第一章『【唯我独尊】と無謀の侍』
性能について。またはアリシアス・リフィヌスの内心
ロングソードを振りかぶった人に良く似たモンスターの首が宙へ飛んだ。月下残滓を抜き、刃を振るった格好の浩一は首が地面へと到達する前に別の固体へと向かう。
階層は十五階。地上では真夜中に位置する時間帯。アリシアスと浩一がテントを設営した小広間には棲家と食糧を求めたロングソード達が攻め込んで来ていた。
「はッ、ははははッ、はははははッ!! 次はどいつだッ!!」
否、長剣種達は浩一たちへと攻め込んだのではない。自身と共に成長する生体剣を手に生まれた、美青年の貌を持つモンスター達。彼らは数時間前まで、今は殺戮の場であるこの小広間に生活を場を作っていた同族へと戦争を吹っ掛けにきたはずだった。
だが、そこには何もなかった。小さな、誰もいない窓のない小屋が数軒、残っているだけだった。そこには何もいなかった。生命の、同族の気配がしなかった。
そして、小広間の中央。この戦争の目的である、モンスター達の生命を存えさせる秘薬の溜まった井戸の脇にその人間がいたのだ。
昼夜の一切が存在しないこの空間、その男はモンスター達がこの迷宮に運び込まれてから、久しく見ていない闇夜と同色の着流しを纏っていた。
彼、火神浩一は、ロングソードが自身を確認したことを着流しと同色の瞳で確認すると、腰掛けていた井戸の縁から立ち上がり、腰の刀を抜いた。
来いよ、と浩一が通じぬ人語を放った。
ロングソード達の脳内に棲む、ナノマシン群は学生の姿を認識した瞬間に、思考を蝕むために働きだした。生来備わっていた強力な闘争本能を始めとした数多の機能が、大量の電気信号や生成された薬物により強力に刺激され、ロングソードは敵手の力を測ることすらせずに学生へと踊りかかる。
一対多数。浩一を遥かに上回る身体能力を持つモンスター達が、恰も壁のように迫り来る。浩一と同ランクの学生たちなら迷わず撤退すべき場で、浩一は撤退しなかった。ただ嗤った。不敵に、とても、とてもとても楽しそうに嗤った。
そうして、彼我の差は、正しく現実を作り出す。
無事に、というわけでもないが、五体満足で息を吐く浩一の傍に、息の残っている固体は存在していなかった。
新たに浩一の刃となった月下残滓も浩一が心配したような特殊な能力の一切を発揮しない。
渡したアリシアスが、刀についてそれほど興味がない風を見せていたせいか「はい? 月下残滓だったわけ? と、言われても……。そうですわね、リフィヌスが保管していた刀で一番ランクが高かったのが月下残滓……―――ではなく、どうせ刀なんて物好きぐらいしか使いませんし、わたくしもこんな金属の塊なんぞには不勉強で。だから、というわけではありませんが、適当に倉庫の隅にでも転がってるSランク宝刀でも渡しておけば貧乏そうな浩一様のことでしたから泣いて感謝でもしてくださるかしら、など考えたところ。御爺様の和室に鑑定書付きで飾ってあった月下残滓を見つけたのですわ。とりあえず、鑑定書を一瞥して、これでも渡しておけばそこそこ感謝でもされるかしら、って、ちょ、その呆れた顔はなんですのっ! ッ―――!!! ちゃんと理由ならございますわっ!! ですから―――」などというアリシアス自身が言うには超適当極まりない理由で渡されたその刀は、今のところ、ただ良く切れるだけの刀として浩一に認識されていた。
この、アリシアスの言は、おたまでぶっ飛ばされてからの会話で出たものである。
「ふぅ、こんなもんか」
血振りをし、懐から取り出した布で刀についているはずの脂を拭った浩一だが、刀身にも布にも一切、汚れと言う様なものはなかった。これがSSランクかと妙な関心をしながら懐のPADを取り出し、戦果を表示する。
No.0013586 ロングソード
耐久:B 魔力:E 気力:C 属性:無
撃力:B 技量:B 速度:C 運勢:C
武装:生体剣 衣服のような皮
報奨金:550G
入手アイテム:生体剣のカケラ(小)
技。業とも言うべきか。人類がその発端に生み出し、絶頂期に育み、滅亡へと至る合間に収集されてきたモノ。
弱者の抵抗手段。強者の闘争技能。無数の暴力は正しく人の身に宿ったとは言い難いが。それでも闘争を常とする者たちの間には、深く浸透している。
身体性能、繁殖能力、環境適応……etc。様々な面で劣る人間だからこそ、モンスター相手に手段を選んでいる暇はない。生存のため、生き残るため、人間の努力や鍛錬は、身に成るように行なわれた。
それでも浩一のような人間は確認されてこなかった。否、『だから』というべきか。
人は、身体改造技術が発展して以来、生身でモンスターに立ち向かった者はいない。遠く超人が活躍した時代ですらそんなものはいない。勇敢ではなく、無謀だからだ。戦いではなく、ただの食餌になるからだ。だから、人は、改造する。生き残るために、抗うために。
『だから』、ただ剣のような身体の一部を振り回すだけで、一切の強化をしていない人間ならば百人以上を無傷で殺害できるモンスターに向かい、ただの人間が身に収めた技能だけで勝利を収めたことは、本来ならば決して在り得ない事象。
しかし、現実アリシアスの目の前にそれはいる。こんな誰もが信じられないことを為している。
それでも浩一のランクは上がりはしない。浩一の身体能力は上がっていないから。浩一は、ただ、よく切れる武器を持っただけだから。だから、浩一のステータスに変化はない。
そして、これだけの暴力を駆使しながらも、浩一の技量はB+だ。Aではない。浩一は未だAランク相当の威力を持つスキルやスロット、能力を持っていない。浩一にはAランク相当の力を振るうことはできていない。
「どうして……」
ぽつり、とナイトキャップを被り、衣服も睡眠時用の星の模様の入ったローブに着替えたアリシアスが呟いた。
