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第一章『【唯我独尊】と無謀の侍』
楽しい全滅の方法

 場には酷く強い血臭が満ちていた。
 周囲には人の部品がごろごろと転がっている。
 その場の誰もが怒りと恐怖に表情を染めていた。

「全員、戦闘体勢ェッ!! 神術師ッ。青使いは戦士の後ろに下がりなさいッ!!」

 大量のアイテムを入手し、イベントが終了した緩みに襲われた。
 リーダーを含めた四人のパーティーメンバーが瞬時に殺された。

「戦士組ッ。前へ!!」

 未だに驚愕を引きずりながらも。生き残るために、ただ生き残るために。能力の全てを振り絞りながら副リーダーだった男、ティンベラス・セブンクォーターは指揮を執る。

「おぅ!! 任せろッ!! いくぞお前ら」
『はいッ!!』

 繰り上がってリーダーとなってしまったティンベラスと同じく、この場での数少ないAランクの男が叫ぶ。その後ろには、決死の覚悟を全身から滲ませる男女十一名。
 彼らは皆Bランク以上の学生たちだった。適正階層ならば一人でモンスターとの大群とも渡り合えるような凄まじい才能を持った戦士たちだった。
 だが、アリアドネの集団に対する頭数として、イベントの報酬である単位を配分するためだけに適性ではない階層に来てしまったことから、この戦いでは壁以上の役割は果たせそうにない。それを彼らは知っている。知らされている。
 それでも指揮次第でいくらでも強力にすることができる。自分達は一人ではない。リーダーを含めた強者は出会い頭に殺されたが、まだ戦力の要ともいえる集団が残っている。全身に感じる不吉な恐れを振り払い、彼らは全身に気合を入れた。

「魔法使い組ッ。サポートを。身体能力向上と障壁を二十秒以内で展開。リヴィイラッ、タイミングは任せました」

 敵は一体。敵の強さは未知数。
 油断していたとはいえ、リーダーを含めた手錬れを瞬時に殺害したことから、尋常でないことはわかる。

(ただのミノタウロスにしては少し奇妙です。しかし、あの位置に陣取られては私たちは闘うしかない。……頭の良いモンスターだ)

 しかし、彼らは、闘わなければならない。敵は強大。そして敵の情報はない。気が緩んでいたときに、多少なりとも疲労しているときに、未知の、しかも一体で単位を七も与えられる敵と闘わなくてはならない。
 ティンベラスは苦渋に満ちた顔で敵を見ながら勝機を探し出す。同時に、各ジョブ集団に残ったAランクも集団を纏めていった。




「うん。任せて」

 ティンベラスに声を掛けられた少女。リヴィイラと呼ばれた魔法使いが呟いた。杖を振り、乱れた周囲の魔力を整えながら、静かに自身の後ろに避難していた魔法使いたちに指示を与えていく。
「全員。【堅盾(ディフェンスシールド)】の魔法を戦士たちに。私は【韋駄天】と【狂想兵】を使うから」
 怯え、身を竦ませながら、自身よりも優れた魔法使いの言葉に全員が頷いた。それにリヴィイラはほんの少しだけ、ここで闘う気概を見せてくれた後輩達に感謝から、微笑みを返した。

「う、う、うぉおおっしゃぁぁ!!! いくぞ。唱えるぞ。護ってやるぞ!!」

 可憐な先輩魔法使いの微笑みに後輩の男たちが気合を入れて詠唱を始める。

「先輩ッ。私達、やりますから。絶対絶対成功させますからッ!!」

 敬愛する魔導の先達からのエールを受け、ローブを着た少女たちが揃って可憐な声を上げる。

『玉座の天蓋。門を護る城兵』

 魔法使い達の全員が床にPADから転送した中級魔法薬ラグオンを叩きつける。先ほどから魔法を使いすぎて、この場の魔力が枯渇していたからだ。拡散している魔力が元に戻るまで、自然の治癒に任せるには時間が足りない。金を惜しんで命を失っては意味がない。
 そして、同じ口調。同じ韻律。同じ手順で叫び始める。少女たちが持った杖を床に叩きつける。男たちが身振りを使って周囲の魔力を整頓していく。一つの乱れもない。未だAランクには到達していないとはいえ、凄まじいほどの錬度を持った集団魔法技能。
 後輩たちが期待を裏切らず。何より凄まじい技術で応えてくれている。リヴィイラは満足し、自身の身体に後付けしたスキルを発動させた。

(【詠唱短縮Ⅲ】発動。・・・・・・負担が、大きいけど、【二重詠唱】も発動する)

 少女の脳の奥深くで【スロット】と呼ばれる後付けスキルが発動する。人によって製作された能力。数百年の時を懸けて研鑽され、試行錯誤され続けてきた人類の叡智が機能を発揮する。
 リヴィイラの視界にリヴィイラにしか見えない文字が現れる。詠唱しようとしていた二つの呪文だ。それらは発揮されたときの効果を顕すように、一つ詠唱しきるだけでも与えられた時間を超過しそうなほどに長い。だが、【詠唱短縮】の効果により、それらの中でも重要度の低い部分がリヴィイラの視界の中で次々と消滅していく。
 【詠唱短縮】とは文字通り、呪文詠唱を短縮することのできるスキルである。たった二つ。脳の奥深くに埋め込むために一度つけたら二度と取り外すことのできないスロット。その中でも多くの魔法使いたちが迷わず付けるのがこのスキル。
 戦闘は秒の単位で変化する。それはランクが上がれば上がるほどに顕著になっていく。だが、反比例するように使用する魔法の詠唱時間も上がっていく。魔法の威力の高さは詠唱時間に比例するために。
 そして、それこそAランクモンスターとの戦闘になれば、長々と詠唱をしなければまともに効果のあがる魔法を使うことができない。だからこそ魔法使い達は、少しでも戦闘に有利に進めるために【詠唱短縮】のスロットを選択するのだ。
 リヴィイラは手に持つ杖に力を込め、目の前の文字列を眺め、始めた。

