乞いと大差ない格好だったが、お金も援助者も頼れる人が居ないのでどうしようもなかった。食べ物は途中で拾った葉っぱを袋に仕立てた中に木の実を入れて食べていたのでなんとかなった。
 無論、歩き続けの身体には到底足りるものでは無く、お腹が少々緩くなっていたが。
 排泄に関係することには大して驚きもしなかった。そもそも野外でするのだし、見ることもしない。羞恥心が麻痺しているのかもしれなかった。

 「………カレーライス食べたいな」

 町に入る前に、守衛の居る門の前にあった馬小屋の傍らに座って休憩中、少女は呟いた。
 カレーライスの辛いような甘いような味が舌に広がった気がして生唾を呑む。
 今さら驚くことなどないが、道を歩く人たちの扮装は皆中世の頃そのもので、街並みもレンガや石造りだった。甲冑を馬にぶら提げた人が通って、少女をいぶかしむように見てきたが、すぐに歩いて行った。
 危ない。
 どうやらこの世界には亜人や獣人が居るらしいが、どうも嫌われているらしく街中でバレるのは自殺と同意義なのだ。特に、先天的に“魔術”を身につけているというエルフは。
 魔術は一種の才能であり、使える人間は使えるが使えない人間はとことん使えず、また血筋や受け継げるものではないらしい。
 魔術とやらがどのようなものかは不明だが、推測するに凄まじい威力を持つのだろう。
 つまり先天的に全員が魔術を使えるエルフは圧倒的な力を持つとされ、人間社会に盾突く邪魔ものでしかなかった。結果、敵対し、迫害される。
 ここまでの情報は道中の旅人や、出店で耳に挟んだ会話から推測したものだ。
 他にも宗教や生活様式、またエルフの集落の位置なども正確に把握しておきたかったが、その為にはまず、町に入るしかない。
 しかし、町への入り口である門の前には騎士姿の男二人が立っており、中に入る人を厳格そうな目で観察している。もしもエルフであることがバレたら殺されかねない。
 だがやらねばならぬ。常識を手に入れるにはまずは一歩を踏み出さなくてはならないのだ。そうでもしなければ、元の世界に帰る方法、元の体に戻る方法の一つも分かるまい。
 観察して居る限りでは孤児や物乞いの連中が門の中に入っても咎められていない様子なので、出来る限り怪しい動きをせずに歩きだす。
 
 「………」

 布を童話赤ずきんのようにしっかり巻き付け耳を隠し、門に近づく。もちろんヘマがあってはいけないのでしっかりと手で確認してから。
 丁度騎士姿の一人が大欠伸をし、もう一人がそれに気を取られた。“少女”は好機とばかりに足を進めると、門を潜り、町へと入り込むことに成功した。
 大通り……なのだろうか、門から入ってすぐの道はある程度広く、商店が並ぶ活気ある場所だった。店では良く分からない品を売っていたり、肉を串に刺して焼いているのも売っていた。
 匂いを嗅いでいると虚しくなるので早足に立ち去る。
 それなりに履き心地の良かった靴が泥だらけになっているのが見えた。きっと、他の人から見たら少女は酷く薄汚れた鼠のように見えているに間違いなかった。
 水浴びの一つでもすれば話は変わっただろうが、街中でそんなことをすれば目立つこと間違いなく、最悪の場合は耳が露出し迫害の対象であるエルフとして捕縛されかねない。
 エルフである以上、一般の人間社会ではまともな暮らしが出来ない。
 何がエルフにしてやるだ、何が転生だ、誰にも聞こえないほどの声量で呪いの言葉を呟くが、変化なんて無い。
 少女は町を巡るべく、人目を気にしながら歩み始めた。





 少女は己の迂闊さを呪った。
 例の、エルフの集落を焼き打ちした連中と全く同じ格好の男達が町に来たのである。なんでも生き残りを探しているらしい。
 当然である。少女は集落を襲撃した一人をナイフで刺殺しているのだ、その時に命からがら逃げ出したのをばっちり目撃されている。
 町から出る門は二つあるが、そのいずれも男達が見張りに付き、片っ端から顔を見せるようにしている。耳だけで判断できるのだから出身など聞かなくてもよいのだ。
 困った。
 少女は男達を避けて町の中の教会と思しき場所の前にある木の元で途方に暮れていた。
 木の実は食べつくし、空腹で背中とお腹の皮がくっ付いてしまいそう。判断力は鈍っていくのを感じ、また生命力そのものが消滅していくのがひしひしと感じられた。
 エルフの生理作用は人間と大差ないらしく、お腹が空くと頭がぼーっとしてしまう。町で食べ物をくすねようと思ったが、捕まった時のリスクを考えて実行に移せなかった。
 盗人には鞭打ち刑と考える。ただの人間なら鞭打ちで済むだろう。だがエルフは違う。殺される可能性が高い。
 町を出るべきなのかもしれない。このまま滞在し続けても誰かが助けてくれるわけでもなく、また、助けを求め耳を見られたら一巻の終わりである。
 持ち物は布の服とナイフだけ。木の棒は邪魔なので捨ててきた。これを駆使し逃げる方法を探ってみるが、どうにも、思いつかなかった。
 かくなる上は、夜陰に紛れ町を囲う塀を乗り越えて行くしかあるまい。そうと決まれば安全そうな場所に退避せねばならない。教会のような建物から離れよう。
 教会に頼るというのも考えたが、その教会がエルフを弾圧する思想を持っていた時のことを考えて出来なかった。単に人が居なかったから座っていただけだ。
 少女は立ちあがると、その場を後にした。





 「………ふぅ、多少マシになったかな」

 夜。
 空に蒼い月、曇り一つ無き美しい星空、清浄な大気。
 町が寝静まった頃に少女は動いた。男達も眠りについたのか、今は居なかった。
 だが、門は閉じられて守衛がおり、かがり火が焚かれ、近寄れそうにない。仕方が無く塀を登ろうとしたが高過ぎて不可能。
 やむを得ず民家から空き箱を拝借して重ね足場にしようとしたところ、明らかに捨てたと分かる一枚のボロ布があったので、今着ている服の上からローブのように羽織ってみた。
 寒さを完全に遮断できたわけではないが、それでもあるかないかで大違いだった。高度な技術で作られた高性能繊維製の服なんてなくても、布切れで十分というのが驚きだった。
 重ねた箱を足場に見立て、走る。

 「よっと!」

 壁に取りつくと足をばたつかせて一気によじ登り、なんとか塀の上に。
 そして物音を立てないように慎重に慎重に進み、塀の向こう側が見える位置につき、下を覗きこむ。予想以上に高い。飛び降りたら痛そうだ。

 「ふっ…………ぐっ」

 少女は飛び降りた。地面に着地すると同時に前転を決めようとして引っかかり、ばたんとその場に崩れ落ちて痛さを堪える。
 数十秒後、涙を浮かべて復帰した少女は、腰のナイフの感触を確かめると、町から続く道をひたすらに辿り始めた。

 こうして歩くことで、元の世界と元の体を取り戻せると深く信じて。






 


~~~~~~~~~~~~あとがき

登場人物の数が少ないが気にしない。
名前が一向に出る気配もないが気にしない。
エルフってだけで行動の制限具合がトンでもなかったという。



[19099] 五話 焚火の中の串肉
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:4baf5012
Date: 2010/06/06 18:41
 Ⅴ、



 “少女”は頭を抱えた。
 とある町で聞いた話によると、某山脈にエルフの里があり、高度に構築された罠と防衛網により人間の侵入を拒んでいる場所があるらしい……それは、いい。
 もう一つは、その場所が現在いる地点から歩いて数週間はかかると知ったため。
道中、整備もなにもあったものではない道を歩き続けようやく見つけた宿屋の裏で一休みしていたところ、エルフに関する話をしていたので聞き取れたのだ。人間の時と比べて聴覚が優れていたのか、それとも話している人間の声が大きかったのかは定かではないが。
 エルフは迫害される社会的弱者であるが、場所によっては人間の全面攻勢を受けても耐えられるほどに力があるらしい。肝心の魔術とやらを見たことがないから何とも言えないが。

 「腹減った……」

 宿屋の裏、ごみ箱の裏に座り休憩中の少女。
 時刻は昼間で、宿屋からはやたらと美味しそうな匂いが漂ってきて、胃袋が大暴れしているのが分かる。
 あいも変わらず食べる物といったら木の実。食べられそうな野草を道中でほうばったこともあった。釣りにも挑戦したが、餌も針も無いのに食い付くわけがなかった。
 誰かに食べ物やお金をねだったり、美少女であることを利用しようとおもったが、自分は男であり元の世界の人間であるという一種の固定観念がそれをさせなかった。
 何をいらない自己を抱いているのか、とは思っても、長年染み付いた自己は取れてくれない。
 歩き続け、ろくにご飯も食べず、安心して眠れない環境下に置かれた“少女”の肉体と精神はもはや限界だった。
 健全な環境ありてまともな考えが浮かぶわけで、環境が最悪だと考えまで最悪になる。
 なまじ現代の楽を当たり前のものとして享受してきた“少女”には、数週間もかかるかもしれない道のりは一生かかるのではないかとすら思えてくる。
 仮に数週間の道のりが酒の席の誇張で、一週間の道のりだとしても、山の中にある集落を見つけられるとは到底思えない。遭難して死ぬのではなかろうか。
 少女はゴミ箱の異臭漂うその場所で体育座りのまま、うつらうつら櫓をこぎ始めた。
 身にまとった布の隙間から薄ら寒い風が入り込むも、もう気にするような事でもない。
 どこかで読んだファンタジー小説ではエルフ族は少なくとも一千年は生きていられるそうだし、もしもこの世界のエルフもその位生きるなら、のんびりとしても怒られない。
 言い訳じみた事を考え、少女は意識と睡眠の合間で煩悶した。やもすれば眠ってしまいそうなのに、眠れない。霧の中に居る気分。
 脳裏に乱暴で破天荒な映像が支離滅裂に駆け抜けて、疲れと肌寒さからくる頭痛が麻薬のように甘美な眠りを誘う。
 それは時に乗用車だったり、幼き時のごっこ遊びだったり、家族と口喧嘩して家を飛び出した時だったりした。中には映画のワンシーンも混在していた。
 意識が落ちて行く。
 もう、寝てしまう。

 おやすみなさい。

 少女は夢か現実か、どこともしれない場所で呟くと、こてんと倒れ眠りについた。





 目が覚めた。

 「………うぅ」

 うめき声と共に目を開けると、体がほんやわ暖かい。
 暖かい? 妙な話だ。屋外でしかも屋根も無い場所で、暖かいなんてありえない。毛布をかけてくれた人が居たとして、それは体が温かいだけではないか?
 目の焦点が定まってくれば、今度はパチパチと何かが細かく弾けるような音が聞こえてくる。
 これも、変だ。該当する音といったら焚火だが、火種も火打石も魔術で火を生じることも出来ないのに、どうして。
 早く起きろと体に命じると、ただちに腰からナイフを引き抜き、錯乱状態で周囲を見回す。
 一面の草原。ぽつぽつと木々が点在しており、目を凝らせば、自分が寝込んでいた宿屋が蟻のように小さく彼方にあった。
 誰かが運んだのか? その答えはすぐさま提示された。

 「起きたか」

 煌々と火の粉を撒く焚火の向こう側に、男が居た。歳は四十、無精髭に鍛え抜かれた体躯、頬の下に走る傷跡が厳格で強い印象に加える。
 男の腰に長剣がぶら下がり、また体を覆っているのが革の鎧であることを認めた少女は、ナイフを取り落とし、その場で腰が抜けてしまった。
 殺される殺される殺される。
 あの長剣が抜かれるや、自分の貧弱な体は骸になり果てることが容易に想像できた。たかがナイフでは革の鎧を貫けず、逆に貫かれ死ぬことが分かった。
 だがしかし、その男は黙したまま、焚火で焼かれていた串肉を持ち、少女に渡すと、静かに言葉を紡いだ。

 「喰え。腹が減ってはまともに考えられない」
 「………」

 少女はそれを受け取ったが、顔を強張らせ動けない。
 当然である。心はかつての平和な世界の男性的思考。そして本能的恐怖、疲弊した体と、エルフは迫害されて殺されると言うこの世界の常識がそうさせた。
 毒でも入ってるのではないか、と考えていた少女に、男は口の端をにやりと上げた。

 「毒を入れるよりも剣で斬った方が早いと思わないか。幸い今のご時世、エルフなら殺しても特に文句など言われないのだからな」
 「…………なっ……」

 何故エルフと分かったと驚愕する少女に、男は自らの耳を示した。

 「体を検分すれば分かることだ。安心しろ、俺はエルフを嫌悪しない。むしろ、好いている」
 「………本当ですか?」
 「そうでもなければ食料を分けてやるものか。行き倒れの女の子を見殺しにするほど腐ってはいないつもりだ」

 呆然とする少女を尻目に、男は焚火に焼かれていた串肉を取り、一口。

 「美味しいぞ?」
 「い、頂きます!」
 「喉につかえて死ぬなよ」

 ぐぅ、と腹が鳴り、自分が空腹であることを再認識し、慌てて手の中の肉にかぶりつく。じわり染み出る肉汁が咥内に広がり、頬が縮こまり痛い。酸っぱい木の実やら野草やらと比べ、その肉は余りに美味しかった。
 知らず涙が出る。その肉が香辛料や調味料を使っていないことなどこの際関係無い。少女は無我夢中でそれを貪った。
 たかが肉、されど肉。少女がそれを食べるのを男は見遣りつつ、こちらも食べる。
 暫しの間、二人の間に会話は無かった。
 串に張り付いた肉の一片までお腹に収めた少女は、焚火から一歩退き、日本で言うところの土下座をして、男に感謝の意を示した。

 「ありがとうございます……エルフなのに、助けてくれるなんて、感謝してもしきれません」
 「そんなにお腹が空いていたのか。まぁ、兎に角耳を隠すと良い。俺は良くとも、他の連中に見られたら言い訳のしようが無い」

 そこでやっと、自分の特徴的過ぎる耳が出ていることに気がつく。いつの間にか布のほっかむりが無く、背中に垂れていることを認識した。
 慌てて布をかぶり直すと、改めで土下座体勢。少女にとって男は救いの神そのものだった。
 男は串を一舐めすると、焚火に放り込んだ。
 暗き空に火の粉が舞い、星間に消えて行く。

 「君はエルフ狩りから逃げてきたのか?」
 「エルフ狩り………?」
 「知らないのか? 最近エルフを敵視する連中が人間に協力的なエルフを狩りまくっている。酷い話だろう、人間に協力的だから、狩りやすいとな」
 「そうです………里が焼き討ちにあって」
 「やはりか、畜生め」

 男は淡々と語るようで、エルフが虐げられている現実に悔しがっているようであった。
 “少女”は、『異世界から転生しました』ということを伝えるのではなく、『エルフの里から逃げてきた少女』という役割を選択した。どの道信じてくれるわけがないのだから。

 「何故……襲撃を?」
 「エルフを危険視した王国の連中が手を組んで排除しようとしてるんだろう……エルフは神話上でも、現実的にもそれだけの力がある………まさか知らないのか?」

 男が怪訝な顔をしたので、少女は出来る限り表情に出さぬように、首を振った。
エルフがエルフの伝説を知らないのは余りに不可思議なのだし、またエルフの現在の状況に無知なことを知られては後々拙い。情報を引きださなければならない。
 土下座のまま、背筋を伸ばし口を開く。
 焚火の熱が体を温めていき、手足が熱くなってきた。

 「いえ、だから、どうしてって」
 「危険視するのもそうだが、……利権、カネ………いつだってそうだ」
 「………そうですか」
 「ところで、この後はどうする。エルフの里まで行くか?」

 少女は男から焚火へと目を移すと、物思いに耽った。
 揺らめく火を絶やさないようにと男が焚火に薪を投じ、それが火を活性化させてぱちリと音を鳴らさせた。
 面を上げ、選択を。
 自分があの世界に帰還する方法は、自分を匿い、なおかつ力あるものに縋る以外に 選択肢は無い。
 元の世界で死んでしまった事実があれど、戻れさえすればよいという考えがあった。また、“神”を倒せばいいのでは、という考えもあった。

 「行きます」
 「そうか………道は教える。俺は行くべき場所がある」

 男が手元の何かを探り、焚火に当たらないよう注意して、少女に見える位置にそれを置いた。毛布のようなものだった。

 「今日は寝ろ。出発は明日にした方がいい」
 「はい………」

 少女は素直に頷くと、その毛布を取り、焚火の熱が程良く当たる位置に転がり、目を瞑って適当にかぶった。お腹が満たされたこともあって、瞬く間に瞼の中で睡魔が渦巻き、意識が飛んだ。
 男は喉を鳴らす様に笑うと、少女に毛布をかけ直し、寒くないように繕ってやった。
 そしてその姿をじっと見つめ、溜息を漏らす。

 「……娘が生きてたらこの位だったな」

 その夜、“少女”は元の世界の父親の夢を見た。
 焚火に反射して、地面に転がったナイフが柔らかく光っていた。










~~~~~~~~~~~~あとがき
やっとまともな人が出ました。
展開遅い。



[19099] 六話 蜘蛛来たりて
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:42

 Ⅵ、



 自分を救ってくれた男と別れた“少女”は、エルフの集落への簡易地図と干し肉を貰い、ひたすらに草原を突き進んでいた。
 ずっと歩き通しでも疲れるので、大木の陰で休憩中。
 目印の無い草原だったら迷って死ぬ可能性もあったが、地図に小高い丘を越えた先の村を中継し――うんぬん、と描いてあるので、今のところ迷ってはいなかった。
 安心して口にすることが出来る食料を貰った影響なのか、積極的に木の実や食べられる野草を布に包むようになった。体が小さいことが幸いして食料はさほど必要ではなかったが、一向に火を起こすことができない。
 魔術に関して男に聞いてみたところ、才能あるものがイメージをしっかりと組み、呪文を口にしつつ身ぶりや行動をすると発動するらしいのだが、一向に発動しない。
 人差し指を立てて集中。
 太陽は天に座し地上を明るく照らし、肌寒さを感じさせない日光を燦々と。
 日本で言う春と冬の境目を思わせる天候と、一面の緑。空気が現代日本と比べモノにならないくらいおいしい。木陰特有の薫りが鼻腔を擽る。
 少女は頭の中で蝋燭の火が灯るのを映像化しながら、人差し指の先端にそれを移動させるよう、呟いた。

 「〝灯れ〟………」

 灯らない。
 今度は指先を凝視し、全神経を研ぎ澄ましイメージを強め、更には体のどこかにあるであろう魔術を発動させる力が染み出すイメージまでして、更に指を丸描くように振り、呟く。
 呪文は男に教わったが、発音が独特で時々しくじる。なんであの男が知っていたかは、知らない。

 「〝灯れ〟……〝灯れ〟! 灯れよ、灯れよ………〝灯れ〟ッ………灯らないかぁ」

 一向に指先に火は現れず、少女は木陰でほうと溜息をつくばかり。
 火を使えれば夜も行動できるし、ものを焼いて調理したり、武器にすることだってできる。
 元の世界では100円でライターを購入しあっという間に火を起こせたが、そんな便利なものは無い。
 少女はもう一つ教わった呪文の言葉を思い出すと、試してみることにした。
 人差し指を立てると、爪よ割れよとばかりに集中し、言葉を紡ぐ。

 「〝光よ〟………これもだめか。エルフってのに、なんでだめなんだ。MPでもいるのか?」

 エルフとは先天的に魔術が使えるはずだが、少女にその兆候は欠片も現れない。もっと練習が必要なのか、方法が間違っているのか、年齢が足りていないのか。
 いずれの推理も的外れな気がしないでもないが、聞くべき相手も読むべき書物もないのでどうしようもなかろう。
 いつまでも休んでいるわけにもいかないので木陰から立ちあがると、石や草があり道など無い草原を歩き始める。
 目標は遠くに霞む丘。まずはあれを越えて行く。あの先に第一目的地とする人間の村がある。
 この世界には必ずしも道があるとは限らない。
 そもそも外に出る必要が無いので道がない村はいくらでもあり、これから訪れる村もまた、そのような場所に位置している。
 せめて自転車でもあれば早く行けるのにと思うが、馬車が現役バリバリの世界で自転車など乗り回そうものなら不審者扱いされるのは明らかであるし、整備すらできない。
 この世界に落とされてようやく気がつく己の弱小さ。
 鉛筆一本、時計一個、否、それどころか腰に差さっている一振りのナイフでさえ、自力で作ることが出来ないのだ。
 個人が所有する“文明”の儚さと希薄さに涙が出てくる。
 人は社会に守られ、また社会の規範に身を置き縛られた自由を選択することで文明を享受出来るのであって、社会から離れまた迫害される身では、極端な話、布一枚だって入手困難なのである。
 それはこの世界でも通用する。
 事実、“少女”は原始人のように木の実を主食とせざるを得なく、アシは文字通り足のみで、交通手段を利用することすらできない。
 それどころか、エルフだから殺しても構わない的な考え方がある時点で社会どころか生存そのものが危険に晒されている。
 せめて人に“転生”していれば楽だったのに、と無い物ねだりをしたくなる。

 「………お腹空いたなぁ」

 男に振る舞われた肉の味が忘れられず、染み出る生唾を飲み込みつつ、酸性味が極めて強い木の実を布からいくつか取りだして食す。
 灰汁抜きなんてしてないので、苦みと渋みが先に広がり、次に決して美味しいとは言えない酸味と甘みが広がって、思わず顔を歪ませた。かつて食べたさくらんぼとどうしても比較してしまい、余計に美味しくない。
 でも食べなければ疲労はとれず。また、水を入れておく容器も無いので、水分不足になり草原の片隅でひっそり死を迎えるなんてことがありうるので食わねばならぬ。
 更に難しいことに、『食べられる木の実と食べられそうにない木の実』の判別も行わなくてはならない。
 もしも毒でもあったら中毒症状で泡を吹きながら死ぬか、腹痛を起こし下痢で死ぬか。その結末はおとぎ話より悲惨である。
 よって“少女”は木の実を観察して、それを鳥が食べているか、妙なニオイがしないか、等を見極めた上で、一口食べて安全を確かめる。
 また野草を食べるときはそれよりも厄介である。
 もしも毒があれば言うまでも無く死ぬ可能性がある。小動物が野草を食べているのを見つけるのは難しく、道中お腹が痛くなったこと度々であった。
 だが少女は、キノコ類だけは口にしなかった。元の世界での常識で、キノコの判別は達人でも間違うことがあると知っていたし、何より毒のイメージが強過ぎた。
 ではそれで足りるかというと、足りない。
 木の実だって都合よくあるわけも無く、所々になっているのを見つける程度。野草はそこらにあるが、判別するまで時間がかかりすぎる。
 この際、動物じゃなくてもいいから魚の肉でもいい。口にしたい。だが、無い。
 男に貰った干し肉を口にしようと何度も迷ったが、止めた。あくまで非常食だ。
 歩き続けて筋肉痛は酷いし、数日は水浴びもしてない。
 端正な顔は疲労に染まり、白き肌は薄汚れている。元々着ていた服は汚れが酷い。美しかった髪の毛はあっちこっちに飛び跳ねて、木の枝が所々から突き出している。

 「甘いもの……チョコレート……」

 ぶつぶつ独り言を吐きつつ、足元の石を手に取り適当に放り投げる。
 こうして常時お腹を空かしたまま歩き続けていると、日本は飽食の時代だと言っていたのが痛感される。いつでも食べ物があることがいかに幸せだったのか良く分かった。

 「ぁー……お母さん、聞こえてる? 肉じゃが食いたいわ」

 少女は空を仰ぐと、自宅の食卓を思い浮かべつつそう口にして、仕方が無さそうに苦みの強い野草を口に入れ、飲み込んだ。
 もちろん、空に話しかけたところで返事なんて無く。
 この世界で何度か見かけた飛龍が空を呑気に飛んでいるのをみて、乗せてくれればと祈った。何も起こらなかった。





 予期していたことが起こった。
 この世界がファンタジー世界であるなら、もはやお約束な展開が待っていたのだ。
 と言っても勇者に拾われるだとか、突然奇跡の力に目覚めたとか、そんな類ではない。偶然宝箱を見つけたとか、そんなものでもない。

 「……逃がしてくれないか、クソッタレ」

 小柄なエルフの少女で対峙するは、己の身長と同じほどの大きさがあろうかという、蜘蛛。前面にある黒々とした目がこちらを睨みつけており、いつ襲いかかって来ても不思議ではない。
 草原を歩いているときに遭遇し、こっそり逃げようと思ったところ、こっちに向かってきたのだ。
 明らかに敵意を感じるので、木の棒を牽制に構え、ナイフをいつでも引き抜けるよう準備して、両脚に力を滾らせておく。
 その蜘蛛からじりじり遠ざかれば、寄って来て前足を威嚇するように振ってくる。
 どうやら、逃がしてくれないらしい。
 この蜘蛛が人を襲うかは分からなかったが、少なくともこうして対峙している時点でこちらを害するつもりがあってのことであろう。
 “少女”は耳を隠すための布をはぎ取り地面に叩きつけると、棒を剣のように構えた。
 瞳は巨大な虫に初めて遭遇した為に恐怖が浮かんでいたが、それでも、覚悟は決まっていた。
 かっと目を見開き息を吸うと、叫んだ。

 「行くぞ虫野郎。元の世界の学者に見せる標本第一号にしてやる!」

 蜘蛛が足を蠢かし、少女に飛びかかった。










~~~~~~~~~~~~~~あとがき
名前も出てこない少女が書いてて可哀想になってきた。
蜘蛛はAMIDAではない。



[19099] 七話 仕留めたはいいものの
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:42
Ⅶ、



 剣道どころか武術の嗜み皆無の“少女”にとって、たかが大きい蜘蛛ですら山のように巨大な外敵であった。

 「らあッ!」

 いきなり飛びかかってきた蜘蛛をステップを踏むことで回避、木の棒を思い切り振りかぶり、頭らしき場所に叩き下ろした。
 が、狙いが外れ胴体に下ろしてしまい、その硬質な殻を叩くにとどまった。たかが木の棒では斬ることも、満足な打撃力を得ることも難しい。

 「っく」

 蜘蛛が口を開けた。肉食性なのか小さい歯が幾つも並んでおり、どろりと体液が糸を曳いているのが見えてしまった。
 生理的嫌悪感から一歩跳び下がるや、バットを握るように持ち直し、フルスイング。蜘蛛の目を狙った俊敏な一撃が迫らんと。
 が、敵もやられるだけではない。腐っても野生生物。少女が必死なように、蜘蛛もまた必死だった。
 体を棒に打たれながら跳びのき、前足を下げてお尻を持ち上げる。硬い外殻は棒からの衝撃をきっちり守ってくれていたので、大した傷にはならなかったようだ。
 蜘蛛の臀部が持ち上がるや、一条の白い何かが射出。

 「ちょ、糸!?」

 少女がとっさに腕で庇うと、ぐちゃりと付着して瞬く間に接着。もし庇ってなかったら顔面にはりつき呼吸が出来ずそのまま餌になっていた。背筋が凍る。
 蜘蛛が更に糸を吐く。一本二本と少女に向かって放たれ、避けることも出来ず手足に絡みつき、その粘性によって動きを制限されていく。切ろうにも糸の弾力がそれを許さない。
 糸を掴み取り引っ張ろうとしたが、蜘蛛の重量的に意味が無い。

 「ぐ………こ、こんなこともあろうかと……ナイフを……取れない!」

 切れないのでナイフを抜こうとしたが、これでもかと浴びせられる糸が腕に絡みつき、足にへばり付き、とうとう棒立ちが精一杯にまで追い詰められる。手の棒すら糸でべっとり。
 足のみを動かしてちょこちょこと後退する少女に、蜘蛛はしめたとばかりに距離を詰めて、いつ跳びつこうかと算段を立てている。
 少女はふと、『あっ、これは終わったな』と一種の諦めにも似た思いを抱いた。
 防具も仲間も居ないのに相手の目の前で動けぬ状態では、逃げることも反撃も不可能であろう。それが意味するのは即ち敗北である。
 蜘蛛の目が爛々と輝いた。

 「来るなよ! 食っても美味しくないぞ! ああっ、だから来るな!」

 トドメとばかりに糸を吐きかけて、少女はとうとうぐるぐる巻きに近い様相に。
 祈るようというか、必死で蜘蛛を説得したり罵ったりしてこっちに来るなとしてみるが、蜘蛛に人間の言語が通用するわけも無く、いくつも生えた足をカタカタと鳴らしながら寄ってくる。
 こうなったら手段は一つだけ。

 「〝灯れ〟! 頼むから〝灯れ〟!」

 ――魔術で糸を燃やし脱出する。
 指の動きもなくただ呪文を唱え、魔術が発動してくれることをひたすら祈る。
 神でも悪魔でもいい、糸に巻かれて死ぬなんてことを止めさせてくれ。俺は家に帰りたいんだ。
 少女は呪文を気が狂ったように連呼して、出来る限り蜘蛛から離れようとする。
 蜘蛛はもう相手が抵抗することが出来ないと判断したらしく、全脚を屈めると、跳んだ。

 「〝灯れ〟!」

 少女はこれで最後と感じ、全身全霊、喉も枯れよと声を振り絞り唱えた。
 セカイが変動した。
 世の理を捻じ曲げる術、即ち魔術が少女の命令に従い発生するや、たちまちのうちに蜘蛛の糸を焼き尽くした。物理的肉体と霊魂の結合力として作用する力がエルフの血により引き出されたのだった。
 灯れとは名前だけの強力な火炎が身を包んだのも一瞬、身軽になった少女は己に驚愕する間もなく蜘蛛の体当たりをかわすと、ナイフを持つ。
 体にかかった負荷により鼻から鮮血が垂れた。
 何をすればいいのかは正直分からないのに、何をすべきなのかが分かる。
 突如圧し掛かった疲労により目は眩み、涙が流れ、呼吸は全力疾走時並みに荒く。

 呪文はどうしよう。

    そうだ、好きな言葉を紡げばいい。

 ナイフを下手に握りなおすと、体勢を直しこちらに再度跳びかからんとする蜘蛛を睨みつける。
 自分の心臓の音が痛いほど大きい。指の先まで熱い。吐き気と倦怠感が筋肉を占領していく。
 イメージは主に自分が体験してきた事柄や、ゲーム、映画、その辺からかき集めなんとかでっち上げる。いいのだ、それで。今はそれでいい。
 蜘蛛が跳び、

 「〝剣よ燃えよ〟!」

 ナイフを火炎が覆い尽くし、刹那、赤き長剣と化した。
 真正面からくる蜘蛛は回避できずにその剣に跳びかかり串刺し。肉が焼ける嫌な臭いが鼻を刺す。火炎の剣により蜘蛛は絶命し、その場に崩れ静かになった。
 
 「鼻血が止ま………ら」

 だがそれまでだった。
 強い魔術を行使すれば精神肉体全てに負担が強いられ、それは“少女”の肉体にも適応された。
 火炎の灯火消失した後には蜘蛛の死骸と熱きナイフが残される。ナイフが熱過ぎて取り落とし、自らもふらふらと数歩後退して、鼻から垂れる血を手で押さえる。
 どうやら魔術の行使に成功したらしいとは分かったが、過労死寸前なほどに全身は苦痛の声をあげ、視界では点滅する黒と白が入り混じり乱舞する有様。
 魔術を使うたびにここまで疲れてたら意味が無いなぁ、と少女は思いつつ意識を手放した。







 少女が意識を取り戻したのは、日没後の暗闇の中であった。
 顔は涙や鼻血で酷いことになっていたが、鏡が無いので適当に拭うのみ。体裁を気にしている暇が無いのだ、彼女には。
 ナイフを拾って腰に戻し、蜘蛛の死骸につかつか歩み寄る。

 「どんなもんだよバカヤロウ! 痛ッ!?」

 少女は、頭部に火炎の剣を受けて絶命している蜘蛛を憂さ晴らしに足で蹴飛ばした。殻が硬くて痛かった。足を押さえその場で悶絶する。
 辺りは暗く、草原が黒の海のよう。朧に見えるは星空。風が冷たくなり始め、身を震わす。
 今日はここで野宿するしかないようだ。
 少女は蜘蛛の死骸を嫌悪の表情を浮かべて引きずっていくと、木の陰に座った。
 そして辺りから木の棒を集めてくると小山を築き上げ、指先を出して集中する。焚火にしようとしたのだ。

 「〝灯れ〟! ……? 〝灯れ〟! ………〝灯れ〟………またか」

 いくら呪文を言おうとも指を振ろうとも火は灯ってくれない。
 蜘蛛を倒した時に魔力でも使い果たしたのかと推測するが、定かではない。どちらにしても今はこの危険な場所で眠るしかないようであった。
 少女は蜘蛛の残骸を軽く足で蹴飛ばすと、その場に寝転がろうとして止め、自分の頭を覆っていた布を取りに行きそれをかぶると、また戻って来てやっとこさ座った。
 布を頭にきっちり巻きつけ、木に寄りかかる。
 もし、同じような蜘蛛なり狼が出てきたらどうすればいいのか。

 「…………その時は死ぬか、魔術使えるようになるか、どっちか………眠い」

 その時は死ぬだけさと楽観的にも悲観的にもとれる言い訳を心の内の自分にして、目を瞑る。程無くして眠りが訪れ、すぅすぅ小さい寝息が上がり始めた。
 風が地面を駆け抜け、少女の髪の毛を揺らした。










~~~~~~~~~~~あとがき
やっと戦闘シーン。
魔術がダサいのは仕様です。
蜘蛛って食べられるんでしたっけね。



[19099] 八話 水面の彼女
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:43
 Ⅷ、




 最近分かった事がある。
 指を立てると、しっかりとイメージを組みたてながら目を瞑って、心の中で強く強く願う。自分には今火が必要なのだと。自分は火を欲しているのだと。

 「〝灯れ〟」

 ぼっ。
 ほんの一瞬だけだが指先に紅い火が生まれ、すぐに消え去った。
 百回に数回程度の成功を手繰り寄せても、一秒と持たず消えてしまうことに胸が虚しくなった。
 “少女”は溜息をつき岩から腰を上げると、丘というより山から木を根こそぎとってしまったようなその場所を登り始めた。
 どうやら魔術とは、イメージや願いの強さによって発現するらしい。現に灯れ以外に燃えろや火炎よ生じよと唱えたり、また元の世界の英語を使って唱えてみたところ、発動した時があった。
 それどころか完全に適当な言葉を言いつつやっても発動する時があった。
 少女は、魔術は言葉や行動よりもイメージや願いといった精神的な部分に大きく頼っているらしいと理解した。指を振らず木の枝を使ってみても火がついたことから、それは明らかだった。
 干し肉をくれた男は呪文が必要云々言っていたが、嘘だったのだろうか。
 問題はその持続時間だ。集中してイメージを組みたて、願いを込めて唱えても今のように一瞬しか保てないのだ。蜘蛛を倒せたのは文字通り必死だったからなのだろう。
 だがこれらは全て推測にすぎない。元の世界なら図書館なりインターネットなりで情報を得られたが、この世界ではそれはおとぎ話のようなものである。
 練習が必要だが、魔術が使えるかもしれないということは少女の希望の一つになっていた。実際に魔物(蜘蛛)を倒したこともそれを後押しする。
 蜘蛛の糸で使い物にならなくなった木の棒の代わりに、草原で朽ちて骨だけに成っていた動物から程良い骨を拝借して棍棒兼杖代わり。もちろん人が来たら捨てるつもりだ。
 服はボロボロ。体は泥だらけ。顔には鼻血の跡。はたから見たら原始人そのものである。
 そこに耳を隠すために布を被り、ひょこひょこ歩く少女はエルフどころか別の種族に見えなくもない。
 結局、丘を越えるのに恐ろしく時間を消費してしまい、頂上に登った頃にはお昼になっていた。
 残り少ない木の実を取りだすと噛み砕いて舌の下に押しやり糖分を摂取させてから飲み込み、食べられる野草を口にしては飲み込む。美味しくないので食べると言う作業に過ぎない。
 丘を越えた先に村があるといっていたが、果たしてどこにあるのか。
 少女は懐から地図を取りだすと、杖代わりの骨を弄びながら目を通した。眼をごしごし擦って鼻の頭を掻く。

