こっちにもちょっとだけ進出なのじゃ。
とはいえアルファさんに登録してあるので1500ポイント超えたら撤去してしまうと思います。
まぁ、ブログから来る方が大半でしょうが、新規さん獲得の為の進出でござりぃ。
そこは、真珠色の複合材によって造られた通路だった。四方の壁自体が発光しているために、昼間のように先を見通すことのできるその場所は陽光の一切が入ってこなくとも暗黒とは一切関わりがない。
そして、広大に広がりながらも外部の一切と隔絶された地下深くある迷宮に、男女の二人組と一体の異形が対峙している。
ブォォォォォォォォォッッ!!
一人は闇のような暗さを持った漆黒の着流しを纏い、刀を一本佩いた黒髪黒瞳の青年。
青年へ向かい、咆え、猛る牛頭の亜人への戦闘意欲を精悍な顔に浮かべ、真正面から立ち向かう男は、身体を前傾姿勢へと換えた。
ぎしり、と床と擦れ音を立てた頑丈そうなブーツのみがその身体の中では唯一の防具らしい防具だ。
「雪、頼む」
「う、うん。わかった」
東雲・ウィリア・雪。180センチメートルほどの身長がある男より、ほんの少しだけ背丈の低い魔法使いは自身の隣に立っていた男の言葉に頷きを返す。
雪の装いは真っ白なブラウスとスカート、この迷宮では不釣合いに見えるほどのそれに、男の着流しと同色の戦闘用皮革ジャケットを羽織っている。
現在、その赤い瞳には不安と信頼が等量に混ざった感情が揺れていた。
異形を視界に納めながらも男がいるだろう方向に視線を向ける雪。しかし、視界から男の姿は消失している。男は雪の返事を聞く前に既に疾走を開始していたからだ。
雪は、男が疾走するだろう道を予測するためにも、視線を周囲へと向け、視界を広げた。
その手に握られるのは美麗かつ頑丈な魔杖。SENREI製Bランク全属性対応汎用戦闘魔杖【廉価版大魔導士の杖】。語る言葉に熱を込め、雪は朗々と呪文の詠唱をし始める。
「燃える木々。燃える大地……」
雪の燃えるような紅眼が五メートルほどの体長の牛頭の亜人、ミノタウロスを正面から視界に納める。この距離、この位置は非常に危険だ。ミノタウロスが雪を排除しようと思えば簡単に排除できる距離。それでも、雪に不安はない。
なぜなら、瞳が壁面の光を反射して鋭く輝く刹那の間。紅玉の表面を黒い影が、さっと走ったからだ。疾風のような速さで場を駆け抜けた男。彼がいる。
一呼吸。疾走しながら、腰の太刀、正宗重工製無属性太刀【飛燕】を引き抜いた男は躊躇することなく大木の幹ほどもありそうな巨腕に深い斬撃を浴びせた。
ゴォォォォッォォオォォッッ!!
斬撃を喰らった異形が叫びを上げ、手に持った戦斧を振り回す。ミノタウロスの前にいる男は着流し一枚という軽装ながらもそれらの一切に恐怖することなく、その懐に潜り込む。
牛の頭部を持ち、人の身体を持つ獣が吼えた。吼え、脚を踏み鳴らし、腕を振り回す。
「まだまだ、だッッ!!」
男が叫ぶ。頭髪に異形の指先が掠り、眼前に巨大な足裏が迫っても心中の一切を揺らさずに、手元の刀は的確に異形の足の腱に向けて振るわれた。
グルルゥィォォォォォ!!!
ずしん! ミノタウロスと呼ばれるモンスターが尻餅をついた。しかし、男は刀を振るうことを止めない。男の目は切断したはずの獣の腱が再生しかけているところを視認している。傷が塞がり、立ち上がり、目論見を潰されてはならない。
「雪ッ!! まだか!!」
斬、と男の斬撃が牛頭の眼球を切り裂き、返す刀で首の太い血管を切り裂く。浅い攻撃の連続。男の技量、男の得物に対して、ミノタウロスは首が太すぎ、筋肉が厚すぎ、骨が固すぎる。
男には一撃でミノタウロスの首を落とすような力量はない。そのため相手が地面に倒れ、無防備を晒していても、浅い斬撃の連続しかすることができない。
しかし、その攻撃は確実にミノタウロスの生命を損傷させている。顔面を切り裂かれ、動脈を切られたミノタウロスは自身の首筋から噴出する血液に塗れながらも見当違いの方向に攻撃をすることしかできていない。
男の攻撃は当たる。しかし、ミノタウロスの攻撃は当たらない。
「できた!! 浩一ッ、避けて!!」
浩一と呼ばれた男の背後で魔杖をミノタウロスに向けた雪が叫ぶ。漆黒の着流しの侍、火神浩一は長年の経験からではなく、体感として雪の周囲の魔力を察知していた。だからか、雪の言葉の前にミノタウロスの顔面、眼球部分に斬撃を浴びせると、予定しているであろう射線から速やかに跳躍する。
「対象捕捉」
雪の足元を中心に魔法陣と呼ばれる円と文字の連なりが発生する。更に雪の魔力を使い、魔杖の先にひとつ、雪の背後に隣り合うように二つ。地面に発生したものと同じ文字と円を持つ魔法陣が計三つ発生した。
「範囲指定」
二つの魔法陣は雪が魔杖を向けた先に射線を固定する。固定された先にいるのは顔面を押さえながら咆哮を上げ、戦斧を振り回すミノタウロス。その戦斧の先には誰もいない。浩一が最後に斬撃を与えた位置に向けて怒りのままに斬撃を与え続けている。
斧の連撃により真珠色の複合材にびしびし、と皹が生まれる。雪はそれを見ながら慎重に魔力を開放する【力ある言葉】を口にした。
「【飛瀑】」
斧を振り下ろし、再び上げたミノタウロスは自身に向けられる殺気をようやく感知する。斬撃によって切り裂かれた眼球が再生を終え、ようやく敵を捕捉できたミノタウロスは自身に向けられた魔杖を目にする。周囲に展開する魔力の高まりと魔法陣を見たことで自身の未来を悟ったのか、咆哮を上げた。
危機感に追われ、ミノタウロスは呪文を唱え終え、無防備な雪に向けて突撃する。
「――――――ッ」
紅玉のような瞳に巌のような巨体が突進してくる姿が映る。その強攻から起きる未来がたやすく想像できるが故に魔杖を持った身が竦みかける。だが、自身の隣まで下がっていた浩一に肩を叩かれ、持ち直した。
「安心して突っ立ってろ。反撃なんぞ……―――潰してやるッ」
「あ、・・・うんッ!」
凶暴な笑みとともに浩一が宣言。雪は信頼する侍の言葉に、魔力の高まりをそのままに杖を構え続けることで応えた。
ブォォォォォッッッ!! ウォォォッッッッッ!!!!
雪とミノタウロスの距離は約10メートルもなかった。ミノタウロスの突進ならば二秒半もかからない位置。そんな危地にいながらも雪は手負いのミノタウロスの真正面に立ち続ける。
ぱちん、と炎が魔法陣の表面からあふれ出る。しかし、それが効力を発揮し、内包する力をミノタウロスに与えるには刹那の時間が足りていない。
間に合わない、と雪は確信した。全身に気迫と熱狂が襲い掛かってくる。
だが、迫りくる恐怖。間に合わないという諦観。数秒後の絶望。
身体が感じるであろう、心が覚えるであろう全てから雪は自由だった。ジャケット越しに叩かれた手のひらの余韻がそれらを打ち消してくれていたからだ。
雪は真正面から自身に迫るミノタウロスを、闘う者の、覚悟の篭もった気迫を込めて睨み付ける。
端ッ、と雪の目の端から浩一の姿が消え失せた。中位のランクとはいえ、前衛職である浩一が本気で動いたならば同じく中位の後衛である雪にその動きを把握することはできない。何をするのかはわからないが、無条件の信頼がある以上。何がなされようとも雪の覚悟は崩れない。
疾走し、狂走するミノタウロス。杖を構え、魔法の発動を待つ雪。そんな中、浩一は壁面に向けて跳躍していた。敵の、最後の足掻きを始めたモンスターの側面をとれる方向の壁に向けて。
「はッ、ッ―――ッ!!」
全身を撓め、壁を支点に再び跳躍した浩一。彼は雪へと突進し続けるミノタウロスの頭部に腰から引き抜いた刀を突き立てる。一瞬にも満たない時間の中。脳を破壊された牛鬼がよろめき、身体を傾けながら疾走を停止しかける。
ブッ、ブッ、ブォオォッォォォォオオォォォ!!!!
死んだわけではない。脳を破壊されてもこの階層のモンスターは動き続けることができる。
しかしミノタウロスは今の一撃を、命を奪われるに足る深い一撃だと確信したのだ。魔力の高まりから致死の一撃だと予想できる魔法陣を視野に入れながらも。ミノタウロスは今の今まで攻防を続けていた相手がたった一撃で与えてきた痛撃に死の予感を感じさせられていた。それほどの気迫の込められた一撃だった。これを無視することはできない。獣としての本能が囁いていた。
故にか、未来の一瞬よりも今の危険性だと言わんばかりに疾走は停止。瞬時に文字通り目の前にいる浩一の身体に向けて戦斧を持っていない腕が振るわれる。
だが、既に太刀を牛鬼から引き抜いていた浩一は構わずミノタウロスの頭部から跳躍していた。
ブモォォォォッォオオオオオォォォオオオッッ!!
