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とある妹と穴についての記述。

 脆さについて。竜族の研究家、知の竜たるマクベスは語る。
 それは心根である。それは体質である。しかして真実脆さに直結するものは精神性である。

 あなたが自身の身体を脆いと感じるならばまずは野菜を食べなさい。胃腸の健康こそがまず私たちの精神性を健常に保つだろう。
 あなたが日々をつらいと思うのならばまずストレスをなくしなさい。部屋のレイアウトを変えてみるのも良いかもしれない。
 あなたが今にも死んでしまいたいと思うのならばまずは困難を克服しなさい。困難を克服した先の自覚はあなたに力を与えるだろう。

         堅竜日記『第三章・夜長に過ごす日々』
                      四百五十八ページ三行から


 私についての記述。
 何もかもが全て夢であったらよいと思ったことが三度ある。
 一度目は生まれたとき。私を見つめる二つの目を見た瞬間に絶望を感じ、なぜ生まれ出でたのかと世を恨んだ。この世は苦界である。私を取り上げたのは両親ではなく生涯の兄であり、眼を見た刹那に私は恋に落ちていた。
 思えば、全ての答えはこの瞬間に出ていた。
 二度目は私が永遠に大人になれないと知ったときだ。私の身体は岩山が風で身を削るほどの時間をかけてでも私の身体を大きくはしなかった。その間に兄は三度伴侶を娶り、十五人の子供を残した。三人の伴侶は私が全て殺した。兄は心底どうでもよさそうな顔をしていた。子供たちは皆外の世界へと私が追いやった。
 三度目は私の謀が失敗したと悟った日の晩。
 私の村では、兄弟間、親子間の結婚は禁忌とされている。一族の時の過ごし方は緩やかであるために、なるべく外部の因子を内部に取り込む必要があるからだ。でなければたった一つの病で村が全滅しかねない。そのための措置。
 遥かな昔、世界に私たちと同じ種族のものは多数存在したらしい。火の山のカステルト一族。海に棲むバルファリウス一族。岩の山に棲むリベリール一族などなど。十数種の同族が遥かな世界に散っていた。
 だから外部から血を取り入れるのは村で最も優れた男と女が千年に一度、外部の優れた女を迎え、我が村の女を外の村へと出せばよかったのだ。それが外部の環境の変化で次々と同族の群れは滅び、時に滅ぼされることで消えていった。私たちの村は世界の果てとされる場所にあったために滅びの変化はゆるゆると訪れ、私たちに克服する間を与えてくれた。
 そうして私たちの村だけがこの世界に残り、私たちは村の中で、なるべく永らえなければならなくなった。
 外へと出る同族はいる。しかし、同族の滅んだ環境がある以上、外で生きていくことは難しかった。しかし好奇心旺盛である村のものたちは世界に散ることを選び、村に残るものは少なかった。
 私は、それでもよかった。兄は村へ残り、知識の蒐集と本の執筆を選んだ個体だったからだ。兄が村の外へと向かうのならば私もついていっただろうが、安定した村に兄が残ってくれたのは良いことだった。
 兄さん。
 愛しい愛しい私の兄。美しい鱗に身を包み、鱗を持つ生き物の中で最も強靭な生命力を持つ私の兄。
 私に向けるその愛情が肉親に向けるものであったとしても私が向ける愛情に変化はなく、私は兄へと思慕以上の念を向けて時を過ごした。


 天が落ちた話。
 そんな内容の本を何度読んだだろうか。兄が書く書物は他の竜に理解されるものは少ない。私自身、兄の書く物語の全てを理解できているわけではない。むしろ実用本のほうが理解しやすいとすら思っている。
 それでも兄は物語を書く。奇天烈な内容の物語。その始まりと終わりには理解することのできない概念が並んでいる。
 並行した世界、そこから現れる神と名乗るものの話。それがはじめと終わりにあり、主人公である矮小な人間に力と試練を与え、最後に天と呼ばれる蓋を落とし去っていく。
 わからないまま私は兄の書いた物語を読み続ける。これを何を意図して書いたのかはわからないが、兄が書いたのだ。それだけで読むには十分すぎる。
 兄さん。
 私は今日も理解のできない本のページをめくった。


