第一章『【唯我独尊】と無謀の侍』
生き残った理由(わけ)
「ぁ・・・・・・ぅ・・・・・・ぅぁ・・・・・・」
目を開いて最初に飛び込んできたのは白い天井。鼻腔に入ってきたのは消毒薬のツンとした臭い。
「あら、ようやく起きましたの? 全く、安っぽい身体で無茶をしたあげくに気絶して、無様ですわよ」
耳に入ってくる涼やかな音。浩一は、どこかで聞いたことのある響きから内容の毒を排除して、情報だけを取り込む。
(そう、か。気絶したのか。俺は・・・・・・)
次第に気絶する前後がはっきりとしてきた。
とりあえず浩一は状況を確認するため、上半身だけでも起き上がろうとする。すると背に手が当てられ、楽に起き上がれた。
誰だ、と疑問に思うまでもなくそれは氷解する。背に回って顔は見えないが息遣いからして、先程の声の主だ。それでも個人は特定できないので、やはり誰なのかと、首の向きを変えて見ようとすると、開いた目にライトを当てられ、いくつかの質問をされた。
「それで、気分は如何です? 違和感などは?」
「ああ、大丈夫だ。はっきりしてる」
「ふふ、当然ですわ。わたくしが治療したんですもの」
おや、と。その自信満々の言い草からなんとなく誰か、想像がつく。しかし、どうにも信じられず、やはり顔を見ようとしたところ。
「それで、どうしてここにいるか、理解できる?」
先程から手当てをしてくれているのとはまた別の、凛とした声が懸けられた。
浩一は、意識が途切れる瞬間までをはっきりと思い出す。陰鬱な感情、卑屈になりかける性根、同時に今の今まで感じていた腹の奥底の感情をすこしだけ吐き出すようにして呟いた。
「・・・・・・―――ああ、思い出せる。理解、できる」
苦い、記憶だった。思慮の欠けた行為が正しい成果を与えてくれた。旨くない、苦味だけ感じられる経験だった。それでも、うまくいくはずが無かった行為を挽回できるチャンスは与えられている。面白くはないが、好機ではあった。リフィヌスでは失敗した目的を今回は果たせるかもしれない。しかし、それには自身の成長と鍛錬が不可欠だ。今のままではただの妄想にすぎない。
あの時と、浩一の脳裏に気絶する前の記憶が蘇る。
戦霊院那岐の腰に掴まった浩一は、逃げ出す直前から戦闘の疲労がたまり、気力の限界だった。それでも逃走した後、経路の途中で待機していたアリシアスと合流。その後は学園の依頼で討伐をしていたアリシアスたちにつき、PADを通じて探索をサポートしていたザイン・ヤンスフィードによる指示で階層を封鎖しながら途中で現れるモンスターを駆逐しつつ、受付までなんとか辿り着いた。まさに敗残者の体。その後、イレンにPADを差し出し、五体満足で帰ってきたことをようやく確信した後。張り詰めた糸が切れてしまい、スイッチを切るようにして気絶したのだ。
簡単に重い傷だけはアリシアスに回復してもらっていた。しかし、倒れたのはここまで気力が失われていることを浩一自身が失念していたからだ。逃げ出すことで精一杯だったのだと、浩一は自覚し、己を恥じた。
そして、目覚めた場所は学園アーリデイズの医務室。白い天井と消毒薬の臭いのする部屋。その中で浩一は瞬きをした。
(なんて無様な。俺は、全力で逃げ出していた、のか。しかも気絶まで。糞ったれめ。ああ、この馬鹿垂れの小僧め、が)
勝てなかった。生き残れなかった。あの時の判断を納得も、理解もできる。後悔すらしていない。それでも、心の内側、ぐつぐつと煮えたぎるソレを確かめながら浩一は熱を逃がすようにして息を吐いた。
表面だけ、取り繕うことはできた。
「で、さ。・・・・・・ちゃんと目、覚めてるわけ?」
そうして声をかけられた方向を見ると、機嫌がどう見ても良さげではない黒髪長髪の見目麗しい魔法使い、戦霊院那岐がいる。
「あ、ああ。あんたが運んでくれたのか」
「ええ。二人がかりで。・・・・・・大変重く、大変面倒でしたわ」
「なんでか知らないけど、【浮遊】呪文も効果が薄かったしね」
そして起き上がってすぐ、目と鼻の先の距離に悪態を吐きつつも精密検査用の機器を片手に持った青い髪の修道女、アリシアス・リフィヌスがいる。先程から意識の有無を調べたりしていたのはアリシアスか。しかも身体を見ると傷のいくつかが消えている。運んでもらった上に、治療までしてもらっているのだ。頭を下げ、礼を言うしかない。