咆哮。それは逃亡した敵への恨み辛みか。ミノタウロスが跳躍しその場から離れた青年へと攻撃をしかけようとした刹那。上げた咆哮が抵抗の終わりだった。ミノタウロスの終わり。
轟、と跳躍した浩一を追って伸ばされた左腕以外の全身を、生き物のように蠢いた炎がミノタウロスの全身を舐め、燃やし尽くした。
ミノタウロスの正面に立ち、魔杖を構える雪。彼女の戦意が、彼女の魔力が、彼女の知性が、魔法陣から劫火を生み出し続ける。
ブモォォォオォォォ! ミノタウロスが悲鳴を上げ、よろよろと炎の発生源に向けて腕を伸ばそうとする。
だが、動けない。まるで濁流のような勢いで迫ってくる焔に抗うことができない。いや、押し流されるようにして自身の身体が背後へと倒れかける。それを自覚しながらもミノタウロスは下半身に力を入れ、発生源へと腕を更に伸ばした。
「――――――ッ」
その紅眼に映る地獄の所業そのものの光景。己が生み出した焔の地獄より伸びる巨腕。あまりの光景に雪が戦意を失いかけ、恐怖しながら後退しかける。だが、この場で動いてはせっかく発動させた魔法が消滅してしまう。雪は動きながら魔法を扱えるほど魔導に長けてはいない。しかし解除しなくては殺されてしまう。恐怖からか、動揺からか、魔法が消失しそうになる瞬間に肩を叩かれた。
「大丈夫だ」
確信が込められた一言。信頼している男の声が心を持ち直す。
轟、と雪のコンディションに左右されたのか、焔の勢いが更に激しくなる。ぼろり、と雪へと伸びていた腕が根元から崩れ落ちた。
―――オオオォォォオォオ……
どしん! と焔の中、ミノタウロスの身体が膝から倒れた。炎によって二人の目に映ることはなかったがミノタウロスの足の腱を中心として炭化は逸早く始まっていたのだ。
―――ォオォォォ……
雪が与える魔力が尽き、魔法陣が端から霞んでいく。それと同時に魔力で発生させた現象である劫火も同じく消えていき、中には現象が起こした結果である、炭化しただけのミノタウロスが残った。
「倒れたか?」
「うん。死んだみたい」
ぼろり、とミノタウロスの炭化した肉が崩れ、中から焦げ目のついた骨が見える。死亡しているはずなのに、起こるべくして起こるはずの現象が起きないことに雪と浩一は一瞬だけ身構えるが、ミノタウロスの身体が輪郭を失い、光を放ち始めるのを見ると安心したように息を吐いた。
周囲に散らばった肉片や浩一の身体に飛び散った血液の全てが光と化し、消滅していき、光が消えていく中、浩一の懐に光の一部が吸い込まれていく。
PADの情報が更新されました!
ぴぴっと浩一の懐から電子音が響き、顔の横に半透明のウインドウが表示される。
「どう?」
「ああ、ちょっと待ってろ」
首を傾げる雪に頷きながら浩一は着流しの内側にあるポケットから黒い板状の機械を取り出した。鎖によって帯と結び付けられたそれは【PAD】(portable-almighty-diary)、俗に【手帳】【ドッグタグ】と呼称されている万能ツールだ。財布、免許証、携帯電話、電子メール、PC、アイテムボックス、マップ、戦闘補助……様々な機能が、高性能な演算装置と実装された【転送】技術を用いて円滑に実現されるため、民間にも広まっている道具だ。
日常生活から戦闘支援と幅広い用途に使うことが可能なため、持っていない方が常識知らずといわれる品でもある。現在、商業や公的機関の受付もこれの使用を前提としたものが多い。
「ちょいちょいっとな」
合成皮革の指貫グローブに包まれた手が手帳の端にアンテナのように刺さっていた付属のペンを摘んだ。
「どう?」
「おぅ。……待ってろ」
ペンは画面を跳ねるようにして叩いていった。既に何度も何度も同じことをしたことがあるのか、その動きに淀みは一切ない。電子音と共に溜まっていたログが消化されていく。ゴブリンやオークなどといったモンスターを倒したことを示す情報が浩一の手によって消化されるが、情報を見ながらも画面の端に映っていた数字を見て浩一がぎょっとしたような顔をする。そちらを見ていなかったのか、背後の雪が苦笑した。しっかりしているように見えて、いろいろと抜けているのが浩一だった。
[1/122]という表示。情報を消化するたびに分母の部分の数値が減少していくのを見るとあと100以上も情報が溜まっている。見てられるかよ、と浩一が画面の端にある[skip]と表示されているボタンを押し。ログは流れるように消化されていった。
異様にログが溜まっていたのはこの階層に来るまでに数度しか手帳を操作していなかったためだ。
「っと、こいつか」
「あ、やっと出た?」
No.0001875 ミノタウロス[new]
耐久:B+ 魔力:E 気力:B 属性:無
撃力:B 技量:C 速度:B+ 運勢:D
武装:牛鬼の戦斧 剛健な筋肉
報奨金:880G
入手アイテム:精力剤
情報は頻繁に確認しとこうよー、と浩一の背中に柔らかな重みがかかった。心地よい芳香も香ってくる。
頬を金色の髪が触る。ジャケットとブラウス越しに感じる乳房の感触を背中で感じながらも浩一は心中の一切を変化させずに淡々と言葉を返した。
「重い。あと邪魔」
「ひ、ひどいよ!!」
「はいはい。悪かった悪かった」
浩一は手帳付属のペンでパネルを操作していく。報奨金はパーティ共同の財布の中に。アイテムはアイテム欄の中に。それを見ながら雪が問い掛けた。
「・・・・・・精力剤って、効果は?」
「ステータスに暴走付加だろ。あとは娼館にもってくと高く売れる」
しょ、娼館ってぇ、と雪がぽかぽかロッドで浩一を叩くが一切動じない浩一。
二人がこの階層に降り、ミノタウロスと闘ったのは今回が初めてだった。他の学生からの情報や店売りのモンスター情報などで下準備をし、戦闘に耐えられると判断してから闘ったのだが実際に倒してみると受けてみる感慨がある。にやり、と浩一が笑いながら雪を見た。
「で、どうする? まだ下に行くか?」
「うぅ、どうしよ。私もう魔力ないかも」
かもってなんだよ、と突っ込みを入れつつ、浩一はPADのアイテム欄を開いた。魔力回復用のアイテムは高価なためストックしている数も少ない。消費量とここまで来た分ときに使った分の数を計算する。効率よく帰還したとして、一個か二個残る程度だった。
「そう、だな。キリもいいし帰るか」
「え、もう少しだけなら頑張れるよ?」
「疑問系で言うな。いいや帰還しよう。欲張って死んだら終わりだからな」
う、うん。と申しわけなさそうに言う雪。浩一は気にするな、と言わんばかりにその頭をガシガシと撫でて、手帳を操作する。雪が気恥ずかしそうに笑った。
「えー、アイテム、アイテムっと。これか」
浩一が道具袋、回復アイテム、魔法薬の順にペンでなぞるとアイテムが転送される。
手帳の電子音と共に空中にたぷりと液体の詰まった瓶が現れた。正方形の透明な格子に包まれたアイテムは雪が触れると弾けるようにしてその手に落ちる。
「・・・・・・わっ」
ぽん、ぽん、と跳ねるようにして雪の手の中をアイテムが跳ねる。アイテム自体に跳ねる効果はない。ただ単に雪が掴み損ねているだけだった。
「なにやってんだか・・・・・・」
浩一は横目で見ながらマップの確認。ここは学園アーリデイズ管理迷宮アリアスレウズ地下二十階。学園都市の学生の中では中間程度の力量の者達が来る場所。学生たちはここに力試しや単位習得のために訪れる。
そして、浩一も雪も、報奨金や単位は現在のペースで進むならば、今期分の単位や生活費は十分に賄える。あくまで現在のペースを守るならば、だが。しかし今はそれで十分だ。無理をする理由はない。生活や卒業だけを考えるならば。生活や卒業。それだけを考えられるならば。
浩一は自身の考えを脳の奥底に沈め、それ以上は考えないようにした。いつものことだ。生活や卒業だけを考える、わけにはいかないが、無理と無謀はまた違う。ここで進んだところで旨みはない。
「上にあがったらダンジョン課に申請、後は・・・・・・」
そうして今後の予定をぶつぶつと呟く浩一の隣でようやく瓶を手の中に入れられた様子の雪。きゅっと捻って魔導強化硝子製の栓を抜くときゅぽんっと音がする。
「ん、んくんくんく、けぷっ」
雪が飲んでいる薬の瓶の中身は高濃度の魔力の結晶だった。国家ゼネラウスでも有数の商社、ギネリウス商会の一部門ラクハザナル薬師連合謹製【下級魔法薬ヴィルサダ】。これは回復する魔力も程々に高く、中級程度の魔法使いや神職には必須のアイテムだ。
上位の学生などは、ラクハザナルよりも規模は小さいが、効果が高い薬剤で有名な東洋薬師組合所属、扇木屋製の精神回復薬【神酒辺炉弐架】という粉末状の飲み薬や、ヴィルサダよりも効果の高い、同じラクハザナル製の中級魔法薬ラグオンや上級魔法薬バガランを用いているが、当然高価なため、二人には未だ日常的に扱えるものではない。
「うぐぇ、苦ーーぃ」
ヴィルサダを飲み干した雪が顔を顰め、浩一に苦味を訴えた。
「・・・・・・やっぱ慣れないか?」
ため息をつき、マップからアイテム欄に画面を変更する浩一。いつものことだ。辺炉弐架よりヴィルサダは安価だが。口当たりが悪いことでも有名だからだ。
前衛職の中でも己の肉体しか使用しない浩一は、魔力に縁がないのでヴィルサダを飲んだことはない。それでも魔法使いたちの話を聞けば固体にした魔力というものは苦いというのはわかる。
表情もいつものようにアイテム欄から雪の欲しているものを転送。包装を片手で剥き、すばやく腕を動かした。
「苦ぃよぉ・・・・・・むぐッ!?」
