第一章『【唯我独尊】と無謀の侍』
結末と講義と馬鹿話
ランク:A 名称:黄金剣グライカリバー 分類:片手長剣
『1000年代の名匠、リッツヴァライが製作したEXランクの神器、聖王剣グライカリバーの劣化模造品。
柄と剣身が黄金色に輝く頑強な金属『フェアリーメタル』で出来ているため耐久値が高い。また、柄に仕込まれた機構と剣身の金属の性質を利用することで使用者の思考を読み取り、体内のオーラを任意に収束して打ち出す【飛ぶ斬撃】を放つことができる。
この剣は模造であるが故に、購入者の要望次第では剣身や柄に購入者の家紋や家名、家訓などの文字や図形を刻むことも可能。
またそれらに関係なく、リッツヴァライ工房のサービスで、剣身にドラゴンやユニコーンなどを意匠化した刻印なども別料金で刻むことができる』
二〇八八年度版『アーリデイズ武具カタログ』四〇六ページより抜粋
少女と浩一の問答をその気はなかったのだろうが中断させ、男達は再び少女と相対した。さきほどよりも男達の状況が悪くなったにも関わらず、浩一は薄く嗤った。
(なるほど、な)
気配を殺し、修道女の視線から離れ、目的の場所へと移動し、拾い上げる。先程の会話と少女が視線を向けた先。一瞬だけだが理解したこと。この話の発端。
(問題は、これをどう使うか、というところだが)
渡すだけなら簡単だろう。だが、それをしたとしても騒動を治められるか、というところが難しい。
(うん? 騒動を治める?)
小さな違和感。浩一はどうしたいと思っていたのか。膝立ちのまま、手に小さな袋を持ち、それを少しだけ考える。がしゃり、と小さな硝子の破片が擦れる音が聞こえ、ぽちゃり、と袋が波打った。
それで、ああ、そうか、と浩一は気配を絶ったまま立ち上がる。
(どうにもやり難いと思ってたが。これは、前提を勘違いしていた、か。・・・・・・これは、俺のやり方じゃないし、目的でもない)
浩一は、悪人ではないが、善人でもない。状況を見、相手を見、心情が止めたい、と思っていると思考が勘違いしていたが、改めて考えると自分はそんなことを自発的にする人間ではない。
以前、同じような状況を低ランクが行なっていたとき、どうしたか。そもそも助けようとか、可哀想などという殊勝な感情を抱いたか? 否、だ。浩一はちらりと見て、その場を去った筈。
それを今回は、わざわざ足を止め、関わろうと考えたのは何が原因か。
(・・・・・・ランク、か。そうだよなぁ。あれらがどんなものか知りたかった、って所だろうが。なら)
そもそもの前提を間違えていたのなら、やり方を勘違いするのも頷ける。元々浩一は偽装を得意としない。元々浩一は調停を得意としない。
そんなものは別の人間の仕事だ。
(で、だ。さっきの問答はいい感じに俺の琴線に触れていたみたいだが。うん? ・・・・・・そういう方向が好みってことか?)
だが、それでは致死率が跳ね上がる上。下手を打つ打たない以前に、完全にあの少女を敵に回すことになる。それは、今後、この都市内で普通に生きていくなら背負わずに済む困難を、自ら選択して背負うことを意味している。
(こんなくだらないことで、俺の今後が決まる、か。しかし、この都市内で、俺が望むように生きていくことを選択するなら・・・・・・)
もちろん、このまま逃げ出すことが一番良い。名前も言っていない今なら、この広い都市内で出会うことはもうないだろう。
心情はこの騒動の始まりから変わらぬ情動を示し続けている。身体を動かそうと、思考を誘導しようと胸の内に炎のような感情を灯している。
しかし、今はこの情動を理由には動けない。先程と違い、少女の正体が明確となった今、彼女を相手にするならば確固とした理由をなしに逃亡も戦闘も選んではいけない。情動とは別の深い場所がそれを諭してくる。
浩一は悩む様子もなく決断した。手元の包みを見、アクセサリーショップに入っていく。
その姿を見ている者は誰もいない。
濃厚な血の匂いが撒き散らされている。
「あ・・・・・・あ、あ、あッああ」
止血されることもなく、ポンプのように血液を吹き上げ続ける傷口は、男自身の治癒力を持って、切断された場所に薄く、頑丈な膜を即座に張った。Aランクを超えるほどの戦闘者の身体が傷を負い、何の反応もないなど在り得はしない。必ず傷を癒すために、人体に備わる治癒能力と後から付け加えた機能の全てを使って肉体を十全に近づける努力を無意識にでも発現させる。
利き腕たる右腕を半ばから切断された黄金鎧の男は口の端から泡を吹き、額に脂汗を滲ませながらも、意思と気概を振り絞り、自身を見下ろしている女を見上げ。
瞬間、折れた心に深い衝撃を与えられた。
(あ、あぁ。こ、この女は、俺をぉぉぉ、おれをぉぉぉ)
少女の目にはなんの感情も篭もっていなかった。
少女は、男をゴミやクズの類だと思っている。それを自身の目で、少女の目を見ることで確信し、男は絶望する。ゴミに、人が情をかけるわけがない。しかし、少女が男を塵芥だと思っていても、真実、人である男は自身の生存を諦め切れなかった。
(俺が、俺が何をした・・・・・・。お前に俺を、)
――――――殺す権利が、あるというのか。
「う、うぁ、許し、ゆるして、くだ、さい」
内心の恨みを持ちながらも少女に懇願する。自身の撒き散らした血に額をこすりつけ、許しを請う。男の体内でその二十年あまりの時間を使って培われてきた精神性がぐにゃりと捻じ曲がる。
屈辱だった。恥辱だった。これは、己からやっていることとはいえ、心の芯にずっしりと来る。
(だが、死ぬよりかは、マシ。死ぬよりかは・・・・・・)
そうだ。自分には、学園を卒業し、軍人となり、前線で軍功を上げ、そしていずれは八院のどれか、直々の部隊に取り立ててもらい。歴史に名を残すような戦闘に参加し、己の名を残していくという野望がある。
だから、こんなところで死ぬわけにはいかない。死ぬわけにはいかないのに。
少女は口を開かない。その目は、何をみているのか。じっと視線が男に向かっているはずなのに、男の鋭敏かつ、常人を超越した感覚が、その目が男を見下していることを確認しているのに。少女は、男を、見ていない。
(何を、考え、いや、そもそも俺を見? いや、何も見ていないの、か?)
