学園都市アーリデイズ第七番区画中央公園ダンジョン地下六階、赤煉瓦で作られた単純な迷宮構造のダンジョン。そのマップ内でも比較的長い通路を二人の人物が歩いている。
一人は黒い着流しに身を包む黒髪黒瞳の青年、火神浩一。その腰には穢れ一つ見えない純白の鞘に入れられた太刀が一本。
「しかし、あんたまでついてこなくてもよかったんだが」
浩一は隣を歩く少女に向けてようやくといった感じで浮かべられた困惑の表情で告げた。戦闘用なのか、最初の邂逅とは違う、一昨日会った時と同じ装備のアリシアス・リフィヌスに向けて。
途中で飽きて帰るのか。自分の勘違いではないだろうか、などの葛藤がこの微妙な六階という場所での問いかけに顕れていた。対するアリシアスは実に冷ややかで、面白くもなさそうに浩一を眺め、口を開いた。
「あら。浩一様は面白いことを仰いますのね。アーリデイズ十七学年主席を臨時とはいえパーティーメンバーに加えているからこ
そ。このダンジョンに入れることをお忘れですの?」
うぐ、と事実を指摘された浩一の顔が歪む。それを小気味よさそうに眺めたアリシアスが心持ち楽しそうに微笑む。
「それと、わたくしの名はあんた、ではなく、アリシアスですわ。どうぞ、アリシアスでお願いいたします」
何故、自分にといった考えをぐるぐると頭の中で転がしながら、目や口元を数秒ほどへの字に歪めていた浩一は、直後に諦めたような顔でため息をついた。
空色のローブを纏い、フードで顔は隠さず、以前と同じようにそこそこボリュームのありそうな蒼髪をティアラで結い上げるアリシアスは侍の隣を歩く。
距離が近いのか、以前の騒動の発端であるツーザイラル製の香水、スターライトらしき香りがした。例えるなら早朝の静謐な空気にも似た匂いだろうか。シンとした清涼な香りが浩一の鼻腔を刺激する。
星光というよりは朝日か曙光の方がイメージにあってるんではないか、などとどうでも良い考えが浮かんだが、口に出すことなく、本題のほうで浩一はしぶしぶと口を開く。
「ったく、しょうがないか。だが、・・・・・・いいのか? 恐らくだが、いつまで潜ってるかはわからんぞ?」
発言しながら立ち止まった浩一に対し、アリシアスも立ち止まり対峙した。数週間は地上に戻らないかもしれん、と続けた浩一にアリシアスは頷きながら応える。
「たかが刀二本でわたくしの宣誓が果たされたと考えるなら、それはわたくしを侮辱したと同じことですわ。善いか悪いかではなく、報いは」
「受けなければならない。俺の好みに関わらずにな」
「ふふ。よろしいですわ」
そうして見せられるのは決して己の主張を曲げない人間の目。
腰の刀と砕けた代刀の代わりを携え、武具専門店ラインツ・クーバーに現れた少女を思い出し、浩一はそれが真実だと悟らされる。
アリシアス・リフィヌスの命をたかが刀二本で贖いきれると考えるならそれは、確かに彼女への侮辱になるのだと。そして、その命の価値が彼女自身の成長によって高まり続けているのならば、己に与えられるものはどれほどのものになるのか、と。
しかし、浩一の思考が囁く。
ならば、この少女が浩一自身をどの程度の価値で見ているのか。
たかが刀とアリシアスは言ったが、代刀代わりの一本も、腰に佩いた一本も現在の浩一には即座に代価の支払えないものだ。特に腰の一本については一生をかけても払えるものではない。
だから、疑問が首を伸ばす。浩一の命では、この少女が持ってきたものとイコールで結ぶことができない。ならば、この少女の目に映る浩一の価値とはどういうものなのか。未だ未熟な身で命の価値を考えることは不遜なれど、そういった疑問がぐるぐると脳裏に回り、浩一はそれを口にしようか迷い。やめた。
八院の一員と自分の値段を等価値に見ることはできない。そして、自身にとって価値の計り知れないものでも傍らの少女にとっては違うのかもしれない。
聞くは一度の恥、聞かぬは一生の恥とはいうが。それも対象が対象ならば己の評価に繋がるだろうし。そして、知ったところでどうしようもないことや、不遜すぎることが存在する程度には浩一は現実を知っている。