高度な光学迷彩と完璧な防音、一切の気配を外部に漏らさない遮断スキルなどが組み込まれたアリシアスのテントに二人はいた。この中にいる限り、例え目と鼻の先にテントがあってもランクの低いモンスターは気づくことはできない。
しかし、触れられれば気づかれる可能性はある。だから周囲にいくつかの警戒装置を置き、その度にモンスターを始末する必要があった。
浩一のテントが防音装置すらついていない安物のために二人分の寝具の並んだテントの中、アリシアスは正面に座る浩一に治療を施していた。
全身の細かい傷を青属性の薄い、青色の浮遊する板によって治療を施す。即効性のある神術でないのは浩一の治癒能力の低下を防ぐためだ。神術の使いすぎは対象から環境適応を奪ってしまう。そのため、即効性には欠けるが、概念再生の効果を持つ色属性による治療が行なわれている。
「どうして、というと?」
浩一の返答にアリシアスはゆっくりと首を振りかけた。恐らく、聞いても答えが返ってこない質問だと確信できたからだ。それでも、身体ではなく、心が、答えを求めていない問いを発する。
「どうして、浩一様は戦っているんですの?」
人類のため、世界のため、金のため、将来のため、名声のため。戦うには様々な理由がある。アリシアス自身は家のため、という理由がある。いや、それだけではない。自身の持つ奇妙な性質が今を選んだという自覚もあるし、今まで行なってきた行動の責任というものもある。それに、アリシアス・リフィヌス自身に課せられた使命が暴力的な手段をもってしか解決のできない問題だからでもあった。
だから、か。戦うことに迷いをもったことのない少女は。迷ったことがない故に、他者の戦う理由に興味を一切持ったことのない修道女は。自身の性質の変化に戸惑いながら抑えようのない好奇心、いや、それだけでは片付けられない奇妙な疼きが発した問いを、浩一に向けていた。
「戦ってる理由、ね」
問われた浩一は素直な疑問を目に宿しながら自身を治療する少女を見た。初めて組んだパーティーメンバーにはよく聞かれた問いだ。だから質問の内容自体には疑問を持たなかった。疑問の先は、質問内容ではなく、何故アリシアスともあろう人物がそんな普通、いや、並の人間と同じ問いを発したかだ。しかし、
(考えてもわからんか……)
本人が知ったなら不快に思うような推測まで重ねて浩一は内心の疑問を放り投げた。浩一自身の異常性が、アリシアスにすら並を問いを発させてしまったという点に気づかない辺りが、この男らしい無頓着さとも言える。それでも、他人を慮ろうとしたことが、浩一自身の機嫌が良いことを示していた。普段ならば素直に口にしたであろう配慮のない問いはそのまま浩一の中で永遠に放たれることなく忘れ去られる。
「そうだな。簡潔に言えば、倒したいモンスターがいるから戦ってる自分を高めてるだけだな」
「倒したいモンスター、ですの?」
それは、ミキサージャブではないだろう。アリシアスは浩一に問いを重ねたが浩一は楽しそうに顔を歪めただけだった。口の端に浮かんだ喜悦に狂気のようなものの一端を見つけ、アリシアスの内部で大量の疑問が湧きあがる。アリシアスの視界に見たことのない人種がいたからだ。蛮種。思考したことも単語が脳裏に浮かんだ。
浩一の表情は、八院の中でも最も武闘派な豪人院あたりが浮かべる表情に似ていたが、あれはもっと暑苦しく、爽やかなものだ。
「答えてくださいます?」
今まで持ったことのなかった他人への興味に急かされるようにアリシアスは問いを重ね。浩一を見つめた。外界の情報の一切を絶っているテントの中は浩一とアリシアスの息遣いや衣擦れのみしか音がない。吊るしてあるライトは陽光のごとき心地よさでテント内部を照らしている。きらきらと浩一の身体を覆う青属性の板だけが動きを持ち、ふるふると震えるように浩一の周りを飛んでいた。
癒されていく浩一の傷跡をじっと見つめながらアリシアスは待ったが、浩一は楽しそうに口の端を歪めただけで答えようとはしなかった。不都合がある、というよりは、自身の中で問いの答えを転がして楽しんでいる様子が見える。それは、アリシアスに答えないことを楽しんでいる、というよりは、問いの答えを考えることが楽しくて仕方がないような、そんな様子だった。
「浩一様?」
それでも、短い付き合いだが、浩一は問えば素直に答える人間だ。答えないということは何かがあるのだろうか。
「ん、ああ。そうだな」
無表情に近い、何にも興味を顕さないような表情で浩一はうぅむ、と唸り。隣に置いてあった月下残滓を手に取った。アリシアスが首を傾げたが浩一は行動の意味を答えずに立ち上がり伸びをしてから言った。
「ま、大して珍しいモンスターじゃないさ。遠出すれば確実に会えるような奴だな」
答えになってない答え。アリシアスが不満を口にする前に機械式の警報が警告音を鳴らし、浩一はアリシアスが展開した青属性の板を引き連れて外に出てしまう。アリシアスは戦闘を行なうつもりはなく、浩一は戦闘がどうしてもしたい様子だったために引き留めはしなかった。
普段の自分ならば強引に聞きだしていただろうに、と。自身の変調に不快感を覚えながらアリシアスは少しだけ目を閉じた。
浩一は、傷を負って帰ってくる。青属性を纏わせているとはいえ、そう強力な力を込めてはいないため、効果の方もそう長くは続くまい。
今回のダンジョン実習が何日に及ぶかはわからないが、当分の間、浩一は必ず傷を負って戻ってくるだろう。
それに、結局はぐらかされてしまったが、浩一は何故、戦うのだろうか。
そもそも、何故なんの改造も強化も行なっていない、スロットさえも持っていない人間がダンジョンにいるのか。モンスターと戦っているのか。いや、戦おうとしているのか。
理解のできない答えを転がしながら、寝てても良いのに、アリシアスは浩一が戻ってくるのを待っている。
傷を負った戦士を自らが望んで癒すこと。請われて行なっていた行為を自主的に行なう。初めてとも言える自身の行動に快楽にも似た達成感が伴っていることに、アリシアスは不快だった表情に更なる不快を貼り付けるだけで済ませた。