こつん、と男の頭の傍で杖が床を叩く。こつん、こつん、と。そのたびに男の身体がびくッ、びくッ、と恐怖で震える。今度はいつ頭蓋に直接あれを叩きつけられるかもわからないのだ。
ひぃ、と悲鳴をなけなしの胆力を振り絞り、押さえ込む。そうしてから、少女の反応を待とうとした瞬間。
「そうですわ。あなたたち、自分の心臓に自分の剣を突き刺してくださいません? その上であなたたちに対する救援が間に合うまで生存していられたら、あなたたちを許して差し上げますわ。もちろん、あなたたちが何を許されるのかを知らなくても・・・・・・」
「な、なんだッ! それはッ!!」
声を荒げ、少女を見上げるリーダー。そんなことは承諾できるはずがない。そんなことが許されて良い訳がない。自分が、死んでいいわけが、ない。
「5」
あぁ、と。後ろで絶望の混じった仲間の声がした。少女は男達を見ているようでいて見ていない。話も聞いていない。カウントを始めている。
「4」
もう駄目だ、我慢できん、と。リーダーが利き手ではない腕で剣を握る。もちろん自害するためではない。多少の苦戦はあるが、こちらは四人、少女を、■■には十分。
「3」
おい、と男が振り向き、愕然とする。仲間は、剣を自らの胸の中心に押し当てている。正確に心臓の位置。黄金剣士連合にて選ばれたメンバーに必ず持っていろ、と男が意匠の一つ一つにこだわり、手ずから渡した剣。
黄金剣グライカリバー。それが、三人の心臓部分に、剣先を当てている。
ああ、とリーダーが嘆きの声を上げる。そうじゃない、そうじゃないだろうと叫びたい。だが、恐怖によって声がでない。男の後ろで少女が見ている。その恐怖に、声が出てこない。
少女は男の背中越しに三人を、その深い深い深海のような瞳で見ていた。そうして、三人の仲間がしょうがないだろう、これは抗えないだろう、と顔をくしゃりとゆがめた。
「0」
ガスン、と三つの音が重なった。敵を倒すために与えた剣は、使用者たちの怪力とでも称すべき膂力により、害意から身を護るための鎧を一瞬の抵抗の後、あっけなく貫通した。優れた戦士による致命の一撃はその身体の奥にある臓器を的確に破壊。剣身に刻まれた黄金剣士連合のエンブレムが濃く、紅い血液によって彩りを与えられ、リーダーの男の慟哭の叫びが場に満ちた。
目的の物を入手し、浩一がその場に戻ったとき。場には強い血臭と「おぉおっぉぉぉぉぉぉおおおお!!」という、心を奇妙に騒がせる叫び声が響いていた。
どういうわけか剣身を両手で掴み、己の心臓に己の剣を突き刺し、口から血を噴出しながら息絶えかけている三人の男と、その前で自らの頭を抱えながらうめいているリーダー。そして、その背後で退屈そうな空気を発散しつつそれを見ている少女。
「こいつは、なんだかなぁ。・・・・・・いや、構わない、か。おい、あんたッ!!」
展開の速さに呆れた顔をした浩一は頭を振り、決めていたことを決めた通りに行なう。とりあえず、事態を単純化させるためにも最初の問題は解決しておく必要があったからだ。既に男たちのことなど浩一の頭から消えていた。浩一は、浩一の目的を果たすために自らこの事態に飛び込んだ。
ぽん、と浩一が手に持っていた小包を投げつける。放物線を描くことなく、投げつけられたそれは少女の手の中に飛び込んでいく。
す、とん、とその袋は中身を損ずることなく、少女の手に収まる。少女はそれを受け取り、袋を見てから浩一を振り向いた。
「貴方様は。いえ、これは」
「ツーザイラル製フレグランス、スターライト。すごいな。100mlで十万ゴールドだってな」
にやり、と苦笑いを浮かべながら浩一は少女の手の中の袋を一瞥する。
浩一の月の食費が約五万。それを考えるとたった一個の香水で浩一は二ヶ月も暮らせることになる。もちろん、店には表の騒ぎを収める、という理由での無料での譲渡を強制した。こんなものに自費で十万は、金に対する執着のない浩一でも厳しすぎる。
「そうではなく、どうしてこれを・・・・・・」
割れたはず。砕けたはず。そういった疑問を何一つ口にせず。少女は問う。知っていたのかと。
「さて、な。どちらにせよ。それが理由だろう? ぶつかって、落として、割れた。それが、理由だろう?」
浩一の言葉。それが耳に入ったのか少女の背後で男が、自身の頭部から手を離し、ぼそり、と何かを呟いた。が、既に背景へと身を落とした男に、二人の当事者が注目することはない。
少女がフードの上から自身の口元に手を当てる。包みは、ない。杖を持っていないほうの手、そこにある指輪型PADが少女の思考に反応し、一瞬でアイテムの所有者変更と転送を行なっていた。
「くすくす。ふふ、ふふふふふ」
少女がうれしそうに笑う。それは、己の言いたかったことをやっと理解してもらえたからか。それとも無事な香水が手に入ったことか。否、その二点は喜びの理由には当たらない。少女には自身を他人に理解させる必要も、香水一本に執着する理由もない。つまりは、ただ、稀有なる人種と出会えたこと。それが、この騒動の収穫。
浩一はアリシアスの反応を無視し、防水性に優れているのか、ちゃぷん、ちゃぷん、と音を立てている袋を懐から取り出す。
「これと、それ。んで、そこの店の店員。アンタがこれを買ったことの証明はそれで十分だろう。・・・・・・とりあえず、今回はそこの死に掛け三人組とアンタに渡した奴で手打ちだ。それでいいだろ?」
前のめりに倒れた三人組。その胸には精緻な剣身を露にし背へと剣先を貫通させた黄金剣がある。三人が三人とも表情に苦悶を載せ、か細い呼吸を繰り返す様は見ていて面白いものではない。
少女はちらり、と自らが命じた顛末を見るがその表情には快も不快も浮かんではいない。剣が鞘に納まるように、砲身から弾丸が射出されるように、少女にとってそれは当たり前のことだった。そんなことに喜悦を露にするのは乞食や物乞いの所業。貴種の様ではない。だから、興味も何も抱かずに、ただ面白げな人物へと視線を送る。
「くす。ふふふ。それは、貴方様が決めることではないですわ。でも、そうですわね。貴方様のお名前を聞かせていただくこと。それで、考えてもよろしいですわ」
「火神、浩一。アーリデイズの学年十八だ。戦技はB+」
即座の返答に、少女が首を傾げる。疑問は、名前ではない。浩一の言葉には虚言の空気がしない。つまりは火神浩一という名なのだろう。それは、確かだ。だから、続いた戦技に首を傾げる。
「―――……なんですって?」
「火神浩一。学年十八の戦技B+。これで満足か?」
「戦技B+?」
「ああ。そう不思議そうに首を傾げなくても嘘は言ってないぜ。俺の戦技はB+ランクだ」
「ふ、」
