第一章『【唯我独尊】と無謀の侍』
索敵即殺。殺戮についての認識
武器が手になじんでいく過程がわかることほど幸福なことはそうない。浩一は巨大な斧を持った厳つい中年男のようなモンスターの首を飛ばしながら実感する。
数年来の愛刀である飛燕ほどではない。それでも、未知だったものが、無垢だったものが、扱い続けることで己の一部へと変化していくような錯覚は、生粋の戦士である浩一には心地が良い。
「次ッ!!」
浩一の指示によって背後にいるアリシアスが結界を解除する。モンスターハウスと呼称される、アックスだけが無尽蔵に転送され続ける部屋の前に陣取り早一週間。当初は一体倒す度に数分の休息と治療を必要としていた侍も、いまや連続で美中年型モンスター【アックス】を相手取れる程度には成長していた。
火神浩一の様子を離れた位置から見ているアリシアスはリフィヌス傘下の企業から送られてくる情報に視線と思考を向けながら、わざわざリフィヌスの蔵より取り寄せた結界発動特化の杖、魔匠ハルイド製Aランク魔杖【リベァーロンの腕】で床をこつりと叩く。
籠められた魔力に応じて相応の結界を発生させる魔杖は、モンスターハウスへと繋がる通路より、押し出されるようにして出てきた一体のアックスと背後の群れとを隔てるように、薄いガラスのような魔力結界を内部の魔力回路を通して発生させた。
オォンと空気を捻じ曲げるような音と共に発生した無色透明の薄い壁。
それはまったくの無色であるがために分断された双方に分断されたこと自体を気づかせない。
誘い込まれたアックスの背後にてうごめいていたアックスの群れは。闘争本能に支配された彼らは、その数秒前と同じく結界によって浩一との接触を遮断されたことにも気づくことができない。
中年モンスターの顔が透明な結界に勢い良くぶつかり、ぐしゃりとゆがんだ。一切の弾性を持っていない結界にぶつかった顔面。生体武具を保有する亜人種特有の銀色が混じった紅い血がびちゃりと張り付く。
杖を通して発動しただけの、ただ形と特性を与えられただけの、圧縮すらしていない魔力の塊。それでも、アリシアスよりも生物としての格の低い彼らには突破が、いや、傷をつけることさえも許されない。
そして、学生に対して敵対行動をとるように設定された彼らは、諦めるという思考を放棄させられているために、未だ発生していることすら理解できていない膜に向かって我武者羅に突進することしかできなかった。
脳と身体に付与されたナノマシンの発動は、忠実に獣の思考を刈り取っている。
「退屈ですわ」
ふぁ、と欠伸をするような気だるさで手元のウィンドウを眺めていたアリシアスは、再び浩一の声が上がっても一切顔を上げることすらなかった。
そうして数分の後、再びアックスの命が絶たれ、血に塗れた侍は再び修道女に声を上げる。
「非効率すぎますわ」
アックスとの戦闘を浩一が始めてから三日、アリシアスは呟いた。
確かに、強くはなっている。アックスとの戦闘で傷を負うことも少なくなってきたし、攻撃の効率もよくなった。
だが、強くなったとはいえ、これはアリシアスの知っている強さではなかった。確実な強さではない。絶対的な、生物としての格を匂わせるような強さではない。
今も敵の攻撃を必死に避け、逆撃しようと勝機を探している泥臭さは、アリシアスが知っている戦士のものではない。
薄々は、いや、最初から気づいてはいたのだ。彼女の知る強さを浩一が持っているわけではないというのは。そもそもの興味がそれを発端としていたために少し戸惑ってはいたが、浩一の強さとアリシアスの強さはイコールではないということぐらいは。
それでも、いや、それだからこそか。浩一の鍛錬が非効率で、今現在の学生たちがまともにこなすようなものではないということはアリシアスには確信できていたし。これでどこまで強くなれるのかが疑問だった。
ただ倒す。ただ動く。ただ刀を振る。そうして殺す。浩一の行動などこれぐらいだ。何かを得るための行動ではない。何かを確実なものを得ようとするためのものではない。
アリシアス、いや、この学園都市の学生はこんな無駄なことは一切したことがない。
強くなりたければ金を貯め、身体の強化を図る。強力な武具を得る。新たなスロット得る、強化する。
簡単に技能が欲しければ脳に電極を刺すし、専用の薬を大量に摂取する、トランスしながら擬似的な体感データも取得するし。必要とあれば短期で効能のあがるものの全てを行う。
その中にはアリシアスが嫌う、超人思想を思想の核とし、専用のスロットと教義を身体と脳と心に埋め込み、モンスターの肉体を喰らうことで身体能力を上げるような方法すらある。
確かに、浩一のような方法で強さを得る方法も存在する。が、それも目的あってのものだ。何々を取得したので試しに扱ってみよう。AのモンスターはBのモンスターと生態が似ているので倒して行動パターンだけでも予習しておこう。そんな程度のもの。
だから、アリシアスにとって、浩一の行動などは、無駄の塊であり、貴重な資源の浪費にしか見えなかった。
ただモンスターを殺すためだけにダンジョンにもぐり。ただモンスターを殺すために刀を振るう。モンスターと真正面から相対し、搦め手を用意するわけでもなく殺そうと考える。
最初のアックスを殺害し、これでミキサージャブに挑むのかと問うたときのことをアリシアスは思い出す。
浩一は死体を見ながら、モンスターハウスの前の通路に陣取りながら、ここにキャンプを設置すると言い出した。
最初からおかしかったのだ。たかがダンジョンに何週間も潜ると言い出したことから。