「わたくしも、血には逆らえないみたいですわね」
自嘲の片隅に少しだけ喜びのようなものを見つけ、アリシアスは楽しくもなさそうにフンっと鼻を鳴らした。
同盟暦二〇八八年 十月 五日 アーリデイズの某所。かつては多くの未来ある学生達がいたであろうその場所は、物も人もなくなり、閑散としている。
広大なフロアには傷だらけの小さなテーブルと、一脚のパイプ椅子のみしかない。
そんな寂しい場所に、五人の少年少女が立派な口ひげの青年と交渉を行なっていた。
「よし、これで契約は成立だな」
パーティー【狩猟者の宴】、その副リーダーである男は、ぎしりとこの部屋唯一のパイプ椅子に背を預けると、目の前の少年を見てため息にも似た視線を浴びせた。
「……な゛に゛か゛?」
しゃがれた声の主は、数週間前に遭ったときとはすっかり変わり果てた少年だ。片足と片腕を失い、しかも残った脚もまともに治療を受けていないのか。動かせていない。だからか、背後に暗いというよりは沈んだ表情の少女が居て、彼の車椅子を扱っている。
(たくっ、まともなもんも買ってねぇのかよ)
電子制御や魔力制御で動く車椅子も探せばいくらでも売っている。PADを組み込んであらゆる生活を支援させることを可能とした機械鎧も存在する。
だが、こいつらには必要なことなんだろうなと改めて男は部屋内を見回した。沈んだ、暗い、陰湿、狂気、復讐、そんな表情の少年二人と少女が一人、部屋の片隅から男を暗い目で見つめている。
(あ~。ほんと恨むぜティンベラスよー)
自身の銀髪をがしがしとかき回すと、男は口ひげをゆっくりとしごき、そうしてから契約書を眺め。呆れた口調で少年にもう一度言う。
「で、ホントにいいのか? こんな好条件で」
こんな金があんなら病院にでもいって来い、という台詞を飲み込んだ男は契約が終わったにも関わらず改めて確認を取る。今回、男の役目は亡くなった友人の後輩に会いに来た面倒見の良い先輩ではなく、事情があって戦えない学生や、イベントなどへの戦力を派遣する派遣パーティー集団の窓口として来ていたからだ。それでも生来の気質が顔を出して、踏み切れずにいる。だが、これに頷けばもう撤回はしないぞ、とも考えていた。
そうして確認するのは、さっきから何度も念押ししている内容だ。パーティーランクA+である【狩猟者の宴】は、基本的にダンジョン攻略ではなく、賞金首モンスターの討伐や、依頼を受けての傭兵紛いの仕事を基本的な活動としている。全体として攻略できるダンジョンは攻略しつくし、イベントなどの参加率も高く。そして何より、パーティーに参加する学生たちのランクが総じて高い故にだ。
「確゛実゛に゛……ゴボッ、グエッ、ゲボッ、……ヤ゛、ヤ゛ッ゛テ゛ク゛レ゛ン゛タ゛ロ゛」
痛み止めに使っている薬のせいか。それとも、未だ目の周りに残る涙の後のせいか。少年の声は擦れ、壊れ、まともに発音することすらできていない。
依頼内容はSランクモンスター【ミキサージャブ】、【掻き混ぜ喰らう者】の名称を与えられたモンスターの討伐だ。学内の情報によりば情報収集を怠ったSランクパーティー【ア・バオ・ア・クゥー】がこれにSランクの前衛を二名殺されている。
現在、学内の優秀な情報屋によって、既に件のモンスターの情報は筒抜けになっていた。
男も依頼を受けるにあたって車椅子の少年、藤堂正炎から入手できた情報と合わせてみた結果、確かなものだとも判明できた。
「まぁ、な。やってやれんこともないが」
苦々しい顔で正炎の後ろの少女を見た。俯き加減でぼそぼそと呟いている少女だ。暗い表情で何事かを呟いている。再びガシガシと銀髪をかきむしり。嫌な依頼だと聞こえるように呟く。
「金゛は゛払゛う゛」
そう。既にメンバーの大半が卒業単位の収集を済ませている【狩猟者の宴】にとって、依頼を受ける目的は金だ。パーティーメンバーの戦力化は最低限済ませているが、それ以上の肉体改造やレアなスロットの収集には莫大な金がかかる。だからこんな傭兵まがいのことまでして金を集め、強さを求めているのが彼らなのだが。
「ッたく、条件も、報酬もリーダーの了解済みだ。受ける、受ける、が」
浮かない顔で男は正炎達の耳に入らないように、復讐はなぁ、と困ったように呟いた。
金は良い。Sランク相手なら十分すぎるほどの報酬だ。ついでに【血道の探求者】が抱えていたレアな武具やスロットもつけている時点でもう【狩猟者の宴】は男を除いて皆、乗り気だ。正炎を始めとした、この場に揃った連中も自分たちの進退を度外視してこの依頼をしていることすらわかっている。それに、学園での生活が自己責任である以上。再三確認までしてやった少年にこれ以上、気を掛けているつもりはない。
条件自体に問題はない。ラスト、最期の一撃を彼らに任せること。それも死体に対してでも構わないとまでつけられた。最悪、嬲る時間も要らない。確実に殺してくれと言われている。余禄に自分たちの復讐の時間をもらえるなら十分だとも。
【狩猟者の宴】と同じ形式のパーティーは数は多くないが、それなりに存在はしている。だから男自身、こんな良い依頼、他に渡したくはなかった。個人的に【血道の探求者】とも知り合いだったから討伐にやる気も出る。しかし、しかし、な。と男は内心のみで呟く。
(復讐はなぁ。やりたくねぇなぁ)
好みとかそういう問題ではなく、モンスター相手に復讐を行なうことが致命的、とも言うべきか。
個人的感情で行なう者たちに正面から否定し難いが、男の経験としては、復讐で始めた戦いは、必ずどこかで失敗する。感情を起源に始めているから作戦にムラやアラが出るのだ。第一、モンスター相手に復讐をしたところで何になるのか。
だが、今回は全面的に指揮が取れる。投入する戦力も自分達のものだ。更に、藤堂正炎たちはお客さん扱いのため、今回に限って失敗はないと確信してはいるが。