「疾走する天。(狂騒する人)」




『砕け散る矛。吼え続ける獅子』

 魔法使いたちは集団詠唱をやめないままその、人には決して発音できないはずの音を聞いた。
 彼女は彼らよりも少しだけ離れることで、彼らの周囲の魔力と自身の周囲の魔力の影響を最小限に抑えていた。それでも影響してしまいそうな部分でさえも自身の技量によって最小限にまで抑えこんでいる。
 そんな、この場の誰にもできない行為を自然と行っている尊敬すべき魔法使いの詠唱。
 二重に聞こえる音。音と意味。変化していく魔力。
 リヴィイラが杖で地面を叩いた。叩き、場の魔力を更に変質させていく。背後には灰と黒、二色の魔法陣が八つ、重なり合いながら出現。力のある魔法使いは詠唱を終えなくとも魔法陣を出現させることができ、魔法陣の数も調整することができる。

「風を越え(水を飲み)、時を越え(武器を取り)」

 【二重詠唱】と呼ばれるスロットの効果。二つの魔法を同時に発現させることのできるスロット。
 同時に二つの魔法を扱えるようになるそれは、人体に強力な負荷を強いると皆聞かされている。だから使わせるんやない、と、彼らは以前から言われている。

(くッそぉ。先輩・・・・・・)
(あ、ああ、うぁ、せんぱぁい)
(せんぱい。無理しないで・・・・・・)

 後輩たちは、心だけで嘆きつつも、自身の集中を欠かさず、詠唱を続け、思考を周囲に回し、身体は周囲と同調させ、決して何も、魔法の使用に支障のある行為は何もせず全力を傾ける。それしか報いる方法はないと知っているからだ。

『人々の盾。浮雲の塔。天上世界より岩が落ちる』





「海を走り(獣を宿し)、空を渡り(灼熱を吐き)」

 詠唱は続く。何も知らずに聞くものには感嘆の念を抱かせ。知って聞くものには無理をせず、普通の詠唱をしてくれ、と。祈りたくなるような気持ちを抱かせながら。
 リヴィイラは後輩の気持ちを承知しながら続けていた。だが、目の前のアレは、こうでもしないと倒せないから。こうでもしないと誰かが死んでしまうから。

(・・・・・・くッぅぅぁ―――辛いけど。頑張らないと。皆と、もう誰も死なせずに無事に帰るためにもッ)

 リヴィイラは身体の内部を暴れまわる魔力を抑えながら詠唱を続ける。魔法詠唱の基礎たる規則を無視し、魔法陣を先に作った。【二重詠唱】の際はその方が効率が良い。異なる二つは行き先を先に決定しておかないと時々混ざる。失敗の確率が上昇する。

「―――……ッッッ」

 魔法陣は魔法の構築の補助に作用しているが、それでも【二重詠唱】によって生じた負荷が身体を内側から圧迫していく。
 心臓を万力で締め上げるような苦痛がリヴィイラの身体を襲う。だが、リヴィイラは表情にすら浮かべなかった。優しい後輩たちが自身の苦しそうな顔を見たら、彼らが保持する集中がほんの少しでも途切れると思ったからだ。だから、外見からは想像できないほどの精神力を持って苦痛の一切に耐えていた。

「万象万里万物の全てを(英雄鬼神菩薩の誰に会おうとも)、駆け抜ける(狂い闘う)」




 連声上比佐(レンジョウカミヒサ)は自身の傍に集まってきた神術師たちに詠唱を始めている魔法使い達へ、【堅盾】と同程度の耐久を持つ障壁神術の発動を指示すると死体とあまり様子の変わらない重傷者の傍に座り、治療を始めた。
 その傍に各組に指示を終えたティンベラスが歩いてくる。それを見て、上比佐も周囲を見る。目標のいるだろう場所へと意識を集中している戦士組。凄まじい速度と錬度で魔術を詠唱している魔法使い組。その中でもたった一人で二つの呪文を詠唱している少女を一瞬だけ眩しそうに上比佐は見ると、おどけたようにしてティンベラスへと向き直る。

「おおぉ。リヴィ、【二重詠唱】やっとんなぁ」

 ティンベラスはかつてないパーティーの危機にあって、暢気な声を相変わらず上げることのできている上比佐に対して特に反発は抱かなかった。
 目の前の男はこの場での数少ないAランクだ。怯えたり、竦んだりするよりは堂々としてくれた方が周囲へ好ましい影響を与えてくれる。
 それに仕事も早い。上比佐は先程の接触で唯一死ななかった少年を治療していた。断ち切られた腕や千切れ飛んだ脚。それらの付け根に手を当てて、青色の板を出現させている。

「で、ホンマに使わなアカンのかい? アレは?」
「ええ。ミキヒコたちを殺した手際から見ても。【二重詠唱】の補助があってギリギリでしょうから」

 死んだ者の名前を出され、上比佐は一瞬だけ恨めしそうにティンベラスを見た。アレが無ければ20秒の余裕を作り出すことはできなかったとはいえ、納得しているわけではない。だけれどそれについて争い。貴重な時間を疲労することはできなかった。だから、リヴィイラの件だけを聞き出し、納得する。