浩一は肉体強化やスロットを入手しようともいわなかった。月下残滓を渡してからもそれの習熟に時間をかけるばかり。秘めたる力を探すわけでもなく、ただ斬るだけ、浩一は、何を考えているのか。金を貯めてアイテムを買う? 何か特殊なレアスキルを取得している? そんなわけがない。浩一は最初から、アックスを殺すとしか言っていない。アックスだけが目的としか言っていない。そして、アックスだけを三日間。休息を取っているにしてもハイペースで倒し続けている。
何が目的なのか。まさか、本当にアックスを殺すだけが、アックスを殺すことだけが目的なのか。いや。アリシアスの脳裏に否定の言葉とともにまさか、という考えが浮かんだ。まさか、そんな馬鹿馬鹿しい行動をまともな人間がとるわけがない。不安、いや、不快を顔に浮かべ、アリシアスは侍へと声をかけた。
「浩一様」
息を吐き、アリシアスが発動させた青属性を受け入れながら浩一は首をかしげた。今までアリシアスは見ているだけだった。ただ、何もするでなく、治療と結界だけを行い。浩一を見ていた。何も言わない。いや、週間単位で潜ると宣言していたから勝手に納得したと思っていたが。そうではないらしい。
パートナーである雪が頬を膨らませたときのような感覚を一瞬覚えながら、浩一は汗を袖でぬぐいつつ、自分を見つめるアリシアスになんだ、と問い返した。
アリシアスは、確証のついていない、いや、確信したくない思いを胸に浩一に言葉を放つ。
「まさか。このままずぅっとアックスを殺し続けるなんて、考えていませんわよね?」
「そうだが? 何かあるのか?」
真面目な、冗談の一切が感じられない浩一の表情。それを見たアリシアスはそっと口を押さえた。
勢いのままに汚らしく、全く面白みのない言葉を吐き出しそうになったからだ。
しかしそんなことは浩一には一切わからない。浩一はアリシアスの性格をそこまで熟知していない。
それでもアリシアスの様子と言葉から浩一に付き合う時間がないのかと、そういった考えに至りかける。だが、それならばアリシアスからそれを言うだろうと思考の端にそれを放り投げかける。
それでも浩一が思う以上に、本当に時間がないのかもしれない。学生とはいえアリシアスはリフィヌスの一人だ。浩一のように講義を受け、闘い続ければよいという生活をしてはいない。彼女にはやらなければならないことが山積しているはずだった。
(忙しい、はずだ。俺に付き合っている暇がない程度には……)
確かに、浩一の考えは確かに真実の一側面を突いていた。
アリシアスには、今の浩一にかかずらっている時間がないわけではない。そこに価値が見出せたならば付き合っても良い程度にはアリシアスは浩一を買っている。
しかし、それでも無価値なものに使うような、見当違いの努力に付き合うような時間などは一切ない。
アリシアス・リフィヌスには、すべきことが山ほどある。万金以上に価値のある時間の消費。それは浩一という存在に向ける信用だけでは全く説得力が足りなかった。
だから、アリシアスは額を押さえ、胸から溢れそうになる、怒りにも似たわけのわからない衝動を抑えた。この規格外が何を考えているかアリシアスには一切わからない。それでも、アリシアスとは違うルール、常識の元に行動していることだけは今までの経験で理解していた。
本人に自覚はないが、わけのわからないことを言い出した息子と話をする母親の気分でアリシアスは浩一に、最大限冷静になりながら問いを発した。
「では、なんのためですの? なんのためにアックスを殺し続ける必要があるんですの?」
「そら、身体を鍛えるためだ。言ってなかったか? 俺は、身体の改造が、スロット含めて一切できないんだよ。だったら実戦を重ねるしかないだろう」
学園都市に蔓延している効率重視。肉体強化至上主義の利点を浩一は嫌というほどに思い知らされていた。無論、それを否定する気など全くない。ずっと望んでいることだ。自分も身体を改造し、手っ取り早く強くなりたい。なれるのならば。
この学園を訪れ、同世代の、浩一よりも明らかに才能のない人物ですら、身体改造とスロットの搭載によりランクを跳ね上げていった。ずっと歯を食いしばりながら同輩が強くなっていくのを見てきた。自身の血に塗れ、モンスターの血を浴び、正気ではないと他人に言われるたびに自身の体質を恨み続けてきた。
それでも、体質から身体改造を施すことのできない浩一に、身体改造を選択することはできない。
強くなるためには誰よりも戦いの経験を積む必要があった。誰よりもモンスター情報の収集に励む必要があった。
小手先の技術ではない。真に戦場で扱える、あらゆるものを真正面から叩き斬る術が欲しかった。
結局、何年もダンジョンに潜りながら、誰よりもダンジョンに潜りながら、遅々として進んでいない探索も、人数が足りないこともあったが、根本的には浩一の強さがそこまで至っていなかったことが原因。
この数日のような強行軍も、アリシアスが邪魔なモンスターを全て駆逐してくれていたからできたことで、浩一の強さなど数日前からほんの少し程度しか伸びていない。浩一が得られたのは、単純な慣れだけだからだ。高ランクモンスターと戦うことに対する慣れ。足りない部分は月下残滓の切れ味によるゴリ押し。
火神浩一にとって、学園都市に来てからの十年は、性分のようなものに邪魔されたり、ろくな目にあわなかったことばっかりで、自分が一段飛びで強くなったと思えたことは一度もなかった。一歩一歩、地力を固め、ただ歩いていくことしかできなかった。周りがどんどん進んでいく中、ただ歩き続けたのが浩一の強さだった。
身体に異常をもっている浩一。他の学生のような、一足飛びで強くなる方法が使えない浩一。彼はこれしか己を強くする方法を知らなかった。これしか身になるものはなかった。