 「……距離が分からないな。でも――」

 目を上げると、丘から見える位置にある湖らしき場所を見遣る。
 日光を反射して煌めくそこはまさにオアシス。蒼い水が目に嬉しい。久しく水を飲んでいなかったことを思い出した少女は、酸性な木の実の味が染みついた唾液を飲み込んだ。
 そこでやっと、自らの格好が酷く汚れていることに気がつく。
 今の今まで食べ物を探したり、道を歩くことだけしか考えていなかったので、身の回りのことについて頓着する余裕がなかった。正確に言えば清潔について考える余裕がなかった。
 髪の毛に触り、首元の汗に触り、蜘蛛の糸の粘着がついた腕に触る。
 久しぶりに水浴びをしても罰は当たらない。それにこの時代である、屋外で水浴びなどしょっちゅうあることだろうから、いいだろう。
 それに小学生程度の女の子の裸体を見て喜ぶ奴など居やしない。
 少女は地図を丁寧に折りたたむと、足元に注意しながら丘を下って行った。






 目視可能な距離だとしても、実際歩いてみると恐ろしく時間がかかるものだ。
 なんだかんだ湖に辿り着く為に道なき道を進み、草むらの海を割り進み、森の中でさんざん迷いながら辿り着く頃には太陽がやや傾いていた。
 正確な時間は分からない。時刻を知る手段がほぼ無く、また自然環境のごく限られたものでしか時間を知る手段のない少女には、空が全てであった。
 空が明るければ朝昼、暗くなれば夕夜。危険なので暗くなったら安全な場所を探し、決して行動しない。現代ではありえなくとも、昔はみんなこうだった。
 火を起こせば行動できるかもしれないが、暗い中光り輝く松明を持って行動すれば目立つこと間違いなしである。

 「綺麗だな………どれどれ」

 湖の畔に辿り着いた少女は、骨の杖を木に立てかけ、湖を覗きこんだ。
 まだ幼いが疲れた顔の少女が湖の表面に映っている。この世界に来て初めて自らの現在を直視し、思わずその水面に手を伸ばした。歪んだ。
 湖の水質は、地下に広がる蒼穹といった面持ちで透き通り、指を入れて見たところ震えあがるほど冷たかった。両手をつけて一口飲むと清水が体に染み込むよう。 ついでに顔を洗って、服で拭う。
 ぽたりと水滴が落ち、丸い波紋を湖面に刻む。

 「本当にこんな姿になってたんだな、俺は………誰だよコイツ」

 怪訝な顔をすると、水面の中の顔も怪訝な顔をする。
 やっと自分が少女になってしまったことを自覚して力が抜けて、湖畔に座り込むと、石を拾い上げて投げて遊び始めた。
 手のスナップを利かせ回転を加えながら投げれば、石が水面で飛び跳ねてぽちゃんと没する。
 そういえば、テレビやらゲームやらパソコンやら、そういった類の娯楽どころか本すら読んでいないことを思い出す。何にしても娯楽はカネがいるので、自然を使って遊ぶほかないのだが、懐かしくなる。
 旅の同行者か便利な使い魔でも居れば楽なのだろうが、いずれにしても少女が手に入れるには障害が多過ぎる。
 旅の同行者に至っては裏切られる可能性だって捨てきれないのだ。
 頼れる相手も喋る相手も居なくて、寂しさは募るばかり。必然的に独り言が増える。それは時に木を擬人化して語りかけるものだったり、漫画やゲームのセリフを引用してきたものだったりする。
 さて、と少女は呟くと頭の被り物をとらずに服を脱ぎ始めた。万が一人間に見られたら後に面倒になるからである。
 “少女”は、服を脱ぎつつ、今自分は男なのか女なのか、そこがはっきりしないことについて考えていた。
 思考は男のままのつもりだったが、日々を過ごす内に女なのか男なのか曖昧になってきたのだ。
 下着も含めすっかりと服を脱ぎ捨てると、頭の被り物だけはそのままに、足先から水の中に入る。
 汚れた体はしかして美しく、エルフ特有の均整の取れた幼き体が外気に晒されて震える。

 「冷たッ! ぁー、これは冷たい」

 湖は徐々に深くなっていくが、手前の浅瀬は膝が浸かる程度の深さ。
 全身に染みついた汚れが水に溶けて行き、擦り傷や打撲が冷たい水でちりりと痛みだす。それでも久しぶりの水浴びは心と体を喜ばせた。
 服も洗ってしまおうかと思ったが、残念ながら着替えが無いので断念せざるを得ない。屋外で全裸、しかも水にぬれた状態は辛すぎる。
 魔術で火を起こせばいいかもしれないが、何度試しても発動しなかったりするのでそれに頼るのは危険と言わざるを得ない。それに服なんて洗っても汚れるし、また単純に面倒だった。
 冷水に身を沈めて全身を擦って汚れを落とし、髪を洗い顔を洗い、清水を喉を鳴らして飲む。
 己の貧相な体が水越しに透けて見えており、華奢な作りの両脚の付け根には男であるならあるべきものは無い。改めて自分が女の体になったと理解する。
 もしも元の世界に戻れなかったら、女として生きるしかないのだろうか。
 元が男だけに男の心情や行動形式を心得ている“青年”は、もし女として生きるのなら、どうにも素直な恋愛は出来そうにないと考えた。
 というよりエルフの段階で人間と結婚できるとは思えない。するとしたら同族か。
 久しぶりに落ちついているがため、様々なことに思考を張り巡らすことが出来た。湖の冷水が頭をほどよく冷やし、体の熱を削ぎ落していくものの、決して不快なんかではない。

 「――――、―――、――、――――♪」

 鼻唄を紡ぎつつ、背泳ぎで湖を進む。
 木々の木漏れ日が少女の肌の色を際立たせ、点々と落ちる影が紋様を作る。
 耳に水が入ったので湖の底に両脚をかけて立ちあがると、頭の布の中に手を入れて耳を引っ張って水を抜く。長い分だけ引っ張りやすかった。
 時に元の世界の流行歌を自分で変化させたのを鼻唄にして、湖を駆け回る。どうやら水というのは人間をはしゃがせる作用があるらしかった。
 でもあんまり長く入っているわけにもいかないので、湖から上がろうとして、なんとなく草むらの方に目をやった。
 ―――目と目が合った。

 「あっ、待て!」

 何者かが草むらから飛び出すや、全速力で逃げていく。
 その人物が自分と大差ない年齢の『人間』だと分かり、少女はその後ろ姿を全裸で追跡せざるを得なかった。頭を覆う布の隙間から耳を見てしまった可能性があったのだ。
 もしも通報でもされたらなぶり殺されるのは必至。羞恥心は無く、むしろ焦燥感が大きかった。
 ナイフを引っ掴み、全裸で森の中を駆ける。
 傍から見たらただの変態だった。









~~~~~~~~~~~あとがき
幼女だから恥ずかしくないもん 元男だから恥ずかしくないもん



[19099] 九話 赤山を目指せ
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:43
 Ⅸ、



 結論から先に言おう、目撃者の捕縛は案外簡単だった。
 自分と大差ない(外見のみ)目撃者に対し追尾中に石を拾い、全力で投擲したところ、偶然にも頭部に命中してその場に転がった。そこを、蔓でぐるぐる巻きにして湖の方に引っ張って行った。
 どうやら少女は歩き続けたり体を使い続けていたお陰で、幼い時期特有のぷにっと体型から引き締まった体になっていたらしい。
 同年代の少年を木の幹に寄りかからせて、いそいそと体の水分を取ると服を着る。念には念を入れて頭に布を被り、ナイフをすぐに取り出せるようにして、少年の頭をぺちぺち叩く。
 石をもろに受けてしまって後頭部にタンコブが出来ていたが、この際仕方ないとする他ないであろう。

 「……うーん」
 「起きろ」
 「うぅううう………」
 「起きないと酷いぞ」
 「………」
 「起きないと本当に酷いぞ。拷問するんだからな」
 「………ぅう」
 「悪かったから起きてくれ。起きろよ」

 目を堅く閉じたままうめき声を上げるだけの少年に、罵ってみたり顔を突いてみたり、かと思ったら優しく語りかけたり肩を揺すってみたり。
 石を頭部に受けた打撃は相当酷かったのか、少年は眉に皺を寄せたままで意識を取り戻さない。
 患部を冷やせばいいのだろうかと考えて余っていた布を取りだし、湖の清水をつけて後頭部に宛がう。冷却用の氷でもあればもっと効果的だが、生憎冷蔵庫は無い。
 かと言って蔓の縄を解くと逃げられる可能性があるので、スマキ状態で頭を治療するという奇妙な光景が出来上がる。
 数分に渡り少年を起こそうと試行錯誤をしていた少女だが、ぷつりと何かが切れた。
 手のひらを振りあげると、哀れかな、少年の頬を強く叩いたのである。

 「起きろってんだよ!」
 「ぐっ……!? ………う、ここは……………って、あんたエルフ!?」

 頬を張られてようやく目を覚ました少年の視界に映り込んできたのは、苛立った様子の少女の姿。真正面から見ても、やっぱり耳が長く、エルフそのものだった。
 少女は少年が大声を上げるや、脅す様に指を突き出した。

 「俺は………じゃない私は魔術が使える。で、君は拘束されてる。私が望むのはこの近くにある村への道案内。他言無用、危害を加えない、その条件さえ飲めば私も危害を加えない」
 「………」
 「私は行くべき場所に行き、君はいつも通りの暮らしを送れる。正直エルフ討伐がどうのーなんて興味無いんでしょ? 黙ってれば二人が幸せ。そういうこと」
 「………道案内をして、村に危害を加えないって保障は?」
 「エルフをどんな目で見てるのかは知らないけど、私自身は正直エルフなんてどうでもいい。目的地につければいい。それに、今私が君の全ての選択肢を握ってることをお忘れなく」

 戦々恐々と言った面持ちの少年の目に指を出すと、いかにも魔術でいたぶるぞという素振りを見せつける。ナイフでもいいが、象徴である魔術を使うと脅した方がより効果的と判断した。
 攻撃性の火どころか、ライター以下の火力を一瞬作れる程度なのは知っている。だが、相手は知らない。
 “青年”の目的はエルフの里へ到達し元の世界に帰還する手掛かりを得た後、帰る一点のみ。
 エルフの迫害が許せないだの、宗教がどうの、文明がどうの、それらは目的を達成する為に必要なら干渉する程度の対象でしかない。
 体裁など構うものか。汚くても構わない。なんとしてでも、帰る。
 “青年”を突き動かすのは怨恨を遥かに通り過ごした、猛烈なまでの望郷心。
 どことも知れない暗闇の向こうに浮かぶ帰還という文字を目がけて、不安定な足場をただ歩く。もしも歩くのを止めたら、そこで折れてしまう。もしも飛ぶのを止めたら、そこで失速してしまう。
 現代で培ったゴミのような知識も、エルフは魔術が使えるという優位性も、全て注ぎ込もう。
 人は目的なしには生きていけない。
 だから“青年”は、目的を作り上げることで歩く為の原動力とした、それだけだ。
 “少女”の顔が大真面目で、しかも鬼気迫る様子。更には指を突き付けられ脅迫されている状況。
 つまるところ、少年に選択の余地は一欠片も残されていなかった。選択を放棄し逃亡するのにも、全身を拘束されていてはどうにもならぬ。

 「……分かった。とにかくこれを解いてくれないと、俺は動けない」
 「よし。それでいい。もしも裏切ったら、背中から刺すか焼き焦がしてやるからな」

 もっとも。
 少女は少年を戒めていた蔓をナイフで切断しながら自嘲した。
 使える魔術は着火ライターのような火力しかないのだが、と。





 少年に村を案内され、その先に進んだ少女は、大まか予想通りに村の住民の追尾を受けていた。
 どうやらエルフは捕まえると金になるらしく、馬を駆り出して村人総出で追いかけてきたのだ。
 雑魚の部類に入ると思われる蜘蛛一匹倒すのに気を失うくらいの実力しかない少女には、馬に乗り、剣を持った村人達は悪魔のようにしか映らなかった。
 幸い日は暮れかけており、草むらに身を隠せばなんとか凌ぐ事が出来た。
 エルフの肌は白く目立つので、地面の砂にツバを混ぜた泥を顔に塗り、更に蔓で頭に木の葉っぱを括りつけ、村人が通り過ぎるまで草むらで伏せたまま息を殺す。
 この知識はどっかで読んだ本にあった事柄で、軍人がよくやるフェイスペイントと、迷彩効果を高めるために体に木々を括りつけるのをそのまま真似しただけであったのだが、目の前を通り過ぎても気がつかなかったことから効果はあった。
 松明の揺らめく火に反射して剣が光っている。
 馬の足がすぐそこに来て止まり、村人の一人がきょろきょろと周囲を見ているのがまじかに観察できた。
 息をするのも恐怖。眼を開けるのも恐怖。身じろぎするのも恐怖。
 迂闊に動けば見つかる恐れがあり、村人の何人かは弓矢を携行していたのでよほど遠くに逃げなくてはならない。森の中に逃げ込むのもいいが、人海戦術であっというまにオダブツであろう。
 つまり、諦めてくれるまで隠れ続けなくてはならないのだ。
 一本の草の上でもぞもぞ動く毛虫を村人の松明の光で見遣る異常な近さ。
 夜になる前に安全なねぐらと、食べられるものの確保をしたいのにそれもできず。
 空は見る見るうちに光を失い、星空が視認できるようになってきた。村はずれから始まる草木生い茂る小さい山の端での命がけのかくれんぼ。
 カラスのような鳥が群れをなして木から飛び立つと、たちまち空の彼方に消えて行く。
 それから数十分ほど時間が経過して、村人達は談笑しながら村に戻って行った。彼らが話していた内容から察するにエルフ懸賞金がかけられているのと同時に、手篭めにしてしまおうという欲望も垣間見えた。
 野蛮な、とは思わない。この世界ではそれが当然であるなら、仕方が無いと考える。
 そもそも生きてきた世界も違うのに、自らの尺度でモノを測ること自体が間違っているのだから。
 森に静寂が回帰し、少女は草むらから顔を出すと目元を手で擦り泥を落とすと、今日はどこに寝ようかと思索しながら杖代わりの骨を握り、立ちあがった。
 村を越えて行った先に様々な民族種族が集まるという場所がある。そこを目指し、川の上流を目指しエルフの里に至る。目標は遠いが、やるしかない。
 食糧である木の実を全て食べてしまった少女は、仕方が無しに食べることと探すことを諦め、安全を求めて森から出て、夜陰に紛れて次の目的地の目印である、赤い土で固められたような山を目指して歩いて行った。
 行く手を祝福するように月が明るかった。









~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき
次回、エルフの里がある山に辿り着きます。
ここまで来るのに三万文字はかかりました。

それにしても、現代の知識が役に立たないこと……
たった一人、しかも財力も技能もない現代人がこの世界に落ちてきたらこうなるのも仕方ないのですかね。地位のある人間に転生すればよかったかも。
サバイバル知識は当時の人のほうが高いし。



[19099] 十話 蜘蛛調理及び罠の危険性について
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:44
 Ⅹ、


 木の上から獲物を睨む影一つ。
 大きく振り上げて、飛び降りる。

「うおおおおおおりゃあああ!!」

 先端に石を括りつけた木の棍棒をそれに叩き下ろす。それは突如強襲されて致命傷を負い、透明やら緑やらの体液を撒き散らしながら沈黙した。
 “少女”は棍棒を再度振りあげると、それを滅多打ちにする。一回に留まらず二回三回と振りおろし、トドメとばかりにそれを蹴りあげて転がした。

 「よっしゃあああー!」

 少女は自分の意思で仕留めた初の獲物を前に、両手を叩き合わせぴょんぴょん踊り狂いながら雄たけびを上げた。
 打撃を食らい続け内臓を壊されたその獲物、蜘蛛は足を痙攣させたまま腹を上にして動かない。既に息絶えているのだ。
 少女が居る場所は森。川を辿った先にある、人の寄りつかない深き古の原生林であり、このどこかにエルフの里があるそうなのだが、入り込んで数日ほど経ったが一向に見つからない。
 湖で村を追われてから一週間ほどかけて赤い山に付き、更に数日かけて川を見つけ、それを辿って森に入った。
 そこに至るまでに野犬と死闘したり、風邪をひいたり、空腹に耐えかねて物を盗んだら矢を射られたり、ここまで生き残ってこれたことが奇跡というほかない状況を乗り越えてきた。
 それも一重にエルフだからではなく、彼が彼だったからというほかない。元の世界に帰りたい。安住の地を求めたい。その気持ち以外は彼もしくは彼女をここまでさせなかったであろう。
 特別な能力も才能も機転の良さの無い。あるのは諦めたくないと言う意地。
 でもなければ地を這い、泥まみれの木の実を口にして、湿気の多い森や砂埃立つ草原で野宿したりはしまい。
 そんなこともあり、人間、開き直ってくるものである。
 汚いことは全然平気。泥水も飲めます。雨水はシャワーです。狩りもします。野宿が普通です。
 現代人としてのプライドもこの際捨ててしまおうと腹を括り、森の中に適した格好で探索をする。
 頭に木の枝を括りつけて服を草の汁で塗りたくり、移動するときに足跡を残さないように靴を大きい葉で覆う。ナイフは木の棒の先に固定して槍とする。弓の代わりに石を投げつける。木の棍棒の威力を増す為に石をくっつける。
 やってることは完全に昔の人である。ただ、昔の人ですら共同作業をしていたのを、少女はあくまで単独であるだけ。
 獲物である蜘蛛に蔓を撒き付けると地面を擦りながら引っ張っていき、自分の荷物置き兼ねぐらである木の洞の前で止める。
 蜘蛛を狩って食べたことは無いが、この近辺に木の実が無い以上狩らざるを得ない。
 それに、干し肉を道中食いつくしてしまったので、動物性(?)の食べ物を食べたくて仕方がなかった。
 以前苦戦した経験のある蜘蛛も、真上から強襲すれば大して強くなかった。どうやら地面を這い動植物を捕食したり、糸で地面に罠を作って獲物を捕える生態らしく、上からの攻撃に対処できないようなのだ。
 この世界では蜘蛛がRPGで言うところのスライム的扱いを受けているようでその辺にごろごろいて、道中何度も遭遇したため、なんとなくだが生態と行動形式が分かってきた。
 魔術で攻撃するよりブン殴った方が強かったぜ! ……なんて悲しいがこれも事実。
 撲殺した蜘蛛をどう調理しようかと検分し、ナイフでは殻を貫けず、それ以前に捌くのが困難そうなので、もっとも原始的な調理法を選ぶ。
 蜘蛛を食べるなんて不気味じゃないかと思うかもしれないが、“少女”の立場と、この世界において珍しくもない生き物と考えれば、十分食するに値する。
 日本ではゲテモノ扱いだが、海外では蜘蛛を御馳走とする地域だってあるのだ、決して馬鹿には出来まい。
 木の洞の前の草はある程度刈られており、一部には石を均等に並べた場所を作っておいた。そこに蜘蛛をでんと置くと、枯れ枝や葉を集め、調理の準備をする。
 少女の特訓の成果が実を結び、十秒程なら火を灯すことが出来るようになっていた。
 指を出して枯れ葉の中に突っ込み、集中する。
 森のざわめきと遠くに鳴る川の吐息をBGMに、火花が瞬時に収縮し不死鳥が如く火炎となる様に念ずる。
 そして、自らが引き金と心で思う言葉を紡ぐ。唱える方がイメージを固定しやすいのだ。

 「―――〝灯れ〟」

 指先で『ボッ』と音がするや、頼りない赤き炎が灯る。
 イメージと念の力が消えてしまわないうちに指をぐいぐい押しつけて火をつけると、息を吹きかけて火を大きくしていく。これが非常に難しい。捻るだけで火が灯るコンロとは違う。
 枯れ葉から小枝に。小枝から木に。木から全体に。空気の流れを考慮して、木々を足す。
 十分後、火は蜘蛛を覆い尽くすほど大きくなり、その身を焼いていた。
 もくもく煙が上がる中、鼻歌交じりに蜘蛛を焼く。枝を差し込み蜘蛛の位置を直して、全体が焼けるように。

 「ふふふふふっふふっふふーん♪」

 地面に座り込んで、焚火の熱気に顔を照らされるのも気にせず調理をする。
 火を見つめていると、昼間でも心が落ち着く。
 なんでもそれは人という種族の遺伝子に刻まれた記憶というが、エルフの体でも落ちつくのだから、その実、火という武器であり調理道具が手の内にあるという事実に落ちつくのだろう。
 蜘蛛が焼けていけば、殻がめくれ上がり、香ばしい匂いがしてくる。食したことは無いが、匂いだけは凄く美味しそうに感じられる。
 思えば調理らしき調理をしたのはこの世界にきて初めてでは無かろうか。
 煙にケホケホむせても目を離さず調理する。というのも火の処理を間違うと森が焼け落ちかねないということもあるが、何より食べ物が目の前にあるということが嬉しくて仕方が無いのだ。
 じっくり蜘蛛を焼き上げた少女は、蜘蛛を引きずり出し火に砂をかけて消火して、早速殻をはぎ取り始める。
 蜘蛛の調理は初めてなのでいつ火から上げていいのか分からないが、殻の表面がこんがり焼けたのを見計らった。

 「熱ィ! 熱い!」

 蜘蛛の姿焼は当然熱くて、少女は殻を割ろうとして苦戦した。
 やむを得ず殻の間にナイフを差し込むと、無理矢理こじ開ける。片っ端からはがしていてはキリが無いので腹部の部分だけを開けて、中身を見遣る。

 「………魚……というか、カニカマ………うーん」

 中身は白いというより肌色に近くて、思ったより綺麗だったのだが、なんとなく人間の脳味噌を思わせる感じで食欲が削がれた。
 が、匂いだけは美味しそうだし、ここまで調理したのに食べないなんてもったいないので、端を千切って口に入れて咀嚼した。
 少女は首を傾げた。

 「……びみょーとかがっかり過ぎる……」

 美味しい訳でもなく、マズイわけでもなく、淡白な味と、魚の切り身のような触感。
 手を突っ込み内臓を取り出し喰らい、その中の良く分からない肉も食べてみる。味はあまりせず、醤油でもかけたらさぞかし美味であろうという風だった。
 塩でも調達すればよかったと今さら後悔するが、これはこれで。

 「……でも……案外これはこれで。あーっ、醤油とバター欲しい」

 少女は手づかみで蜘蛛の中身をあっという間に食べていくと、生焼けの部分を残し満腹になるまで食べきった。
 もしも毒でもあったらどうするのという不安要素はあったが、焼けば食べられると信じて食べた。大型の生き物は毒を持っていないという知識もあったのだが、正直なところ、調べるのが面倒だった。
 食べ終わって口を拭うと、すぐさま蜘蛛の足を蹴り折り、小さくしてから草むらに隠蔽する。地面を掘ってもいいが、別にこれでも問題にはならない。
 少女は自分の荷物をまとめた後、川の方に向かって歩いて行った。
 さほど大きくもない川につくと、顔を洗い、新たに泥を塗り直す。萎れてきたカモフラージュ用の木やら葉っぱやらを交換して、口を濯ぐ。背中の槍を背負いなおし、木の棍棒片手に歩きだす。
 なんの根拠もなかったが、川を伝って上流に歩いていけばエルフの里があるような気がしてならなかった。

 「待ってろよコンチクショウめ」

 “少女”は決意を露わにしたセリフを吐くと、道なき道を行く。
 そして、まんまと罠にかかった。
 川べりに置いてある何やら縄のようなものを何気なく引っ張ると、突如地面の中に埋もれていた縄が持ち上がり、少女の胴体を拘束して地上数mにまで持ち上げたのだった。
 一瞬理解が出来ず沈黙するも、すぐさま足をばたつかせ縄を切らんと暴れる。ナイフで切ろうとするが、縄が肌に食い込み手が出せない。

 「ああそうかい、エルフの罠ってか! よっしゃあ早く獲物取りにこいよ!」

 見事なまでに罠にかかった少女だが、エルフがこの罠にかかった獲物を回収しにくると思えばこれくらいなんてこともないと考え、大声を出して自分の位置を知らせようとした。
 が、そこでふと気が付き声を止めた。
 地上数mで木から宙づりなのは案外辛かった。
 
 「………あれ? ひょっとしてこれ侵入者用の罠? アホを引っ掛けましたって? …………」

 確か現在目指しているエルフの里は人間を嫌って山の中を切り拓いたそうで、罠にしても動物ではなく人間用のもあって不思議ではないではなかろうか。
 しかし、それにしては罠発動で即死亡でもなく、麻酔効果のあるものでもなく、また魔術による拘束すら起こらないのは何故なのだろう。
 ――まるで、作りかけのよう。
 少女は暴れるのを止めると、今度は体をくねらせるようにして脱出を図った。

 「おやおや」
 「!?」

 その時だった。
 少女が罠から抜け出そうとしていた時、どこからともなく声が聞こえ、思わず硬直した。
 声の主を探し首を振るが、草むらにも、川の中にも、それらしい影は見られない。それどころか、川の方や森のほうから霧が押し寄せ、視界そのものが乳白色に染められていく。

 「罠はまだ出来上がってないのに、せっかちな獲物だ。人間よ、悪く思うな」

 宙づりのまま耳に意識を集中し、その声が足元から聞こえてくるのをようやく感じた。
 冷たく、しかし美しきその声は、あたかも一種の音楽のように鳴り響き、ホワイトアウトした視界を作り上げた主であることを声高に主張しているようであった。
 ――エルフだ。心臓が跳ね上がる。
 “少女”は直感し、足元から弓を引き絞るような音がしたのを聞くと、体を大きく振り、声を張り上げた。

 「ま、待ってくれ! 俺はエルフなんだ!」
 「………何?」










~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~あとがき
やっとエルフに遭遇しました。
やっぱり話にはタイトルってつけた方がいいのでしょうかね。
しつこいようだがAMIDAではない。


何もしてないのに主人公がギャグっぽいのは何故。



[19099] 十一話 エルフの里
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2010/06/06 18:44
 XI、




 “少女”は同族であるはずのエルフに危うく狩られそうになる前に自らの身分を明かし、自分のいた里が襲撃されてここまで歩いて来たことを告げると、里まで連れて行って貰った。
 不思議なことに、そのエルフが歩くと森が自然と道を開けているようで、なんらかの力が働いていると予想したが結局分からなかった。
 里はびっくりするほど時間をかけずに到着して、少女はその立派さに目を見張ることとなった。
 もちろん、元の世界の建築物と比較したら雲泥の差があったが比べることが間違っている。高き塔が森の中央にあり、その周囲に木で造られた家々が並んでいる様はさながらファンタジーだった。ファンタジーだが。
 中には死んだ巨木の中身を家にしたり、木々の間に蔓を巻き付けて橋としたり、地下に穴を掘ってそこを家としたり、なるほど、自然と共生するエルフにはうってつけの里と思った。
 耳が長く肌が白く、手足はすらりと長い男の門番に気をとられた少女に、弓を背負った付き添いのエルフが首を傾げた。
 ちなみに頭に括りつけていた木やらなんやらのカモフラージュはみっともないから外してきたが、肌の汚れや服の汚れが酷く、なんとなく羞恥を覚えた。
 RPGでよくお目にかかるエルフの格好そのままの村人が歩き回っており、はしゃいで遊ぶ子供たちも当然耳の長いエルフ。
 ここにきて初めて、“少女”は迫害されることも無く町を歩くことができた。
 空を見上げると、大木から伸びた蔓の橋を悠々と歩くエルフがおり、まるで蔓が電線のようにも感じられた。
 空気は森の中故にひんやりと冷たくて清らか。川べりということもあってか喧騒に混じって微かな水音が聞こえてくる。
 随分昔に行ったキャンプ場に雰囲気が一番近いと感じたものの、娯楽的なものでなく実用的なものとあれば、全く比べ物にならない。

 「自己紹介していなかったが、私の名前はアネットという。同族を罠にかけたことを詫びたい」

 髪の毛を後ろで結ったエルフの女性はそう口にすると、少女に頭を下げた。
 この金髪というより白髪に近い髪をポニーテールにした女性こそ、“少女”を罠にかけて霧中に陥れ、矢を射かけんとした相手である。同族と分かるや頭を下げまくり、責任をとると言ったのだ。
 誠実というか、どこか武士や騎士の匂いを感じさせる彼女、アネットは更に深く頭を下げた。
 少女は、里に入ろうとするところで頭を下げられては目立つし恥ずかしいので、両手を振った。

 「俺は気にしてないです。むしろ、罠に引っ掛けてくれてありがとうって感じなんですよ。あのまま彷徨ってたら里どころか魔物の胃袋でぬくぬく昼寝ですから」
 「………そうか、優しいのだな。………そうだった、なにはともかく長の許に行かねば。ついて来てくれ。衣服や食べ物に住処といったことは、まず長に了解を得ねばならないのだ、特に外から来た者には」
 「分かりました。もう長いことこんな格好だし、お腹もすいてないし、怪我もないし、ちょっと位大丈夫です」

 アネットは門番と目配せをすると、里の中に少女を連れて入って行った。
 里、つまりは町の中に入って分かるのだが、家にしてもなんにしても、長年育ててきたであろう木々で天を覆い、また隠しきれない場所に関しては現代風に言うと緑化している。
 火を扱っているのか煙突こそあるが、それも蔓が巻き付いていたり、また緑色に塗装されている。
 かと思えば道の雑草は引き抜かれ一か所に纏められており、せっせせっせと運んでいるところを見る限り、肥料か何かにするのであろうか。
 エルフ=弓使い という勝手なイメージを抱いていた少女だが、道を歩くエルフが剣を持っていたり、槍を持っていたり、はたまた杖を持っていたり、一概にそうとも得ないと知った。
 里の中央に座す石造りの塔の周囲には鳥が飛び交っており、緑に溶け込むような街並みとは打って変わって異質な様相を呈している。
 元の世界の絵画に似たような構図があったが、どうにも思いだせなかった。
 さて、長老とやらはどんなエルフなのだろう。
 少女は物珍しさに周囲にきょろきょろ視線を配りつつ、アネットの後を追いかけた。






 長老は想像していた髭の爺さん(失礼)ではなく、初老のカッコ良いオジサマであった。
 塔の一番上……ではなく少し下にある長老の部屋に通された少女は、背後で直立不動をとる守衛の厳つい視線にうすら寒さすら覚えつつ、アネットの横にいた。
 部屋は古風で(当たり前だが)、広く、そして窓があった。壁には杖がかけられており、何事かの文字が記された布が優勝旗の如く堂々と掲げられていた。
 布のいくつかは物語を記しているようだったが、文字も読めない少女にそれを解読することは不可能であった。
 棚には本が並べられており、そのいずれも厚く難しそうだった。
 窓際の木製の机に座った長老が、その厳格そうで思慮ある瞳で少女を見遣った。耳の先いついた銀のアクセサリーが不気味に光った気がした。
 何か途方もない力に晒されたようで、拳を握る。
 忘れかけていたがエルフとは先天的に魔術を扱える種族であり、戦闘能力だけでも計り知れないそうではないか。
 もしも排除対象と認定されたら守衛とアネットと長老全員で殺しに来る可能性も皆無ではないのだ。その場合に少女が生き残れる確率は、腕時計をトイレに落としたら勝手に飛び出してくるほどしかない。

 外からやってきたエルフが、もしも人間の狗だったら?
 もしも少女どころか、人間の使い魔だったら?

 エルフと人間が本格的に殺し合う時代なのだ、少女が殺されても不思議ではない。
 アネットから報告を受けた長老は、少女に怜悧な視線を落したまま黙っている。ひょっとして魔術の類でも使っているのかもしれなかった。
 こうなっては元の世界に帰る方法など尋ねられる訳もない。とりあえず今は己の居場所を作ることに専念するほかに選択肢が無くなった。
 長老はふぅと息を吐くと、視線を外し窓を見た。小鳥が数羽空に飛び去った。

 「ふむ……確かに我々と同じようだ。疑って申し訳なかった。我々とて聖者の集まりではないのだからね」
 「いえ、いいです。俺……えっと、私は覚悟は決めてましたから」

 柔和な笑みを浮かべてみせた少女であるが、内心は全然違った。
 覚悟なんて出来てやしない。もしも剣の一本でも目の前に出されたら、きっと震えて口も聞けなかったであろう。
 こうして虚勢を張り、対話により自らを証明して利を引き出し売り込まない限り生き残れなくて、元の世界に帰るどころか生きることすらままならない身分なのだが、覚悟となるとまた違う次元だ。
 死の覚悟をするつもりはこれっぽっちもなく、生きることを放棄することは現段階で考えられなかった。
 少女の笑みを見遣った長老は、椅子に座ると本を開いた。麻色のローブが微風を孕み揺れた。

 「確か、君の住んでいる場所が襲撃されたそうだが………答えたくなければいい、教えてくれないだろうか」
 「えーっと…………………妙な連中が来て、夜に襲撃、最後に火を放って……」
 「ふむ………分かった」

 長老は本に何事かを羽ペンで書き込むと、拍子抜けするほどあっさり質問を打ち切った。
 これは少女の心情を考慮してのことだったが、当の本人は知る由もない。
 少女の方をちらりと見るどころか直立不動で両足まで揃えていたアネットに長老は目をやると、おもむろに口を開いた。
 アネットという女性は、少女の想像上のエルフと明らかに異なり、やもすれば軍人にも見えなくもなかったが、少々力が入り過ぎているようにも見えた。

 「アネット」
 「はっ」
 「お前にこの子の世話を任せる。衣食住、全てだ。お前があの迷いの森でこの子を見つけたということは、きっと縁の紐で繋がれているのだろうから」
 「は、お任せ下さい長老」

 アネットはこれ以上無い位に足を揃えると背筋を伸ばす。少女もつられて姿勢を正す。すると長老は口元に微笑を浮かべ、また問う。

 「そうだ、最後で申し訳ないが、君の名を聞いておきたい」
 「…………えっと」

 少女は名前を聞かれ、一瞬迷った。はて、一体自分の名前はなんだったかな、と。
 もはや怨念染みた帰還願望のみに縋ってここまで来た少女は、自分を証明するものも場面も無く、また名前を呼ばれたことすらこの世界では無かったことを思い出した。
 男としての己があるならまだマシだっただろうが、男でも無く人間でも無くの状況で、己を維持し続けるのは困難だった。生きることに執着し、帰りたいと念じ続けても、己が己であると確信できる材料が無い以上、そうなるのは当然だったのだ。
 数秒間の沈黙の後、少女は自らの名前を言おうとしたが、そのままだと不審がられること明白だったので少々発音を変えることにした。
 胸元に手を置き、言わん。

 「セージです。私の名前はセージと言います」

 実はセイジという本名であるというのは、“青年”しか知らない。
 こうして、エルフの里に一人の“少女”が加わった。










~~~~~~~あとがき

やっと名前が出ましたセージ君ちゃん。
描写がねっとりし過ぎかもしれない。



[19099] 十二話 遺書、もしくはただの手紙
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/14 02:24
 XII、


 数日後、アネットのツリーハウスにて。

 「では、魔術、魔法、魔導、妖術、奇術、その全ての違いを述べてほしい。焦らなくもいいぞ? まだ最初だから」
 「えー……魔術が通常の法則でも再現できる術、魔法はその上位術、魔導が魔の心得も才能もないものでも扱えるようにしたもの、妖術は意図せずして発動するもの、奇術は……手品ですよね? ただの」
 「正解。覚えがいいな。もっともこれらはあくまで分類で、全て魔術で問題ない」
 「覚えただけですよ。俺はまだ火すらまともに起こせないんですから」
 「知識を馬鹿にするものは後で知識に泣く。覚えて悪い知識は滅多にない」