可愛らしい顔で壮絶な表情をする雪の口に転移させたアイテムを突っ込む浩一。びくっと身体を震わせ、驚いた様子だった雪も、口に入れられたものに気づいて表情を緩めていく。
「むぐむぐむぐ。あ、甘いよぅ」
浩一が取り出したのは同じくギネリウス商会甘味処部門謹製【イチゴちゃんキャんでぃー】である。ヴィルサダをダースで買うと一袋セットでついてくるので浩一はわかってて苦くしているのだと思っているのだが、雪のような魔法使いたちの多くは感謝している。魔力とは苦いものなのよ、とその時は言っていたがどうにもそういうものらしい。のだが、辺炉弐架という苦くない魔法薬も存在している。だから今でも浩一は魔力の味を疑っていた。
魔力を使わない自分は心底どうでもいいと思っているために口には出さないが。
「魔力、回復したか?」
摂取させた魔力の馴染みを待ち、数分程して問い掛ける浩一。雪はロッドの調整をしながらこくこくと頷いた。
「大丈夫だよ。全快してる」
そうか、と浩一は再びマップを呼び出した。帰還する道を再確認するためだ。
「この道順でいいか?」
「浩一に任せるよ」
「じゃ、行くか」
「うん、行こっ」
そうして真珠色の通路を二人は歩き出した。
「あれは、新手か?」
帰還するために歩き始め、数分。二人の前に現れたモンスターたちがいた。
行く道を遮るのは巨大な大蛇とその上に跨る四匹の亜人。
「えっと、あっちの蛇は私達まだ闘ったことなかったよね」
「ああ。この階層じゃさっきのあれが初戦闘だからな」
ゆらゆらと蛇行しながら移動している大蛇の上から浩一たちへ奇声をあげ、白い単衣を着た狐顔の亜人たちは手に持っている鉄扇を振り上げた。狐と同じ構造の口元は楽しげに裂け、浩一たちを嘲り笑う。
「あの亜人は【狐鬼】か。確か、ランクBの亜人種。いや、この階層ならBの中でもB+に近い連中だな」
浩一の言葉に雪が頷きながら対象を見つめた。
個体差、というものがモンスターの中にも当然存在する。
そのため、学園都市のダンジョンで実習を行う学生たちが安全に実習を行えるように、学園側は適正の階層ならば身体能力がそのモンスターの中でも平均値のものが投入されるように調整を行っていた。
しかし、安定は停滞を生む。学園側は停滞を嫌う。そのため時に微調整を行い、適正階層のダンジョンに揺らぎが生まれるように適正でないモンスターや、特殊かつパターンからずれたモンスターの投入も行っていた。
そのためか、適正であるはずの階層よりも深い階層で下位の筈のモンスターに遭遇した場合は、相当に実力差のある場合以外は安易に討伐しようとは学生は考えない。それは、適正階層とずれている場合は下位のモンスターの中でも身体能力や体格に秀で、知能が高いものが多く投入されているためだからだ。
そういったものの中には、時に体色や身体能力が明らかに違う個体や、特殊な能力を持つ武具を持った個体などが存在し、不意に遭遇した学生に相当の苦戦を与えてくる可能性が高かった。
また、一般的に都市内のダンジョンに投入されるものは学園都市で繁殖かクローニングされたモンスターであると言われている。外の世界にいる凶暴で、知恵がつき、対人間用の戦術を学んでいる個体ではなく、種族として刻まれた戦闘方法しか知らないモンスターを主に投入していると。
それは、外の世界のモンスターは本当に危険で、実力のない学生では容易に殺されるからだと学園側が知っているからでもあった。また学生側もそれを知っているからこそ、初見でパターンから外れたモンスターを見た場合は最大限の注意を払う。
「他のモンスターを使役してるってことはそれなりに知恵はあるみたいだが。どうだ、雪? なにかあるか」
「う、うん。もしかしたらだけど、シェルターの外で暮らしてた経験があるのかも。いつ配置されたのかはわからないけど、実習前に購入した情報にはなかったし、大人数のパーティーは避けてたのかも。あと、私たちが二人だから組しやすいと思ってたのかな」
「それに、ミノタウロスとの戦闘を知ってたか、ってとこか」
「うん。どっちにしてもここは帰り道だし、私たちが疲れたところを狙ってたのかも」
浩一達は考える。今回のは、見た限りでは通常の固体より多少の体格と知恵がある程度だ。しかし、通常ならばどこかの大部屋や部屋などに配置される設置型モンスターだったはずの大蛇を手懐け、使役している。これは、中々ダンジョン内で育つことのない概念だ。自然に覚えた、というよりも外で培っていた概念を教わった、と考えたほうが早い。
外か、内か。浩一と雪の動きは自然と硬直していた。外であったなら敗北する可能性は高い。戦闘能力が隔絶しているわけではない。下手に罠や小細工を弄してくるモンスターがいるからだ。
そして、前衛タイプの学生にとって大蛇のようなタイプのモンスターとの戦闘方法は通路のような限定された空間ではなく縦横無尽に動ける大部屋が好ましかった。戦いも逃亡も選択肢があったほうが良い。背後しか逃げ場所がないのは非常に危うい。
もちろん、ミノタウロスと縦横無尽の戦闘を行なえたことからもこのダンジョン内の構造や通路は果てしなく広い。幅は広くとっており、高さも十分にある。しかし、その膨大な空間も今や大蛇の蛇行する移動方法により、戦闘域の限定されたモンスター有利の場へと変更されてしまっている。
浩一のような魔法や火器を扱わない前衛戦士の場合、大蛇との戦闘を行なう際は広大な室内でのヒットアンドアウェイが教本や道場で習う基本だった。だからこそ、このような遭遇戦ほど恐ろしいものはない。
「雪、撤退はできそうか?」
だからか、普段ならば撤退行動をなかなかとらない浩一がそれを言ったことに、雪は理解と納得を同時に得る。
「そう、だね」
魔杖を持つ魔法使いの紅眼に映った敵。それらの配置や特徴を見ながら雪は思考する。
大蛇が来たのは浩一や雪が既に踏破し終わっていた道だった。だから二人は自分達が大蛇のいない方向に撤退を始めたとしてその先には先程のミノタウロスと戦闘を行なった通路までしか道を知らない。ならば逃げるなら必然、大蛇のいる方向になる。もし反対側に逃げたとして、逃げた先に設置型のモンスターがいたならば確実に挟み撃ちに会うだろう。このダンジョンのモンスターは学園側の行った処置により、基本的に人間を優先的に襲うような性質を持たされている。そうなった場合の未来を雪は正確に脳裏に描くことができた。
また、それ以前に雪には、逃亡したとして大蛇が這う速度以上を出せる自信がない。前衛である浩一ならともかく、雪は大蛇から逃げられる移動手段を持っていない。
だが、前進、という選択も更になかった。通路のほぼ全てを身体を使って封じている敵の体躯を避けながらその長大な胴体と尻尾を避け続ける。走り抜け、ついでに途中で邪魔をしてくるであろう狐鬼の攻撃をも回避する。そうして逃亡を成功させる。大蛇からも方向転換する前ならばその追撃から逃れることができる。
雪は未だ距離は遠くだが確実に近づいてくる敵を見てため息をついた。
「だめ、かなぁ。たぶん無理だよ。後ろは論外だし。前の敵は数が多すぎるかも」
「そうか。うん。ならば是非も無し、といったところだな」
雪は心の中にある弱音と弱気をぐっと飲み干すと傍らの男を見上げた。黒い着流しに刀を一本だけ佩く男。自身の長年のパートナー。
彼は敵を見ると嬉しそうにククク、と嗤った。幼いころと違い、戦闘狂になってしまった幼馴染。それでも、雪はその笑顔を見ると、心の底から力が湧いてくるのが実感できるのだ。
シュルルルルルルルルル、と大蛇の声が聞こえるような距離になっていた。長大な直線であるこの通路だが移動速度を考えると接近まであと十秒というところだろう。浩一は雪の返答を聞き、戦闘を避けられないとわかった時点で頭の中で戦闘図を思い浮かべた。とはいえ、刀だけしか扱えない浩一にとって戦闘というものはひどく単純なものだから指示は一点だけ。
「雪ッ。雑魚は俺が引き受ける。お前は大技であれにダメージを与えろ」
巨大な大蛇。【オロチ】と呼ばれるモンスターを指差し浩一はすぐさま駆け出した。その手の中には小さな小石が握られている。先程雪と話している間にそれとなく砕いておいた通路の破片だ。ダンジョンは破壊されても時間が経てば自然と修復される。それでも通路や壁などは破壊しても戦闘終了までは保持が可能だった。
「わ、わかった。うん。気をつけて」
雪の言葉に浩一は手を軽く振ると、更に前方に向けて疾走、次いで敵に向けて小さくも鋭く砕かれた通路の破片を投擲した。
真っ白な通路の破片がゆるゆると二人へと向かっていたオロチの顔面に命中。その視界を封じた瞬間に抜刀。疾走の速度を落とすことなく、駆け抜けざまに頭部横の側面を深く切り裂いた。
シャァァァアッァァァァァァァ!!!!
怒声、か。悲鳴、か。オロチが声を上げ、のた打ち回る。それだけで不安定な足場になったオロチの背中からは数匹の狐鬼の動揺した怒声が響いた。
「おおおぉおぉぉぉおおおおおっっ!!!」
タンッ! と、浩一の足が床から跳躍。跳ね、オロチの背中で、未だ体勢を崩したままでいた一匹の狐鬼の頭部に斬撃を浴びせる。浩一が何度か狩ったことのある狐鬼よりも数段たくましいその亜人は、凄まじい勢いと恐ろしいまでの精密さで振りぬかれた飛燕に首を切り飛ばされた。
が、狐鬼もただでは死なぬとばかりにコォォォーン、と未だ生の残る頭部が絶叫。憎悪に染まった表情。自身の命を奪った簒奪者に対する殺意が浩一の身体を打ち据える。
(ッ!【雄叫び】か! ッ、糞!!)