「ありがとう。助かった」
「いいわよ。別に、ついでだしね」
那岐は全身を包む、特殊薄膜装甲だろうとわかる肢体にフィットした素材のラバースーツの上から、リーンナイツ製だろう、赤い薔薇を模した刺繍が大きくなされた黒い外套を羽織っている。また、外套の隙間からは高レベルの魔法使いが当然持っているであろう特級や上級魔法用の様々な触媒の入った小瓶が見えた。
「・・・・・・ついで? ここに? あ、いや、別に詮索しようとしてるわけじゃないが」
あたりを見回してもわざわざ政治四鳳八院の一人かつ、主席かつ、Sランクの魔法使いが気にするようなものなどあるのか。いや、気にするべきはそれではない、と浩一は思い直す。アレを殺す手段を思いつかなければならない。アレを殺す手段を手に入れなければならない。再び闘って闘って闘って、この熱を昇華させないといけない。でなければ自分は胸を張って闘争の場に身をおくことができなくなる。
リフィヌスと舌戦を行なったときと同じ熱。いや、敗北を通じて殺意にまで昇華されたそれを大事に慈しみながら浩一はその、己を駆り立てる熱のままに段取りを組もうかと思い、目の前の二人を思い出して思考の片隅に考えを大事に置いた。
那岐は、じろりと浩一を真っ直ぐに睨んでいた。悪意ではなく、不機嫌そうに彼女は、浩一を見ている。まさに、目的は浩一だと言わんばかりの視線。
「が? 何? なんて時間をとることは聞かないわ。そもそもこんなチンケな施設に用事なんてあるわけないでしょう。私たちが残ってるのはあんたに礼を言うため。そして、ね。本当に、あくまで、礼を言いにきたついでに、・・・・・・ついでよ? ・・・・・・ついでに、ね。あんたの使ったトリックを聞きたいわけ。ねぇ、火神浩一」
那岐が持つ、アリシアスのものと違い一目でEXランクとわかるオーラを放つ武具。赤と黒の金属が捻りあった魔杖。それがこつん、と床を叩いた。
「礼って、あれは。―――・・・・・・つか、トリックって。小細工ってことか。見当が付かないが。いや、そもそも何のことだ?」
浩一が目を向けたのは、水に濡れたような瑞々しさを見せる腰まで伸びた漆黒の長髪や、そのそこそこ長身で、出るところは出、出ていないところはくびれたり細かったりするであろう裸体を簡単に推測できそうなラバースーツ、ではなく。自分と違う、逃亡という選択肢を選んでも、生来に持っているであろう誇りや自尊心を欠片も失っていないであろう、その目だ。那岐はじっと浩一を見て、問いに答えようとしたところで隣の少女が先に口を開いた。
「Sランクの戦士であるドライとリエンですら生き残ることができなかったミキサージャブ相手に、浩一様が、無様で、なんの痛撃も与えていなかったとはいえ、生き残れた理由をお聞きしたいのですわ。・・・…ですが」
二人にとって、パーティーメンバーだった二人の人間の名を出されても、浩一には答えようがなかった。
以前と会ったときとは、また違うローブを纏い、違う杖をもったアリシアスも、その隣の那岐も浩一を真剣な目で見ている。
しかし、問う前にアリシアスは検査器具をベッドの脇の台に置き、浩一の傍らに立つ。そして、腰を曲げようとしたのか、かすかに前傾姿勢になるが、ぴたりと前傾が途中で停止。数秒、誰もが声を出さない中、ギリギリとアリシアスの骨が軋むような音が出始める。
「コホン。えー、浩一様・・・・・・」
「いや、下げたくないなら無理してわざわざ下げんでも」
ギリギリと軋む身体を維持しつつ、礼を言おうとしたアリシアスに呆れたような浩一の声が被さる。クスクスと那岐の押し隠したような忍び笑いが聞こえ、浩一も苦笑を浮かべそうになるが。ジロリと下げた頭越しにアリシアスが見ているような気がしたので急いで無表情を浮かべた。
「長年の習性が身体に染み付いちゃって大変ね。唯我独尊」
「その名で呼ぶのはお止めください、ですわ。那岐先輩。で、貴方は下げませんの?」
「いいのよ。礼なんて形より、戦霊院は実の家よ。命一つと釣り合いが取れるとも思わないけど、最大の感謝を示すわ」