 幼いころの記憶。
 私は身体の小さい竜として、村の皆から蔑まれている。それは今も昔も村が智と力の両方を信奉するからだった。
 そして、私の前に生まれた小さな兄も兄さんに劣らず頑健な身体を有していたこともひとつの理由だろう。
 私は、身体が弱いことを理由に、毎日を家の中、それも兄さんの私室で兄さんの物語を読み過ごすことを日課としていたが、兄さんが結婚し、妻として他の女を家に迎えるとそうもいかなくなった。
 このことが私に他の女を排除させるという行為に出させた遠因であるが、それを知るものはちい兄さんを除いていない。あの雄は奇妙な観念を持っていたが、いや、もう終わったことのひとつだろう。除いておく。
 私は、家にやってきた女と仲良くする振りをした。兄さんの嫁であるし、長く暮らすのだ。私の精神の安定のためにも平穏な暮らしをしたかった。
 しかし三人の嫁、既に死んだ彼女たちは百年の単位で来る次期がずれていても、その考えは同一であった。
 誰もが声を揃えて言うのだ。お前は気持ちが悪いと。
 今でも私はそれが理解できないが、八百年前に殺した二人目の嫁が言っていた。

 貴方の目は、私たちを蔑んでいる。それが気に喰わないのよね。

 わけがわからない。お前らと兄さんの生活を尊重してやっているのに、何を不満とするのか。ただ私は、私と兄さんのコミュニケーションを邪魔されなければよかったのに。
 あいつらはそれを犯した。私を兄さんの部屋から追い出した上に、私に奴らの子供の子守りまでさせたのだ。基本的に竜は強い生き物。傷つけようと思っても元々からだの弱い私には傷のひとつもつけることはできない。それに兄さんの種で生まれた竜だ。生まれた瞬間から基本的な能力は私を上回る。
 そんな打算も含め、友好を示すため私に子を預け、友好的に過ごしたかったのだろうが、それはまるで間違っている。三匹が三匹とも同じことをした時点で彼女らは私を見誤っていた。
 兄さんの種と言えどもお前らの子供を私が育てて楽しいと思うのか。
 だが私は終始友好的な態度で兄さんの子供たちと過ごした。
 読ませる本だけは厳選して。
 主に外の世界への憧れを抱くような内容の本だ。しかし、意外だったのは子供たちのうち、男の個体全員が私に求婚をし、私にともに村を出ようと言った点である。叔母であるから法的には問題ないし、兄さんにそっくりな個体が私に求婚するのはとても気分がよかった。
 しかしそれだけだ。私は兄さんの傍を離れるつもりはない。兄さんの妻が(毎度の)息子たちの求婚を見、舌打したことが気配でわかり、私も盛大に内心で嘲笑ってやった。
 文学以外は優秀な個である兄さんの息子たちは村中の女たちから熱の篭もった求婚を受けている。そんな彼らの求婚を断る私を見る周囲の目はその度に厳しいものになっていったが私は兄さんの傍にいられればそれだけで良かった。
 それだけでよかったのだ。
 1000年前に、800年前に、400年前に、私は私の敵を滅ぼした。
 竜に効く毒などではない。単純に私の実力で捩じ伏せ、虚無の穴と呼ばれるアレに放り込んだ。天は私に頑健な身体を与えなかったが、論理攻撃と呼ばれる竜を獣に戻す術を私に与えた。
 相手の欠点をただ囁き続け、怒らせ、そして穴へと誘導する。私はただ口と翼があればよかった。彼女らは怒りのままに私へと飛び掛り、私はひらりと避けるだけで彼女らは自ら穴へと飛び込んだ。
 彼女らは、屍体すらも残らなかった。
 虚無の穴は、何もかもを飲み込み、何もかもを残さない。彼女たちは飲み込まれ、帰ってこなかった。三人目などは半分が飲み込まれた姿で竜へと意識を戻し、私に向かって助けを求めたが、もとより助ける方法などなく、彼女は泣きながら何処かへと消えていった。
 穴の行き先など知る物はいないのだ。
 私に兄さんの家から出て行けなど、全くもって不愉快だった。三匹三匹とも同じことを言うのがどうしてかわからない。