空中で刀を握ったままの状態、そこで、恐慌や畏怖ではなく、身体を強制停止させるモンスターのスキルを喰らい、浩一の身体が通路に無防備に落ちる。
コォォォーーーン、コォォーーーン、コォッォーーーンと直後に三つの叫びが折り重なるように連なる。それはオロチの上にいる残った亜人たちだ。単衣を着た狐鬼たちが浩一に向けて口角に泡を溜めながら叫び続ける。
「ま、まずっ」
のた打ち回っていたオロチがゆらりと浩一に向けて首を向け、その長く強靭な筋量を有する巨体を通路と自身の身体の間にある浩一へ向けて叩きつける。
ずどん! と、壁がゆれ、オロチの身体の上にいる狐鬼も身体を揺らした。だがその表情の中の憎悪は晴れていない。狐鬼の優れた認識は、今の重撃が浩一にかすりもしなかったことをしっかりと把握していたからだ。
カキン、と金属同士の打ち合う音が響く。硬直を中空にいるうちに強引に解き、オロチに身体を潰される前に空中に跳躍していた浩一が狐鬼と己の獲物を打ち合わせたのだ。
折りたたんだ鉄扇と浩一の愛刀、飛燕が打ち合った。戦闘に参加していない狐鬼がコォォォーーーン、と再び雄叫びを発動させるが今度は効果がない。そもそも浩一は狐鬼より戦闘力を優越させている。弱者の威圧など浩一には効果を及ぼすはずがない。
先程、効いたのは単純に憎悪の差だ。込められた感情の強度が。雄叫びに込められた、自らの命を奪ったものに対する憎悪が、効果を及ぼすはずのないそれに力を与えたのだ。
戦闘における特殊技能の効果が感情によって増幅されることは珍しいことではない。人間であるところの浩一たちは言うに及ばず、時に敵であるモンスターにもそれは関係する。雄叫びなどの気迫によって効果が変わるスキルともなればそれは当然のこと。喰らいたくなければ身体と心を鍛え上げなければならない。
浩一と狐鬼の身体が空中から地面へと移り。再びオロチが身体を揺らし、壁に身体を叩きつけた。コォォォォーーーン、と浩一の正面の狐鬼が跳躍。浩一もそれを追いかけ、跳躍しかけたところで浩一に向けて一体の狐鬼が襲い掛かってくる。
「くッ」
再び鉄扇と飛燕が打ち合った。かきり、と火花が散り、浩一と狐鬼の身体がそこに縫い付けられる。浩一の身体にぞくり、とした直感が走った。ここにいたら殺される。
「邪魔だ!!!」
がきん、と力任せに鉄扇を跳ね上げる。がら空きの胴体に蹴りを叩き込み、反動で空中へと跳躍。ずずん、と狐鬼ごと浩一を叩き潰そうとしたオロチの一撃は、空中で身体をねじるようにして避けた浩一には当たらない。が、直後に飛んできた鉄扇によって着流しごと右腕の肉をえぐられた。
ぐぅ、と表情が痛みによって歪む。しかし浩一は構わず着地し、追いかけるようにして跳躍してきた二匹の狐鬼と相対する。
利き腕である左腕の肩を狙った鉄扇を歩法によるゆぅらりとした特殊な歩き方によって避け、追いかけるようにして頭部へと降り注いできた鉄扇をその手首を切断することで回避。
恐るべき速さと正確さで行われたそれら一連の流れに、狐鬼たちは呆然とするも、そのモンスター特有の精神性から戦意は未だ残っている。棒立ちのままも浩一に向けて揺ぎ無い憎悪を向けた二匹に斬撃を浴びせようとした瞬間。再び投げつけられる鉄扇。
「おらぁっ!!」
浩一は今度は避けなかった。刀を地面に落とすと己の肉のこびりついた鉄扇を空中で掴み取る。恐ろしいまでの重みと摩擦がグローブ越しに浩一の腕に圧力と熱を与える。鍛錬のみで鍛え上げた膂力でそれに耐えると速度を殺すことなく腕を身体ごと回転させ、傍で切断された手首を抑えていた狐鬼の頭部に叩きつける。
ぱかぁん、と浩一の前で狐鬼の頭部がはじけ飛ぶ。血飛沫と脳が浩一の身体に降り注ぐが無視して鉄扇をそのままの勢いで投げつけられた方角に向けて投げ返す。足元の刀を蹴り上げるとすかさず掴み取り、仲間の血飛沫を浴びていたもう一匹の狐鬼の上半身を袈裟懸けに斬り飛ばした。
ミノタウロスの、時に鋼の刃すら叩き折る剛健な筋肉と違い。速度を追求するしなやかで柔軟な狐鬼の筋肉はモンスターの中では切断が比較的容易だ。もちろんランクBの亜人なために人を遥かに超越した耐久度を誇るが、致命傷を受ければもちろん力尽きるしかない。
コォォォォォンと悲哀を誘うかのような声が浩一に届く。先ほど浩一に蹴り飛ばされ、オロチに潰されかけるも生き残った一匹だ。敵に浩一の投げた鉄扇は当たってはいなかった。
(牽制だったから気にはしないがやはり投擲スキルも鍛えたほうが良さそうだな)
思考を走らせながらタン、と浩一の身体が再び跳躍し、壁を疾駆する。その直後に響く轟音。オロチの身体が壁に叩きつけられたのだ。巻き上がる肉片を浴びることなく回避し、残る一匹に到達した浩一は武器を持っていない狐鬼の強靭な腕とするどく尖った爪の連撃を危なげなく回避するとすとん、と首を切断した。
「浩一っ!! 戻って!!」
待っていたのだろう。大量の魔力を発生させた雪が叫ぶ。
「おうっ!!」
浩一は雪へと怒鳴り返すと、設定されたグループが違うために、オロチが未だ生きているのに光の粒子へと変わっていく狐鬼の死体を一瞥。そのまま、オロチの背中に飛び乗るとその背中に刀を突き刺して駆け抜ける。
飛燕クラスの量産型の太刀でもオロチの皮膚や肉の切断が可能だと、購入したモンスター情報に載っていたために行なえた行為だ。浩一は一瞬で一メートルほど切り裂き、狭い通路で暴れ出したオロチの背から刀を引き抜くとその背を駆け抜け、跳躍する。
「【氷塊刃】!!」
この浩一が稼いだ巨大な敵の隙。それを長年のパートナーである魔法使いが見逃すわけはない。【力ある言葉】によって事象が発動する。
一秒にも満たない時間だが滞空する浩一の脇を駆け抜けていった大量の小さな氷の刃。それらは未だのた打ち回るオロチの身体を端から切り裂き、凍らせていく。
「だぁぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁ!!!」
魔法の射出範囲を避けながら浩一が、猛り叫ぶ雪の隣まで下がる。魔杖を構えた雪の周囲にある魔法陣は杖と雪の背後にある合計二枚。
基本的に魔法陣の量によって魔法の威力は決定されているためか、魔法陣三枚の【飛瀑】より威力は低い。それでも魔法は巨体に攻撃を成功させている。
シャァァァァアァアァァ!! と、悲鳴を上げながらのた打ち回っていたオロチの身体が段々と動かなくなっていく。巨体に与えているダメージはそれほどではない。それでも、オロチの身体は動きを止めていく。
そこで初めて、雪が自身の持つ生体属性と逆らってまで氷魔法を使った意味を浩一は理解した。
「なるほど、温度変化か」
視線の先では体温を強制的に下げられたオロチが眠るようにして沈黙していた。いかにモンスターに生物の限界を多々越えている部分があるとしてもこういった部分で越えられない固体も残ってはいる。
「ふッうぅぅーー」
ジャケットの内ポケットから取り出したハンカチで額の汗を拭き、雪が息を吐いた。魔力行使が収まり、なんの力も発しなくなった魔杖がだらしなく地面に突き立てられる。だーるーいー、と杖に雪がよりかかり唸りだした。雪にとっては大技に位置する中位魔法だ。何事にも向き不向きがあるように、魔法使いにも得意とする属性や苦手とする属性は存在する。しかも雪の持つ生体属性は【炎】だ。魔杖の補助があったとはいえ、【炎】と真逆の特性を持つ【氷】の魔法は雪とは相性が悪い。
「よくやった」
「う、うん。はぁ、はぁ、……とどめ、お願い」
「わかってる」
疲れただろう雪は休ませておくことにし、浩一はオロチへと歩いていく。
油断をしてはいけない。いかに低温によって強制的に停止状態へと追い込まれたモンスターであろうともその存在が人間とは違う不条理の塊であることを忘れてはならない。浩一は己にそう言い聞かせながらゆっくりとその首筋から尻尾までの距離を見る。
全長は八から九メートルはあった。これを切り裂いて駆け抜ける前にオロチは目を覚ますだろう。ならば、とその丸太にも似た首筋を見る。うっすらと霜が降りたその巨体。完全に切断するにはいかほどの技量が必要だろう。浩一は腕を見る。記憶にある限り、十年以上の歳月を、刀を振るってきた。それでも、自分には足りているだろうか。
浩一はちらりと雪を見た。息を落ち着け、気を整えた彼女は浩一に向けて親指をぐっと突きたてた。やりたければやってみろ、とのことらしい。
ふぅ、と浩一は気を整えた。未だB+の前衛戦士である浩一には剣士の持つオーラ系のスキルを習得するには技量が足りていない。だから切断するには十余年の年月で鍛えに鍛えた自身の技が必要になる。
敵の目を覚ませてはいけない。死に体となった敵ほど恐ろしいものはない。そう言い聞かせながら浩一は切断すべき箇所を見抜き、そこで鞘に収めたままの刀を構えた。
目を閉じ、精神を集中する。頑張って、と雪の声が聞こえた気がしたが心の内に落とすだけに留め。振りぬいた。
紀元と呼ばれる人類の歴史は消滅した。
有史以来、致命的な闘争を行なったことのなかった人類史、その中で汚点として輝いているひとつの出来事がある。
【大崩壊】と呼ばれるもの。空を火が染め、海を毒が染め、大地を血が染めたひとつの大闘争。きっかけが些細なことだったそれは当時200億を越えた人類の悉くを葬り去り、結果、大地から生命は死に絶えた、はずだった。
偉大な賢人か壮大な狂人か。それらを早期から予見していた科学者達がいた。彼ら、彼女らは世界の各地に数十もの巨大なシェルターを作製し、人類を保存した。
結果として人類は生き残る。それらが全く誰も望まない結末を回避する手段ではなく、単純に絶やさないためという使命の元、造られたということを除けば、それは優れた退避措置だと言えた。
そして、ただ一点。科学者たちが想像していなかったこともある。それは退避させた人類の住むはずだった大地が荒廃しきっていたことと。空を覆う大気の壁が穴だらけになってしまい。恵みのはずの太陽光が人類にとって致死を意味するものになった点。
人類は変容を迫られた。
長い時間をかけ、旧人類の残した、シェルター内部に保存されていた受精卵はシェルターを管理する人工知能群によって改造を施される。強靭な生命力を持つように、変わった環境でも生き延びられるように。