「ふーん。ワイには戦闘なんぞわからへんから。詳しくは聞かへんけどな。覚えとけぇ。ティーベ、ワイは後でオマエを殴るぞ」

 それでも上比佐の言葉には大いに恨めしそうな気分が残っていた。ティンベラスは苦笑し、手帳型のPADを取り出す。自身は色恋に興味はない。が、リヴィイラを心配する上比佐の気持ちがよくわかったからだ。美しい容姿に普段の甲斐甲斐しい振る舞い。恋愛感情関係なく、護ってやっても良いと思わせるのがリヴィイラの性格だ。だから、一言だけ返し、死に掛けた後輩に向けて、一種の賭け事のような気分でアイテムを使用した。

「ふふ、それで貴方の気が済むのなら安いものです」

 それに、と内心呟く。リーダーの死の瞬間。見たことのない奇妙な事象があった。リーダーの驚愕の顔。他三名の怯えた表情。不吉としか思えない想像と推測。それを振り払い、PADに視線を転じる。
 使用したアイテムについても不安は残る。効果の程はわからない。そもそも成功するのかもわからない。
 使う機会がなければそれが一番なのだが。万一のことを考えると使わないわけにはいかなかった。だからなるべく使用した際の成功率が上がるように今のうちに馴染ませておくべきだと。ティンベラスは考えるしかなかった。
 そうして、必要なことを済ませながらも、四人という少なくない死人が出たためことから掛かってくるであろう通信を待つ。本来ならば書類や手間のため、半日以上かかる処理だろうが、今週のダンジョン実習担当技官はあの少女だ。彼女の特異な技能を思えば数分も掛かるまい。
 全員を助けるためならば自身の心情などどうでもいい。そう考え、いや、信仰しているティンベラスを上比佐が含みのある視線で見る。見られていることに気づいているティンベラスは何も言うことなくPADに意識を向けていた。



 戦士達はその声を聞きながら決してその苦しみを無駄にはしない、と決意していた。魔法という技術を使用することはできても戦闘に使えるほど特化させていない彼らにはリヴィイラの苦しみはわからないし、わかろうとは思わない。
 その苦しみはリヴィイラが持つものだからだ。だから安易に想像し、苦痛に酔ったふりなど唾棄すべき所業。
 だから彼らはリヴィイラが詠唱するのを待つ。敵を前にして一歩も動かず、ただ詠唱が終わるのを待つ。そしてその呪文によって得られた効果を十全に使う。それが彼らがリヴィイラに返せる唯一だ。

『【堅盾】』

 リヴィイラを除いた魔法使いによって強力かつ、数多の防御壁が作り出された。宙に浮いた六角形の盾。一人あたり二十を越えるそれは九人の魔法使いによる戦士達への支援。

「おおおぅッ、てめぇらッ!! リヴィイラの詠唱終了と同時に突っ込むぞぉッ。良太、金之助、エイン、ラック、グイン、ミル。てめぇらは大盾用意して突貫ッ!! ジリーヴャ、ドッジ、煉蔵は後方から銃撃だ。バリッシュと雄大は俺に続けッ!! 得物使って切り刻むぞッ!!」
『応ッ!!』

 戦士組を纏める男。全身鎧に大斧を背負ったAランク重装騎士グルシニカフ・チャフカレンゾに指示をされたものたちは皆手元のPADを使って言われたものを転送した。
 壁役として、敵の正面に立った六人の男女はパーティーの共同装備を転送。着ていた軽鎧の上に学園都市上位武具メーカーである魔鉄重工製Aランク追加魔導装甲【グラン・メサイア】を装着。金を払い、【血道の探求者】の紋章を刻んだ無骨なBランク金属鎧【カーツゥン・リック】の上から虹を固めたような流線型をした巨大な肩当てや胴鎧、兜、腰当などが装着されていく。
 【グラン・メサイア】は内臓された魔力により約二十時間の連続戦闘を支援することを可能とした、どんな鎧の上からも装備のできる汎用性のある装甲だ。しかも学園都市で培われた高度な魔導技術により数々の能力が付与されている。
 装甲表面に付与されたAランクの撃力をCランク程度まで軽減する能力。鎧自体も装着者が直接纏うのではなく、触れることのない浮遊方式をとっていることから本来の重量を装着者に与えることがなく、その形状と浮遊方式によって受けた衝撃を空中に逃がすことが可能。
 【グラン・メサイア】は今上げた二つ以外にも細かな能力を数多く持っていたが、この追加装甲が高ランクの学生や軍人に好まれる最大の理由は、優れた魔導技術と絶え間なく魔力を供給することで得られる都市隔壁並の頑丈さと空気のような軽さ、そして浮遊方式がもたらす、鎧を分厚くしながらも身体稼動に制限を加えないという三点。
 【グラン・メサイア】を装着することによって、近接戦闘においての優位を確立させた前衛の盾を勤める六人は気合の篭もった息を吐いた。
 更に六人の戦士は【グラン・メサイア】が正常に起動することを確認すると魔導技術によって発動する【反発B】と【衝撃軽減B】が搭載されたアインヘリヤル工房製Aクラス大盾【遮る者】を手元に転送し、【二重詠唱】の終了を待つ。

「準備ッ。完了しましたッ」
「おうッ。合図あるまで息を整えろよ。お前らが俺らを救うんだ」
「はいッ」

 後方の戦士達も大型モンスター用のAランク大口径魔導ライフルを手元に転送し、また、人一人が完全に隠れられる学園都市製の金属壁も転送する。覗き穴すら存在せず、ただ銃口が自由に動かせるだけの穴しか空いていないそれは、精密射撃をするためにその場に停止しなければならない射撃組に用意された彼らの城だ。
 覗き穴の代わりに外部に取り付けられた肉眼以上の精度を持つカメラを調整した三人は、壁と一緒についてきた頑丈な椅子に座ると【カーツゥン・リック】の肩部分を銃撃用の特別パーツと取り替える。そうしてから銃の尻を肩に密着というよりは接着させ、カメラと連動させた照準を覗き込みながら、魔導技術によって殺傷力を高められた特製の弾丸を装填した。
 後はリヴィイラの魔法が発動するのを待つのみ。三人は、魔法と同時に砕けるであろう檻を注視しつつ、殺意を込めた弾丸を発射するための集中を作り出す。
 グルシニカフ、バリッシュ、雄大は手元に使い慣れた武具を持ち。詠唱が終わる時をただ、待っていた。