ふ? と浩一が首を傾げる。やはり、低すぎたのではないかと。だから、この少女は浩一など歯牙にもかける必要はない、と正しい認識を取り戻してしまったのではないかと、一瞬の不安に襲われる。
「ふ、ふふふ、ふふふふふふふふふ。ふふふふ。び、B+。B+が。そう、そうですの? B+が、Aの勝てなかった事象に挑み、打破し、手打ちにする。う、うふふふ。そう、貴方様が」
口元を押さえつつ、笑いの衝動から身体を曲げた少女のフードがふわり、と背に落ちた。青空を顕したような蒼髪、深海のような暗さを秘めた蒼眼。左手の人差し指にある指輪型PADと結い上げた髪を留める飾り気のないティアラを除けばなんら、装飾をしているわけでもないのに。
血に酔い、ただ、事の推移を眺めているだけの観衆が息を呑む。
フードを被り、顔を隠していた少女。確かに、これは隠す必要があった。こんな容姿の一見か弱げに見える少女が街を歩いていたら、すぐさま野良犬のような男たちが群がるだろう。
整いすぎた容姿。まるで精巧な人形に相対したような気分に襲われる観衆たち。
しかし、無邪気に笑う少女はそんな観衆たちの想像を裏切るように、血溜りを侍らせ、威圧を放ち、苦しげに、楽しげに嗤っている。
「ええ、ええ。楽しませていただきましたわ。浩一様。どうぞ、わたくしの名はアリシアス・リフィヌス。四鳳八院がひとつ、リフィヌス家が誇る【青の癒し手】とはわたくしのことですわ。どうぞ、お気軽にアリシアスとでもお呼びくださいな」
すっと、浩一の芯が冷たくなった。リフィヌス家。八院のひとつ、聖堂院家の元分家。十二年前に行なわれた【チェス盤の戦争】にて聖堂院側にいながらも、味方を裏切り、戦線の崩壊に一役買ったことから、聖堂院の位階と遺産を手に入れた家系。
主君を殺し、八院の座を掠め取った不忠者。学園都市での評価はただそれだけ。
学園都市という聖堂院よりも上位の存在に対して忠誠を誓っていた、という見方もあるだろうが、それは聖堂院の遺産を分配できなかった他の七院が封殺している。
だからか、リフィヌスという家名はアーリデイズにおいては軽蔑されるべき家系でありながら、持つ力の強大さによって同時に恐れられているのだった。
そして、美しき少女、アリシアスの目の前にいる男は。
少女が期待通りの存在であったことに深い笑みを浮かべた。それは、苦笑いや嘲笑まじりのそれではなく、純粋な笑顔。強者に出会えたことを喜ぶ一人の修羅の笑み。
アリシアス・リフィヌスはアーリデイズ学年十七の主席。戦技ランクS。主席補正含め、公式ランクもS。突出した才能が出ることの稀な色属性にて【青】に秀でる。また、神術を用い、致死寸前の生命すら治療したことから、ついた二つ名が【青の癒し手】。
だが、アリシアス自身の性格からか、その恩恵を受けたものは稀。例えば、リフィヌスにとっての縁者や支援者。または組んでいるパーティーメンバー。その程度しかいない。
故に、青の癒し手と呼ばれることはなく、その苛烈な精神性からか、ついた通り名が【唯我独尊】。
浩一は刀の柄を利き手で撫でながらアリシアスに接近していく。今回のこれは、あくまで興味からだ。自身に好意や親愛、友情を抱いていないSランクに自身のそれは通用するのか。しないのか。
あくまで、無関係であらねばならないのは浩一に先入観を抱いていないことが好ましかったから。何故、アリシアスなのだといえば、出会ってしまったから。それでしかない。
浩一は息を整え、アリシアスの前へと立つ。
「さて、では本題だ。アリシ「ふッ、ふざけ、ふざけるなッッッッッッ!!!!!!」アス。・・・・・・ん?」
フレグランス。つまりは香水。割れたビンの入った袋。ぶつかった際に少しだけ聞こえた異音。
そうだったのか。そうなのか。自分達は、自分の仲間は、たった、たった十万ゴールドの品のために、死ぬ。殺される。
許せるのか。志を共にした仲間が。剣を共に握り、精進し、笑い、悲しみ、苦しみを乗り越えてきた仲間が、こんなことで死んでいいのか?
(いいわけがあるかッ!! 許せるものかッ! ・・・・・・許してたまるものかッ!!)
グライカリバーの柄を握る。片腕がなくとも、たかがSランク。自分より二ランク強いだけ。たったそれだけ。ならば、怯える必要など。殺されてやる必要などない。あるわけがない。
それに自分は戦士だ。Sランクとはいえ、近接戦闘。それも相手は僧侶。勝てる。勝ってやる。勝って、仲間を助けるのだ。
男の決意と共に、鞘から黄金の剣が引き抜かれた。男の殺意に反応して剣から光があふれ出る。突如出現した太陽光にも似た輝きに誰もが眼を瞑った。
「おおおおおおぉぉぉぉおおおおおお」
最初で最後の好機。それを最大限利用し、距離を詰める。たった二メートルも離れていない敵へと、肉薄する。接敵し、斬撃を与えるために。
敵へと、修道女へと、悪魔へと近づいていく。男の知覚が最大の敵を前にして、広く、長く、増大していく。
一秒が長い。一歩が遠い。だが、男はこの何度も何度も死線をくぐってきた際の感覚を信用していた。
アリシアスは表情にうっとうしさを浮かべながらも隠し刃を展開した杖を構える。ゆっくりとした、泥のような知覚の中でも早すぎるその動きは一流の戦士にも勝るだろう。たかが修道女がそこまでの強さを持っていることに男は驚かない。先程の一撃にしても知覚することもできず、受けてしまった。だから、驚かない。
(刃は腹で受ける。受けて、そのまま斬り捨てる)
もとより無傷で勝てるとは思っていない。勝つために最善の行動は敵の刃を封じ、そうしてから最大の一撃を与えること。相打ち? そんなわけがあるか。たかが刃。たかが臓器のひとつやふたつ。アレに勝つためならば惜しくはない。
男はアリシアスを見ていた。たった一人の敵を一心に見ていた。だから、気づかなかった。
一歩を踏み込む。アリシアスまであと一歩。相手の攻撃に構わず最大の一撃を女の胴体に袈裟懸けに打ち込む。それで勝てる。
「おおおおおおおおおおおおおおおぉおぉぉぉおお」
咆哮が響く。びりびりと、周囲へとこの場にいる全ての人間へと。そうして最後の一歩を男が踏み出した瞬間だった。
ぱしゃん、と。
男の顔面に液体の詰まった袋がぶつけられたのは。
一瞬の閃光の後、咆哮と共に突進してくる男を少しだけ眩んだ眼で見たアリシアスは、最大限に鬱陶しそうな顔を作ると瞬時に気分を切り替えた。
そうして、先程から何度も何度も自身を邪魔する存在。あくまでも敵にしかならないと行動で語っている男に向けてアリシアスは自身の手による殺害をようやく決意した。
これはよくないものだ。存在の規模が道端の小石程度のものだとしてもよくないものだ。例えば重い荷物を背負ったとき。例えば長い道程を歩き、疲れたとき。普段ならば気にも留めないような小石が全存在をかけて牙を向いてくる。そんなタイミングの悪い小石があの男なのだ。