口ひげをこしこしとしごきながら男は既に交わされた契約書を眺め。やりたくねぇなぁ、と内心で結論を出した。
しかしだ。相手はただの魔力殺しを持ったSランク。中枢破壊系だろうがなんだろうが、問題はない。恐慌を扱えると情報にはあるが、専門の薬で中和できるだろう。得ている情報から確認できる全てに問題はないのだ。そうして報酬は上手すぎる。ミキサージャブ自体に懸かっている賞金と単位も貰うことができる。断るには旨味がありすぎた。
だから、はぁ、と男はため息をついて暗い目で自分を見る正炎に、わかってるよ、と応えた。
「仕事だから、な」
感゛謝゛す゛る゛、と歪んだ返事が帰ってきて、男は更に憂鬱になった。そうして仕事の出来に関わらず、正炎の寿命は長くないな、とだけ確信した。
「朝か……」
転移システムの恩恵か。テントの中にも関わらず、まともな寝台で眠れたことに納得のいかない奇妙な感覚を抱きつつも、浩一は目覚めたばかりの思考でそれらが妙な形で消化される前に自ら区切りをつける。
テントにも関わらず、浩一が目覚めた場所は、パーテーションで区切られた洗面台、トイレ、簡易のシャワー。更には小さなキッチン、小型冷蔵庫、テレビ、等など。流石は八院と言うべきか。地上の浩一の部屋より住みやすい空間が見回した浩一の視界に広がっていた。
「堕落しそうだ……」
胸の熱を借りず、気合で思考を再編し、持っている者がそれを扱うのはなんら不公平なことではないと結論付けた浩一の視界に、結局金が足りなかった雲霞緑青よりも倍以上高価な小型魔力炉が入った。ぐだぁ、っと再編したテンションがみるみる下がっていく。
「なんだかなぁ」
アリシアスの好意、これらは助かるには助かっている。身体を苛め続けたところで休息できなければ益はないからだ。とはいえダンジョン内でこんな生活をしていいのだろうか。アリシアスと別れた時の落差に沈まないだろうか。
未だまともに贅沢というものを体験したことのない浩一は周りを呆れたように眺めると立ち上がり、さっさと動けるよう装備を整えることにした。
枕元においてあったPADを掴む。通信中と表示の入ったそれは浩一が掴んだ瞬間に通信を断ち切り、通常モードへと移行した。傍らに『おはようございます』とウィンドウがでるものの、手を振ってそれをかき消す。
昨夜の会話の後、モンスターを片付け、テントに戻った際にアリシアスに薦められ、アリシアスのテントのシステムを介し外部と通信していたPAD。
それを開いた瞬間、浩一は黙り込んだ。
(マジかよ……)
昨晩のうちに要洗濯のチェックを入れていた着流しに洗濯済みのマークが入り、一時間前に仕舞ったブーツやグローブなども修繕が済んでいるのは驚いたが、まだ良い。
だが、更新された現在の迷宮のMAP、学園都市五大新聞社の朝刊、各種週刊誌、いくつかの研究機関が本日公開するはずの論文、新種のモンスターの情報など、浩一が閲覧できるレベルの情報がざぁっと入って来ている。
更に余計なことに、着流し、ブーツ、グローブなどについては同種類でもランクの高いものがアイテム欄に入っており、学生には高級品とされる回復薬なども無料で補充されていた。
浩一は基本的にダンジョンだろうが自宅だろうが半裸で寝ているため、来ていた着流しなどはその日の内に要洗濯項目に入れてしまう。また、転移システムの恩恵の受けられない、最前線の更に最前線以外では大抵、衛生や修理、修繕などのために防具や衣類の類をPADで専門の機関へと送ることが推奨されていた。今回は接続が八院のテント経由だったので、アリシアス用のサービスが浩一にも適用されていたのだが。
「うげぇ……」
至れり尽くせりだな、と気持ち悪そうに自身のアイテム欄を覗いていた浩一だが、画面の片隅の時間を見て慌てて装備を身に付けていく。
余計なスキルを付けられていないだろうなと浩一が嫌そうな顔で身に付けてしまった指貫グローブをぴん、と引っ張っているとテントの入り口が開き、アリシアスが顔を出した。
「まだ寝てると思ったのですけれど、起きてますわね」
「ま、な。そっちは意外だ。あんまり寝てないだろう?」
「わたくしはあまり眠りを必要としませんもの。それより、浩一様は大丈夫ですの?」
「どういうことだ?」
身体に改造を施しているアリシアスと違い、浩一は生身だ。だから、テントから出てきた浩一に、寝てないのでは、とアリシアスは問いかける。
「いや、十分寝させて貰った。しかし……」
身体に改造を施している雪と共に普段迷宮に挑んでいる浩一は、睡眠を段階に分けるなど、小器用な小技で対応していた。そういったことを説明すると納得したのかアリシアスも頷き、それ以上は問うことをしなかった。
テーブルの上に先に目覚めて作って置いたのだろう。サラダや目玉焼き、ソーセージなどが丁寧に並んだ朝食を出される。香ばしい匂いに食欲をそそられるが、先にPADを操作して、木桶とタオルを転送し、顔を洗うことにした。
「……洗面台がありますのに」
呆れたようなアリシアスに適当に手を振ると、同じく転送した冷水でばしゃばしゃと洗顔をし、少しだけ生えていた髭も剃ってしまう。ダンジョンに入った時はこれが浩一の朝の日課のようなものだからだ。儀式と言っても良い。いつ何時モンスターが現れるかわからない緊張感を維持するために、眠った状態から常に戦闘を行なうための状態へと、心の切り替えを行なうために習慣づけていることだった。もちろんしなくても敵意や害意、戦闘の空気を感じれば任意に換えられるものではある。だが、精神的なものでも、肉体的なものでも、こういったスイッチを要所に仕込んでおくのと仕込んでおかないのとでは、常態の境目があやふやになり日常で苦労することが多くなってしまう。
「日課みたいなもんだから気にするな。で、だ」