さてと、と穏やかに会話をしていた二人は真面目な顔で浩一に向き直る。アリシアスは今度は頭を下げず、跪くように姿勢を下げ、布団の上に置かれていた浩一の手を取った。
「火神浩一様。わたくしの命を救っていただき、ありがとうございます。ここにアリシアス・リフィヌスは、四鳳は八翼がひとつ。聖堂院の名を継ぐリフィヌスの家名に誓い。浩一様の要請があれば、わたくしの命ひとつ分、力を貸すことをここに誓いますわ」
さっと、アリシアスの両手によって彼女の額と首筋に浩一の利き手である左手が当てられる。八院の秘法とも言うべきスロットを収める脳と、一撃で首を落としても構わないという意味の首筋。魂のあるべき場所である胸の位置を許していないのは単純に命一つ分であって、生涯や忠誠を誓うという意味ではないからだろう。
しかし、他者を自分に縛る趣味を持っていない浩一にとっては、そんなものを誓われても全力で困惑するだけだった。
アリシアスによって、戸惑ったままの浩一の手がその細く、傷一つない肌から離れる。直後に再び手を取られた。ラバーに包まれた両手、那岐だ。
「同じく、火神浩一。私の命への助勢、感謝するわ。四鳳八院がひとつ、戦霊院の名に誓って。あんたから私に頼みごとがあった場合。私は私の命の価値の分だけ、ひとつ、あんたの頼みを果たす」
アリシアスと同じように手を当てられたのは心が宿るとされる心臓があるであろう胸と命を預けるという意味の首筋。つまり、生涯に渡って、軍に入った後の個人的な部下や情婦にさえなっても良いとの意味だった。
ただ、八院の秘法たるスロットの位置は許していない。それは、浩一が自身に従えと命令を与えた場合。那岐自身は以降二度とスロットを扱えなくなるが、スロットの摘出を行う。更に戦霊院の血を継ぐ者を不用意に作らないためにに、子を成す為の子宮も当然のごとく摘出をし、戦霊院の名を捨てる、と暗に示している行動だった。
戦霊院とは関係のない那岐個人として最大の感謝を捧げる、との意味に浩一の手が震える。その震えを感知したのか、那岐が薄く微笑んだ。
(ため、された、のか?)
浩一は、意地を張って、不敵に微笑んでもよかった。何かを企むような含みのある笑顔を浮かべてもよかった。欲望を無理やりにでもひねり出して今後の精の捌け口にでも使っても良かった。だが、浩一はそういう気分にはなれなかった。
不敵な笑顔も企むような微笑も彼女たちを助けるために死闘に赴いたのではなく、ただ結果的に助けたというだけでここまで重い宣誓を受けてしまい、勝利せず敗者となり、無様に敗残を晒している浩一の心に優越感を与え、大いに慰めるはずだった。
その意味では浩一も男の一種である。すくなくとも一時の満足ぐらいは覚え、他者に対する優越も感じるかもしれなかったし。彼女たちを騙しているような、事実救っていてもそんな勘違いを起こさせてしまった状況に対する罪悪感を紛らわすこともできたはずだった。が、だ。
「そう、か。ああ、重いな」
浩一は両手を挙げて手の震えを示した。
「あんたら八院は重すぎる。俺には、必要ない」
やせ我慢すらしていない。純粋な本音。火神浩一にはアリシアス・リフィヌスの誓いも戦霊院那岐の誓いも重いという意味の、背負うことすらしたくない、という意味の宣言。
それは、ある意味、この学園都市の全ての人間を馬鹿にした行為だった。同時に二つの八院から条件付とはいえ宣言を受けること。たった一人の八院から宣言を引き出すために、軍の高官が己の私財の全てを積み、未来永劫の出世栄達すらも断っても良い、と言うことは稀ではない。事実、分家筋の人間などには八院本家の人間を己の家に取り込むためなら悪魔にでも魂を売っても良いと公言している者さえいる。
それでも、浩一は断っていた。浩一は、火神浩一以外の人間の命を背負えない。背負わない。浩一には生涯の目的がある。二人の提案はそのための近道になるだろう。そのための、手段にもなるだろう。
金を払って使えるなら使った。きちんとした対価を払えるならば使えた。
だが、これは駄目だ。偶然だ。棚から牡丹餅どころではない騒ぎだ。だから、使えない。雲霞緑青と同じく、浩一の慢心と油断によって二人が破壊されることは確かだからだ。