諦めの悪い駄犬は絶滅すべきですわ。アリシアスは誰にも聞こえないように呟くと唇を舐め、あくまでも自然体で意匠も何もない杖を構える。
【聖杖】ゼクトバルスレイヤ。聖堂院の当主が持っていたEXランクの魔杖の一本だ。SSを越えた先の一本であり。現在の技術でも一本作製するのに匠を極めた職人が一生を悩み、苦悩し、それでも作れるか否かという人類圏でも最高位の武具の一つである。
その機能の一つ。あらゆる耐久値を接触した瞬間にDランクまで減衰させるスキル【装甲破壊S】を付与された隠し刃が展開される。
(でも、少しだけアレの方が早いですわ。ふふ、惰弱な生き物なりに研鑽した結果ということかしら? でも、ふふッ)
アリシアスが笑う。基本的な身体能力は男の方が上だが、アリシアスが日用品として使っているローブもまた、現在の人類が苦心して作り出した最高位の防具のひとつなのだ。だから、いかに男が必殺の一撃を持っていようとも、ただの店売りの武具ごときには、千に一つ。万にひとつもアリシアスを害すことなどできはしない。
アリシアスの知覚に反応してローブが付与された機能を発動させた。Bランクの耐久を持つ不可視の障壁をアリシアスから見て、正面方向に三つ。それと着用している人物への凄まじいほどの身体能力の付与。
自ら虎口というよりは地獄の釜へと突進してくる男に向けて一秒にも満たない時間で迎撃体勢を整えたアリシアスだったが。
その前方に袋が投げ入れられ、後方から腰を横抱きにされる。あと一歩。男が殺され、アリシアスが殺す。たったそれだけが決まっていた結末から、刃と刃の戦場から当事者の一人が引きずり出される。
「な・・・・・・」
振り返り、相手を見た瞬間。問いを止めていた。当初、この突然の奇襲を行なった相手に反撃する余力を失ったのは、一重に前方の男へと意識が集中していたことと、前方の男がアリシアスの意識を捕らえる程度にはランクに恥じぬ力を持っていた、という二つの理由があった。
だが、相手を見た途端に。自らが個人として認めてしまった相手が何かをしようとしている姿を見たときに。アリシアスの身体から抵抗が失われていた。
興味が湧いていたのだ。この男に対する。
本題を告げようとした瞬間に邪魔をされた。少しだけ問答を邪魔された怒りもあった。だが、恨んではいなかった。
直後に、閃光に眼を潰され眼が見えなくなる。身体の改造をしているわけではないので浩一の視覚はすぐには回復しない。
しかし、動揺は一切ない。自身に向けられたわけではなくても、凄まじいほどの殺気が浩一の身体に降りかかったからだ。狐鬼のときと同じだ。敵になったもの、強い感情を抱かせるもの、それらへと向けた強い感情は時に物質的な圧力を伴って発散される。
(片腕を失っていても、ただやって勝てるっていうのはない、か)
当初の計画では、場をかき回して全てを有耶無耶にして男たちを助けようとしていた。また、問答を始めたとき。浩一はアリシアスの注意を自身に向け、男達にはさっさと場から消えてもらうために動いた。
だけれど全ては失敗していた。それは、男達の危機感が鈍かったことや、浩一が自分で自分が何をしたいかわかっていなかったから。
(俺は、助けたいわけじゃない)
浩一は目が見えない状態でも動こうとしていた。強い殺気を放つ個体がひとつ。息絶えようとしている個体が三つ。静かに暗く、絶望的な強さを発散させる個体が一つ。
このまま放っておいたらアリシアスは男を殺すだろう。SランクとAランクの差は絶望的なまでに隔たっている。男には万に一つも億にひとつもアリシアスを殺せる可能性はない。
そうするとアリシアスは少しだけ面倒なことになるだろう。具体的に、治安維持につかまって説教を受けることになるのか。真面目すぎる治安維持によって拘束されることになるのか。
そうすると。せっかく出会えたSランクが。そこそこ浩一に興味を持ち、敵対でも友誼でもなんでも結べる程度には興味を抱いてくれるSランクが。治安維持によって拘束され、以後決してないだろうこの絶好の機会が。一切に渡って失われることになる。
後日、Sランクが自分から浩一に会おうと考えてくれるとは思えないし、浩一が会おうと思っても会ってくれるかはわからないだろう。
だから、具体的に何をしたいのか。浩一は全てが始まり、終わろうとしているこの一瞬の中で、動きながらそれだけを求め、考えた。
(アリシアスからは手を出させない)
未だに持っていた袋を殺気の方向に投げつける。身長は確認している。戦闘スタイルは雑誌で流し見ただけだが把握している。アーリデイズ接近四の型。騎士ジョブの学生に多い戦闘スタイル。本来は片手に盾、片手に剣を持ちながら疾走し、防御しながら最大撃力で斬撃を与える戦闘スタイル。
当然それ以外にも秘奥とも言うべき技を持っている可能性もあったが、こんな観衆の多い場所で自身の秘奥を出そうなんて考える人間はいない。どこで映像を撮られているかもわからないからだ。
だからこそ、男が最も自信を持っているだろう一般的な戦闘スタイルを使用するだろうと推測ができた。未だ浩一の視覚は回復していないが、それだけで動くには十分だった。
音で着弾を確認する前に、浩一はバックステップで、アリシアスがいたであろう位置に下がる。そうして利き手ではない手で、細い腰を後ろから抱きかかえる。もちろん、手を出させないために、だ。
「動くなよ」
浩一は、少しだけ、ほんの少しだけ腹の底に湧いた恐怖を胆力で責め殺すと、そっと囁いた。
「く、臭ぇッ、臭ぇぞッ!! 糞ッ!! 糞ッ!! クソッたれェアァア!!!!」
顔面に着弾したものは大げさな甘ったるい臭いのついた液体だった。それが眼球にぶつけられ、鼻を刺激し、口内へと入ったのだ。男は剣を取り落とし、残っていた一本の手で顔面をかきむしる。
(香水かッ。糞、誰だ。誰がやった。俺に、Aランクの俺に手を出す奴ァ。この場にはッ!!)
体内の解毒作用がすぐさま働いて飲み込んだ香水が無害化される。とはいえ、喉越しは最悪だ。腹の底にタールでも飲み込んだかのような違和感が存在している。
刺激により、涙腺が緩む。涙で視界が滲んでいく。鼻を啜り、体内の機能が全てを正常にするまでの数秒。それによってSランクに斬りかかろうとしていた集中が霧散していく。最大の好機を失ったことを理解し、気力が消失していく。
代わりに怒りが身体に満ちる。自分の未来を、敵を排除する機会を奪った者へと。全ての好機を消失させた者へと。
(誰だッ! 俺の!! 俺の、チャンスをッッ!! アレを殺す機会を奪った奴はッ・・・・・・!!)