 兄さんに惹かれる理由。
 太陽を直視したときに眩しい。
 口と鼻を塞がれたら息ができない。
 水に沈められたらおぼれる。
 地上でりんごが木から落ちる。
 私が兄さんに惹かれ、想うことはそういうことだ。


 村に宗教を広めるのこと。
 行為に身体が耐えられないことはない。いくら私が脆弱といえども子をなすことができないわけではない。身体の小ささ、永遠に大人の身体が得られない性質を持とうとも、次代へ形質を残す機能が育まれなかったわけではない。卵を産む機能は存在している。
 しかし、兄さんが私に手を出すことはないだろう。如何な性豪であろうとも親族へ手を出すことの禁忌は肉体に刻まれている。兄さんが私に手を出すことはない。
 それはそれでいいのだ。私の望みは兄さんの傍にいて、兄さんをずっと想うことであって、兄さんの伴侶となるために奮闘することではないからだ。
 もちろん、伴侶になれるならばそれが一番よい。しかし無理をしてまですることではない。無理をしてまで。そう、無理をしてまで。
 悪魔の囁きか、天使の悪戯か。それともこれこそが神が与えた天意だったのか。
 私の心に魔が差した。
 きっかけは、兄さんが猿の雌に人化の魔法を用い、手を出したことに起因する。
 人間らは魔法や神術を用い、自然界や神の意を操作することができる程度には知能を発達させているが、毛のない猿のようなものだ。話をすることはできるが、性の対象にするなど村では軽蔑に値するものであるし、そもそも兄さんほどの竜ならばその辺の女に手を出せばいい。なのに面倒だからといって他種族の雌に手をだすなど。
 私に手をだしたほうが、まだ世間体はマシだろうに。
 ……嫉妬、というものだろうか。いかに頭脳や精神が高位のものになろうとも、本当に大事なものが汚されたり、本当に大事にしていたことがどうでもよく扱われたりすると、如何な高等といわれる精神を持つ竜であろうとも心根は揺らぐ。
 兄さんとの行為を他の竜がするなら耐えられる。それは当然のことだからだ。私と兄さんは、親族である。親族であるからいつまでも一緒にいられる権利を私は得た。それに不満はないし。あの嫁どもに対したように、私の権利を奪わないならそれを受け入れることもできる。
 しかし、畜生と私の愛しい人が行為をしたとして、それを黙ってみていられる者が要られるだろうか。相手が望んだか、兄さんが望んだか、そんな問題ではない。単純に、いらついたのだ。
 それだけだ。
 だから私は別の物陰にいた、豚のような体型をした竜に猿どもをさらうように言葉で誑かし。彼に猿を始末させようとしたのだが。
 全てが計算されたことなのか。全てが終わったときでさえも私には想像はつかなかった。あの穴が何を考えていたのかもわからないが……。
 話を戻す。
 これはその事件のずっと後に兄さんから聞いた話だ。兄さんは、あの豚のような竜に穴に向けて自慰行為をさせた。
 調査の結果、それと前後してオークと呼ばれる亜人種が世界に闊歩するようになっているが。……あまり関係のない話だからこれについての詳細はやめておこう。それに愉快なものでもない。
 とにかく、穴に向けて自慰行為をすることで、ほぼ全てか、多量の性欲が奪われる。一度や二度の行為で全ての性欲がなくなるわけではないが、五回も繰り返せば修行僧並の性欲になり、十度も行えば不能になる。イン〇テンツ。
 後に犯罪者を(サキガケ)として、村の男性に広まるであろうそれに、豚が提唱していた意味とは別の意味で注目できたのは、私だけだった。無論、村長が気づく前に私にそれがもたらす壊滅的な結末を推測できたのも私だけだった。
 兄とそこそこ近い位置にいたあの豚を、私はそれなりに見ていたが。いえ、そう、だからこそかもしれない。
 村中の男たちが性欲をなくせば、もしかしたら、私にもチャンスが出てくるのではないかと。
 つまり、私の相手となる竜がいなくなれば? なんてことを考えさせるだけの魅力が、その想像にはあったのだ。
 私は、誰にも相手にされず、それでも何かを悟ったかのようにしている豚を再び唆すことにした。一度騙され、兄に酷い目に合わされているはずなのに、あの豚はなんの疑いもなく私の言葉に反応し、私の言葉に従った。
 罪人への刑罰に使えばいい、と。それを豚の父親から提案させればいいと。
 つまりは、文武が推奨されるこの村で、あの豚がどうしてあの体型で生き残れたという話だった。
 豚の父親は村の上位者だった。そして息子に甘かった。愚鈍な竜ならば始末してしまう兄さんが、豚を目の仇にしながらも生かしている理由がそれで、血統だけで言えば高貴に値するのが豚であったのだ。
 後に村長が、異端な考え方をする豚を放置してしまった理由の一端がそれだったりもする。処刑しようとした時点で既に手遅れというより、豚を首魁とする勢力が主流派となってしまったために討つこともできなくなってしまったが。
 だからか。私は兄さんがちょうど村の外へ長期の調査活動に出たのを好機として村の中に謀を巡らし、村中の男たちが自ら去勢するように仕向けていった。いや、そもそも私は殆ど手を出さずに終わってしまったが。
 具体的にやったことといえば、彼らに一切の興味を向けなかったちい兄さんを唆したことぐらいだろう。