過酷なトレーニングと、ただただ実戦を重ねていくだけの。はるか昔、未だ人類が改造技術を手にする前の手法。それのみが己を鍛える手段なのだと、この十年で十分に思い知らされていた。
しかし、そんな泣き言をいちいちアリシアスに聞かせるような弱さは浩一にはない。理解してもらうとか、納得してもらうとか、そんなアリシアスの心情に拠った考え方は無意味だ。そしてそもそも浩一を知らないアリシアスが、その常識から吐く意見などに浩一は興味がなかった。
浩一にはその程度の意見でなら引く必要がない。浩一はアリシアスの持論に付き合う義理を持っていない。
「はッ、ははッ。浩一様。あまりに面白くない冗談ですわよ。たかが実戦が、たかが戦闘が自分を強くするなんて幻想を持って、一体何を殺しにいくつもりですの? ミキサージャブに対しては、神経の伝達速度を劇的に上げねば攻撃に反応できないでしょうし。そもそも身体が追いついていないのですから根本的な改造以外に手段は存在しませんわ。当然、前回の戦闘は単純に運が良かっただけなのだと。無様に無様を重ねてやっと得られた命だったことを、忘却してしまいましたの?」
だから、馬鹿にしたというよりは怒りを含んだ、嘲笑というよりは諦観を含んだ嗤いを浴びせられ。
そんなことで強くなれるわけがないだろうと、ミキサージャブに勝てるわけがないだろうと、辛辣に、呆れたように告げるアリシアスに、浩一は真正面から、自身の持つ決意を持って答えただけだった。
「俺はやるぞ。俺は、それしか知らないからな」
依怙地になっているのではない。浩一にとってはこれが最も確実に強くなるための方法であり、ミキサージャブと戦闘方法が似ているアックスは、そのために超えるべき壁だった。
超えるために、強くなるために打倒し尽す必要のあるモンスター。十年の歳月で蓄えた確信だけが、浩一の中にはある。
それでも、アリシアスの言葉を聞いた浩一は子供のように駄々を捏ねたかった。自身を否定する人物を見るたびに、言葉を聞かされるたびに、改造をしてくれるのか。そんなに言うならば俺に力をくれるのか。そう言いたくなる感情が腹の底から湧くことがあった。
しかし現在の自身の身体に改造を施すことは、四鳳八院の技術ですら不可能と言われた過去が浩一にはある。冷たい研究室の廊下でそれを知らされ、拳を壁に叩きつけたことは今でも覚えている。だから、自身に言葉を浴びせる誰もそんな手段をもっていないことを浩一はよく知っていた。
それに浩一が鬱屈のままに相手にぶつけようとする主張などただの八つ当たりでしかない。相手からすれば、モノと現実を知らない子供の戯言でしかない。浩一の言葉など、誰にも認められはしないし、それがかなうことはない。
だから、浩一は模索した。一番強くなれる方法を。浩一が一番強くなれる方法を。
この道は、この方法は、自分で探して、自分で選んだ。
浩一が闘い続けることを。ただ、血を浴び続ける道を。
「俺が強くなるにはな。闘い続けるしかないんだ」
浩一の、不屈の、不退転の意思の込められた視線がアリシアスを貫く。
子供の理屈と罵られても良かった。それでも、自分で選んだからこそ、浩一には退く理由がまったく存在しなかった。
一週間。重ねた経験によって、確かに浩一は強く、いや、慣れていった。浩一はAランクモンスターであるアックスを殺戮し続け、ただ戦い続けた。アリシアスは結局、浩一の言葉の強さに押し切られてしまった。
(この胸の奥にある熱。わたくしに不可解な行動を取らせる因……)
自身の持つ、奇妙な熱情を確かめながら、それでも、それだけではないのだとアリシアスは自身の感情を緩やかに否定した。
浩一との交わりをここで終え、地上に一人帰るという選択肢はあった。借りの件など、リフィヌスの力を用い、ダンジョン実習に浩一を当分のあいだ登録すれば果たせる。刀の件も含めれば体面すら保てるだろう。
火神浩一という、ものの価値を知らない男に物の価値を知らないリフィヌスの小娘が十二分すぎるほどに恩賞を与えた。情報が出回ればこのように言われるに違いない。違いないが周囲に果たしたという認識を与えることはできる。
得られるのは、僅かな体面と、約束の履行を行ったという事実。
しかし、アリシアスにとってはそれだけでは不十分だった。
それらでこのくだらない、無駄だ、と思う行為からは足抜けはできるだろう。自身が失うであろう時間も取り戻せる。十二分に魅力的だった。思わずこの場で立ち上がり、ダンジョンから出て行こうと思う気にさせる程度には。
それでも。だが、だが、という思いがアリシアスの行動に制限を掛けていた。
アリシアスにそれらをさせていないのは、自身の誓いにアリシアスが誇りを持っていたからだ。アリシアスは浩一に力を貸すと宣誓している。それを、アリシアスの判断だけで切ることはできない。アリシアスは自身の眼力を信じてはいるが、それでも今、その眼力を信じる心に狂いは生じていた。
それが、浩一がやるぞといった言葉だ。アリシアスはそれに、強い、本当に強い熱を、意思を感じた。
明らかに、期間も才能も努力も足りないだろう男。しかし、アリシアスにそれを否定されていても、それをやると言った。宣言した。それしかないとも言った。
それらを馬鹿馬鹿しいと一笑に付すこともできた。正気ではないと見限ることもできた。だが、それはできなかった。
アリシアス・リフィヌスはその言葉に熱を、巨大な、やり遂げるであろう男の意思を感じてしまった。
それが、現実を、世界は言葉通りにならないことを知っている唯我独尊に。
アリシアスが、唯一心の底から信じていたアリシアス自身に向ける信頼をほんのすこしだけ狂わせ、浩一の言葉を信じる気にさせたのだ。