 人間の適応力は凄まじいと言うが、エルフになってもその能力はそのままだった。
 あの後一通り身支度を(着替えや身繕い)をしてもらったセージ(本当はセイジ)は、がつがつとご飯を食べて寝て、医者の診断を受けた後、アネットの自宅に泊っていた。
 自身でも不思議だったが、アネットが自宅で服を脱ぎ始めてもぴくりとも動揺しなかった……訳では無く多少どきりとしたが、それだけだった。
 己と体の性別差が同化し始めたかと思ったが、どうやらそうではなく、男でも女でもない不思議な夕闇に立っているようなのだ。もし“少女”にお前は男かと聞けば首を振り、女かと尋ねても首を振るだろう。
 彼女はエルフの民族衣装を纏い、アネットの自宅の机で文章の勉強をし、その後はこの世界について学んでいた。
 それこそ教師のように丁寧に教えてくれるので、おおよそ数時間ほどでこの世界の情勢について掴むことが出来た。
 てっきりエルフは外界について興味が無く敵意しか抱いていないと思いきや、そうではなかった。むしろ積極的に親交を深めたがっているが情勢が許さないため排他的にならざるを得ないとか。
 エルフの里は数学や文学に建築学、生物学や神話の編纂など、元の世界のローマが如く分化が発展していた。製鉄や、更には初歩的ながら医術まであり、魔法薬で抗生物質そっくりの効果を持ったものまで製造しているのだから驚きだった。
 魔に依存するのではなく、驕らず常に高みを目指す。媚は売らず、決して誇りは捨てない。来るもの拒まず行くもの追わず。
 少女にはなんとなくだが外よりも技術が進歩している理由がわかった。
 魔術に関しても少女は学んだ。
 どうやら魔術とは世界を改変する技術であり、その力は物理的肉体と霊的肉体とを結びつける引力を利用しているらしい。つまり使い過ぎれば魂が離れてしまうらしいのだ。
 世界に語りかけられるのは一摘みの人間らしいが、ことエルフは全員が全員少なからず先天的に世界の改変を行えて、それが迫害の理由にもなっているとか。
 魔術の発動を助ける触媒やら式やらもあるらしいが、一日でそこまで学べるほど時間は無い。この世界について書かれた本を読んでもらった後、自宅リビングでのんびりとする二人。
 セージとしては早急に自分が元の世界に帰還する術を得たいが、果たして信じてもらえるかと言ったら首を捻らずを得ない。
 長老に話すのが一番だろうとは思うが、エルフの里があまりに美しかったのでしばらくのんびりしていても良いかなとすら思えてくる。
 木の上の家から望む景色は森にぽつりと浮かぶ街並み、そして大いなる自然。
 窓に張り付いて景色を凝視しているセージを余所に、アネットはポニーテールを結び直すと机の横から弓矢を取り背中に担ぐと立ちあがった。
 
 「私は鍛錬に行く。セージはどうする、ついてくるか?」
 「そうですね……おれはこの町をもう少し見て回って、それから長老の許に行きたいんですが、許可とかはいるんですか?」
 「いや、特に必要はない。名前を名乗って要件を伝えれば通して下さるはずだ」
 「分かりました」

 アネットは弓の調子を確かめるとセージに頷き、プラチナブロンドのポニーテールを翻し家から出て行った。
 家で一人になって気がついたことがあり、それは風や地面の干渉で家そのものが揺れていると言うことだ。ぎしぎしと軋む音が家に響いていて、コンクリートやレンガの家とは違った良さがあった。
 ツリーハウスというより木に同化するように建てられたアネットの家は塔からほど近い場所にあり、反対側の窓から塔の足元が見えている。
 あの塔を造るにあたっては相当数の岩が必要なはずだが、周囲を見ても低い山しかない。どこかに採石場でもあるのだろうか。
 セージは机の上でぼーっと時間を潰した後、やがて家を出て行った。






 アネットの言っていた通り、長老の間には大して時間をかけずに通された。
 相変わらず暑苦しい筋肉の守衛が扉の前におり、こっちを見てくるのだから気が気ではなかったが、前とは違って里に迎えられたのだから大丈夫という安心感はあった。
 部屋に入る前にノックをすべきか迷ったが、そんな習慣があるかも分からないのにやったら不思議がられると思ってそのまま入った。

 「失礼します。セージです」
 「おお、来たか」

 部屋の様子は爪の先程も変化しておらず、長老も何やら本に羽ペンで書き込みをしているだけだった。
 緊張を誤魔化す様に唾を飲みつつ長老の机の前に歩み寄り、アネットがしていたように両足をぴたりと揃え背筋を伸ばす。だが、あくまで少女の体なので余り様にはならなかった。
 長老は苦笑すると羽ペンをペン置き場に置くと首を回し、それから机の上に両手を置いた。

 「そんなに畏まらなくてもいい。アネットのような堅物になってはすぐに疲れてしまうぞ」
 「えっと………こういった場では礼儀を正すべきですから」
 「……ふむ、年の割にしっかりした子だ。養子に欲しいくらいだよ」
 「養子!?」
 「そうだ、君さえ良ければ……」
 「………そのー……それはですね……ちょっと、ええっと……でもなくって……」
 「さてと……冗談はその辺にして、君がここに来た理由を尋ねたい」

 さらりとトンデモ無い事を言ってのける長老に直立不動で緊張しかけたが、冗談と聞いて汗が滲んだ。緊張する理由がさっぱり分からなかったが、例えば自分の勤める会社の社長に直接声をかけられたらこうなるのだろうか。
 一方長老は反応を楽しんでいるが如く唇を持ち上げると、柔和な動きで羽ペンを取った。
 セージは数秒逡巡したが、口を開いた。

 「実は……俺はこの世界の住民では無いんです」
 「……………ふむ。続けてくれ」

 長老の目が光った。最初里に来たときのような目つきでセージを見遣り、真意を測ろうとしているようだった。
 鋭き眼光に射抜かれた“少女”は、また唾を飲むと思い切って経緯を説明することにした。
 内容は、現代の世界(本人の目線からしての現代)で死に、“神様”に転生させられた挙句この体にされ、ふと気が付いたら燃え盛る村に居てここまで必死で逃げてきた、と。
 少女の話を黙って聞いていた長老は、小さく唸りながら腕を組むと目を瞑って頭を前に倒し気味にして何やら考え始めた。
 ある意味当然の反応だった。
 突然「私は別世界から落ちてきたのだ」などとのたまえば、「お前は何を言ってるんだ」と嘲笑されてもなんら不思議ではない。
 どれほど時間が経過しただろうか、目を開けた長老は突如立ち上がると歩き始めた。
 少女の横を通過する途中で壁に手を向けて杖を一本呼び寄せ、扉の前で止まると振り返り手を振る。

 「ついてきなさい」
 「はい」

 何が何だか分からないがついていかねばならぬような気がしてついて行く。呪文も無しに杖を吸い寄せたのはちょっとだけ驚いた。
 長老が外に出るや守衛が武器を掲げ一礼し、少女もなんとなくだが頭を下げておいた。
 塔の廊下には途中で松明置き場があり、守衛やローブを着た人達がいた。会話の内容が哲学的な内容だったこともあれば、魔術的な話、外の情勢についての話もあった。彼ら彼女らはここで働いているのだろうか。
 長老の部屋から二階ほど下りたところ。そこに石造りを鉄で補強した頑丈そうな倉庫らしき部屋が並んでいた。
 そこの階の廊下を長老は進んでいき、また少女も付き従った。
 文字の書かれた扉の三つ目で長老は止まると、杖を一振りして何事かを呟いた。イメージ触媒が必要なのか、それとも鍵的な意味合いなのかは分からなかった。
 錠前がかちりと音を鳴らし、止め具がせり出して扉が勝手に開いた。

 「入りなさい」

 入り口で入っていいのだろうかと躊躇していたところ、長老が手招きをしたので思い切って入ってみた。埃臭いその部屋には木箱や本棚が並んでおり、他と比べてひんやりとしていた。
 長老は以外にも機敏な動きで本棚の間に滑り込み一冊の本を持つと、縄の戒めを解いて少女の横にあった小さい机の上に置いた。
 少女はそれを腰を屈めて観察したが、ほかの本と大きい違いを見つけることは出来なかった。茶色の表紙は煤けており、皺が多かった。
 長老はそれを目を細めて見遣り、表紙を爪でなぞった。

 「これは?」
 「遺言書……と言うべきか。以前この里に突如“落ちてきた人間”が最期に書き遺したものだ」
 「な………お、落ちてきた人間!?」

 少女は素っ頓狂な声を上げると、許可も得ずに本のページを開いた。










~~~~~~~~~~~~~~あとがき

やっと放浪生活に終止符が。
ここでもありがちな展開を書いた。





じきに作品を消去するかも



[19099] 十三話 出発の条件
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/14 23:49
XIII、


『この手紙を読めるものが居たとしたら、きっと君は日本人なのだろう。
 私はこの世界に突如として落とされた。
 何故かは分からない。ふと気が付いたらこのエルフの里に私は居た。
 周囲に尋ねてみると空から落ちてきたそうだが、さっぱり記憶にない。
 エルフの人達は私の看病をしてくれた。
 私はエルフに偏見があった。が、そんなことはない。彼ら彼女らは我々と何一つ変わり無い。
 私は彼ら彼女らと過ごすうち、ここに骨を埋めることに決めた。』

少女は一枚目の紙から二枚目を捲ると、穴が空くほど見つめる。
決して達筆とはいえず、また保存状況も良好とは言い難かったが、それは確かに日本語だった。

 『元々私は人生に絶望しており、命を捨ててもいいとすら考えていた。
  だが、ここに来て考えが変わった。私はここの為に生きることを決めた。
  薄情者なのは十分に承知している。元の世界を簡単に捨ててしまうのはどうかと。
  しかし調べれば調べる程に元の世界への帰還は困難であると分かった。
  私はエルフの女性を愛し、子を授かった。
  私は確かに最期まで幸せだった。』

 ページを捲る。呼吸すら忘れ、久しぶりの日本語に喜びを覚える暇も無く。
 長老はその様子をじっと観察するだけで。

 『これを読んでいる君に幾つか教えるべきことがある。
  元の世界への帰還はいくつか方法があるが、どれも難しい。
  一つ目は世界のどこかにあると言う秘宝で元の世界への帰還路を切り拓くこと。
  だがその秘宝を扱えるのはごく一部の存在であり、これを読んでいる君がそれに該当していると考えるのは都合が良過ぎる。
  二つ目はどこかの国が所有する高度な魔法技術だ。これは異世界に行くための箱舟を作り出すというらしいが詳細は分からない』

 ぺらり。埃臭さが鼻をつく。眉間が熱くなるのを感じた。冷静さを見失ったときの焦燥に似ていた。
 
 『最後になるが君は帰るかこの世界に住まうかの二択を選択するだろう。
  既に死んだ私には君がどちらを選ぶかはわからない。
  だが、もしこの世界に生きるというのなら、頼みを聞いてほしい。
  エルフを、私が愛した彼らを守ってあげてくれないだろうか。
  剣を取れ、人を殺せと強要はしない。
  逃げるだけでもいいし隠れるのもいい。とにかく彼ら彼女らの平穏を守ってあげてほしい。
  見ず知らずの変な耳をした違う世界の住民を温かく受け入れてくれたエルフ族にできる最後の恩返しとして君に頼みたい。
  もちろん拒否するのもいい。それが君の人生なのだから。
  私は筆を置こうと思う。
  人間というのはたかが100年で死に至るのが残念だ。
  あの世という世界に旅立とうと思う。
  ファンタジーがあるならあの世もきっとあるだろう。
  さようなら』

 本はそれっきり白紙のみが連なっていた。
 少女は本の表紙を凝視したまま固まった。
 帰る手段が見つかったが、片方は望み薄。もう片方に至っては“どこかの国”“詳細は分からない”という頼りがいのある言葉が付け加えられている始末である。
 長老に内容を伝え、どこかの国とはどこと尋ねてみた。
 長老は落ちてきた人間は少女と同郷の者である可能性が極めて高い事実に驚いた様子であった。

 「言い難いことになるが……該当する国が一つあった」
 「……あるんですか!?」

 興奮に走る少女を長老がなだめ、もう一度同じことを口にした。

 「該当する国が一つ“あった”」
 「…………ま、まさか」
 「その通り。今から20年程前に宗教の名の元に侵略を受けて滅亡してしまった。彼らは勇敢に戦ったが……」
 「でも! まだ術を使える人間は生き残ってるかもしれません!」
 「ありえない。少数民族程の人口しかなかった彼らはことごとく拉致され貴重な技術はかの国が接収してしまった。風の便りによれば魔法陣は寸断され線の残骸と成り果て、神殿は石材として扱われたそうだ」
 「そんな」

 少女の表情が罅割れる。
 絶望的ではないか。唯一の帰還の手立てが絶たれ、ひび割れが広がり、決壊しそうになる。帰れる場所が無くなったことへの悲しさが涙腺を緩める。
 しかし、少女の頭に隕石が襲来したが如く、ひらめきが生まれた。
 らしくなく長老の手を引っ掴むとぎゅっと握る。

 「技術を接収と長老は仰いました。事の起こりが数十年も前なら解析が進んでいる可能性が高い………」
 「止めておくのが賢明というものだ。かの国は強く、大きく、そして傲慢だ」
 「俺にそれ以外に道はありません。村長、国の場所を教えてください。潜入します」
 「……許可できない」
 「お願いします!」

 渋面を作る長老に対し、少女は頭を下げて懇願した。
 文化上、頭を下げる行為が頼み込む行為とイコールで結ばれないエルフと言えど、必死にすがりつくように頭を下げて涙声になれば、意図することは分かる。
 情けないと少女は自覚していた。みっともないと。だが、唯一の光を失うわけにはいかないのだ。第二の人生に引き擦り込んだあの神に復讐するにはこの手段しかない。
 長老からしたら、少女の行動は度し難いものであったかもしれない。
 まだ成長の途上の体では、道中行き倒れになる可能性が高い。
 セージの心中は複雑である。帰りたい。でも帰ろうとすれば死ぬかもしれない。帰らなければ一生を虚しさとやり場のない憤りを抱えて生きていくことになる。

 「どうせなら、セージ君。君が大きくなるまで待ってみてはどうかね。その頃になればかの国の技術解析も進むことだろうし、なにより君の経験と体格が旅路に適したものになっているだろう」
 「駄目なんです! ずっと、こんないい人ばっかりの場所に住んでいたら、離れたくなくなるから! 今すぐにでも発たないと、進めなくなってしまうから!」

 そういうことなのである。
 エルフの里はみんな優しいし、和やかだし、穏やかな空気が流れる幻想的な場所であるからに、住めばずっと居ついてしまうことが目に見えたからである。
 悪い意味ではない。いい意味である。いい意味で、離れられなくなるのだ。
 長老は渋面を崩さない。

 「私個人としては、君はここに居た方がいいと思っている。君は傷ついた。外の世界に行けば傷は増える一方だ。下手すれば殺されるか奴隷の扱いだ」
 「どうしても許可がいただけないのなら、無理にでも脱出します」
 「森の防御機能はなにも外部からの侵入者だけに働くものではない。特に君のように堂々と公言してしまった相手にはな…………いいだろう、許そう」

 いよいよやけくそな口調になり始めたセージを、長老はため息をつくと、肩を叩いて諌め、そして頷いた。
 長老は手をぽんぽん打って見せた。

 「条件が一つある。アネットに試合で勝つことだ。彼女に勝利できるのなら、最低限の自衛ができるとみなし、里の外への道を開こう。勝てないのなら、少し待ちなさい。大きくなるまで」



 セージは、かの国というのが初めて殺害した兵士の母国であると後に知った。




~~~~~~~~~~



続きます。続けます。続けていきます。続ける予定です。



[19099] 十四話 勝てなくて
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/16 22:06
XIV、 


 受け止められるまでもなく、斬り込みはことごとく躱された。
 拳は受け流され、蹴りはくぐられた。タックルすれば足を引っかけられて転んだ。
 焦燥感が募り、大振りな攻撃を実行した。

 「やあああっ!!」
 「甘い!」

 剣の形に削られた木剣を振りかぶるや、踏み込みを加えた前進に突きを乗せて攻撃する。
 足運びは荒削り以前の幼稚なもので、突きながら叫ぶのではなく、突く前に叫ぶ有様となれば、木剣で受け流されてしまう。
 剣の切っ先が地面にめり込み、余剰分の力が握りしめた手を伝導して骨が軋む。
 アッと息を呑む間もなく、アネットの足が己の踵に回り、むんずと顔面を掴まれ地に投げられた。鍛えられない部位とされる脳が揺れ、意識が円環を描いた。
 遅れてアネットの美しく光を反射する髪の毛が後頭部について、肩からこぼれた。
 試合という名前の格闘が始まってから主観時間にして2時間。セージは、武器ありで挑もうが素手で挑もうが赤子の手を捻るように易々と阻止され続けていた。
 ただでさえ子供の体。武術の心得なし。喧嘩の経験薄し。という悪条件が重なった上の戦いである。歴戦の戦士たるアネットにすれば相手にもならないのは目に見えていた。
 長老は、勝てっこない状況を作ることで、セージを外に出さんとしたのだ。
 子供に旅路を許可して死なれるようなことは、いかなる理由があれど彼にとって許容できることではなかったのだ。
 地面に倒れ朦朧とした様子のセージを、アネットは手も貸さず一定の距離を取るべくじりじりと後退する。
 足運びは、音を立てず、氷の上を滑るかのようであった。

 「どうした? 私に一撃を入れなければ里の外には出れんぞ」
 「……………」
 「ムキになるのが構わないが……今日は休め。明日からだ。長老は試合に関して私に全てを任すと言われた。今日の試合はやめ、明日の試合にかけよう」
 「……明日倒します」
 「出血は無いな? あったらすぐに治療する」
 「ないです」
 「自分で帰れるか? 私が背負ってもいい」
 「少しその辺で訓練してきます」
 「そうかわかった。私が教えてもよかったが、手の内を知られるというのは賢くないか」

 アネットが優しい声で接してくれたのが、嬉しくも悲しくも心に作用した。彼女はくるりと優雅に踵を返すと歩き去った。
 修行場というのだろうか、訓練場とでも称すべき広間の真ん中で、セージが大の字で倒れて天井を仰いでいる。
 長老に与えられた条件を満たすべくさっそく試合をやってみれば、このザマである。
 セージがアネットと遭遇した時のことを思い出してほしい。
 アネットは罠を作って侵入者を排除しようとしていたわけである。一定の戦闘能力が無ければ勤まらないのは言うまでも無く、ズブの素人が戦いを挑んで勝てるはずもなかった。
 セージの知らぬことであるがアネットはそれなりの実力者だったのだ。
 肉体戦で及ばないのなら、勝率があるとすれば、魔術を使う他に無い。
 致命的な問題点として魔術を使用すると(攻撃力を持つ程度の)鼻血を噴いて卒倒することが挙げられる。
 遠距離から弓でも射掛けてみるかと考えるが、アネットに対し通用するイメージが湧いてこない。そもそも、弓に触った経験すらないというのに。

 「あんときの魔術さえ発動すれば……つってもアネットさんに当たるわけが無いんだよなぁ………アネットさんってたぶん幻術とかの類を使うんだろうしリアル残像だしか想像できねー」

 大の字から、上半身を起こす。
 別の場所では弓矢の発射音が聞こえてきて、また別の場所からは魔術と思われる氷の割れる音が聞こえてくる。
 向こうは魔術専用の訓練場なのだろうか。
 とりあえず、木剣を拾い上げ、腰帯に差して立ち上がり、歩き出す。
 他の施設と違い頑丈な岩のブロックで組まれた訓練場に足を踏み入れると、空間から無数の氷の刃を出現させて鉄の柱目掛けて射出する女の子が居た。
 
 「うおっ」

 雷電が如く空間を走り抜けたそれは、鉄の柱に衝突するや轟音を立てて砕け散り、四散した。そしてきらめく粉となり瞬いた。

 「違うわね……もっと激しくないと………」

 その女の子はしかめっ面を作れば、親指と中指を合わせ、何事かを呟いた。
 パチンッ、指を鳴らした。
 世界が意思の力で変動。次の瞬間、女の子の背後にずらり大量の氷のナイフが出現し、雨あられと鉄の柱目掛けて殺到した。
 鉄の柱が氷の柱と化した。
 否、氷粉塵の濃度が高すぎてそう誤認したのだ。
 女の子はしかし納得しない表情を崩さず、氷の剣を取り出してみたり、槍にしてみたり、驚くほど自由自在に魔術を行使してみせた。
 火を一瞬つけるのが精一杯のセージにはそれはまるでおとぎ話だ。
 ふと、女の子がセージの方を見遣った。きのこでも生えそうな悪い目つきで。

 「何見てんのよ」
 「いえ、すごいなって思いまして」
 「これしか取り柄が無いから仕方ないじゃない。でも火力だけじゃ家は建てられないし、森は癒せないのよ。不便よ、ホント」

 女の子は魔術の使用により疲労しているのか、重いため息を吐くと、セージの顔をじっと見つめた。
 
 「見ない顔ね」
 「外から来ました」
 「外? 森を抜けてきたの?」
 「ええ」

 セージは事情を一通り説明し(神様に転生させられましたのくだりは信じて貰えなそうなので適当にごまかした)、自分が今アネットに勝利しなくてはいけないことを告げた。
 すると女の子は当然のごとく首を振ったのだった。

 「私は魔術の射ち合いなら勝てる自信があるわ。でもね、何でもありの取っ組み合いとなるとアネットさんには勝てない。実戦となれば圧倒されるわね」
 「あのぅ」
 「なによ」
 「魔術を使おうとすると鼻血出てぶっ倒れちゃうんですけど」
 「私だって最初はそんなもんだったわ。くらっときて湖に飛び込んじゃったの」
 「じ、実は……」

 「できれば今日中に勝ちたくて……」
 
 女の子はポカーンと口を開いた。
 何言ってんだコイツとでも言わんばかりに口をヘの字に曲げ、腕を組む。

 「ムリよ。無理無理絶対にムリ。ひのきの棒で鉄の剣に立ち向かうようなもんよ、不可能だわ。そんなに早く勝ちたいなら一点特化の攻撃魔術でも使えるようになって、不意打ちでもすることね」
 「魔術を教えてくれる場所はありますか?」
 「学校があるわ。私が話をつけてあげるからついてきて」

 と、女の子はテキパキとした早足で訓練場を出ていこうとする。案外親切な性格なのかもしれないと、セージは後に付き従った。
 中央道を過ぎ、エルフの里で最も高い塔の根本にそれはあった。
 現代日本なら戦前あたりまでごく普通に見られた木造りの二階建ての建物。美しく整えられた庭にはいくつか石造がポーズを決めて立ちつくし、エルフの民族衣装に加え耳覆いのついた帽子をかぶった子供たちが遊んでいる。
 セージは直観的にここが目的地なのだと悟った。
 庭を通り、道中子供たちに遊ぼう遊ぼうとせがまれながらも、正門から中に入る。
 造りはしっかりとしており、内装も現代日本のものと比較しても見劣りしないと感じた。校内は、木と草の甘い香りが強く漂っていた。
 廊下を歩いていけば、とある部屋に辿り着く。

 「待ってて」

女の子がドアを開いて中に入っていった。
 セージは、日本の場合だと横引き式なのにと感慨に耽っていた。
 数分後、女の子よりも先にドアを開いて姿を見せたのは、思慮深そうな黒髪の男性だった。外見年齢は30歳前後。鋭い目つきと狼のような細見が印象に残った。

 「君がそうですか。話は長老から仰せつかっています。望むまま教えましょう、何をお望みで?」
 「アネットさんってご存知ですか? 彼女に勝ちます」


 かくして、魔術の修行が開始されたのだった。




[19099] 十五話 成功したはいいものを
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/17 23:22
XV、

 
 空き教室にて。
 まずセージが教わったのは使える魔術の強化だった。
 セージが使える魔術といえば火を灯すことと、剣に火炎を纏わせること(気絶する)ことくらいである。
 女の子が紹介してくれた先生曰く、セージにとっての魔術のイメージの中でもっとも安定していて具象化しやすいのが『火』であるという。
 魔術について詳しい話を聞いたときのことが思い出される。
 あの中年男性に魔術についての話を聞いた時に、傍らで誇らしげに燃える焚火が強く刷り込まれたのかもしれない。

 「いいですか、魔力とは肉体と魂の結合力を流用したものです。簡単に申しますと、死ぬような気持ちで魔術は行使するものです。死ぬかもしれない、魂が砕けるかもしれないと、意識の片隅に置いてください」
 「………〝灯れ〟」

 椅子に背筋を伸ばし座った少女の人差し指に灯る、真っ直ぐな火。
 意識する。肉体と魂の結合を担う細い銀の糸の幾本かを摘まみ取り、己の意思で紡ぐ。銀糸を成形して、漏斗に流し込み火炎に変える。指先に視点を固定。火を維持する。
 平素なら一瞬で消えてしまう着火石が、数時間の練習だけでガスライターに昇華した。
 イメージしたのが文字通りにガスライターだったためか、火は青く、先端にちらちらと赤い火のかけらが見られた。
 女の子は机に肘をつき、眠たげに火を見ていた。

 「竜の鼻息みたいね」
 「………あっ」

 集中が切れ、火がボッと断末魔の煙を残して消え去った。

 「消え方もそっくり。んっ……嫌な顔しないでよね、皮肉のつもりなんかじゃないんだからね」

 女の子は目つきの悪さに似合わずそう付け加えた。
 一分の点灯に成功したとはいえ、すぐに消えてしまう。指先の火を攻撃魔術に転用するのは困難で、ゼロ距離で押しつけて相手を燃やす以外の戦術が取れない。アネットがそれを許すかと言えば答えは否である。
 セージは二人の見ている前でもう一度火を灯し、二分頑張った。
 蝋燭か、ガスライターか、バーナー並みの火力を出そうとしても、心の焦りが火力を不安定にして、ガスライター止まりだった。
 これでは蜘蛛に食われそうになった時のような攻撃力のある火を灯すには遠過ぎる。いっそのこと魔術を諦めて爆弾でも製造した方が早かろう。だが、爆弾を製造できるだけの技術も知識も経験も人脈も、少女には無いのである。
 購入しようにも無一文であり、売るものすらない。
 先生は手をぽむと合わせた。

 「では、次は訓練場に行きましょうか。下準備はこれくらいで十分です」
 「今のでですか?」
 「ええ、その通りです。詳しい事情は知りませんができる限りの短時間でアネットさんに勝つためには基礎を固めていては時間がかかりすぎます。こけおどしだとしても実戦で耐える……いえ、実戦で威嚇にはなるくらいの魔術を構築せねば」
 「ところでアネットさんが使うのは幻術ですか? 予想ですけど」
 「正解です。彼女は幻術で惑わせ――罠に誘導して捕らえたり、弓の一撃を食らわす戦術を得意にしているのです」
 「じゃあ……」
 「得意なだけで肉弾戦が不得意なわけじゃあないですから早とちりは危険です」
 「………」

 先生は黒い髪を指で弄りつつぴしゃりと言った。
 ちなみに先生の名前はアルフと言い、女の子の名前はヴィヴィという。
 アルフを先頭に、セージとヴィヴィは訓練場に足を運んだ。太陽が沈みかけた頃のことだ。
 アルフ――先生の指導の元、セージが魔術をヴィヴィに浴びせかけるという危険な方法がとられることになった。

 「大丈夫ですよ、どんな魔術が飛び出しても。ヴィヴィの実力であれば対処は可能ですし、私もついています」

 さすがの私も訓練場が倒壊するような魔術は不可能ですが、とアルフは口にしてから、二人の中間地点、やや外側に立った。
 ヴィヴィが両手をだらりと下げ、両足に力を行き渡らせ、臨戦態勢に入った。
 一方セージは、集中できる立ち方は無いかと逡巡した挙句、ヴィヴィの真似をするのだった。

 「始め!」

 アルフが手を打ち鳴らし、特訓が開始した。
 まず火を飛ばしてみようと思った。イメージしたのは映画などでよくある火炎放射の場面。手を広げ、腕を水平に伸ばし、ヴィヴィを狙う。
 ヴィヴィがただでさえ悪い目を細め、歯の間から吐息を吐いた。エルフ特有の尖った耳が脈打ち、上を向く。
 セージは目を固く閉じ、火炎が手に絡み付くさまを念じ、瞳を開くと同時に唱えた。

 「〝火炎よ〟」

 次の瞬間、右手が燃えた。
 思考が追い付かない。

 「!? えっまっやっ嘘だろ!? うそうそうそあちちちちちち!!」
 「〝  〟」

 右腕に侵略を開始した火炎を、体を丸め包み込むことで消火せんと行動するより数瞬早く、アルフの呪文が作動し、重力の理に真っ向から逆らう水流が発生した。
 右腕の火は魔術で生み出された水に飲み込まれ息絶えた。
 水は、右腕を基点に包帯でも巻くかのようにぐるぐる回転し、火傷を癒していく。北限の海水を汲んできたような水は、熱を奪い、冷をもたらした。
 やがて水が空気中に溶けた。セージは腕を、手をつぶさに確認し、一切の傷も残されていないのに驚愕した。赤くすらなっていないのである。
 腕が燃えた証拠として、あたりに焦げ臭さが残留していた。

 「今、君の魔術は制御を外れて暴走しました。焦るのは結構。ですが焦りすぎてことを急げば今のように己を灰にします」
 「んもう……何をそんなに急いでるのか知らないけど焼死体にだけはならないでほしいわ」
 「ごめんなさい。次は、やります」

 セージは頭を下げようとして、頭を下げても意味が通じないと思い直し、言葉で伝えた。
 次こそはやるぞと頬を張ったら、同じ右手を突き出す。
 体から魂を引きはがすことを意識して、脳髄の半ばから液を抽出するかのように、唱える。
 呪文の言葉に具体性を混ぜて。

 「〝ファイアーブレス〟」

 瞬間、手の平に光球が誕生した。一秒後、瀕死の馬の吐息よりひどく緩い火炎の風が、三十cm弱流れたのだった。

 「もう一度! もう一度やります!」
 「私はいつでもいいわよ」

 いつ攻撃が来るかわからないヴィヴィは、集中の糸を張ったまま、一歩も動かない。
 手を突き出し、今度は何か棒のようなものを握るように、指を曲げて、腰を落とす。

 「〝フレイムソード〟」

 火炎が指という指を覆いつくし、爆発の気配を見せたが、意思の力で抑え、イメージという指向性を与えて、こねくり回し、一つの結晶となす。
 ヴィヴィが嬉しそうな顔をして、同じくそれを魔術で作り上げた。

 「できるじゃない!」

 剣である。
 火炎の剣と氷の剣が、それぞれの手に握られた。
 氷の剣が堅実なサーベルの形をとったのに対し、火炎の剣は靄を赤く染めて剣の体裁を繕った見た目にも脆いもの。
 セージは剣が壊れる前に、剣を下段に構えヴィヴィに突っ込んでいった。
 馬鹿正直に剣を上段に振り上げ、振り下ろさん。

 「熱いのと冷たいのじゃ相性が悪いけど!」
 「受け止めた!?」

 ヴィヴィの冷気を纏った氷サーベルが、火炎の剣と体の間に割り込む。拮抗する力と力。氷は熱に弱いはずだが、溶けることなく、美しい造形を保っていた。
 ヴィヴィは口元をニヤリと歪めれば、剣を引き寄せ、一気に向こう側に弾いた。セージがよろめき数歩後退したが、すかさず地を蹴り剣を振った。鍔迫り合い。精神が削られるのを感じた。
 しかもセージが全力で押しているのにも関わらず、ヴィヴィは余裕を崩さず同等の力で押し返してくる。

 「けどね、私の氷は頑丈なの!」
 「くっ……」

 ヴィヴィがウィンクをするや、空間で氷の結晶が生じ、砕けた。それは粉雪となり視界を覆い、怯んだすきに剣を押し返され、転んでしまった。
 セージが起き上がった時、剣をだらりとさげたヴィヴィが目に映った。
 剣を振るうには距離がありすぎた。

 「〝雪神様の戯れ〟!!」

 ――その背後には無数の雪玉が浮遊していた。
 
 「言っておくけど痛いわよ!」

 剣が燃え尽きた。
 身を守る方法はただ一つ、腕で顔を守ること。
 次の瞬間、セージは雪なのに雨あられと機関砲が如く襲い来る雪玉に蛸殴りにされた。
 痛かった。





[19099] 十六話 ひらめき
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/18 01:49
XVI、



 「やりすぎですよこれは」
 「ごめんなさーい」
 「反省してますか?」
 「反省してまーす」
 「まったく……」

 全身に雪玉を食らったセージは、魔術行使の負荷も相成って気を失い救護室に担ぎこまれた。
 本人が語ったように鼻からは大量の血が流れていた。
 地に倒れたのち、駆け寄ったアルフとヴィヴィが覗き込んでみると血塗れだったので、さすがに顔色を失ったが、出血源が鼻と判明すれば、安堵した。
 なぜアルフは途中で割り込まなかったかと言えば、たとえば氷の刃物が射出されるなどという本格的な殺傷魔術なら横から止めようと考えていたからである。雪玉は殺傷能力を持たないのは当然のことであり、止めるのを躊躇したのだ。
 アルフとヴィヴィに見守られる格好ですやすや寝息を立てるセージ。白いベッドの上で寝転んでいると、とても元が男性だとは思えぬ人形のような可愛さを醸し出す。そんなこと、本人にとって路傍の石よりどうでもいい事象であろうが。
 どれだけ時間が経っただろうか。夕日は地平線の彼方に顔を隠して、空が群青と漆黒の化粧をし始める時間帯になった。
 セージの身じろぎが多くなり、シーツの皺が増える。

 「………」

 無から有が浮かび上がる。スイッチが切り替わるよう、暗闇に一筋の光が差し込む。瞼が薄らに眼球を露出させたがすぐに閉じてしまう。それを繰り返すこと数度、ウーッと息を吐き、覚醒した。
 目を開くと知らない天井があった。
 目だけを動かしてみれば、真顔で腕を組み椅子に座っているアルフと、うつらうつら涎を流しながら椅子で寝ているヴィヴィ、そしてつい今しがた入室したらしきアネットの姿があった。
 そういえば、と“彼”は思い出した。
 車にはねられ足の骨を折った時も、今のように家族がベッドを取り囲んでいたな、と。

 「目を覚ましましたか」
 「私にはわからないよ、セージ。焦らなくてもいいだろうに」

 アネットがアルフとヴィヴィに一礼し、椅子に座った。
 セージは、アネットの顔をまともに見ることができず、布団で顔を隠した。
 そして、ワガママを言ってみる。

 「……今夜はここに泊まります。泊まりたいです」
 「わかったが、ちゃんと帰ってくるんだぞ……ご飯の時間までには。アルフ氏、あとはよろしくお願いします」
 「私というより学校医ですね。わざわざ学校に忍び込む輩もいませんでしょうし、すぐに話は通せましょう」

 話しぶりや態度からアネットとアルフが顔見知りであるらしいと推測した。
アネットとアルフは、ヴィヴィを起こしにかかる。残して行くことはできない。彼女の両親が心配するだろうから。
 ところがヴィヴィは涎の量を増やすばかりなのである。
 アネットはため息を吐くと、ヴィヴィの背中に手を回し、両足を持ち上げたのだった。俗に言うお姫様抱っこ。姫は姫でも眠り姫。すらっと細いアネットの容姿と相成って、姫と騎士であった。

 「さほど遠くはないですから私が連れて帰ります」
 「助かります。セージ君、本当にここに泊まると?」

 アルフが念を押してきたので、布団から顔を出して頷く。
 アネットはまるで赤ん坊をあやす様にヴィヴィをゆっくり揺らした。彼女は口を半開きにして気持ちよさそうに寝ている。熟睡しているらしく目を覚ます兆候すらあらわさない。

 「はい」
 「そうだな……いちいちご飯を食べに帰るのも面倒だろう。私が届けるよ」
 「……あ、ありがとうございます」
 「本来なら同じ机を囲むべきなのだが……頑張れ。私とて無敵の戦士ではない。隙を見せるつもりはないが、見出すことはできる。君は賢いからできると信じている」

 倒すべきアネットに助言を貰ってしまい、宿敵に握手を求められたような不思議な気分に襲われた。
やがて三人もいなくなって、救護室は静かになった。
 少しして、救護室の主たる学校医が訪れて話の確認を求めてきたので、礼儀正しく応じるとにっこり笑ってくれた。心中は気後れに溢れていた。
 医者もいなくなれば、完全に無人となる。
 学校から生徒も消えて、教師も居なくなった。
 この世界においても夕方になれば鴉が鳴き始め、群青色は徐々に色褪せて暗黒の空が姿を現す。化学物質に汚染されていない清浄な大気の彼方には満点の星空。
 セージはストレッチをすると、救護室を後にして訓練場に向かった。
 昼間には見えなかったのだが、訓練場の天井は光り輝く塗料か石が使われているらしく、月明かりが無くともはっきりとものを見ることができた。
 セージは唯一まともに使えた火炎の剣を安定して行使するのに一時間をつぎ込み、対アネット用の剣術を生み出そうと四苦八苦の末『時間が無い』と諦めた。
 付け焼刃の剣術が通用するような相手ではないと、何度も何度も投げられて理解したのだから。
あぐらを掻き、額の汗を手の甲で拭う。
 実力が無いのならこけおどしでもハッタリでもカマでもホトケでも親でも使うしかない。
 腕を組み、背中を丸め、訓練場の地面を見つめ、脳に命令を下す。何かいい案は無いかと。
 熟考の末、頭に落雷があった。