 勇気がないの? 皆、やってるみたいだけど。
 別に、僕は興味ないからね。
 やってきたら?
 あのね。僕が種無しになってもいいっていうのかい?
 ……臆病者?
 ……怒るよ? それに何か目的でもあるのかい?
 別に、ただ、ちい兄さんが、あの状態になっても自分自身の精神を保てるのかどうか、ちょっと興味があっただけ。

 へぇ、と薄く嗤った小さな兄は、そうして己を試しに行き、二度と元には戻らなかった。未だ独身だったみたいだし。行為に慣れてなかったから、虜になっちゃったんだろうけど。
 ただ、あの男には私の内心が見破られているから、ちょうどよいと言えばちょうどよかったのかもしれない。
 そうして、兄が帰ってくるころに私の目的は果たされ、村から生殖可能なオスが駆逐されたのだった。
 世界に異変が、亜人が広まり、世界が縮まった、なんて話が村に広まりだしたのもそのころだったけど、兄さんが傍にいれば私にはそれはどうでもよかった。むしろ、全てが壊れてしまえばいいと思ったのは、それから一週間もしないうちだった。


 絶望についての当日の記述。
 私の謀は、正当を望んだわけではないとはいえ、このような結果につながるとは、いや、果実の甘さに惹かれ、結果を予想以上に良く見積もりすぎたのか。
 兄が、他の女と絡み合い続けるなど……。
 わかりきったことであったのだ。真実、男にしかできないことがあり、それができる男が減ったなら、その役割が唯一男の機能を残した兄に向くことなど。
 ……、これが全て夢であればいいのに。
 ああ、そうだ。男と同じように女を、減らせば、いい?
 いえ、馬鹿、馬鹿な想像。一匹二匹ならともかく、数百を超える竜を始末することなど私にできるものか。男と同じ手段を用いるわけにもいかない。女は、そのように単純な生き物でもない。私の知能を上回る汚さで謀略を仕掛けてくる個体もいるほどなのだ。
 ……汚さ? ああ、そう。つまりは……。




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