だから、浩一は断る。そも、高位の人物の手を借りるのは趣味ではないのだ。それでも、
「そ。ま、それならそれで構わないわ。私は私で勝手に誓いを果たさせてもらうから。火神浩一の命の危機に立ち会ったなら、戦霊院の名に懸けてそれを救うわ。これは、私の義務よ」
那岐は真っ直ぐに浩一を見詰め、宣言する。
「―――・・・・・・、そうかよ。好きにすればいい」
その那岐の目を見たとき、手の震えはなぜか収まっていた。
「火神浩一。スロットを入れず、身体の改造もせず、強力な色属性を所持しているわけでもない。かつての名門、相原流の技能と鍛錬のみだけで学園アーリデイズに所属。戦技ランクも公式ランクもB+。座学の成績のみ、上の下。周囲の評価、同輩以外には比較的好印象」
一度仕切りなおす。ついで、の話に話題が戻る。浩一がミキサージャブとの戦闘で何故生き残れたのかを那岐たちは問うたのだ。そして、目を逸らさずに那岐が告げる浩一のプロフィール。
戦闘に乱入したからだろう。いや、アリシアスとの件の後かもしれない。それが調べられたことを当然と思いながら浩一は頷いた。
「そう、だな。ああ、ああ、その通りだ。・・・・・・俺は、ある理由からスロットも改造もできない。・・・…だから、弱い」
「そういうことを言ってんじゃないわよ。だから、おかしいのよアンタ。私達はね。どうして、こんな低性能で。こんな低ランクで生き残れるのかって聞いてんの」
当然の質問。戦技のランクは総合力だからだ。ランクは、身体能力、所持技能、戦闘経験、その者の持つ力を正確に数値化し、段階的にわけたものだ。だから、BよりAの方が優れているのは当然のことで。つまりBではAには通常、どうやっても勝てない。それは撃力というひとつの数値が単に膂力の強さだけでなく、その手に何を持ち、その手を如何に効率的に振るえるかの錬度すらも包括した単位だからだ。だから、Bの数値はどうやってもAに到達することはできないし。AがSに勝ることもない。
Q:百人の戦技B+の学生が一対一でSランクオーバーのモンスターに真正面から挑んだ際、十秒生き残れる学生は何人いるでしょうか?
A:0人
現実としてデータは残っている。未だこの都市がここまで発展する前に、人類は幾度も絶望的な闘いに挑むことになり、その幾つかで何千、何万という人間が死んでいっている。
その統計を持ってして、ランク制度は正確な単位として機能しているのだ。だから、那岐にも、アリシアスにも、浩一がどうやって生き残ったのかが見当もつかない。
あの場は遮蔽物も何もない場所だった。あの場には、敵しかいなかった。
浩一は真正面から挑んでいたか。逃げ出したのではないか。そう考えても見た。だが、そうではない。火神浩一は、あの時、あの場所で二人の少女を逃がしたそのときから、数メートルも移動していないのだ。
浩一が闘ったことは、PADや刀の記録を調べれば確実にわかるだろう。きちんと学園側に要請すれば八院である二人だ。今回の件に対処するであろう教師たちから整理された情報が労せず降りてくる。それでも、二人は浩一から直接聞き出そうとしていた。
那岐のソレは単純な対抗心。自身より強いものへの、八院としての矜持も混じったものだ。それに、純粋な興味も混じっているのかもしれない。浩一の為したことは彼女の常識を超えていたものだったからだ。
だが、那岐の質問に、浩一は正確に答える気になれなかった。浩一にとっては、生き残っただけだったからだ。痛撃を与えたわけでもない。傷すら与えていない。だから、あるのは恥だけだ。
顔をしかめてしまった浩一を見ても、那岐とアリシアスは根気強く待っていた。
二人は浩一が口を閉じている理由を、この戦闘に相原流の奥義のひとつでも使ったのではないかと疑ったからだ。だから言いにくい。だから言いたくない。それでも、浩一が言わないとは言っていないからじっと二人は待っていた。
「・・・・・・あー、別に、あれだ。特別なことはしていない」
真正面から見つめてくる二人にバツが悪そうな顔で浩一は目を逸らした。ただでさえ気力が弱っているときにこんな内容を自慢げに語るなんぞしたくはなかった。だけれど那岐の目もアリシアスの目も、疑うようにして細められる。