長い時とそれなりの犠牲が払われた。それでも外部環境に耐えられるようになり、世界各地のシェルターから人類が外に出られるようになったその時。いくつかの知識と設備を残し、人工知能たちは機能を停止する。あらかじめ決められたことではあった。人類は自身の足で立ち、歩き出すことを決められていたからだ。
そして、自由を得た人類は半年もしない内に生物として敗北する。
【モンスター】。当初は分類もなにもされず単純に怪物とだけ呼ばれた者たち。大崩壊以後の地球上で確認されるようになった奇妙なカテゴリーの生物。オーク、コボルト、ゴブリンを初めとする人類でも容易に殺傷可能な亜人たちから、ミノタウロス、サイクロプス、オーガなどの強靭なかつ凶悪なモンスター。彼らは戦車や航空機などの兵器群をもってしてようやく殺傷できる怪物だった。
世界には、多くの敵が蔓延っていた。
虚空から炎や氷、雷を呼び寄せる奇妙なローブを纏った人に似た異なるもの。見たものを石化させる奇妙な鳥。空を自由に飛びまわり一度は大崩壊時に作製されたシェルターさえも破壊した巨大なトカゲ。
人類は当初、外界での生存を諦めるしかなかった。シェルター内部では時に大崩壊以前の世界ですら使われることのなかった兵器群が作製されることもあったがそれらが正式に採用されることはなかった。
無駄だったからだ。彼らの作製した地獄の炎を持ってすら地獄を生き抜いている生物たちに敵うことはなかった。
そうして人類が本格的に衰退していこうとするときに世界の各地で同時に発見されたものがある。人工知能群が現人類に隠していた技術。生体操作技術。単純に遺伝子を改造するのではなく生物としてのポテンシャルから底上げする技術の発見によって人類はようやく一時的な対抗策を得ることに成功する。
同盟暦305年。世界各地で同時期にシェルター周辺のモンスターを駆逐するための第一次征服活動が始まる。人としての姿を捨て、亜人のようになった人々は自らを人を超えた人、超人と呼称した。翼の生えた射手、足が四本ある戦士、三つ目の指揮官……。彼らは人としての姿を捨て、強さを求め、人類が地上の覇権を得るための戦いに赴いた。
同盟暦307年。総勢100万を越える超人の軍は、世界のそれぞれで緩やかに敗退した。理由は多々あった。途方もない数のモンスターや、初めて外の世界で長期間任務に従事したための、シェルター暮らしに慣れていたために決して慣れることのできなかった緊張感。
また、未だ効率的な運用のできていない超人としての戦闘方法や、訓練不足の部隊などの集団としての未熟さもあった。だが、元が人であるが故に克服できない問題が存在した。
それが超人たちの意識。元々が人間だった彼らは強靭なエリート意識を持ち、自尊心を高め、他者を貶めることで自身の異形から顔を背けていた。だがそれらを長時間の遠征で持ち続けることができるものが少なすぎたのだった。周囲が超人だけだった、という環境もひとつの要因だった。
そこは、ただの人間が生活するには酷すぎた。
超人のジレンマ、それを要因として遠征軍は自壊する。
だが、人々は緩やかに絶望しながらも希望を捨てなかった。過去の記録から得た、かつて地上の覇者だったという強大な自尊心。いつか外敵をすべて駆逐し、外の世界を自由に生きるという野望を持ちながら雌伏し、戦力を蓄え、意思を鋭く研ぎ澄ませていく。
そうして歴史の転換点となるのが同盟暦1456年、第六次征服闘争のときである。ゼネラウスと呼ばれる、現在でも有力な国家のひとつにて、四鳳八院と呼ばれる血族の祖。鳳閑が多大なる戦果を挙げたのだ。
後年、エクサスの会戦と呼ばれる大規模闘争の場にて、ただの一兵士だった彼は超人数名掛かりでなければ打倒できなかったミノタウロスをたった一人で倒し、それ以降も数匹のミノタウロスを正面から倒すことに成功する。
それは、快挙だった。
すぐさま彼を研究する組織が新設され、施設が開発された。そこで研究者たちが知った事実は彼らを驚愕させ、超人たちを絶望させた。
鳳閑は異形ではなかった。後天的に改造を施されたわけでもなかった。ただ受精卵の時に単純な加工を施され、人体ベースでの【可能性】という一点のみを追求され、適応性に【深み】を与えられただけだったのだ。
彼を戦士たらしめていたものは優れた知能や多くの手足、翼などの異形ではなかった。彼を超人たらしめたものは人類の歴史だった。
武術。シェルターに残された多くの知識の内、未だに紐解かれることのなかった多くの戦闘方法。軍隊格闘や超人たちが自ら考案したにわか武術ではなく、大崩壊以前に多くの国々にあった人類の結晶だった。
大崩壊の最中に数を減らしていった武の達人たちが成果を失伝することを恐れ、国を越えて集められた武の歴史。膨大な量の演舞の映像、秘伝書の画像データ、口伝を残した音声情報などなど。当時、鳳閑はただ一人、人体ベースで作られたいくつかの固体のうち、それらを人体に反映させることを任務として与えられていたのだ。
そして、鳳閑の情報を基にして多くの軍人が作られていく。彼らは鳳閑を【親】として派閥などを形成しながらも次々とモンスターを駆逐していった。
100年以上の時間を掛けて鳳閑を製造した技術は研究された。そうしてその間に新造された武具や軍人は後にS級やA級などとランク付けされ、以前の人類では倒せなかったものたちすら滅ぼしていく。
人類は狩られる側から立ち上がった。閉塞したシェルターから外の世界へと居住空間を広げていくことができるようになった。
人々はようやく人としての尊厳を守りながらも外敵への対抗できる手段を手に入れた。
そのうえで人類は更に状況を効率化させるためにある施設をシェルター内に、またはシェルターを新設することで建造し始める。
それこそが学園都市。都市内の一部分にモンスターを閉じ込め、迷宮化させ、効率的に新たな人類を成長させるための巨大教育機関だった。
アーリデイズ所有一番ダンジョン【アリアスレウズ】三十六階層。【アリアドネ大封道】と呼ばれる大部屋にそのパーティーはいた。
真珠色の空間。その室内には大量に横穴が空き、白く煌く糸で織られた巣穴がそれらを覆っている。また、彼らの眼前には大量の、人の胴体ほどの大きさを持つ蜘蛛の屍骸が転がっていた。
アリアドネという名の恐るべき蜘蛛のモンスターだった。
「おう、そこの巣も焼き払ってくれ」
「へーい。わかりやしたぁ。そっちの連中ついて来い」
「わかりましたー」
「あ、俺も手伝うわ」
「助かる」
一人の学生の指示に従い、ローブや鎧を身に着けた少年少女がせわしなく動いている。
「もうすぐ終わりだな。あと巣はどれだけ残ってる?」
「ええ、そうですね。もう先ほど指示を出した場所だけでしょう」
「ケケ。巣を壊せば壊すだけアイテムが手に入るってのもいいもんだな」
「ある意味、終了後はボーナス扱いのようですから」
周囲に散らばっていた屍骸が全て消え、参謀らしき男と話していた一人の剣士のイヤリング型PADに収まっていく。
彼らは普通のパーティーだ。装備も、表情も、錬度も、何もかもこの階層では平均。いや、足りないぐらいでもあった。学園の常識に沿っていない編成。それは彼に指示された学生が三十人ほどいることでも明らかだ。
Bランクが大半とはいえ、Aランクが数人混じった彼らの人数はこの階層の探求、というよりダンジョン探索にはまるっきり非効率的だ。
ダンジョン探索で得られる単位の取得は最大人数が八人までと規定で定められており、またそれらにもランクの総合力などの問題から、人数が多い場合は低ランク集団で高ランクモンスターに挑まなければならないという課題が発生するからだ。
そんな疑問の答えのように、その大部屋にいる全員のPADから音声が発せられた。
『【A+】パーティー【血道の探求者】が特殊イベント【アリアドネ大封道】をクリアしました。イベントに参加したメンバー全員に特殊アイテム【アリアドネの糸】が配布されました。また、単位【7】が加算されます。該当パーティーに所属する生徒はアリアスレウズ受付にて登録されたPADを提出し、報酬単位を受け取ってください』
よし、と数人が両手をぐっと握った。残りの学生たちも満足げな表情を浮かべた。それらを見ながら剣士姿の偉丈夫が満足そうな顔をし、この巣穴の攻略報酬であるドロップアイテム群を空間投影したウィンドウで確認していた。
「それで。アリアドネの糸とはなんですか?」
ふさがれていた巣穴が焼き払われるたびに増えていく戦利品をパーティーリーダーである剣士が眺めていたが、傍に立っていた副リーダーの男に問いかけられ、首を傾げる。男にも聞いたことのないアイテムだったからだ。
「さて、な。まぁ見てみりゃ早いだろうよ。どれどれ」
自身のPADを思考操作で操るとアイテムが拡大表示される。そうしてから困惑した声を出した。
「んだこりゃ。生体転送の一時的解除だと。馬鹿な」
無機物であるアイテムの転送は容易である。また転送用のナノマシンを全身に埋め込み、いくつかの魔導的な技術によりモンスターの転送も可能にしてある。だが、と男の思考をひとつの答えが埋めた。
「ありえねぇ。人間の生体転送は、やったらいけんだろ」
副リーダーもそれを否定せず頷き、アイテムを見た。説明文にあるのは生体転送の解除。アイテム形式は体内ナノマシンに対する一時的な転送能力の付与。そして転送後の生存率30%の文字。ただし条件次第では上昇させることも可能であると注意書きがされている。
前者の二つはともかく後者にある生存率を見て、二人の男はそのアイテムを嘲笑した。こんなものを使うのは馬鹿だけだ、と。
基本的に学生の体内に埋め込まれたナノマシン群には代替血液となる能力や治療の促進などの戦闘補助以外には学園都市の特殊施設のなどの【キー】となる効果以外は付与されていない。それ以上は流石にナノマシンの限界であったし、それ以上を求めるなら大きさと変え、重くしなければならなるからでもある。と、一般的に言われている。
また、人間の転送が禁止されているのは生体に対しての転送は非常に危険なためでもあった。脆弱な人間の肉体と精神では転送には耐えられない。転送にのみ特化したナノマシンを投入され、人間とは圧倒的に違う、ある種冷酷かつ頑丈な精神を持つモンスターやそもそも壊れるべき精神を持たないアイテムだからこそ耐えられているといってもいい。
だからこそ彼らはありえないと思っていた。また使おうとは考えなかったのだ。
燃える炎がアリアドネの糸を焼き払った。100を越える巣穴。それらを開くたびに入手されるアイテム。
「ま、いいさ。もうイベントは終わったしな。あとは帰るだけだろ?」