だからか、察したアリシアスもそういったことにはそれ以上口をだそうとはしなかった。浩一は、手桶とタオルを転送で片付けると折角だからとPADに入っていた朝刊からいつも読んでいるゼネラウス統一新聞社のウィンドウを表示し、高級そうな椅子に座った。テーブルの上には先程確認した朝食の他に、顔を洗っている内に入れたのだろう。湯気を立てたコーヒーが用意されていた。
「お、おぅ。悪いな」
「くすくす。覚えてくださってるようですわね。それで先程から、しかし、で、だ、と如何しましたの?」
昨夜のお玉の衝撃を思い出し、苦い顔になる浩一に涼やかな顔を見せるアリシアス。ああ、と具合が悪そうに頷いた浩一は、先程テント内で感じたことを正直に告白した。
「呆れましたわ……」
白パンにたっぷりとジャムを付けたアリシアスはそんな浩一を眺めながら自身の指輪型のPADに思考を走らせる。いちいち画面を操作しないとアイテムのひとつも転送できない浩一のものとは違う、四鳳の研究機関が学園アーリデイズに依頼されて開発した主席学生用支給品【孤高にあるもの Vir8.06】。最新かつ、最上のOS【ノルン玖型】を搭載した、主席学生用に開発されたとされるそれは戦闘時のサポートから日常生活の細かい雑事まで対応できる優れものだ。
アリシアスは浩一を見ながらも、朝刊を消し、実家が支配している企業から提出された書類を思考のみで処理していく。
「気後れすることなく扱って結構。わたくしと共に行動するのだからその程度、当然と受け取るべきですわ」
そもそもアイテム類の返品なんてことを考えたこともないアリシアスには、サービスの停止を考えることすら億劫だった。そしてサービスのためだけに浩一のテントを展開するのもただの無駄。また、そのせいで自身のテントの隠蔽が邪魔される問題も出てきてしまう。
強く言われた浩一もそれには気づいているのだろう。そうだな、と気の乗っていない返事をしつつ、今まで食べたこともない、質素かつ豪華という奇妙な朝食を再開した。
月下残滓という刀に、モンスターの治癒能力や再生機能をある程度は阻害できるスキルが備わっているのに浩一が気づいたのは、十九階に生息する、包丁鬼児と呼ばれる可愛らしい、包丁を持った本物の赤ん坊そっくりな姿形のモンスターを相手にしていた際だった。
地面すれすれの低すぎる間合いから鋭く、何人もの学生に重傷を負わせて来たであろう斬撃を繰り出す包丁鬼児。浩一はバックステップでそれを回避。自身の得意とする間合いに持ち込み月下残滓を振るう。今までの階層のモンスターならば確実に首を飛ばされたであろう斬撃を鬼児は地面にべたぁ、と張り付くことでやりすごすと、包丁を振り回しつつ、ぐるぐるぐるぐる回転し、跳躍した。
ぐぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ
包丁鬼児の膂力は並の学生を軽く上回り、素手で金属に骨格を変更した学生の頭蓋さえ容易く破壊する。そんな包丁鬼児と共に生まれ育った包丁は、生体剣の中でも硬度と再生に優れ、また、切れ味も並の刀剣を軽く上回る。旋風となって踊りかかってくる包丁鬼児。浩一が斬撃の渦に巻き込まれれば即座にミンチ肉だ。しかし、予測できない動きに苦悩しながらもしっかりと斬撃の軌道を目で確認。頬に包丁が接するぎりぎりの間合いで一歩前に出る。
「―――ッシャ!!」
正確な判断で殺害圏内から抜け出せた浩一は、ぐるりと振り向きざまに鬼児がいるであろう地点へと月下残滓を一閃。
キン、と未だ空中で回転殺法を披露していた包丁鬼児の包丁と月下残滓が火花を散らす。異常な筋力を持とうとも、空中にいるために留まることのできない包丁鬼児は迷宮の壁へと吹っ飛ばされた。
「―――ッラァ!!」
即座に追撃の姿勢をとった浩一は迷わず走り出す。吹き飛ばされ、未だ体勢を整えていないであろう包丁鬼児へと駆け寄るためだ。鬼児自体の体重は本物の人間の幼児並に軽い。だから容易く吹っ飛んだ。即座に仕留めるべし、手の大太刀に力を込めた浩一の背筋をぞくりと悪寒が走る。
「ッ」
勢いのついた身体を意識して真横へと移動。瞬時に視界の端を鈍い銀光が走っていった。包丁鬼児だ。浩一の攻撃によって吹き飛ばされた包丁鬼児は壁に叩きつけられることなく吹き飛んだ衝撃をその柔軟な手足で吸収すると、衝撃を利用し、壁を蹴飛ばすと浩一へと跳躍したのだ。
う、ぐぅ、浅い推測に身を任せた己を全力で浩一は罵倒した。
ぐげげげげげげげ、ぐぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ
包丁鬼児が嗤い。浩一の喉が鳴る。まずい、こいつ強いぞ、と冷や汗がたらりと背筋を流れ、直後にその冷や汗を蒸発させるような熱が胸の奥から溢れてきた。
「ああ、ああ、わかってるよ。わかってるさ。上ッ等だ。この糞ったれたシュールなモンスターめが」
そうだ。強くて結構。世の中に強いモンスターが入れば入るほど浩一は己を高められる。殺すことに集中し、手管を鍛え、技能を体得し、高みへ昇ることができる。今までだってそうだった。ならばやることはいつだって変わらない。
ぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃぎゃ
宙に跳ねた鬼児が浩一の首を刈る軌道で飛び跳ねる。
(一直線かッ)
モンスターらしい、技術の一切が感じられない直線的な攻撃。だが、本能的ではなく、心の上で怖いと多くの学生達が恐れる軌道だ。それでも、それが浩一には心地よい。誤魔化しようのない命の遣り取り。かすかに心の上を走り、スキルと心情によって掻き消される恐怖や怖気。それでも。いや、それがあるから心の熱は心に燃え続けるのか。
「わかりやすいぞッ!!」
浩一の身体が沈み込む。べたぁっと地面に張り付く。そうして包丁鬼児のさらけ出された弱所へ向けて、真下から貫くようにして月下残滓を突き出した。
――――――――――ッッッッッ!?