だから敵の接近に気づいても何もアクションを見せないアリシアスを意識の片隅に置き、浩一は駆け出した。
今は疑うより受け入れることが何よりも重要だとアリシアスによって気づかされていたからだ。そして、今の浩一には悪魔の囁きや天使の祝福よりも求めるものがあった。
身体が震えるほどの血液。肌があわ立つほどのの死闘。歩くと決めた時点で心から潤いの全てを望んで捨てた道。
修羅道。
アリシアスがその道へと繋がる存在ならば、例えどんなリスクがあろうとも受け入れるべきだ。
そう思う心の裏で、どうしても離れない考えがある。アリシアス自身が浩一を見、何かを探る、試すのならばそれはそれで良いと思うこと。それならば浩一自信の傲慢でアリシアスを破壊することはないだろう、と。浩一の身勝手に最後まで付き合うこともないだろうと。
願わくば、己を早急に見限って欲しい。ショートソードと呼ばれる小剣使いの美少年型モンスターの首を真一文字に切り裂いた浩一は心から思った。
浩一は気づかない。己のみが修羅に浸かっているわけではないことを。心情が選んだ行為故に迷わず突き進む人間には理解できるわけがない。
血を浴び、生命を刈り取り己を高める喜悦に口の端に歪ませる男を見る少女の内心が、どういったものかなど、本人でも四鳳八院でもない男には気づきようもなかった。
己よりも遥かにランクが低くとも、己と同等以上の生き物を正面から打倒できるであろう男を見る少女の目が何を思っているかなど、血飛沫に塗れながら嗤う男には理解できるはずもなかった。
火神浩一がアリシアス・リフィヌスとダンジョンに潜る数時間前、武具専門店ラインツ・クーバー内には二人の男がいた。
「まァさかァ、こいつが折られるとはなァ」
砕けた刀とPADの情報から浩一が刀の取り扱いを間違えなかったことだけを理解したドイル・ザ・スレッジハンマーは、内心で代刀の件については不問にしてやろうと考えた己を諌めた。
浩一にとっては払いきれるかわからない雲霞緑青の代金は、ドイルの店にならぶ商品のうち一番安い武具の足元にも及ばない。そのため、どんぶり勘定で商売を行なっているドイルには金自体はどうでもよかった。そもそも、浩一を気にするドイルの行動はドイルにとっては趣味、か、人生の遊びのようなものだ。商売人の前に趣味人であるドイルにとって、趣味の一環になら、いくらつぎ込んでも損をした気分にはならない。それでも、払わせなければならないものは払わせなければならない。ここで甘い顔をすれば、自分はよくても浩一の人生に禍根を残すだろう。ドイルは気前良くいきたい己を抑え、厳しい顔を作りつつ、浩一を見た。
「金はいずれとはいわないが払う。一応、前金で用意できるだけの金は持ってきたが……」
払えない、ということだろう。ドイルは顎を撫でる。
「うゥむ。バァイトでもするかァ?」
自分で提案しながらもドイルは悩む。売り子、か。浩一には未ださせたことはないが、それも面白いかもしれない。何より、ここで働かせれば多少とはいえ、上位ランクの学生とのコネ作りにもなるだろう。
しかし、とドイルは砕けた刀を見て満足そうに頷いた。浩一程度の実力の持ち主が油断と慢心の狭間に陥りそうな代物はどれかと、カタログを見ながら頭を悩ましたドイルにとっては雲霞緑青は役目をきっちりと果たしていた。武具は所有者の命を護ってナンボだ。なにより、浩一は毒刀を再び求める素振りを見せていない。上位へと上がるための道筋を理解している様子だった。毒刀では、上へは上がれない。
「じッ―――ッッッ……いや、時給、どれくらいだ」
元が鍛冶師兼戦士、今はひとつの店の店主兼鍛冶師である男には浩一の顔を見てすぐに今の浩一の心情が理解できた。何より旧知の仲であるドイルの前だからだろう。浩一の心的ガードも緩い。浩一の腹の奥からふつふつと煮えたぎる熱のようなものが感じられて、ドイルの頬が緩みかける。
(コイツはァ、刀を折ったことを悔いてやがるなァ。いィやァ、壁ェにぶつかってそれを乗り越えたいのかァ? ガガガガガ。努力する奴ァはイイ! 大ィ好きだァ!)