「そうですね。打ち上げの用意もありますし、先に何名か帰らせましょうか?」
「いや、実習は帰るまでが実習だぜぇ。ケケケケ」
リーダーと副リーダーの男たちは考えても答えのでない疑問を忘れ、画面を見ながら笑いあった。ドロップしたアイテムは一財産だ。メンバー全員に分配したとしても彼らが入手できるダンジョンでの報酬一ヶ月分にも勝っていた。
だから気づかない。その報酬に含まれているあまりの回復剤の多さに。
だから気づけない。彼らのすべきことはここで取らぬ狸の皮算用を行うことでもなく、尽きぬ疑問を語り合うことではなく、【アリアドネの糸】の全員の使用であることに。
炎が最後の糸を焼き払った。糸は燃え、広がる。そうしてそれが大部屋の入り口まで伸び、その場の糸にも燃え広がる。しかし、燃え広がるのも早ければ、鎮火するのも早かった。
煤一つ残らず、灰ひとつ残らず糸が消える。そうして、大部屋の入り口に張ってあったがために覆い隠されていたプレートを露にさせた。
プレートに刻まれていたのはこの大部屋の名前、イベント名【アリアドネの大封道】ではなく。この部屋の名称。
【クノッソス宮殿】。意味は大崩壊以前のある国のある神話。そこで怪物を閉じ込めるために使われた迷宮の名称。
封じられた怪物の名はミノタウロス、その語源は意味は『ミノス王の牛』。彼の者は神の罰によって生まれた牛頭人身の怪物。
『全てのアリアドネの巣が破壊されました。ドロップアイテムの配布を終了します。特殊イベント【ミキサージャブ】が開放されました。参加パーティーは【血道の探求者】。イベント報酬として討伐で単位【7】、逃亡で【1】の単位が支払われます』
生徒たちの疑問の声があちらこちらで上がった。彼らは自分たちがイベントを発生させたことにすぐに気づいたが、それが何を意味しているかまではわかっていない。
そうしてこの広間から物語は始まった。もちろん【血道の探求者】の物語であるはずはない。これは、火神浩一がただ一頭を殺すための物語であることなど、当然、誰も知るわけがない。
【手垢のついた設定の手垢のついた物語】
第一章『【唯我独尊】と無謀の侍』
ダンジョンから無事、地上に帰還し、ダンジョンのロビーに付属しているダンジョン課の窓口で浩一は帰還の報告と次回使用のための申請をしていた。
今回は怪我もしておらず、武器に目立つような破損はない。成果も出しているし、実習の結果としては良好の部類だろう。
強靭かつ腐食や揺れに強いミスリル製の金属を骨組みにし、特殊な建材と複合材で作られた立派な八階建ての校舎の地下にある学園ダンジョン。生徒を効率よく鍛え、かつ自主性を育ませるための空間。
当然、優れたシステムで管理され、中のモンスターが溢れ出てこないような構造になっている。また、有事の際は中の人間ごと封印するための魔術的結界と物理的封印、両方の用意があった。
「あ、やっときた」
光沢はあまりなく、白く、柔らかな色合いで地下にいるという圧迫感をなるべく軽減するような壁に囲まれた施設。その壁際で自身の魔杖をぷらぷらさせながら浩一を見ていた雪はメール受信の際に設定した音楽がPADから流れてきたのを聞き、思考操作でウィンドウを開いた。
メールが新着しました!!
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2088/09/29/14:50/A20
学園名:アーリデイズ パーティー名:ヘリオルス
パーティーリーダー:火神浩一 公式ランク【B+】
パーティーメンバー:東雲・ウィリア・雪 公式ランク【B+】
アーリデイズ所有一番ダンジョン【アリアスレウズ】20階層主要モンスター【ミノタウルス】の討伐を確認。上記の二名にダンジョン課から単位【1】を加算する。
アーリデイズ都市長:鳳麟三界同盟軍大将
アーリデイズ理事長:鳳燕貫之同盟軍中将
アーリデイズ学園長:鳳亀桜花同盟軍少将
対象の学生にさらなる奮戦と精進を期待する。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
自身の髪を弄りながら雪は呟いた。
「単位、かぁ」
未だ学生の身であるならば単位と卒業は繋がっている。自分達が学園を卒業するなら単位は必ず得なければならないものだ。通常ならば講義を受け、試験、またはレポートを提出し、一定以上の評価を受け、始めて単位を得ることが出来る。
二十二学年まであるこの学園の年間取得単位数や卒業単位数を考えると授業と講義だけでも卒業することはできる。わざわざダンジョンに潜る必要はない。
しかし、ダンジョン実習の際に得られる単位は、パーティー内のランク差があまり無いパーティーで新階層に到達し、その階層の主要モンスターを討伐した際に迷宮実習の単位を一単位得ることができる仕組みになっている。迷宮実習の単位はあらゆる単位との互換が可能なため、迷宮実習での単位取得が活発なパーティーなどでは必修の単位をとらずに卒業可能となっているものも少なくは無い。
言ってしまえば楽なのだ。学生としては。だから皆、ダンジョンへと進んで潜っていく。
学園都市の方針に好意的ではない雪はため息をつくしかない状況だ。好意を持つ人間がそれらに無頓着なのもため息を深めてしまう結果になってもいるが。
(どうせ、都合がいいとでも思ってるんだろうなぁ)
無論、浩一に限っては単位の他にも理由がある。そして雪は好んで戦いたいわけではないが、浩一が行くなら付き合うしかなかった。とある事情から浩一は他のパーティーに好意的に受け入れてもらえない。そして、雪が付き合わなければ浩一は一人でもダンジョン実習を受けてしまうだろう。
「次は、中央公園とかかなぁ。植物園とか昆虫館とかはやりやすいけどやだなぁ」
そうして、はぁ、と未だ攻略していないダンジョンを呟いた。ランクが上がると低ランク階層では単位が取得できないため。こうして新しい階層を開拓した後は都市内のダンジョンをローテーションで回りつつ単位を取得する方法が学生の中では主流になっていた。
浩一はPADのダンジョン使用申請のウィンドウに必要なものを打ち込んだ後。受付に座っている女性にそれを渡した。
「申請っつってもPADを出すだけなんだが。時間がかかりそうだな、相変わらず」
「あなたのPADが古いだけです。OSだけでも換えません? わざわざ古い機械出さないといけないこっちの身にもなってくださいな」
燃えるような赤髪と深緑色の翠眼。ショートカットが目立つ整った顔立ちの女性。受付に座ったイレン・ヤンスフィードはにこにこ笑いながらそんなことを浩一に言うが、浩一にしてみればそれはそっちの不手際だった。
「なら今朝のうちに用意しとけばいいだろ。俺たちが入るのは決まってたことなんだし」
「むっかー! なんですそれ、そっちが換えればいいだけなのになんでわざわざこっちが朝っぱらから汗流さなきゃいけないんですか!!」
知ったことか、と浩一が呟く。むっかー、とそれに突っ掛かる女性。イレン・ヤンスフィードと火神浩一のいつも通りの会話だった。
「はいはい。姉さんも火神先輩も落ち着いてください」
騒ぎを聞いてか受付の奥。転移システムやダンジョン内の学生の状態を把握するための小部屋から、イレンとよく似た顔立ちの少年が歩いてくる。
「ザインッ。だって、この馬鹿が」
「いいから仕事してくださいよ。忙しいんですから」
ザイン・ヤンスフィード。イレンを姉を呼ぶ同姓の少年であった。
「特に火神先輩はそれ以上姉さんに無礼な口を利かないでくださいね。アイテムを全て腐らせますよ?」
「ぅ、…。あ、あぁ、わかった」
ダンジョン内の転移システムや学生へのアイテム報酬などの管理を一括している技術課学生の言葉に浩一の表情が凍る。
「ははんッ。冗談ですよ。それで、今回はどのような用件ですか?」
「ああ。ダンジョン実習が終わった報告と次回の申請だ」
ガガガガガガッ!! と浩一が指をさした先にはキーボードを扱う際に通常は絶対に出さないと確信できるような音を立てて、コンピューターを操作するイレンの姿がある。
「ああ、だからイレンの機嫌が……。それで、いつになったらPADを新しいのに変えるんですか?」
「ん、まぁ、あと数年は変えないのは確実だが? なんだ。おまえも問題だと思ってるのか?」
「さて、どうでしょう? とりあえず姉さんの機嫌の問題なので聞いてみただけですけど」
ふぅん、と浩一は呟き。いい表情で汗を拭っている少女を見る。
学生にして既に管理業務に携わるほどの腕を持つ姉弟。通常なら十分は掛かる申請を僅か一分も掛からずに終了させた姉に。浩一より年下ながら学生たちの生命線たるダンジョン管理の一部を任されている弟。
「それでは僕は戻りますけど。姉さんにちょっかい出したら転移速度を遅延するかもしれないんで。どうぞ、肝に銘じておいてくださいね」
脳が腐っても出さんぞ、とは言わず苦笑いを返すと馬鹿にしたように鼻で嗤って少年は管理室へと戻っていった。
「はい。三日後の今日と同じ時間に入れときましたから。忘れずに来てくださいね」
「ん、ああ。ありがとう」
「どういたしまして。で、PAD、いい加減変えません?」
無理やり作った笑顔のイレンに、浩一もにこりと笑っていった。
「じゃ、次も機械の用意よろしく」
再び始まった小競り合いに金髪ポニーの魔法使いこと東雲・ウィリア・雪は溜め息を吐いた。魔術と科学の両方の最先端で製造された強化ガラス越しに罵り合う二人の姿は傍目に見て痴話げんかのようにも見えてげんなりする。
(なんでかなぁ、この年になってまで浩一とは全く進展無しって。女としてみられてないのかなぁ)
むぅーと雪は自らの肢体を眺めた。同年代の女子から頭ひとつ抜けて高い身長。だけれど浩一よりかは低く。隣に立っても見劣りはしない。むしろ客観視するならば雪のスタイルの良さは凡庸な見目をしている浩一の方が釣り合っていないと周囲に思わせるほどに良い。もちろん、雪自身にそういった考えは微塵も浮かんではいなかったが。
雪は思考操作でPADから手鏡を取り出した。ダンジョンから戻ったばかりで少し煤けてはいるが、顔も平均より高いと思う。駅前や繁華街でも何度かモデルにスカウトされたことだってあるのだ。
(そそらないのかなぁ)
ハンカチを取り出し、汚れを落としながら考える。幼馴染なのに、浩一の女の趣味がわからない。今日の会話では娼館に行ったことがあるらしいが、そこで行為に及んだことはあるのだろうか?