 「それだ!」

 その案はこの異世界にはおそらく発明されていないであろう代物だった。
 準備すべき品がいくつかある。さっそく明日から取り掛からなくてはと腕をぶんぶん振り回して気合を入れる。光が見えてきた。そう、光が見えてきたのだ。
 セージは案を支える魔術行使の訓練を続行しようと勢いよく起立し、髪の毛を掻きむしった。金糸が香った。せっかくの髪がぐしゃぐしゃである。

 「腹へったぁ……」

 そこでセージは、やっと胃袋の嘶きを認めた。
 学校に戻り、救護室の扉を開けてみれば、食欲を擽る香りがした。心臓が高鳴った。ばたばた慌ただしく先ほどまで寝ていたベッドに行ってみる。包みが一つ鎮座していた。
 さすがにベッドの上で食事はまずかろうと、床にあぐらをかいて座り、包みをほどいて中身を確認した。パン。干し肉。香草。果物。涎が舌を濡らす。手を合わせ、いただきます。エルフの前では決してやらない習慣が出た。
 パンは冷えていたが外の皮が固く中は柔らかい。香ばしさが鼻を通る。美味しい。
 干し肉、香草をおかずにパンをもぐもぐ咀嚼する。
 干し肉は唾液で濡らしてから何度も何度も噛むことで柔らかくして、パンと香草に絡めて飲み込む。
 最後に残った果物を歯で潰し、甘い汁を楽しんだら、包み布をポケットに突っ込んで訓練再開である。
 でもその前に。

 「ごちそうさまでした」

 明日からは忙しくなる。
 とっとと水浴びをしようと、駆け足で学校中を探索して、教師用のと思しき水浴び場を拝借する。タオルは無いので、包み布を使う。拭いては絞り拭いては絞りを繰り返し、体の水気を取る。髪の毛は水を拭くだけ拭いて放置する。
 そしてセージは、眠りに身を委ねる前にベッドを部屋の隅に押しやり、布団をかぶり、寝た。



[19099] 十七話 秘策
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/19 00:13
XVII、


 翌日。
 学校で目を覚ましてみれば、生徒達が悪戯をせんと扉や窓から侵入を試みるのを学校医が食い止めるという混沌とした状況下にあるのに気が付いた。
 ちゃんとベッドを部屋の隅に配置することで気が付きにくくしておいたというのに、子供にはお見通しだったのである。ヴィヴィが子供たちを追い払ってくれなかったら面倒なことになっていただろう。
 聞いたところ、今日は現代社会で言うところの休日に当たるらしく、授業は無いそうである。
 私も手伝ってあげると、ヴィヴィが大真面目に言って離れないので、セージは用意すべきものと事柄を告げた。
 二人は、最初に塗料を手に入れるべく相談し、結局自作することにした。作り方はいたって簡単、燃料用の炭を磨り潰すのである。
 ヴィヴィは、炭を岩で磨り潰す作業をしながら、怪訝な表情を隠さない。
 セージはその炭を、汲んで来た水に湿らせ指に付けると、ヴィヴィに見せた。

 「これって何に使うわけ? 畑に撒くのかしら?」
 「いいや、塗る」

 ヴィヴィが首の角度を深めた。

 「精霊に勝利を約束する戦化粧にするのなら白とか赤を使いなさいよ」
 「違う違う。瞼に塗る」
 「瞼だけに?」
 「その通り」
 「お日様が眩しいとき目の下に塗ることはあるけど、瞼に塗っても……」
 「いいからいいから」

 ヴィヴィは質問をしようと口をパクパクしたものの、せっせせっせと瞼に塗りつけ出したセージを前に何も言えなくなってしまった。
 セージは瞼に塗りつけた塗料を糊代わりに炭の粉を付けていく。やがて、瞼と眉は真っ黒になってしまったのだった。太陽を見上げて、効果を確認すれば、満足げに頷いた。
 何をしているのだろうと覗き込んだヴィヴィが吹き出す。

 「なによそれっ! 面白ーい! 私もやるから!」
 「遊びじゃないです」
 「遊んで何が悪いのかしら!」
 「悪かないですけど……」

 ヴィヴィが水の入ったバケツを横からさらって、炭化粧を作った。
 頬、額、鼻と塗りたくり、器用にも瞼にもう一つの目を描いた。目を閉じていても開いているように見えるアレである。

 「どうよ!」
 「いったいどういうことですか!」
 「第三第四の目! 我ながらよく描けたと思うわ」
 「見えてないでしょうに」
 「そうね。欠点は出来上がりを自分で見ることができない点ね」

 そんなわけで、二人は汲んで来た水で顔を洗うと、次に準備すべき物を探した。
 一つはコルクのような材質の木と、蝋燭の蝋か油である。後者は比較的簡単に入手できたのだが、前者は思うように見つからない。コルクでなくても程よい柔らかみがあれば木に拘らないとしても、見つからない。
 元の世界では容易く入手できたゴムなどの品も、この世界では手に入らない以前に発明されていない。
 仕方がなく普通の木で代用することにした。
 セージはその木をせっせせっせとナイフで削っていき、凸の字に近い形状に成形した。一つ目は力加減を誤りおしゃかにしたが、二つ目はうまくいった。それを油で柔らかくして布きれをきつく巻いた。完成である。
 それを見ていたヴィヴィは、ますます首を捻るのだった。

 「なんなのそれ? ごみ?」
 「ゴミじゃなくて勝利をもぎ取るための防具です」
 「どこを守れるというの」
 「それは……明日の秘密です」

 セージは不敵な笑みを見せつけてやった。
 その日はヴィヴィと別れ、訓練場で一日を潰した。体術、剣術の練習よりも、魔術の練習が八割であったことは言うまでもない。
 後日、セージはアネットを呼び出した。
アネットが来るまでの間に、準備を整えてしまう。
 炭を水で溶いた塗料を瞼に塗りたくり、ついでに目の下にも塗す。前髪を目に垂らす。木の細工物に油を足して、耳に詰める。上から蝋燭の蝋で蓋をする。外の音が遮断された。
 精神を研ぎ澄ますために、訓練場の方を向き、あぐらをかいて精神統一をする。
 傍らに木の剣は無い。
 数十分ほど経過した頃だろうか、精神の淀みの一切が沈殿した頃、アネットがポニーテールを揺らしながら颯爽と登場した。
 アネットは手を振りつつ近寄ってくれば、目のまわりを真っ黒にしたセージの異様さを目にし、ぎょっとした。人差し指を己の目にやった。

 「私を倒せるようになっ……………セージ……聞かない方がいいと思うが目をどうした」
 「……………」

 音が聞こえないため、唇の動きで読むしかないが、わからない。
 しかし指で目を指したので、目のことについて質問しているのだろうと予想をつけた。
 セージは手を突き出し会話を制すれば、お尻を叩きながら立ち上がり、ゆっくり喋った。自分の声が骨伝導して、くぐもって聞こえた。

 「気合を入れるために化粧してみました。早く始めましょう、アネットさん」
 「構わんよ、いつでも」

 二人は距離をとったところに立ち、相対した。
 セージは呟いた。

 「〝フレイムソード〟」

 瞬時、火炎が旋風となりて手から生える。
 火炎は瞬く間に硬質な形に縮小し、凝縮されれば、細く鋭い剣へと姿を変えた。片刃、尖った切っ先、緩やかな反り返り、角ばった鍔……日本刀のそれである。
 刀剣類の中で最もイメージしやすかったのは、青少年なら誰もがあこがれを感じる日本刀だった。それだけの話である。
 ぼんやりとした剣しか形作れなかった少し前と比較すれば驚くべき進歩である。
 アネットは、ほぅと感嘆の声を漏らせば、右足を半歩引いた構えを取った。

 「………」
 「………」

 どこかで鳥が鳴いた。

 「であああッ!」

 先手を取ったのはセージだった。
 剣を構え、制御化にある全速力で距離をゼロに近づけていく。心臓が早鐘を打ち、火炎の剣もとい日本刀が火の粉に成り果ててしまう未来図が頭をよぎった。
 次の瞬間、アネットの唇が震え、言葉を紡いだかと思えば、刹那に誕生した蜃気楼が光線となりて襲い掛かった。

 「ぐっ!?」

 火炎の日本刀は、蜃気楼の揺らめきに晒され訓練場の天井まではじけ飛び、突き刺さった。砕けて消えた。アネットが指を突出し、セージの方に向けている。指から何かを飛ばしたことは理解した。
 日本刀を呼び出せる心理的余裕を失えば、突っ込むだけである。
 拳を固め、顔面に突く。

 「まだまだ甘い!」

 躱され、足を引っかけられて転倒する。受け身に成功。
 起き上がろうとして、殺気を感じた。敵意とも、攻撃の意思ともとれる感覚に、総毛立つ。尖った耳がぴくんと痙攣す。
 咄嗟に転がった瞬間、一条の光線が今しがた居た地面に突き刺さり、半透明の網に変化して踊り狂った。捕縛用の魔術か。命中すれば身動きはとれまい。
 アネットの指が、セージを狙う。
 距離、3m。
 セージは突進を慣行し――手の平をアネットに向け目を瞑った。
 コンマ数秒後、アネットの視界と聴覚に暴風が吹いた。

 「――――」

 経験と本能に従い、腕を払う。柔らかいものがぶつかる。絡まってくる。力で引き離そうとして、しくじる。転ぶ。白亜の視界と、キーンという高音の中でもがく、アネット。
 回復魔術を行使して目耳を癒そうとした次の瞬間、馬乗りになられたのを肌で感じた。
 あ、と声を上げる前に、頬を張られていた。
 ――スタングレネード。
 元の世界では特殊部隊などで使用されるシーンがニュースで放映されるなど、広く知られた武器であった。
 セージが練習していた魔術とはこれのことだった。
 純粋な体術や魔術で勝てないのなら、相手の不意をついて視覚と聴覚を奪い、攻撃するという目つぶし作戦。砂を投げることも考えたが、アネットに通用するとは思えず、こちらにした。
 光と音が自らにも害を及ぼすことが想定されたので、瞼に黒い塗料を塗り、木の耳栓を用意した。
 練習の結果、光と音の作用方向をある程度絞ることができるとわかったが、保険は必要だったと痛感する。さらに練習を重ねれば効果範囲を相手の身に限定できるかもしれない。
 動きを止めたアネットに駆け寄り、押し倒し、頬を張る。グーパンチは、セージにはできなかった。
 アネットの体は予想より遥かに柔らかかった。
 
 「……ふふふ………ふふ……目つぶし……音………うかつだった……私の負けか」
 「アネットさん、卑怯な戦法でごめんなさい」
 「謝ることはない。君の姿を見て、考えなしに突っ込むことしかできないと油断した私が弱かったんだ。実戦なら……」

 アネットは虚ろな目を彷徨わせたまま、笑う。首に親指を当てて横に動かしてみせる。刃なら死んでいたと。
 強力な閃光と音を食らったというのに、既に回復し始めているあたりはさすがであるが、堪えたらしい。ポニーテールが押し潰れて曲がっていた。

 「長老に報告しておく。私は負け、君は勝った。できればここに居てほしかったが……君を止められる人物は誰もいない」
 「私……俺にはやることがあるんです。この里はいいところでしたが、すぐに発ちます」
 「わかった。少ししたら行く」
 「先に長老のところに行ってます」

 セージは訓練場を離れると、一目散に塔に向かった。



~~~~


まさかの目つぶし。
ちなみに生徒が休日なのに学校にいるのは里が狭いからです。



[19099] 十八話 ミスリルの剣
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/21 01:44
XVIII、

 アネットに勝利した、もとい勝利してしまったのを知らされた長老は暫し沈黙し、自分の目論見が頓挫したことを自覚した。
 里の外の情勢は厳しく、かつてのようにエルフが優秀な技術者としてもてはやされることはなく、犬畜生か何かのように扱われるのだから、なんとしても外に出したくなかったのだ。
 だからこそ信頼のおける上に腕の立つアネットと試合をやらせて阻止せんとしたが、まさかの敗北という結果に終わった。
 約束は約束である。
 彼女を里の外に出さなくてはならぬ。
 長老は机の上で目尻を揉み解しながら、打つべき手を模索していた。
 王国の技術を盗みに侵入を試みるなど狂気の沙汰であり、熟睡中の竜の鼻先を蹴っ飛ばして起きるか起きないかを試すような自殺行為である。であるにも関わらず、行くというのだ。
 何が少女を突き動かすのかは定かではないが、止めなくてはならなかった。
 強引に縛り付けることも不可能ではなく、むしろやった方がいいのだろうが、言葉による解決が一番望ましいと長老は考えていた。
 言葉で解決を望まず剣と剣を合わせることしか考えない連中もいるのだが。
 長老は頭を上げると、音も無く入室した陰気な表情の男を視認した。手招きをして近くに呼び寄せる。男は長老の耳に口を寄せて何事かを呟くと、また音もなく退室した。

 「森を破ろうとするつもりか……術をまた強めなくては……」

 報告だった。
 何者かが集団でエルフの森を破らんとしているという。近頃頻繁に聞かれる報告であるため、動揺はしなかった。
 国土拡大を続ける“王国”は、人種問題や軍備拡張に伴う財政負担のツケからくる民衆の不満をエルフという少数派を迫害すること隠蔽せんと企んでいる。
 かつての時代にはエルフは神に近き者として崇められていた。規模も大きかったので一つの国として認められるほどにあったのだ。ところが、時代の移り変わりと共にエルフは排するべきものにされてしまった。
 幾度の戦争はエルフの国を崩壊させ、里の幾つかを焼き滅ぼした。
 長老の座に収まる彼も、里を守る戦いに出かけた戦士の一人であった。多くの人を殺した。また仲間も殺された。戦いは壊すことしか生まなかった。
 エルフは強く、長い寿命を持つ生き物であるが、致命的にかけている点がある。
エルフに無くて、人にあるもの。それは物量である。エルフが長い寿命を持った代わりに、人間は数を増やすことで種の保存を狙った。エルフがどんなに優れていても数で押しつぶされるのは目に見えていた。
 王国が領土を拡大するたびに、エルフの害悪について宣伝し、民衆は納得する。
 そんな世の中に、どうしてか弱き少女を送り出せるというのか。いや、無い。
 ふと、長老は一つの案を思いついた。優れたとは言い難い案だ。言うならば、間に合わせ的に同じ種類の木を大量植林するような。だが、山を丸ごと禿げさせるよりマシだった。

 「失礼します」
 「はいりたまえ」

 扉の向こうに気配がした。
 通す様に声をかければ、顔を上気させたセージが入室した。勝てたことが嬉しいのか、勝てて里を出ていけるのが嬉しいのか、いずれの判断はつかないが、悲しくなった。
 たかが子供が外の世界で生きていけるとでも思っているのだろうか。

 「長老! アネットさんに勝ちました!」
 「そうか…………いつここを経つつもりかね」
 「今日準備で、明日には発ちます」
 「わかった。旅に必要な品は用意させよう。森の守りが君を通す様にしておこう。ところで一つ、頼まれごとをしてくれないだろうか」
 「ハイ、なんでも」

 長老がさりげなく付け加えた一言に、セージはうんうんと大きく頷いた。

 「エルフの里に物と言付けを届けてくれ」
 「はい……それはどのくらいかかりますか」
 「一つの里に行くまでに三十日前後か。もう一つの里に行くまでにも同じだけかかる」
 「そんな!」

 不満を口にするセージに、長老は人差し指を立てて見せた。厳しい眼光。目頭に皺が深く刻まれた。

 「でははっきり言おうか。死ぬぞ。外の世界ではエルフを狩るためだけに雇われたゴロツキ共がうろついている。庶民の間でもエルフは捕縛対象だ。君も何度も殺されかけたのではないかな?」
 「………」
 「運よく生き残れたとしても、君がこれより行こうとする場所は宗教を理由に国土拡大を行う大国だ。戦争をやっているのだ、国の中枢に潜れば兵士たちが出迎えてくれるだろう」
 「……………」
 「アネットから勝利をもぎとった力は認めるが……私は君に死なれたくないのだよ。可能ならここにいて貰いたいが約束を破ることはできない……」
 「………………」
 「エルフは………性的な奴隷として売買されているという話もある。君のような少女のなりをした子は買い手に欠かないだろう………」
 「……………………」
 「………せめて里と里をたどる道をとることで、君の実力と経験を養いたい。里をたどれば王国は近づく。順路の中に組み込む形だ」

 長老の言葉が紡がれるたびに、セージの顔から喜びが引いていく。潮のように。
 目標の無人島があるとして、準備も無しに丸太船で漕ぎ出したらどうなるだろうか。遭難か、転覆か、水と食料不足で飢え死ぬか、想像は難しくない。
 これより向かう王国は、言うならば荒れ狂う大海原である。丸太船で渡航できるほど甘っちょろい場所ではないのである。
 なまじ里までうまい具合に辿り着けてしまったことが、セージを盲目にした。
 長老は優しく諭した。

 「君が行く二つ目の里に我が古き友がいる……巨老人と呼ばれる男だ。研鑽を積め。千里の道を一歩で踏破しようと試みる馬鹿はやめなさい。千里の道は一歩ずつ歩まなければ」
 「わかり………ました」
 「そうだ、届けて欲しいものについてだ」

 しゅんと顔を伏せたセージの前で、手を上げた。壁にかかっていた留め具が見えない力で抜け、鞘に入った剣を解放した。それは緩やかに向きを変えると、長老の手に収まった。
 無詠唱であった。
 長老が剣を手の中で確かめている間に、留め具がゆっくり元の位置に収まった。さながらポルターガイスト。
 だが、セージが俯いていたこともあり、顔を上げたときには長老の魔術行使は終わっていた。
 剣をざっと目で確認し、机の上に置く。なめし革の鞘。簡素な作りの鍔。ロングソードというには短すぎる、それ。
 長老はそれを抜くように目で合図をした。
 セージは、言われたまま剣を持つと、抜こうとした。抜けなかった。力が足りないのかと、体を丸めるようにして抜こうとしたが、一ミリも動かない。
 ふと、剣の鞘に小さなふくらみがあるのを指で触って気が付いた。直観的にふくらみを押し、柄を引っ張った。引っかかりが外れ、剣身が露出した。
 それは見事な芸術品だった。
 一点の曇りも無い銀色の表面。剛の剣というより、懐に飛び込み一撃をお見舞いするのに使用されるような、華奢なつくり。雪山から湧く冷水を剣の形に押し込めたような、冷酷な美しさがあった。
 ほう、とため息が出た。
 剣がセージに反応したのか、淡き光の波を表面に生んだ。

 「ミスリル合金製だ。折れず曲がらずよく斬れる。巨老人はこれを望んでいる。二か月前に発注を受け、つい先日出来上がった品だ。違う者に届けさせる予定だったが、君にやってもらいたい」
 「あの、向こうの里でこの剣は作れないんでしょうか。なぜここで作ったんですか?」

 こちらの里で作る必要があるのかを問いかけると、長老は苦々しい顔をした。机の上の地図を示し、三角形の印を人差し指で二回叩く。

 「ミスリルを産出する鉱山を占拠されたらしくてね……こちらの鉱山は無事だ。とにかく、この剣を届けて欲しい。道中使っても構わない」

 むしろ、道中の危険を退ける意味合いで持たせたかったのであるが、内容に嘘偽りはない。
 セージは剣を鞘に戻すと、捧げ持つように両手で握った。体積に対し軽い。

 「わかりました………その、えー……」

 思わず言葉に詰まり、口の中で言葉をもごもごさせる。言われて気が付いたのだ、いかに外が危険なのかを。そもそも危険な目に遭ってきたのに危険と思えなかった方がおかしいのだ。
 悲惨な未来予想図が頭をよぎった。
 己の腐乱死体。腹には斬りつけられた痕。髪の毛はバサバサ。鴉たちが食べられる部位にくちばしを突っ込み容赦なくちぎっていく。
 瞬きを一つした。
 手の中のミスリル剣が頼もしくも危なげに存在していた。




[19099] 十九話 里を目指せ
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/21 23:59
XIX、


 エルフと人間を明白に分ける要素とはなにか?
 肌――ではない。白い肌を持つ人間などいくらでもいる。
 目の色――ではない。基本的にエルフも人間と同じ色の瞳である。
 先天的魔術適性――ではない。先天的に適性がある人間もいる。
 答えは単純明快である。耳、である。エルフの耳は尖っており、人間の耳よりもよく動くという特徴がある。エルフか人間かを選別するのに、耳を確かめるのが最も早い手段である。
 逆に考えれば、耳さえ人間のそれに整形できたのなら、エルフか人間かを区別することは困難になるのだ。
 セージは長老に『耳をどうにかできないか』と尋ねてみたが、断られた。自分で斬り落とすことも考えたが、止めた。エルフが耳を削ぐなど種族への侮辱もいいところであろうと。里にたどり着いたはいいものの耳が無くては怪しまれる。
 その日はアネットの家に帰ることにした。
 準備をするのと、心の支度をするために。
 家に帰ってもアネットはいなかった。一抹の寂しさを抱いてベッドで寝た。頭がごちゃごちゃしてまともに考えられなかったからだ。意識が飛ぶ。夢は見なかった。
 少しして、アネットが帰宅した。光と音による無効化魔術をモロに食らったというのに、自力で立ち上がって、しかもきっちり里の仕事を片付けてきたのである。
 長老のところで旅の装備一式を貰い受け、帰宅してみればセージがすやすやと寝ている。
 暢気なものだなと寝顔を覗き込む。
 時間も無いので、旅具のサイズが合うかを上から宛がって確かめてみる。もっとも小さい装備を選んでおいたが、大きすぎるかもしれないと。
 サイズは合っていた。
 ふと、セージは甘い花の香りに目を開けた。美しい造形の顔が目に映った。

 「………ぁ、アネットさん」
 「起きたか。寝ておけ、明日出発なのだろう……その前にご飯か。できたら起こすからな」
 「すいません」

 アネットの好意に甘えて、ふたたび眠りにつく。優しい声が嬉しくも悲しげに聞こえた。
 セージはアネットに起こされてご飯を食べると、また眠りについた。熟睡した。
 翌日。

 「似合わないわね……」
 「見た目はどうでもいいんですから」

 里の入口にセージとヴィヴィとアネットが居た。
 長老は仕事で忙しく来られないとのことである。他の出迎えも特にない。騒ぎを大きくすべきではないという判断があったのだ。情報は可能な限り隠すべきだと。
 セージの格好は、ヴィヴィの感性からして似合ってない。アネットの目にもそう映っただろう。
 関節部を覆う皮板。右肩から左腰を防御する薄皮は、弓を射る際に胸が引っかからないようにとの配慮が見て取れる。腰のベルトは杖や剣をぶら下げられるようになっており、ミスリル剣と小型ナイフがあった。背中には布製バックパック。
 服は、隠者が着込むようなフードが顔に暗調を落とし、エルフの耳を視線から遠ざけているのもそうであるが、黒と茶と緑を多用した目立ちにくいものである。
 まるで戦闘服ではないか。

 「でも、この服なら子供っぽく見えないし被ってれば耳も見えないわ」
 「そうだな……重くは無いか?」
 「思ったより軽いです」
 「弓はいいのか? 弓は狩りでも使えるぞ。器械弓でもいい」

 剣だけでは不安だろうと、アネットが腰を指さした。村長が用意してくれた服は弓を使う人間のことを考え胸当てがついており、持っていかないのかと聞かれるのが当然だった。
 しかし、弓を一度も訓練したことがない人間にとって、お荷物にしかならない。
 セージは里の入口を守る屈強なエルフをちらりと見遣り、二人の顔に交互に視線を配った。

 「荷物は軽いほうがいいですし、俺には扱いきれるものじゃないですから」
 「もっと練習していけばよかったわね! ……私は皮肉で言ってるんだから」
 「しつこいようだが、本当に行ってしまうのか……?」
 
 アネットとヴィヴィはそう言い、セージの顔を見つめてくる。
 気まずかった。だが、引くこともできなかった。若気の至りとでも言おうか、
 
 「行きます。でも安心してください。里を辿っていくので、危険は少ないと思いますから」

 セージは、二人に握手を求めた。
 アネットと握手をする。皮の硬いところのある、大人の手。ゆっくり上下に振る。

 「死ぬなよ」
 「死にません」

 次に、ヴィヴィと握手をする。
 柔らかく小さい手。子供の感触がした。肌を通して伝わる体温が心地よい。ゆっくり振るのかと思いきや、ヴィヴィはぎゅっと握ってブンブン振った。痛かった。
 ヴィヴィが目尻に力を入れて睨んで来たので、睨み返しておく。

 「死んだら許さない……呪うわよ」
 「私……俺は死にません」
 「一ついいかしら」
 「なんでしょう」
 「……なんでもないわ。気を付けなさい」
 「何を聞こうとしたんですか?」
 「ああんもうっなんでも無いったら!」

 聞き返すと、ヴィヴィは赤面して腕を組んでそっぽを向いてしまった。
 続きは帰ってきた時に聞こう。半年先か、一年先かになるかも分からなかったが。
 セージは入口を守る守衛に一礼すると、里の外に向かって歩き出した。少しして振り返ってみると、魔術を教えてくれたアルフがアネットとヴィヴィの横に立っているのが見えた。
 手を振ると、三人一緒に振り返してきた。

 里の周囲を守る森を抜けるのは意外にも簡単だった。元来た道を戻るように、川を下っていけばいいのだから。
 森に巧妙に隠された落とし穴と仕込み矢に引っかかりそうになった点を除いて。前者の罠は穴の底に杭が仕込まれた殺意溢れる罠で、後者は矢じりに黒い謎の液が塗られたものだった。
 あらかじめ罠の情報を耳にしていなければ、死んでいた。
 森を向けた後は、山沿いに里を目指す。向かう最初の里は峡谷の隙間にひっそりあるという。頼りになるのは長老から預かった地図だけである。
 地図と言っても現代のそれとは程遠い。大雑把に都市や山岳や川などが記されているだけである。長老が書いたと思われる、小目標となるたとえば『尖った岩』『朽ちた墓場』があるとはいえ、不安は残る。
 現代社会のように便利な交通手段も無ければ、案内標識も無いし、ナビゲーション・システムなどもってのほかである。
 馬が使えれば時間を短縮できたかもしれないが、馬の扱いを知らなかった。
 無い無い尽くしで里を出てきてしまったということである。
 森を抜ける際に採取した木の実を口に放り込む。小鳥がついばんでいたところを横から掻っ攫ったのだ。鳥が口にできるのなら、人間が口にしても問題ないだろうと考えたのだ。
 木の実はアクが強く果肉が消しゴムの滓のように残るものだったが美味しく頂けた。
 干し肉等の保存食はあるが、可能な限り節約するか外から食べ物をとってこなくてはならない。
 いずれ、動物を殺さなくてはいけないだろう。皮を剥ぎ、内臓を取り出して、肉を採るのだ。木の実や雑草に頼っていては効率が悪いからである。
 森でいくつかキノコを見つけてバックパックに放り込んでおいたが、口にすることはできなかった。万が一毒を持っていたら死の危険がある。魚か鳥に食わせて確かめなくてはいけない。
 セージは森を抜けると、最初の渓谷の里に向かって歩み始めた。




[19099] 外伝 森淵の攻防
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/23 22:26
 鋼鉄製の盾を構えた屈強な兵士たちが、森と平地の淵で戦っていた。
 矢と矢の応酬。魔術飛び交う戦場。人が死に、エルフも死ぬ。刺しては刺され、悲鳴は血の香りに揉み消されていった。

 「盾を構えろ!」

 戦場の指揮を執るのは、やつれた顔をした一人の男である。のちにエルフの里で長老と呼ばれるようになる男の若き姿であった。
 男は手に持ったミスリル剣を強く握り、天から雨あられと降り注ぐ矢を盾で受け止めた。複数人がの盾がまるで一個の塊が如く、矢の雨を受け流す。盾越しに伝わる感触は死の気配。
 人間側とエルフ側の物量の差は圧倒的であり、人間が5に対しエルフは1という有様であった。人数にして1000人弱対200人。
 だが、人間側の兵力は一向に森を進めず、平地に押しとどめられていた。
 なぜか。
 答えは単純明快――エルフという種族の単体戦闘力がずば抜けて高いからである。経験を積んだエルフは個人で軍を薙ぎ払い、地形まで変えると言われることから想像がつくであろう。
 そして指揮をとる男もまた、幾度の戦場を越えてきた歴戦の戦士であった。
 第二波の矢が降り注ぐより早く、エルフ側の弓兵が応射する。外の世界では実用化のめどが立っていない器械式の弩による狙撃が、人間側の兵力を的確に削り取る。
 森という自然の防壁が矢を防いでいるため、人間側の射撃は当たらない。
 弓兵達は緑色の服を着込み、体中に木の枝を付け、緑と茶色の戦化粧をしており、まるで自然そのもののように戦っていた。森に生きる住民の知恵は伊達ではない。
 隊の先頭で、男が剣を天に振り上げた。ミスリルが魔力に感応して淡い色彩を醸し出した刹那、男の口から紡がれる言葉で変貌する世界に同調した。
 人間側の矢の一斉射が、あろうことか空中で静止する。時が止まったように。
 どよめく人間側の兵士たちに対し、矢は向きを一回転すると、順々に流星群となりて襲い掛かった。弓兵の半分がこれで死んだ。
 エルフに槍を突き出した兵士は、突如発生した火炎に全身を焼かれ死んだ。
 エルフに剣を振った兵士は、剣と接触するや感電死した。
 魔術を放った兵士は、それ以上の威力を有する魔術によって殺された。
 隊を指揮する男は仲間に号令を出すと、次々散っていき、前衛の兵士たちを切り刻んでいく。
 思い出したように、人間の弓兵達が距離を離し、弓を射かけてくる。統制がとれず各自で射掛けてくるだけで、効果は薄い。
 装備もバラバラで、訓練を受けてもいないことが容易に理解できた。お雇いのを差し向けてきたのだろう。
 ミスリルの剣で矢を叩き落とし、身を捻るように次の矢を躱せば、槍で突っ込んでくる兵士の一撃を跳躍でいなし、頭を蹴り折って槍を奪い取る。

 「おおおおおおっ!!」

 槍を片手で投擲して一人を仕留め、すかさず地に降り立てば魔術の放射で生じた『圧』で三人ほどを吹き飛ばす。

 「こんにゃろぉぉお死ねぇぇぇ!!」
 「気合は十分だが!」

 奇声を上げて突っ込んできた人間の槍を、剣で体の右側に逸らせば槍を引っ張り、顔面に拳をお見舞いする。顔面を剣で串刺しに。脳漿が飛沫になった。
 次の人間が、剣で斬りかかってきた。馬鹿正直な上段から下段に抜ける振り下ろしを受け流し、肩で体当たり。よろめいたところを、横を疾風が如く通り抜けざまに顔面をスライス。
 戦いに精一杯で背後に気が付いていない人間の背中を突き刺し、肩を掴んで方向転換させた。次の瞬間、まだ若い人間の槍の一撃が、『盾』の腹に突き刺さった。
 驚愕の表情を浮かべる人間に手を向け、呟く。
 見えない力が人間の全身の骨を粉砕した。崩れ落ちる人間。生きてはいない。
 男の横から、槍が投げ込まれた。それは男の肩を貫き首に刺さる運命であった。
 だが、火炎の薙ぎ払いが槍を蒸発させたことで運命は狂った。

 「隊長、突出しすぎです」
 「私が前に出なければ皆が死ぬ!」

 長髪のエルフが飛び込むや、魔術を詠唱し、火炎放射で数人を炭にした。鉄製の鎧も、こんがりと焼かれては意味をなさない。
 エルフ側の弓兵に混じった魔術専門の兵達が、声を合わせて火炎弾を発射した。森の影から飛来したそれは、空中で分裂し、ヒューッという口笛のような音を伴って戦場を焼いた。
 火力の隙間を埋めるように、弩から次々狙撃が開始される。
 戦闘の主役を担う槍兵よりも、馬に乗った指揮官が狙われた。正確無比な射撃が指揮官の頭部や胸を穿ち、たちまち前線の指揮は崩壊する。
 さらに、魔術の再詠唱を終了した各魔術兵達が、光の光線を発射して、人間の兵だけを狙い打っていく。
 ただ狙い撃つだけではなく、撃っては動き撃っては動きを繰り返すことで場所を悟られないようにするのであるからたまらない。
 人間側は森に火を放とうとするが、目的が適うことは無い。魔の森が焼け落ちることなどありえないし、もし火がついてもエルフが消火作業に移るのだから。
 矢を盾で防ぐ。
 散漫な矢の射撃が戦場に降り注ぐが、あろうことか同じ人間をも貫くのだ。指揮官らしき中年の男が指示を出しているが従うそぶりもみせず、逃亡する者もいた。
 士気は完全に失われ、前衛の近接装備の人間達の中にも逃げ始める連中がいた。
 男はここぞとばかりに雄叫びを上げると、大きく振りかぶって腰の小剣を投げつけ、一人を始末した。威圧的に地面を踏みしめ剣を回収すれば、腰に戻す。
 エルフ特有の端正な顔立ちはしかし血に塗れた鬼そのものであった。
 兜の位置を手で直せば、声を張り上げた。

 「盾を構えろ! 前進するぞ!」

 盾を腰だめに構え、集合を号令した途端、仲間らが一斉に集まって一つの装甲と化した。
 散漫な矢のは装甲に一目散に飛んでいくが、弾かれるだけ。人間側が魔術の砲撃を放っても装甲は一枚たりとも剥がれない。それどころか放たれる魔術で殺される。
 盾そのものにも魔術的な強化が成されていることもあり、生半可な攻撃ではびくともしない鉄壁そのものであった。
 約10人が真正面から突っ込んできた。槍を突き出す。盾で受け止める。

 「やれ!」

 盾が隙間を空けた刹那、火炎と電流と氷の槍が10人諸共粉砕した。人肉の破片が盾を汚す。盾の塊がじわじわと前進し、点々と飛来する矢を受け止めた。
 さっと盾の塊が崩れ、男を先頭に鏃となった。

 「進めーッ!」
 「全軍前へ!」

 男と長髪の号令で、全ての部隊が喊声を上げて突撃を開始した。
 それを見た人間側の兵士たちは慄き撤退を開始した。


 戦が終わった。
 戦場に転がっているのは死体とそして死体である。
 首を切られた死体。胸から剣の生えた死体。矢が刺さった死体。焼死体。凍りついた死体の破片。血の海に沈んだ人間とエルフの死体。刺し違えたのか、エルフと人間が抱き合ってこと切れた死体もあった。
 辺り一帯には生臭さと焦げ臭さが入り混じった不快な煙が散漫していた。
 まず前衛を突出させることであえて弓兵に弓を射掛けさせ足を止めさせる。魔術で近接兵を含む広範囲を薙ぐ。森の遠距離攻撃部隊の支援をもとに前衛が戦線を押し上げる。
 やったことはそれだけだ。魔術を行使できる人間を複数集めて運用すること。精鋭による戦場掻き回しを実行すること。
 男は顔の血を拭うと、腹に矢を受けて倒れている仲間の元に駆け寄り、ただちに回復魔術を行使した。不可視の力場が矢を粉々に粉砕して宙に放りだす。傷口が締まる。血液の流出が食い止められた。
 イメージを内部へと張り巡らす。幸い、矢は内臓に致命的な損傷を与えていないことがわかった。止血、止血、止血、傷口という傷口を結合する。
 男に癒しの力の適性は無かったが、毛細血管の一本に至るまでを動かす力はあった。
 まだ若いエルフの女性兵士は苦痛の表情を浮かべた。

 「ぐ、あ゛………隊長……痛いです……」
 「馬鹿もの……痛くない傷があるものか……終わったぞ。できるなら自分で歩けるか」
 「厳しいです」
 「だろうな、今のは冗談だ。私が運ぼうお嬢様」
 「らしくないことを……」

 男は女性兵士を抱えて立ち、森に向かって歩き出した。
 長髪のエルフが、肩に包帯を巻いたエルフの歩行補助をしつつ、横に並んだ。

 「3人食われました」
 「3人」

 長髪の彼は前を見たまま答える。打てば鳴るように。
 男は顔をゆがめた。3人もの戦士が召されてしまった。エルフの里の総人口から考えれば重大な損失だった。

 「怪我人は」
 「18人」
 「多いな」
 「確かに。実戦を経験させようと新兵を前に出したのが悪かったのではないかと」
 「大規模戦闘に放り込むよりマシだ」
 「連中、お雇いのをさんざん殺され頭にきて復讐挑んでは来ませんでしょうか?」

 もっともな疑問。
 男は薬草汁でも飲み干した直後の顔になる。

 「植民地化した国から雇った連中だと思うが」
 「ああ、むしろやられた方が好都合と」
 「こちらには都合が悪いことこの上ない。戦うよりも内側に引きこもった方が被害は減らせるはずだが、どう思う」
 「いい案ですね。ただし森が破られた時にその案は灰燼に帰すでしょう」
 「巨老人の里のように要塞化すべきではないかと思っている」

 それだけの労働力をどこから捻出するかというのが問題だがと男は続けると、森から出てきた魔術兵に女性兵士を引き渡し、次の怪我人の看病に向かった。
 次の怪我人は比較的軽傷であったので簡単に治療をすると森に送った。
 エルフの兵士たちはこぞって敵兵の装備を剥がし、肩に担いでいる。だが皆嬉しそうな顔もせず暗調をかぶっているようだ。
 男も地面に刺さった剣を抜く。
 これも貴重な資源なのだ。いくら鉱山を森の奥地に有するとは言っても限度がある。使えるものはなんでも使う必要があった。
 男が神妙な顔つきで剣の造形を確認していると、長髪が寄ってきた。彼は副隊長であり男の戦友であり親友である。

 「死者の剣を持ち帰るなど許されざることだな」
 「今更それを言いますか? 精霊も許しましょう」

 長髪のエルフも槍を数本肩に担ぐ。腰には剣が何本もぶら下がっている。

 「帰るぞ。日が暮れてしまう」
 「そうですね」

 男は隊を率いて里に帰還した。
 日が黄昏を帯びた中の帰還だった。




[19099] 二十話 乾いた旅路
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/23 21:16
XX、


 夜。
 太陽はとうの昔に地平線の布団に潜り、月が堂々と星空の中央に居座っている。
 障害物の無い草原の真っただ中を、黙々と歩き続ける人影一つ。セージである。
 彼もしくは彼女がなぜ夜中に草原を歩き続けているのかと言えば、人目を避ける為である。
 地図には記されていなかったが、この草原は遊牧民が頻繁に行きかう地帯だったのだ。他にも軽鎧を身に纏った連中まで目撃しており、接触する可能性があった。
 遠目にはエルフと気が付かれまいが、リスクは避けたい。万が一顔を合わせてしまった時は目も当てられない。
 これからの旅路はあえて森を抜けたりして人目を避け続ける必要があるだろう。
 もっとも夜歩くのは見つかる恐れがある場所に限るのだが。
 渓谷の里まで一か月かかると長老が言った通り、地図に記された小目標の一つ一つですらなかなかたどり着けない。そもそも、自分が歩く方向が間違ってないとも言い切れないのだ。
 コンパスがあれば話は変わっただろうがと愚痴を吐いても仕方がない。
 さっそく倦怠感に包まれ始めた足に鞭を打ちつつ、月明かりを頼りに草原を歩く。
 夜の楽しみは何と言っても星空である。というよりテレビもゲームも無いので娯楽らしき娯楽はこれくらいである。現代日本のように排気スモッグで汚れていない健やかな空は、雲や靄といった気象条件を別にすれば透き通った素顔を拝ませてくれる。
 北斗七星も、オリオンも、十字星も、星の配置すら違う空は、キャンパスだった。
 星と星をつないで新しい星座を作る。元の世界の星座をこちらの空で再現する。羊飼いたちがやった遊びは果てが無い。

 「オリオンが太ってやがる」

 オリオンを再現してみたが、ベルトが一つ多い。食べ過ぎたのか弛んだのかはさておき。
 星明りと月明かりでは手元が見えず、魔術を行使して光を指先に灯せば、地図を広げて進行方向の正誤を確認する。草原の向こう側に一本の巨大な木があると記されている。
 つい、と視線を地平線の向こうにやっても、木らしき物体は無く。
 もしかすると違う方向に進んでいるのかもしれないし、堂々巡りをしているかもしれない。
 木を見つけるまでは草原を永延とうろつく羽目になるかもしれない。最悪、出会った人間に道を聞くことも考慮しなくてはいけない。
 喉の渇きを覚え、水筒を取り出そうとしてやめた。水は節約すべきなのだ。いざとなれば草を食み水分を補給する覚悟があったが、可能ならば水は保持しておきたい。草原のど真ん中に水源があると考えるのは都合がよすぎる。
 明かりをつけっぱなしにすれば精神力が奪われるし、なにより目立ってしまう。人目を避ける為に夜を選んだのに逆に目立っては意味が無かった。
 星座を描くのを止めて歩くことに専念する。
 歩き続けていると脚の筋肉が熱を持ち出し、体まで熱くなってくる。
 呼吸のリズムを一定に保つ。吸って吐いてを繰り返す。歩調を乱さず、慌てず、歩く。力を込めてはいけない。緩めてもいけない。

 「馬、盗んでみるか」

 口に出して首を振る。どの道、馬の扱い方も知らないどころか乗ったことすらないのに、どうして馬を操れるというのだろうか。精々リアカー替わりである。
 リアカー。
 馬車があるくらいなのだからリアカーも作れるのではないか。
 作れないことは無いだろう、誰が作ってくれるのかという問題に目を瞑れば。金が必要になるのは言うまでも無く、エルフということを隠し通すことが必要である。エルフの里で作ってもらうのが最も安全性が高い。
 自転車でもいい。徒歩で移動していると分かる車輪という発明の偉大さ。
 手ごろな岩を見つけた。ジャガイモとカボチャに息子がいるならそれだ。小休憩するべく腰かけて、ミスリル剣の柄を弄る。やっと手に入れたまともな武器。
 長老から頼まれたことは『巨老人』の里に剣と言付けを届けることである。剣はいいとしても言付けは内容が曖昧過ぎて理解できないものだったが、己に関係ないことである。
 峡谷の里までが30日。峡谷の里から巨老人の里まで30日。徒歩で往復したとして4か月かかる。長い道のりだと改めて思う。
 4か月の道のりは、巨老人の里からヴィヴィ達が居た里に戻ることを前提とした計画である。そのまま王国に侵入したとすれば2か月と少しとなる。
 
 「……よし」

 セージは頭をボリボリ掻くと膝をパンと叩いて立ち上がり、歩き始めた。鼻をぐしぐし手の甲で擦る。鼻水は無かった。
 日が昇り始めたところで布に包まって地面をベッド代わりに寝た。
 用心の為、耳を地面にくっつけて寝たが、鼠一匹たりとも寄ってこなかった。焚火は起こさない。ここにいますよと宣伝するつもりは毛頭ない。
 翌日、目を覚ますと太陽が天頂でふんぞり返っていた。採集しておいた木の実を口に放り込み、唇を湿らす程度に水を飲むと、ストレッチをして出発した。
 地図に記された日付が過ぎても木は発見できなかった。とうとう木の実も底をつき、非常食として取っておいた干し肉を食べることになってしまった。焦燥感の中、昼間だろうが夜だろうが手がかりを求めて彷徨った。
 木に辿り着くはずの日が過ぎて三日目。いよいよ干し肉の残量も怪しくなり、水の残量に至っては水筒に四分の一入っているだけという危機に陥った。
 四日目。自力で探すことを諦め、遊牧民に道を尋ねることにした。
 探し出すのに半日を要したが、遊牧民は快く道を教えてくれた上に水と食料を分けてくれた。フードを取ったら大騒ぎになるので手で押さえておいた。
 自力で行けないのなら誰かに頼ればいいという発想が出てこなかった辺り、意地になっているのかもしれない。
 水と食料を入手したセージは、木に向かって他の物に目もくれず歩き続け、やっとの思いで見つけることに成功した。

 「木……これか」

 地平線にぽつんと浮かんだそれを正面に捉えて呟く。日も暮れようという時間帯になって、目標らしきものを発見することができたのだった。
 遊牧民を除けば人らしき人に遭遇しておらず、怪我もせずにたどり着けたのは幸運であった。
 水筒を傾け、蓋を閉じて背中のバックパック(形状が似ている)に仕舞い込む。
 草原を吹き抜ける風が埃っぽくて目に染みる。太陽も目に染みる。何日も水浴びをしていないせいか肌は塩気を帯びていた。長老から借り受けた服も汚れていた。
 草原を歩き続けて気が付いたことがある。水っ気が無くなってきたのである。湿気もなく、地面の湿り気も無い。
 セージは顔を擦ると、足を進めた。
 木に近づいてみると、枯れていた。葉っぱは既に無く、表皮も年老いた老人のように掠れて、生気のない茶色を湛えていた。
 水が無ければ生きられない。草も、木も、エルフも例外なく死ぬ。
 立ち枯れた木の表皮に手を触れる。
 例えようのない虚無感が立ち尽くしていた。
 地図を取り出して、さらさらと羽ペンを走らせる。周囲の目標物。地形。木の絵の下に枯れていると備考を加えた。さらに、己がやってきた道に線を書き加え、次の目標に点線を引き、四角形が丸く並んで描かれた地点でペンを止めた。
 次の目標は岩が円形に並べられた古代の墓地である。所要時間は三日間。ストーンヘンジという代物だろうか。道中は草原の緑色から茶色と黄銅色一色で表現された土地が広がっていることから乾いた場所なのだと想像をつけた。
 セージは木に別れを告げた。名残惜しそうに表皮を撫でて叩く。乾いた音がした。

 「じゃあな」

 水筒の水をかけたい欲求に駆られたセージであったがどうにも止めた。
 あれは死んでいるのだ。