 【二重詠唱】は、素人目には凄まじく便利に映った。ランクが上がれば上がるほど戦闘に詠唱というものは必要になり、長くなった詠唱によって等比較級的に威力を増大させた強大な一発の魔法が戦局を覆す事態も発生する。そんな中、同時に二つの魔法が使えるこのスキルは誰もが欲しがるものでもあった。
 だが、現実に使われることは少ない。それは【二重詠唱】がとにかく人を選び、なおかつ魔法使いの身体に負担をかけるスキルだったからだ。
 魔法とは、術者を銃身とし、魔法と呼ばれる銃弾を打ち出すようなもの。
 詠唱により体内と周囲の魔力を整え、術者が蓄えた純粋な魔力を体内や環境を通すことにより魔法へと加工していく。そうして、魔法陣とよばれる銃口へとそれを誘導し、【力ある言葉】により射出する。
 揶揄するものは葛きりやらところてんやらと言うそれは、体内の魔力分布を詠唱の度に強制的に変動させなければ発動できない過酷なものだ。しかも予め唱えておくこともできない。場所ごとに魔力を調整しなければならない繊細な技術である。だから魔法使い達はたったひとつの魔法の発動に時間をかけ、技能の粋を尽くす。
 【詠唱短縮】のスキルとて、詠唱を短縮する、という形で効果を表しているが、本来の意味は術者の体内魔力の整頓補助だ。術者の思考を読み取ることで、使用する魔法をスロットが知る。そうして周囲の魔力や術者の魔力を術者が詠唱を終えるよりも早く精査(といっても感覚器官などは術者のものを間借りする形になるが)し終えると、術者の魔力操作の補助や術者の体内の魔力発生器官に直接命令を出し、術者が詠唱することなく体内の魔力を整える。
 それが【詠唱短縮】のスキルの構造だ。
 詠唱や足踏み、手や杖を振る、という段階を踏むことで術者は魔力を整頓する。スロット【詠唱短縮】はその手間を省くためのもの。
 魔法使用者にとって【詠唱短縮】とはそういう意味では練度の高い三本目の手のようなものとして認識できる。しかも発動すれば術者の知覚とは別に行なわれる。だから、身体に利点以上の負担がかかるようなリスクが発生することはなかった。
 もちろん【詠唱短縮】は戦闘速度の上昇として選択するものも多かったが、完成度とデメリットのなさから選ぶものもまた多いのだ。そして、スロット研究者たちはこれ以降もそれらに力を入れるつもりでいることからアップデートによるスロットの強化すら視野に入れることができるものだった。
 しかし、【二重詠唱】は全くそれとは方向性が違っている。リスクが確実にあった。研究者たちもそのリスクを減らそうとは考えていなかった。しかもその研究者も数が少ないために今後の強化や更新なども期待できるかどうかわかっていないものだった。
 【二重詠唱】は発動させると、体内の魔力整頓を始めた段階で全身に激痛が走る。それも体内に直接切れ目や皹を入れるような苦痛。術者は詠唱と共に意識が飛ぶような激痛を脳と全身に感じながら詠唱を続けなければならない。
 それは、【二重詠唱】というスロットが術者の脳に術者の身体が二つあると勘違いさせることで二つの魔法詠唱を可能としたことから生まれた痛み。
 魔法はリスクなしで放てるような安易な技術ではない。失敗すれば全身を溜め込んだ魔力によって引き裂かれ、使いすぎれば枯渇した魔力器官に引きずられ他の器官も壊死することになる。
 全身の魔力分布の変更もそうだ。身体に合わない魔法を無理やり使えば内臓は確実に損傷するし、重要な器官から魔力を移動させる際に多大な苦痛をも生じさせる。もちろん失敗すれば取り返しのつかないことになる。
 学生たちの多くが身体の改造を行なうことで魔法使用のリスクを小数点以下の値まで減じさせることに成功し、失敗や失敗した際のリスクをも減らしていった。だが、それでも無理な使用や限定条件の発動などで、死亡や致命的な損傷を誘発させる事故が減ることはない。
 だからこそ、術者やその支援者たちは魔法を扱うものの生命を護るためにあらゆる努力を行なってきた。
 それに真っ向から喧嘩を売ったのが【二重詠唱】。
 現実にひとつしかない体に魔法の分布を二つ作らせる。二重に詠唱させるための器官を無理やり魔力で作り出し、ひとつの魔法でぎゅうぎゅうづめの体内に無理やりもう一つの分布を押し込む。
 銃身とて規格の合わない弾丸を用いれば暴発させたり故障をするだろう。【二重詠唱】はそもそものコンセプトからして無理があったのだ。
 そして無茶や無理を通し、使えるようになる魔法も術者が整頓を間違えれば失敗。激痛に意識を失っても失敗。
 魔法を二つ扱うことにより、場の魔力操作も難易度を上昇させる。下級の呪文は中級へと変じ、中級の魔法は上級へと変わってしまう。
 だからこそ、【二重詠唱】は【詠唱短縮】と違い、使用するものが限定されてしまう。
 激痛に耐え、自身の損傷に耐えられる覚悟。詠唱途中に意識を飛ばさない意志力。絶対に魔法の計算を間違えない頭脳。
 そんな【二重詠唱】を使いつつ、全く辛さを見せることなく逆に後輩たちに気を使ったリヴィイラは間違いなく学園都市の中でも上位に入るほどの強者だった。