許してやりたくなる。時間を与えたくなる。が、だ。ここでルールを忘れては浩一の人生に甘えを与えてしまう。己の行動を厳しい顔で見ながらドイルは緩みかける頬を気力でなだめ。厳しい顔で決断した。もう、浩一の器量に任せる。というよりは、浩一の行動を見て判断するしかないだろう。面ォ白ィことをしてくれよォ、と内心の感情を露にせず。ドイルは言った。
「そォだなァ。時給一二〇〇ゴールドってェところかァ? ボーナスでよォ。浩ゥ一が客にィ薦めた品が売れたらよォ。そいつ値段からァ、ちょびィっとだけ金をォくれてやるよォ」
客の数が少ないとはいえ、ドイルの店の商品は高価だ。一日ひとつでも売れれば三日もせずに完済できるだろう。
「……ああ、わかった」
浩一は顔色を買えずに頷くと頭を下げた。
「ああ、感謝、する。すぐに返済する」
客のいない店の中、黒い侍は興味深そうに己を見つめる男に頭を下げていた。だから、店のドアが開き、入店した少女にドイルが奇妙な目を向けていたことをそのとき知ることはできなかった。
細長い包みを二つ、手に持った少女が店の入り口に佇んでいた。
鳥を鳥篭に押し込める。竜を鎖で締め付ける。遥かな未来において、様々な価値を持てるであろう人間を閉じ込めることなど、許容できるはずもない。などという温い思考をアリシアス・リフィヌスは持っていなかった。
捕らえられた鳥など食い殺されればいいし。犬ならば飼い殺されろ。例えそれが竜であろうが獅子であろうが、捕まった以上は責め苦を味わおうが、殺されようが興味はなかった。どんな生き物でさえ、例外はなかった。
アリシアス・リフィヌスは、四鳳八院は生まれながらの怪物である。他者に何らかの価値を見出すことはあっても、そこに期待を抱くはずもない。怪物の目は、目に映るそれらが行なうであろう行動の全てを予測できるだけの眼力を持っている。
だから、その会話を聞いたときに、期待ではなく落胆を抱いた己に疑問を抱いた。そして身体の内側にある熱が暴れたことに困惑した。
熱の行き先がわからないことに戸惑いながらもアリシアスは常の表情を崩さなかった。奇妙な熱は期待と混じっている。落胆の意味も理解できず、アリシアスは自身を見る巌のような男に冷ややかな視線を浴びせた。
きぃっ、と鈍重な木製ドアが重量を感じさせずに閉まる。
「ほゥ。珍しィいなァ。リフィィヌスゥ嬢ォ」
歩き始めたアリシアスに、生来から変わらぬ陽気さが混ざった岩盤すら激震させそうな濁声が掛けられた。そこで初めて店主の傍らにいた侍が顔を上げる。アリシアスは自然と微笑みかけた自身を自省し、冷たい表情で侍を一瞥した。
「馴れ馴れしいですわね。ドイル・ザ・スレッジハンマー。そんな様では、ゴブリンでも貴方よりまともな接客ができますわ。…ッ、それとそこの意気を消沈させた黒い物体! その萎びた犬にすら劣る思考を今すぐお止めなさい」
わたくしの心が荒む、と言いかけた口を閉じ。ほぅ、と興味深そうに自身を眺めるドイルの目の前に手に持っていた包みの一つを置いた。上等な布に包まれたそれをぞんざいな手つきで取り出したドイルの顔つきが厳しいものになる。
「こいつァ。一体、どォんな手品だァ?」