~~~~~~~~~~

作品を書くのは手間じゃない。ローマ数字が手間なのだ。



[19099] 二十一話 お水をください
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/24 00:47
XXI、



 独り旅 何を言っても 独り言。

 「くそ……なんか悪いもんでも食ったかな? 草はお腹にいい食物繊維入りなのに。うん。おいしい。草の中でもおいしい方」

 お腹の調子が悪かった。それも、荒地のド真ん中で。
 食料調達のめどが立たないのに乾いた砂と岩くらいしか無い地帯に突入してしまい、慌てて引き返すと雑草を引き抜いて一応の食料とした。草原に暮らす鼠も剣で串刺しにして干し肉にしておいた。水を調達したかったが、見つからなかった。
 おかしなものである。口にしているのは草が大部分で食物繊維たっぷりの自然食品であるはずなのに、腹部がストライキを起こしているのではと現実逃避したくなる程に緩い。
 さんざん雑草を口にしてきた経験上から、獣が好んで食べる草をもりもりと食べる。
 食べながら、歩く。
 雑草もとい食糧を口に放りながら歩く少女。草は食べられるもの、薬草(と信じているが効果は不明)、擦ると虫よけになる強い香りの草など、分類されている。
 草の他は欠片しか無い干し肉と、鼠と、木の実と、まだ動物で実験していない謎のキノコ。
 草だけは大量にあるので当分は困らないであろう。
 問題は味である。草は、本来食べるものではない。特に雑草に分類されるものは。
 アクが強く、渋く、苦く、硬く、鉄臭い。野菜っぽい味がするのを選別して採取したとはいえ、草である。まごうことなき草である。
 少女の口を覗き込む機会が経った今巡ってきたと仮定して、中を見れば感想は次のようなものになる。
 緑一色と。
 ひょっとするとこれがいけなかったのかとバックパックから取り出したるは、木の実。赤く、酸っぱく、消しゴムのような滓が口に残る食べ物。鳥が食べられても人間には食べられなかったのかもしれないが、どう証明すればいいのだろう。
 お腹が緩いのが続けば水分も栄養も流れるばかりである。
 整腸剤でも転がってないだろうか。
 鼠の肉を口にする。血の味だった。咀嚼して飲み込む。咽頭が波打った。

 「喉乾いた………暑かったら死んでたわ」

 ブロンドの髪の毛をぐしゃぐしゃに掻きつつ蒼穹を仰ぎ、睨み付ける。
 “素晴らしい”御日柄。雨は望めそうにない。飲み水は得られないし、水浴びもできない。
 地図によると墓場の付近まで行くと古井戸があると記されているが、枯れた木の例もあり信用ならないのだった。別の手段で水を入手することも考えなくてはならなかった。
 布と砂利を使ったろ過装置でも試作してみようかしらんと考えつつ、乾いたくちびるをきゅっと引締め、歩く。
 ―――突如、頭に落雷があった。
 地面を蹴っ飛ばし大喜び。涙まで浮かべて手を叩いてくるくる回る。気が違ったわけではない。

 「そうだろ! バッカじゃねーの俺! 魔術使って水を出せばいいじゃんか!」

 その発想はビッグバン。
 魔術はイメージである。己の魂と肉体が結合しあう力を流用した力で世界に働きかける神秘である。イメージできるのなら大抵のことはできてしまう。
 ならば、水をイメージして作ればいいのではないだろうかと考え付いたのである。
 さっそく地面に座り込むと水筒を腿の内側に挟み、両手を広げて、集中する。生命の源。透明の流体。重なれば青くなる。山に注げば川となる。乾けば空気に溶けて雨を作る。
 雨よ、水筒に出ろ。

 「〝水よ満ちろ〟」

 瞬間、水筒が微かな振動を孕んだ。水筒の底が冷たさを生むや、振動は激しくなり、蓋がはじけ飛んだ。辛うじて蓋を掴み取った。

 「うおっ!?」

 水筒から溢れる水が顔面を直撃して鼻と口から侵入した。
 驚きより喜びが勝り、イメージは噴水のような勢いへと昇華されていく。水筒が反動で腿を圧迫したが構わずに水を口に流し込む。ごくんごくんと喉を鳴らして飲む。
 顔の埃と汚れが水流によってはじけ飛ぶ。
 飲んで飲んで飲みまくる。

 「…………んぐんぐんぐぐぐ? んぐんくっ………ぶはっ」

 思う存分飲んで、魔術の行使を切る。蓋を閉めるべく手を伸ばす。水は蓋を押しのけんばかりの圧力を作ったが、強引に押し込むと、あっさり無圧状態に移行した。
 そこで気が付いた。
 水なのに味気ないと。

 「おいこれ……あーくそ」

 セージの全身をびしょぬれにした水が数秒とかからず蒸発していく。外だけではない。中もである。咥内を、喉を湿らせたはずの水が、見えざる手に奪いとられていく。
 喉がくっつく。咥内がかさかさになった。鼻の中が乾く。顔も体も服の一切が乾燥に向かった。
 ものの一分と経たずに水は消え去った。
 茫然とするセージは一抹の期待を込めて水筒の中身を覗き込んだ。量に変化なし。溢れんばかりの水は白昼夢のように消えて無くなっていた。
 魔術とはイメージである。イメージは本人に依存する。イメージが続かなくなれば魔術は世界の修正力に飲まれて消える。理屈は単純だ。
 恒常的な効果を発揮させるには物質に頼るか、世界を塗り潰すような高位の術を使う他ないと知らなくても、水が無くなったという事実を目の当たりにすれば気が付くだろう。
 興奮しすぎて水を出し過ぎた反動か、軽い頭痛がした。魔術を行使しすぎて体と魂が感動のフィナーレを迎えるのは避けなければならない。
 セージは立ち上がる気力が失せ、その場で座り込んで休憩に入ってしまった。
 少なくとも体を洗ったり、熱さをとったりなどはできるという収穫があったのだから決して無駄ではなかったと、ポジティブに変換する。
 そこで第二発目のビッグバンが脳天に轟いた。。
 顔がぱっと明るく輝く。

 「そうだ! なら間接的にやってやれば!」

 水筒の布を剥がして金属を露出すると、寝転がって上に掲げ持つ。子供を「高い高い」しているような恰好である。
 イメージするのは冷たさ。目を瞑り青い空を遮断する。北極。南極。冷蔵庫。冬。雪。思い出す。組み立てる。映像と映像を組み立てて強く念じる。
 思考の端に混じる灼熱の火炎がイメージを乱す。燃える家。焚火。太陽。イメージが消えてしまう。精神力を振り絞り、命の危機を回避したいと強く己に暗示した。
 息を吸う。吐く。吸う。吐く。目尻に力を込め、開く。

 「〝冷やせ〟」

 呟いた言霊はしかし目に見える形の変化をもたらしていないかのようである。
 ところがセージはニヤリと口元をゆがめると、水筒の金属部分を口に近づけ、寝転んだまま舌を伸ばし、ゆらゆらとしなやかに揺らせば、水筒を舐めた。
 確かに水があった。水筒には水が付着していた。
 夏場、コップに冷たい水を注ぐと『汗』をかく。これは空気が冷やされて飽和量から弾かれた水分が結露という形で水になる現象である。セージはこれを利用したのである。
 魔術で水を直接作ることができないのなら、間接的に水を空気中から取り出す。
 水筒の底をセージは舐めた。舐めて舐めて舐めた。舌で寄り集めた水滴を唇で吸い取った。重力に従い伝うのを顔で受けた。大真面目に水筒を舐めまくる姿はシュールを体現していた。
 だが、徐々に腕が疲労を訴え始め、舌も重くなってくる。

 「へふっ……う、うん……ぇう………っんっん………げほっ、畜生、疲れるぞこいつ」

 魔術行使を切り上げて顔の水滴を指で救って舐める。ため息を吐くと、水筒をお腹の上に乗せた。
 問題が判明したのだ。
 量が少なすぎるのと自分で舐めなくてはいけない点である。しかも一度舐めると唾液が付着し、その部位に水滴がつかなくなるので拭き取らなくてはいけないのである。
 舐める労力と水を得る効果が釣り合わない。
 有効な方法を考える必要があった。
 金属の板と垂れた水滴を回収する容器を手に入れることができたのならば最高なのだが。

 「買う金が無いんだよな」

 生憎、売れるような品は無いのだと苦笑する。ミスリル剣は売ることができないし、他の装備も借りただけなので売ることはできない。
 働こうにもエルフを雇ってくれる職場があるわけもなく、子供の体力では肉体労働も長く続かない。下手すれば奴隷という新しい職業を笑顔で斡旋してくれるであろう。
 商品価値を有するのは一つだけしか持っていない。

 「体でも売るか!」

 それは体である。美しき容姿を持つと一応の自覚があるからこそ出た台詞であった。
 誰も聞いてくれない冗談を飛ばし、立ち上がる。お尻の埃を払った。水筒をしまう。胸当てを引き締める。ベルトを引き締める。屈伸。腰をまわす。前髪をかきあげた。
 出発だ。
 地図を広げ、歩き出す。
 古代の円形岩墓場まではもう少しだ。
 しばらくして、墓場に辿り着くことができた。




[19099] 二十二話 岩の墓場
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/24 23:01
XXII、


 岩の墓場が前方に見えてきた。
 地面に草が生い茂っており、木々があたりを囲うように生えていた。まばらな絨毯だと感想を抱く。乾いた土地の真ん中に草木が生えているということは水源があるに違いない。砂漠にオアシスがあるようにここにも水があるに違いと考える。
 墓場と言っても岩が起立して並んでいるだけだが、規模が予想の斜め上だった。見渡すばかりに岩、岩、岩、石碑、岩、岩。岩がまるで行進する兵隊が如き威圧感を放っていた。
 円形に並んではいるがやや不揃い。巨大な円の枠を配置して、はみ出さないように、しかし適当に並べたらこのようになるだろうか。
 岩の列に足を踏み入れて、観察する。
 岩には何らかの文字が刻まれていた。記憶の中で最も近似するのが楔形文字だった。ノミをハンマーでたたいて刻んだ文字。死者への弔いの言葉が記されているのだろう。
 “少女”はフードの淵を指で弄りつつ、あたりを見回した。

 「井戸ってどこ?」

 墓場観光はどうでもいい。水の確保が先決である。
 魔術で作るのは効率が悪すぎる。
 念には念を入れて岩の影に隠れて誰も居ないことを確かめつつ歩いていく。隠れては顔の半分だけで覗く。さっと移動して岩に取り付き、また顔の半分だけ出して確かめる。
 人っ子一人居なかった。
 気恥ずかしくなった。わざとらしく鼻を鳴らせば、とんととんと岩陰から進み出た。

 「……誰もいないか」

 岩の群れを抜けて、円形の中央に向かう。何か目ぼしいものがあるとすればそこしかないと考えたのだ。彼もしくは彼女の予想は的中し、何らかの構造物があった。
 岩を塔の形に仕立てたとでも表現すべきそれは、先端に向かうにつれて中央に収束する丸みを帯びた岩だった。大木程の太さがあった。セージの腕では周囲を包むのに複数人は必要となるであろう。
 裏にまわってみると構造物の半ばからぱっくりと空間が口を広げていた。木の洞のように。
 構造物の洞から中に入ると中央に穴があった。近づいてみるとそれは井戸であった。天井から吊るされる形で水汲み装置が設けられていた。鎖を手に取る。埃と錆でかさつく。
 天井に目を凝らすと、滑車を使うのではなく、穴に通しただけの単純な作りであると分かった。まるで長時間放置してもいいように滑車を使うまいとしたようだ。
 鎖を手になじませ、容器に水を汲むように動かす。勢いつけて引っ張る。天井の穴で擦れてガララと音が鳴る。振動で手がしびれる。

 「よいしょっ、よっと……ふんっ……うっ、よし、せぇの!」

 鎖は重く、一息にはすべてを引き上げることが叶わない。何度かに分けて引っ張る。
 何やら綱引きを思い出し、懐かしくなった。悲しいことに相手は井戸であるが。
 井戸の底からバケツか桶が昇ってくる気配を感じ、最後の一引きとばかりに鎖を腕に引っかけ、構造物の外に駆けた。

 「うっし!」

 手ごたえあり。あとはゆっくり手繰り寄せながら近づくだけだ。
 振り返ったセージはとんでもない物を見てしまった。息を呑み、目を見開き、両手をわたわた振りながら全力で駆け寄らん。
 
 「わー!? 馬鹿野郎! 待て待て待てー!!」

 セージが目撃したのは、薄い石で作られた汲み容器が目一杯まで持ち上がっている光景。それと、容器の根本の部品が脆くなっていたらしく、振動に耐えられずへし折れ、水諸共自由落下に身を委ねた瞬間であった。
 ぱっと寄って、井戸の淵にしがみ付き奈落の底を見遣る。
 直後、容器が落着した音がした。
 水音だった。
 水があることは喜ばしい。久しぶりに水を補給できるし水浴びも叶うだろう。休憩することもできる。一時的な拠点として構えることも案の一つに加えることができる。
 だが。

 「どうすんだよこれ……」

 セージは井戸の底を覗き込むと途方に暮れたため息を漏らした。魔術を行使して光を灯せば、底を照らして見る。目測で何メートルかは正確に分からなかったが、落ちたら死ねる高度があった。
 光を反射する水面が恨めしかった。
 そう、問題はいかにして水を汲み上げるかという一点である。
 鎖の先端に布を巻き付け下ろし、水を染みこませて汲むことを思いついた。容器を探してくるより苦労は少ないように思える。
 ……鎖を引き上げる手間を除いて。
 手持ちの布の中で最大のものでも手拭きタオルしかない。手間は計り知れない。水筒一杯になるまでと、己の飲む分を確保するには何往復すればいいのかも見当がつかなかった。
 ここまで思考の糸を張り巡らせていたセージは、普通に水筒を括り付ける案を採用した。
だが、危惧していたことが的中した。水筒の浮力で水が中に入らないのである。考えた末、手ごろな石を括り付けてようやく水を汲むことができた。
 やれ、成功だ。
 ほくほく顔で水筒から水を飲み、また汲んでは飲む。腕が疲れを訴えたが無視した。目一杯飲んだので顔も洗って鼻と口も洗う。水筒に水をたっぷり注いで蓋を閉める。
 そこで、鼓膜を打つものがあった。

 「もし……」

 静かな声。霧と靄と雲を集めて楽器に仕立てたようだ。小人が口笛を吹いているのを枕元で聞かされる感覚に陥った。
 心臓が早鐘を打つ。

 「もし……旅のかた……」
 「………ハ、ハイなんでしょうか」

 セージは水筒を握りしめて硬直した。フードを被っていたのが幸いであったが、振り返りたくなかった。フードを覗き込まれるとエルフであることがバレるかもしれない。
 今しがた水で潤ったはずの喉が急速に砂漠に似通っていく。腰のミスリル剣を指で突く。魔術の発動を頭の中で準備する。
 妙なことに、背後の人物からは息遣いを感じられなかった。気配すら。暗殺者や腕の立つ傭兵などは相手に存在を悟らせないというが、まさか。

 「旅の方は……いかなる用事でここに参られたのでしょうか……」
 「水を汲みに」

 セージは水筒を肩越しに見せつけ、揺らした。落ちる水滴。

 「そうですか、ここの水は死者の為の水なのですが……」
 「ごめんなさい! 長旅で水が入用だったもので」
 「フフ………いえ、私の所有地ではありませんし……あなたのような子供の喉を潤せるのなら井戸も本望でしょう」
 「ところであなたはなぜここに?」

 振り返らずに尋ねてみる。岩の構造物から墓場の外までの最短距離を計算する。最悪、突如背後から斬りかかってくることも考えておく。
 背後の人物――声という要素だけで判断するのなら女性――は、ゆっくり噛み締めるように答えた。
 そよ風が背後の方から吹いた。爽やかな花の香りが鼻腔を刺激した。香水だろうか。

 「―――……ひとを待っているのです」
 「それは誰ですか」
 「愛する人です」
 「えー、どのくらい待っているんですか?」
 「さぁ……わたくしには解りませんわ。もうそこにあの人がいるのかもしれません」
 「………」
 「………」

 会話が継続せず押し黙った。
 一分経った。二分経った。三分経った。背後に居るのか居ないのかもわからない。思い切って振り返ろうと、拳を握る。
 さっと振り返ってみれば、誰も居なかった。アッ、と声を漏らす。岩の井戸がある構造物の周囲をぐるっと一周してみたが、やはり居ない。狐につままれた気分。首を傾げる。

 「疲れすぎて夢でも見てたとか……うーん……。わからない。いいや、なんでも」

 考えれば考えるほど泥沼に嵌りそうで、セージは考えるのを止めた。
 身支度を整えて地図を開くと道程に文字を記入していく。里と里の間を行き帰りするのには情報が必要だからだ。
 地図を仕舞い、お決まりのストレッチで体を解すと、次の目標に向けて歩き出す。岩と岩の間をすり抜けて、ゆったりと足を進める。
 その途中で、はたと足を止めた。違和感ともいえるし、異変とも、自然現象とも言えるものを見つけたのだ。
 一つの岩のすぐ横の地面に赤い色がある。生き生きとした赤く小さく可憐な花が横たわっていた。手折られたのち、この場所に誰かが置いたのか。しゃがむ。手にとって鼻に押し付ける。爽やかな香りがした。
 お供え物だろうか。花を丁寧な手つきで元の位置にそっと戻す。
 セージは、さっきの人物が見ているかもしれないからさっさと行こうと伸びをして歩きを再開した。






[19099] 【見なくても問題ない簡易設定集】
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/16 01:08
「“少女” (セージ)」
リアル系の世界から神様に転生というか憑依でファンタジー世界に飛ばされた。
男性だったのが少女になってしまった。
本名のセイジを伸ばしてセージと名乗る。

「長老」
セージが最初にたどり着いたエルフの里の長。ナイスなダンディー。
里を守るために戦ってきた戦士である。
戦闘向きな不可視の魔術を行使する。

「アネット」
綺麗なブロンド髪をポニーテールにしたエルフ。
幻術系や光系(レーザーとかビーム的な)を得意とする。

「ヴィヴィ」
ちょっとませたエルフの女の子。ややツン。内面は優しく世話好きでいたずらも好きな女の子。
英文を日本訳したようなしゃべり方で書いてます。

「アルフ」
黒髪痩躯な鋭い目つきのエルフの先生。
ちょっと皮肉な言い方を好むらしいが基本的にいいエルフ。

「“神”」
糞野郎。


『第一の里』
正式名称ではない。セージが最初に訪れた里である。
森の奥に存在し、樹木に紛れるように家々が立っている。高い石造りの塔がある。

『渓谷の里』
渓谷の隠し岩の奥に存在する地底の里。
ドワーフの掘った跡をそのまま利用しており、地底湖がある。広い。

『巨老人の里』
巨老人と呼ばれた戦士の治める里。


『王国』
領土拡大を狙う強国。小国を次々ねじ伏せては植民地化し、民衆の不満を逸らすためにエルフを害のあるものとしてでっちあげた。
具体的な国名は出てきていない。



[19099] 二十三話 蜘蛛再び
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/25 23:12
XXIII、



 里を発ってから三週間という時間が流れた。
 目標地点から目標地点を線で結びつつ、じりじりと里に近づいていく。
 人間の町や行路を通過しないよう細心の注意を払って、必要とあらば夜を歩いた。モンスターの襲撃を受ける可能性があれば木の上に宿泊した。盗賊に殺されたかけたこともあった。
 動物も狩った。鹿のような生き物を殺して肉を剥いだ。内臓を取り出した辺りで吐き気がしたが、肉だけを剥いで並べたところで平常心を取り戻した。肉はその場で焼いて食べ、余った分は熱で水分を飛ばした後、干し肉にした。
 狩りの成功率は五回に一回と言ったところである。魔術を発動せんとするとなぜか逃げられてしまうのだ。野生の動植物は魔術を感知する能力があるのかもしれない。
 深刻な食糧不足に陥った時は進むのを止めて一日中狩りをすることもあった。
 峡谷の里が近くなってきた今日この頃。荒地を越えた先にあったのは森林で、緩やかに山になりつつあることがわかった。
 山を越えた先に峡谷がある。
 ミスリル剣で葉っぱや蔓を薙ぐ。長老の説明通りにミスリル剣はよく切れた。動物を解体するのにも使えたし、地面を掘るのにも使うことができた。刃毀れ一つせず、研ぎ石の出番が一度も無かったことからも強固な性質がうかがえる。
 セージは、ミスリル剣を袈裟懸けに振るうと、顔にかかった蜘蛛の巣をむんずと退けた。家を壊された蜘蛛が慌てふためいて逃げ出すのを、素手で捕獲する。毒々しい原色。フムと鼻を鳴らすと、背後に放り投げる。無害なら食べるつもりだったらしい。
 蛙でも居ないのかと地面を見遣った。いない。残念無念。蛙は焼いて食べると鶏肉のような味がして美味であるというのに。
 地図を広げてみる。山から青い線が引かれている。渓谷は川の傍にある。他に、魔術で隠蔽されているので近くまで寄る必要があるとも書かれている。
 まず川を見つける必要があった。
 前進を止めて、地図を背中のバックパックに収める。手近な木を見上げる。太く、長く、枝の広がりが少ない木だ。手をつくと、猿のようにするすると登っていく。
 枝の分岐に手を引っかけ、上半身を持ち上げる。次の枝に足と手をかけて交互に登っていけば、他の木より一つ上に視線がある高度に達する。
 右手と右足左足を枝に引っかけてまま左手でフードの位置を直すと、額に当てて日光を遮る素振り。
 どこまでも広がり続ける樹木の海。緑と茶色の色合いが織り成す雲海。空から舞い降りた鳥が緑の下に消えていく。
 視線を緑の雲の遥か彼方へと向けてみれば、雲が奥に向かって坂になっている。
 とりあえず山の方に向かい、峡谷を見つけ出そう。
 セージは木から降りていくと、最後は飛び降り、両足で着地するや足を曲げて衝撃を吸収した。
立ち上がる。ふと、物音を聞いた。幹に身を隠す。エナメル質が擦れ合うとでも表現すればいいのか、生理的嫌悪感を催す音色を聞いたのだ。
 それはすぐ近くにいた。巨大な虫。蜘蛛である。全高は子供並み。虫というよりクリーチャーという単語を当てはめた方がしっくりくる巨大な敵。
 セージくらいの子供であれば恐怖を感じて慄くだろうが、“彼”は違った。

 「新鮮な肉がいるぞ。あいつをやれば三日は食いつなげる。甲羅とかで道具もつくれそうだ」

 目をぎらつかせ幼い顔に笑みまで浮かべる。腹が減っては戦はできぬというのは嘘である。空腹感を癒すために戦う方が力が出るではないか。
 旅をしてきて慣れたというのもあるだろう。それ以上に、敵が一匹だけで、なおかつこちらに気が付いていないという優位な状況にあるのも気分を高揚させる。
 高鳴る心臓をなだめつつ攻撃にもっとも適した位置を取ろうと思案する。
 可能ならば背後上方。真正面から挑むなど愚の骨頂。一撃で脳がある頭部に致命傷を負わせて短期決戦を挑むべし。
 音を立てぬように忍び足になると、蜘蛛の背後を突く為に大きく迂回する。
 蜘蛛は気がついていないのかしきりに地面を足で穿り返してはミミズを口に運んでいた。

 「よし、いい子だ」

 事が上手く進み舌舐めずりするハッカーのような台詞を呟きつつ抜剣。草むらに入って音を立てぬように身を運び、木の陰に陣取る。木に登ると逃げられる可能性もあるので、単純に馬乗りになることを目標とした。
 魔術を使うとやはり何らかの手段で気が付かれてしまうので、ミスリル剣の鋭さに頼る。
 セージは一匹の蜘蛛に気を取られ、逆に己をつけ狙う蜘蛛に気が付かなかった。
 少女の背後に蜘蛛がこっそり忍び寄っていたのだ。

 「1、2………3!!」

 掛け声を合図に影から飛び出すとミスリル剣を逆手に持ち、蜘蛛の上にのしかかる。有無を言わせず剣を頭に突き立てる。ミスリルの切っ先が外殻を豆腐のように貫く。引き抜けば、また突き刺す。何度も何度も執拗に刺しまくる。体液が顔にかかる。
 阿修羅も全力で首を振る形相の少女が、剣を刺して刺す。

 「死ね! 死ね! 死ね!! 早く死ね!! いいから死ね!!」

 凶暴な言葉を吐く。刺す。刺す。刺す。刺す。刺す。
 蜘蛛は断末魔の悲鳴を上げると、動かなくなった。
 次の瞬間、草むらの一塊がなぎ倒され、猛然と蜘蛛が突っ込んできた。しかも一匹だけではない。三匹も。足で地面を耕しながら突き進む様は怪物そのもの。
 
 「ッ!? 〝ファイヤーボール〟!」

 反射的に手をかざし火炎球を発射。三匹は散開して避ける。イメージの練りが不足していたため、球体が崩れ虚空で砕け散った。
 一匹目が体当たりを仕掛けてきた。跳躍。巨体が宙に浮かぶ。なんて理不尽な脚力。蜘蛛の死骸から転げることで危なげに回避し、起き上がった。
 二匹目と三匹目が目をぎょろつかせながら、前足を振るう。先端に爪。一撃をミスリル剣で受けるが、横からの二撃が右腕を傷つけた。苦痛。

 「あ゛ッぐっ……」

 ミスリル剣を取り落としそうになるも、奥歯を噛み締めて耐える。剣を失えば、最後の近接武器はナイフだけ。射程の短さと強度の無さで敗北を喫するのは目に見えていた。
 蜘蛛の死骸の上に飛び乗り、身構えた。
 三匹の蜘蛛は、一気に飛びかかるのを止め、蜘蛛の死骸を中心に包囲網を作った。
 セージはゆっくりと周回し始めた蜘蛛三匹に対し、ミスリル剣を向けては次の相手に向けて威嚇する。
 右腕から零れる血液が服を汚し、蜘蛛の死骸の上に点を描く。指を動かす。健は健在。筋肉も右腕の運用に支障なし。皮膚が一直線に切れ、肉が傷ついただけだ。
 震えだす右腕を左手で抑え込む。