(本当に、馬鹿馬鹿しいですけれど。本当に、わたくしらしくはないのですけれど……。本当に、わたくしが見ることができるなら。それこそこれには意味があるのかもしれませんわ)
だから見届けるぐらいはしよう。
死ぬかもしれない。生きるかもしれない。諦めるかもしれないし、本当に倒してしまうのかもしれない。浩一の言葉に嘘を感じられなかったアリシアスは。いや、必ず達成するという意思を感じたアリシアスは、今も無用の殺戮を生み出している男を眺め。呆れたような、感心したような、奇妙な気分のため息を、浩一の言葉を思い出しながら吐き出すしかなく。
ずくり、と―――。やる、と言った浩一を思い出したアリシアスは、胸の奥の熱が少しだけ何度目かの熱を放つのを感じた。
「全く、わたくしの方が先に手馴れてしまいますわよ」
アリシアスは発せられた胸の奥の熱を、手馴れたように意識の片隅に追いやり小さく呟いた。
かすれるようにして言の葉にされたそれは、男の耳には聞こえていない。
修行、鍛錬、という行為は学園都市では推奨されるものではない。身体を不必要に痛めつけること。身体を意味もなく動かすこと。そういったことを行うよりも新たな知識や技術を学ぶこと、学術的な実験等に参加するほうが大事だと考えられているからだ。
確かに、慣れや習熟といったものは大事ではある。それがなければどんな技能も意味がないだろう。しかし、ほとんどの学生は身体改造のついでに剣を効率的に振るう動きや、身体の効率的な動かし方を教えられ、一日か二日でそれらを一定の熟練度までマスターしてしまう。
彼らの身体は非常に優秀だ。一度覚えた事柄ならば、そうそう忘れることがない。だから、修行などという無駄なことは忌避されているし、同じ事を何度も何度も身体に覚えさせようとは考えない。
それは、実際に鍛錬を目にしたアリシアスにとっても同じことだった。浩一の動きが何をもたらすのか、初日のみは熱心に見ていたものの、今となっては面白くもない行為のひとつにしか感じられず。他人が行う姿を見るのは今回が最後だろうと感じていた。無論、自身がやろうとも思わない。
この二週間でそれだけは嫌というほど知ることができた。浩一に付き合ったアリシアスにとっての収穫といえばそれぐらいだった。
確かに浩一はこの二週間。宣言通り、強くなっている。複数のアックスに攻囲されながら、かすり傷を負う程度でそれらを打倒できる程度には強くなった。
しかし、その影には千を超えるモンスターの犠牲がある。屍だけが積みあげられている。アリシアスですらこの場にいながら、非常に非生産的な無駄の塊にしか見えていない。
事実、これを話で聞いたとしたら、どこかの学生がアイテム収拾のためにアックスを無駄に狩りつづけているとしか思わなかっただろう。
アリシアスはこの二週間の間に、何度かこの行為を止めさせるように都市の管制側から要請を受けていた。それらに対してアリシアスはリフィヌスが所持するモンスター養殖プラントの一基を一年間無償で提供すること決着をつけている。
浩一には教えていない。教えて奇妙な遠慮をされることは望んでいない。浩一には見せてもらわなければならない。
既にアリシアス・リフィヌスに対して、大言を吐いているのだ。一度吐いた言葉は呑めないことを知ってもらうにも都合が良い。
アリシアスの顔が少しだけほころぶ。
何日? 何週間? 掛かる時間などはもう良い。消費された時間は後戻りする必要がないことを教えてくれている。浩一はどんな判断で、この場からどんな切り上げ方をするのか。
興味が湧いたのだ。あの言葉を吐いた人間が、泣きつくのか。苦悩するのか。ただ果たすのか。それが今の興味であり、また期待であった。
修行、大いに結構。満足するまで殺せばよろしい。
責任は取ろう。時間も賭けよう。手間も受け入れる。
(だから、わたくしに示しなさい。血を積み上げた果てに何を為すのか。わたくしにそれを見せてみなさい)
浩一を囲んでいたアックスの首が二匹同時に飛ばされた。確かに、慣れや習熟によって技量のみは上昇している。
しかし、これで殺されたのは何匹だろうか。アリシアス自身も飛び掛ってきたアックスを単純な魔力操作によって圧殺しながらそんな益体もないことに思考を巡らせ、どうでも良いかとすぐに放り捨てた。
だけれど、それだけのものを支払いながら浩一に目に見える生物としての向上はない。浩一がこの二週間で得た成長程度ならば、同ランクの学生の神経回路を上等なものに切り替えるだけで、浩一の成長よりも精度の良い動きをさせることは可能だ。単純に身体能力向上タイプのスロット強化でも問題はない。
結果として、都市内で家が買える程度の金を掛けるならば、一般人でもアックス程度すぐに殺害できるようになる。施術とその後の完熟にも三日も掛からないに違いない。
だけれど、とアリシアスは思索を中断し、アックスの群れの中で刀を、月下残滓を振るい続ける男を見た。
生きた不条理。アリシアスの疑念の正体を露にし始めた男。浩一の行っているものは、掛けた時間と消費したコストでイコールすることはできない。速度も、撃力も、スキルすら彼に上昇はない。だけれど吐く息には熱がこもり。振るう刀には生気が感じられた。
アリシアスは確かに、火神浩一に、熱のような衝動を孕んだ男に見惚れている自分を意識し。
「馬鹿馬鹿しいですわ」
ふんっと鼻を鳴らす。
杖を横一閃し、単純な魔力を放った。苛立ちだけが付与された魔力の刃は四方からアリシアスへ襲い掛かろうとしたアックスを内部から爆殺。怯えたように中年男のような亜人たちはまだマシだと思えた刀を振るう修羅へと向かっていく。
まったく、と呟きながら思考に戻る。そうして浩一から感じる圧力は確かに上昇しているのだと確信を得た。