眼から涙が消えていく。視界が元に戻る。鼻から臭いが消え去っていく。刺激臭の排除も完了した。三秒。貴重な三秒が失われた。糞ったれが。男の中で怒り、罵倒、アリシアスに対する殺意が渦を巻く。
そうして、男は激昂しながら足元の剣を拾い。
直後に死角から放たれた掌打によって正確に顎を打ち抜かれることになる。
強烈な打撃を受け、ぐらりと揺れる視界と脳。いくら人類が身体を改造し、身体的な弱さを殺していったとしても構造的な弱点まで消すことは出来ない。その点を突いた一撃だった。
「く・・・・・・ぅ・・・・・・ぁ」
その日、男が最後に見た光景は、刀を一本だけ佩いた着流しの男。火神浩一と名乗った奇妙な学生が自身を見下ろす姿だった。
(そう、か・・・・・・。お前が・・・・・・)
Sランクを小脇に抱えたB+ランクの男の眼には、自身よりランクが高い男を打倒したにも関わらず、特に強い感情など浮かんではいなかった。
(許し・・・・・・る・・・・・・も・・・・・・・・・…か)
意識が途絶える。
ランクAをランクB+が倒した。未だ小脇に抱えられているという事実すら忘れてアリシアスはそれに見入っていた。
戦闘用のアイテムですらない日用品である香水。それを目潰しとして使用し、敵の注意を散漫にする。目や鼻などの主要な知覚を奪い、敵を過剰に警戒させる。
それらが回復し、警戒が緩み、武器を拾い終え、守勢から攻勢へと変わる一瞬の隙をついての攻撃。
わたくしが腕を奪い、激昂させていた? わたくしに注意が向いていた? そんな要素が何だというのか。ランク差を覆す。しかも武装をしていた相手に武装もなしに、近接戦闘の達人を相手に、近接戦闘で打倒した。これは、この男は、一体。
アリシアスはため息をつき、あぁ、わかってたけど、覚悟してやったけど、やっちまった、と呟きながら肩を落とす男を見上げた。
「ッと、マズ」
視線が合った? 疑問に思いながらアリシアスは浩一を見つめ続ける。どこともしれぬ場所を見ているのか。浩一の視点ははっきりしていない。浩一はアリシアスが自分をみていることに気づいているのか。目を執拗にぱちぱちと見開きしながら、丁寧にアリシアスを地面へと降ろした。このときアリシアスは自分が他者に抱きかかえられつつもなんら悪い気はしなかったことに初めて気づく。
先程の出来事が印象的すぎたからだった。男の無骨かつ力強い腕が、自身の華奢でか弱い腰を無造作に抱いたことが初めての経験だったからでもあった。だけれど、一番は、火神浩一が期待を裏切らなかったこと。抱いた興味に驚愕で返してくれたこと。
「・・・・・・ぁん・・・・・・」
ふらり、と他者に触れられた腰を触りながら立ち上がる。もちろん、上流階級の嗜みとして社交ダンスを嗜んだ事もあるアリシアスは男性に触れられた経験が多くはないが、皆無ではない。それでも、他者から火神浩一として認識しなおした存在。自分が認めた数少ない人間に触れられたなら話は別だ。
アリシアスは基本的に自分と祖父以外の多くの存在を畜生や塵芥、そういった存在として見てきた。例外はもちろんいるが、基本的に人間として認識している人物など数えるぐらいしか存在しない。
「浩一様、わたくしにこれで恩を売ったとお思いですか?」
しぱしぱと眼を閉じたり開いたりしながら浩一は首をかしげた。恩を売る? そう呟いた後。首を振った。
「いや、あんた「アリシアス」・・・・・・いや、「アリシアスとお呼びなさいませ」・・・・・・あ、・・・・・・アリシアス」
ええ、となんの悪感情も含まれていない笑みを数年ぶりに浮かべるアリシアス。やっと事態が収まり、特に血生臭いことがこれ以上起きないと安心してみていた周りの観衆があまりの可憐さにどよめいたが目の前の人物は何の反応もない。性的な目で見られることを嫌い、顔を隠すことに多少のうっとうしさを感じながらもフードを被ってまで外出していたアリシアスだ。浩一がそういった目で自分を見ていなかったことに多少の安堵を覚えながらも自身の美貌を知っているためにほんの少しの不満を感じてしまった。
(わたくしが巷の小娘のように一喜一憂させている? 何をわたくしは馬鹿なことを……)
先程から少しだけ刻む鼓動の早い心臓や胸をじわじわと焼いている感情に気づいていないアリシアスは自身に自制を課しながらも再び話しだした浩一を注視する。
「で、だ。アリシアス。俺はアンタが殺されると思って男を止めたわけじゃない。あんたの腕なら男を殺し返せたからな。だから、これは恩にはならない。むしろあんたはアレを殺す機会を奪った俺を恨む立場だ」
「まぁ。恨むなんて面倒なことはしませんわ。不快に思ったなら相応の返礼をするだけですもの。それよりも」
しぱしぱと目を閉じたり開いたりしている浩一に相変わらずの疑問を感じ、「で、だ」と話し出した浩一を止めたアリシアス。
「どうして先ほどから目をシパシパさせてるんですの?」
「うっわ。また派手にやりやがって」
「あー。まぁあんなもんじゃね?」
各学園の主席学生専用のブランド【覇道四重奏】製のコートを纏った青年が二人いる。
ドライ・炎道・ソレイルという名の、コートの下に鎧ではなく燕尾服を着込んだ二メートル近い身長の優男と、コートの下に装飾過多な軽鎧を纏ったドライよりも少し身長の低い、リエン・滅道・カネキリという軽薄そうな男だ。二人は場の惨状を見ながらため息をつく。
「で、ここにいるのか? あの残虐修道女は」
「本人の前では言うなよ。その呼称。ま、そういう連絡は受けてるけどね。というか治安維持はどうしたんだ?」
きょろきょろと辺りを見回す長身の男。騒動を遠巻きに眺めていた観衆がそれに気づき、道を開けていく。この都市に住む学生ならば誰もが知っているのが覇道四重奏の作品だ。
覇道四重奏の作品は全てオーダーメイド。【リスオルソルの姉妹】と呼ばれる四人の姉妹が作り出すそれらは着ているだけで羨望の視線を向けられる。
民間で作られているはずなのに軍の製品に劣らぬ性能。軍や武具メーカーを超えるデザインセンス。搭載される希少なスキル等等。
ゼネラウスで開催される民間の武具コンクールにて毎年優勝の座に輝いている覇道四重奏は、アーリデイズの紋章を掲げることを許された唯一の個人ブランドだった。
だから彼らが歩いていくごとに周囲の喧騒が静まっていく。次は何が起きるのかと。期待と不安が広まっていく。
「いや、すぐにも来るみたいだな」
