とある竜と穴についての記述。
雪に舞う小さな明かりを見る。それが見るものについて考える。
遠くに咲く花々。小さく咲く遠い花。あなたはそこに何をみるのか。
私にはそれはわからない。遠くに咲くものであることは知っていても、近くにあることはないからだ。
だがそれをあなたが知ることはない。
私とあなたの間にあるものは、それだけ遠く隔たっているのだ。
ジニクラシス・サザーン著「クラスケネスの高原に咲く花々についての記述」
三巻四十八項の片隅に書かれた覚え書き。
お前がそこに息を吐き続けたならば、世界は小さくなっていくだろう。
そう言って旅の修道士は私の知らない地へと歩き去っていった。
虚無の大穴。そう呼ばれる穴がある。私や、友はいつもそこへ息を吹き込んでいた。それは気焔であったり、ため息であったり、唾であったりと、私たちの口から出るものの何もかもをそれは吸い込んでいた。
私たちがそれを行うことに意味はなかった。だがそれ以外にすることもなかった。だから私たちはそこに息を吐き続けた。
年月が過ぎる。太陽も、月も、世の星星も、変わらず空の彼方を登り続け、地平線の彼方へと去っていった。
私は常に友や家族と一緒であったがためにその日々に飽くことなく、やはり穴に息を吐き続けた。
あくる世の晩。翼についての記述を弟が書物に記していたところ、修道士の一団が山を越えてここへとやってきた。
彼らは言った。お前たちが穴に息を吐き続けたせいで世界が縮まってしまった。もう世界は以前の半分ほどもない。息を吐くのをやめてくれ。
世界が縮むこと、それについて考えてみたが、私はそれに困難を感じなかった。特に理性的になる必要を認めなかったので、私は私を見る修道士の一団に向かい、わかったと告げるとひとりひとり咥え、私は彼らを穴へと運んでいった。
彼らは口々にどうしてお前は私の身体を穴へと運ぶのかと聞いてきたが、穴がどうなっているのか、それについて説明してくれと頼むと次第に静かになっていった。
私は彼らを穴の縁に置き、話を聞くふりをするとその縁を前足で勢いよく叩いた。ぐらぐらと縁は揺れ、彼らは驚いた顔をして穴の中へと落ちていった。私は修道士の一団の元に戻ると新しく一人を連れ、それを繰り返した。
朝になり、太陽が東から昇ると誰もいなくなっていたので、私はあくびをひとつするとあくびの残りを穴に向けて吐き、家へ帰ると食事をつくりそれを食べ。すっかり眠くなってしまったので毛布を被ると睡魔が襲ってきた。
抵抗することなく目を閉じた。その日は普段よりもよく眠れた。
天が落ちてくる日。そんなことを書に記した。私たちの一族は時に突拍子もないことを考え付くと、とにかく書にそれを記す。後でそれを読み直して皆で大笑いするためである。
前足で持てる便利なペンについての想像を九百文字ぐらい書くと私は大仰にあくびをして、山の向こうへと飛んでみることにした。地平線の彼方には何も見えず、世界が縮まっているようには見えなかった。
私は帰り際、この不信の詰まったため息を穴の中にすべてすっかり吐き出すとそのまま家へと帰り、書に五ページほど殴り書くようにしてケチャップとソースの違いについてを記した。ついでにそれらと天の国との関係を満足するまで書き記した。
友の息は汚らしい。はぁはぁと可愛いよ、萌え、俺の嫁と繰り返す彼の声には粘り気のある何かが絡み付いている。甲高い声でやっちゃったぜ、などと何度も繰り返して言う様には侮蔑以外の何も覚えない。貴様の(歩んできた)道程はろくでもないなとつぶやいたら、ど、どどどドウテイちゃうわ、と甲高く、またねばりけのある声で否定してきた。
いらっときたので、尻尾を用い、でっぷりとした腹に痛打を与えた。満足したので穴にこの高揚感のすべてを吐き出すと友を蹴り飛ばして家へと帰ることにする。
ちなみに友というのは友人という意味ではなく、彼が友という名の個体だから使っている名称である。