浩一の行為は、今までのアリシアスの常識では無駄の塊ではあるが、結果として、浩一の底がさらに深まったということは認めてやってもよい。
無駄しかない、しかし、無駄ではない。膨大な財を持つが故に時間をもっとも重視しているアリシアスには受け入れることのできない方法だが、確かに浩一は、少しだけ、ほんの少しだけだがアリシアスの立つ領域に近づいている。強く、いや、底を深めている。
浩一のそれは、学園都市の認めた強さではない。生物としての格を上げる技術により、さまざまなモンスターと闘える方法ではない。確かに、四鳳八院の祖たる鳳閑は武術による強さを示したが、それはあくまでも人体ベースの強さにはまだまだ発掘する余地があることを示しただけであり、ただの経験が生物としての格を超えることを示したわけではないはずだった。
だったが、アリシアスは浩一を見ながら思うことを止められない。
無駄の中にこそ、自分が見つけなければならないものがあったのでは、と。
(……わたくしは間違ってはいなかった。それでも、正しくなかったのかもしれないなどと。いえ、そんなことを考えたところで何になりますの? わたくしは誇りを示す。そして、わたくしたちが正しいと思うことを為すためにも、必要なことを必要なだけ行う必然が存在するだけ)
自らの役割を自覚しているからこそ振り向く必要を認めるわけにもいかず。ただ、結果のみを受け止める、受け入れる必要があるとアリシアスは矜持から判断するしかなかった。
今までは、受け入れがたいことは実力を持って排除と歪曲を行ってきた。利のみを貪ることができるとは思わないが、護るべき矜持や誇りがあるならば現実のほうを歪めることに否やはなかった。
そのアリシアスの認識に皹を入れていく侍。火神浩一。どこまでも胸の奥底を騒がせる男。
ああ、と初めてアリシアスは胸のうずきから声を漏らし。恥じ入るようにして湧き続けるアックスに魔力を叩きつけた。
『パーティー名:ヘリオルスによる固体名:アックス(通常体)の討伐数が3000を超えました。
救済措置として、
パーティーリーダー:火神浩一 パーティーメンバー:アリシアス・リフィヌスにスキル【索敵即殺】を付与します。
注意!!
無用の殺害。無用の討伐。無用の戦闘は全学生の侮蔑の対象となります。
考えて行動をしましょう。考えて討伐をしましょう』
通常のダンジョンアナウンスではない、奇妙なアナウンスのようなものが未だに殺戮を止めない二人の脳裏に響き渡った。
同時にずくり、と浩一とアリシアスの身体に奇妙なうずきが走り、二人は未だ襲い掛かってくるアックスを無意識に殺害し、顔を合わせた。
「なんだ。今のアナウンスは?」
「いえ、わたくしにも見当がつきませんわ。それよりも索敵即殺、とは?」
侍は疑念をダンジョンに向けつつ、首を振り。修道女は即座に自身のステータス情報をPADから呼び出した。
名を上げること。それに対する渇望。力を得ること。名を上げるための手段の模索。名と力。名声と暴力。どちらをも手に入れるために己は努力を続けていた。
何も知らなかったころがあった。世界が善意だけでしか構成されておらず。母の胸の中は穏やかを体現し。父が語る軍人の戦いに心を震わせていた幼い時代。
自らにとって、父母はいつも誇らしかった。それの根幹となるもの。過去の記憶。暖かさの記憶。
「目が覚めたか」
黄金剣士連合のリーダー。ゼリバ・ライゴルが目覚めたとき。傍らには一人の影のようなものが立っていた。
病室、いや、病室に非常によく似ている部屋の中。点滴針が自身の腕に突き刺さり、薬らしきものがぽたりぽたり管の中を落ちている。体内の様々なナノマシンは、それは単純な栄養剤であるため、危険はないという情報をゼリバに与えてくれた。
しかしそれでも左腕に突き刺さっていた点滴を引き抜こうとする右腕。得体のしれない薬を信用することはできない。管を掴み、力を込め、気づく。
「あ゛? 腕が、再生だと」
自身の失われたはずの腕を確認し、両腕がきちんと存在していることに、ゼリバは今更ながらに気づかされ。そして、傍らに立っている影がカタカタと身体を揺らしていることに気づく。
「クク。ククククク。どうだ? きちんと動くか? 剣は握れそうか?」
ゼリバは下種の嗤い方だと自然と思った。どうしてかわからないが、過去にこんな嗤い方を誰がかしていたことを思い出す。誰かは思い出せなかったが。
「あ、あんたは?」
ここは、ではなく、あんたは。自然と問いが口から出た。この場はどこでも良かった。そんなもの、自分の目の前にいる人物の正体がはっきりすればはっきりとする。人物から場所の推測は行えるし、今の政治状況の判断もできる。それだけの情報を今まで蓄えてきていた。その自信がゼリバにはあった。
もちろん、意識を失う前にあったことに対しては自分がどこまでも迂闊だったとしか思えない。しかし自分の判断を恨むわけにはいかなかった。
後悔だけはするまいと、誓ったことがあったからだ。当然、行き場を失った感情は恨みの対象をきちんと知っている。自分はうかつだったが、苦難を与えてきたのは天災ではなく人間だ。ゼリバは自身が知る最も卑劣で、最も容赦のない手段を用いて己が栄光の障害となった男と女に最大の屈辱を与えながら殺すことを決意していた。
「アリシアス・リフィヌスについて、有力な情報があるが。どうする?」
影は、場所も、人物も、何も語らなかった。ただ刃の鋭さを秘めた言葉を吐き出した。ゼリバは自身の経験と、先ほどの嗤いを思い出し、判断を下した。これはろくな人間ではない。
こういった人間は黄金剣士連合を大きくしていく際にも出会ったことのある人種だったからだ。遥か高みから見下ろしてくる依頼人。自分がどこまでも高みに登っていると信じて疑っていない偽りの貴種。アリシアス・リフィヌス。蹂躙する権利があると思っている人間。