驚愕の雰囲気の後に、ぎゃ、と一声だけ悲鳴が響く。一撃で心臓を貫かれ、間髪入れずに空中で引き抜かれる月下残滓。赤さの混じった奇妙な銀色の血液を撒き散らしながらも鬼児は未だ空中。地につけば力尽きるまでに先程と同じ争いが起きるだろう。しかし、一撃入れた瞬間には浩一は立ち上がっていた。そして、空中にいるうちにその軟そうであるが、その実、この階層の敵に相応しい程度には強靭な皮膚に月下残滓を一閃した。
苦痛に歪んでもなお愛らしい首が切り落とされ、直後にべちゃ、と慣性のままに地面へと落ちていく。
首と胴体が分断された赤ん坊がびくりとひとつ痙攣すると、力尽きたように全身の力が抜け、絶命した。
No.0036857 包丁鬼児[new]
耐久:B 魔力:E 気力:C 属性:無
撃力:A 技量:B 速度:B 運勢:D+
武装:鋭い生体剣 衣服のような皮 強靭な皮膚
報奨金:790G
入手アイテム:生体基盤(八十六年式)
一対一で倒してもアリシアスと同パーティーのため、単位入手報告はない。
「やっと終わりましたわね」
そんな浩一に話しかけたのは赤煉瓦の壁際にアンティークな椅子を取り出して座っているアリシアスだ。彼女の周囲には浩一に見せ付けるように五体もの包丁鬼児が魔力の重圧によって押さえつけられている。
呆れたような視線で浩一がそれを認識したのを確認したアリシアスは、すとん、と装飾の為されていない魔杖を地面へと叩きつけた。それで終わり。しゅぅ、と包丁鬼児たちの身体が魔力によって圧殺されていた。
「ほら、ぐずぐずしてないで行きましょう。浩一様。未だ、十九階も中途ですわ」
いや、と今の戦いの手ごたえを確認する浩一は歩き出そうとするアリシアスを引き止めた。戦闘中に気づいたことをアリシアスと確認しておくべきだと判断したのだ。元々の持ち主でもあるし、リフィヌスが学園都市での役割をきちんと果たしているならそれについては自分よりも適正があるだろうとも判断していた。
「そうだな。周囲にモンスターもいないみたいだし少しいいか?」
「はぁ? 構いませんが」
応えたアリシアスは再びすとん、と杖を突いて周囲の魔力のみで認識阻害と防音、不可視のフィールドを作り出してしまう。たった一動作で超高等な作業を行なった少女に改めて人外を見る目で浩一は視線を向けるが、アリシアスはただ言ってみろ、と顎で指図するだけだ。実のところ、魔力操作に全く詳しくない浩一が見た上での一動作は真実ではない。また、結果のほうも効果を正確には見抜けていない。ただ、過去の経験から、なんとなくそういったモノがあるんだなぁ、程度のものだ。
真実これは、指の動き、身体の動作、体内魔力の操作、周囲への魔力操作などなどの複数の要素を見事に操ったSランク神術師兼魔導練達者による芸術的なまでの技能を用いた境界スキルである。これの効果は魔力の状態を操作して、ある一定のラインから内側と外側との区別をつけ、外部から認識されないようにする簡易的な人払いだ。しかし魔力に大幅な乱れや、設定していない対象が入ってくるだけで霧散してしまうか弱いものであるためにあくまで立ち話や小話程度用のものでしかないが。
そういったことをアリシアスは懇切丁寧に説明してやる気はなく、浩一もわざわざ馬鹿丁寧に聞き出そうとは思わなかった。ただ両方の認識に、この会話は学園の監視装置には認識されてないし、今話しても無粋な闖入者には聞こえませんよ、というものがあるだけでよかったからだ。
しかし、これも監視している技官が、八院であるアリシアスに気を使った成果であるから多用していると文句じみたお願いを技官の上司の上司あたりから言われることになるし、あんまり長いと監視装置に備わった魔力放出端子でフィールドを破壊されるから本当に小話限定になる。ちなみにこれを普通の生徒が使うと即座に周囲の端末が自動でフィールドを破壊し、数秒もせずに真っ赤な髪のオペレーター辺りが凄い勢いで注意もしくは罰則を与えてくれるから、凡人には決して扱えない八院限定の裏ワザでもあった。
「で、な。月下残滓だが」
アリシアスの目線が浩一の腰にある刀に向いた。癖でやってしまったが、魔力操作は要らなかったか、と思考が囁いた。が、今まで雑談程度なら歩きながらしていたわけであるし。気を遣い過ぎて悪かったことなど一度か二度程度だから今後もこれで構わないだろう、と結論。そんなことをアリシアスが考えているなど知る由もなく、浩一は自分の考えを告げた。
「【再生破壊】か【治癒阻害】系統のスキルがついてるんじゃないかと思うんだが。どう思う」
「とりあえずそう考えるに至った経緯などを詳しくお願いしますわ。わたくしもそれを引っ張り出しただけで性能確認はしてませんし」
「ああ、そうだな。まず、だな。戦闘で刀身に体液や皮膚などがつかないことが一点。俺にはまだ完全に対象を断つ技量はないからな。おっと、ここ数日であがったってのは無しだ。確実に今の俺は刀の切れ味に依存した戦いをしてる。で、次に、再生スキル持ちの連中に突きを放ったときだ」
「突き、とはどういうことですの? いえ、わたくし、武器各種防具並びに装飾品やアイテムなどのスキルは覚えてますけど、スキル発動時の状況を克明に記憶しているわけじゃありませんの」
それに、そうか、と頷く浩一。聖堂院の遺産を管理しているとはいってもそれを扱うわけじゃないからな、と納得したのだ。
「えっと、大抵、刀剣で再生技能持ちに突きを放つと貫いた箇所の刃を巻き込んで再生が行なわれるんだ。だから俺なんかはあんまり突きを多用した戦闘は行なわないんだが。さっきの戦闘なんかじゃ、再生技能持ちってアリシアスが寄越してくれた事前情報でわかってたからな。それでも、一撃で勝機を掴むためには使うしかなかったわけで―――」
浩一様、と呆れた声で止められる。
「ごちゃごちゃしてて非情に解りにくく、不鮮明です。伝えたいときは簡潔に、結果のみでお願いしますわ」
「あ、ああ。えっとだな。さっきの鬼児に突いたらすっと抜けたんでこれは【再生破壊】でも搭載してるんじゃないかと確認を取りたかったわけだが」
「最初からそれを言って下さいます? ……はぁ、とりあえず繋ぎますわ」
呆れられた表情で言われ、浩一も地味にへこみかける。が、目の前に染みひとつない細く綺麗な人形のような手を出されると、気を取りなおして月下残滓の柄をアリシアスのPADに触れさせ、受け取った際に設定したパスワードを、アリシアスが浩一の目の前に浮かばせたウィンドウのキーボードに叩き込んだ。
たたー、と浩一とアリシアスの目の前に表示されたウィンドウに大量の文字が流れ出す。アルファベットや数字の羅列。先程の戦闘を月下残滓側で数値化したものだ。