誰もが生まれの名前を選べるわけではない。
臭みのある肉についての記述。
それはとても臭く、生臭く、汚らしいほどに臭く、鼻が曲がり、鱗の一部から小さく泡を吹き出すほどに臭いがきつかった。とにかくくさいので消臭剤のつまった箱につめ、臭いがなくなるのを私たちは待つことにした。一瞬、友の身体に埋め込めばいいという提案をしようと思ったが、そのときは友の身体を穴の中に遺棄しなければならないと思い、私は口を閉じた。化学変化というものはとても信用ができない。
ケミカルな物質が生まれるかもしれないと思うと私の身体はぶるぶると震えるのである。妹が私が寒いのだと思いその美しい毛皮で私を暖めようと小さな身体を摺り寄せてきた。好意に甘えるだけ甘え、私は妹の耳の裏を舐めてやることにする。我らの親愛を示すものだ。妹の耳がひくひくと震え、よろこびに尻尾が揺れた。
一瞬、遠めに私を見る友の姿が見えたのでガンを飛ばすと凄まじい勢いで視線をそらした。その目に情欲が見えたのでそのうちまた尻尾で痛めつけてやろうと思う。具体的にはたたきつけた後に爪で奴の逆鱗をはがすことを厭わない程度には気合を入れるつもりである。
天に唾を吐くもの。
そう言いながら人間の一団が我が村へとやってきた。彼らは村の出入り口で地平線についての記述を行っていた私へと剣を向けると成敗といいながら斬りかかって来る。
空へと飛んでもよかったが魔法使い風の少女が中にいたので諦めた。自然現象を容易く操る魔法使いは空を飛ぶ際の空気の流れをたやすく乱す。打ち落とされたくなかったので言葉を発して煙に巻くことにした。
汝ら、何をもって我を天に唾吐くものとするや?
決まったこと、貴様らのせいで世界は縮んでいる。
納得だった。しかし剣を向けられることは納得できない。世界などという大きいものについて、私は一切理解できないのだ。私は、全力で叩きつけられても私の鱗に傷一つつけられないだろう剣を見ると鼻をぐるりと鳴らし、私を囲む一団を見下ろした。
剣、剣、剣、剣、剣、杖、剣、剣、剣、杖、剣、剣、剣。
やたらと剣士が多い。仕方なく、私は前足で私の目の前に穴を掘ることにした。人間は攻撃をはじめ、びしばしと身体に剣が当たりこそばゆいが気にせず穴を掘り続ける。人が、私の村のバケツ一杯分はいる程度の穴ができたので剣士連中を一人ずつ摘んで全部穴に入れてしまうと、土をすっかりかぶせておいた。
そういえば、と見下ろすとぷるぷると震える杖を持った少女が二人いる。久しぶりに人間の女を見るので私は彼女らを口の両端にひとりずつ咥えると森の木陰へと心持ちすばやく移動した。
人間に変化するのは久しぶりである。
紫色の髪の女と金髪の少女の性器にサイズを調整した男根を挿入すると思うがままに腰を振った。情欲のままに振舞うのは得意ではないが、とても楽しいのである。
もうやめてもうやめてと叫ぶ女の首筋に歯を立てる。それで男たちを思い出したのか、尿を漏らす音が私の耳に届いた。楽しくなってきたので髪を掴んでさらに腰を振った。中に出すな。妊娠する。なんて言葉を聞きながら一人ずつ抜かずに八回ほど中へと精を注いだ。下手すれば異形の生物が生まれるだろうが、非常にどうでもいい。
私は女二人の身体を山ひとつ超えた先にある人間の集落付近に置くと村へと戻った。獣欲に塗れた吐息を穴に向かってすっかり吐き出すと理性的になれたので私は満足して家へと帰る。
弟が人間の臭いのする私に嫌悪を向けた視線を向けてきたが、どうでも良いので弟が書いていた記述の間違いを三度指摘してやった。
お前はまるで豚のようだと友の身体を前足で打ち据える。このような侮辱は初めてだ。
友が猿をペットにしたと私に自慢しにきたので見に行くと先日の少女ふたりであった。目からすっかり自意識の消えた彼女たちは友の持つ鎖によって宙へとぶら下がっている状態であった。