「発動。【韋駄天】(【狂想兵】)」

 そうして、鬼才の魔法使いによる魔法が完成する。


 
 真珠色の外壁に大量の横穴、この大広間に勢ぞろいした完全武装の二十六+重傷一名。そして、唯一の出入り口を覆う巨大な壁。
 二十秒。ティンベラスが指定したその時間。その時間を稼ぐためだけに四つの大事なものが失われた。壁の周辺に散らばる人の破片。それは最初の接触で死亡したリーダーと他三名の死体の部品だ。武器も、鎧も、手足もあった。だけれど頭と胴体だけがなかった。
 イベントが解放されたと同時に彼らが出会ったのは、一番大きな横穴から歩いてきた巨大な戦斧を持った黒いミノタウロスだった。イベント名【ミキサージャブ】。倒すことで【7】単位手に入れることのできるそれは報酬だけを見ればこの場の誰もが進んで参加したがるものだった。
 だが、それは違った。
 敵の実力を測るために挑んだパーティーリーダーは最初の接触で死亡。また同時に補助に回った三名も一瞬で殺された。その時点でティンベラスは全員の逃走を決意した。決意するしかなかった。だが、口にリーダーともう一人の死体を咥え、片手にもう二人の死体をぶら下げたミノタウロスは、ティンベラスが全員を収拾し、指示を出す前に唯一の出入り口に陣取ってしまう。リーダーが即座に殺され、また、なんの心構えも準備もしていない彼らでは、その場に留める暇も、力もなかった。
 しかし、ティンベラスや他のメンバーも気づかなかったが、ミノタウロスには獲物を逃がす気など微塵もなかった。その一点にのみ、ティンベラスが気づいていたならば、パーティーメンバーの半数を失ってでも、残りの半数を生かそうとしただろう。だが、この時点でのティンベラスには全員を無事生かすことのみを考えることしか頭になかった。
 それゆえにティンベラスは闘いを決意するしかなかった。最初の接触でリーダーが殺された際のミノタウロスの速度を見たならば予想はつく。どうやっても出入り口を擦り抜けられるのは自分を含め、戦士組の数人だけだろう。それも片足や片手などの部位を犠牲にして。

(無傷で擦り抜けたい? ふふ、そんなもの、不可能でしょう。もちろん、後の魔法使いや神術師は脇を駆け抜けるまでもなく、正面に立った時点で戮殺されますが)

 ティンベラスの推測、これは確信であり、事実でもあった。

(ですが。まともにやって勝てるでしょうかね?)

 ティンベラスは考えた。考え、不可能だと思うしかなかった。
 全員と生きて帰る決断をするために、ティンベラスは自身の全てを非情に徹させるために。たった一刹那だけ自身に黙する自由を与えた。
 パーティー全員を救う思考と自身の生存を計る計算を停止させ、友を想い。黙した。そうして、誰もが驚愕に動けないその時間。恐るべき黒牛鬼が出入り口に陣取り、口の中のものを咀嚼する一噛みだけを見過ごすと、PADを思考のみで操作し、パーティー共有のアイテムからこういった事態が発生した時のためのアイテムを使用する。
 統一国家所属ゼネラウスにて最大の規模を誇るギネリウス商会の建設部門の重役、ロンダネス・堅道・ハインツフルが私腹を肥やすためだけに商会の資産を裏で勝手に売り払った際に出てきた逸品。都市隔壁の最重要部位にも使える建材に対モンスター用の自律兵器などを大量にくくりつけ、転移システムにも対応させ、いつでもどこでも展開できるようにした壁。

 【封鎖壁バルトレギオス】

 それを入り口に陣取ったミノタウロスを半包囲するようにして転移させた。自分達が完全に護られるように、この大部屋を隔離するように。もちろん相手にこの場から去ってもらうためにも反対側、通路側に転移することはない。
 リーダーたちの死体はあの一刹那の間に諦めた。死亡した時点でPADの最重要ユニット、死亡状況と死亡前の数分を記録した【ブラックボックス】は地上へと転送されている。本当に最低限だが、遺品は確保できている。ティンベラスは、友のためにも、友の死体に固執し、残る27名を死に追いやるわけにはいかなかった。
 そうして、彼らがリーダーの死体回収を諦め、最悪、戦闘になったとしても、倒せなくても、勝利できなくても。ただ、帰還するために戦闘準備を整える間も壁の奥から、黒牛鬼が去ったなら聞こえるはずのない機銃の射撃音や小型爆弾による爆音は流れてくる。
 ミノタウロス、否、ミキサージャブは諦めていない。いや、去るどころか、逆に力強く隔壁を攻撃を加え始めていた。
 魔法使い達が詠唱を始める中、ミキサージャブの一撃で隔壁が軋んだ。音を立てて戦斧の音らしき轟音がその場に響く。間髪をいれずにまた轟音が場に響く。二撃目。外からでもわかるほどに歪みが現れた。誰もが気にしながらも己の役割に忠実でいようと努力する中、三撃目が放たれる音。いや、正確には隔壁ごしにでもわかる程の気配が満ちたのだ。そうして、完全にミキサージャブの扱っている戦斧の先が隔壁を貫き、覗いていた。
 だから、最悪数分で破れると思っていた時間をティンベラスは大幅に縮小するしかなかったのだ。そうして、呪文の全てが完了し。
 リヴィイラに多大な負担をかけながらも、戦士たちがその性能と経験を十全に発揮できる環境が整ったとき。余分に生き残る余剰を与えた隔壁が突破される。