先ほどの嗤いを思い出す。なぜ聞いた覚えがあったかを思い出した。あの嗤いはアリシアスと同じものだった。傍らに立つ者を、人間だと思わないような下種の嗤いかただ。
ぎしり、とゼリバの歯が鳴る。恐怖にではない。怒りでだ。前衛職に必須のオーラを作り出す器官に力を入れた。目の前の人間ぐらい軽く殺してやれる。自身の持つ暴力に酔いながらゼリバは頷いた。この手の人物は政治力は高くても戦闘能力はそうない。ゼリバは今まで会ってきた人物。Aランクである自身に荒事を命じてきた連中を思い出し。確信を重ねた。自分のような人間に依頼を与える人間は、弱い。だからぶっ殺せる。だが、まずは、情報だ。情報が必要。
「ああ、貰ってくださいってな。アタマァ下げて頼みこんできたならいやいやだが貰ってやってもいいぜ。当然、聞き手間分の駄賃ぐらいはくれるんだろうな?」
情報を引き出したらこの影のような人物は殺す。
リフィヌスに逆らった自分に未来があるとは思えない、という本人すら意識していない無意識の中にある自棄こそがなせる暴言と判断であったが、ゼリバはそれには気づかず、嘲るようにして言葉を紡いでいく。
当然、影、いや影のように姿を認識することができない小柄な人物が身に纏っている黒い衣。それが、自身の認識をずらしていることにも気づいていない。気づけない。Aランクの剣士であるはずのゼリバは、自身がこの短い期間に、自身のランクを超える生物に、二度も三度も遭遇するとは考えていない。考えようともしない。
いや、そもそも、影のような人物に対する認識をずらされて、誤認させられていることに気づけていないのだ。
だから紡ぐ。まるで虚勢を張っているようだと頭のどこかで冷たい声がささやいたが、ゼリバはまったくそれらには気づかずに影に挑発を重ねていく。
「おう? なんだ? ダンマリか? さっさとその口べらべら動かしてもらってくださいってよぉ。言っちまいなよ。俺ァ優しいからよぉ。聞くだけは聞いてやるぜ。当然さっさと代金を「黙れ」 ああ!?」
影の纏う闇のような衣の隙間から。小さな、本当に小さな少女のような手が伸びゼリバの喉をひねるようにして掴む。ゴヒュッ、とゼリバの口の端に泡のように唾液が溜まり。言葉が止められる。
「愚かなアリシアスが愚かにも相手にした愚物だと聞いてみたら、これではアリシアスを馬鹿にできんではないか。判断の鈍さ。意識の愚鈍さ。知能の欠如。まさしく愚物ここに極まれりといった感があるぞ。ゴミ屑め。貴様の両眼は飾りか? 貴様の両耳は側頭部についた染みのひとつか? 囀る口を引き剥がしてやってもいいんだぞ?」
ごびゅ、ぼびゅ、とゼリバが口から声に鳴らない言葉を漏らす。ゼリバの頭の中には、なんだこれは、なんなんだこれは、なにが起こってる、なぜ抵抗できないッ。疑問ばかりが延々と巡る。
まったく動きを為すことができていない。予想外の事態がゼリバから全てを奪っていた。もちろん、目の前の人物の力と圧力によって指一本身体を動かせていないことにも気づいていなかった。
奇しくもアリシアスがゼリバに放射した魔力と同じであった。しかし今の状況と続く混乱によって、ゼリバの頭の片隅にすら、そんな状況を判断できる情報は浮かばない。
ゼリバは、自分がどこまでもうかつな人間だと、その人生の中でまったく気づいていなかった。もちろん、普段であればムードメイカーとしての特性も持つような鈍さで、美点の一種とはなっても汚点とはならなかった。周囲の人物が支えてくれていた、というところもある。
そんな彼がリーダーとして破綻しなかったのは、必要とされる最低限の社交性はゼリバにも持ち合わせがあったからだ。
ただ、その社交性にも、持っていた常識にも、知識にも、ひとつ付け足すものがあった。
ゼリバのこの期間中のうかつさの原因。どうして失敗ばかり起こるかのもっとも根源的なもの。
「いいか。アリシアス・リフィヌスはミキサージャブ討伐に必ず現れる。いいか。ミキサージャブだぞ? アリアスレウズに現れていろいろぶち殺してるモンスターの討伐にだ。いいか?」
ゼリバの首筋を握る手が力をこめ、ぴしり、と金属と置き換えているはずの首の骨に皹が入ったことをゼリバに知らせていた。
「弱者め。この程度にも耐えられんのか」
影が腕を振るうとゼリバの首筋に魔法陣が大量に現れ、皹の入った骨に治癒が掛けられる。呪文を詠唱していなかったように見えたゼリバは、これは無詠唱なのかと泡を食ったように影を見るが、影はそれにはとりあわず、ゼリバの首から手を離し。再び闇のような色をした衣の中に全身を隠してしまう。
「主様」
ゼリバの視界に入らない位置から何事か優しげな声が聞こえ、影がそれに対応を始める中。ゼリバの意識が靄がかかったように消えていく。ゼリバには何が起こっているかわからない。
なぜAランクであるはずの自分が、この短い期間に三度も苦渋をなめなければならないかがわからない。なぜアリシアス・リフィヌスの情報が自身に与えられるのかもわからない。
何が起こっているのかもわからずにゼリバの意識は消えていく。
当然ゼリバには、最後に聞こえた優しげな声の持ち主が自身よりも高ランクの魔導の使い手であったことすらもわからなかった。
数日後。路地裏に放置されたゼリバ・ライゴルの傍らに、ゼリバがリーダーを務める集団の構成員の首がごろごろと転がっていたことや、逃げ込んだ自宅に母親の首が転がっていたこと。そうして母親の口に自身のPADが咥えられ。逃げ出そうとしたゼリバの視界に叩きつけるようにしてアリシアス・リフィヌスが決定的な隙を出すだろう時期が表示されたウィンドウが自宅の全てに表示されたことなど。