ドイルが見たのは包みの中ではない。憮然とした顔で口をへの字に曲げかけている浩一にだ。そんな浩一は二人の視線を無視してか、PADの画面を開くと椅子に座って計算を始めている。先程の時給の件だろうか。アリシアスは察しの悪い侍を呆れたように眺めた。
伊達で聖堂院の遺産を管理しているわけではないのだ。自身で高性能の武具を調達できる能力を持つアリシアス・リフィヌスにはこの店を積極的に訪れる理由がない。店主と面識はあれどここで貨幣を使用したことなど一度もない。そんなアリシアスがこの店を訪れるならば相応の理由がある。そして昨日の今日だ。火神浩一はそれに気づくべきだ。アリシアスの顔が不機嫌そうに歪みかけ、内部の自制心が本人の意識の外でそれを押しとどめる。心情を素直に表現するなど、アリシアス・リフィヌスは己に許していない。主君を殺したときにそういった自由の全てを捨てることを決めていたからだ。
貴種としての定めになんら疑問を抱くことなくアリシアスは従うと、包みと浩一を見比べている巌の鍛冶師に頷きをもって示した。ドイルの顔が達成を目撃した観客のような歓喜を浮かべ、面白そうにカウンターを叩いた。
ドズン、と普通の木材であれば歪み、破砕されてもおかしくない衝撃がカウンターに与えられたが、傍目からも天堅樹製だとわかるそれは小揺るぎもしていない。単純な反応にアリシアスが呆れた表情を作りかけ、気づいたように頬を抑えた。火神浩一が傍にいるせいか、奇妙な熱に急かされたように自身の表現が活発になっている。首を傾げたくなる自身を抑え、アリシアスは内心の疑問を重ねた。
「浩一ィ。金ェ返すわ。帰れ帰れェッッ!! ガガガガガガ」
最初の邂逅の時もそうだった。呆れた顔でドイルを見ながら事情説明を要求している男を見ながらアリシアスは奇妙な熱が疼いたことを確認していた。この熱とは関係なしにアリシアスが浩一に興味を寄せている部分はもちろんある。むしろ、それが浩一をアリシアスの利害に取り込む主目的だ。それ以外は余禄と言ってもいい。だから、更に疑問が湧いた。
何故、アリシアス・リフィヌスは火神浩一を好意的に見ているのか。
自身が恋心などという愉快で面白く、なお唾棄すべき想いを抱いたとは思えない。むしろもっと切実なものをアリシアスは胸の奥に感じていた。
火神浩一に求めているもの。それを再確認しながら冷たい表情の奥でアリシアスは熱が更に疼くことを確かめた。
ズクン、と焦燥にも近い感情が暴れるのを宥めながら、金を払う払わないを繰り返している侍へと歩いていく。
アリシアス・リフィヌス。【青の癒し手】が渡したものは雲霞緑青だった。生産数は少ないが、量産には成功しているため、自分よりもひとつ年下の少女が持っていても疑問には思わなかった。
ただし、持っていることを疑問に思わなくとも、ここに持ってきたことには更に疑問が湧く。
何故、今なのか。
察しが悪くとも、行為の意味はわかる。だが、わからないことが一点。何故、今なのか。
アリシアス・リフィヌスは暇ではないはずだ。パーティーの二人が死に。その死亡の報告や、ミキサージャブについての研究。他にも無事であったことを自身の家に知らせるなどなど、わざわざ浩一に関わるだけの余裕はないはずだ。
しかもこのタイミング。アリシアスが刀を用意し、浩一が訪れる店を看破し、ここまで来る。