ドライが車線があるだろう方角を見ながら自身の疑問に結論を出す。
「ま、そりゃそうだろ。ここで騒ぎ起こしたって……ん?」
「どうした?」
「いや、み、見間違いか?」
滅多に、というか随分と聞いてないリエンの動揺する声にドライは首をかしげ、やってきた治安維持隊から視線を戻した。そうしてリエンの見る方角を見て口元を押さえる。
「私は、少し疲れているみたいだな」
「いや、真実だから。現実っぽくないし夢だと信じたいけど真実だからいつもひとつっっっってんだろコンチクショウ」
「ははは。いやいや、ありえないだろう。そうだッ。今、私たちは敵の攻撃を受けているッ」
敵って誰だぁぁ、などとぎゃいんぎゃいん言い合いながら心の覚悟を決めた二人はようやく歩き出す。どこからか引っ張ってきたベンチに座りつつ、見知らぬ男を膝の上に乗せる気位の高いはずのパーティーメンバーの元へ。
「はぁ。はぁ。はい。わかりました。はい。このAランクに襲われたのですね」
額に流れる冷や汗をふきつつ、頭を下げる治安維持の制服を着た中年は、この場の指揮を執る男だ。
「ええ。そこの不燃ゴミにも劣る者たちはわたくしを恐喝した上に、わたくしの所持品を破壊。その上、わたくしの譲歩を悉く無視し。あまつさえ剣を抜き、襲い掛かってきたのですわ」
嘆かわしい、と呟きつつもその視線は中年の方を向いてはいない。純粋に力で暴れるSランクを抑える対応ではなく。交渉によるSランク鎮圧。単純に戦力で拮抗できるSランクが周囲にいなかったために行なわれたそれは、周囲の人間から見れば、これ以上リフィヌスが行動を起こさないという一定の成果を挙げていた。もちろん、治安維持がやってくる寸前までその膝の上に寝かされていた人物が事を片付けたなど、駆けつけた人間は知る由もなかったが。
当事者たちの内、意識の唯一残っていたアリシアスからこの件の処理に駆けつけた男は話を聞いていた。
聞けば、この事件は相手から仕掛けてきたという。腕の切断も、その腕が武器に手をかけていたから行なった、とも。また、残りの三人も何を思っていたのか、自らの手で心臓を貫いていた。三人のうち、一人は死んでいるが、特に政治力の強くない連中だった。リフィヌスならば金で片のつく問題にまで落とせるだろう。
ふむ、と男は頷いた。この証言だけで十分だと判断したのだ。楯突いてリフィヌスを怒らせても仕方がない。適当に周囲の人間の証言を集めていた部下たちの報告もアリシアスの証言に虚偽がないことを証明している。わざわざ都市記録を面倒な手続きを行なってまで参照する必要はない。
「では、はい。はぁ。ご協力感謝します。はぁ」
「では。わたくしはもう行っても?」
「はい。はぁ。よろしければ館まで送らせますが?」
「結構ですわ。そこに連れがおりますので」
はぁ。と男が視線を向けた先には二人の人物がいた。覇道四重奏以前にその顔を見て一目でSランクだとわかる。はぁ。と息が零れる。
「はぁ。ああ、それで、ですね。ここにもう一人いたという証言があるのですけれど。はぁ。その方はどこに」
「もう一人。ああ、わたくしを凶刃から護ってくれた方ですわね。もう行ってしまわれましたが。なにか?」
はぁ。と今度は正真正銘のため息が漏れた。今回の事件でアリシアスに恩を売れる人間などありえない。というより、この事件ではアリシアスに恩を売る方法がない。つまりウソ。虚言の類だ。ただ、そうなるとアリシアスがどんな意図でこの言葉を発したのかを男は考えなければならない。そうして一秒もかけずにその意図に気づく。恩人だと言ったのだから迷惑をかけるな、と。居場所を探るな、騒乱に参加した罪を問うな、罰を与えるな、と。
法を護る者としてそんなことはしたくはない。だけれどこんな些細なことで八院に逆らいたくない。葛藤や本音をリフィヌスの前で語るわけにはいかず。男は曖昧な笑顔を浮かべた。
「で、アレは何者だったんですか? リフィヌス?」
「そう、ですわね。ちょっと間の抜けた方、かしら」
ドライとリエンを両脇に侍らせながらアリシアスは表情にかすかな笑みを浮かべた。治安維持の気配を察して面倒だから、と逃げてしまった男。恐らく、アリシアスの武具からランクを推定していた男。光で目をつぶされていて何も見えていなかった男。
目の見えない中で動くことそれ自体は不可能ではない。この都市内には盲目のSランクも存在しているぐらいだ。だが、本来目の見れる者が、あの場で目が見えなくなった際に普段通りの実力が発揮できるか、と言われると首を傾げるしかない。
あの奇妙で稀な戦果を他と比較するのは無意味なことだが、と考えたところでアリシアスは隣に立つ二人が自分を見つめていることに気づく。途端、表情がこわばったことに本人は気づかなかった。
「アンタもそういう人間らしい表情を浮かべるんだな」
「まるでわたくしが人間じゃない、みたいな言い方ですわね」
はッ、とリエンに鼻で嗤われアリシアスは目を細める。
「リエン。調子に乗るな」
ドライに窘められたリエンが目を細め、開こうとしていた口を閉じた。
「それよりリフィヌス。学園から依頼が来てる。明日からアリアスレウズだが、潜れるか?」
ドライにダンジョンの名前だけを言われ、首を傾げるアリシアス。その顔を見ながらリエンはにやりと笑った。
「単位【7】の大物だ。相手はミキサージャブ。ミノタウロスだってよ」
そうして、アリシアスは己が先程振り上げた拳を未だ振り下ろしていないことに気づき。
「ちょうど良いですわね。それで、那岐先輩は?」
「うん。彼女にも既に伝えて。参加してくれる、と聞いてるよ」
「そうですの。では、わたくしも参加いたしましょう」
そうして、アリシアス・リフィヌスの参加は決定する。誰も彼も、自らが蹂躙する側だと信じて疑っていなかった。
同盟暦二〇八八年 十月 一日。ダンジョン実習前日は薬の購入や新たな刀を身体に慣らすための鍛錬に使用した。浩一はそれらを午前中に行なった後。受講している講義を受けるため、学園に訪れていた。
『魂を司る色属性、生体が持つ生体属性、人工精霊や魔導の加護を受けられるかの祝福属性。人類はこの三属を生まれつき持ち、それらの強弱によってある程度、成長の指針を決めることができる。【赤】【青】【緑】【白】【黒】の五色ある色属性。それらが常人よりも強い者はそれらを鍛えることにより、常人よりも特化した強さを得ることができる。また、それらを鍛えたことにより、自身のジョブを決定することもできるだろう。概念破壊の【赤】、概念再生の【青】、概念消滅の【黒】など、戦闘職には―――』