「嘘。別に言いふらしはしないから。話してよ。こっちもなにか欲しい情報あったら渡すから、ね?」
「そりゃ魅力的だが。いや、隠すようなことじゃない、が」
なぁ、とため息をつきながら浩一はぽつぽつと語る。
「よく相手の動きを見て、多少大げさに避けただけだ。あと、まぁ、あれだ。受け流したりもしたけど直ぐに詰まれて、殺されるとこだった」
言葉を聞きながら虚偽が混じっていないか目を見続ける那岐。逸らしたところで完全に逃れられるわけではないからだ。浩一の言葉に、虚偽はない。何をそんなに罪悪感? いえ、後ろめたさを感じているの? そう思いながらやはり発言内容の虚偽ではなく、それの実現にどれだけのハードルがあるのかを考えてしまう。
「浩一様は、自身がとても稀で貴重な実績を残したことを理解すべきですわね」
「いや、稀だろうが貴重だろうが負けは負け、だ。第一、誰でもあんなのはできるだろう。ただ、よく見て、よく避けただけだからな」
それができずに死んだ人間が何人いると思っているの、という言葉を那岐は口の中で留めた。先程から感じている違和感がわかったのだ。アリシアスも既に理解している。
この馬鹿は、B+がSランクに負けたことを恥じている。
不遜どころではない。挑んだ際もこの男なりに勝機があったから挑んだのだ。いや、と那岐は更に思考を進める。もしかして、それは、自分たちを助けるつもりではなかったのではないか、とも。
だが浩一はそれを言わなかった。利用したかった。いや、あの瞬間、二人がそれを言い出したときに浩一に浮かんでいたのは単純に戸惑いだけだった。つまりは助けた相手が八院だったことに気づいていなかったのか? それとも八院のルールを理解していなかったのか? どちらにせよ、宣誓自体は八院全体の方針だ。利害関係にない相手に命を救われたのだから、利害に取り込むという目的は果たせた。高い買い物だったか、安い買い物だったかは後の歴史が決めることだ。
それに一度言った言葉は口を引き裂かれても覆せるものでもない。那岐とて抵抗はあるが、言葉通りの覚悟はあった。家に生かされ、育まれている身だ。そのルールから外れて生きるわけにはいかない。
思考が脇道にそれたことを自省し、那岐は浩一の今のネガティブな状態について、いや、目には自分達に対するやましさぐらいしか感じられない以上。やはり、自分達に対する罪悪感のようなものだろうか。誇りが、自立心がやけに高いことを考えると、敗北を語ることに恥辱を感じているだけなのだろう。
だから、発言は真実だとわかった。
「それよりも、だ。こっちから質問させてもらうが、なんでお前ら魔法を使わなかったんだ?」
え? という言葉はどちらだろうか。那岐がアリシアスを見ると、アリシアスすら驚愕に近い驚きを顔に浮かべていた。
魔法を使わなかった。いや、そもそも浩一は自分達があの状況では使うことができなかったことを理解していない。それに気づいていないということは、魔力を扱っていない状態で浩一がミキサージャブに挑んだことを示している。
「だから生き残ったわけ?」
那岐の呟きに疑問を浮かべながらも浩一は黙っている。そういえば、あのとき現れたとき、浩一は魔力で身体強化を行なっていなかった。前衛職のオーラ系のスキルの習得は気力などの問題からAランク以降とされている以上、浩一は丸裸に近い状態で挑んだことを示している。
くすくす、と小さな笑いが聞こえた。
那岐は驚愕に近い感情を内に浮かべ、アリシアスを見た。彼女は見たこともないような微笑を浮かべ、浩一の手を取るところだった。
「本当に面白い方。こんなにも驚いたのは聖堂院の反乱のときぐらいですわね。浩一様、ミキサージャブの持つ戦斧は強力な中枢破壊系の魔力殺しなんですの。だから、奴に魔法は効かず、魔力による強化も通じず、魔力で稼動する装備も効力を失ってしまう。だからわたくしたちはあの時、ただ棒立ちで、ただ殺されるしかなかった。わたくしたちは浩一様に命を救われた。過分な報いだとお思いでしょうが、わたくしたちが八院である以上、命には命で報いねばなりませんの」