「浩一様は技官系の技能は?」
「戦闘系含めて一切持ってない。だからいちいちコードを見せられても全く理解できないぞ」
「……どうしてそんなに威張って言えるのか理解に苦しみますわ」
呆れた顔をした修道女に見られ、いや、しかし、などと見苦しい顔をしつつ、浩一はあー、といいながら胸を張った。
「…………理解に苦しみますわ」
とりあえずその辺に座っててくださいますか? と冷たい視線で示し、アリシアスは作業に入る。
「なぁ」
「なんですの?」
「何をしてるのか、気になるんだが」
コードをアリシアスが流し始め、三十分ほど経過している。周囲の魔力は既に解除していた。長期戦になるかもしれない状況であるし、特に隠すようなものでもなかったからだ。
お願いした立場であるから浩一もじっとアリシアスの成果を待っている。と、いうことはなく、浩一は周辺の警戒を一度だけ行なうと索敵用の装置をばら撒き、次の階層のモンスター情報を読み進めていた。
目的である斧を手に生まれる亜人種、アックスまで未だいくつもの階層が残っている。
そうしてモンスターに出会った際の対応や次の階層の攻略手順を決めてしまった浩一は、じぃぃっとアリシアスの作業を眺め、数秒で理解を諦めたのが先程の言葉の真相だった。
浩一の視線に数秒耐えたアリシアスは小さくため息を吐くと手早く思考で操作をしてしまう。
お、と浩一の口から感嘆が漏れた。数秒。そんな小さな時間で浩一にもわかるように作業が表示されたからだ。
「凄いな。八院ってのはこんなのもできるのか?」
「戦いだけで食べていけるほど甘くはありませんもの。それより、満足ですの?」
何故こんなにも自分は浩一に甘いのだろうと晴れない疑問を棚上げしながらアリシアスは作業に戻っていく。
二人の目の前に現れたのは、三次元映像で示される赤煉瓦迷宮内構造。そして浩一とモンスターの姿だ。これは周辺の監視端末より拝借した迷宮内映像と殺害したモンスターより採取されたナノマシンに記録された戦闘記録。そして月下残滓より収集した戦闘情報。アリシアスが月下残滓の性能調査のために迷宮のシステム管理に要請したそれら情報を纏め、映像化したものだった。
「ああ。本当に見事なもんだ」
その声に満足を得たのか。作業に戻ったアリシアスが指をかすかに動かし、視線を左右に動かす。そうすると再生能力が高いとされる包丁鬼児やアイアンランスなどのモンスターと戦う浩一の映像が動き出す。アイアンランスと戦う浩一の姿が三つ。包丁鬼児との先程の戦いが一つ。いずれも月下残滓を振るう瞬間に再生はスローになり、モンスターに食い込んだ瞬間に完全に止まる。浩一は複数の自分が同時に動いたことに興味を惹かれ、嬉しそうに映像に見入った。
いいですか、とアリシアスが浩一に告げると映像が再びスロー再生が始まる。月下残滓の刃の傍らに大量の映像が浮かんだ後。それらは瞬時に処理され、いくつかのスキル名が表示された。
「言うまでもありませんが月下残滓の暗号化は高等かつ複雑。専門の技術者が数十年掛けて解読できるかどうかという代物ですわ」
指で画面を指し。
「そういうわけなのでわたくしに理解できたことだけを推測のみで伝えます。まずは、再生や治癒の類を遮断する性能があることは確かです。詳しいことは省きますけれど、そうですわね。浩一様は通常の再生や治癒を防ぐには何が必要か理解されてますか?」
「そう、だな。俺自身は扱ったことがないから講義やカタログのまんまになるが。それでいいなら」
どうぞ、と目で示され。浩一は思い出しながら答えた。
「あー、と。確か武器なら独自に持ってる魔力や、付与された毒なんかを。スロットなら所有者の魔力かオーラの類をそれぞれの処理形式に則って、武具やスロットに搭載された人工知能が状況に応じて実行してる、らしいが」
はい。結構ですわ、とアリシアスが頷き。手元を動かす。それだけで映像の一部を残して映像は消え。浩一とアリシアス両方の目に入るように先程の映像の傍にあったウィンドウが移動し、その傍らに一枚のウィンドウが表示された。
「リフィヌス傘下の企業が収集しているデータですわ」
「こんなものまで見れるのか」
呟きに、傘下ですもの、と言うだけで対応し。アリシアスは指を振る。するといくつかの部分がわかりやすい色で染色された。
「これはわたくしたちが普段【再生破壊】や【治癒阻害】と呼称しているものの性能試験の結果。そこに」
月下残滓のウィンドウの一部から数値などが取り出され、染色された部分と重なる。
「これは月下残滓側から出力されたスキルが刀身を経由してモンスターのナノマシンと接触した際にナノマシン側で感知できた情報を開示させたものですわ。残念ながら刀身からはそれらしいデータを解析できませんでしたので、他の実験結果と比べるには正確性に欠けてしまいますけれど」
「確かに、明らかに違うな」
重ねられた数値結果は明らかにずれていた。よって、魔力などによって遮断されたのではないことがわかる。
「だが。再生は阻害されてるだろう?」
「はい。ですので検索に手間取りましたけれど、こちらの性能実験との比較を」
指を振られて消えるウィンドウに重なって表示される別のウィンドウ。確かに、いくつかの数値は違ったものの。それはモンスターに与えた影響を確かに月下残滓といくつかの部分で重なり合わせていた。
「これは……。そうか。これなら確かに」
武具の性能が自らの期待を裏切らなかったことへの安堵のためか。浩一の表情は明るい。そしてそれがもたらす効能に、ミキサージャブへの勝機への一端を見つけたのか。明るさの影にアリシアスは獰猛を見た。
「はい。月下残滓が持つスキル。それは、再生破壊や治癒阻害ではなく。記録されているモノの中でも上位に位置する―――」
再生能力に優れるモンスターを倒すために作られた武具は数多あった。故に、目に見える力もなく、ただ切れ味が鋭く、丈夫なだけの月下残滓に浩一がそれらの可能性を疑ったのも無理はない。
しかし、世に武具は数多ある。その中には強力なスキルを持つが故に、結果として同一の効果を導き出すものも多くある。
「―――武具そのものに物理現象を付与させるスキルですわ」
【火炎】【凍結】【雷電】……。これらの上位スキルは、斬れば燃える。叩けば凍る。貫けば感電させる。そういった効果を魔力やオーラ、機械といった機構や原理を通さずに発動させることができる。
いや、発動させるのではなく、武具自体が保有する概念が【斬れば燃える】といったものであったりするために、【コレ】は【そう】いうものなのだという実感を使用者に与えていた。