(むむむむむ、むかつくかも)
自分に言えばそれぐらい、とそこで真っ赤になる雪。見かけによらず少女は初心だった。
返還してもらったPADを雪に放る浩一。頭にこつんと当てられて考え事から現実に復帰した雪はわたわたと慌てる。
「何やってんだ?」
「なんでもない!!」
怒鳴られて首を傾げる浩一。それを無視して床に落ちたPADを拾い、今回の探索での自分の取り分を引き出す雪。浩一40% 雪40% 次回の探索の準備費20%だ。
アーリデイズは学園都市でも有数の名門校であり、理事や出資者の中には有名な商人や都市内でも地位の高い人間が存在する。
その中には銀行を経営している者などもおり、探索で入手した報奨金は校舎外の支店やPADを通じたネット銀行から直接統一通貨へと両替することができた。無論、学園都市ではゴールドの価値は一定であり、両替せずとも扱うこともできたが、統一通貨の方が面倒は少ないために学生たちは一定のゴールドを手に入れればすぐに換金することにしていた。
浩一はPADに詰まっている金額を見ながら考える。
(新しい刀はまだだめか。とりあえず属性付きぐらい欲しいが。金がどうにも足りん)
巷に氾濫するゲームやらのようにはいかない。世界にレベルという概念があるわけではないのだ。ただ闘うだけで自分の撃力が上昇するわけはない。手を握り、開き、決める浩一。
(防具はこのままで良いとして、やっぱりなんぞ強い武具を買わなきゃだめか)
もっと深い階層を探索したい浩一としてはその点で自分がやるべきことはわかっている。なるべく自分が敵を倒し、一撃の打撃が大きいが回数制限のある雪を温存すること。深い階層には特別な武器か魔法の類ではないと倒せないモンスターもいる。
(しかし、武具の優劣で決められる敵に勝ったところで。いや、これは傲慢か……)
手段が何でアレ。勝つことこそが今は重要なのだ。実と利。両方を取る事はできないなら、利だけでも手に入れることの方が幾分は現実的だろう。
「次は予定通り三日後に予約したが、異存は? 今なら変更は効くぞ?」
「えっと、うん。大丈夫だよ」
事前に決めておいたスケジュール通りとはいえ、なにか突然の予定が入ってるかもしれないと思い問い掛ける浩一だったが雪に異存はないようだった。
「そか。よし、んじゃ解散」
告げる浩一に何か言いたそうな顔をした雪だったが。
「あ、……うん。またね」
諦めたようにそう返しただけだった。
浩一は雪と別れ、学園都市を一文字に貫く巨大なメインストリートへと足を運んでいた。
(さて、と。あちらだったな)
人類とモンスターの関係や過去の大災害を解りやすく表現するためにシェルターという表現で語られることが多いが、学園都市は日の差さない穴倉のような街ではない。
各都市の詳細は異なるが、大体が各々異なる性質と役割を備えた約二キロを一辺する正方形型の小都市を一区画とし、それらを整然とならべた百を越える都市区画によってシェルター内を構成していた。
その上、頑丈で固く、並みの攻撃では傷のひとつも負わないような壁がシェルターの外壁を担っており、上空は半透明のドーム状の膜が常に存在する。また、緊急時はそれの外側に壁と同じ材質のドームを展開するようになっていた。
それらの設備のせいか、この都市は、閉鎖的でありながら、開放的という印象を住むものに与えていた。無論、人々はそれでも無意識に閉塞感を感じていることを隠そうとはしていない。それがモンスターと同等に闘える浩一たちのような存在を受け入れさせるのだろう。
浩一は移動手段として都市内のほぼ全ての地域に接続し、学生であるなら運賃を三区画分割引してくれる自律輸送車から降りた。そして膝上ほどの高さの鉄柵で囲まれた一つの区画へと入っていく。
第五十七区画、第七商業街。懐のPADが浩一が都市内を血管のように張り巡らされたパイプ状の道路から区画へと入ったことを認識し、浩一の視界の隅に区画名を出したウィンドウを表示した。
いつものこととそれを無視しながら浩一は進んでいく。
武具専門店【ラインツ・クーバー】、それがこの古ぼけた店の店名だ。
天堅樹と呼ばれる珍奇かつ貴重な木材を主な建材として構築された店内。そこに並ぶ硬化硝子製のケース。収められた数々の武具。壁際に並ぶドレッサーに着せられた鎧や外套。さほど広いとは言えない店内には多くの武具が整然と整列していた。
「んぅ、誰だァ?」
店の奥、カウンターに併設されている作業台に座っているのは筋肉質な四肢にでっぷりとした腹の中年の男だった。彼は精緻な彫刻の施された西洋剣の刀身を、巌のような顔の中にある円らな瞳を窄め、モノクル越しにじっくりと眺めている。
「ドイル。俺だよ。浩一だ」
浩一がカウンター越しにその姿を見ていても刀身から目をそらさない男、ドイル・ザ・スレッジハンマーは「おォ、浩一かァ。ちょォいと待ってろ。こいつの査定が終わったら、だな。うむ」ともごもご口を動かしているが全く浩一の方向を向く気配はない。特に急ぎの用事もないためか、それとも店主の性格を熟知していたのか。恐らく後者の理由から浩一は特に気にした様子もなく、カウンター傍においてあった天堅樹製の椅子に腰掛ける。
「こいつはなァ。剣牢院同心作の長剣だァ。どゥだァ。浩一ィ。欲しいかァ」
言いながらも作業台の上の品から一切目をそらすことない店主に浩一はハッ、と鼻で嗤う。
「俺は刀使いだぞ。術理の違う西洋剣なんざ扱ってどうする」
四鳳八院が一つ。武具製作の名門【剣牢院】。その、現在の当主の作り出した一刀。SSランクの長剣【炎殺の帝剣】、剣の性能を十全に引き出せる剣士が扱うならばミノタウロスクラスのモンスターでも突き刺す程度でも絶命させられるそれ。あらゆる学生が涎を垂らして獲得に奔走する一本だった。
そんな至上の名剣に対しての言葉に、ドイルはグァ、グァ、グァ、と岩盤が破砕できそうな濁声を、愉快そうに変調させ笑う。自分の前にいる人間が相変わらずなことに喜んだのだ。
「お、おォ。そういェば、そうだったな。グ、グガガ。いや、買い手もまだいねェことだし。金さえあるんなら浩一によォ。売ってやろゥと思ってたんだァ。ガガガガガ」
へぇ、と浩一が今度は目を細めた。感心した、や。感動した、ではの表情ではない。刀ならともかく西洋剣を浩一が本気で欲するとはこの男も本気で思っていたわけではないだろう。ただ、金さえ出せば売ってくれる、という言葉にも嘘はなさそうにも思える。だからか、その目的を察することができた。
「金は借りんぞ」
「ガガガ。なんだァ浩一ィ。ワァシがァ、浩一からァボッたくろうなんざァ。考えるわけがなァい」
言いながらも作業中には上げなかった顔を上げているところに本音が透けて見えていた。はぁ、と浩一はため息をつきながら腰の刀をカウンターに置く。集中が途切れたのかドイルも炎剣を鞘に収めるとカウンター越しに浩一と向き合った。
「ロォーン有り、整備無料だァ。どうだァ?」
「まぁ、待て。絶対に買わないが値段はどうなんだ?」
ほゥい、と目の前に表示されたウィンドウを見て浩一は内心で決めていた決断を更に深め、ドイルをじろりと睨みつけた。
「ちなみに、何年ローンだ?」
デヘヘ、といやらしい笑いを浮かべたドイルはまったく悪びれた様子もなく「50年だァ。グァガガガガ」と告げてくる。
50年。家を買うより遥かに高い買い物だ。通常ならば。
しかし将来、ただの軍人になるとするならば安価とも言える。購入し、西洋剣に術理を変え、第一線で戦い続けてもお釣りが揃って返ってくるようなランクの剣。炎殺の帝剣とはそういった類のものだった。だが、それも浩一にとっては、ただの軍人になるならば、という条件がつく。
「いるか。こんなもん。それよりコイツの整備を頼む」
ぺいっと値段の表示されたウィンドウを手で掻き消す。ドイルは全く残念でない表情で「そォかァ。残念だァ。ガガガガガ」と笑った。そうしてから浩一の刀。SSランクとはまさに天と地ほどの差を持つ浩一の愛刀、正宗重工製Eランク無属性刀剣飛燕を手に取った。
「おォおォ。よくもまァこれだけ斬ったなァ」
「いつも通り。まだその刀でもイけるだろ」
飛燕でもまだイける。誰に聞かせるでもないが、当分浩一は体表が金属よりも柔らかいモンスターを相手にする心算であるということを暗に言っていた。
体表が金属と同程度の硬度を持つものはB+ランクでも一部のものに限られる。例えばアーリデイズダンジョンならば、浩一の現在の攻略階層よりも2、3階下に生息するモンスター。あえて例を出すなら動きの遅いカノンタートルと呼ばれる亀の一種や鉄の甲殻を持つ鉄蜂など。それらは鉄の皮膚を持ちながらも通常B+と認定された学生がきちんとした戦術を持って抗えば、それほどの脅威ではないと認定されている。
「そォかねェ。ワシから見ればこの刀でも。おォ? ミノタウロスにオロチかァ? よくもまァこれで」