 「こいつら手馴れてないか? ……っくそ、いてぇ」

 蜘蛛の動作は、まるで人間と戦ったことがあるかのようだった。
 ひょっとすると、蜘蛛を狩る人間が居るように人間を狩る蜘蛛も居るのかもしれない。
 蜘蛛三匹に対してミスリル剣の近接格闘戦は不利であることは百も承知している。一匹を殺しても残りの二匹が体を刺すだろうから。魔術しか手が無い。虫など歯牙にもかけない火力を叩きつけるのだ。
 咄嗟に火炎弾を発射した、してしまったことに嫌な汗が増える。
 己が進む土地は火に弱い。森とは燃えるものである。エルフの里を囲む魔の森なら兎に角、ただの森で火を起こせば大惨事が待ち受けている。焼きエルフが転がることは避けたい。
 イメージの中で二番目に強いのは氷である。ヴィヴィの見事な魔術行使が頭に焼きついたのだろう。
 三匹を氷漬けにしてしまえば脅威は取り除かれようが、今のセージが行使できる技ではない。
 蜘蛛達は複雑な構造をした口を蠢かせ、セージの周囲を回り続けている。狼のようだと無意味な感想を抱く。
 隙が見つからない。一匹でも足を止めたのなら魔術を叩き込めるのだが、蜘蛛達は足を止めようとしない。それどころか、背後に回った蜘蛛が足を擦り合わせて威嚇してくるのだ。
 一匹を魔術で潰せても、二匹目三匹目が首筋を掻き切るであろう。
 逃げ場を探す。無い。水平方向のすべては蜘蛛の順回路である。横切ることを許すほど蜘蛛は優しくない。
 下方。蜘蛛の死骸で塞がっている。地面をのんびりと掘って逃げようとしたなら、その穴が墓穴となるであろう。
 上方。飛べば逃走は容易。だがここは重力の底。無重力ならいざ知らず、自分ひとり分の体重を空に浮かばせるだけの力を、セージは持っていなかった。
 強行突破か、命を懸けて立ち向かうか、逃げるか。
 選択肢はそう多くない。
 セージは右腕の血を指に取ると、両頬に付け、口に突っ込んだ。鉄の味と塩気がした。



[19099] 二十四話 野生は甘くない
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/27 21:02
XXIV、


 セージが選択したのは、敵に命を懸けて立ち向かうことであった。
 強行突破も逃亡も難しいのならば、選択肢を選ぶ以前の問題で、決められたようなものである。
 使えるものを確認する。装備、ミスリル剣、ナイフ。魔術。
 攻撃の手段を模索する。ナイフは最終手段とすれば剣か魔術。スタングレネード(魔術名である)は己が術の跳ね返りを受けるので却下。火炎も却下。氷系。選択の余地あり。
 蜘蛛達は今にも跳びかかってきそうだが、一向にこない。魔術を行使できることは予想外だったのかもしれない。好都合であった。
 不慣れな氷の魔術でいかにすれば蜘蛛を攻略できるかを考える。
 一度も成功したことが無い魔術に頼ることは正しいのか? 
 不確定要素という、猫が生きているか死んでいるかも曖昧な事象に頼ることは正しいのか?
 否。
 セージは否定する。慣れた手段こそ最上である。この場を切り抜ける最高の手は、三匹に同時攻撃を行うこと。範囲を限定した、それでいて威力の高い一撃を見舞うこと。一体だけに集中して二匹にやられてしまうのならば、そうするほかにない。
 使えるものがもう一つあるじゃないかと、それを見遣る。炸裂したらさぞ愉快そうな、それ。
 行使する魔術は火炎。イメージするは“爆発”。対象は―――蜘蛛の死骸。
 ミスリル剣の切っ先を下にしたまま、逆手に持ち替えた。ミスリル剣が魔力に揺らめき波紋を伴う。

 「〝爆殺剣〟!」

 セージは気合いの掛け声を兼ねた呪文を吐きだすや、剣を両手で保持、天の神にささげるが如く、振り上げた。
 そして、背筋の反りを含めた全力を持って蜘蛛の死骸に突き刺した。
 魂と体をつなぐ力を掬い取り、意識の力を持って純粋無垢な力に仕立て上げる。剣を中心に死骸の内部で下と横に指向性を持った大爆発が起こるように念じた。小規模な爆発が世界に生まれる。
 内圧が高まり、肉が弾け、結果的に死骸は爆弾と化した。

 「ぐっ――!」

 甲羅の破片が狙い通りに爆散する。前髪の一部が持っていかれる。足場が肉の塊となり、投げ出されるセージ。内臓を靴で踏みつけた。
 ばらばらと森に降り注ぐ肉の雨。
 破片は四方八方に飛び、例外なく蜘蛛三匹にも襲い掛かった。一匹は目を潰され、二匹は己の甲羅に加わった衝撃と光で恐慌状態に陥った。機会到来。剣を持ち替える。
 爆発で鼓膜がおかしくなったのか、キーンという耳鳴りと、酷い吐き気に苛まれるも、戦闘意欲を削ぐ理由にならず。
 無音の世界で、目を潰されて暴れる一匹に切っ先を向ければ、足の一本を切り落とし、目元に斬撃を追加、正確に脳天を貫き、殺す。

 「ぉぉおおおおお!!」

 二匹目。一歩、二歩、跳躍。馬乗り。脳天を穿ち、力任せに角度を変えて抉り、手首で回転して穴を広げた。脚力と腰の力を併用して剣を引き抜き地面に転がる。体液が顔にかかった。
 三匹目。恐慌状態から回復したらしく、爪を振り上げてくる。ミスリル剣を横にして受ける。重い一撃でよろめき、たたらを踏む。蜘蛛の体当たり。腹に食らった。
 セージは無様に地面に転がった。
 人より大きな蜘蛛の体当たりは軽自動車に衝突したのではと錯覚するほど重く、前後不覚になりかけた。苦痛が腹を覆い潰して意識を閉ざそうと騒ぐ。口から垂れる涎も拭う暇無く、血の流れる右腕で剣を構えた。
 蜘蛛が尻を持ち上げ、糸を射出。粘着質がミスリル剣に絡まった。腕力で引きちぎろうとしたが、粘りが強すぎて意味を成さぬ。角度を変え、手前に引いて糸をピンと張れば、強引に断ち切った。ミスリル万歳。
 足と上半身の振りを利用して立ち上がらん。

 「あ……、つぅ……」

 腕と腹の痛みが燃え、顔を歪める。鳩尾が痛む。内臓が鈍痛に包まれて冷や汗が増えた。
 蜘蛛が糸を顔面に射出。大きくステップを踏み、右に回避と同時に地を駆ける。剣を右手に握り、低い姿勢から蜘蛛の顔面目掛けて跳んだ。足の根本に刃が埋まった。
 ――――キキキキキキキッ!?
 耳もつんざく絶叫を蜘蛛が発し、セージの肩に爪を突き立てた。思考が乱れる。魔術を構築できない。
 悲鳴を上げることすら困難になった。痛くて痛くて涙が出るだけなのだから。
 右肩の刺し傷と切り傷から血が溢れ、服を染め、地面に鉄を供給する。奥歯よ割れよと食いしばり、剣を抜けば、距離を取る。刹那、蜘蛛が飛び掛かる。横っ飛びに回避。
 右手から左手に持ち替えれば、背中を丸く、前傾姿勢で次の攻撃に備える。
 細かい戦術を考える余裕はない。殺されるかもしれないという一種の興奮がアドレナリンを過剰分泌させて、頭を犯していたから。

 「……っ゛ふ……あああ、あ! ……この……ぁ、くあ……殺されろ、屑ぅ!」

 セージは唾を吐き、声を張り上げた。
 酔っ払いが瓶を振り回すような緩慢な横薙ぎを、蜘蛛の目に繰り出す。跳び下がる相手。糸を飛ばしてくる。髪にかかる。頭から引き倒されるより前に、行動を起こす。

 「こんなモンくれてやる!」

 髪の毛を根元から掴むと、ミスリル剣でねじ切る。頭の右側の髪がごっそり地に落ちた。
 髪の毛を糸に絡ませて粘着力を制限すれば、手に巻き、蜘蛛の動きを制限するために腰を落とす。蜘蛛が糸を切り離すや、すかさず糸を鞭のように使って足に絡ませた。
 蜘蛛が突進。
 危なげな横っ飛びで回避。糸をさらに足に絡ませたが機動性を奪うには足りないように見えた。蜘蛛の外殻は糸がくっつかない材質なのだった。
 舌打ち。糸を捨てた。
 蜘蛛が馬鹿正直に正面から突っ込んでくるのがスローモーションに見えた。足を曲げ、腰を落とし、跳び箱の要領で真上を飛び越えた。地面で前転。
 すかさず踵を返せば、蜘蛛の後方から上に乗る。

 「暴れンなッ!!」

 暴れ牛かくや全身を使って振り落とさんとする蜘蛛の頭をミスリル剣で貫く。悲鳴が上がる。剣を斜めにしてやり、外殻を剥がす。中身を素手でかき混ぜてやろうかと考えた。
 だが、ロデオのように揺らされてしまっては力が入らない。

 「くっ!?」

 とどめとばかりに剣を押し込もうとしたが、振り落とされてしまった。
 セージは転んだ勢いを利用して一回転すれば、豹のように地に這いつくばる形で身構えた。
 蜘蛛が大暴れしている。頭に剣が墓標のように突き刺さっており、体液がグロテスクさを増大させている。複数ある目にも粘液が掛かっていて、赤いのも混じっていた。
 剣を取り返そうにも近づけそうにない。
 地に手を付く。震えていた。怪我をした右腕も左腕も。

 「なら、押しこめばいいんだろ!」

 イメージするのは巨大なハンマー。持つところは棒で、叩くところは岩石のような、少女の体に似合わない不相応な代物。重量で相手をプレスする打撃武器。
 半分足を引く。魔力を捻出しなくては。傷ついた体と、疲弊した精神が、ますます痛みつけられるのを感じ、目の前に白い光が点滅し始めた。まるで貧血のようだった。平衡感覚をつかさどる器官が酒を呑んでいるようでもある。
 セージの手に冷気が収束していく。初めは緩く、途中は急速に、最後はゆっくりと集まれば、イメージによって形という概念に押し込められるのだ。
 両手を天に掲げた。

 「〝アイスハンマー〟!」

 冷気が具現化した。柄は凸凹激しく直線からはかけ離れている上に、頭部は北限の土地に転がっている氷塊を拾ってきたかのような不恰好。おまけに術の暴走で腕が凍結し始めている。
 血の欠片がパラパラ落ちた。
 セージは、真上のハンマーを重力という手助けの元、力いっぱい蜘蛛に振り下ろした。強度は無かったが、剣を叩くことに成功した。
 ハンマーが砕け味気ないシャーベットになった。
 剣が柄まで押し込まれ、脳を完全に破壊した。蜘蛛の足が脱力して折れ曲がり、腹を地に付けてこと切れた。敵は全て死んだ。

 「―――――ハーッ……ハーッ……、っぐ……いた、い」

 セージがその場に倒れ込んだ。
 世界がぐるぐる回転している。地面に付けた足が踊りそうになる。呼吸が不協和音を刻んでいる。バックパックを下ろすと震える手を突っ込み包帯類を取り出す。
 傷口を診る。腕の切り傷は大したこと無いようであった。
 肩の傷は深く、手持ちの装備では治療しきれないと結論付けたが、治療魔術を使えない現在はどうしようもなかった。後でやるしかない。
 凍傷は無かった。せいぜいが皮膚が冷たい程度だった。
 服が邪魔だった。胸当てなどを乱暴に取り去り上半身裸になると、傷口に水筒の水をかけ、薬草を手でこね、荒いペースト状にしてからしっかり擦りこむ。酷く痛んだ。無意識に足の指が内側に曲がるほどには。
 頭を振って耐える。涙が汚れた頬を濡らした。

 「消毒液、もこれくらい、……あー、いたいいたいいた! 痛い! 糞、蜘蛛のクセに」

 包帯を噛み、傷口を縛り上げていく。
 すっかり結んでしまえば、悪魔的な欲望が訪れてくる。眠気がやってきた。疲労が少女を睡眠へと誘っているのだ。
 蜘蛛の死体が転がっているところで寝てしまったら何が寄ってくるかもわからない。
 蜘蛛の頭から体液と肉に塗れた剣を引き抜くと腰に戻し、上半身の服を纏って、その場で最も高い木に登る。そして、蔓で己を雁字搦めに縛り付けた。絶対安全ではないが、ほかに場所がない。
 もはや限界だった。
 セージの意識は暗闇に落ちていった。
 逃げるという選択肢を無理にでもとれば良かったなというのが最後の思考だった。




[19099] 二十五話 病
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/28 21:01
XXV、



 ラジオのノイズを優しく加工したような断続的な音が耳を叩いている。
 風音にしては等間隔で、川の音にしてはリズミカルで、砂がさらさらと零れる音にしては冷たくて。
 瞼に落ちた滴が頬に伝い、顎の線を濡らして落ちた。また一滴落ちる。鼻先に落ちた水が形のいい唇に流れ、咥内の唾液と混じった。
 ハッ、と肺が痙攣したかのような吐息が漏れる。
 鎖骨に垂れた雨水が覚醒を促した。

 「………っ」

 薄らと目が開いた。虹彩がきゅっと締まり光を調節。黒目が震えたかと思えば、ようやく止まる。瞼が徐々に持ち上がっていった。
 瞼が完全に開き切った刹那、雨水が睫毛で跳ねて眼球を濡らした。びっくりして瞬きをし、もう一度開く。二回目の瞬き。視界は完全に回復した。

 「ン………」

 己を縛り上げている蔓に緩みが無いかを自由な両手で確認し、首を木の下に向ければ、雨に打たれるがままの蜘蛛の死骸が三つと残骸が一つあった。
 自分がどのくらい寝てしまったのか、確かめる術はない。太陽で時間を計ろうにも生憎の雨天では。雨天。天を仰げば、葉の隙間からどんよりとした空間が見えた。
 なんということだろうか。幸いなことに葉が傘替わりになってくれているのでびしょ濡れではないが、焚火も消えやすくなるし、なにより濡れることで体力が損なわれるため、旅の速度は遅くせざるをえない。
 蔓を手で取り除くと、木の枝に腰かける。
 そっと、服の前を開けると、手を差し込む。右腕と右肩に包帯。腕の血は止まったが、肩の血が止まっていない。木の上で包帯を巻きなおす。右腕を動かすたびに痛みが走った。
 なんとかして血を止めなくては、命にかかわるし、森の獣が臭いにつられて襲い掛かってこないとも限らない。
 治療魔術を試す必要がある。
 怪我の特効薬も、傷口を縫うこともできぬのだから。
 手を右肩に当てて目を瞑った。

 「〝治せ〟」

 何も起こらない。
 寝起きの頭では膨らむイメージもあったものではない。暫し木の上でボーッと時を過ごす。
 それよりも、と思い直す。蜘蛛を解体して食べられる部位を選別しなくてはならない。冷蔵庫も保冷剤も無いのだから放置していれば腐っていく。
 右腕を使わないように木を降りて行き、蜘蛛の解体に移る。
 まず蜘蛛を木の陰に押しやり、手ごろな木の枝と石を使い、蜘蛛をてこの原理でひっくり返してから腹の部分を割いて肉を取り出す。内臓は腐りやすく使い道がないので地面に埋めた。外殻は加工材料として役に立つので、平らな部分や尖った部分を採る。
 作業に要した時間は三匹分なので長くかかってしまった。
 RPGなら倒した瞬間にお金とアイテムが落ちるが現実的にはそうはいかない。
 セージは剣を雨で洗いながら死闘の跡を去った。
 手を見つめ、肩を見遣る。

 「まずい。感染症って薬草で防げるもんなのか?」

 歩きながら、包帯を解いて水洗いして薬草を擦りこみ、また包帯を強く結ぶ。傷口にカサブタが張り始めたとはいえ、範囲が広すぎた。腕の傷にしろ肩の傷にしろ、動かすと血が出るのだ。
 薬も無い現状では不安が残る。強い酒を入手できれば消毒ができるのだが。
 少女の体になって以来、いわゆる細菌などと戦い続けてきた。質の悪い食べものを口にして、泥水だって飲んで、怪我はしょっちゅうであった。抵抗力は現代人以上にあるはずなのである。
 だが、抵抗力の有無に関係なく死に至らしめる病原菌など星の数ほどあるのだ。早急に傷を癒すか、里に辿り着き治療を受けるかしなくてはならない。
 何より痛い。腕に開いた傷口は熱い金属棒を押し当てられたように感じられ、肩の刺し傷は神経を殴打されるが如くである。
 右腕を動かさないように剣を使うのは不可能なので、慣れない左腕を使わざるを得ない。
 利き腕をやられたことは今後の行動にも支障が出るであろうことは予想するに難しくない。狩りにしろ作業にしろ、効率は低下する。
 もし戦闘があったらと考えるとセージの背筋は寒くなるのだ。
 次こそは死ぬだろうと。
 セージは雨降りの森の上空を見遣り、呟いた。

 「長老――やっぱりあなたの言ってたことは正解でした。俺のようなガキが生きていける場所じゃなかったです」

 後悔先に立たずである。

 森を抜けるのに約二週間という時間が必要だった。一か月で辿り着ける予定は楽々一週間超過だった。
 何しろコンパスも無いので一日中うろつくなんてことはザラだった。印をつけたはいいが大型の獣がつけたマーキングと見間違えて死にかけたのは秘密である。
 蔓を用いて己が直進しているかを確認することもあった。
 蛇に噛まれたこともあった。幸いなことに毒のない蛇だったので(もしあったら死んでいたかもしれない)、ナイフで縦におろして干物にした。食べてみると魚のような味がした。羅生門の一説を思い出した。
 怪我から細菌が侵入したのか、微熱が始まった。いつ高熱になるかと肝を冷やす。右腕の傷は自己流の魔術で塞がったものの、不自然な熱を持っているのが気がかりだった。ワクチンを打った直後のようだった。
 山を越えて、いよいよ森を抜ける。川を辿って行くのだ。
 道中で捕獲した蛇の、潰れた頭を持ってグルングルン振り回しながら、岩を登っていく。
 右腕の代わりの左腕で岩をよじ登れば、砂利道を駆け上がる。
 そして岩の山を越えると、途方もない光景が広がっていた。山、山、山。山と川が渓谷を造っている。ただし規模が予想外だった。そびえ立つ山が左右にあり、奥に広がって展開している。その中央を流れる川が渓谷を造っているのだ。自然の要塞のようだった。
 記憶にある地理の知識は役に立たないのかもしれない。ここはファンタジー世界。どんな地形があっても不思議ではないのだ。
 地図を開く。隠蔽されているので近くに行かなくては分からないとのこと。
 近くとはどのくらいから定かではないが、渓谷を降りて行けば人工物の一つでもあるに違いないと思った。
 バックパックから水筒を取りだし、唇を濡らすと、渓谷の中に足を踏み入れた。

 渓谷を探索して一日目。
 危惧していたことが起こってしまった。微熱が高熱に変わったのだ。熱、頭痛、吐き気、倦怠感、ふらつきの五連星がセージを攻め立てた。口にしたものを片っ端から吐いてしまうので、その日は睡眠に費やした。
 二日目になっても体調は回復せず。
 渓谷だけあって水が豊富なのが幸いだった。体を綺麗に保ち、水分を多くとることを意識した。
 セージは、増水を考慮して高い位置でバックパックを枕に寝ていた。襲撃を警戒して蔓の網に草を編み込んだネットを被っている為、遠目に存在を確認することは不可能である。
 川で冷やした布きれを裏返し、額に乗せ直す。傍らの水筒に口を付ける。食べ物は木の実が精一杯。狩りなどできる体調ではない以上、栄養分のあるものは入手できなかった。蜘蛛の肉はとうの昔に食い尽くした。
 酸っぱいだけで甘さを感じない木の実を口に放り込む。おいしくない。
 唐突に襲い来る眠気が木の実を取り落とさせた。
 顔は汗にまみれ、眉に皺が寄っている。目は開いては閉じるを繰り返す。吐息の間隔は早く、熱い。地に投げ出した肢体は倦怠感に支配されている有様。頭痛も酷く、吐き気がした。
 目を閉じる。そして開く。
 太陽の位置がずれていた。すわ何事か。熱の詰め込まれた頭を使い、理解しようとする。己は寝てしまったのだと結論を導き出すのに最低でも三回は無駄なことを考えた。
 赤らんだ顔にかかった前髪を払い、目を擦る。
 鉛のような倦怠感が離れてくれない。汗が体を濡らしている。不快だ。顔をしかめる。ひきつる頬。

 「………」

 言葉を発する余裕などなくて、虚ろな目で周囲を見遣る。焦点が安定しない。視界がぼやける。目に力を込めて無理矢理正常な映像に戻す。森、川、岩、以上。
 網の穴から小鳥が木の枝にとまっているのが見えた。手の平サイズ。焼けば美味しそうだ。
 だが、捕まえられる気がしなかった。せめて体調が万全ならと唇を噛む。傍らの水筒の蓋を開け、粘つく咥内に爽やかな清水を投入する。おいしい。乾いた体が喜ぶ。
 カモフラージュ用の覆いを退け、上半身を起こそうとした。
 眩暈がした。立ちくらみか、熱によるものか、両方ともか。ゆっくりゆっくり、身を起こす。首をまわしてみる。小気味良い音。
 息を大きく吸い込む。

 「救急車呼ぶか」

 セージは場違いなジョークで自分を励ました。笑いの代わりに咳が出た。
 そして重い体に鞭打ち、食糧と水の確保に立ち上がった。




[19099] 二十六話 渓谷の里へ
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/06/29 14:24
XXVI、



 「情けないな、転ぶなんてさ」

 セージは案の定こけた。
 先ほどまで寝ていた場所からそう離れていない場所。川の中を覗き込める岩場に行こうとして、躓き転倒したのだ。幸い、受け身に成功したので頭部を強打といった致命的なことにならずに済んだ。
 肉を食べようと思い立ち、魚を取ろうとしたらこんなことになったのだ。
 気を取り直して木の棒の先にミスリル剣を括り付け、銛を作成すると、改めて水面を覗き込んだ。
 セージはため息を吐くと、すっかり短くなってしまった右側の髪の毛を手で梳いた。毛が数本抜けた。

 「……選り取り見取りってワケないか」

 水流でぐしゃぐしゃの川には予想していたよりも魚が居なかった。
 いても小魚としか言いようがないちんけなものばかり。銛を使うよりも網を使った方がいいように思えた。カモフラージュ用のネットの使用を考慮したが、網目が大きすぎて役に立たないと瞬時に理解した。
 蜘蛛の外殻で細い銛を作っても仕留めるのは至難の業。
 釣りをしようにも虫がない。餌もない。探す気力も体力も無い。無い無い尽くしの現状では、木の実や雑草などを採取する他に生きる術がない。誰かが助けてくれるなんて思わない。誰もいないのだから。
 そもそも釣り具をするに相応しい針も作ってないし、細い糸も無い。糸は髪の毛で代用すればなんとかなりそうであるが。
 セージは一度抜いた剣を鞘に納め、おぼつかない足取りで岩場を歩き出した。

 「お、ラッキー」

 岩場にヘビイチゴのような木の実を見つけた。食べられるかどうかの確認もせず口に入れる。プチプチとした触感が美味しかったが、渋みしかない。外れだったがとにかく毟って食べる。
 今は味など気にしていられない。
 次に食べられる草を拾ってくると水でさっと洗って、魔術で熾した火で炙って食べる。ネギのような味がした。食感は髪の毛を噛んでいるようで最悪だった。
 魔術の火は、彼の精神を反映したかのように弱弱しく、蝋燭より小さかった。
 鍋が欲しいなとセージは思い、それを頭にかぶっている姿を想像した。防具としても良い線いってるのではと考えてしまうあたり、疲れている。フードの中に手を突っ込んで耳を掻いてみれば、そこも熱い。
 何より。
 セージは右腕をまくると、腫物になりつつある患部の包帯の位置を直した。
 傷口は治療魔術の甲斐もあり、ピンクのケロイド状の皮膚で覆われている。腕の傷、肩の傷、その両方を覆う包帯に血が滲むことはもう無い。
 白い絹肌が醜く歪んでいるというのに本人が意に介さないのは、根っこの部分が男性だからだろうか。髪の毛を躊躇なく引きちぎったのも、男性だったからであろうか。
 否、彼自身が慣れてしまったというのと、女性を必要とする場面が極端に少なかったことが大部分であろう。
 魂は体に引きずられるという話がある。
 しかし、女性は女性でも成長しきる前段階の幼い体。それが彼が彼であることを保ったのかもしれない。このまま成長していった場合はどうなるか、天もご存じ無いが。
 セージは袖を元の位置にやると、大きくせき込み、地面に蹲った。
 最悪の体調だった。咳をすれば喉が弾けそうになるし、頭が痛くて涙が滲む。体の熱さは尋常ではなく、平衡感覚が狂っているのか大地が常に揺れているようった。
 おまけに眼球の奥が刺されたように痛む。六時間くらいテレビ鑑賞した時並みにピントが合わせ難い。
 もはやただの風邪ではないと馬鹿でも感づく。
 これは病気だ。原因はきっと怪我に違いなかった。傷口から病原菌が侵入して体の中で戦争をおっぱじめたのだ。抵抗力が『お客さんが来たぜ』と迎え撃っている最中なのだ。
 病気を治すには、とにかく栄養を摂り、睡眠をして、体を温めるのが一番である。可能ならば薬を飲むことだ。
 しかし、栄養分のあるものを入手できない上に、薬まで手に入らないとなると、辛さは拷問並み。治療魔術も使えない。体力も精神力も限界領域に片足を踏み込んでいるのに、使いなれぬ魔術をどうして使えようか。

 「ゴホッ、ガッ……ゴホッ! つー、ぐぐ………ペッ!」

 咳が出た。口の粘り気を舌で掻き出し吐き捨てる。顔を擦り、よろめきながら立ち上がる。眩暈。たたらを踏む。
 なんでもいいから口にしなくては死ぬ。
 セージが、一歩目を踏み出そうとしたその時だ。視界の端にぬっと影が現れたのだ。亀のような鈍さで目を向けると、死の雰囲気を纏った黒毛の獣がそこにいた。
 全長2m超。体重は、どう少なく見積もってもセージの質量の5倍は以上あろうかという巨体。ふさふさと生えた黒毛はしかし、胸元だけ白い。顔はがっしりとした作り。腕と足には強靭な爪があった。
どこからどう見ても熊だった。

 「ハハハハ……」

 シリアスな笑いが零れ出た。
 涙も出てきた。脚が震えだした。ミスリルの剣を抜こうとした。右腕の痛さがそれを許さなかった。左手で抜こうとしたが、焦ってうまくいかない。
 熊が咆哮して二本足で立ち上がった。“少女”と比較して苗木と大樹程度には存在感が違った。口から唾液が飛んできて頬にかかった。
 腰の制御が恐怖に掌握されかけた。

 「ヒッ……」

 ―――死ぬ。
 未来が視えた。剣、魔術、いずれも熊に通用するわけがない。諦めに似た安堵が体を包んでいく。拒絶。神に祈ることだけはしない。絶望もしない。諦めない。
 セージがとるべき手段は一つだけだった。可能性がもっとも高いものを選ぶほかに無い。
 熊を睨みつけながらじりじりと後退していくと、岩の上に立つ。敵は一定間隔を保ったまま進んでくる。目をそらすことは絶対にしない。もし背中を見せれば食い殺される。
 岩の縁を足で確かめる。丁度良かった。
 熊は、セージを逃げ場のない場所に追い込もうとして、岩に足をかけた。

 「鮭でも食ってろ!」

 捨て台詞。
 セージは熊に中指を立て、全力で背後に跳躍し、川に飛び込んだ。清涼感が体を癒したのも一瞬だけ。

 「あぐっ!?」

 川の底に右足が接触、衝撃で関節が軋んだ。反動で川の潮流へと流れる。もみくちゃにされながら下流に運ばれていく。
 天地もわからなくなる。口、鼻から水が容赦なく侵入を果たすと、気道を占拠した。溺れ死ぬ。手足をばたつかせて安定化を狙う。服が水を吸い込み纏わりつく。呼吸が苦しい。
 途中、岩に擦って体が擦れた。
 熊はどうなった?
 俺はどうなっているのだ?
 川幅が狭いところに侵入した小さき体は、ごみのように弄ばれ、何回転もしながら浮き沈みさせられ、下流に流されていく。顔が水面に浮いたのも一瞬。数秒後には沈む。また浮くと、背中が出る。
 肺に水が入ったかもしれない。
 意識が黒で塗り潰されていく。永遠に目覚めない悪質な眠りが手招きしている。川を越えた向こうに乾いた平地。水中だというのに大地が見えるなどとおかしいと思うだけの余裕すらない。
 体を支配していた高熱が冷水で沈められたことだけは理解した。
 遥か遠くで音が聞こえた。ダーンッと爆音が響き、甲高い悲鳴が聞こえた。獣が鼻っ面を叩かれたような。空気を切り裂く音。理解不能。怒号。
 次に鼓膜を叩いたのは、誰かが飛び込む音だった。引き寄せられ、地面に上げられた。頬を叩かれる。目を開こうとしてしくじる。瞼が言うことをきかない。水を吐く。唇に柔らかいものが触れた。
 心臓の脈拍だけが頭に響いている。
 意識が遠のく。

 目を薄く開いた。何者かの顔。
 誰かの腕に抱かれているようだった。男性か、女性か、それすらわからないが、安心感があった。
 セージが完全に意識を手放す前に目撃したのは、巨大な岩が横にずれて、奥に隠した空洞を外気に晒したところだった。




[19099] 二十七話 地底
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/01 12:28
XXVII、



 無と有のスイッチが切り替わった。
 顔の前に物体があるようだ。目を使わずとも、環境音の微かな変動から察知できた。体の倦怠感や痛みは感じられなかった。不思議である。病気で死ぬか、川で水死体になるの寸前だったはずだ。
 動きが鈍い脳細胞に現状の把握をせよと命じる。
 両目を開けると、手の平があった。迎撃しようとした。怪我をしているはずの右手で掴み、捩じろうとせん。

 「おっとっと」

 やたらとかっこいい声がどこからか響いてくるや、手がもう一本伸びてきて、動きを封じられた。顔を動かす。若い男が傍らの椅子に腰かけてそこにいた。耳を見遣る。尖った特徴あるものがちゃんとついていた。
 その人物の意図は不明であるがセージの顔に手を置こうとしていたらしい。
 エルフはエルフでも怪しいやつだと視線を強くした。
 第一印象、優男。
 目鼻通った造形の顔。目は空色。白い肌。髪は銀色で、肩まで優美に垂れている。かっこいいというより、美しいと感じた。ゆったりとした民族衣装は、彼によく似合っていた。
 彼は手をぱっと放して顔の前で振ってみせた。

 「僕は敵じゃないですよ」
 「……すまなかった。俺の顔に手を置こうとしてなかった?」
 「まさか、そんなことするわけないじゃないですか」
 「なら、今俺が掴んだのは幽霊か何かなんだ」
 「さぁ……知りませんね。悪い夢でも見てたんでしょう」

 なぜはぐらかすのかはわからないが、話がこじれそうなので、とりあえず自分の格好を検めた。
 彼が着ているのと同じような民族衣装。上から下まで里を出発した時の名残は見受けられない。何気なく手を突っ込むと、中の服も変えられていた。下着にも例外はないのだろう。
 髪の毛に手をやってみれば、サラサラとした手触りが返ってきた。梳いてみても一本たりとも引っかからない。
 セージが困惑した顔をしたのを見た彼が、手鏡を渡してくれた。己の姿を映してみる。
 戦闘時に斬り落としてしまった右側と、放置するがままに伸ばし続けた左側の髪の毛は、それぞれの長さを活かして整髪されていた。
 顔も見てみる。傷が無い。汚れが無い。

 「―――? まてよ」

 服の上をはだけさせて右肩を露出させ、穴が開くほど見つめた。刺し傷も、切り傷も、魔術で修復した際にできたケロイド状の皮膚も、それどころか痕跡すら消滅していた。
 手鏡を布団の上に放り、顎に指を置いて暫し逡巡した後、あたりを見回してみた。
 岩の壁。松明があるべき場所にはランタンよろしく光る岩があった。ベッド、机、椅子、そして棚の下に己の服と思しき塊があった。ミスリルの剣も同じく発見した。
 思考の海に飛び込む準備を始めたセージに対し、彼が言葉を投げかけた。
 ただし手で顔を隠し、目をきっちり覆った状態で。

 「川で熊に襲われていたところを僕が助けました。あのままほっといたら、熊の養分になりかねないですからね」
 「そうなのか……ありがとう。さすがに死ぬかと思ったよ。どのくらい寝てた?」
 「丸一日は。本当に死にかけていたので僕たちで治療をしました。あ、体に関することは僕じゃなくて女性が担当しましたからね」

 彼は、チラッチラッと手の隙間からセージを窺うばかりで、目を合わせようともしない。若干顔も赤い。

 「ところで何で顔隠してるんだ?」
 「服を……服を着て欲しいなぁと」
 「服……? あー、そういうことか」

 セージは、彼の視線の先を追いかけてみた。服がはだけて肩と胸元が露わになっている。
 本人からすれば見られて恥ずかしい要素が何一つ無い。例え胸だろうが、お尻だろうがである。生き延びるためには裸に羞恥を感じるような神経質ではいられなかった。なにより、社会の中で女性の振る舞いの経験をほとんど積んでこなかったのだ。理解できないのも無理はない。
 だが、顔を合わせてくれないのでは進む話も進むまい。服をちゃんと着た。明後日の方角に興味深い物を見つけたらしい彼の肩を叩く。
 振り返った彼の目つきは、何とも形容しがたい感情を孕んでいた。

 「ロリコンさん、服着たぜ」
 「ろりこん? 誰ですか、それ」
 「なんでもないよ命の恩人さん。命の恩人さんじゃ長いから名前を教えてくれると助かる。ところで、丁寧な喋り方にした方がいいかな……今更だけど恩人に対する態度じゃないし」

 気分を害したなら謝ると言うと、彼は首を振った。

 「僕の名前はルエと申します。お堅いのは嫌いなので構いませんよ」
 「俺の名前はセージ。よろしく」
 「ルエって女の名前じゃないのかと思いませんでした?」
 「……いや、俺はこっちのせか……こっちの里の名前は詳しくないから」
 「とにかく、よろしく」

 二人は握手した。
 その後、セージはルエに里の案内を頼んだ。
 里の構造を大雑把に説明すると穴であり、元々ドワーフの住処だったということである。彼らは人を避けて更なる奥地に向かっていった。その後からやってきたエルフが名残を利用したらしい。
 里は川が氾濫してもいいように完全に密閉できるように作られ、地底では食糧や医薬品などになる植物の栽培が行われており、例え埋められようが、食料供給が途絶えようが生きていけるようになっているという。
 セージは、里と言うよりシェルターのようだと感慨を抱いた。
 案内の最中で、光キノコと苔があちこちにあるのに気が付き、これは持ち運びできるかと聞いてみたが、日光に弱いと言われた。なら岩はどうかと聞くと大丈夫らしいとわかった。
 しばらくしてルエが足を止めた。セージは、彼のすぐ後ろで立ち止まった。肩越しに前方を見れば、正面に巨大な空間を認めた。

 「そしてここが主縦坑です。一番下で長老がお待ちです」
 「うわぁ! ……深い」

 ルエが腕で示した先には巨大な円柱状の空洞があった。
 セージらが居る場所が空洞の頂上の位置だったのだ。手すりにしっかり掴まって下を覗き込んでみると、木と岩の歩道が螺旋を描いて地下に向かっているのが臨めた。気が遠くなりそうな高さ。高所恐怖症の者には地獄への入口であろう。
 セージは、巨大な空間を掘り抜いたドワーフの技術と労力に感嘆した。
 円柱状の地下空間の壁には穴があり、扉が存在した。他の場所への通路らしい。荷物を担いだエルフやら、子供のエルフやらが出たり入ったりしている。
 さらに目を凝らすと、光る苔とキノコが壁に生えている。松明を使わないのは空気を汚さないためなのだろうか。
 壁面や通路には金属の管が複数伸びていた。また、螺旋通路の所々に大型の滑車が設けられていた。
 ルエがよく通る美声で解説してくれた。

 「あの管は音を運ぶものです。我々の里は入り組んでいますし、穴の上の者と下の者が意思疎通するのに不便ですから、これを使います」
 「滑車は?」
 「物を運ぶものです。我々を大勢運ぶ装置も取り付けられる予定です」
 「エレベーターか……」
 「誰ですかそれ? エレベウスという先人ならいらっしゃいましたが」