浩一とほぼ同じタイミング、ということは。つまりは昨日から直ぐ、準備に入ったことは間違いがない。リフィヌス本家にたかがB+の刀があるはずもない。わざわざ購入したに決まっている。そして、生産数が少なくとも購入者の多いこの武具の在庫がそうそうあるはずもないからには、急がせている。
何を執着しているのか。浩一の脳裏に疑惑が湧く。更に浩一にできないことをわざわざやってくれようとしているアリシアスへの反発すらも。
だが、と反発を抑え、更に考えを深める。
何故、知っているのかと。まさか刀が折れたからそれの代わりを持ってきたなどと、このタイミングで。都合が良いことなどあるわけがない。
しかし、と浩一の脳裏で考えが浮かんだ。実質浩一はアリシアスの弱みを握った状態だ。それを解消するために浩一の弱みを探ったとなると疑問は解消できる。
(……そういうことなら)
そう。そうだ。元々望んでなかったことだ。アリシアスへの貸しをここで返してもらえばいい。自身の金のなさを痛感するだけだが、問題は一切ない。誰も損はしない。浩一には時間が、ドイルには代刀が、アリシアスには無用の借りの清算が、全てが解決できるチャンスではないのか。
浩一は、自身の悩みが俗物的になったことに内心で苦笑した。四鳳八院の誓いはそんな安いものではない。知っている。そんなことは知っている。かつて安易に借りを作ったが故に凋落した人間もいたぐらいだ。だからこそ、四鳳八院は決して隙を見せない。強くある。そんな人間に貸しを作る機会なんぞ以後は決して、永遠に訪れないだろう。
だけれど、と浩一の内心が頷いた。それでいい。人の貸し借りでそんな重いものはいらない。だからアリシアスがどんな覚悟で誓ったものだとしてもそんなものに価値を見出したくはないと。
未だ、己の命にしか責任をもてない男の器は小さかった。だけれど浩一にはそれでよかった。それがよかった。
「……、そ、か。ああ、うん、ありがとう。それだけか」
だから、浩一の返答は簡素なものだった。常ならぬ浩一の態度にドイルが眉を顰めた。アリシアスも奇妙な表情を作る。
「浩一様は……、いえ、ここで言うべき内容ではないみたいですわね」
ズシン、とカウンターから乗り出すようにしてドイルが続ける。
「代刀はァこいつで構わんン。オリジナルなんてェ余計ェな余禄がついちまってるがァ、品としてはァ問題ない質だァ」
「……、話が違う」
ああァ? と奇妙な顔をするドイルに浩一は続けた。やはり、駄目だと。これは、対等ではない。
「アリシアス、あんたへの貸しはこの代刀の代金だけでいい。わざわざ、そんな高価なものを持ってこなくていい。過分すぎる。オリジナルなんて、大層なものを持ってこなくていい……」
すっ、とアリシアスが無機質な笑みを浮かべた。しかし、口元はつりあがっているが、目が笑っていない。浩一の言葉を最後まで聞くことなく、平手が振り上げられた。
バチン、と浩一の頬が鳴る。後衛職のひとつである神術師であるはずのアリシアスの一撃で前衛職の浩一の身体が揺らぎ、膝をつきかける。
いくら浩一が何の改造もしていないとはいえ、前衛戦士。
その浩一に痛撃を与えるほどの腕力を後衛Sランクは所持していた。