私は直感した。友は私が少女二人を陵辱する場面を見ていた。そして放り捨てたこの少女二人を拾ったのだと。
猿相手に腰を振っている姿を友に見られたのだ。全身を恥辱が駆け巡り、カーッと身体が熱くなった。
憤怒が全身を支配したのだ。
私は友を殴り倒し、少女二人を友から取り上げると穴へと向かった。ボキのものだ、かえせよぉ、とアレがほざくがどうでもいい。私は少女ふたりを空中でばらばらにすると穴の中へと放り込んだ。そうして溜まりすぎて息苦しくなった憤怒をゴォォォォ、と穴に向かって吐き出す。ぎゅうううう、と何かが縮まる音をはじめて聞いたが私の中の憤怒は納まらない。
無礼な真似をした汚らしく汚らわしい友の身体を散々に打ち据える。お前は豚だ。私が猿相手に腰を振る姿を見てどう思ったのだと言葉を叩きつけ、身体を叩きつける。角を折ってやろうとも思ったが、流石に身体の部位を欠損させれば裁判に掛けられる。先ほど吐いたおかげで憤怒が薄くなっていたおかげだ。私は始めて穴に感謝をした。同時に穴とはなんとすばらしいのだろうと思った。
私は友の身体を散々に打ちのめすと、穴に向かって性行為をしてみろと友へと告げた。お前は私が猿相手に性交をした場面を見たのだ。ならばもっと無様に穴に向かって腰を振る姿を私にみせろと、友は私が譲歩する様子も見せないことを知ると穴タンはぁはぁ、とわけのわからないことをいい。穴へと向かい腰をそれへと突き出した。穴は友のそれを受け入れた。そうして私は腰の振りが醜すぎる友に侮蔑を向けると高笑いしてやった。
帰りに残った憤怒を穴に向かって吐き出すと私はぼろきれのように精力を吸われた友を放り、家へと帰ることにした。
後で聞いた話だが、友はあれから不能になったらしい。性欲も一緒に吸われたのだと言うのが私の見解だ。
奇妙な生き物が村の周辺に現れるようになった。
醜く、豚のような容姿と鳴き声を持つ亜人たちだ。私は彼らをオークと名づけ、その様子を観察することにした。幸い、なぜかオークどもは村には入ってこない。
オークは人間を襲い、彼らのうち男を殺した。女は捕らえ、慰み者にする。そうして生まれた子は皆、オークになる。精子に、人間の因子をことごとく破壊する能力があるのだろうかと首を傾げるも真偽はわからない。一ヶ月ほどの観察日記を本棚に収めると、ただの獣、危険度は少と表紙に書いておいた。
ふと視線を感じ背後を見ると妹が私を見ていた。
兄さん、この前、猿相手に何をしていたの?
妹にも見られていた。私の背中に何か電流のようなものが走り、たらりと背筋を伝った汗が全身の熱を奪う。
別に何も、と私は答えると粘りつくような妹の視線から逃れるようにして穴へと向かった。
口内の苦い味をすべて吐き出すと、少しばかりすっきりして私は家へ戻ることができた。
まったく、恐ろしい生き物である。女というのは。
男が予期せぬことをはっきり聞いてくるのである。あの妹を嫁に迎える男はよほどの大物であろうよ。
村の中央に向かうとすっかり様子の変わった友がいた。私は穴の中に神を見た、と周囲に喧伝し、男たちにしきりに穴へと己が精を吐き出せと扇動しているのである。
私は頭が痛くなった。あれは、わけがわからない。幸い周囲の男たちは聞く耳を持っていないようだが皆が皆、精を穴へと吐き出したら村から生殖可能な男が消滅してしまうだろう。そんなことでは種の危機である。
私たちには寿命のようなものはないとはいえ、村を捨て、旅へと出て行く個体も少なくはない。年間に多くとも十人は子が生まれ、うち八人は村を捨てる。
私は帰る途中に穴へと寄り、穴へと向かってよくわからないため息を吐くとすっかり気分がよくなったので家へと帰ることにした。妹が何かを熱心に見ていたが、もうあの娘も年頃だろう。放っておくことにした。
別に、前の質問を蒸し返されることを恐れていたわけではない。