「とぉっつげぇぇぇきぃぃぃぃぃぃぃッッッ!!!!!」

 重装騎士グルシニカフ・チャフカレンゾは隔壁に空いたミノタウロス一匹がようやく通れるような穴に向けて二人の後輩と共に疾走を開始した。
 彼らもまた追加魔導装甲【グラン・メサイア】とはまた違う、高速戦闘用の追加魔導装甲【風の鎧】を装着していた。
 【風の鎧】とは【カーツゥン・リック】の腰部と肩面に装着できる小型ユニットだ。その効果は常時、加速魔法【天風】と障壁魔法【防撃】を全身に付与し続けることができるもの。
 この【風の鎧】もまた、追加装甲で有名な魔鉄重工製のAランク追加装甲の中で最も小型化が進んでいるものの一つだ。
 グルシニカフは当初、攻撃する三人のメンバーも【グラン・メサイア】を装着するべきだと考えた。だが、ミキサージャブの攻撃を一度でも見たならば却下だ。最初から攻撃を受けることを前提とし、攻撃をすることのない盾組と違い、突撃隊は攻撃する際、自身も無防備になる。カウンターで殺されかねない一撃など受けることはできない。だからこそ、回避速度を少しでもあげるために【風の鎧】を選択した。
 また、グルシニカフが無意識に悟った事実がある。凄まじい高性能を有す【グラン・メサイア】。これは、この、一撃でも接触したくない、と思わせる戦闘において。許容できないほどには大柄すぎたのだ。

 【韋駄天】、対象の速度を劇的に上昇させる魔法。
 【狂想兵】、戦士の撃力を劇的に上昇させる魔法。
 【堅盾】、対象を自動防御する堅固な盾の魔法。
 【グラン・メサイア】と【風の鎧】、魔導技術によって造られた魔力を燃料として動く魔導装甲。

 数多の魔力が彼らを護っていた。彼らの撃力を、速度を増幅させていた。魔法使い達も、神術師達も、不吉を抱いていたティンベラスでさえも、この、タイミングを計った上での突撃が成功することを微塵も疑っていなかった。
 突撃したグルシニカフの後ろを大盾を持った集団が付いて行く。全身に防御魔法を纏わり付かせ、その上で更に防御に特化した装備をした六名の戦士だ。彼らはグルシニカフたち三名が攻め、負傷や疲労から後退した瞬間に上がり、後退の手助けや戦線の維持を指示されていた。
 突撃組が疾走を開始した直後。後方に残った射撃組は、篭もる城より突撃組の合間を縫って援護の弾丸を殺意を込めて射出した。一発一発に必殺の意思を篭めた殺意の弾丸が空気を貫き対象へと迫る。
 Aランクでも上位の実力を持つグルシニカフ。B+ランクながら、同ランクの中でも異端の才能を持つ補助の二名。
 また、彼らを補助する高位補助魔法に、大規模パーティーだからこそ購入できる高性能の武具。
 勝てるはずだった。必殺の陣形だった。AランクだろうがA+でもSでも、ただのモンスター程度なら蹂躙できる構えだった。



 瞬殺してやる。グルシニカフの脳裏にはそれしかなかった。リーダーを殺された。リーダーの肉を食われた。仲間を殺された。仲間の肉を食われた。
 もちろん、優秀な戦士である彼は理解している。ダンジョン実習には安全などない。ダンジョン実習は己の自己責任。だから、死を否定する気はない。だからだ。恨みのまま、復讐のまま、殺意の赴くままに、仲間を殺した奴も殺していい。ダンジョン実習は自己責任だからだ。
 【天風】がグルシニカフたちの身体を弾丸のように推し進めた。リヴィイラのかけた【韋駄天】が地面を蹴る足の筋肉だけでなく、戦闘を推し進める知覚すらも加速させていく。
 一個の弾丸となった彼らには、射撃組の放った、彼らを追い抜き、ぬっと穴から現れたミキサージャブへと迫る三発の弾丸すらも見えていた。
 弾丸は頭部へと迫っていた。フィラメック社製の拠点防衛用大口径魔導ライフル【フィラメック】。その銃口から発射された弾丸は魔導技術によって生成加工された弾頭を持つ。
 弾殻表面に刻み込まれた重力系【加速】魔法は弾丸の速度を重く。速く。直撃した際の威力を少しでも上げようと、飛べば飛ぶほど強烈になっていく。
 また、フィラメック専用弾の弾殻内部にも仕掛けがある。AやSランクのモンスターにもなるとただ威力の高い弾丸を当てた程度では必殺にはなりえない。だから、弾殻の内部に仕込まれた魔力塊には、金属採掘やトンネルなどの掘削工事で扱われる工事用爆薬一キロ分に相当する熱量と衝撃を放つ攻撃用上位魔法【炸裂】が対象に弾丸が直撃し、弾殻に仕込まれた人工知能が対象への効率的破壊を計算した後に放たれる構造になっていた。
 グルシニカフは弾丸がミキサージャブの顔面に直撃し、その顔面が破砕されることを前提として突撃した。外れることや魔法が不発になることなど考えもしなかった。購入した後も武具の整備は怠っていない。自身が射撃を託した者達はこんなでかい的を外すことなどありえない。それが三発もあるのだ。誰が不安など抱くものか。
 だからこそ、ミキサージャブの顔面に弾丸が吸い込まれた際も疑問を抱かず攻め込むことができた。