講堂の中心で人類の属性の基礎について語っている初老の教師の講義を聞き流しながら浩一はPADを操作し、学園都市のニュースを眺めていた。講義自体、単位取得のために受けている講義である。また、この内容は他の講義を受け、知っていたからでもあった。
しかし、せっかく受けているのだから、と。PADに録音と編集を任せていた。これらは日付順に内部に収納され、単独でのダンジョン実習での暇な時間に聞くことになる。
「よッ。最近どうよ」
「なんだ。おまえか」
講堂の入り口から背を屈め、浩一の隣に座った金髪を刈り上げた生徒。名をヨシュア・シリウシズムと言う。
「なんだはないだろ。せっかく面白い情報持ってきたのにさぁ」
「ふぅん。まぁ、いいから黙ってろよ。そこの教師、見てるぞ」
腰に手斧と金属製の筒を提げ、赤のジャケットを羽織り、ジーンズと青いよれたシャツといった格好のヨシュアは浩一の言葉に慌てて正面を向く。
『随分遅い入室だな。シリウシズム』
「せんせーい。そんな眉間に皺寄せながら怒ってると残った毛も吹っ飛んじゃいますよぉ」
『ほぅ。面白い冗談だな。さて、そんな君に問おう。―――今、私が語った属性についての問題点を簡潔に答えてくれ』
基礎の講義であるためか、講堂の中にいる生徒は浩一やヨシュアより随分と年下の少年少女が多い。そして、彼ら彼女らの視線が講義中に騒ぎ、あまつさえ教師に軽口を叩いたヨシュアに集中した。
入ってきたばかりなので何の話をしていたのかも知らない友人が、苦笑いをしつつ助けてくれと視線を向けてきた。ここで軽口を叩いてもいいが、にらまれて今後が面倒になるのが嫌なのだろう。
気持ちはわかる浩一は、ため息をつきながら教師から見えず、友人には見える位置に講義内容のウィンドウを表示させることで手助けをするのだった。
アーリデイズの中庭。その日の講義を終え、雑談をしている二人がいる。
「いやぁ、サンクスサンクス。あのコッパゲもいい加減増毛はあきらめりゃいいのになぁ」
「色属性研究での事故だからな。流石にここの医療でも回復は無理らしいが」
漆黒の着流しに刀を一本佩いた凡庸な容姿の青年、火神浩一とその正面に立つ無骨な顔の金髪角刈り男、ヨシュア・シリウシズム。よれたシャツの上から赤いジャケットを羽織っただけの彼はその場で下手糞なステップを踏むとびしっと指を立てた。
「相も変わらずツマラン野郎だな、浩一。ウィットに富んだ小粋なジョークでも言って見せろや」
「はぁ? 帰っていいか?」
「ごめん。嘘です。ジョーダンです。だから聞いて。俺の話を聞いて」
はいはい、と浩一は適当に言うと、PADを開いて学内情報を開き、連絡事項などを確認していく。
「ちょッ。もろ右から左に受け流す態勢ッ」
はいはい、と棒読みで答えながら耳に手を当て、浩一は頭だけヨシュアの方へと寄せる。
「これでいいだろ。聞いてやるから早く言えよ」
「なんでそんなに偉そうなんスか。このまえ飯おごったっしょ。あと二十階層のモンスターデータくれてやったっしょ」
めんどくさそうにじとーっとした目で見る浩一にヨシュアはわざとらしく後ずさりしつつ、ひきませんよー、ひきませんよー、とやけくそに言い放った。
「はいはい。わかったよ。真面目に聞いてやるからそこでコーヒー買ってこいよ」
「パシリッ!? しかも命令ッ!?」
「さて、どうだろうな」
「悩んでるしッ」
浩一なんかケツ毛がもっさりしちませばいいんだー、と嘘泣きしながら走っていく後ろ姿を見、浩一は自分の尻を着流し越しに恐る恐る撫でるのだった。
「ヨシュア。ああいう実現しそうでしないような冗談は実現したら困るから言うな。頼む」
「モッサリか?」
「ああ、モッサリだ」
ヨシュアの買ってきたコーヒーを二人は飲みながら学内の其処此処に設置してあるベンチに座っていた。
「モッサリしてるのか?」
「幸運なことにモッサリしてないが。お前のせいでモッサリしたら困る」
「そっか。俺のせいか」
「しないからな。確定したように話してるが、モッサリはしないからな」
「生えればいいのに……」
ぼそりと言われた言葉に対して、カチャリと音が鳴る。
「ま、待て。刀は抜くな。刀は」
「冗句だ。機知に富んでウィットの利いた、な」
ち、違う気がするぜ浩一。などとヨシュアに言われ。刃を戻す浩一。ヨシュアがにやにやしながら浩一を見た。
「で、どうなんだ?」
「どうって、なにが?」
「またまたぁ? 聞いたぜ聞いたぜ。噂になってるぜ。お前があの、リフィヌスのお嬢様に膝枕してもらったってよ」
「げッ。マジか?」
ピッ、と浩一の前に写真が表示される。確かに、浩一がアリシアスに膝枕してもらっている写真だった。
「動画もあるけど。ま、そっちはグロ動画で有名になってるっぽいなぁ」
「ああ、三人切腹でか」
そだぜー、と言われ。写真を見る。解像度はなかなかよく、鮮明に映っている。あの状況で録画やら撮影やらをしていた観客の胆力にほぅ、と浩一は感嘆しながらもこれが残っているのに治安が浩一へと赴かないのは何故か、とだけ考えていた。
浩一はアリシアスが治安に釘を刺したことを教えられていない。
「で、どしてリフィヌスに【至高なる看護】なんぞ受けてるわけよ?」
「はぁ? 眼球の治療をしてもらってたのは確かだが、そんな大層なもんを受けちゃいないぞ」
至高なる看護? スキル名にも似たそれを聞き、浩一の眉が寄せられる。浩一があの場で受けたのは簡単な【青】属性による眼球の治療だ。とはいえ、それがなくても体内のナノマシンによる自己治癒のみでも数分もすれば治るものでもあったが。
「違いますよー。スキルじゃありませんよー。パーティーに雪ちゃんだけしかいない浩一にはわからんのかもしれないけどね。僧侶職が膝枕で治療してくれるってのは、かなりの信頼やらなんやらを勝ち取らないとやっちゃくれないものなんだぜ?」
うちの奴らでもやってくれる奴なんざいないしねー。と、都市でもそこそこの規模のパーティーに所属するヨシュアは情けなさそうに言う。そうしてから写真を見て再び首をかしげた男を見ていつものことか、といった風な微笑を浮かべた。
「で、だ。いつものように技量高いやんごとなき身分のお方を篭絡した浩一くんに聞くぜ? お嬢様の膝枕はどうだった?」