根本的な部分で、自身より上位の存在に対する情報や気配に鈍感なゼリバには、何が原因かわかるはずもなく。
追い立てられるようにして、ゼリバは剣を握らされることになる。
これは、火神浩一がアリシアス・リフィヌスに誓いを受けた日と同日の話であり。修行の日々よりもだいぶ前の日の話であった。
何もかもうまくいくようにできていたならば、今ここに自分がいることはないだろう。
斧を所持し、生まれ、死ぬ中年顔の亜人型Aランクモンスター。アックスの集団に囲まれた浩一は、スキル【索敵即殺】が生み出した恩恵を受けながらSSランクの大太刀である月下残滓を振るった。
瞬間に【月光】と名付けられた再生破壊スキルを含む刃が能力を発揮。強力な再生能力を持つはずのアックスに致命傷を負わせ、苦鳴をあげながら中年顔のモンスターが後ずさる。
だが、退いたアックスの背後には大量のアックスが存在した。後ずさった固体は彼らに踏み潰され、死んだ同族のことなどどうでも良いとばかりに群れたアックスたちは、身体と共に成長する生体斧を振り上げ、浩一へと襲い掛かる。
浩一はアックスの群れの中にいながらもそれらの攻撃を受けることはない。背後からの攻撃。タイミングの合わさった重撃。それらは届かない。浩一の身体は跳ねるようにして宙へと逃れていたからだ。戦斧を眼下に見据えたまま、振るわれる斬撃は容易く三匹のアックスの首を切り飛ばす。
「ふ―――ッ」
血臭を吸い込みながらも浩一は空中で息を整え、敵を見る。見続ける。
地へと降り立とうとする浩一へ、戦闘への本能を開花させたまま襲い掛かる集団。ただ降りるなら殺されるだろう殺戮圏。
振り上げられる斧。斬り上げるようにして迫る重刃。殺意の充満する地。
ただ降りれば殺されるだけだろう。ただ降りれば群がられるだろう。ただ降りれば彼らに蹂躙されるだろう。
だから、浩一はただ降りない。硬いブーツに包まれた足裏は首をはねられた後も未だ棒立ちだった身体が持っていた斧を蹴り上げ、腕は更なる敵を捕捉する。そうして更に上へと跳躍し、殺害タイミングをずらされた敵集団へと降り立った侍は、血の花をダンジョンの一室に咲かせた。
「―――と、これで終わり、か?」
ばらばらと首を亡くし、地へと崩れ落ちたたモンスターを見ながら浩一は呟いた。
あっけないとは思わない。火神浩一の身体は間違いなく今の戦いは激闘であったと認識していたし。意識のほうも、自身は彼らを圧倒していたとは思わなかった。
確かに、今までは倒せなかった相手をこれほどまでに蹂躙するようにして殺害できたのは、浩一が確実にひとつのステップを踏んでいる証なのだろうが、それらも未だ刀の性能に頼りきっている感がある。なにより、自分の身体はこの学園都市でもっとも重要視されている身体能力を向上させているわけではない。
今持っている身体をただ単純に上手く動かせるようになっただけなのだから。
奇妙な経緯からスキルを得ることはできていたが、それが決定的に自分の能力を底上げできているものでもない以上。勝利に驕ってはならないだろう。
「浩一様、今日はこれで休息にいたしません?」
モンスターハウスの入り口で杖を構えるアリシアスに軽く浩一は手を上げた。死体へと背を向けた浩一を追いかけるように死体から変換された光のような情報の塊が浩一の懐にあるPADへと吸い込まれ、倒したという情報だけが浩一へと向かい、報奨金とアイテムが与えられる。
これら転送されたもののうち、モンスターの肉は学園都市の保有する食肉工場や薬や武具の加工工場、研究所へと転送される。一般人には毒であるモンスターの肉も、軍人や学生の中には常食とするぐらいに食べ慣れたものたちが存在する。
モンスターの内臓、脳、生体剣の類などは工場などでの工程を経る事により都市を支える資材や人を治療するための薬品へと加工されることも学生の常識だった。
「おぅ。いま行く」
薄く微笑むアリシアスが杖を突くと、新たに湧き出てきたアックスの群れに対してガラスのような結界が現れ、浩一へと向かう集団が押しとどめられた。
並の魔導の使い手では不可能な行為を、魔杖の補助があるとはいえ容易く行うアリシアスこそが化け物と称される人類なのだろうが。
(拗ねるな。妬むな。落ち込むな。やれることをやるんだと決めただろうが)
【索敵即殺】を入手してより一週間。鍛錬と殺戮のついでに入手できたスキルだが、検証してみれば、いかにも浩一向きといえば浩一向きなスキルだった。
無駄と偶然を重ねたことにより手に入った索敵即殺は、単純な戦闘能力増強スキルや、強力な一撃一殺を可能とするようなものではない。
所持しているだけで罵倒というより嘲笑の対象となるようなものだと体内のナノマシンから直接伝えられたそれは、PADの身体情報の隅に、ポツンと、それだけが薄い文字で表示してあるものだった。
浩一は当然のこと、アリシアスですら聞いたことのなかったそれは、今の効率主義の風潮のあるこの都市では入手経路からして馬鹿馬鹿しいものであるが、浩一のような力のないものにとっては万金に勝る価値のあるものだ。
そう、身体改造なしでも手に入るという旨みはもちろんのこと、一度倒したモンスターに対して少々の優位を得られるというスキルの特性が、浩一にはとても都合の良いものだったからだ。
索敵即殺は、得られた経験を体内で効率的に消化し、身体に反映させるスキルだった。
「―――だから、俺は―――ってことをだな」
「ふふ。そういうことかもしれませんわね―――」
「だろ? ―――ってわけだからそんときに―――」
思考の片隅で強さについての推論を進めつつ、浩一はアリシアスと談笑を交わし、食事を取る。
アリシアスと共に検証できた事実は二つ。