「くぅぅぅらぁぁぁえええええええええええええやぁ!! ごぉぉおぉるるっぁあぁああああッッッ!!!」

 アインヘリヤル工房製Aランク戦鎚【破砕者】がミキサージャブの身体、胴体部に直撃。直後に、その肉を抉り、骨を砕き、臓腑からして破壊しつくすはずだった。
 しかし、戦鎚が直撃する瞬間。グルシニカフの身体に異変が生じる。この異変は彼らのリーダーが死の直前に抱いていた感覚と同じものだった。まるで風のようだった全身が鈍く感じる。充実していた撃力が萎えていく。速度が衰え、知覚が減少していく。
 魔法で軽くなっているはずの鎧すらもが重く感じ。彼ら三人の脳裏に、疑問による空白が生じた瞬間。
 ブン、と風を切る音が聞こえた。



 肉片というよりは肉体を撒き散らして三名の戦士が永遠にこの世界から魂を旅立たせた。上半身と下半身が千切れ飛んでいることから死亡は確定。ティンベラスは驚愕するより先に指示を出していた。

「盾組ッ。陣形を組みなさいッ!! 魔法使い組ッ。上位攻撃魔法用意ッ。早くッ!!」

 指示された者たちが慌てて動きはじめる。悠々と障害ともいえない障害を排除したミキサージャブが穴から完全に姿を現す。その顔面には弾丸によってできた穴があったはずだ。しかし既に再生させたのか、顔面には傷一つ残っていない。

「射撃組ッ。ライフルは捨て、機関銃転送ッ。速度で蹂躙し、足止めをッ。神術師ッ。貴方達も攻撃神術用意ッ」
(何故ッ。何故死んだのです? 何故殺されたのです? 理由が、どこかに理由が)

 グルシニカフも、リーダーたちと同じ死に様だった。攻撃の瞬間に一瞬だけ動きが鈍くなり、一撃で殺された。

(鈍くッ。鈍い? いえ、もしかしたら。そんなッ、まさかッ)
「あああああああッ。ああああああああああああ」

 ずどん、と重い音が響く。六人いた盾組が二人になっている。一塊になってミキサージャブを凌ごうとした一団が一撃で数を半数以下にまで減らしていた。

「副リーダーッ。鎧がッ。鎧がッ。ああああああああああああああ」

 浮遊するはずの追加装甲が残りの二人の身体に纏わりついていた。強靭な耐久を維持するため、本来は凄まじい重量を持つ虹の装甲が彼らの活発な動きを奪っている。

(そんな。まさか)

 ガガガガガガガガガガッ、と機関銃へと切り替えた射撃組の攻勢が盾組の戦士二人を寸前で救う。しかしミキサージャブが一瞬だけ鬱陶しそうに小砦を見た後に無造作に戦斧を振るうと、あまりの鎧の重さに盾を構えることもできなかった二人の戦士は速やかに斬殺されてしまった。

(ありえない。というのは、無責任にすぎますね。ですが、そうなるともう、なにも)

 ティンベラスの脳裏を、絶望的な推測が占めていた。鈍くなる。いや、本来の技量へと戻り、忘我のままに殺された戦士。浮遊するはずの魔導装甲。炸裂するはずだった魔弾。
 材料など大量に転がっていた。信じたくなかっただけなのか。今、気づいたのか。ティンベラスは刻一刻と絶望的になっていく状況の中。やっとあの、賭けとしかいいようのない。ただのギャンブルを行なう決断をしようとし。

『【血道の探求者】ッ。何が起きているんですかッ!? 何人死んでるんですかッ、アナタたちッ』
「報告は後で。【血道の探求者】はダンジョン内全生存人員の全単位を消費して、ダンジョン課に救助要請をします」 
『ッ。―――二秒、待ってください』

 やっと。否、規定ならば半日以上かかる処理に一分の時間で対処してくれた素早い管制。ではなく、迅速に連絡をつけてくれたイレン・ヤンスフィード個人に内心で深い感謝をしつつ、ひとつだけ注文を出しておく。

「救援には、機械駆動を九割九分。魔法駆動を残り一分でお願いします。至急に」
『わかりました』

 そうして、この数秒で小砦に篭もっていた射撃組も含め、戦士組が一人残らず殺された。生き残った魔法使いと神術師が絶望に満ちる中。ティンベラス・セブンクォーターは晴れやかな気持ちで指示を出した。

「全員。【アリアドネの糸】を使用しなさい。もちろん、機能が身体になじむまでは私が時間を稼ぎます」

 友が愛した者達を護るために。




「軋む岩。陥る穴」

 リヴィイラ・天道・ザインツワインは【二重詠唱】の使用後で軋む体の中でも魔法の詠唱をやめなかった。
 ティンベラスの指示の意図も、彼が自分たちの捨石になろうとしていることも気づいていた。だけれどそれを許容するかしないかは個々人の判断に任せられている。自分達はパーティーだ。未だ完全な軍属ではないし、もちろんティンベラスを主人や上官と仰いだこともない。
 リヴィイラは強く思った。自分達はパーティーだ。それは仲間だ。上下関係ではない。横の関係でもない。輪のつながりだ。
 だからこそ、前に出た。逃げる? 別に恥ではないし、闘うことも本来の性分ではない。ティンベラスも逃げるのならば喜んでしたがってやってもいい。
 だが、ティンベラス一人が殿(シンガリ)として残るのならば話は別だ。ティンベラスは自分が皆を生きて返さなければ、などと勘違いしているが、ダンジョン実習はそもそも全てが自己責任。パーティーの方針だろうがなんだろうがここに自分達がいるのは完全に自分達の責任なのだ。もちろん、これを言ったところでティンベラスは頑固な性分だから聞くわけないと思う。
 だから、説得はしないでその時間を少しでもティンベラスの援護になるように詠唱に使う。
 前に出たリヴィイラを見て、長剣片手にミキサージャブに突っ込もうとした理知的な男は呆れて顔を歪め。そうしてから仕方ないですね、とでも言いたそうに前を向いた。