 セージは、居るんだそんな名前の人と思った。
 ともあれ、この里に見学しに来たわけではないわけである。さっそく目的を切り出した。手すりを背後にするのは怖かったので、横にして立つ。

 「いいや、こっちの話。俺はこの里の長老に届けるものがあってね、死にかけてたのはそれが理由」
 「……届けるものがあるのに一人だけで、しかも馬も竜も乗らず徒歩で……ですか?」

 流石に説明が簡単すぎた。神様に殺されて異世界に来ましたと言う説明は口が裂けても言えまい。したところで頭のおかしいエルフと思われるかもしれない。誰もが長老のように理解ある人柄ではないのだ。適当な誤魔化し文句を考える。
 ルエが不審そうに眼を細めた。
 いくらなんでも子供が外の里から徒歩でやってくるのは不自然過ぎるからだ。
 己の目的と今までのことを掻い摘んで要約した内容を語らんと。

 「本当は修行の為かな。目的を果たすためには修行が必要と長老に言われてる。届け物をする修行というかなんというか」
 「そうでしたか。ところでご両親は?」
 「いや、両親は居ない」

 セージは、この世界にはな、と心の中で付け足した。
 ルエがばつの悪い顔をした。両親が亡くなったという意味で捉えたのだろう。

 「迂闊な質問をしてしまいました」
 「いいんだよ、俺は気にしない。長老のところに行くにはどうすればいい?」
 「僕が案内します。もとより、長老に連れてくるように仰せつかっていました。それに長老の建物に入るには僕の顔が必要ですからね」

 その前に。

 「部屋に渡すものを忘れてきた。戻りの道を案内してくれ」




[19099] 二十八話 試練を受けよ
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/04 01:28
XXVIII、



 「フムン……事情は把握した。巨老人の里にか……」

 その若き指導者は手紙を折りたたむと、防水加工された封筒に戻し、引出しに仕舞い、腕を組んだ。
 ここは里の最深部、長老の間。里全体の意思を統括、指示を出す中枢部。
 最初に訪れた里の長老と比べれば若造とも言える若き相貌。腰まで伸ばした銀髪。優美な仕草。銀細工を首から下げ、風変わりな眼鏡が彼の印象に知的を一筋加えている。
 名をルークと言った。
 セージが隣で畏まったルエの顔と、長老の顔を見比べた。顔のつくりがよく似ている。血がつながっているとしか思えないのだ。
 すると長老は中性的な顔に妖しい笑みを浮かべて見せた。女性のように。男性であるはずなのに、異性に見えた。

 「よく似てるだろう。何しろ私らは兄弟だからね。なぁ、弟」
 「なんですか、兄上。このような公共の場においてはいけません」
 「私だからいいのさ……と言うと老人達にクドクド怒られるわけだが……。まぁいい。手紙によると君はとある目的の為に王国に侵入したいが、いかんせん実力不足なので、里をいくつかまわることで経験を積む……と。間違いないね」
 「はい」
 「目的が何かは知らないが、尋ねないことにするよ。天から授かった使命かもしれないからね」

 殺されかけたり熱で死にかけたり食われかけたりと経験した今となっては、王国に入ることが躊躇われ、修業を積み重ねたいところだったが、とにかく頷いておいた。
 予想通り、ルークは顔を渋くした。

 「王国に侵入ともなれば死の危険が伴うぞ。いや、侵入しなくても、巨老人の里に向かうだけで死ぬ可能性もある」
 「それだけ厳しい道のりという……」
 「わけではないな。確かに厳しいが、道のりだけではない」

 ルークが口をヘの字に曲げ、ぴしゃりと言い放つと、机の上から丸まった地図を取り出すと広げた。一点を指し示し、次に赤く色が塗られた広い領域を叩く。
 手招きされた。ルエと共に歩み寄る。
 ルークは地図の赤い部分に人差し指を置くと、するする滑らせていき、示した。

 「ここが巨老人の里だ。風の噂……ウム、風の噂によると、かの里に大規模侵攻があったそうだ」
 「なんですって!」
 「安心したまえ。彼らの戦力は一万の兵も退ける。いざとなったら……君に伝えられないが、敵を全滅させる準備がある。だが君はそうはいかんだろう。人間の軍勢が攻勢を仕掛けている最中を進むわけにはいくまい」
 「本当に大丈夫なんですか? 油断していて全滅とか……」
 「我々は油断を恐れる種族だ。心配症だからね。第二の策、第三の策と安全策を講じている。他の里からの応援もかけつける。そう、君が救援に駆けつける必要はない」

 ルークは、セージが尋ねることを予想した上で先んじて答えた。十割の的中とはいかないが、大まか正解だった。
 元より救援に駆けつけるつもりはなかった。しかし、巨老人の里に向かう術が断たれてしまうのではないかということが不安を煽った。長老に言われたことを未完で終わらせるわけにはいかない。

 「長老、戦いはいつ終結するものだと思われますか」
 「一か月以内には終わるだろう。所詮、はした金で雇われた寄せ集め………ウム、戦いが終わったら行っても良しだ。それまではここで働いてもらう」

 ルークは机を手の甲でノックし、人差し指をゆらりと振ったのだった。

 「手紙にも試練を与えよとあるのでな、まずは農作業だ」

 さすがのセージも、最初の試練が農作業とは思いもしなかった。
 ルエに案内されて足を運んだ先は、里全体の食料を作る畑のような場所だった。日光が無くても育つ植物やキノコを栽培しているそうである。
 キノコの運搬、ゴミの片付け、苗床の設置、ゼンマイ状の植物の採取など、場を取り仕切るエルフの指示の元せっせせっせと働いた。食事は彼らと共にした。
 太陽と言う時間計測装置が無い為に、夜になっても働き続けようとして、お嬢ちゃんは働き者だなと感心された。お嬢ちゃんではないと反論すると、ませた子だと笑われた。
 頑張り過ぎて眠気が限界に来たところで、丁度良くルエが迎えに来た。
 ゆったりとした民族衣装ではなく、魔法使いが着るようなあずき色のローブを着込んだ彼は、妙に嬉しそうに手招きをした。
 駆け寄る元気が無くて、のろのろと近寄る。歩き出す彼の横に並ぶ。

 「セージさんの部屋を用意しましたから、今日はゆっくり休んでください」
 「明日は何をすればいい?」
 「そうですね―――……僕と一緒に外の隠蔽魔術の強化に行きましょう」
 「そんな複雑な魔術使えないぞ。火炎の剣作ったりとか、手っ取り早くブチかますだけしかできない。ン……治療魔術も使えるけどさ、いちおうってだけだ」
 「僕がやりますよ。セージさんは、僕の付添いをしてくれるだけでいいです」

 彼の隣についていくと、里について最初に目を覚ました部屋からほど近い場所に案内された。
 中を覗いてみると、こじんまりとしていながらちゃんと家具が並んでいて、装備品一式が机の上に置かれていた。とりあえず入るとベッドの上に横になる。
 泥のような眠気が頭を覆い尽くして、考えられなくなる。疲れも同調した。魂が睡眠の方角に牽引されていくようだった。
 目を擦る。

 「悪いけど眠くて………起きられなかったら起こしてくれ」
 「はい、おやすみなさい」

 ルエと目が合うこと十秒間。
 彼は、ベッドに横になったセージを見つめていたが、すっと身を引くとドアを音も無く閉めて立ち去った。
 セージは靴をだらしなくベッドの下に転がすと、前髪をぐしゃぐしゃにして布団に潜りこみ、あっという間に眠ってしまった。

 翌日。
 誰かが体を触った感覚が走った。起きない。揺さぶられている。起きない。声がかけられた。セージ、と。意識が浮かび上がった。
 目を覚ましてみると、己を見下ろす様に立っているルエが居た。ゆったりとした民族衣装ではなく、セージが旅道中で着ていた服と様式の似た服装で、背中に弓矢を背負っていた。
 彼の手が肩に置かれているところから、起こされたのだと分かった。
 室内で寝たのは久しぶりだったので、安心しきって眠りすぎたのだろうか。
 目を乱暴に擦れば、布団を跳ね除けベッドに腰掛ける体勢に移る。彼が手を引いた。大きな欠伸をしつつ髪の毛を手櫛で整える。
 セージがあいさつをすれば、彼も返してきた。

 「おはよう」
 「おはようございます。朝食を持ってきました」
 「あんがと。ちょっと支度もしたいから、待っててほしい」
 「構いませんよ。今日はこれくらいしか用事が無いので」

 キノコを焼いたのと野菜の盛り合わせ。魚。果物のジュース。どれも美味。舌なめずり。あっという間に平らげる。
 次は服を変えなくてはいけなかった。
 セージは恥ずかしがることも無く衣服を剥ぎ取ると、最初に訪れた里の長老に借り受けた旅服を着けていく。

 「わぁ!?」

 あまりに手際が良く、隠そうともしないセージに、ルエは顔を朱にして恥ずかしがり、180度体を後ろにした。
 面白いやつだなと思った。
 もちろん意図的に隠さなかったのだが。

 「こんなもん見ても面白くもなんともないだろうに。ねぇ?」
 「僕に聞かないでください!」
 「弄られ系か」
 「なんですかそれ!」

 セージは、背中だけ見える彼を少し弄ってみた。頑として背後に目をやろうとしない辺りは紳士的と言うべきなのか、それとも純情だというべきなのか。
 セージは彼をロリコン呼ばわりしたが、本当にそうだろうか?
 例えば日本でも現代の感覚で言えば子供のような女性がお産を経験する時代があったわけである。大人と子供の年齢差ではなく、子供と子供ほどにしか歳が離れていなければ恋愛の対象になっても不思議ではない。
 セージという人物は決して『鈍く』ない。行動の端から窺える感情がなにかも察した。しかし、今のところ根本的には男性を保っているが為に、まるで男友達が女性に恋しているのを傍観するような心持だった。
 理解はしているのに感覚的に馴染まない矛盾したことになっているのだ。
 最後にミスリルの剣を腰に差したセージは、彼の肩を叩き、横をすり抜けて部屋の外に出た。
 ゆらりと振り返ると、彼が部屋から出てきたところだった。

 「案内してくれよ。でも守りの戦力として計算に入れない方がいいぜ? 正規の訓練を積んだわけじゃないんだから。無手勝流もいいところなんだし」
 「それでも生き残ってきたんですから、実力はあると考えます。行きましょうか」
 「そうだな」

 セージはルエに案内されて外に出ると、里の守りを固める作業についていった。




[19099] 二十九話 地底生活と事情を持つ彼ら
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/04 01:11
XXIX、



 それからのセージの暮らしは、おおまか楽しいものだった。
 農作業はもちろんのこと、掃除、本の整理、螺旋通路の維持作業、里の光る岩の回収と配置、守りの強化、料理の手伝い、戦闘訓練など、ありとあらゆることをした。
 試練と言うより雑用に近いことばかりであったが、衣食住が保証された“少女”の苦になるはずもない。
 友達もできた。エルフだろうが人間だろうが、世界が違おうが、子供の遊びに大差はないと分かると、面白い気分になった。かけっこ、かくれんぼ、ごっこ遊びなど、童心に帰って遊んだ。
 何せ体は子供である。振る舞いも子供にして、心も子供に戻せば楽しいことこの上ない。
 セージの一日は、仕事をして、遊んで、日の最後に迎えに来るルエに部屋に連れて行って貰い眠るという規則正しい生活であった。
 最初に訪れた里で暮らした時と同じくして楽しかった。
 そしてわかってしまうのだ、暮らせば暮らすほどにこの世界に対する執着心が芽生え始めていると。もし神の背中に刃を突き立てる機会が巡ってきたとして、その時には元の世界に戻りたくないと思っているかもしれない。
 いっそ、第二の人生を与えられたのだと割り切って、新たな命を全うすることもいいだろう。
 だが、心に誓った一文が元の世界への帰還を促してくるのだ。諦められなかった。何のために地に這いつくばってここまでやってきたのか分からなくなるではないか。
 諦められない原因の一つが元の世界に帰還する手段が残されているということであろう。もしもそれすら不可能であったなら、どうなるかは誰にもわからない。
 
 セージは地底湖の美しさに見惚れていた。
 ドワーフが作ったという空洞の最下層部に位置する場所に、現実のものとは思えない幻想的な光景が広がっていた。
 その空間は広く、深く、そして神秘を孕んでいた。
 空気は冷たく、塵の一かけらも感じない。
 天然ものの光キノコや苔が淡い光を供給し、広大な水面を青く色づかせていた。水は透き通り、あたかも存在しないかのように振る舞うほど、純粋であった。
 何千年、何万年、何十万年という永き時をかけて溶けだした岩が、まるでつららのように天蓋からぶら下がっている。
 水面と陸地の境界線には『危険』『足元注意』『泳げぬ者は近寄るべからず』という物々しい看板が立っており、かなり大きい光る岩の照明具が辺りを照らしていた。
 地底湖の奥に向かう桟橋があり、小舟が係留されていた。
 “少女”は、その桟橋の端っこに仰向けで寝転がっているのだった。腕枕にてリラックスしきっている。そっと呟く。
 
 「すげぇなぁ……」

 セージの視線の先に広がっている光景は、暗黒と光の織り成す造形美だった。
 黄色い光のキノコや苔とは違った、涼しい青い光を放つ小石があちこちに埋没している。それらは乱交し、暗闇と混じり合うことで星のように煌めくのだった。光の淡い部位はまるで銀河の星々だった。
 桟橋の下を覗き込めば、趣の異なる美しさがあった。
 天蓋の光が侵入した結果、水が青き色合いを醸し出している。眼下には、切り立った岩山を丸ごと持ってきたような空間があった。とても、水があるとは思えぬまでに透き通り、底の底までを見せてくれる。底は、深すぎて霞みがかっていた。
 身を乗り出し、セイレーンに魅入られた船乗りのように見つめ続ける。
 垂れ下がった石の先端から水が落ちた。水面に付くや、重力と表面張力に従って一度凹みを作り、再び水の粒を大気中に投げ、やがて落ちる。波紋が円形となり伝播すれば、地底湖に動きが生まれた。
 水面と言う境界が揺れ動き、光の幕がため息をついた。
 そっと手を伸ばす。触れる。冷たく、心地よい。体のくだらない熱が吸い込まれていく。かき回す。乱れる水面と、乱れる光。一口飲む。おいしい。
 この地底湖を知ったのはつい先日のことだ。
 エルフの一人に生活用水は川の水を取り込んでいるかと尋ねてみると、湖のを使っていると言われた。場所を尋ねると教えてくれたのでやってきたという寸法である。
 ふと、セージは足音を聞いた。
 上半身を起こすと、桟橋に座った。

 「ここにいましたか。そろそろ寝る時間ですよ」
 「ルエ。精霊が居ないんだけど」
 
 ルエがあずき色のローブを着込んで登場した。
彼は桟橋の真ん中をするすると歩んできた。セージと同じく湖に目をやり、そして隣に座った。

「精霊は居るらしいというだけです。期待していては、出るものもでませんよ」
「どんな感じなの? 羽とか生えてたりすんのか」
「光の球という話も、蝶という話もあります。一概にこれと断言できる形をしていないそうです」
「フーン……」

 ルエはそこまで語ると、視線をゆっくりとずらしてセージに向けた。幼いながらも厳しい体験を積んできた横顔は、彼の主観では風景よりも美しかった。
 ――まただった。
 ルエの目つきが完全に恋する男のそれになっているのである。気が付かない振りをするしかない。男であるためには、男と付き合うことなどできやしないのだ。
 第一である。“少女”の現代的な考え方からすれば、彼はロリコンである。無論、この異世界の考え方や文化を理解しているので、ロリコンではないと分かっている。しかし、ロリコンでないのかと思ってしまう。コミカルな意味で思ったのではない。まじめな意味で思ったのだ。
 客観的な視点で考察する。
 彼は、ボロボロの美少女を助けた。今にも死にそうなところを、間一髪で救った。記憶が正しければ人工呼吸もされた。これは吊り橋効果の亜種ではないのか。
 考えれば考えるほど迷宮を堂々巡りしてしまうので、考えるのを止めた。
 セージは立ち上がると、伸びをした。薄い胸がぐっと反る。

 「よーし、寝よう!」
 「そうですね、早く寝なくては明日に差支えます」

 二人は連れ立って部屋に戻った。
 その最中に、セージは頼みごとをした。
 翌日から二人は一緒に狩りに出かけることになった。

 一方その頃。
 頭を悩ませる男がいた。

 「フム……」

 長老の間で、ルークは熟考していた。顎に手を置き、腰まで伸びた髪の毛を口元で弄りつつ、本棚の前をうろつく。
 考え事の内容は多数あったが、中でも大きい割合を占めていたのが弟のことだった。
 弟――ルエはとにかく奥手で、女性を前にすると尻込みして交際を申し込むことができない。
 ところが、外からやってきた子だけは別だった。まるで友人のように――否、友人以上に親しく接しているのだ。
 もちろんルークとて、セージが婚姻には早すぎることは理解している。
 だが、やがて時が経てば成長するわけである。大人になれば結婚もできる。子供も産める。
 かつてのように里同士が自由に交流できた時代ならまだしも、現在のようにエルフ狩りが奨励される殺伐とした世の中では、里の中に引きこもる他に無い。
 里同士でエルフの行き交いが無いわけではない。ある程度はある。しかし、最盛期と比較すれば少なすぎる。人間の攻勢が強まれば里は完全閉鎖されるだろう。
 ルークが危惧していたのは、血が近しいもの同士が子供を授かることであった。閉鎖的にならざるを得ない現実では、血統の問題は解決しがたいことである。
 エルフの古き知恵で、血の近しい者同士の間には病弱な子しか生まれないとある。
 十年二十年ならまだしも、数百年と迫害が続けばどうなるかは分からないではないか。
 セージの来訪は気弱な弟に妻をという問題と、血の問題を解決(完全にではないが)する有効な手段だったのだ。
 セージは『王国』に向かいたいと言っていた。巨老人の里の戦が終われば直ちに出発してしまう。強制的に繋ぎ止めるのは、ルークの信条に触れる。
 情報を何年もの間に渡って制御することでセージを外に出させない案も考えたが、却下した。情報は漏れるもの。いずれ知られるのが目に見えていた。
 要するに、ルークの力ではセージを里に永住させることはできないのだった。

 「何があの若者を駆り立てるのやら……」

 ルークは前髪を指で払うと、ため息をついた。




[19099] 三十話 戦闘とコーヒー
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/05 20:36
XXX、



 一斉射出した火の球は、ことごとく風の翼によって叩き落とされた。
 背中から生えた力が、卵を抱く母鳥の翼のように外敵を寄せ付けない。
 セージは、その魔術の硬さに舌を巻いた。
 翼の持ち主は、信じられないまでの集中力を持って翼を操作すれば、重力を無視した空中浮遊をやってのけた。実戦であれば高空から魔術爆撃を仕掛けられるであろう。

 「僕は攻撃的なことは得意じゃないんです。代わりに守ることは誰にも負けません」
 「かっこつけちゃって! 〝火炎放射〟!」

 天井付近まで上昇したルエに対し、セージは問答無用とばかりに火炎の奔流を投げつけた。

 「〝守れ〟」

 ルエが詠唱した。
 可視化した風の翼がはためき、横薙ぎの暴風が彼の体を覆い隠した。火炎は勢いを削がれ宙で消えていく運命だったはずが、吸い込まれた。そしてあろうことか竜巻に形態を変えた風を着色しだした。
 己の放った火炎が、ルエの体を中心に発生した竜巻を火炎竜巻に昇華させてしまったのだ。
 力の制御を探ってみれば、ルエのものだった。
 流石に火炎旋風で防御をすればのっぴきならぬ被害が出る。火炎は萎んでいき、普通の風に変化した。
 ルエは、ふっとため息を吐いた。
 セージが、むっとした面持ちになった。

 「力押しでは勝てません」
 「なら、推し通る!」

 問答の内容は噛み合わない。噛み合わせるつもりがない。
 セージが距離を詰めんと地を駆けた。遠距離攻撃を何度試して防がれるなら、接近戦に移行するしか手が無い。
 手を翳し、呪文を紡ぐ。

 「〝火炎剣〟!」

 瞬時、火炎の渦が手から出現するや、長大な一本の剣となりて握られた。それは剣というには巨大かつ無骨で、巨人が振るう棍棒のようだった。イメージが追い付かないのが原因で密度が低い。
 対空攻撃、かつ近接となれば、剣を巨大にして斬りかかるしかない。
 天井スレスレに伸長したそれを目一杯振りかぶり、跳躍を込めて叩き込まん。

 「なんと!」

 ルエが驚愕の声を上げて一撃を受け止めた。焦りの色が浮かんだものの、翼の守りは健在。それどころか、剣の表面を削り取っているのだ。
 剣の構成が解けつつあるのを感じ、一度身を引けば、突く。線の攻撃が通用しないのならば、点の攻撃で貫けばいいと発想を変えた。
 ――だが、それすらも風の防護を破壊するに足りなかった。
 切っ先は風の翼に阻まれ、一寸も前進せず。いくら押しても通らない。まるで鉄板にフォークを突き刺そうとしているようだと錯覚するほどに、硬い。
 火炎の剣が大根おろしにされているのだ。
 触れる先から風の威力に粉砕されて、勢いを失っていくのだ。
 次の攻撃を考えるより早く、ルエの言葉が迸った。世界が変動。翼が羽ばたいた。途端に訓練場を総なめにする突風が吹き荒れた。
 台風を濃縮した風があるとすれば、これだ。

 「わ、わ、わぁぁぁぁぁ!?」

 セージの悲鳴が上がる。
 目も開けていられない。魔術の維持も無理だった。消える火炎剣。抵抗する間も与えられず、足が地面から離れ、空中で独楽にされた。
 世界が廻る。三半規管がもう許してと泣き叫んでいる。悲鳴の音源がぐるんぐるん移動して円を描いた。メリーゴーランドはあっけない終わりを迎える。すなわち、停止という形をもって。
 風が止んだ。重力という理に抗えなくなった小さき体は地面に転がった。
 ぴくりとも動かない。
 ルエ、やり過ぎたかと顔色を変えた。歩み寄ってみた。セージが震えている。拳で地を叩き始めた。何事かと、恐る恐る尋ねん。

 「大丈夫ですか……?」
 「なんてことを……うぇぇぇぇ吐く…………」
 「ご、ごめんなさい! つい……」

 セージが地面でうつ伏せのまま、ぜーぜーと呻いていた。過度に回されたことで胃の内容物が逆流するところだったのだ。
 セージは、暫しの間、ルエに背中を擦られていた。
 彼と彼女がやっていたのは模擬戦闘であり、本気で殺し合っていたわけではない。だが、少々やり過ぎた。
 やっと立てるようになったころには、戦闘の熱も冷めきっていた。
 体の機能を確かめるように立ち上がる。

 「ふぅー………俺ってルエに勝ったことねーな……」
 「年齢差を考慮すれば当たり前ですよ」
 「修羅場は潜り抜けてきたんだけどな……奇襲とか不意打ち待ち伏せならともかく、真正面からじゃこんなもんなのか」

 セージは、今まで経験してきた戦いを思い出して呟いた。
 蜘蛛の時は、真正面から戦って死にかけた。ヴィヴィと正面から戦った時、ボコボコにされた。アネットと正面から戦った時、投げられまくった。
 勝利した戦いはいずれも奇襲や目つぶしなど、背中に蹴りを入れるような手段をとったことが勝因だった。
 身も蓋も無い言い方をすれば、セージは正面から戦うと負けてしまうのだ。
 たかが女の子の力などその程度なものだ。
 呟きに対し、ルエが首を振ってくれた。

 「まだ若いですから、成長の余地はありますよ」
 「ルエ、年寄みたいなこと言っちゃって」

 ルエは、この里で時間を重ねましょうと言う歯の浮くような台詞を嚥下した。
 その日、二人は訓練を重ねた。
 翌日は良いお日柄だった。

 「……コーヒー……」

 セージは水車の回転をぼんやりと見つめながら、ぽつりと言葉を漏らした。
 ここは渓谷の里の畑。小麦やそのほか太陽を必要とする植物は、地上で育てているのだ。物理と魔術を組み合わせ隠蔽されているため、簡単に発見できないようになっている。
 水車の回転は一定で、見つめていると眠気を催してしまうようだったが、考え事するにうってつけなオブジェクトでもあった。
 コーヒー。小難しいことを抜きにすれば、コーヒー豆の煎り汁である。豆さえ手に入れば作るのは簡単である。手に入れば。
 ある日、突然コーヒーが飲みたくなったので里中を駆け回った。
 異世界においてコーヒーなるものが発明されたことはないらしく、里の住民らに説明しても首を傾げるばかりだった。豆と言う豆を片っ端から加工しても渋いだけの汁が出るだけだった。
 試行錯誤の末、いくつかの豆を組み合わせることでコーヒーもどきを作ることに成功したが、似ているのは色合いだけという代物だった。
 諦めよう諦めようとしても、一度飲みたいと思うと、諦められなくなるのだ。
 セージは深く息を吸いこみ、仰向けになった。蒼天。小鳥。羽虫。水車が臼を打つ音。かぱぽこかぱぽこ。傍らの草を千切って草笛を作る。ピュー。捨てる。

 「ん?」

 セージは次の草をむしろうと手を伸ばした。失敗したので、顔を傾けた。黄色い花。タンポポに似た可憐な花が健気に咲いていた。
 タンポポのようなだけで、別の花かもしれないが、関係ない。

 「…………………それだ!!」

 ぱっと顔に花が咲いた。
 セージは夢中になって、タンポポを集めた。花弁ではない。根を集めるのだ。
 一応、里の人に『これは毒があるか』を聞いてまわって安全性を確認すれば、根を乾燥させる作業が始まった。里の外で天日干しにした。干した根を前にしてニヤニヤしてしまったのは秘密である。
 乾燥したら、部屋に持ち帰って加工し、布を使って汁をとる。
 みるみる内に黒い液体が出来上がった。

 「妙なにおいですね」
 「んー?」

 セージの部屋の机の上にて、二人が作業をしている。
 今日はやることがあるから訓練は無しとルエに伝えたところ、興味があると言われたので、一緒に作ったのだ。
 セージは黒々とした液がなみなみ注がれたカップをとり、一口飲んだ。芳醇な香りが鼻を通り抜けた。ほっと息を吐いた。現代文明の味がした。砂糖とミルクがあればパーフェクトだった。
 全部飲んでしまってもよかったが、物欲しそうな顔をしたルエに半分あげることにした。カップを渡す。
 彼は一口飲み、二口目で眉に皺を寄せ、三口目で唇を離した。カップの中身はほとんど減っていない。ずいとカップを返された。

 「……これは、なんのお薬なんですか」
 「薬じゃないよ。えー……俺の生まれたところの……嗜好品? ってやつ」
 「……嗜好品……ですって……」
 「うん。砂糖と牛のお乳を入れて飲むと味が優しくなるんだ」
 「……」