「貴方様は、とてもとても面白いことを仰いますわね。謙遜や卑屈も過ぎればただのゴミ。そして、浩一様はわたくしを知らず貶めるのがお好きな様子ですわねぇ? オリジナルッ? ふふッ、リフィヌスにとってあんなものは木っ端同然。わたくしが直々に届けるのにどうして量産品など持たなければならないんですの?」
頬を押さえたまま言葉の出ない浩一に向けてアリシアス・リフィヌスはつまらなそうに告げる。
「そもそも浩一様の都合など一切合財どうでも良いんですわ。わたくしはわたくしだけの意思で貴方様に恩を返しているのです。それを阻むというならば、浩一様の道理を破壊してでもわたくしはわたくしの義理を果たしますわよ。そしていい加減目を覚まされたら如何? 昨日からまるで負け犬のような萎びた目。落ちぶれた思考。さっさと頭を切り替えなさいッ!! このアリシアス・リフィヌスに喧嘩を売ったときの貴方はもっと覇気がありましたわッ!!」
「―――……ッッッ!?」
言われて気づく。そうだ。自分は何をしていたッ。
バイト。金。そうだ。そんなものどうでもよかった。生活費? 家賃? いつのまにそんなものまで心配する身分になった。
■■■■を思い出す。
名前すらわからない概念。だけれど夢で言われたそれ。自分にはそれがあった。それしかなかった。
ミキサージャブ。黒いミノタウロス。それを思い出す。
荒れ狂う戦斧。戦いに向かう思考。何もかもが自分のものだった。
それが、いまはどうだ。金の問題。代刀の問題。そんなものに囚われている。
自分は、なんだ。なんだったんだ。なにが目的なんだ。
胸の奥で何かが蠢き。身体の奥にある熱が心を焼く。
浩一は叩かれた頬を撫でながら頷いた。
「ドイル。飛燕は?」
「おらよォ」
躊躇無く差し出されたそれを受け取る。何年も、数え切れないほど使ってきた刀。ともに死線を潜り抜けてきた浩一の十年来の愛刀。
鞘から引き抜き、刃を確かめひとつ頷く。流石ドイルだ。良い仕事をしている。
「ありがとう。アリシアス。気づかされた。余計なことやってる暇じゃないって」
おォい、とドイルが苦笑混じりに突っ込みを入れるが浩一は構わない。ただ、気づかせてくれた少女に頭を下げ。やるべきことのために外へと向かおうとした瞬間。あらあらと、機嫌の良い声で留められる。
「お待ちくださいな。Eランクの刀で向かうつもりですの?」
ああ、と肯定の意味で浩一は立ち止まり真剣な顔で頷いた。ミキサージャブが討伐される前に意地でAランクまで自身を上げればいい。そうすれば学園から許可が出、オーラ系のスキルの習得許可が降りる。
そうすれば飛燕でも殺傷が可能になる。硬い皮膚だろうが再生の強い身体だろうがスキル次第では対抗できるものも出てくるだろう。スタミナや回避性能を高めればいつまでも、どこまでも戦えるようになる。
勝てる。勝ってみせる。
そんな浩一の思考を知ってか知らずか、アリシアスはなんの邪なものの混じっていない笑みを浮かべながら一本の包みを差し出してくる。
「浩一様。ついでです。それではいくら腕が良くてもSランク戦闘には不利でしょうから」
これをどうぞ、と包みを浩一は受け取る。
さぁ行くぞ、と気合を入れたばかりなのにと少しだけがっくりきながらも感触から武器、それも刀だということはわかる。しかしもう借りは返してもらったぞと口に出す前にドイルによって目で促された。