例え、それが貴方様の望まぬことでも、という言葉を囁かれ、浩一の表情が止まる。報酬ではなく、報いという言葉を使われたことから察したのだ。これは礼ではなく、事象だと。行動の結果だということを。ただのついで、命を救うつもりではなく、救ってしまったなら責任を取らねば成らない。
暴れ、殺されたモンスターの子供を戦士が哀れみ殺さなかったため、数年後殺された人々がかつていたことと同じように、だ。
この世には、望まれぬ正しさ、優しさもある。
ため息をついた浩一は優しく自身の手をとるアリシアスを見ながら、諦めたように首を振った。
「なら、いずれこの報いを使うことにするさ。気が変わるかもわからんしな。どちらにせよ。今は無理だ。俺に受け取る器がないからな。で、だ。なら、あんたらの前衛を殺したのは、落差か?」
魔力殺しのみでその単語にたどり着いた浩一の直感に感心しつつ、那岐は頷いた。
「恐怖による停止も含めて、ね。うちの前衛たちは、精神防御のスキルがなかったから。咆哮、聞いたでしょ? 魔法でなら防ぐすべもあったけど、魔力殺しの効果がある以上、直前で打ち込まれれば死ぬしかなかったわけ」
Sランク戦士の最高速は魔力による強化、オーラによる強化により、時に時速300㎞を越えられる時もある。だが、ミキサージャブはそれを強引に通常速度に戻すことができた。そして、コントロールを乱され、強引に速度を落とされた戦士が、Sランクモンスターの一撃に反応できるかと言われれば首を傾げるしかない。
だから最初の接触で、主席パーティー【ア・バオ・ア・クゥー】の四人は敵と自分達との相性が最悪だということに気づき、撤退した。追撃も受けた。皆、精神に圧迫を受けながらもなんとか二十階層までたどり着くことができ、さて、全力で逃げるかというところで、なぜか十階層以上の移動をしてきたミキサージャブに迫られ抗うしかなくなった。【天翼】で逃げる? アリシアスともう一人までならばよいだろう。しかしそれ以上は重量オーバーだ。それに、嫌っていなくとも、好ましいとも思っていない人間を抱えることなど那岐のプライドが許さなかった。
そうして、最初に、撤退途中で心を折られていた軽戦士かつ魔法戦士のリエンがパニックになったまま、何もできずに殺された。復讐に燃えた騎士のドライも突撃途中で咆哮を打ち込まれ、捕らえられ、捕食された。
Sランクの戦士たちは生き残ることができなかった。存分に力を振るうことができなかったために。
「俺は諸事情あって、魔力強化が効きにくい体質だからな。魔力強化はしなかった。それに胆力と言ってもいいが、【侍の心得】は精神防御を含んだスキルだ。だから普通に闘えたんだろう」
「だから生き残った、か。トリックも小細工も扱わなかったから生き残れたのね」
それでも敗れた、と浩一は続けなかった。今更気を使われても、と那岐は苦笑し、立ち上がる。
「とりあえず、いろんな人に報告してこなきゃねー。アリシアス?」
謝りもしないといけない人間もいる。那岐は陰鬱になりかける心を叱咤し、共に生き残った少女に声をかけた。
「え、・・・・・・あ、はい。今行きますわ」
浩一の手から名残惜しそうな様子で手を離し。小さく治癒上級の【快癒】の魔法を唱えてアリシアスは出入り口へと移動した那岐の元へと歩いてくる。
「随分、執心じゃない」
アリシアス、と再び声をかけると彼女は何かを考えている様子だった。はて、こんな娘だったかと首を傾げた那岐に背後から声がかかる。
「言ってなかったが、撤退と治療、ありがとな。助かった」
花が咲くように、という表現だろうか。まさにぱぁっといった形でそれを聞いたアリシアスが微笑み、それを見た那岐は奇妙な感覚を覚える。
この娘が恋などという単純明快かつ、明るいものに染まるなどとは到底思えなかったからだ。
邪悪とまではいかないが、何か恐ろしいことでも考えているのでは、と。性根と本性を知っているために、邪推してしまう程度に那岐はアリシアスを警戒した。
何か面倒なことを起こさなければいい。そう思うことが不自然でない程度にはアリシアス・リフィヌスという少女の悪名は高い。

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