団子坂にも夏が来た。朝だというのに、坂の上から熱気が滑り降りてくる。
自然はなんて無情なのだろう。人間は自然を擬人化し仲間のように扱うのに。
たまには雨も降る。それを慈雨と表現しても、雨に慈愛があるわけではなく、そのようにしか降ることが出来ないだけのこと。
海はすべての命が生まれた場所なのに、残酷に命を奪っていったではないか。
千晶はときどき、海の底に横たわる数千の人体を想像してみる。決して地上に戻ることの出来ない深さで、白骨となって永遠の眠りについているのだろう。けれどいつか、マリンスノーとなって、海岸に戻ってくるときが来るかもしれない。
父の謙吉を火葬したときは、そうするのが当たり前のことで何も疑問を感じなかった。けれど葉子さんが灰になった今、骨壺(こつつぼ)に収まった葉子さんより、広々と地球を覆う海にマリンスノーとなって存在する方が、死後の存在としては豊かな気がしている。遺族が死を受け入れるには、遺体や遺灰が必要なのは解(わか)るが、遺灰は何も生まない。遺灰を花木の滋養にすれば果実に生まれ変わるし、海の底で朽ちて行けば微生物を養い、その微生物がマグロや鰯(いわし)を育てるかもしれないのだ。
熱海の海を見てもサンフランシスコの波止場に行っても、オーストラリアの珊瑚(さんご)礁の映像をテレビで見ても、そこで死者が再生されて新しい命に生まれ変わっているのだと思えば、悪い心地はしないのではないだろうか。
けれど日本では火葬しなくてはならず、遺骨という物体を死者のように扱う。そして墓石の下に閉じこめる。
千晶は父親の葬儀後、春先まで雅臣さんの家に預けていた父の遺骨を、菩提(ぼだい)寺である立江寺の墓地に納骨した日を思い出した。
立江寺は、子供のころの遊び場だった氷室神社の東側に在る。ただ、寺までの長いジグザグの石段を上がって行かねばならず、さらに墓地は高い場所にある。子供が遊びに行くところではなかった。振り向くと春霞(はるがすみ)の中、海のむこうに淡路島が浮かんでいた。足元に咲いていた水仙も思い出す。
あれから一年と数ケ月。日本が根本から変わったように千晶の人生も激変したのだ。四三年前の父に出会い、真丘葉子さんとも出会い、葉子さんはもうこの世には居ない。
毎日新聞 2011年7月15日 東京朝刊