「ホンマ、なにやっとんのやろ」

 あいつら、と残った魔法使いと神術師に指示を出しながら連声上比佐は呟いた。自分の責任だー、と突っ込む馬鹿と。そんな馬鹿なことに付き合おうとしている少女を見ながらだ。

「ジブンらはさっさと逃げぃ。ワイはあのアホども連れ戻してくるわ」

 クスクス、と恐怖に顔を歪ませていたものたちが笑いだす。ゆっくりと向かってくるミキサージャブがいるはずなのに、彼らはいつもどうりの先輩達が愛しくてならなかった。
 彼らには結果的に指示を誤ったティンベラスを恨む気持ちなど微塵もなかった。彼は精一杯というよりは最善の行動を取り、今も自分達を逃がそうと努力を続けている。どこに仲間である彼を恨む気持ちが出てくるのだろうか。
 だから、彼ら全てがリヴィイラと同じ結論を心に抱いていた。
 ダンジョン実習は自己責任、と。
 魔法使いは杖を手に持った。神術師は祈りを捧げた。それが彼らの決意だった。覚悟だった。ティンベラスと共に逃げる。そのためならば自身の生存が少なくなろうとかまわない、と。



 そうして、時が過ぎ。




『………ッ………ださいッ。………なさいッ………』

 ドン、と音がした。ガン、と音がした。耳元で誰か、聞き覚えのある人間の声を聞きながら藤堂正炎(トウドウショウエン)は目を覚ました。
 そうして、絶句した。
 周囲を覆う夥しい数の機械。機械。機械の群れ。
 六本脚の自動機械。四本足の射撃機械。二本足の電気を纏う武具を持った近接機械。全てが彼の見たこともないほどに高性能の戦闘用機械たちだった。
 それが抗っていた。たった一匹のモンスターに対して。
 ああ、と声に絶望が篭もった。彼はあのモンスターに挑んでいた。挑み、腕や脚を切り飛ばされたのだ。
 あのときの、身体の鈍さも今ならわかる。鈍くなったのではない。元に戻されたのだと。

『藤堂正炎ッ。聞こえていますかッ? 目が覚めましたかッ?』

 自身の目の前にウィンドウが現れていた。ダンジョン内では決して見ることのない。見てはならない人物を見、正炎は問いを発しようとし。

「あ、あああ、あああああああああああああああああ」

 それを見てしまった。
 肉片。仲間の。
 部品。仲間の。
 腕、脚、服、鎧、内臓、心臓、腸、腹、背中、骨、血管、血液、神経、頭髪、眼球、顔面、頭皮、大腿骨、頭蓋、脳、肉が。
 ザリッティ、ティンベラス、グルシニカフ、リヴィイラ、上比佐、ゲイル、ソリッティ、李、秀夫、良太、エイン、金之助、グイン、ミル、ジリーヴァ、ドッジ、煉蔵、仲間の、顔が。
 あああああああああああああああああああああああああああああああああぁぁぁあああ。
 正炎の絶望がその大部屋一杯に響き渡る。
 その手が、今まで離すことなく握っていた剣を振り上げる。殺してやる。その気持ちしかなかった。
 が、立てない。立てないのだ。一本しかない脚が、正炎に立つことを許さなかった。

『落ち着いてくださいッ。正炎ッ。藤堂正炎ッ』
「殺すッ。殺してやるぅぅッ。ぶっ殺してやるぁぁぁぁあぁぁぁあッッッ!!!」

 声は耳に入らなかった。奴は迫ってきている。周囲を覆う機械の群れを一撃で破壊しながら、着実に一歩を進めてきている。

(来いッ!! 刺し違えてでもぶっ殺してやる)

 正炎の頭を怒りだけが占めていた。
 怒りが、絶望が、恨みが、あらゆる負の感情が正炎の内を占めていた。が、その感情が今、叶うことはない。

『対象の意識が覚醒しました。【アリアドネの糸】使用条件が整いました』
(は?)

 PADからあってはならない。いや、聞きたくない意味の音と共に、自身の内部から何かの駆動音が聞こえてくる。剣を含めた体が、光へと変わっていく。

「待てッ。待てッ。待て待て待て待て待てッ!! 俺は、俺は、絶対に、殺すんだッ。ころ――――――」

 そうして留まろうとする意思とは反し、ティンベラス・セブンクォーターによる指示は達成される。惨劇は、終わっていく。
 グォオオオオォオオォォオオオォオオォオオォオオオオオオオオオオオォォォオオオ!!!!!!
 獲物を逃がした黒牛鬼の咆哮がクノッソス宮殿を揺るがした。
 そうして、【血道の探求者】三十五名の内ダンジョン実習を行なった三十一名はたった一人を生存させることに成功する。



 ティンベラス・クォーター。彼の取った指示のうち、成功したのは藤堂正炎を逃がせたことだけ。
 早期に【アリアドネの糸】を使用し、藤堂正炎の身体に機能をなじませたこと。
 薬を使ってでも覚醒を早め、使用を焦らなかったこと。そして、死の間際、イレン・ヤンスフィードに正炎を託したこと。
 イレンから正炎のPADに送られた正確な転送位置に、時間を掛けてなじませた機能。そうして、ティンベラスが最後まで持っていた信仰とも呼ぶべき『生きて返す』という死者の遺志。
 これらの要素により、あまりに低すぎる30%という数値が、68.76%という驚異的な成功率へと変貌していた。
 そうして、上昇した高くもなく低くもない確立の壁を突破し、藤堂正炎はほぼ正常なまま、ダンジョンフロアー地上一階エントランスに転送を完了した。
 しかし、心が正常なままでありえると誰が思うのか。
 炎熱ともいうべき心に篭もった暗い怒り。それは発散されることなく少年の心を蝕んでいた。

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