(たくッ。武器マニアめ)
手に入れて楽しむ、というよりは強大な武具を的確な持ち主に売りつけることを楽しむのがドイルの趣味だ。だから武器自身より、アリシアスという八院の中でも特殊な立ち位置のリフィヌスの人間が、浩一に何を渡したのかが気になっているのだ。
好奇心に満ち満ちた巌の視線を感じつつ、浩一はリフィヌスの家紋が一部に刺繍されている純白の布を解く。上等な絹よりもなお上質だと理解できる肌触りに少しだけ驚愕しつつ、現れたのは。
一本の大太刀。
Aランク以上の良質な近接武具は基本的に重いものが多い。アリシアスから渡された刀も長く、随分と重い刀だった。
「銘を【月下残滓】と申しますわ」
名称に内心で驚きながらも、浩一は受け取った刀を眺める。飛燕よりも長く、重いそれを鞘から抜き、刃を見る。
奇妙に落ち着く明るさの店内照明に照らしたそれは美しく、この刀を万金や片腕を積んででも欲しがっているものが今でも多くいるということを疑わせない神秘性を持っている。
月の光を直接鍛え、刃と為してこの世の化生を殺害す。そう謳われたこの刀は、数十年前に剣牢院本家を出奔し、変装や整形を繰り返した挙句、何十人もの鍛冶師の下を訪れ、技術を盗み、挙句に殺された刀匠道僧山。本名、剣牢院篤胤の作った傑作と呼ばれるものの内の一本。
SSランク大太刀、月下残滓。
公開と同時に聖堂院の蔵にしまいこまれたそれは今まで誰も振るったことがないためスペックの殆どが謎のままだ。唯一、鍛冶師にして剣士である藤堂村正が試し切りにてEXランクの災害級モンスター、ベヒーモスより採取した皮膚を一閃したことからSSランクへとランク付けされている。
付与されたスキルは全て謎。しかし、道僧山作の多くが名刀と呼ばれる故に、今でも欲する者の多い刀。
それが浩一の手元にあった。
「……いいのか?」
カウンターから立ち上がり、浩一の後ろから丹念に、熱心に刃を眺めるドイルを無視しながら浩一はアリシアスに問いかけた。さっきの一喝の影響か。浩一に遠慮はない。借りを返してくれるならありがたく返していただく。刀を貰えるならありがたく貰う。
一瞬、雲霞緑青のことが浮かび。浩一の顔が歪み掛ける。が、だ。不思議と月下残滓の刀身を見つめるとその考えが払拭されていく。この刀は、そういうものではない。手っ取り早く力を与えてくれるものではない。そんな気がしてくるのだ。
なぜかドイルと目配せをしているアリシアスを見つめながら浩一はその考えを頭から振り払う。希望的観測を武具に押し付けるような真似は浩一自身が嫌うものだ。
たが、くれるなら貰う。ミキサージャブ戦での切り札に相当すると思ったからだ、が。
「浩一ィ。これ、預かるぜィ」
アリシアスから正式な返事を聞く前に、ひょいっと腰に差していた飛燕をドイルに抜かれてしまう。
「は? おい、ちょっ」
「さ、行きましょう。浩一様」
いや、まて、おい、と浩一がいろいろと口に出す。しかし、アリシアスの華奢だが有無を言わせぬ力強い足取りで店外へとずんずん連れ出されてしまう。浩一が困った顔でドイルを見ると飛燕を持った店主は奇妙に安心したような笑顔で浩一とその手に持っている白鞘の刀、月下残滓を見つめている。
(心配、ないのか?)