専門の技術者たちからしてみればもっと違う意見もあるのだろうが。現場の人間からしてみれば、これらの武具は、扱えば魔力やオーラ、そういったものの残量を気にすることなく魔法にも似た行為を扱うことができる代物であり、普段は刀身に触れようが何も起きない奇妙なものでもあった。
そして、月下残滓もそれらと同一の武具であり。月下残滓は―――。
「で、だ。こいつは」
「はい。【星光】の亜属性、記録に該当すべきものがありませんから、そうですわね……月下残滓から取って【月光】と名づけるべきでしょうか。……それとも」
「それとも?」
アリシアスはなんでもないと言うようにゆっくりと首を振った。
結局、解析できた効果は【火炎】の傷口を焼き再生を阻害する力と【光輝】の切断した部位の周辺細胞の悉くを破壊するものの両方。しかし、【火炎】のようにそのまま対象を炎上させる力もなく、【光輝】のように斬ったものの精神を破壊するような力もない。
データを見て【大地】属性の上位属性【星光】の亜種とまでは断言できたが、少数の、それも詳細情報を得ていない上でのものだ。それ以外のものがあるのかもしれない。そして、今まで記録されていないデータだったために思いつきでそれを名づけはしたが。
(……担い手によって力を変える? 月のように変化を常とするものだとでも……)
自らの前に全てをさらけ出さない生意気な刀をちらりとだけ眺めてアリシアスは指を振った。真実、アリシアスが月下残滓を浩一に渡したことには実は昨晩の言い訳のような誤魔化しはなく、以前浩一が雲霞緑青に向けた視線や自身を卑下するような口調から、何ら特殊な能力のない切れ味の良い刀を欲していたからだと読み取ったからだった。そのため性能を確かめた上で最も相応しいであろう月下残滓を選択したのだが。
武具の力を見定め損ねたか、と無機質な、測るような思考がアリシアスの深奥で瞬き、それらから結果と今後の対策だけ得るとアリシアスは今、この場での己の思考へと戻る。
(そうですわね。浩一様も落胆はしていないようですし。結果が悪くなかった以上、自省はこれまでにしておきましょうか……。あとは、この、わたくしを動かしている熱ですけれど……)
アリシアスが浩一に月下残滓を選んだ理由を素直に言えなかったのは未だに自身の感情をアリシアス自身が推し量れていないという理由がある。何故こんなにも浩一に対して目的以上の好意を与えてしまうのか。それが理解できないのだ。ただ、熱のようなものが時に溢れ。自信の防壁を緩ませる。そしてそこに危険や恐怖のようなものを一切感じていない。
(恋ではない、と思う。思うのですけれど……)
何事にも傲慢であろうとしたアリシアスでも恋愛感情に繋がるものだけをとある理由から自身に禁じていた。
全ての、状況から発生する利害ならば自身の感情の下に駆逐・支配・翻弄できると経験から確信できているアリシアスだが、同じく経験から、自身の感情に起因して起こる事態には即応できないと理解しているからだ。
そして、それらの兆候は感情で始まる以上、自らの感覚で察知することができる。だからアリシアスは浩一に感じている感情が色恋の類ではないとは理解できている。人間の感情が全て計算などで把握できるとは思っていないが、自身のものだけならば、アリシアスは把握できると確信していた。
(わたくしに遊ぶ余裕はありません。けれど……。そうですわね。この熱の正体を確かめるまでは……)
アリシアスは気づいていない。
幼いころから敵の多かったリフィヌスにとって、幼いころから己を確固たるものとして認識してきたアリシアスにとって、人を人として認識できたことなど少なすぎた彼女にとって。
火神浩一という男がどんな意味を持っていたかなど。経験から確信を得ていたアリシアスには理解できていなかったのだ。
そうして、とりあえずの解析結果をアリシアスは浩一に簡潔に説明し、浩一の月下残滓への認識は魔力やオーラに影響されず相手に再生破壊の効果を与える便利な代物という評価になる。
そして、図らずも魔力殺しに関係なく発揮できる、ミキサージャブとの戦闘においての一手を手に入れられたことだけを浩一は喜び、長話になってしまったためか近寄ってきた気配に再び獰猛な笑みを浮かべた。
遅れて鳴り始めた警報にアリシアスはすべてのウィンドウを消すと杖を構え。自らが未だに完全には測りかねている男の背中を見た。
未だ完成されていない価値を自身の利害に加えることに抵抗を覚えてはいなかった。だが、いずれ、そう遠くない時間と場所で、自身はその結果を受け止めることになる。
それが歓喜か絶望かはわからないが。勝機の定まらないものが迫り来ることを知っているアリシアスには、未成熟で、己の一撃で死んでしまうか弱い男だとしても、浩一の背中に己以上の意思が宿っていることを、期待せずにはいられなかった。
この世界は、生身の人間が戦い続けられるような場所ではなく、この暗黒は、寄る辺のない人間には耐えられない。
だからこそ、意思以外に確固たるものを持っていないはずの浩一を、万人が羨むものの殆ど全てを生まれたときから纏ってきたアリシアスは無意識に眩しそうに見ていた。見てしまっていた。
戦闘が終了し、PADの情報を処理し終える。
ふと、浩一が暖かなものを感じ、自身の周囲を見ると、青属性の板が傷ともいえないかすり傷を治療し始めていた。アリシアスの気遣いだろう。
「おぅ、ありがとな」
「くすくす。別に感謝しなくても結構ですわ。わたくしはわたくしの宣誓に相応しい行動を取っているだけですもの」
「なら、俺も俺の矜持のためにアリシアスに感謝するだけだ。改めて、ありがとう、と言ってやる」
なぜか偉そうに告げる浩一を変わった人、と呆れた目で見た後。さっさとアリシアスは行ってしまう。警戒も何もない歩き方。
しかし、周囲につい先日と同じように耐性のない生物や覚悟のない生き物ならつい戦闘態勢をとったり、怯え、竦むだろう重圧を放っている。
ただの学生にはできないダンジョン探索方法だ。浩一には恐らく一生できない生き方でもある。だが、アリシアスにとってはあれがこの場、否、擬態していない状態の常態。発散される圧力だけで弱者が怯え、強者が反応する。そして、その上で苛烈な言葉、挑発する内容、反応させる圧力を用い敵か、敵じゃないかだけを判別するのだ。
息苦しい生き方だなと浩一は思い掛け、朝食での雰囲気や昨晩の夕食を思い出し。
「そうでもない、か」
少なくとも、浩一が僅かに見知っている強者たちとなんら変わらない。
それだけは確信を持つことができた。

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