ドイルの使っているモノクルがいくつものウィンドウをドイルの傍らに展開する。それらは飛燕が記録している戦闘の経過などだ。本来は浩一の持つPADに情報を送るだけの機能なのだが、専門の職能技術者が操ればその限りではない。鮮明に記録されたそれらはドイルの武具観察の経験と学生であったころの実体験を持ってして、ほぼ現実と同じ戦闘風景をドイルの脳裏に描かせる。
同ランクの学生たちでは決して行なうことのない。いや、行なうことのできない戦闘。
ミノタウロスに対してランクの低い武具とそれほど高くない身体能力で挑む愚行。戦闘経験の蓄積と修練のみで手に入れた殺戮の手管。浩一の事情を少しでも知っているからこそ事実だと信じられるそれらは、あくまで一線を引いた外野の者だからこそ見事だと言える。
こんなもの、他の学生からすれば狂気の沙汰としか思えないだろう。
軽戦士ならばミノタウロスとは速度で翻弄し、重戦士ならばほぼ同程度の膂力で打ち合うもの、と考える。
少なくともドイルの知る戦闘法とはそういうものだ。あくまで技術としての武術で攻防を補うが、補う、という考え方からは一歩も出ることはない。
浩一の戦い方は少なくともB+の人間の戦い方ではない。B+とはもっと人間から外へ踏み出したものだ。独特の歩法や戦闘感覚によってか、浩一の動きは一般人や後衛職には視覚で捕らえにくい、とはいえ、前衛を経験したことのあるドイルには一般人が鍛えに鍛えたレベルから一歩か二歩だけ外に踏み出した、ぐらいにしか考えられない。むしろこの状態で未だにモンスターと刃を合わせられている時点で学園都市の前衛系としては驚異的な生存能力だとも言える。
鳳閑の事例からか、民間の一般人は誤解していることが多いが。彼が使っていた戦闘技術はあくまで対人間用に編み出されたものだ。モンスター用に一部を改良し、未だ研究が続いているとはいえ、鳳閑が注目され始めたころの主眼は人間ベースの身体の更なる考察と研究に向けられていた。
適応性に【深み】を与える。人体ベースの性能をギリギリまで強化し、更に骨格を金属やそれと同程度の硬度を持つ物質に入れ替え、神経とそれを流れる化学物質を、さらに伝達速度の高いものに変更し、血管に流れる物質すら操作できるようにする。
それらの繰り返しが今の人類を作り上げた。戦闘や学問などのプロフェッショナルを作製するために造られた。学園都市、そこに住む学生たちの身体の半分以上は全て後から誰かが手を加えたものだった。ただ一人、火神浩一を除いて。
学園都市に住みながら身体を一切改造することなく、修練のみで中堅まで走り抜けている男。時に投擲などの手段を扱っているとはいえ、補助の拳銃や魔法筒――魔力を込めた手榴弾のようなもの――の一切を持つこともなくただ刀のみで自身よりも身体能力が高く、自身よりも生命力の強い固体に抗う男。
(スロットもォ、ホントになァんもつけとらんからなァ)
ドイルは店内を歩き回り、武具を見ている浩一を見た。彼は数々の武具を見、その値段を見、有り得ねぇー、と呟いている。ドイルは笑う。浩一に買えるようなものは一切置いていない。ほとんどが飛燕よりも遥かに高い、というよりドイルの店の武具ひとつで飛燕が千本は余裕で買えてしまう。本来ならば浩一はこの店に一歩も踏み込むことはなかったはずだった。
ラインツ・クーバーは学園都市に存在する武具整備販売店でも最上級に位置する。アーリデイズ十シェルターに存在し、人知を結集した鍛錬と改造を続ける学生や軍人たちの中。僅か三百名しか存在しないSSランクやSランク、その上のナンバーズだけがこの店に入り、この店の店主に自身の武具を整備してもらえる権利を持つ。
時として強靭かつ頑健に機能し、区別を超え、差別とまでなる十九の位階。ランク制度。本来ならば浩一はこの店に入ることも触れることもなかったはずだった。
(まァったく、面白れェ客だよォ。ガハッ)
刀だけで迷宮を歩む男。一切の改造もなく、人類の叡智の結晶であるスロットすら使わない男。火神浩一。ドイルがたまたま出会い、呼ばれた通り名をSランク以降が与えられる二つ名と勘違いし、店に引きずり込んだ。
そうして知ることになる。出会った相手のどうしようもないほどの脆弱さ。自身よりも数段ランクの低い武具を扱い、紙のような装甲のみで尋常でないものたちと闘い続ける精神。
それでも、自身より圧倒的に勝る相手に勝ち続ける少年に。それを行い、続けられる精神に。言いようのない恐怖と、ほんの少しだけの興味を覚え、自身の店に訪れることを許可したのだった。
「オぅ。浩一ィ、そいつを買うかァ!!」
「買わんッ。借金なんぞ死んでもするか!!」
「ガガガガ、そりゃ残念だ。ガガガガ」
Sランク宝刀を興味深げに見ていた浩一に楽しげな声をかけ、ドイルは飛燕の整備をするために工房へと戻ることにした。
途中、少しだけ過去を思い出し、笑う。あの頃は学生一人にこれだけ入れ込んだことはなかったからだ。Sランクを超えた人間には専門の研究機関がつくことが多く、そのためかドイルが学生に販売以上のことをすることは稀だった。だからこそ、結局は勘違いだったが。二つ名を持ちながらも自分の店に顔も出さなかった少年が気になり、その特異性や異常性を知りつつも面倒をみようと思ってしまった。
(ゲヘッ、寂しかったんかねェ)
柄にもねェ、と呟きつつ。ああ、忘れていた、とドイルはわざわざ今回のために注文したそれを持ち上げ、未だ店内を物色している浩一へと歩いていった。
【刀だけ(イクイップスワン)】、それがドイルに勘違いを抱かせ、ラインツ・クーバーへと導いた浩一への蔑称である。
腰の刀の重さがいつもと違う。たったそれだけのことが浩一を僅かに不安にさせていた。
(くそッ。やっぱ無理があったか)
あー、と言葉になっていない呻きを上げながら、腰のそれをぽんぽん、と叩く。ドイルはいくつか飛び込みの仕事が入っていたらしく、預けた飛燕の整備は四日ほどの時間がかかるらしい、とのことだった。だが、浩一もちょうど三日後にダンジョン実習を入れている。だから、整備は自分ですることにし、飛燕を返してもらおうと思っていたのだが。
『あァ? 馬鹿言うなァ。おまえ、これ、刀身が少しだが歪みかけとるぞォ』
言われたとき、大蛇を一刀両断した際のものだろうと浩一は確信があった。恐らく、骨か凍った肉のどちらかが原因か、それとも両方か。
浩一は自身の未熟を恥じながら渡された代刀をもう一度、ぽん、ぽん、と叩いた。
村正工房製B+ランク太刀【雲霞緑青】、錆色の刀身を持ち、黒と黄色の斑模様の鞘に入った太刀だ。飛燕と刀身や柄の長さもそう変わらず、それだけならば飛燕より多少切れ味と頑丈さのあがった武具としか見れないだろう。
あくまで、その本来の機能を知らなかったならば、だ。
(・・・・・・毒刀、か)
刀身に毒を塗った、などではなく。刀身自体が既に毒。金属精製の際に毒性の高い金属と各種の神経毒を混ぜながら生成した一本。前線に出ている軍人の中でも、多くが利用する太刀の一種であり、一部のAランク戦闘者やその上の位階の者たちが変わらず愛用し続ける刀。
学園都市に存在する刀系ブランドの中でも正宗重工や剣牢院商会を相手にトップを争い続ける村正工房。その村正工房製の太刀を貸してもらえるなら願ってもないことではあった。あくまで、これがただの無属性太刀であったなら。
(勉強しろってこと、か? はぁ)
いつまでも飛燕一本で行くわけにはいかない。それは、重々承知している事実。
浩一は弱い。脆弱といっても良い。本人の努力と戦闘経験だけならば学園でも上位に位置するが、それが実績につながるなら誰もが結果を出している。
身体を開発する。身体を改造する。そういったことをしていないツケ、それの代償をいつもいつも払っていた。それの取立てを戦闘中にいつも支払っていた、はずだったのだが。
(ままならないなぁ。くそぅ)
せめて武具だけでも高位に変えろ、というドイルの無言の忠告を感じながら浩一はため息をつきたくなる衝動を抑える。人工的にスキルを与えてくれる【スロット】と呼ばれる技術や身体の改造は、浩一も出来得ることならやっておきたかったことだ。だが、それがとある事情から行なうことができない。
(神経速度の変更や、筋力のブーストだけでもできればいいんだか・・・・・・それもな)
浩一は自身が身体改造を行なえない理由を思い出し、それをどうにかするための手段すらわからないことに苦悩する。それをどうにかしないことには周囲と同じ位置に立つこともできない。だが、それを浩一が行なうにはまず、それに詳しい人物と出会う必要があり、そのためにも上へと行かなければならない。
だからこそ、その上でできもしない望みを抱いているこの男は努力し続け、その上でそれらに精神的に屈しない意思を持つ必要があった。
(ま、いいさ。毒刀は初めて扱う刀だからな。一応、興味もある)
一切の絶望や諦観を感じさせない瞳と足取りを持って人ごみを掻き分ける火神浩一。その心の中にはあくまでも前に進むことを欲する欲しかない。
腰に差した雲霞緑青、その刀身は飛燕よりも僅かに重かった。

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