罪人の処刑方法のひとつに穴に向かって自慰、というのを増やしたらしい。私は呆れるばかりであった。
翌日施行されたそれの後、罪人が改心して罪のすべてを償いたいと叫んだ。私は本当に呆れるばかりである。しかし悪心が減るのはいいことだ。納得すると家へと帰り、書物に何事かおもしろいことが書かれていないか探すとその日は眠ることにした。
夜中に妹が身体を摺り寄せてきたが寝た振りをしておいた。まったく、大きくなったと思っても未だ小さな子供のようなものだな。
村中の男たちが連日穴に向かって自慰をしているらしい。
一ヶ月の外界調査を終え、家へと帰ると悟った顔をし、修道僧のような笑みを浮かべる弟から私はことのすべてを聞いた。
まるで神のように友をたたえる弟に昔日の姿を見ることができない。私は酷い屈辱を受けたような気分で村の中央へと向かった。
友はそこにいた。村の中央で悟った表情をしながら何かを語っている。曰く神はすべてを見ている。私たちは神の全てを見通す穴を得ることができた。神とは真理であり、真理とは神の身体の一節である。
わけがわからない。私は外界調査で得た情報をすっかり忘れてしまうと穴へと向かい、このやるせないものを吐き出そうと思ったらなぜか同族に囲まれた。
曰く、順番待ちであるのであと三日待て、とのこと。
馬鹿らしくなって家で寝ることにした。夜中にやはり妹が忍び寄ってきたが疲れてしまったのでそのまま眠ることにした。
長老に報告に行く。すっかり忘れかけてしまったが、周囲に増えた亜人種の調査報告だ。亜人種には私たちに傷を負わせる能力を持つものを確認できず。放置しても問題ない由である。
長老は安心した表情を浮かべるものの、その顔には憂えがある。私は同情の視線を向けた。思想的に無事なのは既に枯れている長老と外界調査を行い、村を離れていた私のみである。我らの一族で男として無事なのは私だけという有様だ。
幸い私たちの寿命は長いので私が次の世代をしっかりと残せば問題ない。あとは旅に出ている者たちを呼び戻すだけであるが。長老はため息をついた。すっかり外の連中は人間に狩られてしまったので、残るのは私たちぐらいであると。
それは、と思うしかない。ないが、まぁ、時流である。こういうこともあるもんだと私たちは大きく高笑いするとがっしと両手でつかみ合い抱擁を交わした。互いに次会うときも無事でいてくれよ、という意味の抱擁であった。
私の結婚相手を三人に増やすことでその日は話を終えた。行き摺りの関係でもかまわぬので誘われたら断るなとまで厳命されてしまった。
腰を振る日々が続く。欲求不満の女たちが連日連夜私を訪れるのだ。私は疲労を感じながらも雄としての優越に包まれた。しかしこのままでは私が枯れかねない。
旅に出る由をしたためようとしたが、その度に妹が擦り寄ってくるのである。ああ、穴が恋しい。あれにため息を吐ければどれだけ私の心は救われるのだろうか。
しかし有象無象と並んでため息を吐き出すのは少しばかり戸惑われた。夕方の、人の少ない時間にあれに向かい、日々の悩みを吐き出すことが快楽のひとつであったのだ。それを今なくしてしまうのはどうかと思われる。
私はため息をつくと擦り寄ってくる妹の頭を撫で、すっかり性欲のなくなりかけた己が身体に力を入れたのである。
世界が、縮まっているというのは本当だったらしい。久しぶりに飛んだら世界の端にたどり着いてしまった。そのまま進むと黒い世界がそこに見えた。触れると何か、よくわからないものが侵入してくる。なつかしいと思ったら私の憂いであった。なるほど、世界がネガティブに囲まれていると。
解決策を考えるも思いつかないので同族の男を三人ばかり気絶させ黒い霧に放り込むことにした。何も変わらなかったので別の手段を考えることにする。
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