「普通だろ。膝に硬いも柔らかいもあるか」
冷静かつ冷ややかな目で浩一はヨシュアを見る。が、内心ではたまに世話になる五十代半ばの男らしい校医がしきりに膝を薦めていたのはそのせいか、と恐れ戦いていた。もちろん、男の膝枕などしてもらうつもりはなかったため、丁重に断っていたが。
「バッカ。おまえ、膝枕をなめんじゃねー。アレだぞ。マジやばいらしいぞ。もちろん俺は一度もしてもらったことないけどな。鳳燕貫之閣下主催の【女子学生僧侶の膝枕を堪能する会】なんてものも裏ではあるぐらいなんだぞ。で、だ。これ上位ナンバーな。シークレットで今回お前が堪能したリフィヌスも入ってるから」
渡された紙には都市内のSSランクやSランクの女子学生のプロフィールやらが載っていた。(膝の)柔らかさ:S (心に広がる)やすらぎ:S (荒んだ心の)癒され度:S (実際の)治癒:S (他の男どもへの)優越感:A (見上げた顔の)美しさ:S 総合ランク:S などというくだらなすぎて泣けてくるものだ。
「ちなみにそれはアーリデイズ学年二十二の第二席、SSランクのレイン・療道・ソルシュ先輩のデータな。わざわざ中将閣下が直々に小芝居してまでやって貰って得たデータだぞ。すげーだろ」
「別な意味でな。で、疑問なんだがなんで優越感だけAなんだ?」
「ん、ああ。命に関わる重傷を負った閣下が至高なる看護でなけりゃ治療は受けんと言い張っただけで膝枕してくれたからな。地位の高さだけで膝枕を許すようじゃまだまだだぜ」
(ちゅ、中将閣下直々・・・・・・。大丈夫なのか? 学園都市)
浩一が一人悩む間にもヨシュアの話は続く。
「ちなみにリフィヌスのお嬢様は優越感:EXな。あのお嬢様の場合、閣下の小芝居ってもちゃんと重傷負うけど。その程度なら鼻で嘲笑ってすれ違いの治癒魔法。駆け寄りもしません。ちなみに中将閣下ご自身の泣き落としやら脅しやらなんやらも華麗にスルーという完璧っぷり。だからEX。お前以外の誰にも膝を許してなかったわけよ」
うん、だから。という顔でヨシュアを見ながら浩一はコーヒーをちびちびとすする。くだらなすぎる。
「命令すりゃいいだろ? なんでわざわざ小芝居する必要がある」
「馬鹿か浩一。命令したら意味無し。その時点で鳳麟三界大将閣下の【女子学生に身分を嵩に着てイロイロ命令する会】の領分になっちまうだろうが。ちなみにリフィヌスお嬢は冗談はわかってもマジな命令の場合マジ怖い人だから未だに膝は許してないぞ。よかったな」
なんだその初恋の女が処女でよかったね的なニュアンスは、と浩一は思ったが。何も言わずにちびちびと缶コーヒーを飲み続けた。ちなみに大将と中将が主催する会に対抗するために鳳亀桜花少将が発足させた【大将と中将の馬鹿騒ぎを力ずくで押さえ込む会】というのもあるが、学園都市の裏側で日夜暗躍するこの三つの会を知るものは意外にそう多くはない。
「で、だ。話ってこれだけか?」
浩一がため息をつきながらヨシュアを見た。男臭く、汗臭い笑みを浮かべたヨシュアはにやりと笑って頷こうとするも、浩一の目が馬鹿な話を聞きすぎて荒んでることに気づき、冗談を取りやめた。
「いやいや。そんなことないっスよ。あっはっはっはっは」
言いながら慌ててPADにいろいろと命令を始めた友人を見、浩一は絶対茶化すつもりだったと確信する。
「で、他に何があるんだ?」
そうだな、と先程までの馬鹿顔から真剣な顔を作るヨシュア。さてこれは真面目な話か、と浩一も聞く姿勢を作る。
「お前には関係ないと思うが一応、な。二日前、ダンジョン実習でAランクパーティーが全滅した。アリアスレウズの三十六階層でだ」
「被害は、三十一人か?」
「知ってたのか?」
「いや、まぁ、な。一応、智子サンからの情報だ。俺なら勝てるかもー、なんつってたけど。正直一昨日、ミノタウロスを倒した俺に何を言ってるのかって話だ」
へぇ、と驚いた顔をするヨシュア。
「他に何か言ってたのか?」
「さて、な。俺も話半分にしか聞いてなかったからいまいち」
それが重要なんだ、とヨシュアは思った。峰富士智子は適当な推測を並べ立てる女ではない。その誇り高い性格と高すぎる知能が紡ぐ言葉には必ず真実が混じっている。
「なんでもいいから教えてくれよ。な、今度学食のランチおごっからよー」
「飯はいいわ。中央公園の美味い狩場よろしく。ってもな。ほんとに些細な事の上。俺自身が話半分だったからな」
「ッ。てめぇの認識なんざどうでも、あ、ごめん。ホントゴメン。嘘です。浩一くんサイコー。カッコイー」
商売っ気を出してしまった自身を戒めつつも米搗き飛蝗のようなヨシュア。呆れた目で見られながらも耳を澄ます。
「はぁ。ま、あれだ。俺なら欺瞞に騙されずに戦える云々」
「欺瞞? ってことは幻影か? つかそれだけ?」
「こんだけ。ま、俺には当分関係ないからな。三十六階層とか、むしろたどり着く前に死ぬ。それに、幻影とか、そんな直接的な意味じゃないだろ」
「だよなぁ。ま、あとは生き残りに話でも聞いてみるさ」
にかっと笑うヨシュアを呆れたように見ながら浩一はコーヒーを啜ろうとして中身がないことに気づいた。ゆらゆらとゆらして一応、中身が残ってないことを確認し。立ち上がる。
「じゃ、俺はそろそろ行く。忠告サンクス」
それを聞いたヨシュアがわざとらしく頬を染め、浩一から視線をそらす。浩一は嫌な、というより気持ち悪い悪寒を感じ、後ずさるが遅い。
「別に、アンタのために伝えたんじゃないわよッ。アンタについてく雪ちゃんが心配だから伝えたんだからねッ!!」
「女声マジキモイ。やめろ」
「てへッ!? ちょ、刀ストップ。つかそれ毒刀ッ!? や、やばッ。アタシ死んじゃうわッ!!」
「てめッ! まだやるかッ!!」
ぎゃーぎゃーわーわーと校舎の片隅に男達の喚き声が響いていく。
そうして火神浩一は己の運命を知ることなく再び戦いと死の満ち溢れる空間へと挑むことになる。
そうして。
「特殊なモンスターでも十階層以上の階層移動はできんように調整されてるしな。ま、大丈夫だろうよ」
男は。
「ハハハ。確かに、ああ、そうそう。そのうち中将から直々にアンケートメール届くかもしれないけど。謹んで受け、正確な内容を返すべし」
油断の代償を。
「これで大丈夫なのかッ! 学園都市ッ!!」
その身で支払うことになる。

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