米フロリダ州中部オーランドで08年に当時2歳の娘を殺害したなどとして死刑を求刑されたケーシー・アンソニー被告(25)が今月5日、殺人罪で無罪評決を受けた。愛くるしい笑顔の犠牲者が無軌道な生活を続ける若い未婚の母親に殺されるストーリーにメディアは飛びつき、被告一家のプライバシーを暴き立てた。それはフェイスブックやツイッターといったソーシャルメディアで全米中に増幅された。6週間に及んだ公判は「世紀の、ソーシャルメディアによる裁判」(米タイム誌)となったが、陪審は冷静な結論を導き出した。【ニューヨーク山科武司】
■ケーブル局の「突出」
「逮捕してほしい人がいます。私の娘です」。08年7月15日、フロリダ州警察への911番(日本の110番)が事件の始まりだった。ケーシー被告の母、シンディーさん(53)からの通報だった。クレジットカードと700ドル分の小切手を盗んだ娘を告発し、孫娘のケイリーちゃんについても「もう31日間、姿を見ていない。娘の車から死体の腐臭のようなものがにおってくる」と伝えた。
両親や警察に娘の行方を追及されたケーシー被告は「6月9日にベビーシッターの女性に預けたまま、女性と連絡が取れなくなった」と、うそをついた。ほかにも「テーマパーク『ユニバーサル・スタジオ』で働いている」「シッターの名前はゴンザレス」などとうそを重ねた。通報翌日の7月16日、警察はケーシー被告を児童虐待容疑などで逮捕。事件がメディアの知るところとなった。
ケーシー被告は、ケイリーちゃんの姿が見えなくなっても友人や恋人とパーティーに出かけ、「すばらしい人生」と入れ墨をいれていた。元ボーイフレンドと海水浴に行ったこと、父親の物置からガソリンを盗み出したことまで細大もらさず報じられた。
ケーブルテレビ局HLNの検察官出身の女性コメンテーターは、事件を集中的に追究。ケーシー被告を精神的に未成熟なまま子供を産んだと指弾し、「赤ん坊ママ(tot mom)」と断じた。地元紙「オーランド・センチネル」によると、一連の報道で今年6月のHLNの視聴者数は昨年6月に比べて85%も増加した。
被告の両親に広報担当として雇われた男性は、両親に無断で家族写真の使用許可を3大ネットワーク局の一つNBCに与え、6500ドルの報酬を得た。別のネット局は、アンソニー家のビデオや写真に1万5000ドルから2万ドルの謝礼を支払ったという。
■法廷を生中継
公判は今年5月24日に始まった。裁判所は審理のテレビ中継を許可し、ケーブル局は生中継した。
ケーシー被告逮捕後の08年12月に、両親の自宅近くの森で白骨化したケイリーちゃんの遺体と配管工事用テープが発見されていた。検察側は「育児の煩わしさから被告が麻酔剤のクロロホルムでケイリーちゃんの意識を失わせ、口や鼻をテープで覆って窒息死させた」と主張。被告の無軌道な生活ぶりを伝える証言で被告の有罪を印象づけようとした。
一方、弁護側は「ケイリーちゃんは、被告の両親の自宅プールに誤って落ちて水死した。慌てた被告と父親が隠蔽(いんぺい)を図った」との主張を展開した。
こうした日々の法廷のやりとりは、即座にフェイスブックの「安らかに眠れケイリー・アンソニー」、ツイッターの「ケーシージャンキー」「OSケーシーアンソニー」(地元紙「オーランド・センチネル」運営)などに投稿され、読者からすぐさま反応が寄せられた。「裁判の娯楽化」(CBSニュース)は過熱し、公判の終盤、ウェブ世論は「ケーシー有罪」でほぼ固まっていた。
審理は7月3日に終了。陪審員は10時間40分の討議の末に結論を出し、5日に評決が言い渡された。
第1級殺人、加重過失致死罪、加重児童虐待は無罪、捜査当局への複数の虚偽申告は有罪という、大方の予想を裏切る結論だった。検察側は殺害の直接証拠を示せず、「クロロホルムの使用」も、両親宅のパソコンでクロロホルムを検索した痕跡があったことから推測しただけだった。
評決当日、600人以上の記者が集まった。CNNとNBCは裁判所の前に設けた2階建ての仮設スタジオから中継した。マイアミ・ヘラルド紙によると、評決時、長くケーシー被告を批判してきたHLNを460万人が視聴。女性コメンテーターは「赤ん坊ママのうそが効いた。悪魔が勝利の踊りを踊っている」と評決を痛罵した。
ツイッターでは、評決直後の1時間で、3万4000回、「ケーシー・アンソニー」と打ち込まれた。「無罪(notguilty)」は2万回。瞬く間に評決は広まったが、64%が評決に反対、賛成は1%だった。裁判所の外には評決に抗議する人々がいた。反発を恐れた陪審員団は、評決後の記者会見を行わなかった。
2日後の判決で、裁判所は虚偽申告について1件あたり禁錮1年、罰金1000ドルを言い渡した。被告は既に3年近く拘束されており、今月17日が出所日となる。最高刑を科したのは、少しでも長く留め置き、世論の沈静化を待ったためとみられている。
評決後、ケーシー被告の弁護団は「この評決をメディアは教訓にしてほしい。メディアによる殺害がなされようとしていた」とメディア批判を展開した。
■細心の注意で
嵐のような報道の影響を最小限に抑えるべく、裁判所は細心の注意を払った。
陪審員は、オーランドが属するオレンジ郡からではなく、100キロ以上離れたフロリダ州西端のピネラス郡で選ばれた。候補者200人から12人の陪審員と8人の補欠陪審員を選ぶ予定だったが、補欠は5人にとどまった。補欠1人は事件についてフェイスブックで発信していたことが判明し、リストから外された。
裁判所は審理の全期間にわたる陪審員の隔離を決定。陪審員は宿泊先のホテルと法廷を往復する生活を義務づけられた。読める本や見るテレビ、家族との会話も制限された。
裁判所は、陪審員の氏名を非公表とし、おおよその年齢と性別、既婚か未婚、子供の有無といった最小限の個人情報だけを公開した。この決定を不服として報道側が訴えたが、覆らなかった。
一方で法廷の予定をツイッターで広報。約400人のジャーナリストを含む1000人以上がフォロワーとなって裁判の進行を見守った。
毎日新聞 2011年7月16日 東京朝刊