 ルエが絶句しているのを肴にコーヒーを啜る。
 明日は蜂蜜と牛のお乳を探さなきゃと考えたのだった。

 そして、セージが渓谷の里にやって来てから数えて約一か月後。巨老人の里の戦いが終結したと報告があった。









~~~~~~~~~~~

エタりたくなってきた



[19099] 三十一話 さらば渓谷の里
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/06 12:22
XXXI、



 巨老人の里の戦いが終わった!
 その知らせはたちまちのうちに口から口へのネットワークを伝播して里中に伝わった。
 エルフの里では、人間の街にスパイを放っており、それにより情報を得ることができている。数で劣るのであれば相手の行動をいち早く察知しなくては生き残れない。長老の言う風の噂と言うのはあくまでぼかした表現である。
 情報は、セージの耳にも届いた。
 セージはすぐさま長老の元に急いだ。
 長老の間に入ろうとしたが、入れて貰えなかった。ルエを連れてこなくてはいけないとわかり、里中を駆けずりまわった。気持ちが逸って転んだ。慌てて立ち上がると目的の人物が手を差し伸べてきていた。行幸。
 彼は不思議そうな顔をしていた。

 「いかがなさいましたか」

 ルエの手を握って立ち上がり、そのままぐいぐいと長老の間に引っ張っていく。
 
 「ルエ! ルエ! 巨老人の里の戦いが終わったってさ!」
 「引っ張らないでくださいよ!」
 「長老のところに里を出る許可を貰いに行くんだ!」

 ルエの顔は、セージの顔に反して暗かった。


 長老の間。
 ルークは仕事でクタクタだった。戦争の情勢はもちろん、かの里の被害、経過、周囲の反応、自分の里はどうするかの通達、それにかかる労力の算出、防衛、一般業務を一晩で処理するのだ。
 基本的に、里の運用で重要でないことは部下が処理してくれるが、事が戦争絡みとなると彼がやらねばならない。
 以上の情報を纏め、里の知識人らの集う会議で議論を重ねるのだ。
 ルークは有能であるが、専門家ではない。食糧、医療、技術など、各分野の識者に判断してもらわなければ決定できないこともある。
 やっと仕事が終わって、水で喉を潤しつつ古文書に目を通していたところ、来訪者があった。予想はできていた。係りの者に通す様に言う。

 「長老!」

 扉が係りのものに開けられて、イの一番に現れたのは、予想に反せずセージだった。すぐ後ろには不満そうなルエも一緒だった。二人に話すべき事柄があったので、同時に伝えることができそうだった。
 ルークは古文書にしおりを挟むと、横に退けた。長い指を組み合わせ、口元を隠す。

 「フム……やはり君か。来ると思っていたよ。巨老人の里の戦が終わった」
 「では!」
 「君の使命を遮るものはなにもないということだ。私の与えた仕事もちゃんとこなしてくれたしね」
 「はい! 俺は巨老人の里に行きます」
 「本当に行くのか?」
 
 ルークは、嬉しそうな様子のセージに対し、重苦しい声で確認を取らんとした。最終確認ではない。考え直してくれないか期待したのだ。
 だが、セージの答えは決まっていた。

 「行きます。より王国に近い里なら手がかりを得られるかもしれないですし」
 「………無茶はするなよ」
 「安心してください。王国にいきなり侵入するようなまねは、しません」

 セージが真面目な顔を作り、神妙に頷いた。現実の辛さを辛さではなく運の良さと都合のいい解釈をしていたころと違って、下手すれば死ぬとちゃんと認識しているのだから。
 それでも旅に出るのは、王国の技術を盗むにはより近い位置に行った方がいいし、実力を養えるからである。
 本当のところは、この世界への執着と、元の世界への執着がせめぎ合うことで生まれる焦燥感がそうさせているのだろうが。
 いずれにせよ、最初の里の長老の依頼を完遂しなくてはならない以上、いつまでも渓谷の里に滞在するわけにはいかない。ミスリルの剣と手紙を己の足で運ばなくてはいけないのだ。
 ルークの目がここではないどこかを見た。二つ名の由来になった巨体を持つ戦士の姿を思い出しているのだろうか。

 「巨老人は戦いに優れた男だ。私の知る限り、もっとも強い。彼に鍛えて貰うといい」
 「わかりました。感謝します」

 セージが頭を下げた。
 セージは知る由もなかったが、ルークは一つの思惑を抱いていた。巨老人という者の性質と思想についてだ。それが今もあるのであれば、セージは王国に行こうに行けなくなるだろうと。“徹底的に”鍛えて貰えるだろうと。
 誰かがどこかで無謀を止めなければ、絶望に変り果てるのが目に見えていたから。
 壁によじ登って転落死する前に、誰かが後ろから止めてあげなくてはならない。最初セージが訪れた里の長老にはできなかった。ルークにもできなかった。だが、巨老人ならばできる。
 ルークには確信があった。そして、それが起こるべき場所は、より戦場に近い場所であるべきだと考えていた。
 彼女が最初訪れた里の長老が巨老人の里を指定したのも、それが理由ではないか。

 「兄上!」

 その時だった。
 ルエがガラになく大声を張り上げると、一歩前に進み出たのだ。決意に満ち溢れた様が見て取れた。きゅっとむすばった唇が、今にも破裂しそうだった。
 
 「なんだ、弟。公の場では長老と呼ぶようにと言ったのはお前さんじゃないか」
 「僕もセージについていきます!」

 ルエは驚きを隠せないセージを一瞥すると、己の決断をぶちまけた。
 危険なところに旅立つのを笑って許せるほど冷血でもなければ、阿呆でもないのだ。特に好意を抱いていればなおさらだった。
 だが、ルークはまるで相手にならんと首を振った。

 「駄目だ」
 「どうして!」
 「まぁ……落ち着け、血のつながった同胞よ。お前の立場を弁えろ。私は彼女の出発を認めたが、お前の出発を認めた覚えはない」
 「ですか!」

 なおも食い下がるルエを、ルークは長老として断じなくてはならなかった。
 若さゆえの勢いで飛び出されては困るのだ。幸いなことにセージと違って他の里の長老の手紙による指示も無いことだし、止めることができる。
 手をひらりとさせ、首を横に大きく振った。

 「お前の言わんとしていることはわかる。タテマエも、ホンネも、私は理解しているつもりだ。ここは引け。お前には彼女の旅立ちを見送ることを命じる」
 「………わかり、ました」

 ルエは苦悩に顔を歪めながらも、頷いた。
 セージは長老の間を出る前に握手をした。ルークが意味深なことを言ったが、その時は意味がわからなかった。その時は。
 ただ、男ながら女性に言う台詞じゃないと思った。

 「―――さらばだ幼き者。再び会う時は美人になれよ」

 準備はそう時間のかかるものではなかった。元からの装備を身に着けて、保存食や便利な道具などをしまった。食事をして、水浴びをして、里の出入り口である岩の前まで行く。
 ルエの呪文により、岩は自動ドアのように横に滑った。
 外の世界が一気に広がった。青い空。川の音。木々の海。守衛の人があいさつをしてきたので、あいさつで返した。
 セージは振り返った。ルエが立っていた。今にも涙が零れそうな目つきがあった。彼は憂い、悲しみ、不安、それらの感情を処理できず、爆発寸前だった。
 できるのならば共についていきたかった。
 しかし、長老たる兄の言葉は絶対的な力を有しており、逆らうことは許されなかった。
 たった一人のわがままで里の規律を破ることは、できない。

 「気を付けて……」

 だからルエは体の震えを止められずに、抑揚のない言葉を投げかけることで精一杯だった。
 セージは、彼の両手を握った。
 温かく、自分の手より大きくて骨っぽい。

 「俺は死なない。死ぬもんか。それにちょっとお使い行ってくるだけだし、大丈夫さ」
 「……死んだら許しませんよ」
 「必ず戻ってくる」
 「いつまでも……待ってます」

 似たようなことを去り際に言われたな。セージは思った。
 未練が残る前に手をぎゅっと握れば、身を翻して里の外に出た。新鮮な空気。太陽の光が目に痛い。装備を確かめる。全て良し。いざ行かん。

 「じゃーな!」

 セージは振り返らず、歩き出した。
 背後で岩が閉まる振動を感じても振り返らなかった。
 地図を広げる。巨老人の里までは約一か月の道のり。里に到着したら、王国の情勢を探らなくてはいけない。唯一見つけた手がかりに近寄るためには、進まなくてはいけない。
 “少女”は、やがて森に紛れて消えた。









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次回分は遅くなるかと…
忙しくなるので



[19099] 三十二話 襲撃
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/08 15:12
XXXII、


 結局、予定は狂った。一週間の行程は迷ったことにより二週間に伸びた。急いでいないとはいえ、安全な里に辿り着くまでの無駄な時間は少なくしたい。
 森を抜けた後は地平線の彼方まで続く草原を歩く。天から落ちたかのような地面に直立した岩があちこちにあり、方向を見定めるのに利用できた。
 食料は野鳥や兎を狩ることで賄えた。野生の犬を殺して食べたこともあった。“少女”は動物を殺すのに何の抵抗も感じなくなっていたのだ。
 雑草の調理には里で貰った携帯調理道具――鉄鍋――が役にたった。熱を通すだけでも草は柔らかく食べやすくなるものなのだ。自己防衛上の観点から頭に被ることも検討したが、フードと干渉するのでやめておいた。
 朝、昼と歩いて、夕方になれば寝処を探し、夜は寝る。
 里近くまでは比較的平和で、何事も無く旅が進行した。人間に見つかることもなく、怪我も無かった。
 問題は里に近づくにつれて人間の数がうなぎ昇りになり始めたということだった。

 「………」

 人影を見つけたセージは、無生物になりきることを選んだ。草むらで息を殺し、発見される可能性を軽減するべく匍匐体勢にて前方をじっと観察していた。鼻先に蠅がとまって暢気に足を擦り合わせようが動じない。
 眼帯をした男、腕を包帯で巻いた男、疲れ切った顔で頭を抱える男の三人が草原のど真ん中で焚火をしていた。
 いずれも武装しており、一般人以上に鍛えられた体であった。兵士だろうか。それにしてはたった三人で行動するのは不自然ではなかろうか。
 一つ、当て嵌まる事柄があった。
 彼らは巨老人の里の戦いに投入されたお雇いの兵士ではないだろうか?
 彼らは戦いが終わったので戦線から離れたのではと推測した。負傷しているのも、疲労しているのも、戦いと旅からもたらされたことだと考えればしっくりとくる。
 お雇い兵士の給料事情は分からないが、条件が『勝利』だったとすると、一文も貰えなかったであろう。巨老人の里は人間側の攻勢を跳ね返したのだから。
 だがセージは、『ざまぁみやがれ』という愉快な気持ちにはなれなかった。人間は人間でも彼らお雇い兵士は半ば強制的に戦いの場に放り込まれたと聞いたからである。植民地とした国から兵力を格安で吸い上げ、敵にぶつけて双方を消耗させる。植民地は反乱する余力を失い、敵は戦力を摩耗していく。だから戦いは勝つ必要などないのである。戦えば戦うほど得をするのは王国なのだから。
 元の世界の列強がやったように、『戦いに参加すれば独立を認めてやってもいい』と唆せば、剣をとり、王国の犬になるものもいるであろう。植民地が王国の兵力と換算されるだけというのに。
 セージは、眼帯の男が泣きはじめたのを目にし、なんて嫌な時代に転生してくれたものだと満月が居座る空を睨みつけた。包帯を巻いた男が瓶を無言で差し出した。眼帯は、一気に飲み干すと、顔を覆った。
 彼らは悲しみと疲労で身動きもろくに出来ないように思われ、注意も散漫なようだった。死角と暗闇を利用すれば通り抜けることができそうであった。
 彼らが居るということは他の兵士も居る可能性があった。モタモタしているわけにはいかない。早く離れなくてはならなかったのだ。
 止むを得ない。大回りして避けるしかない。幸い、辺りは起伏ある草原であり、身を低くして行けばよかった。
 セージは月が雲で隠れるのを待ち、闇が濃くなったのを見計らってその場を後にした。

 里に近づけば近づくほど、人間を発見することが多くなってきた。
 こちらから見えるということは、向こう側からも見えるということである。フードで耳が隠されているが、強盗の類は人間だろうがエルフだろうが関係ないであろう。リスクを避けるには人目に付かないのが一番なのだ。
 大きく迂回するルートを選択し、湿原地帯を通ることにした。
 それが失敗だったとは、この段階で予測できなかったのだが。

 最初の違和感はにおいだ。
 泥や草の香りに混じるはずの無い異臭が立ち込めている。生臭い。鼻をすんすんさせて情報を拾う。脳が俄かに熱くなった。答えに繋がる糸を掴んだのだ。

 「……血?」

 それは血のにおいだった。
 湿原地帯の真っただ中で血のにおいが漂っているのだ。動物がいるのかもしれない。新鮮ならばおこぼれに預かれる。肉食動物の存在も危惧すべきであろうが、ひとまず情報を集めなくては話にならない。
 葦を掻き分け、湿原の最中にぽつりとあった乾いた足場に辿り着けば、木に登ってみた。
 上から探す。コストパフォーマンスに優れた手段。
 木の枝を右手で保持し、体重を外側にやれば全周を眺めた。群れ成す葦やら草やらの大地に血のにおいの根源を見つけることはできなかった。視線を遮る物があり過ぎたのだ。
 ――燃やしてしまえ。
 セージの頭に悪魔の囁きが舞い降りるも、回し蹴りで撃退せん。木から降りようと、左手で枝を掴む。枝が鳴き声を上げた。折れる。体勢が揺らいだ。咄嗟に足を幹に絡ませた。
 刹那、葦の草原に殺意が生まれた。
 パッ、と葦が散った。鉄製のそれが空間を一直線に飛び、セージの頭部から数cmのところの幹に突き刺さった。
 脊髄反射的に木から飛び降りた。
 コンマ数秒後、新たな矢が体を掠めた。服に切れ目が走った。地に叩きつけられ、受け身もとれず、痛さを味わった。咥内が切れた。血を唾液に混じって吐けば、木の後ろに身を滑り込ません。
 
 「襲撃……!」

 セージの顔が引き攣る。
 矢による狙撃。もし枝が折れそうにならなかったら、木に磔にされていた。ミスリルの剣を抜き放ち木の陰から出し、艶やかな表面に風景を映し、様子を窺った。葉っぱしか視認できず。
 木の陰から身を出せば死ぬ。
 相手にはこちらが見えているのに、こちらから相手は見えていない。
 矢を迎撃する手段を、セージはいまだ有していない。剣で打ち払う技量も、魔術で守る技術も、無いのだ。
 かくなる上は逃走である。
 勝てぬのなら、逃げる。意地を張るつもりも、殺し合うつもりも無い。恥も捨てよう。命には代えられぬ。
 幸いなことに、湿原には嫌になるほどの草が生い茂っている。木の周囲も同じくして草だらけ。狙撃を一射でも躱せたのならば、相手の視界から消え去ることができた。
 時間の猶予はない。
 のんびりしていたら、相手が狙撃位置を変えてしまう。
 躊躇は一瞬だった。セージは、相手がいたと思われる位置を基準に、木を間に挟む形で射線を遮るように駆け、素早く草の中に転がった。
 草を握りしめる。緑の汁が付着した。
 
 「どうした? 好都合だけど、不気味だ……」

 なぜか狙撃が無かった。首を傾げる。
 セージは考えることを後回しにした。三十六計逃げるにしかず。後ろを振り返ったのも一瞬、草の根を踏まぬよう痕跡を残さないよう気を配りながら、走った。己の立てる音が、襲撃者の追跡に聞こえて首筋が寒くなった。
 立ち止まる。音は無い。勘違いのようだった。
 再び駆けだそうとして、あろうことか足をとられて転んでしまった。なんてありきたりな。自分に腹が立つ。フードの上から髪の毛を掻きむしりながら、姿勢を起こし、それを確かめた。

 「なんだ……これ……」

 セージは絶句した。ミスリルの剣を握る手が白くなった。
 それは真新しい人の死体だった。
 三人の兵士らしき男が血を流して事切れている。異常なのは、あるべき剣や装備品が根こそぎ消えているということ。確信した。敵は物取りだと。
 死体を詳しく検分する暇はない。
 だが、他に気が付いた点があった。兵士の鎧に見覚えがあったのだ。皮を鉄で補強したそれは、焚火を囲んでいた兵士らの鎧と様式がよく似ていた。顔は似ても似つかぬ別人だったが。
 
 「!?」

 草がざわめいた。何者かが接近してきている。疾風のように速い。音源は既に背後にあった。総毛立った。ミスリルの剣を、体のひねりに合わせて振り回さん。
 葦の数本が半ばから断ち切られ舞った。ミスリル剣の動作に一拍遅れて、草の中から小柄な影が飛び出した。それは甲高い声を上げながら剣を突き出してきたのだった。
 体の回避が間に合わず、頭だけで躱す羽目になった。
 心臓が縮こまる。

 「死ねぇぇ!」
 「くぅっ!」

 切っ先が頬を掠めた。血粒が背後に飛ぶ。勢い余った相手と抱き合うような格好になった。
 剣は己の背後。躊躇したら、首を貫かれる。鼻先触れ合う至近距離。頭突きをかます。よろめく相手の腹に前蹴り――ヤクザキックをお見舞いしてやった。堅い感触。服の内にプレートか。
 セージと敵対者の距離が離れた。
 一斉に剣と剣が振り被られ、半ばで衝突、火花を散らす。歯ぎしり。半歩後退。
 二人はほぼ同時に叫んだ。

 「エルフ!?」
 「子供!?」

 相手の姿をまじかで確かめた。ボーイッシュな顔立ちの女の子だった。容姿こそ幼かったが、装備品は弓に剣に血濡れのナイフと、物騒極まりなかった。
 いつの間にかフードがずれ落ちていた。耳が表になり、エルフであることを相手に知られてしまった。隠すことは無意味だった。ミスリル剣を両手で握り、切っ先を相手の顔面に向けた。

 ――この子は生かしておけない。



[19099] 三十三話 殺し合い
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/13 00:11
XXXIII、



 “少女”の日常は現代社会から比べれば波乱に満ちたことばかりであった。草を口にし、獣の肉を食らい、熱病に浮かされ、夜中に平原を駆けずり回る。だが、いずれもサバイバルという意味での波乱であり、バトルという意味の波乱はさほど無かったと言える。
 そう、無かったのだ。
 人と命のやり取りをするような波乱は、ほとんど。
 己に暴行を加えんとした男を殺害したことを除けば、己の意思で殺そうと思ったことは一度だってなかった。避け、退け、ひたすらに逃げてきた。
 だが、今は違った。
 己の意思で殺そうと思った。目的を達成する障害物として殺そうと思った。
 相手が殺しに来たから殺し返すのではなく、邪魔だから殺そうと思ったのだ。エルフが里を離れてほっつき歩いているという情報を漏らされては、今後に支障が出る。隠蔽するに相応しい方法として選んだのが殺害だっただけのことだ。
 というのもタテマエなのかもしれない。
 本当に冷酷な判断にて殺害を選択したのであれば、手足の震えと汗の量が増えたりしないのだから。
 言うまでもないが覚悟などできているはずもない。

 「この!」

 単純な突きを繰り出す。顔面狙いの素直な一撃を、相手は後退することで躱した。
 剣を引かれる前に、女の子はこれまた顔面狙いの横薙ぎを実行した。
 上半身を反らす。首筋を掠める。脳裏に過る血しぶきに漏らしそうになる。踏みとどまり、すかさずミスリル剣をがむしゃらに振らん。
 剣による迎撃がミスリルの体を抱き留め、鍔迫り合いが発生した。力と力が鬩ぎ合う。ミスリルの強度も、こうなっては意味を成さない。しかも腕力が拮抗しているとあれば、状況はどん詰まる。
 噛み付ける距離に顔と顔があった。
 どちらも相手を殺そうと鬼のような形相をしているので、見るに見耐えないが。

 「エルフ……! お前を捕えて売れば、私はこんなことしないで済むんだ!」

 女の子は眼前のエルフを捕まえる宣言をしておきながら、隙あらば殺害せんと剣を押す。本来なら殺すつもりはなかったが、戦闘に突入してしまい殺す以外の選択肢を失ったのだろうか。
 エルフは一般に殺すべきとされているが、一方で“価値”が高い。先天的魔術特性もそうであるが、寿命が長く、それ自体が魔術の素材として利用できる他、肉体の若さが長きに渡って続くこともある。特に女エルフは性的な用途にはうってつけなのである。
 それを捕まえ奴隷化して金持ちに叩き売れば一財産築くことは容易い。
 エルフと人間が戦争を始めて以降、希少価値はより高まったのだからなおさらだ。
 だが、はいそうですか、と阿呆のように捕まるわけにはいかない。殺されたくないし、売られたくも無い。ならばやることをやるだけだった。
 剣を押し返す。腰を踏ん張り、叫ぶ。

 「なんでそんなこと!」
 「金だよ! 治療費を稼ぐのにはお前みたいなのぼせた馬鹿をとっ捕まえのが一番だろ! 大人しく捕まれば、強盗も止めてやる!」
 「だが断る!」
 「ならば死ね!」

 両者は同時に離れ、同時に剣を引き、同時に対抗する角度から斬撃を浴びせかけた。
 金属音が空高く響かん。剣と剣が衝突した反動で腕が軋む。剣と剣が跳ね返った。見れば、女の子の剣に鋭い凹みが刻まれていた。ミスリルの強度が齎したものだった。
 第二撃。女の子が豹のように素早くバックステップを踏むと、腰の血濡れたナイフを投擲した。
 不意をついた攻撃は、ミスリル剣の防壁で防ぐことができたが、怯んでしまう。落ちるナイフ。
 その隙をついて女の子が左腕を掲げた。武器は何も持っていない。魔術を行使するそぶりもない。不自然極まりない仕草。
 一種のひらめきが脳内を韋駄天が如き速度で駆け抜けた。
 横っ飛びに地面を転がった。
 次の瞬間、左袖から何かが飛びだし草むらに消えた。仕込み武器。射程、威力の不足を補うために毒を塗られていた可能性が高い。もし命中していたら行動不能に陥ったかもしれない。
 女の子は舌打ちをし、駆け寄る――と見せかけて右袖の仕込み矢を腕を振り回すように射掛けた。

 「う、おっ」

 セージは斬りかかろうとして踏み込んだ足に間抜けな舞踏をさせなくてはならなかった。足元に矢が突き刺さる。つんのめりそうになるのを、足位置の調整で防止した。
 だが、この動きは決定的な隙を生んでしまった。疾風が如き踏み込みで至近距離に到達した女の子の下方からの薙ぎがミスリル剣に激しくぶつかって、いずこに吹っ飛ばした。有力な武器は草むらに消えてしまった。ナイフを抜く時間すらない。
 第二撃、顔面狙いの袈裟斬り。後ろに倒れることで危なげに回避。第三撃、のしかかって馬乗りの体勢から顔面に向けての突き刺し。

 「〝盾よ〟」
 「ちぃ!」

 呪文詠唱。あまりに弱いイメージはしかし、命の危機に反応して一枚の薄っぺらい防御を構築して世界に放った。それは丁度、顔面を守るために広げた腕に付随する形で展開した。剣がそれに垂直にかち当たった。停止。
 切っ先が、蜃気楼を固めたような力場に押しとどめられ一寸たりとも前進しない。
 女の子が全体重をかけても力場を破ることができない。まるで接着されたように引くことすらできない。鋼鉄に突き刺さってしまったように。
 セージは、眼前の剣が己の脳味噌を串刺しにせんと押し込まれるのを、他人事のように見ていた。生きているのが夢のようだった。死ねば夢が覚めるのだろうか。目を閉じてみる。暗闇が視界を塗り潰した。
 イメージをずらす。盾が徐々に斜めに傾けられるように。剣を誘導するために。直線的な力は横からの力に弱い。
 力場が波打ち、変形する。丁度セージの頭の右を下に、斜めになるように。必然的に剣の切っ先は滑り出す。狙いは極めて単純明快。
 次の瞬間、セージは深く閉ざされた瞼を開いた。

 「な   ッ」

 剣が対象を殺すことなく横に滑走するや、地面に深く突き刺さった。引き抜こうにも体と体が密着している為に力が入らない。なにより、まじかで睨み付けてくるエルフの瞳があったから。
 セージは術が途切れるより数瞬早く女の子の首を両手で捕まえた。
 術が風を伴い消えたと同時に、首を腕力の及ぶ限りに締め上げ、体勢を入れ替えて馬乗りになった。女の子の首は柔らかく、楽にへし折れそうだった。爪も立てた。血が垂れる。

 「ぎ、ぐ………ぇ……ッ……ふの……せに……」
 「し、ね」

 女の子もセージの首に手をかけて締め上げだした。
 首と首の締め合い合戦。お互いがお互いに優位をとろうと葦の中でもみ合い泥まみれになっていく。
 魔術の使用――火炎――却下。草しかないような場所で使えば己も危うい。

 「この……」
 「………っ」

 セージの意識は遠くなりつつあった。
 闘争本能に任せて首を絞め、隙があれば頭突きをお見舞いし、生きる為に息を吸おうと横隔膜に鞭を打った。
 まず耳が駄目になった。自分の声が骨伝導で聞こえるのと、呼吸、心拍意外に外部の情報を受け付けなくなった。次に思考が駄目になった。シャットダウン寸前まで処理が落ち込む。
 セージは状況の打破を計るべく、一瞬だけ締め付けを緩めた。

 「はっ……あー……」
 「食らえッ!」

 女の子の顔が弛緩し、息を吸ったのもつかの間。空いた右手を拳にして顔面を殴打してやった。鼻血が飛んだ。構わず二発目を叩き込む。三発目を入れる前に、腕を掴まれた。左手を自由にして殴りかかったが、受け止められた。
 双方の顔は赤くなっているが、羞恥でそうなったのではない。酸欠と殺意である。
 腕と腕が拘束し合い、二進も三進も行かぬ拮抗状態が再び生まれた。
 セージは馬乗りと言うアドバンテージを活かすべく重力を加算した力比べに挑んだ。隙あらば首を絞めるかへし折るか。目を潰してやろうとも画策していた。

 「てめ……っ」
 「しぶとい!」

 お互いが徐々に疲労で鈍くなりつつあると言っても、上をとったセージの方が有利ではあった。
 女の子の顔が歪む。腕の痙攣が始まっている。筋肉が悲鳴をあげていた。いずれもたなくなるのが目に見えていた。
 女の子は一瞬腕の力を緩めると、セージの顔の真ん中に額を叩きつけた。鈍い衝撃。鼻の骨を折るつもりの攻撃はしかし血を流させるにとどまった。反撃も同じく頭突き。額で受け止める。頭蓋が鳴った。
 セージが再び頭を持ち上げたのを合図に、上半身を起こし、跳ね除ける。
 セージは立ち上がろうとして、相手の足が攻勢に移行したのを見た。

 「この野郎!」
 「あっ!?」

 慌てて立ち上がったセージの顔面目掛けて右からの蹴り込みが炸裂した。辛うじて腕で受け止めた。打ちつけられた肉が酷く痛んだ。
 次、正面突きが放たれん。
 セージはそれを腕の横捌きでいなし、カウンターの拳を横っ面に叩きつけた。女の子がよろめいた。ボクシングのように右左の連続攻撃を仕掛ける。

 「軽いんだよガキんちょ!」

 だがその攻撃は女の子にあっさり見抜かれ躱され、逆に腹に腰の捻りを加えた正面蹴りを貰うことになった。吐き気。胃の中身が逆流しそうになる。
 体をくの字に折ったところを、女の子が両手を重ねて作った金槌で打ち据えた。
 セージはどっと地面に倒れ込んだ。
 まるでナメクジのように地面を這いつくばるセージを、ボーイッシュな女の子は鼻血を手の甲で拭いつつ、背中を蹴りつけた。そして踏みつける。
 ――とった。
 セージは体重が背中にかかるのを合図に体を回転した。女の子は足をとられよろめく。すかさず身を半分起こし、腰のナイフで斬りかからん。その頃には距離を離されていた。

 「うらあっ!」
 「っつ゛……ッ!?」

 腕に一文字の切り傷を刻む。
 続いて、腰だめに構えて突進した。

「……ふん」

 女の子はいとも簡単に突進を受け止め、手首を拘束して見せた。だが、それが狙いだったとはついに気が付かなかった。
 ナイフの切っ先が腹に向いていることが重要なのだ。
 セージは魔力を絞り上げてイメージを練り上げて呪文を紡いだ。使ってはならぬ場所で使った。

 「〝火炎剣〟!」

 ナイフが火炎の塊と化すや、瞬間的に伸長して女の子のプレートを焼き焦がし腹を貫通せしめた。長さなど剣どころか脇差にも劣るものだし、威力は恐ろしく低い。だが、それは貫いたのだ。
 火炎に内臓を焦がされてしまっては、命は尽きるしかない。

 「――――――おかあさん」

 女の子は悲痛な表情を浮かべ、掠れた声で最期の言葉を述べた。力が抜けていく。後ろにばったりと倒れ込む。
 セージはナイフを腰に戻すと、その場に尻もちをついた。
 女の子が声を上げずに泣きつつ、己の腹をなんとか治療しようとしている。だが無情にも腹から発生した火炎が身を包み、瞬く間に全身を覆った。絶叫。人の燃える臭いが漂う。
 一体の火人形と化したそれは地面を転がり火を消そうとするが、あろうことか周囲の草に引火させてしまった。湿地と言えど燃えるのだ。
 
 「ヤバイヤバイヤバイヤバイ………! ミスリル! ……ミスリル!」

 セージの顔色が青信号になる。いい意味ではない。悪い意味である。
 水にインクを落としたが如く侵略を開始した火を止める術は既に無く、痛む体を引き摺ってミスリル剣を探すほかに無かった。
 ミスリルの強度を考えれば、湿地が燃えた後でゆっくり探しても問題は無かったろうが、本人にそのような余裕は無かった。
 奇跡的に剣を見つけたセージは、口の中の血を飲み込み、振り返ることなく全力で駆けてその場を去ったのだった。



[19099] 三十四話 巨老人の里、朧に
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/14 01:14
XXXIV、



 女の子を殺めても吐き気は生まれなかった。
 ただし後悔があった。女の子の言葉を思い返すと、母親の為に匪賊にまで身を堕として戦ってきたのだろうと想像がついたから。甘い考えかもしれないというのは本人すら理解していた。
 もしも――もしも――という、甘ったれた考えが頭を過った。
 もしも―――……説得できたら。もしも―――……逃亡していたら。もしも―――……。
 だが、全ては過去である。“少女”は女の子の腹を貫通せしめ、燃やした。天地がひっくり返っても死亡は確実である。殺したのだ。命を奪ったのだ。
 一人の命だけ奪ったわけではない。女の子の母親をも殺したかもしれないのだ。たった一本のナイフが二人も殺したのだ。
 同時に、何も感じない自分も存在していた。
 障害を排除しただけ、悪いことはなかったと。積み重ねてきた現実は倫理観すら摩耗させた。
 人殺しの余韻は、血の味がした。
 鼻血と口内出血のダブルコンボ。舌は鉄っぽい風味と酸味まみれ。
 体があちこち痛んだ。腹は鉛の重しを乗せられているようだったし、背中はひりひりしていた。鼻も痛い。気道も胃液で焦げ付くようだった。幸いなことに骨が折れたといった怪我は無いようであった。
 だが、斬って斬り込み殴り殴られ首を絞めて絞められ蹴りを入れあう死闘を演じたすぐ後に、火炎から逃げるべく疾走してきたツケがまわってきた。焼死を避けるにはこうする他になかった。火の手は人や獣を呼ぶのだ。安全確保のためにはできるだけ遠くに身を移動するのが賢い手段である。
 まず足の力が抜け、次に眩暈がした。
 良くない兆候である。休息を入れなければまともに旅ができない。湿地を抜けた先の林で、いい場所を探す。
 セージは、お世辞にも綺麗とは言えない池を見つけると、そのほとりに腰かけた。水源らしきものが見当たらないことから、雨水が溜まったのだと推測した。水草と濁りのせいで水深を目視できない。
 飲み水には適さないし、体の汚れをとるには濁りすぎている。無理すればできないこともないが、水筒が十分に水を蓄えている今は必要ない。
 ただ座っているのも癪なので、耳を地に付ける体勢で横にならん。こうすることで外敵の接近を察知しやすくなるのである。
 体を横にすると眠気が背中を叩いてきた。
 戦いの痛みと旅疲れが泥のように頭に覆いかぶさった。甘い誘惑。小鳥の鳴き声がゆりかご。瞳が震える。くすんと鼻を鳴らし、本格的な眠りに入ろうとした。
 その時、耳に感あり。太鼓を指で叩くような、軽快な歩調。ハッハッと息遣いを聞いた。
 慌てて腰のミスリル剣を引きぬくと、姿勢を低くしたまま木の陰に入る。

 「………犬?」

 草むらからやってきたのは、薄汚れた野良犬だった。茶色の毛並、垂れた耳、痩せた足は骨のように思えた。
 その犬は周囲を見回すと、しっぽを振りつつ頭を下げて水たまりに寄っていくと、ちゃぷちゃぷと水を飲み始めた。さすがは野生動物。人間が腹を下すような水でもお構いなしである。
 ふと、その野良犬が鼻先をセージの居る木の元に向けた。例え目で見えなくとも、セージの放つ臭いで感づいたのであろう。
 セージは警戒を緩めることなく、反撃に移れる姿勢を崩さぬまま木から歩み出た。
 野良犬はセージを見ると、ぺたりと座った。へっへっと舌を出した呼吸をし、ゆっくりと尻尾を左右した。そしてごろりと倒れると、お腹を見せて敵対心が無いことを表した。
 殺そうかと逡巡した。
 だが、肉の貯蔵は十分だし、お腹もすいていないし、何より敵対してこないのだから殺す理由も無かった。
 歩み寄ると、ミスリル剣を腰に差して、犬のお腹を撫でた。毛並が酷くて指に引っかかったが、獣の体温が心地よかった。ちらりと犬の下腹部を見遣る。雌だった。
 セージは犬の頭を撫でた。

 「お前はどこから来たんだ?」

 犬は答えなかった。
 ただ、口角を持ち上げて呼吸するだけだった。浅黒い色の唇に触ってみる。ぶよぶよして新感覚。頬をびろーん。抱きしめてみると、獣が強く香った。
 人間慣れしているようだ。どこかの飼い犬だったのかもしれない。
 犬にとって人間もエルフも同じようなものに映っているのだろうかと思った。

 「なあ、俺と寝ようぜ」

 犬は大人しく従った。
 一人と一匹は夕方になるまで草むらで睡眠をとったのだった。
 それから暫くセージは犬と行動を共にした。共に狩りをして、共に水を飲み、共に道なき道を歩いた。犬は良く懐いた。芸を仕込むこともできた。賢いやつだなと褒めると誇らしげに舌を出すのだった。
 いつまでも一緒にいけそうな気がしていたある日、犬は別の道に行こうとした。
 どうしても別れなくてはいけないと悟った。犬にだって行きたい場所位あるのだ。もしかすると飼い主を捜しているのかもしれない。
 犬はとてもきれいな瞳で遠くを見ていた。

 「死ぬなよな」

 そう言ってセージは犬に干し肉をやると、頭を撫でて別れた。
 一生の内に再会することは無いだろう。例えエルフが長い寿命を持っていても。まさに一期一会。交通機関も通信も発展していない世界では、犬など探しても見つかるものではない。
 せっかく旅の相棒を得たのにと、セージは心の隙間を擦った。寂しかった。
 巨老人の里までの道のりは大したことなかったのだが、人の数が多すぎた。昼でも夜でも鎧を着た輩やら、目つきの怪しい男やら、明らかに麻薬と思しき葉っぱを売る輩やら、それだけではなく頻繁にいざこざが発生するので進めなかった。
 人に会っては望ましくない結末を迎えかねないとはいえ、進行を夜に限定してしまうと里に辿り着くまでにどれだけ掛かるか分からない。
 セージは仕方がなくなって、身なりを偽装して乞食に成りすました。足を引き摺る演技もした。この際四の五の言ってられまい。
 鎧を着たご一行が去った後で、ようやく里の近くとも言える場所へと足を踏み入れることに成功したのだった。
 当初の予定から約一か月以上の超過であった。到着まで、さらに遅延した。

 「これは……」

 セージは成程と大きく首を振って唸った。
 巨老人の里のすぐ正面。広大な湖の畔にある草むらに身を潜めたセージは、彼方に揺れる明かりをじっと見つめていた。
 巨老人の里が要塞化されているという話は正確であり、ただし想像していた構造からはかけ離れていたのだった。
 里に向きがあるとすれば、後ろの守りを剣のように尖った岩山が守り、正面を湖が守るというものであった。ただ山があるわけではなく、見張り台があった。ただ湖があるだけではなく、乳白色の霧が帳をかけていた。
 地図にはこう書かれている。
 ―――この霧は守る者には無いもので、攻める者にはあるものである。
 要するにこちら側からは視界が遮られるが、向こう側からは健やかな視界が約束されているということだろうか。
 すると人間がどんぶらこどんぶらこと実質目隠し状態で小舟を漕いで行くのだろうか。なんと哀れな。ろくに反撃もできぬまま死ぬであろう。
 ならば大型の艦船を作ろうとしても、内陸の土地では材料の運搬で馬鹿にならぬコストがかかる訳である。よしんば造船できたとしても、水深が浅かったら前に進めないという間抜けな事態が発生する。
 セージが地図を熟読していると、上空で嘶きが響いた。
 すわ何事かと頭上を見遣ると、翼竜が周回していた。目を凝らす。何者かが跨っている。追尾すれば、大きく羽ばたいて霧の向こうに突っ込んで消えた。エルフの里の防衛戦力だろうか。
 地図によるとミスリルの剣を掲げて進めとあった。

 「………誤射されないだろうな」

 セージはミスリルの剣を一瞥し、ため息をついた。遠目にはエルフと人間の区別がつかないのは当然であり、ミスリルの剣が合図として働かなかった場合、殺されてしまうかもしれない。
 だがその前に。

 「船、どこにあるんだ?」




[19099] 三十五話 湖をこえて
Name: キサラギ職員◆7d11a6c8 ID:3a9e008c
Date: 2011/07/16 00:10
XXXV、



 船と一口に言ってもイカダでは渡航には耐えないのではとセージは考えた。
 何しろエルフの里を守る湖である。どんな生物が棲んでいるかも分からないし、いかなる罠が仕掛けられているのかも不明なのだ。頑丈な船が入用であった。
 船の残骸らしきものは湖に浮いているので回収は比較的容易であったのだが、かなりの数が『二枚おろし』だった。他にも『粉末状』の木が漂っており、手が出せなかった。
 ――なにをどうしたらこのような有様になるのだろう?
 ふと浮かんだ疑問を嚥下し、船を手繰り寄せる手段を模索する。
 ようやく発見した船は岸から離れた位置に漂っていた。
 縄か何かを入手するか、湖に入水して引っ張ってくるかくらいしか手段がない。いかにして接合するかという点も解決できない。釘も無い以前に工作道具が無いのだ。魔術で凍結させることも検討したが、半ばで溶け出す泥舟では困るので却下した。
 いっそのこと湖を迂回して山から登ろうかと考えたが、どうにも止めた。
 地図に『通るべからず』と赤い文字で警告があったから。
 “少女”は悩んだ末、湖の周囲を捜索してみることにした。無事な船が陸に上げられているかもしれないからだ。
 意外にも小船は簡単に見つけることができた。ただしオールが見当たらなかったので、やむを得ず自作した。木の枝に板切れを括り付けた簡易の品であるが渡航するには十分であろうものが完成した。
 そして数日間ほど湖で待機して、人の少なくなったころを見計らい、岸を離れた。

 「なんかいるよな……ネッシーだといいんだけど」

 軽口を飛ばしつつ、湖に潜む何者かが寄ってこないようにミスリルの剣を上に掲げるセージ。それは水面下を驚くべき速度で周回している。全長は30m以上。視覚だけで得た情報が正しければ、数多くの触手を持っている。
 ミスリルの剣を掲げると生き物は怯み近寄ろうとしなくなる。
 だが、近寄らなくても、その生き物が水中を移動するだけで不規則な水流が発生するのである。小船は安定性を欠いていつ転覆してもおかしくはないほどに動揺した。
 まるで遊ばれているようではないか。オールを必死の形相で握りしめて船の安定を取り戻す。剣とオールの二刀流は著しく腕力を消耗させた。先の見えぬ霧の向こうが焦りを生む。
 白亜の風景と、一点の変化も見られない水面の中を進むことは、冬山で遭難する前段階に等しい。
 人間にしろエルフにしろ、視覚を用いて進行する際には基準点を必要とする。例えば地面。例えば障害物。例えば方位磁針。霧に包まれた中、目印も存在しないのに一直線に漕いでいくことなど、訓練を積まぬ限り実現しないのである。
 逆に、目印さえあれば良い。
 セージの接近に反応したか、白い霧の彼方に光が灯った。
 それは亡霊のようであった。さしずめジャックオーランタン。地獄にも天国にも行けなくなった口が達者な男が徘徊しているように思えて仕方がなかった。光の元には、途轍もない神秘があるようにも思えた。
 光に近づいて行くと、生き物は居なくなってしまった。食べられないと理解したのだろうか。それとも機会をうかがっているのだろうか。
 せっせせっせオールを漕いで、光を目指す。
 距離感を掴む材料の欠如からか、光が近づけば近づくほどに、蜃気楼が如く遠くに行ってしまうように感じられた。
 霧は向こう側からは無いものということを念頭に、フードを取っておく。こうすることで耳を見せつけ、エルフであることを分からせるのである。
 一時間? 二時間? 霧で顔が濡れるころ、光に変化があった。
 光の数が2に増えた。そして3に増えるや、10に増えたのだ。
 オールを握り締め、身構える。ミスリルの剣を掲げることも忘れて、正眼に突き出す。緊張に顔が強張った。人間と勘違いされ攻撃を受けるかもしれないと、足が震える。
 やることをやらねば。死ぬのはまっぴらごめんだ。
 セージは両手を大きく振った。付け根から飛んで行ってしまいそうになる強さで。

 「俺はエルフだー!!」

 セージの声が聞こえてか聞こえずか、光は一段と数を増していく。10あったのは既に15に達していた。それらは震えながら距離を詰めてきている。
 そして、霧が突如として晴れた。幕を引くように。
 船だった。光の数だけ船が湖に浮いており、いずれも特徴的な長くとがった耳を持った種族が乗っていた。光はランタンだった。彼ら彼女らの船が、まるで氷の上を滑っているように、静謐を伴ってセージの船に寄ってきた。
 彼らは一様にローブを着込んでおり、弓矢や杖などで武装していた。男女問わず年齢問わず、多彩な顔ぶれ。
 セージは顔の引きつりを止められないまま、ミスリルの剣を差し出した。雰囲気と威圧感に押されていたのだ。
 彼らの中の一人がオールも漕がずセージの正面に船を移動させるや、剣を検分し始めた。金色の髪の女性だった。切れ長の瞳、淡い顎の輪郭、あたかも体から燐光が湧き出しているよう。指先の一本に至るまで白く、白磁の陶器で作られているようだった。
 ――ユニコーン。
 脳裏に浮かんだのは、女神様でもなく、誇り高き聖馬の姿。
 女性はにこりと微笑みを見せると、剣をセージに返し、優雅な動作で手を差し出した。不覚にも頬に朱が差す。男として照れたのか、女として照れたのかは定かではない。

 「……お待ちしておりました。長旅でお疲れでしょう……ようこそ我らが里へ」

 セージは彼ら彼女らに連れられて里の中に足を踏み入れることになった。
 どうやら事前に通達がなされていたようで、さっそく医者に取り囲まれ、土の香りのする薬――栄養剤を飲まされた。彼らは傷と言う傷を魔術で治してくれた。そして部屋に通されて一晩ぐっすり寝た。
 翌日、巨老人に会わなくてはいけないと伝えると、忙しいので少し待てと言われてしまった。鉱山を奪還するための戦闘準備で山積みらしい。
 暇を持て余したセージは、何か手伝えることは無いかと訊ねてみた。タダメシを食らってふんぞり返るほど腐ってはいない。
 すると散らばった装備品の回収作業を手伝えと言われたので、さっそく湖と里を隔てる付近へと足を運んだ。
 湖と里の境界線はつまるところ壁であり、多数の防衛設備が仰々しく並んでいる。大型のバリスタもあれば、射手が身を隠す障害物もあった。用途不明の宝石が備え付けられた見張り台もあった。要塞という表現が相応しい。
 振り返ってみれば、霧が無かった。澄んだ大気の遥か向こうに己がやってきた陸地が見えた。
 聞けば、不定期に訪れる小規模の威力偵察を排除した直後らしい。
 戦闘後だというのに死体は無く、血液のみがあった。それは船の破片やねじまがった鎧などを濡らし、湖に注いでいるのであった。酷いにおいであったが、死体が無いので嫌悪感は無かった。
 剣、鎧、矢、その他革製品などを手押し車に入れては運ぶ。重労働だった。満載すると転倒の危険性があったので、半分まで積むことにした。
 共に作業に当たる男性に死体はどこかと聞くとおもむろに湖を指してくれた。
 次の瞬間、湖に巨大な気泡が浮かぶと、鎧が『吐き出され』地面に落下した。湖を渡る際にちょっかいをかけてきた何者かの仕業であろう。
 鎧を検分してみれば、強引にこじ開けられ中身を粉々にして吸い込まれたようになっていた。まるで貝殻をこじ開けて身を食べるように。丁寧にも武器などは千切られていた。
 あれは何かと尋ねると、さもありなん『巨老人のペット』と答えてくれた。
 巨老人とは途方もない男だということは理解できた。
 巨老人に面会できたのはそれから三日後のことであった。



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