浩一の疑問を。雲霞緑青のような不安を抱かせない刀を、信頼してもいいのかと。使ってもいいのかという視線に対してドイルはこくりと頷いていた。
「時間がないのでしょう?」
いつのまにか引きずる様でなく、歩き出した浩一の隣で正面を見続けるアリシアスは浩一の正面へとウィンドウを出していた。
それは正午からの予定。アーリデイズ中央公園ダンジョンの予約。
「おまえ、なんでここまで」
「何に困ってるぐらい知っていますわ。それよりもさっさと準備してくださる? それとも、信用できませんの?」
じろっと睨まれ浩一は口を閉じかける。いや、信用云々ではない。自力の性質がいやな形で発動しただけだ。
自分ひとりでやらなければならない。自分ひとりでやるべきだ。この考えが浩一を邪魔している。
浩一はアリシアスに見つめられる中でその心の働きをゆっくりとほぐしていく。
これは、転機なのだから。
「いや、……ああ、ありがとう。そうか、これがあんたの借りの返し方か」
ぎり、と未だ握られていたままの手がひねられる。
「あんたではなく、アリシアスですわ。それよりも準備は大丈夫ですの?」
「おぅ。大丈夫だ。今すぐにでも動ける」
「早い、ですわね」
「ここの学生の理念は常在戦場だからな。ダンジョン潜った後は直ぐに補給だ」
感心したようなアリシアスの声に少しだけ気分が良くなりながら浩一は自分の正面に浮いていたウインドウの臨時パーティー申し込みを承認した。
アリシアス・リフィヌス。四鳳八院の一人をパーティーに加え、火神浩一は戦場へと向かう。
中央公園ダンジョン地下十五階。休息をとるため、とある広間に浩一とアリシアスは訪れていた。
ダンジョン実習を受ける学生には長期の日数をかけ、実験や性能試験を行う学生も存在する。そのため、時に学生が休息を取るために、ダンジョン内のどの階層にも休息に適した空間が基本的には用意されている。
しかし、そういった場所には同じく住みやすさを求めてモンスターが棲家を作っているので排除が必要とされていた。
そのためロングソードと呼ばれる美青年風のモンスターを手間をかけずに斬殺した浩一は適度に掃除を済ませると周囲に魔力式の警報と機械式の警報を設置した。アリシアスはそれを流し見ながら、夕食を用意していた。
浩一が設置し始めたテントやアリシアスが掻き回す鍋。どれもこれもが転移システムの恩恵だった。消費を考えずに水を扱い、消費を考えずに野菜や肉を使える。初期の人類にはどうやってもできない行為。否、転移システムが発掘し終わり、あらかたの解析が終わってから生まれたのが学園都市。だからか学生たちは今の自分たちに疑問を抱くことはない。
「設置し終わった。どうだ? そっちは」
「こちらもできましたわ。それにしても」
PADを付属のペンで操作しながら浩一が戻ってきた。
アリシアスは戻ってきた浩一に熱いおしぼりを渡すと、深い皿に料理を盛り始める。
「予想以上に強さですわね。どうして、B+なんて評価を?」
「弱いからだろ。単純に今の俺じゃAクラスの敵には勝てないし、Sクラスなんてまだまだだからな」
「強化は、体質で無理、でしたわね……」
浩一を調べたときは体質、と一点のみ書かれていた。アリシアスはそれを思い出し。この男の人生を推測する。
自分の心臓の辺りに着流し越しに手を当てた浩一は感慨深い表情で頷いた。
「ま、な。だけど人生そんなもんだ。これも、長く過ごせば多少の愛着は湧くしな」
アリシアスが転移させた使い易さと見栄えの良さが両立したテーブルの上に浩一は手と顔を拭いたおしぼりを放り投げると渡された料理に口をつける。
お、とその表情が好意的なものに変わり。ガツガツと食べ始めた。
今までパーティーを組んできた男たちとは違う、野獣のような有様にアリシアスは呆れた顔で程よく炊けている米を浩一のそばのテーブルに置く。
そうしてから浩一が放り出したおしぼりを回収し転移システムで転送し使用済みにチェックを入れさぁ自分も食べようと着座しようとしたところで浩一の皿が空になったことに気づいて呆れながら器に新しく盛るとがっつくように食べだす浩一の前にあらあらご飯まで無くなってますわねと自然な動作でお代わりを盛って渡してご飯粒がほっぺたにと手にとって浩一の口に運んでぱくりとやってさぁわたくしも食べないと、と着座して浩一の皿に目をやとうとした瞬間に覚醒した。気づいた。愕然とした。
「ま、まるで使用人のごとき甲斐甲斐しさッ!! ふ、ふふふふ、なんでわたくしがッ!!!?」
「お、アリシアスお代わ―――」
ぎらん、と蒼い修道女の目が禍々しく光り。
「手前でやりなさいッ!!」
ぱっこーん、とミスリルのお玉でぶっとばされる侍。

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