まずひとつ目、索敵即殺は単純に神経などを強化するのではなく、経験や熟練を効率化したことにより、既に殺害したことのあるモンスターに対する反応速度の上昇や、戦闘を行うことによる取得情報を増加させるスキルである。
ただこれは、所持者の知覚による情報の変化や取得の大小もあるので情報の少ない現在では何がどれだけ、という確実なものは今のところはわかっていない
更に浩一とアリシアスの違いがある。前衛と後衛や、近接と魔法による取得情報の違い。対応したことのある種族での差。諸々。これはわざわざ別の階層に下り、三日の時間を使ってまで実施した検査であるから情報は確かなはずだ。
取得している前衛が二人いれば更に確度の高い情報が得られたはずだとそのときにアリシアスは語っている。
結果として、索敵即殺は地力を上げるタイプのスキルであり、短期間で一体の個体を3000体という入手条件の面倒さを考えればデメリットのようなものもそう重いものでもないだろうと浩一たちには推測がついた。
二つ目。索敵即殺は身体の成長をも補助している。
未だ確実ではないが、戦闘情報を元にして体内のナノマシンに働きかけるのがこのスキルの特徴らしい。らしい、というのもアリシアスがその場で行った調査の結果だった。浩一にはすべてを鵜呑みにすることもできない以上。そういうもの、という認識でよかった。
確かに、自分の身体であるからどの程度成長したかは理解できていた。
確かに、浩一の身体は成長していたのだった。もちろん劇的なものではない。幼いころから鍛えに鍛えているために、浩一の身体の成長は停止、とは言わないが緩やかなものになっている。年相応のもので、身長の成長はほぼ止まり、180の半ばぐらいから伸びることはそうない。この一年は身長も数センチ程度しか伸びず。体重の変化もなかった。体の筋量も絞るところは絞りきっていた。だから、技量を上げることが浩一にとっては最も短い強くなる手段だったのだが。
索敵即殺は浩一の基礎を用いて、更なる身体の効率化を行っていた。
身体を改造するようなものではない。ただ単純に、今までよりほんの少し程度、身体の動きをよくしただけだ。ランクにしても微動だにしていない。
しかし、そのほんの少しが浩一にはうれしかった。自分の目的である場所は遥か遠くだろうとは思うが、それでもたった一歩だけでも歩き出せたのだから。
「浩一様?」
急に穏やかな顔で、何かを得たような微笑を浮かべた男を見てアリシアスはまたか、と内心で呟いた。
今日だけではない。索敵即殺を手に入れてから浩一は食事時に身体を確認するように動かすとだらしない笑みを浮かべてしまう。既に先ほどまで話していた会話など頭から吹っ飛んでしまっているに違いない。
パンをちぎり、口元に運びながらアリシアスは内心の憂いを顕すことなく穏やかに浩一を見た。
八院に行われる身体改造は通常の学生や八院の分家のものを遥かに引き離す性能を誇る。八院の座を継いだリフィヌスの次期当主と目されるアリシアスほどの人間になれば、施されている改造も通常のものを遥かに超えていた。
膂力にしてもAランクの近接戦闘者を越える程度はあるのだ。それを上手く扱う術を知らないだけであって。
アリシアスのような生粋の戦闘能力者でない神官のステータスランクが高いことは異常なのだが、周囲の者達はアリシアスの苛烈な性格からか奇妙な勘違いを起こしていた。
それでも勘違いを起こさせるほどにアリシアスに戦闘を行わせられる八院の身体改造こそが異常とでも言ってしまえばどうということでもない。
無論、生まれる前からある程度の調整を行えるこの都市でも、神の差配とも言うべき才能の有無はありえるために、アリシアスと八院技術の両方が備わった結果とも言えるのだが。
しかし、その技術の高度さが今現在アリシアスを悩ませていた。望んでか望まずか、アリシアスも手に入れてしまった索敵即殺。そのスキルの効果のひとつ、成長促進。
アリシアス・リフィヌスは、リフィヌスと聖堂院の蓄えた技術の集大成を一身に受けた少女である。
そのため、その身体はリフィヌスの技術者によって、絶妙な技術的バランスをもって外部から調整を受けていた。無論、本来のアリシアスの身体が持っている、身体的な成長すら計算に含めて。
だが、索敵即殺はそのバランスを無視し、身体を成長させている。もちろん、生体のようなデリケートなものを扱うためか、アリシアスの身体にも多少の余裕はある。あるが、この二週間の苛烈な戦闘経験はその余裕を超えて身体を成長させようとしていたのだった。
にやにやと笑う火神浩一を、アリシアス・リフィヌスが内心の焦りを露にせず、呆れの混じった顔で見ている場。
そこにアリシアスが事前に指示していた一通の連絡が地上にある学生課より送られる。
アリアスレウズの封鎖が解かれ、ミキサージャブに挑むものに標的の位置情報を学生課で得ることができるという知らせ。
火神浩一に月下残滓と索敵即殺がなかったならば、アリシアス・リフィヌスの身体を索敵即殺が圧迫していなければ。二人は何らかの理由をつけて時期を見合わせていたかもしれない。無論、浩一に限ってはそれはないとも言えたかもしれないが、勇気と無謀の区別をつけられる程度の分別は浩一にも備わっていた。
しかし、浩一は状況を打開するための小さな一歩を手に入れており、アリシアス・リフィヌスにもその連絡の裏を取ろうと思わない程度には、焦りの一歩手前の状況ができていた。
故に、三週間もの時間をただ殺戮のみに費やした二人の学生は、三週間ぶりの日の光を浴びるために地上を目指すことになる。

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